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新しい時代の始まり


 ―――― 帝國歴 336年 6月 12日


             帝都ガルディブルク郊外 カウリ・アージン伯宅







 この世界でも指折りの巨大都市、帝都ガルディブルクの夕暮れ時。

 栄える王都に住まう者達が夕餉の煙を上げ始める頃、郊外にあるカウリ・アージン伯の邸宅へ向け馬車が走っていた。


 リズミカルなひづめの音を響かせ街を行く馬車の中には、まだ若き王カリオン帝を支える相談役の一人。子爵・エリオット・ロイエンタール伯が乗っていた。

 御者台に陣取る男が間もなく到着を告げ、ロエインタール伯は下車の支度を始める。ただ、その格好は身軽なもので、公式の行事では無い事が見て取れた。


 ややあってカウリ亭へと到着し御者台から飛び降りた若い男が戸を開くと、子爵は軽やかな足取りで邸宅へと入っていく。だが、その足は母屋へと向かわず、広い広い庭園の中に設けられたテーブルを目指してのだった。


「おいおい、随分遅いじゃ無いかエリオット」


 庭園の中央にあって手をあげ挨拶を送っているカウリ・アージン伯は、ワインの注がれたグラスを片手に持ちながらご機嫌な様子だった。


「やぁ、すまない。すっかり遅くなってしまったわい」


 なれた調子でテーブルについたロイエンタール伯にワインのグラスを差し出したのは、公爵スペンサー家の当主であるダグラス卿だ。紅珊瑚海で取れる海老の塩ゆでなど摘みながらシャンパンを開けているのだが、やはりその姿はご機嫌な調子ですっかり出来上がっていて、その前には開いているシャンパンの瓶がいくつか転がっていた。


「なんだ。みな随分と飛ばしておるな」

「そんな事を言っても仕方がなかろう」


 ゲラゲラと下品に笑ったダグラス卿は、隣に座っていたイブン・アレーフ卿ことアサド・アッバース公爵の肩をポンと叩いた。そのアサドもまたすっかり酔っていて、同じようにゲラゲラと笑っていた。

 遠い遠い昔。アッバース卿の一族は、暑い暑い砂漠の中で暮らしていた。だが、多くの種族の主導権争いに押し出され北方の地域へと移住を繰り返し、やがてこのガルディアラ大陸へ住み着いたのだ。いま当主を務めるアサドは、その砂漠の一族の末裔だ。


「思えばこの二百年はいつもいつも面倒ばかり考えておった。死ぬ前に引退するなど考えもしなかったことだ。それだけでも若王はヤルもんだな」


 ダグラス卿とアサド卿を眺めつつ、これまた酒に酔っているのは、西方の草原地帯を本拠とするセオドア卿ことジョン・レオン公爵。そして、ウンウンと頷きつつシャンパンを飲んでいる北方の統領。ジダーノフ家の当主でもあるラスプーチン卿だ。


「しかし、あの小僧。なかなかやりおるわい」

「そうね。ウチに来たときも実に堂々としていたわ」


 テーブルの最奥。

 居並ぶ公爵家の頭首にまじり陣取っていたのは、場に不釣り合いな夫婦だ。しかし、その成りも振る舞いも見るものが見ればすぐにわかる『ただ者ではない空気』をまとっている。


「そうか。ジャンヌが言うのなら間違いあるまい」


 嬉しそうに笑ったカウリは『ジャンヌ』と呼んだ貴婦人とその相方にワインを薦めた。純白の毛並みにどこまでも黒く澄んだ瞳を持つ驚く程美しい女性。年齢相応に老けては居るが、その姿のどこにも老醜の色は無い。


 彼女こそはイヌの一族の中で最も古くから存在する名家中の名家。ボルボン家を預かる当主。ジャンヌ・ド・ノブレス・エクセリアス・ラ・ダルク・ソレイユ・ボルボン。

 そして、その向かいで相槌を打つように肯くのはジャンヌの夫でありボルボン家の実質責任者であるシャルル・ド・エクセリアス・レ・フェリペ・ソレイユ・ボルボン。


 最初の太陽王であるノーリは数代前のジャンヌに認められて太陽王を名乗った。何故ならば、支配地域である地性にソレイユ(太陽)を名乗っているボルボン家は、太陽の照らす地全てがボルボン家のものだとしているからだ。


「さて、役者が揃ったな」

「そうだな。では、始めるか」


 ダグラス卿とセオドア卿が視線を交わしカウリ卿に開始を促した。


「うむ、ではこれより、記念すべき第1回枢密院会議を開催する。この会議は王の召集によって開かれる最高輔弼機関となる。諸賢らの闊達な意見を期待する」


 厳かなカウリの声に乗り開会が宣言されると、出席していた者達は一斉に拍手した。ただ、それぞれにだいぶ酔ってはいるのだが……


「で、この帝國老人倶楽部の最終目的は予定通りで良いのか?」


 会の乗っけからいきなり飛ばしているフェリペ卿は、既にワインに厭いてブランデーをちびちびと舐め始めた。もはや会議も糞もあったものではなく、既に年寄りが集まった飲み会になりつつあった。


