お膳立て
―――― 帝國歴 336年 8月 12日
北府シウニノンチュ
フレミナの里前で足止めを食っていたスペンサーの一門に、王都から伝令の早馬がやって来た。伝令の発報主は太陽王自身で、ダグラス・スペンサーのサインも入れられていた。
―― 一週間の猶予を持ってフレミナの里へ強行突入を命ずる
―― その際、出来る限り交戦を回避し穏便に振る舞え
―― フレミナ側が一線も辞さぬ時は構わず後退せよ
―― 被害を押さえ戦果よりも重要なものを持ち帰るのだ
―― 卿の賢明な判断に期待する
「見たか? ワトソン」
「えぇ。若王もなかなか策士ですな」
「例の王を育てたというヒトの知恵だろうな」
「ですな」
ふたりは伝令書にある『戦果よりも重要なもの』を指さして笑った。いま最も必要なのは『大義名分』であり『理由』なのだ。むしろ、それ以外は必要ないし、邪魔なモノが増えても好もしくないだけと言える。
「若王は本気でフレミナを滅ぼす腹だな」
「でしょうな。先に遠行なられたノダ王もそうでしたが……」
「フレミナ側の横車は毎度毎度頭を抱えたもんだ」
委細承知と返答を送ったドレイク卿ことモーガン・スペンサーは早速行動を開始した。先ずはフレミナの里に対し、一週間後に越境し入城するので仕度をされたいと連絡を送った。
フレミナの里から古都ソティスまで早馬を飛ばしても片道五日は掛かるだろう。軍令本部が使っている光通信はフレミナサイドに技術伝達を行っていない。従って、今からフェリブルへ報告を送っても対処が出来ない筈だ。
その一週間後には馬に跨がり、峠のピークからフレミナの里を見下ろしていた。里の中はてんやわんやの大混乱で戦に備えているのが見うけられ、各所に騎馬の突入を防ぐ柵が設置されていた。
「……一週間とは絶妙だな」
「全くです」
悪い顔で見合わせたドレイクとワトソンは笑いを噛み殺して里を眺めた。
「彼らは本気で戦をするつもりだろうか」
「それは解りませぬが……」
「槍は伏せ、矢は矢筒に蓋をしておけ」
「なんなら蔓を外しておきましょうか」
「そうだな」
ワトソンは早速配下の騎兵に指示を送り、多くの兵がドレイクの指示を理解して事実上の武装解除を行った。最前列に陣取る騎兵達は鎧を脱ぎ、軍装だけで馬に跨がった。腰にある筈の太刀は馬の鞍に引っかけてあるような状態だ。
「諸君! すわ合戦となった場合はここまで一気に後退するんだ。里の中で戦闘には及ぶな。上手くやってくれ」
騎兵達はドレイクの指示に従ってゆっくりと前進を始めた。フレミナの里へと続く一本道をドレイク自らが先頭に立って進んでいく。騎兵や歩兵に緊張の色が浮かぶものの、スペンサーの当主は鷹揚と馬を進ませていた。そして、里の入り口ですれ違った農夫思しき男に尋ねた。
「すまぬ。ちとものを訊ねる」
「……へぇ」
「フレミナの里、プルクシュポールとはここで良いのか?」
「……そうでございます」
「そうか。かたじけない」
ドレイクがニンマリと笑って謝意を述べたとき、農夫はそれがフレミナ一族では無い騎兵達だと気が付いたようだった。そして、怯えたような表情で悲鳴にも似た声を上げ突然走り出した。
その動きが余りに唐突だったのでドレイク卿の馬が驚き、突然身を起こして前足を空中へ蹴り上げた。
「おっ! おい! ポーッ! ギャンッ!」
「ドレイクさま!」
馬に煽られ振り落とされたドレイクが見たものは、里の中から飛び出してきた幾人もの騎兵だった……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その晩。
「へぇ…… ドレイクも災難だったな」
報告書を読んでいたカリオンは軽く笑ってダグラス卿へ報告書を回した。
ダグラス卿に続き枢密院の面々が一読し、皆が苦笑を浮かべている。
「馬から振り落とされてこぶをこさえたとは」
呆れたような表情のダグラス卿だが、それでも楽しそうに笑っているのは責任が無くなった故だろうか。
隣にいたセオドア・レオンは皮肉じみた声音でダグラスに笑いかけた。
「おまけにフレミナの騎兵に介抱されたなど」
「前代未聞の失態ですなぁ」
ボバも追い打ちを掛けるように笑い、そして報告書をボルボンの夫婦へと回す。
フェリペは『ハッ!』と笑い、ジャンヌは口元を隠して上品に笑った。
「ですが、こちらの望むものは手に入りましてよ?」
「うむ。さすがスペンサーの家督を継ぐ者よの。ダグラス卿の目は確かだ」
「おいおい、あまり褒めてもなにも出さんぞ?」
「でも、落馬した一連の失態はこれで埋め合わせですわ」
皆がセラセラと笑う中、一巡した報告書をもう一度読んだカリオンはウォークにそれを手渡し『父へ』と一言だけ指示を出した。
「さて、予定通りドレイクは追い返された。ここから先はフェリペ卿の仕事だ」
「ですなぁ。明朝の新聞をご笑覧あれ。しっかり煽っておきます」
「ただ、やり過ぎに注意して欲しい」
「ですな。程よく国民に火が付いて、いつでも消せる程度が望ましい」
フェリペは明朝に配達される予定の朝刊ゲラ版を持っていた。
王都のメディア掌握を強力に進めてきたフェリペらボルボン家の面々は、ここから強烈な宣伝合戦に及ぶ作戦になっていた。
「先ずはどこから始めますかな?」
アサドは楽しそうに笑みを浮かべフェリペの持っていたゲラ版を眺めた。
一面には大きな文字でフレミナが王の指示を無視したと書かれていた。
――フレミナ一族の本拠地ルクシュポールは要塞化されている!
