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カリオンの苦労・フェリブルの苦労 / フレミナ一門の始まり

 ―――― 帝國歴 336年 7月 7日


             王都ガルディブルク市街






「……陛下」


 朝一番の寝室でカリオンとリリスの目覚めを促したウォークは、少しばかりウンザリとした表情だった。

 その様子に良からぬ事態を覚悟したカリオンは、リリスを起こさぬようにベッドを抜け出し、報告を聞くべくガウンに袖を通して寝室を一歩出る。


「どうした?」

「昨日に引き続き……」

「また巡回騎士がやって来たのか?」

「いえ、今日は…… いや、今日も騎士は姿を現してますが、それより……」


 ウォークの促され、城の物見台からそっと広場の様子を伺ったカリオンは、目を見開いて驚いた。広場一面に夥しい量の文官が集まってきていたのだ。

 これから仕事に就くと言うのにも係わらず、多くの文官達は正装で現れていて、城に向かい詭拝し、そして自らの胸に手を当て、王への忠誠を誓っていた。


「ウォーク」

「現在午前六時十五分過ぎです」


 なにを訊ねられるか解っていたかのようにウォークはそう答えた。

 そして、カリオンに『仕度は調っております』と言わんばかりに手を差し出し、衣装方の控え室へと誘った。本来であれば王の入るような場所では無いのだが、今はとにかく時間が惜しい。

 衣装方はウォークの指示で礼服では無く、会議などに使う公務衣装を用意した。その衣装を身に纏ったカリオンは城の中を早歩きで通り抜け、すぐさま広場の中へと歩み出ていった。


「諸君。早朝からご苦労」


 誰の邪魔にもならぬようにと早朝を選んで詭拝にやって来た文官達は、声を出すことも忘れて驚いた。公式にはまだ眠っている時間の筈の若王が目の前に現れたのだ。

 官公庁の中で相当の役職にでも就かない限り、登城したところで顔を合わすことも無い国王が目の前に居る。その事実に皆が震えた。それだけで無く、騎士や軍人と同等の扱いを持って公務に就く者達の詭拝を受けたのだ。


「王よ!」

「我が王よ!」

「カリオン王万歳!」


 緑の生地に細い縦線の入った公務服を纏うカリオンは、広場を埋め尽くした多くの公務員達に囲まれ握手攻めに遭った。

 最前線にて戦う兵士や騎士に比べ、公務員の扱いは今ひとつ軽い事が多い。しかし、『万民公平』を宣言した若王はそんな社会常識を無視し、その宣言通りの振る舞いで文官達の前に姿を現したのだ。


「皆の労はよくわかっている。皆の努力もまた国家を支える大切な柱だ」


 一人ずつ握手していくカリオンの右手は前日の事もあってか、すでにパンパンに腫れ上がっていた。指を曲げるのもしんどい位のむくみ具合なのだが、それでもカリオンは笑顔で右手を差し出していた。

 多くの歓声が上がり、王と握手を交わした者が涙を流す。まだ修行中な階級の低い者や、そもそも余り重要では無い立場に甘んじている公務員たち。そして、出世争いに敗れこれ以上出世の見込めなくなった者にしてみれば、今生最初で最後の謁見となるのかも知れない。


「王よ……」


 初老の文官は感極まって震えていた。


「長きにわたる公務。ご苦労です」


 若き王には尊大な態度が全く無い。

 誰とでも気さくに話しをし、下々の者達とも酒を酌み交わす。

 そんな噂話を聞いていた『お堅い公務員』はカリオンの実像に始めて触れた。


「……あぁ 慈しみ深き全能なる神よ」


 誰と無く自然に出た言葉。

 ル・ガル国家の最初のフレーズを誰かが口走った。

 それはまさに音と言葉の鉄砲水だった。

 広場を埋め尽くしていた様々な音が全て塗りつぶされた。

 多くの文官や混じっていた騎士や、なにより街の住人達が一斉に歌い出した。


 ――我らが王を護り給へ

 ――勝利をもたらし給へ

 ――神よ我らが王を護り給へ


 ふと視線を感じて振り返り城を見上げたカリオン。

 かつてはこうやってシュサの姿を探したっけ……と思いを馳せる。

 だが、多くの国民が歌う中に居るカリオンは、いま現在自分自身が探される側に立っているんだと実感した。そして、国民が不安に駆られ王を探すのでは無く、国民の前へ積極的に姿を現そうと心に決めた。


