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若王のターン


 ―――― 帝國歴 336年 7月 5日


             王都ガルディブルク市街






 ――おい! 今朝の新聞見たか!

 ――見た見た! さすが若王様だ!

 ――ル・ガルが変わるぞ!


 朝刊の配られた王都では、この巨大都市に暮らす者達が口々に驚きの言葉を吐いていた。フェリーの檄文から一週間が経過したのだが波風ひとつ無かったガルディブルクの街は、それこそ上に下にの大騒ぎを繰り返していたのだ。


『このル・ガルに暮らす全ての人々へ。我が愛する全ての臣民達へ』


 そんな書き出して始まる若王カリオンの声明がは、この日の朝刊へ一斉に掲載されたのだった。国民達が驚くのも仕方が無い。何故なら、若き太陽王カリオンは自らの名に父ゼルの名を添え、ル・ガル全土の全国民へ直接メッセージを発したからだ。

 そしてそれは過去四代の太陽王が行わなかった事ゆえに、フェリブルを初めとするフレミナ側が本気驚く事態となった。


『遠き遠き神代の昔、イヌは罪人であった。咎人の汚れを背負って歩いてきたイヌは、世界の奴隷であった。だが、今は違う……


 しっかりとしたその文章には、若き王の切なる想いが踊った。


 ……私はマダラに産まれた。父がそうであったように、私も口では言えぬ誹謗中傷を経験した。学生時代を含め、嘲笑や嘲りや仄暗い人の悪意を幾つも見てきた。だが、それでもイヌの誇りを忘れた事はない。そして、今までとは違う新しい時代を私は作りたい。イヌがイヌを差別することの無いように。悪意ある言葉で傷つけないように。全てのイヌが手を取り合って、我々の理想とする社会を作り上げていきたいと思う。それには、全ての市民の助けが必要なのだ……


 カリオンは思いの丈の全てを文章にしたためた。

 ル・ガルの社会は四海兄弟と万民公平を持って社会の基本とし、互いの自由と平等を守り尊重する事を国民全ての義務としたい。自らの理念に反するのならばそれもまた自由であると言い切ったのだ。

 そして、自分自身の理念を理解して貰えぬのは慚愧に堪えないが、それでもその思想信条の自由を太陽王の名において保証すると言い切り、新たな社会思想の根幹であると宣言した。


『我が発布に賛同しないのもまた自由である。この理念を理解して貰えぬのは残念だが、異論を唱える自由もある。そして、その言葉を自由に口にしていけるように、私は社会の全てを護っていく。全てのイヌが自由と平等と繁栄を手に出来る様に』



