檄文 / 公爵家紹介・ボルボン家
―――― 帝國歴 336年 6月 21日
ガルディブルク城内
「おはようございます。陛下」
まだ寝起きのお茶など嗜んでいたカリオンとリリスの寝室へ侍従の者が現れた。
士官学校時代のクセでカリオンは必ず午前六時に目を覚ます。その時間はまだ城詰めのスタッフも寝ている者が居るのだが、目を覚ましてしまうのだから仕方が無い。
帝王は全てが思いのままになると思われがちだが、高度にシステム化された城のシステムでは帝王とは言え我が儘を言えない部分の方が大きい。城の中で国家のために働く者達にも生活がある。その辺りを邪魔せず上手く立ち回るセンスも帝王には要求されるのだった。
「どうしたウォーク。早いじゃないか」
城詰めの者が起きてきて課業の仕度を調え、朝食を済ませて現場に出るまでには少なくとも二時間を要する。逆に言えば、六時に目を覚ましたカリオンが『帝王の業務』に就くまで二時間の猶予がある。
分刻みでスケジュールを立てられているカリオンとリリスにとって、その二時間は貴重なプライベートとも言えるひとときだ。
「……申し訳ありません。今し方、カウリ・アージン卿がお見えになりまして」
「叔父上が?」
一瞬怪訝な表情を浮かべたカリオンだが、ウォークは報告を続けた。
「はい。取り次ぎは不要。一言伝言すれば良いと」
「……ほぉ」
「オオカミは檻を食い破り丘を目指す……と」
「丘?」
「はい。そう言えば陛下には伝わるだろうと」
顎に手を当てて考え込んだカリオンだが、そんなところへ寝間着姿のリリスが姿を現した。
「あら、早いじゃない」
「おはようございます。朝から申し訳ありません」
「いいのよ。で、こんな時間に来るんだから悪いことでしょ?」
「……帝妃陛下のご慧眼にはいつも恐れ入ります」
一瞬だけ視線がリリスへと行っていたウォークだが、再びカリオンを見たときにはやや悪意の混じった忍び笑いを浮かべた姿だった。
「ウォーク。枢密院各員に定例会議の開催時間を十一時へ繰り上げると通達するんだ。ただし……」
一瞬首を捻ったカリオンだが、すぐに悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「野良犬に気をつけろ……と、そう付け加えて」
「……承知しました」
「それと、午前中の執務は臨時で休止とする。官僚たちには……そうだな……」
チラリとリリスを見たカリオンにリリスはニコリと笑って見せた。
「妻と下らないことで喧嘩をしてやたらと機嫌が悪いとでも言っておくと良い」
「……了解です」
そそくさと歩み去ったウォークを見送るカリオンは、窓辺に立って城下を見た。
遠くに見えるカウリ邸から紫色の悪意が立ち上っているように見えた。
――そろそろ決着を付けさせていただきますよ…… 伯父上殿
心中でそう呟いて、窓の桟をグッと握りしめた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
朝食を済ませ執務室へとカリオンがやって来たのは、午前十時を若干回った頃だった。本来は十五時に予定されていた枢密院の会合だが、枢密院の老人たちはまるで喧嘩支度でもしたかのような顔で集まってきていて、その表情はこれから遊びに行こうとする子供そのものだった。
「おやおや、皆さん早いですね」
苦笑しつつ席へ着いたカリオンだが、口火を切ったのはフェリペだ。
「何を言われるか」
「年寄りは早起きが得意でな」
すかさず合いの手を入れたのはアサドで、この日は水たばこの代わりに噛みタバコを嗜んでいた。
「レオ。それをやりすぎるとまたエリクサーの世話になるぞ」
「……シュサ帝にもよく言われましたなぁ」
目を細めて静かに笑ったアサドは、噛みタバコのボールをペッと吐き出して口を濯いだ。下唇と歯茎で挟む形の噛みタバコは、下顎の全てを腐らせてしまうことがあるのだった。
「戦場へ赴くシュサ帝の太刀持ちはレオの仕事だったな」
セオドア卿の言葉にアサドは笑って応えた。
「然様。戦場でお供した事も数えきれるものでは無い」
皆がうんうんと頷く中、レオと呼ばれたアサドは満足げにカリオンを見た。
アサドとは、アッバース家がかつて生活の場とした遙か南方にある砂漠地帯の言葉で獅子を意味する。それを自分の出自地域の言葉であるレオと呼び換えたシュサは、アサドを呼ぶ自分専用の愛称としていた。
「やはりカリオンはシュサの生まれ変わりかも知れないな」
