開かれた戦端
―――― 帝國歴 336年 10月 3日
古都ソティス郊外
「いやしかし、やけに暑いな」
古都ソティスから南方へ三リーグほど進んだ辺り。
ゼルは汗を拭きながら平原の陣で参謀達と論議を重ねている。
自分の身に押し寄せている認めたくは無い現実を痛感しているゼル。
この十年でグッと老いたように実感しているのだが、周りのイヌたちが歳を感じさせないのだから自分も若いつもりでいたのだ。
しかし、どう取り繕ってもすでに五十を越えているゼルは、自分がイヌでは無くヒトである事を嫌と言うほど痛感していた。
「総監。あまり無理をしなくとも」
ゼルの代わりを務めてきた影武者の正体はヒトで、しかも今上帝の育ての親であるだけでなく戦術と戦略と、なにより『生き方』の薫陶を強く与えた存在。
そんな五輪男の事情を全部飲み込んでいる参謀たちが声を掛けるのだが、気を張って身体を張って、なにより意地を張って最前線に立ち続ける本当の理由を知る者は案外少なかった。
「そうは言ってもな、総監殿にも色々都合がある」
話に加わったジョージ・スペンサーは五輪男の事情を知る者のひとりだ。こんな時にはすかさず援護してくれるのだから、ゼルのフリをし続ける五輪男には有りがたい存在といえた。
「それに、生で戦略討論出来るのはこんな機会しか無いですからな。ぜひ一戦を拝見したい」
目を輝かせて援護射撃しているのは、ビッグストンからやってきた戦術戦略学の講師であるエリオット・ビーン子爵だ。こんな機会は滅多に無いからとカリオンへ直談判をぶち、臨時の参謀総監付相談役として戦地へやって来た。
皆が様々な事情や思惑を抱え戦況卓を囲む中、カリオンはやや離れた場所に立って腕を組み、戦場の全体像を把握することに勤めていたゼルを観察していた。この場においてゼルの仕事は、参謀総監として戦闘全体の流れを指揮し、その役割と戦術や戦略についての考察をビーン子爵とカリオンに教える事だった。
「ソティスから出撃しているフレミナ陣営はどの程度だ?」
「軽装驃騎兵の威力偵察では一個連隊程度が単横陣のまま前進してくる模様です」
「……そうか」
手元に出した手帖の項を手繰って予備知識の再確認を行うゼル。
ソティス収容可能戦力は最大で五個師団五万人程度。
一個師団約一万の人員と言う事から逆算して、四個連隊で一師団を形成するル・ガルの場合ならばざっと二千五百人と言う所だ。
「……随分少ないな」
「向こうも威力偵察代わりでしょうか?」
ビーンはメモを取りながらゼルの様子を観察していた。
「推定される理由は三つ。総戦力の結集が終わってない。編成が終了していない。全滅しても恨まれないで済む兵力がそれしか無い」
戦況卓の周りをグルリと歩いたゼルはフレミナサイドからカリオン側を見た。
複数の方陣を横一線に並べ騎兵はいつでも突撃出来る体制になっている。
「普通に考えてまともに当たるとは思えない」
「では、全滅前提でこっちの実力を計る……と?」
「それなら良いが、あの兵力でも押し返せるだけの何かを隠している……かも」
やや首を傾げたゼルは思案に暮れた。
その直後、伝令が参謀天幕に飛び込んできた。
――威力偵察隊より伝令! ソティスの西門より二個師団程度が出撃の模様!