 ――太陽王カリオン・エ・アージンより

 ――全ての国民へ愛を込めて


 ガルディブルクの街は日暮れを過ぎても大騒ぎだった。

 朝から晩まで街の広場では愛国歌を歌う者達が切れなかった。

 全ての通りにはル・ガルの国旗が揺れ、人々は口々に太陽王万歳を叫んだ。

 29歳の初夏を過ごしていたカリオンの攻め手が始まった。












 ―――― 帝國歴 336年 7月 6日 早朝


             王都ガルディブルク市街





 大河ガガルボルバの大中州『ミタラス』を中心とする王都ガルディブルク。

 この街の中心にそびえる巨石インカルウシのすぐ下には大広場が存在する。


 その巨石の上に聳えるガルディブルク城の城下大広場は、過去には様々なイベントに使われてきたのだが、カリオンの衝撃的な発表が行われた日は終日混雑を見せていた。

 そして、夜になっても人の波は途切れることが無く、そのまま明け方まで王を称える人々が繰り出しては大騒ぎを続けていた。

 ただ、一晩も経てば皆も疲れたらしく、落ち着きを取り戻していた広場には幾人かの人がまばらに立っているだけだった。


「もし…… つかぬ事を訪ねるが」


 広場の中で一晩中大騒ぎし続け、疲れ果ててグッタリとしていた幾人かの若衆グループは、不意にかけられた声に驚き目を覚ました。


「……っな なんでしょう?」


 寝ぼけ眼の若衆が見たものは、夜を徹し駆けてきたと思しき姿をした、さぞかし名家と見受けられる立派な身なりの騎士だった。


「ここがミタラス広場でよろしいか?」

「あ、はい、そうです。で、あそこが太陽王カリオン陛下のおわすお城です」


 ガルディブルク城を指さし笑った若衆に対して、騎士はキチンと身を律して謝意をのべた。


「かたじけない」

「いえ。ところで」


 ふと気がつけば広場の中には様々な騎士が集まり始めていた。

 みな一様に夜を徹し駆けてきたようだった。

 疲れ果ててはいるが充実した顔をしていた。


「昨日の朝刊を読み、驚いてここまで駆けてきた」

「そうでしたか」


 大広場の中程へ進み出た騎士は城へ向かい片膝を付くと、騎士の叙勲でも始めるかのように剣を抜き、その柄を城へと捧げた。

 一体なにが始まるのか?と興味津々に眺めていた街の住人達を余所に、広場の各所で片膝を付いた騎士達が剣の柄を同じように捧げているのだった。


「我が王に我が剣を捧ぐ……」


 多くの騎士が同じような文言を唱え、そして自らの剣を捧げて王への忠誠を誓い始めた。本来であれば立会人をたて、そして主となる王を前にし行う騎士の大切なイベントだ。

 だが、広場に入ってきた騎士達はそんな事を気にすること無く、自らの胸に手を当て、己の精神と魂と、なによりも騎士の誇りに掛けて誓いを立てていた。


「我が剣は王の刃。我が身は王の楯。我が魂は国家を護る砦」


 遠巻きに眺める市民の視線を一切気にすること無く、騎士の多くはその言葉を大声で発し、そして自らに誓いを立てていた。

 そんな騎士達の姿も最初は疎らだったのだが、時間を追うに連れその数はドンドンと増えていき、ふと気が付けば広場の中は国中から集まった騎士で溢れかえっていた。名のある家も無名の家も同じように自らの家紋を染め抜いた戦布を城に向かって捧げているのだった。


「ねぇ、城下が凄い事になっているよ?」


 一晩中続いた大騒ぎで浅い眠りに終わったリリスとカリオンは、苦笑いを浮かべながら城下を見ていた。姿を現せば大騒ぎが更にエスカレートするだろう。故にこっそりと隙間からのぞき見るしか無い。

 だが、騎士の数はさらに増え続け、気が付けば騎士だけで無く何処かの大隊や連隊の旗を持った兵士もそこに混ざっていて、連隊旗などを奉じて城へ敬礼を送り、国軍任官の誓いを大声で唱和していた。


「ウォーク」

「はい」

「正装の仕度をするんだ」

「そう来ると思いまして、すでに仕度を調えてあります」


 胸を張って答えたウォークは、カリオンとリリスの居室へ衣装担当の女官を招き入れた。続々と道具を持ってやって来る城のスタッフがカリオンとリリスを正装に仕上げていき、三十分ほどで立派な王の姿が出来上がっていた。


