カウリとフェリブル / フレミナ一族五家
―――― 帝國歴 336年 7月 22日
北府シウニノンチュ
若きカリオン王の貴族配置換え政策発表から一ヶ月。
結局はなんの波風も立たずに各貴族が粛々と新領地へ旅立ち始めた。
そして、中つ国と呼ばれた当方地域を本拠としてきたスペンサー家は、北方総監であるゼル・アージンに呼び出され、ひとつの辞令を受けたのだった。
――そなたを我が所領の執行官に任ず
その辞令により北の地を新領地としたスペンサー家の一行は、一族郎党を引き連れ北を目指したのだが、若王カリオン縁の地シウニノンチュで一週間近く足止めを受けていた。
――フレミナ一族発祥の地ゆえ、引き払う仕度に手間取っている
フレミナの里と呼ばれてきた北都プルクシュポールは、長らくこの地を本拠としてきたフェリブル・フレミナにとって代えがたい地だ。誰が聞いたって詭弁でしかないフレミナ側の通告ではあるが、それを受けたスペンサー家の現当主であるモーガンこと『モーガン・エクセリアス・ドレイク・ノースランド・スペンサー』は、フレミナ側に対し
――ご遠慮なさらずじっくりご仕度を
と返答を送り、シウニノンチュでフレミナが出てくるのを待っていた。
「で、どうだ?」
「そうですな。例の檄文の第二弾で少し動きがあったようですぞ、ドレイクさま」
ダグラス卿の甥に当たるモーガンは形ばかりとは言え公爵家スペンサーを受け継ぎ、枢密院会議の席でカリオン王に忠誠を誓った。その席でカリオン王が直接名付けた『ドレイク卿』の公称をモーガンはひどく気に入った。そして、スペンサー家の中でもドレイクの名で自分を呼ばせていた。
「夜になったら王と枢密院に光通信を送ろう。状況は順調に推移中……とな」
「そうですな」
若王の新体制でも相変わらず重用されているスペンサー家の面々は、その期待に応えようと一掃奮励の努力を続けている。
シウニノンチュウから小さな峠を七つほど越え、最後にフィーメ峠を越す事になるプルクシュポールの街には、すでにスペンサー家の手の者が入り込んでいた。
そして、続々と街の情報をシウニノンチュへ送り出していた。
「真のオオカミは我が元へ、フレミナの旗に集え……か」
ハッと鼻を鳴らして笑ったモーガンは、手にしていたフレミナの檄文をニヤニヤ笑いで生暖かく見つめていた。
トウリ・フレミナとカウリ・フレミナの名を勝手に書き添えたらしいその檄文は、すでに王都ガルディブルクへも届けられていた。
「王都より使者が来たらすぐに動くぞ。仕度を抜かりなくな」
「お任せください」
長らくスペンサー家の家令として勤めてきたワトソンは、若き当主モーガン・ドレイクの隣に立ち、冷ややかな視線で檄文を眺めていた。
同じ頃、大陸中央部の広大な穀倉地帯から北へ二百リーグ。
東西を高い山脈に囲まれた乾燥性の空気に包まれる古都ソティスでは、一足早く王都よりやって来て居たフェリブルが城の中で寛いでいた。
――長らく使ったものですから多少の痛みはありますが……
――それでも、まだまだ使えます事よ?
優雅な振る舞いを見せて城を明け渡したジャンヌ。
寄り添って立っていたフェリペも自信溢れる振る舞いを見せていた。
――手の者に命じ修繕を徹底させておいた
――もし不都合があるなら城下の職人に依頼されよ
――城の構造は隅々まで彼らの脳裏に刻まれている
――この城は城下の市民たちにとって誇りの源ゆえな
ヒラヒラと手を振って城を出て行ったボルボンの夫婦は、城下を通り抜け王都へと旅立った。その旅立ちを見送ろうと幾万ものソティス市民が詰めかけて来て、大通りは十重二十重に人が取り囲み、公爵夫妻の馬車を見送ったのだった。
そんなシーンを見たフェリブルは、自分も同じような待遇を得られるのが当然だろうと本気で思って居たフシがある。だが蓋を開けてみれば挨拶にやって来たのが城下の商工会議長や職人組合の組合長といった者ばかりで、多くの市民が城を取り囲むなどと言う事は終ぞ無かった。
「なんとも躾の出来ておらん田舎者どもだな!」
終日イライラしっぱなしのフェリーは城の窓に向かってティーカップなどを投げつけてみたり、ボルボン家に奉公として入っていた女中を一方的に叱りつけ、当人が泣いて謝っても叱責し続けては怯えるさまを見て、ニヤニヤと悦にいるような暗い日々を送っていた。
気が付けば城詰めとして働いていた奉公人が続々と暇を願い出て城を後にしていき、フェリブルはますます孤独を深めてしまっていた。
「忠誠心の無い連中とはこんなものか! 実に情けない!」