「……ほぉ」
ニヤリと笑ったゼルは戦況卓へとチョークを走らせた。
フレミナ側の全体像が段々と見えてきた。
「正面の戦力を囮にするか、さもなくばビックリ兵器で足止めを計り左右から挟撃を計る…… 兵学校の答案なら百点であろうな」
せせら笑いを混ぜてそんな言葉を吐いたゼルだが、皆も気楽に笑っていた。
ただただ、ビーン子爵だけが真剣にゼルの差配を待っている状態だ。
「さて、では戦端を開くとしましょうか」
戦況卓に展開する騎兵の駒を指揮棒で動かしたゼルは、言葉では無く駒の動きで戦術の展開順序を指示した。各騎兵連隊の伝令がその指示を持って走って行き、ビーンはその駒の動きを事細かに記録していた。そして、かつて自分が作り上げた騎兵の基礎戦術が崩れていく様を黙って眺めていた。
――それから4時間後
ソティスの中央にある城の最上階。
大きな見張り台に陣取ったフェリブルは、トウリ・カウリと共に戦線の指揮に当たっていた。
「……これは一体どういう事だ」
愕然としつつ下界を眺めていたフェリブルは、両脚を無様に震わせていた。
雪原の覇者と呼ばれていた北方のフレミナ騎兵団は精強を誇り、様々な種族との戦において敗北を知らぬと呼ばれてきた。だが、今このソティスの街を取り囲むル・ガルの国軍は全く疲れを見せず、逆にフレミナ騎兵団を続々と追い立てて城の中へと押し込んでいた。
「まぁ、地力が違うと言う事だろうな」
呆れたように吐き捨てたカウリは椅子へと腰掛け、縦横無尽に駆けている国軍騎兵の動きを目で追っていた。この二百年近く、手塩に掛けて育ててきた騎兵達は見事な連携を見せてフレミナ騎兵を追い詰めている。
打つ手が無くなって戦線の整理を選択したフレミナ騎兵の各隊長達は、退路のあるウチに順次後退し打開策を探している状態だった。ただ、打開策とはつまり、攻め手側の油断や隙と言った部分につけ込む事を指すものでしかない。
縦横に連携を取って連動する攻めを繰り返す国軍騎兵相手にそれを見いだすことは難しく、一旦下がって仕切り直す以外に手が無い状態へと陥っていた。
「我が騎兵団はなにをやっているんだ!」
自分の思うようにならないときは、どんな場所でも遠慮無く激昂する。
そんな精神性の幼いフェリブルを眺めつつ、カウリは内心ほくそ笑む。
――フレミナの家臣達はこの単純バカをどう御してきたのだろうな……
ふと、そんな事を思ったカウリは面倒臭そうに立ち上がって下界を眺めた。
寄せては返す波のように流動的な動きを見せる国軍騎兵に対し、フレミナ騎兵は教本通りの単純な横五列の陣を敷いて面戦闘を試みていた。
「騎兵の持つ最大の武器は槍でも太刀でも無く連続した運動による突撃衝力だ。勢いを付けて敵にぶつかれば、その威力で敵は戦面を維持できなくなる。複層の防御面を連続して叩くなら、強烈な一撃を入れるのでは無く、弱い一撃を連続するのが良いと言う事だ」
過去いずれの国軍戦闘にも参加してこなかったフレミナの騎士達は、カウリの言で全く新しい戦術に触れたことになる。
かつて西方戦線でシュサ帝の弔い合戦に及んだ国軍騎兵達は、これを指揮したゼルによる、全く新しい戦術を十二分に吸収し自分の物としていた。どれ程精強な騎兵であっても連続して攻撃されれば集団対個人となり、疲労の蓄積で戦闘力は落ちていく。至極単純な現実なのだが、それをやってこなかったというのは騎士のプライドなのだろう。
ヒトの世界の軍隊が騎兵から戦車と歩兵に切り替わった最大のポイントは第二次大戦における電撃戦だったのだが、その裏にある最も大きな切り替え。つまり、兵士や参謀達の意識がハッキリと切り替わったのは、大戦後期における大規模な上陸作戦を行った頃と言える。
「もはや戦場で名乗りをあげ、堂々と騎士が剣で戦う時代では無いんだよ」