「さて、城下の者達に姿を見せよう。臨時で謁見を行う」

「畏まりました。広場へお降りになりますか?」

「いや、それだと収拾が付かなくなろう」


 僅かに頷いたウォークが歩み去ろうとした時、リリスはカリオンを呼んだ。


「いや、どうせなら降りるべきじゃない?」

「そうか?」

「だって、いま下に居る人達は……」


 ニコリと笑ったリリスは楽しそうだ。


「カリオンの姿を直接見た事が無い人ばかりかも知れないんだよ?」

「……そうだな。リリスの言うとおりだ。それに、リリスも見た事無いしな」


 足を止めていたウォークはリリスの聡明さに僅かながら感動を覚えた。

 同時に、不慮の事態に備えるべく、近衛騎士団の腕利きを大至急集める算段を考え始めた。だが――


「ウォーク。下手なことはしなくて良い。このまま行こう」

「しかし!」

「良いんだ。もし何かあったらそれまでのことだよ。それより」


 ウォークが浮かべた怪訝な顔をカリオンは笑った。


「遠方よりやってきた騎士には路銀と宿を宛がってやって欲しい。予算が間に合えば良いが、間に合わない場合には……」

「恐らく大丈夫でしょう。かしこまりました。すぐに手配をいたします」


 ウォークがカリオンの指示を持って城の中へ駆けて行くのを見届け、『さてと』と自信あり気な表情を浮かべたカリオンは、リリスの手を取り歩き出した。

 城の中を進んでいくふたりの姿を見た城内の近衛連隊騎兵は持ち場を離れ、並んで歩くカリオンとリリスの後に続いた。突然始まった王の謁見は、図らずも王のパレードとなった。


「さて。気合い入れていこうか」

「だね」


 カリオンとリリスは一度顔を見合わせ、城の階段を降り始めた。

 建物を出て白日の下に姿を見せたとき、広場の中から一斉に悲鳴とも絶叫とも付かない声が響いた。多くの民衆が『我が王!』と歓声を挙げるなか、遠くからやってきた騎士たちは感涙を浮かべつつ跪拝した。


「汝、我が騎士よ」


 カリオンは迷うことなく、名も知らぬ騎士の捧げる剣の柄を握った。


「我が王よ!」

「汝、名を名乗れ」

「西方辺境巡回騎士。子爵ロスタフィールドと申します」


 うむと頷いたカリオンはロスタの捧げる剣を取り、ロスタの双肩へ太刀先を当てて命じた。恍惚の表情を浮かべたロスタは『まるで夢でも見ているようだ』と思いつつ、その一部始終を全身で味わっていた。


「騎士ロスタ」

「ハッ!」

「そなたの忠勇と敢闘とをもって国家と国民を護る盾となれ」

「この一命に代えまして誓います」


 カリオンは掴んでいた太刀の先をロスタの顔先へと差し出した。


「我が騎士ロスタに、太陽の恩寵が在らんことを」


 カリオンの持ってた剣の先を両手で挟み、誓いの口付けをしたロスタフィールドは涙を流しつつ立ち上がった。


「我が魂は王の名と命と共に……」


 王に忠誠を誓った騎士が深々と頭を垂れた時、広場中から割れんばかりの大歓声が上がった。そして、ロスタに続き『我が剣を!』と差し出す騎士が続出した。

 この時点でカリオンは『手をまずった』と気が付いたのだが、始めてしまった以上はもう後に引けないのだ。


「我が騎士たちよ。私の前へ横一列に並べ。そなたたちの剣すべてを私は受ける」


 覚悟を決めたカリオンはいつ終るとも知らぬ儀式を始めてしまった。

 ただ、それは決して無駄にはならない事だ。国家の軍隊として機能する騎士団や騎兵団とは違い、個人の資格として国土の維持管理に当る騎士は重要なポストだともいえる。

 彼らはさしずめ保安官の様な権限を持ち、国土の全てを自由に巡回する事が許されていた。そんな巡回騎士(サーキットライダー)たちはル・ガルの全土において法を犯し罪を働く犯罪者を捕縛し、時にはその場で処断する権限を持っていた。


「そなたらが私の愛する国民を守るのだ」


 カリオンの言葉はまるで甘美な麻薬の様に騎士たちの耳へと届いた。

 王の前で跪拝する騎士たちは皆一様に恍惚の表情を浮かべている。


「国民の生命と財産と、そして、その笑顔を簒奪するものに容赦なく鉄槌を下せ」


 騎士の誇りをくすぐるような言葉がカリオンの口を付いて出る。

 何度も何度も頷きながら、巡回騎士たちは王の信任を直接受ける悦びに震えた。


 朝食を終えてから始めたカリオンとリリスへの拝謁だが、それは午後になっても全く終る気配を全く見せず、やがて日が翳り夕闇が迫ってくる頃になってやっと最後の一人となった。