「そうだな。まるで若き日のシュサを見ているようだ」
ボバの漏らした言葉にフェリペもそう相槌を打って肯定した。
貴重な時間が浪費されたと言うのに、皆は鷹揚としたままだ。
「さて、とりあえず本題に移ろう。ウォーク。皆に資料を」
「畏まりました」
ウォークの配った資料には、魔法で垣間見たフェリーの企みが明確に記載されていた。そして、この日の午後に予定されていたカリオン直々に行う全貴族の領地替えに対する最終プランも併記されていた。
「……これは凄いな」
「あぁ。見事にフレミナだけが減収になる」
それぞれに自らの所領を経営してきた者達ばかりだ。
カリオン以下の官僚たちがまとめ上げた計画の真意を見抜き感嘆を漏らす。
北方全地域をゼルによるアージン直轄とすると共に、フレミナを中央平原の広大な穀倉地帯へ移動させ食料生産を一手に引き受けさせる形になっていた。ただ、これは作物が不作になった場合には一気に痛手を被るリスキーな場所でもある。
これから本格的に南進や西進をするのであれば、戦費調達と同時に兵士を派遣せねばならないので作付けの減少を招く事となり、最終的には収穫高も減っていくだろう事が予想できた。
「西へ行けば平原へ降りて来たジダーノフが。東へ行けば森林地帯を任されるアッバースが。首都圏へ押し出そうとすればレオンが。それぞれに立ちはだかり押さえ込むことになる。我が家は……北方の支援か。うむ、万全の備えじゃな」
スペンサーを預かるダグラス卿はニンマリと笑ってカリオンを見た。
「最終的に細々とした調整が必要となるだろう。それぞれの新所領で当事者間による調整を行って欲しい。地元の農家達の意見を聞いて、それを反映させるように努力して、何とか上手くやって貰いたい」
カリオンは皆の反応が芳しいものだと確信した。
「では、いよいよですな」
「大勝負ね」
どこにも所領を預けられなかったボルボンの夫婦は全く困った風な様子を見せること無く笑っていた。何故なら、新しく切り取った所領は全てボルボン家に一旦預けられる形になったからだ。
ル・ガルでも最大派閥を形成するボルボン家にしてみれば、所領など無くとも充分やっていけるだけの蓄えを持っている。そして、新しい領地は切り取り次第となれば、配下の騎士達は一掃奮励の努力をするだろう。
「午後になったら報道各社へ一斉に早馬を飛ばす事になっている。地方の各行政府には夜間になったら光信号による通信を行う。明日の朝には全土で大騒ぎになるだろう。逆に言えば"彼ら"は動きやすくなると言うことだ。幾多の罠を多段階で仕掛けてある。自分たちで罠を踏み抜かぬよう、充分気をつけて欲しい」
カリオンの言葉に枢密院の老人達がニヤリと笑う。
その後も様々な局面における応当手順の確認を重ね、フレミナサイドで振る舞う事になっているカウリとトウリをどう保護するか真剣に討議を重ねたカリオン。大一番を前にザワザワとプレッシャーがやって来るのだが、それすらも心地よいと感じるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌朝の王都は新聞各社が一斉に新王カリオンの大改革を1面トップで伝えた。
国内で各地に根を下ろしてきた貴族が一斉に根切りされる。
それだけでも大事だというのに、公爵5家の当主が一斉に家督を譲り枢密院を形成したと言うのも大ニュースだった。
城の中ではもう充分に機能している新王の補佐体勢なのだが、公式に国民へ発表されるのは初めてだ。そんな報道の中に小さく書かれていた『フレミナ家も参加の見込み』という一文を見いだした市民が騒ぎ始める。
建前上は新王を支える大公家の一員として義務を果たすと言う事だが、実際はシウニン一族その物であるアージンの軍門に対し、フレミナが完全降伏した事を意味するのだった。
――若王の父ゼルさまは半分フレミナの血だからな……
――と言う事は、新王は四分の一がフレミナか
――フレミナもアージンに吸収される良い大義名分が出来たって事だ
市民の噂話は燎原の火の如く広まっていく。
だが、ガルディブルクの街が昼食時の賑やかさを失い始める頃、街の各職場や公共の場所や、ガルディブルク市民の目に付く様々な場所に、何者かの檄文が貼り付けられているのを市民は見つけた。
文責者としてトウリ・フレミナ・アージンのサインが入っているその檄文は激しい口調で新王カリオンの治世を罵り、同時に各地の貴族を根切りした事に対する激しい抗議の言葉が踊った。
――愛すべきル・ガルの市民よ!