自らを省みる事も忘れたフェリーの振る舞いは、もはや『痛々しい』を軽く通り越しているのだが、そんな姿を見ていたカウリは忍び笑いを浮かべつつ、フェリブルの間抜けな振る舞いを生暖かく見守っているだけだった。
「フェリブルさま」
「おぉ! ボリスか!」
「遅くなりましたが、フェルナンドさまより書状が届きました」
「そうかそうか!」
プルクシュポールに残るフェリブルの長子フェルナンドは、北部フレミナの里を中心にしたトウリ派と呼ばれる一門を形成しつつあった。
ノーリと争ったフリオニール以来の武王と名高い武闘派なフェルナンドは、この一ヶ月を丸々使いル・ガル北部で激しい宣伝工作を繰り広げていた。かつてのシウニノンチュに居たゼルらアージン一門により壊滅的打撃を受けた越境盗賊団の残党や、マダラの王に異を唱えるル・ガル国内の不穏分子を糾合しつつあったのだ。
「ほほぉ……」
すっかり顔の相が変わってしまったフェリブルは、破顔一笑に書状を読破した。息子フェルナンドの報告によれば、フレミナの里には既に五万を越える兵力が揃いつつあり、それだけでなく所領替えに賛同はしたものの、新所領での浸透に失敗しつつある伯爵など低級貴族などから『参加したい』との連絡を受け取っているとの事だった。
「さすがだな。手塩に掛けて育てた自慢の息子だ」
ヒヒヒと下品な笑いをこぼすフェリブルは、カウリが浮かべた呆れ顔に気が付く事無く返信を書き始めた。方向は間違ってないのだから、このまま行けばよい。いずれこのふざけた街を抜けそちらに合流する……と。
「のぉフェリー」
「なんだ?」
「このままフレミナは反乱を起こすのかね」
「今さら怖気付いたか?」
「……馬鹿な事を」
溜息をこぼすカウリは冷ややかな視線でフェリブルを睨み付けた。
「現状で勝ちきれると思っているのかねと聞いているんだ」
「勝ちきれるさ。これだけ潜在的に不満が高まっているのだ。我々が動けば必ず多くの貴族家が賛同してくれる。現に、多くの低級貴族がフェルナンドへ書状を送ってきている」
「……能天気なもんだな」
吐き捨てたカウリは呆れきった表情を浮かべ、昼間からワインなど飲んでいる始末だった。
「儂は…… 引き際を見誤ったのぉ」
「なん…… だと?」
「お前さんについて来たのが間違いじゃったとわかったんじゃ」
憮然とした顔になって今にも爆発しそうなフェリー、は引きつった目でカウリを見ていた。ただ、それ以上言葉を吐かなかったのは、ある意味で幸いだったのかも知れない。
フェリブルを見ていたカウリの姿には、隠しようも無い程の殺気が漲っていたからだ。不快感や不機嫌というものでは無く、もはや純粋に後悔している様だった。
「儂は…… トゥリやシュサの治世に疑念を持ったことは無い。ル・ガルをより良くしたいと願った男達の振る舞いは、それは立派なものだった。だがなぁ」
大きな目玉でジロリと睨み付けたカウリに対し、フェリーは言葉を失っている。
その大きな身体から漂わせる空気は、今にも『殺される!』と恐怖を感じるモノだったからだ。
「お前さんの首を撥ねてカリオンへの手土産にするのも悪くないのぉ……」
「カッ カウリ…… 貴様!」
「お前さんのような情けない男では無かったぞ。シュサやノダは……な」
不機嫌な空気を漂わせジッとフェリーを睨み付けているカウリは、気忙しげに自らのヒゲをいじっていた。
「お前さんも少しは物事の最前線に立って見たらどうだ?」
「最前線?」
「闇将軍を気取っておるつもりだろうが、今はただの我が儘ジジィじゃ」
キツイ事をハッキリと言い切ったカウリの姿に、フェリーが愕然とした表情を浮かべている。今日この日まで暗闇からじっくりじっくり工作をしてきたフレミナの一門とすれば、その存在を全否定されたに等しい。
「……私はなにをすれば良い?」
「記者団でも集めて、フレミナ一門は公式にル・ガルから離脱し独立国家になると宣言でもしてみたらどうだ。如何なる艱難辛苦も承知の上だと。その上でマダラの王に従えない者はフレミナに集えと号令を掛けたら良かろう」
「……お主はどうする?」
「妻と娘を連れてこようかの。王都に残しておくのも不安じゃで」
「そうだな! そうだ! ユーラを連れて来れば良い!」
「ユーラだけでは無い。レイラもリリスも連れてくる」
ユーラが帰ってくると聞いたフェリーはニンマリと笑った。
だが、その次の一言は余計だった。
「そして手に掛けるか?」
「……誰をだ?」
「あのユーラの邪魔をした女と娘だ。妻が居なくなればあの小僧も――