「我が王よ。御疲れのところを申し訳ございませぬ」


 明らかに疲労の色が濃いカリオンとリリス。

 その二人を気遣った老いたる騎士は、まだ若きカリオンと比べてもはるかに頑強な体躯を見せていた。


「待たせてすまぬ。私は大丈夫だ」


 剣ではなく直接手を肩へと差し伸べたカリオン。辺境からわざわざやってきた老騎士は、そのカリオンの手を直接とって口付けした。


「老いたりとは言えど私も一人の騎士。この命果てるまでの忠誠を誓います」

「わざわざご苦労であった。そなたにも太陽の恩寵があらん事を」


 老いたる騎士が涙を浮かべて喜ぶさまを見つめ、やり遂げた感を全身で味わったカリオン。

 並んでいた騎士達の拍手と喝采を浴びつつリリスと共に城へと帰っていくのだが、お昼を食べる暇など無く低血糖でフラフラする感覚に酔いそうだった。


「リリス、大丈夫?」

「うん!」


 気丈に振る舞ったリリスだが、その姿にはカリオン以上に疲労が色濃く出ているのだった。そして、全ての騎士から剣を受けたカリオンの右腕はクタクタに疲れている。

 だが、喜びに打ち震え、涙を流すものまで出たこの謁見は、決して無駄にはならぬと確信していた。いつの日か必ず意味を成すはずだと、何の根拠も無い事だが、それでもカリオンは信じたのだった。


「なぁリリス」

「なに?」

「今夜は久しぶりに岩の雫亭へ行こうか」

「でも、きっと夕食の支度を整えてくれているよ」

「だから、それを食べた後、岩の雫亭でワインでもやろうよ」

「……騎士たちが来てるだろうしね」

「そう言うことだ」


 ふたりの気安い会話は城へ入って居室へ戻るまで続いていた。

 少々窮屈な礼装を脱ぎ捨て、気楽な格好になって椅子へ腰をおろしたカリオンとリリス。そこへ現れたウォークは衝撃的な一言を告げた。


「岩の雫亭にて夕食を予約しておきました」


 サラッと言い切ったウォークは、これ以上無いドヤ顔でふたりを見た。

 カリオンとリリスが顔を見合わせニンマリと笑う中、ウォークは言葉を続けた。


「御疲れのところ申し訳ありませんが……」

「あぁ。もう一仕事してくるよ」

「そうね」


 全てを見越していたウォークの『執事』っぷりに驚きを隠せないものの、気軽な格好へと着替えたカリオンとリリスは軽やかな足取りで歩き始めた。ウォークや最低限の供を連れ再び城下へと降り、城下のレストラン『岩の雫亭』へと足を運んだのだが、そこには予想通りに多くの騎士が詰めかけていた。

 王のお気に入りの店だと聞いていた各地の騎士たちは、店内の各所へ陣取り、思い思いの食事を取っている。そんな『岩の滴亭』店内にカリオンとリリスが姿を現せば、それほど広くない店内は熱狂に包まれてしまうのだった。


「みな、ゆっくりと食べてくれ。私も妻とこれより昼食だ」


 カリオンの言葉に皆が笑い、そして何処かの騎士が音頭を取って皆で乾杯した。

 夜遅くまで盛り上がり続けた岩の雫亭が店の明かりを消したのは、夜も更けた深夜二時だった。


「なんだか楽しかったね」

「あぁ。リリスも今日は一日お疲れさんだったね」


 お互いに労いあう夫婦の会話にウォークが目を細める。

 やがて夜も更け殿居の者まで下がってしまった寝室にて、カリオンとリリスはピロートークを楽しむ。長い一日だったが充実していた。その満足感を胸一杯に感じて眠りについたカリオンとリリス。

 しかし、ふたりの試練はこれで終ったわけではなかった。

 むしろ、本当の試練はここから始まったと言って良いのかも知れない。



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