――入城しようとしたスペンサーの当主は落馬するほど攻め立てられた!
――フレミナ家は非公式ながら太陽王の意向に離反する意志を示した!
「まぁ、向こうがどう出るか。それ次第でしょうなぁ」
フェリペもまたそんな言葉を吐いて楽しそうに笑った。
「とりあえず明日の朝刊だね。ドレイクに連絡を送ってくれ。怪我を早く治せと」
その場を〆たカリオンの一言に皆が笑う。
だが、その翌日の朝刊が世に出て数日が経過した頃、事態は急展開し始めた。
王都の新聞へ最初に掲載された『フレミナ反乱の気配』だが、全土の新聞社へ再配信される間に続々と尾ひれがつき始めていた。その尾ひれは各新聞社が売り上げを作るために過激で先鋭的な表現へと変貌していった。
そして、その報が一週間を経てシウニノンチュやルクシュポールへ到達する頃には、すでに報道の本質が全く異なるものへと変貌していた。それこそ、当事者であるモーガン・ドレイク・スペンサーが笑うほどに……である。
「さぞ若王陛下もお喜びであろう」
ニヤニヤと新聞を眺めるドレイクは紙面をピンと指で弾いて上機嫌だ。
ソレほど上質では無い紙に安っぽい印刷を施された新聞だが、そこに踊る文字だけは熱い口調でフレミナの横暴を書き立てていた。
――フレミナの騎兵 スペンサーの騎兵と一触即発か!
――領地替えとなったスペンサー家は一ヶ月以上足止めを受けている
――事実上の反乱を起こしたに等しい振る舞いではないだろうか
一度地方へと拡散した過激な情報は、国土の端で折り返され中央へと戻ってくる事が多い。ただし、伝言ゲームの出発点へと戻ってきたその情報は、出発時とは全く異なる形になっている。
その新聞報道に最も驚いたのは、ある意味でフェリブル自身かも知れない。全てがコントロール出来ていたフレミナの里とは違い、王都やその文化圏に属している地域では自由な報道が行われる。
そんな報道機関という組織をどう御するのかも、権力を握るものにとっての重要な能力と言えるのだが、ある意味で最強統制状態にあったルクシュポールをはじめとするフレミナ勢力圏では学べないものだった。そして……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「叔父上もやってくれたな」
ガルディブルク城の中。やや俯き加減で厳しい表情をしているカリオンは、珍しく不機嫌さを隠さずにイライラとしていた。その向かいに居るゼルが笑うほどに。
「そう言うな。カウリも上手く合わせているつもりだろうさ」
すっかり日暮れとなったガルディブルク市街は夕刊が配られる時間となり、その紙面には市民が驚く様な記事が踊っていた。
――カウリ・アージン卿 全ての責任を取って辞任!
――フレミナ家との連絡役とされている卿の辞任はなにを意味するのか
新聞各社の解説が踊る紙面には、勝手な解釈をダラダラと並べた、見当外れな文言がしっかりと並んでいた。全てはフェリペ卿の差配なのだが、フレミナに対する圧力工作は着々と進んでいる。だが。
「ですが、まさかここまでするとは……」
さすがのカリオンも些か凹んでいる事態だ。
と言うのも、王都に一度舞い戻ったカウリは記者団へ辞任を発表した後、妻ユーラとレイラ。そしてシルビア・オリビアの両名に加え、なんとカリオンの妻であるリリスまで連れて王都を脱出したのだ。
「まぁいいじゃないか」
「ですけど……」
あくまで気楽なゼルの態度もカリオンは不愉快だ。
だが、そのゼルの口からとんでもない言葉が飛び出し、カリオンは驚いた。
「カウリのお膳立ては上手く食べてやらないとな」
「え?」
「堂々と出撃できる大義名分が出来たじゃ無いか」
「……あっ!」
話しの繋がったカリオンは思わず額を手で押さえた。
昔からゼルがやっていた『難問を解決した時の姿』だ。
「……そうかっ!」
ゼルはカリオンがまだまだ修行中である事を再確認すると同時に、カウリのお膳立ての巧妙さに舌を巻いた。全ては算段していたことなんだろう。幾多の分岐ルートを含むフローチャートを作っていたのだと、そう気が付いた。
「叔父上はここまで計算していたんですね」
「だろうな。お前をこの街から出撃させるにはそれなりに理由がいるだろ」
「さて、どうしましょうか」
「急いては事を仕損じると言う。まずはジックリと大義名分を積み重ねろ。カウリに続きトウリにも動きがあるはずだ。それからでも遅くはあるまい」
「はい。そうします」
ゆっくり頷いたカリオンは涼やかに笑ったが、ふと気が付いてしまった。
寡婦になった男の寂しさを、父ゼルは相当味わったはずだと言う事に。
そんな事を微塵も感じさせず楽しそうに振る舞うゼルの姿に、カリオンは王の理想像を見ていた。そして、意識してそう振る舞っている父の姿に、人間的な強さを見たのだった。