その瞬間、フェリーは横向きに吹っ飛んでいた。
何が起きたのかを理解する前に壁に叩き付けられ、そして今度は脳天に激しい痛みを感じた。
「……もう一度言ってみろ」
口の中に鉄の味を覚え、額にはぬめりとした感触がある。
殴り飛ばされたとフェリーが理解し、怒りを沸騰させて立ち上がろうとした時、その目の前には修羅の形相で立っているカウリが居た。その手には自らが座っていた大きな椅子が握られていた。
けっして軽いものでは無い立派な作りの椅子なのだが、カウリはその椅子を軽々と片手で振り回していた。
「……もう一度言ってみろ。次は確実に殺してやる」
数多の戦場を駆けてきた武人の持つ気迫は、闇将軍を気取ってきたフェリーの心をへし折ることなど雑作もなかった。腰を抜かしてへたり込んだフェリーに対して軽々と椅子を振り上げたカウリは渋い声音で問い詰める。
「今ここで誓え。儂の妻と娘に手を出さぬと。誓えぬなら今ここで殺す。貴様の存在はすでにル・ガルには害悪でしかない」
何事かを言おうとして言葉にならず無様にフンフンと頷いたフェリーは、今にもパンツの中に出来たてホヤホヤを産み落としそうなほど震えていた。
「頷くばかりで用が足りるか!」
大声で一喝したカウリの振る舞いはフェリーの精神を容赦なく削った。
カタカタと音を立てて震えているだけで無く、涙目になって怯えている。
「なんとか言ったらどうだ! えぇ? それでもフレミナの主か!」
部屋の中に響くカウリの声を聞きつけたのか、カウリの手の者達だけで無くフレミナ一門の者までやってきた。部屋の中で対峙するカウリとフェリブルを前に、どう対処して良いのか解らず皆が凍りついた。
「おいクズ男。儂は基本的に温厚だから親切心でもう一度だけ言っておくぞ。いいか、良く聞け、絶対に忘れるなよ」
片手一本で構えていた巨大な鈍器の如き椅子をもう一振りしたカウリは、その作用によってフェリブルを再び大きく弾き飛ばした。そして、傲岸な仕草で椅子へと腰を下ろし足を組んだ。あたかもそれは『俺の靴へキスをしろ』と言わんばかりの姿だ。
「儂は妻と娘を連れてくる。それらに手を出したら儂はこの手で貴様を殺す」
グッと迫って睨み付けたカウリは渋い声音で『解ったな?』と念を押した。
フェリーが再びコクコクと頷くのを見届け、部屋の中に居る者を追い払った。
「大事ない。皆、課業に戻れ」
一礼して部屋を出て行く者達を見送り、カウリは一つ息をついてフェリーを見ていた。
「お主は…… いや、よしておくか。お主には何を言っても無駄だ」
吐き捨てるように呟いてから溜息をこぼし、カウリの出口へと歩いていく。
「庭に立つ彫像にでも話し掛けたほうがよほど有益だ。この木偶の坊よりはな」
フンと鼻を鳴らして部屋を出て行ったカウリ。
重厚なドアが静かに閉まり残されたフェリーは一人呆然としていた。
だが、やがて火でも付いたように怒り狂って部屋の中で暴れていた。
その音を聞いたカウリは部屋の外で一人、ニンマリと笑うのだった。
・フレミナ五家
北方の小さな盆地国家や極小高原国家の集合体がフレミナの母体。
山岳地帯に根を下ろした小部族国家の集まりと言う事で、各盆地部族の長がそれぞれの代表になり、フレミナの代表が世代交代するときは各部族の長が集まって、その中から次の長を決める仕組み。
最大の盆地でありプルクシュポールのあるフレミナ盆地の長は、5部族の長の誰かが話し合いによる代表選出を経て相続する。フレミナの代表を輩出した一族は、その長が現役である限り議決権を持たない事になっていた。
フーレ盆地の北西にはトマーシェー盆地があり、トマーシェー一族の長オクルカ・トマーシェーが統べてる。
同じように北東の山岳部、トラ―チェ高原にはトラ―チェ一族が根を下ろしていて、その長ナイエル・トラ―チェが統べていた。
南東部にはプラ―シェー盆地があり、プラ―シェー一族の長ニド・プラ―シェーが統べている。そして南西部の山岳地帯エナーチェ高原にあはエナーチェ一族がいて、長エルナステ・エナーチェが支配していた。
その盆地群と山岳エリアの真ん中を流れる川フーレを見下ろすザリーツァ山脈の山岳地帯にはシドム・ザリーツァが住んでいて、ここを本拠とする一族、ザリーツァ一門は、かつての本拠地を大規模土石流で埋め尽くされ失っていた。
それ以来、ザリーツァ一門は水の弁を捨ててでも盆地や谷底に住むことを辞め、今日では山岳地帯の上層部を住処とするようになった。
現フレミナ王であるフェリブル・フレミナ・アージンはサリーツァ出身である。