――瞠目せよ! 夜明けの時は来たれり!
――愚昧なる新王の失政に市民の怒りは沸き起これり!
――愚かな改革は失敗を見るだろう!
――全ての国民よ! 立ち上がるときは来た!
――全ての怒りを勇気に代えて我が元へ集え!
――我はシュサ王とノダ王より未来を託されり!
――ノーリと争いしフレミナの王も我を推薦せり!
――今日この日より我が太陽王である!
決して少なからぬガルディブルク市民がトウリの呼びかけに賛同を唱えた。
やはりマダラの王をいただくことに不安があったのだろう。
何よりも、檄文の最後に書かれた一文が、そう言った者達のロマンを掻き立てたのだった。
――ガルティブルク城に居座る偽善の王と戦え!
――ル・ガルの輝かしい未来のために!
ガルディブルク城の一室で午後の執務の前にリリスと寛いでいたカリオンは、やや厳しい表情で部屋になってきたウォークを見つけ、その理由を見抜きつつもあえて黙っておいて労をねぎらった。
「おぉ! ウォーク! ご苦労さん」
「……陛下。由々しき事態ですぞ」
「解っているよ」
ウォークの持ってきた檄文をリリスへと見せたカリオンは、なんら驚く風な表情も見せず髪を弄ると、そのまま部屋を出て行った。
「ねぇ! エディ!」
「仕事だよリリス」
「ちょっと!」
慌てて後を付いていったリリス。
そのまま枢密院会議室へと入り込んだとき、中にいた老人たちが同じ檄文を眺めつつ楽しそうに談笑して居るのを見て合点がいった。そして、自分が仲間外れにされていた事に気が付いて不機嫌そうにカリオンを見たら、その眼差しの先にいた帝王は老人たちと同じようにニヤニヤしつつ檄文を眺めているのだった。
「先に言ってよ!」
「ごめんごめん。たださ」
「ただ?」
「敵を騙すにはまず味方からって言うだろ」
何とも楽しそうに笑っているカリオンの姿に、リリスは怒る事を忘れて言葉を飲み込んでしまった。一瞬の虚脱に陥ったような状態だったのだが、そんな状態を立ち直らせたのは、聞き覚えのある声だった。
「おぃカリオン…… おやおや、皆さんお揃いで」
枢密院の会議室へと入ってきたゼルは、室内に枢密院の老人達が揃っている事に驚いた。ゼルと共にやって来たレイラも驚いているのだが、悪い笑みを浮かべたカリオンを見て何かを悟ったようだった。
「まぁ、全て予定通りですね。全ては先手必勝です」
「……それは間違い無いが」
丸め潰した檄文の紙をもう一度広げたゼルは、文責者の新太陽王トウリ・フレミナの文字と、その立ち会い推薦人であるフェリブル・フレミナやカウリ・フレミナの文字をニヤニヤしつつ眺めていた。
「ゼル殿」
「フェリペ卿。これは如何なる『心配召されるな』……は?」
公爵五家の老人達は皆揉み手を擦るようにしてゼルを眺めた。
幾重にも仕込まれた罠を一つ一つ広げるように説明するジダーノフの当主に至っては、『ひと思いに全滅させるのは面白くないから』などと言い出す始末だ。
「全ては若王の手の上」
タバコをふかす事無く静かな口調で言ったアサドは、ニヤリと笑ってゼルを見ていた。その鷹揚とした態度にゼルも安心を覚え、手近な椅子へと腰をおろして室内の面々を眺めた。
「……なるほど。今頃はフレミナの主が喜色満面で喜んでおる頃でしょうな」
ゼルの言葉にも、そこはかとなく底意地の悪さが滲んだ。
そして、見え隠れする意思に皆がヘラヘラと笑っていた。
「しかし…… カウリはともかくトウリをどうしますかな」
「若王に忠誠を誓い、軍門に下る形にすれば宜しいのでは?」
ゼルの問いに答えたのはウラジミールだ。
フレミナと同じ北方系のジダーノフは一つの解決策を示した。
皆がそれに静かに頷き、着々と『戦後処理の形』が出来ていくのだった。
「とりあえず周辺国家はこの一週間が大変でしょうね」
「そうだろうな。東方系種族などは不戦協定の再確認を求めてくるだろう」
「うちの仕事ね」
「だな」
領地を持たないボルボンの夫婦は外交を一手に引き受けるポジションに収まる事になる。そして、新領地は切り取り次第となったボルボン家と不戦の確認を行なえば、それはすなわち自国安堵の根拠となろう。