 ――我らが気高き王よ 永久(とこしえ)であれ

 ――おぉ 麗しき我らの神よ

 ――我らが君主の勝利の為に

 ――我らに力を与え給へ


「……っあ」


 ぽつりと漏らしたカリオンの声は国歌を歌う声に塗りつぶされた。

 ただ、カリオンの目は城のバルコニーから見ているリリスを見つけていた。

 民衆の大半が気が付いていないなか、リリスはジッとカリオンを見ていたのだ。


 愛する妻以上の存在であるリリスの眼差しに、カリオンは表現できない幸福感を感じた。多くの民衆が自らに注ぐ眼差しを鬱陶しいと思ったことなど、今まで一度も無い。だが、少なくともいま現状では広場を埋め尽くした民衆の眼差しより、リリスが見守ってくれているその眼差しの方が暖かく感じるのだった。


 ――王の御世の安寧なる為に

 ――神よ王を護り給へ


 最後のフレーズに差し掛かったとき、カリオンは皆に挨拶を送るように手を上げていた。そして、ゆったりとした足取りで城へと帰って行った。民衆や文官達が拍手で見送る中、カリオンは胸一杯の満足感を抱えていた。


「お疲れさま」

「ありがとう」


 リリスの腰へ手を回し朝食の仕度が調っている部屋へと向かったカリオン。

 街の大騒ぎはそれから一週間以上続き、カリオンは毎朝同じようなことを繰り返すのだった。








 ―――― 帝國歴 336年 7月 12日


             王都ガルディブルク市街






「私もまるで道化だな」


 そんな大騒ぎが続いた一週間後。檄文が完全に無視されただけで無く、自らの元へ馳せ参じる者が一人として現れないフェリブルは、いよいよ精神の平静を崩し始め、誰彼構わず当たり散らすようになっていた。


「はじめからじゃ無いのか?」


 遠慮無く突っ込みを入れたカウリだが、フェリーはきつい眼差しでカウリを睨み返していた。かつてはそれなりに王の品格や大公爵としての振る舞いを見せ、弱き者には温厚で柔和な態度で接する人間的な大きさを感じさせる男だった。

 だが、この一週間の間にカリオンが見せた『王としての振る舞い』は、フェリブルの精神に対し想像を絶するストレスを掛けたらしく、その性格は一変してしまっていた。いや、押し殺していた正体が姿を現したと言うべきだろう。


 ――私はフレミナの王だぞ!


 神経質でヒステリックでサディストな部分を隠さなくなったフェリブルは、長逗留しているカウリ邸の者達にも構わず当たり散らし、まだ年の行かぬ奉公人や勤め人達はフェリブルの見せるヒステリックで高圧的な態度にオドオドしたり、或いは萎縮して館の中を歩いていた。


「……王ねぇ」


 訝しがるカウリに対し、フェリブルは品の悪い笑みを返した。

 そんな情けない姿を唯一フェリブルだけが気が付いていなかった。


 これから太陽王に挑もうという集団を率いる王としては、余りに情けない姿だ。そして、人望やカリスマと言った絶対的に欠かすことの出来ない要素の全てを失ったフェリブルは、一軍の将としてのリーダーシップですらも失っていた。


「フレミナの里へ帰れば私はフレミナの王だ」


 余りに大人げないその振る舞いにスタッフ達は怯えきり、長く勤めた婦長はカウリに対し暇の願いを出してしまった。そんなスタッフ達がそそくさと退散する所を見ては、自らの持つ権力に満足し、他人が見ている前でニタニタとだらしなく笑うほど精神的な退行を見せていた。