「……そんなバカな!」
「そうだ。バカな話だ。だが、それを受け容れなかったからシュサは死んだ」
ボソリと呟いたカウリは深い深い溜息をこぼした。
「ネコの国軍が見せた全く新しい騎兵の使い方。それはル・ガル騎兵にとって稲妻に打たれたような衝撃だった。だが、さらにそれを上回る自在な騎兵の使い方を見せたゼルは、あのネコの騎兵達を完膚無きまでに叩き潰し、潰走させ、ネコの国境勢力線を百リーグ近く後退させる大戦果をもたらした」
淡々と語るカウリの言を黙って聞いているフェリーは、目を見開いて屈辱に震えている。だが、そんな事を意に介さないカウリは傷を抉るように言葉を続けるのだった。
「北の山の中に引きこもっていたお前さん達じゃわからんだろうが、戦術は時代に応じて変化する。勝つ為に必要であれば、軍は何でもすると言う事だ」
「だからなんだ! 負ければ悔しいだろ!」
もはや支離滅裂な思考に陥っているフェリーの姿に、カウリは心底嫌そうな表情を見せた。
「だから進化するんじゃ無いか。フレミナ騎兵が無様に負けたのは、お前さんが無能だからだ。わかるかでくの坊。悔しければお前が騎兵の先頭にたってみろ」
ポンと叩き付けられたキツイ一言にフェリーの顔が変わった。
「騎兵の先頭に立てだと?」
「そうだ。それが王の義務だ」
「バカを言うな! 私が死んでしまったら意味が無いだろう!」
「……だからフレミナは主流派にならなかったんだよ」
思考回路的な部分で全く折り合わないカウリとフェリブルは、前提となる常識の部分で全く噛み合っていない歯車になっていた。
自分が王になりたくて兵を使い潰す事に抵抗が無いフェリブルは、なんでフレミナの民衆に支持されるのだろうか。カウリの興味はこの一点に絞られた。ただ、その前にやるべき事を忘れた訳では無い……
「えぇい! 傭兵団だ! 傭兵団を投入しろ!
「ハッ!」
伝令が階下へ走って行くのを呼び止めたフェリーは、口角泡を飛ばしつつ指示を続けた。
「手段は問わん! 何でも良いからひっくり返せ!」
完全に沸騰しきっているフェリーは冷静さを微塵も残していなかった。
側近として常に近くにいるボリスと言う男がやや顔色をなくし『よろしいのですか?』と確かめているのだが、フェリーは一言『かまわん!』と叫んだ。
――この男をなんとかせんといかんのぉ……
内心でそう呟いたカウリ。
古都ソティスの裏門に当る北門が開けられ、雑多な種族からなる傭兵団が馬で出撃していくのを見送りつつ、カウリは傭兵団が手にする恩賞に付いて思案を巡らせていた。
だが、それが単なる杞憂である事はすぐにわかった。出撃していく傭兵団の統制はお世辞にも上等とは言い難く、どちらかと言えば夜盗の集団が揃いの装備で身を固めてる程度でしかなかった。金で雇われた腕利き集団と言うような面は一切無く、金目当てで集まった鼻息の荒い素人の集まりだ。
「のぉフェリー」
「なんだ!」
「お主はあの素人集団が本気で戦力になると思っていたのか?」
呆れて言葉もないカウリはそう一言呟いて見張り台から降りてしまった。
もはや見ているだけ無駄だと、そんな態度だった。
「貴様! 裏切るのか!!」
「……またそれか」
もはや反論もめんどくさいと立ち去ったカウリの背には、言いようのしれない哀愁が漂っていた。
「……時間の無駄だ。まぁ、小一時間は踊ってくれるじゃろうて」
振り返ること無く見張り台を降りて行き城へと入ったカウリ。
その背中を見送ったフェリーボリスと共に見張り台から一喜一憂を繰り返した。
ただ、その傭兵団がどうやっても実力的に敵わないと悟って後退を始めるまで、一時間と掛からないのだった。
「どいつもこいつも! 役に立たない連中だ!」
ただ一人。
フェリブルだけが沸騰し続けていた……