「みな、この一週間が大変だろうけど、しっかり頼む。王都を含め各地で混乱が無いようにしっかり監督してほしい」
カリオンのシンプルな指示に対し、老人たちが了解を意味する言葉を吐いた。
ややあって王都に時刻を知らせる鐘が響き、カリオンは午後の公務の時間である事を知った。
「さて、じゃぁ午後の公務に取りかかる。引き続きよろしく」
全員が部屋を出て行って城の大会議室へと移動して行った。
その姿を見送ったリリスの背を母レイラが抱き寄せた。
「若王の大一番よ」
「……うん」
レイラとリリスの目がゼルへと集まった。
一瞬だけ視線に気圧されたゼルだが、すぐにグッと奥歯を噛んで優しい笑みを浮かべた。
「なに、心配ないさ。あいつなら上手くやる」
別段根拠のある事ではないが、それでもゼルには不思議な自信があった。
ここまで苦労して育てた自慢の息子だ。
艱難辛苦を乗り越え、ピンチをチャンスに変える術を学んだ事だろう。
「戦……ですね」
辛そうな言葉を呟いたリリスは不安そうに母レイラを見た。
レイラは優しい笑みを浮かべ、娘リリスの肩を抱き寄せた。
「避けて通れないこともあるのよ」
「そうだけど……」
まだ不安そうなリリスの肩に手を乗せたゼルはそっと囁いた。
「話し合いで解決できるなら、もちろんそれに越したことはない。だけど、話し合いが決裂した時には力で決着を付けるしかない。後腐れ無いようにするには、結局こうするしかないんだ。そして……」
ゼルは指を一本立ててリリスを見た。
「太刀を交わし槍を交え戦を行なうのは、外交の後始末なんだよ。どんなに上手くやっても損する人間が出る。その人間の不満を紛らわすために、戦は派手にやったほうが良い。そして、そのまま舞台から消えてもらうのさ」
ゼルの語る言葉を理解できないわけではない。
しかし、心情的に戦は好まない。
結局は感情論なのだが、嫌なモノは嫌だ。
「今頃は大会議室で貴族家の当主を前に政策についての説明を行ってるはず。相当消耗するだろうから、帰ってきたら困らせちゃダメよ?」
母レイラに言い含められ、まだ若い帝王の后は夫の重責に思いを馳せた。
大会議室の中ではカリオンかおよそ四百人の貴族家当主を前に、全ての領地替えについて説明を続けていた。
――全てのイヌの未来のために
そう話を締めくくったカリオンが拍手喝采を一身に浴びる頃、カウリ邸ではフレミナの主フェリブルが終始嬉しそうな表情だった。
帝都全域へバラ撒いた檄文を読み、その目的を理解した貴族達が自らの下へやってくるはずだ。そんな自らの野望に賛同する貴族家たちを、フェリーは今や遅しと待ち構えているのだった。
ボルボン家
イヌの一族の中で最も古く、そして最も格式の高い一族、ボルボン家。
古くはブルボンと名乗っていたが、現在の発音はボルボンとなっている。
伝説上の人物であるイヌの始祖トマークタス(或いはトマルクトゥス)の興した家がボルボン家の始祖ジャン・ノブレス・ラ・ソレイユ・ブルボンの祖先とされる。また、このボルボン家のみが父系では無く母系を取っている事からわかるとおり、イヌの母家としてイヌの歴史と共に歩んできた。ジャンヌ・ノブレスを娶った者がボルボン家の当主となる。
ボルボン家の歴史は事実上イヌの歴史でもあり、貴族を意味するノブレスや太陽王を意味するソレイユなど、アージン家に引き継がれたシステムは枚挙に暇が無い。
ボルボンの主。ジャンヌ・ノブレスはフレミナでは無くノーリを承認し太陽王の名を与えた事により統一王を名乗ったとも言え、結果、フレミナを従えル・ガル一統を果たした。
ノーリはジャンヌ・ノブレスとの間に庶子となるフェリペをつくり、後にジャンヌの産んだ長子は代々フェリペを字とした。
カリオン即位の時点での当主はシャルル・ド・エクセリアス・フェリペ・ソレイユ・ボルボン。このソレイユは太陽の日が照らすところ全てであり、また、太陽王の示す地の全てをも意味する。ただし、前述の通りボルボン家の正当当主は女系であるため、当代ジャンヌ・ノブレスが当主に当たり、シャルル・フェリペ・ボルボンはボルボン家の軍事力責任者であるジャンヌの夫にすぎない。その関係で公爵による枢密院会議ではボルボン家のみが2票を持つ。