「ならばフレミナの里から出てくるな。情けない」


 ハッと鼻を鳴らしてそう吐き捨てたカウリは、疲れ切った表情で椅子に背中を預けていた。

 最初は『フレミナ王!』や『フェリブルさま』と呼んでいた者ですら、今は『フェリー殿』と本人には話しかけつつ、人の目が無いところでは遠慮無く『あいつ』呼ばわりをしていた。

 だが、こうしたことはフレミナとフェリブルにとって悲劇の序章に過ぎないことを彼はこれから学ぶのだった。




 ・フレミナ一門の始まり


 イヌの国。ル・ガル帝國北部を東西に横たわる大山塊、ヒューマ山脈。

 万年雪を被るル・ガル最高峰を主峰に持つこの山脈は、北にフレミナ盆地、南にシウニノンチュを抱えるル・ガルの揺りかごだ。遠く紅珊瑚海へ注ぐ大河ガガルボルバはこの山脈のどこかが源流となっていた。

 この山脈をシウニノンチュから越えるには、山脈の西側鞍部メーラ峠と東側鞍部フィーメ峠のどちらかを越えねばならず、フィーメ峠は雪が溶けきる七月半ばから雪の降り出す十月初頭までしか通行出来ない、厳しい環境だった。


 その北側に広がるフレミナ盆地は、かつては大河クーリの水底だった。

 クーリの流れをせき止める巨石によって作られた巨大湖フーレ湖は水運栄える地だったのだが、僅かな平地を巡って多数の種族の抗争が絶えなかった。


 フレミナの伝承では、幾多の部族が僅かな平地を巡りいつ果てるとも知れぬ争いを繰り返していた頃、何処かの小さな盆地の青年と何処かの高原に住む羊飼いの娘が恋をしたのだという。

 部族間抗争の激しい時代には敵対する部族との婚礼などあり得なかった。悲嘆に暮れた若い男女は神に祈った。自分たちの命と引き替えに、誰も争わないで済む平原をくださいと。どこまで行っても平らな平原が欲しいと。そして巨石の上からフーレ湖へ身を投げたのだとか。

 そのフーレ湖には百万年を生きた龍の神が済んでいて、そろそろフーレ湖にも飽きてきたその龍神は男女の願いを久しぶりに面白いと感じたらしく、その力を持って巨石を遠く遠く離れた地へと吹き飛ばしてしまった。

 膨大な濁流が谷筋を流れ抜け、いくつかの盆地を完全に水で洗い流し、そして出来上がったのがフーレ盆地で、そこに住み始めた土石流の被災民達がフレミナ一族を名乗り始めたのだとか。


 実際には、その抗争の中でイヌの部族のウチ、純粋主義を標榜する五つの部族が合同し、北方種族であるウサギやクマと言った一門を更に北へ北へと追いやった。魔法科学の発達したウサギの女王を捉えた部族の主は『この巨石を砕いたなら命は助ける』と約束した所、ウサギの女王は一族の命を救う為に、自らの命その物を媒介として、クーリの流れをせき止めていた巨石を何処かへと打ち飛ばした。


 せき止められていた膨大な水が抜けきった時、豊かで平坦な土壌がどこまでも広がる盆地となった場所こそフーレ盆地であり、北方種族と争った複数の部族のウチ、主力だった五家が連合を組んでフーレ盆地に生きるフレミナ一族となった。

 この五家から話を聞いておらず、フレミナ盆地から溢れたのがジダーノフ一族であり、ヒューマ山脈を挟んだ反対側の地域にあるシウニン族はフレミナ五家から盆地へ入ることを拒否され、盆地の主導権争いから一歩遅れた。


 吹き飛ばされた巨石はガガルボルバの河口に落ち、ガガルボルバを堰き止め巨大な氾濫原を作った。それによりミッドランドに豊かな沖積地形が誕生し、多くの種族が大地を耕しはじめ、やがてここにル・ガルが誕生することになるのだった。





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