「そりゃ間違い無いだろうさ。それに若い連中のケツを叩くのも我々の仕事だ」


 同じようにワインを開け切ったラスプーチン卿は、北方から持ち込んだ透明な酒を飲み始めた。何処までも透明な水の如きものだが、その酒精はブランデーをはるかに越えるものだ。


「おいおいラスプーチン。そんなにウォトカばかり飲んでおるとはげるぞ?」


 そうジダーノフの主をからかったアサド卿は、銜えていた水タバコの吸い口を振って文字通り煙に巻いた。何ともけだるい雰囲気の中、ロイエンタール卿はとんでもない事を言い出して猛烈に反対されたカリオンが目指したものを、肌感覚として実際に感じていた。


「思えばみな、よく働きましたな」

「左様。それをこうやって引退させてもらえたというのは、ありがたい限りだ」


 子爵の言葉に実感を載せて言葉を返したセオドア卿は、すっかり白くなった顔の毛を撫で付けながら静かに笑った。


「要するに、先ずは世代交代させられた側の愚痴を言い合う場って事ね」

「おいおいジャンヌ。君がそれを言ってしまっては身も蓋もない」


 ジャンヌの言葉にそう反応したダグラス卿は、グラスに注がれていたブランデーを飲み干した。


「しかしまぁ、考えてみればあの子は、こうやって経験を積んだ我々を自由な立場で、しかも闊達にものを言えるようにしたかったのかもしれんな」


 ジャンヌの夫であるフェリペ卿ことシャルルはグラスの中身を見つめつつ、薄笑いでつぶやいた。まだ若き王カリオンはこの十年を修行の期間と定め、公爵五家の当主たちに国政の舵を預けると国内諸国漫遊の旅に出たのだ。


 過去一度も例のないことだが、逆に言えばカリオンの思う国政の形の第一歩がスタートした形だ。そして、ひと月ほど前のこと。カリオンの第二歩が突然踏み出された。各公爵家に対し世代交代せよと勅命を下したのだ。


 もちろん各家で猛烈なブーイングが起きたのだが、それぞれの当主は各家の中で反対論を述べるものを差し置き、とっとと世代交代を図ってしまった。諸国漫遊を行ったカリオンは各家の当主たちとの文字通りの直談判を重ねていたのだ。


 そして、これから始まる大改革に向けた根回しでもあるのだが、各家の当主たちは概ね好評を持ってカリオンのプランを受け入れていた。


 肩の荷を降ろした公爵家の主人たちは帝王カリオンを輔ける為の専門機関である枢密院を興し、太陽王を輔弼する役に徹する事になったのだ。その全てはゼルこと五輪男の書いた絵だったが、各公爵の当主はカリオンの向こうに居る筈のゼルが言わんとしている事。そして狙っている事を正確に読み取っていた。


「しかしまぁ、責任を持たぬと言うのは良いもんじゃな」


 ダグラス卿の口からセラセラと笑いが零れ、この十年ですっかり老成した当主たちは静かに笑った。いきなり国政を預けられ面喰らったものだが、逆に言えば得難い経験をしたという事だった。


「若王の政は若王の世代に任せよう」

「そうじゃ。わしらはその責任を後で取れば良い」


 フェリペ卿とアサド卿が何かの同意を求めるようにカウリを見た。

 カリオンのやり方に最も反対したのがカウリだったからだ。ただ、その反対は半ば演技でもある。何故なら、カリオンが求めた隠退し当主の座を交代した上での枢密院参加にフレミナの主であるフェリーことフェリブル・フレミナ・アージンも含まれていたからだ。


「そうじゃな」


 悪い顔になってニヤリと笑ったカウリは室内の面々を見回して言葉を続けた。


「新しい時代は新しい世代が作れば良い。未来を作るのは老人では無いのだ」


 そんなカウリの言葉に皆が満足そうな笑みを浮かべ、テーブルに並ぶ茶菓子などを貪っている。もっとも、今この面々の場合は茶菓子では無く酒の肴状態なのだ。


「ところで、シャイラはこんのか?」


 カウリに話を振ったダグラス卿は少々胡乱な目になり始めた。酔いが回っていると言うのもあるが、カウリの真意や本音を確かめて居る風でもある。カウリが行っているフレミナ側のスパイ行為は、この場に居る公爵を隠退した老人倶楽部にしてみれば、潜在的に二重スパイで有る可能性を危惧させるものだからだ。


「あぁ……」


 溜息と共に小さく呟いたカウリはグラスに残っていた酒を一気にあおった。

 喉を焼くほどの強い酒だが、呑み助にしてみればちょうど良い塩梅だ。


「あれはあれでフレミナの女だからな」

「そう…… 残念だわ」


 ジャンヌのこぼした甘い溜息にフェリペが思惑を感じ取った。

 女の勘は男のそれを遙かに上回る事がある。ジャンヌが狙ったのはカウリが裏切らないように知るための担保なのかも知れない。


「紅一点で参加して欲しかったな」

「ホントに…… って、私は?」

「おぉ、そうだった。スマンスマン」


 軽い調子で話を誤魔化したフェリペ。再びセラセラと男達は笑った。

 だが、わらった男達の目はその厳しい眼差しを自然とカウリへ向けた。


「そなただけがまだ重荷を背負う事になるのぉ」


 余り喋っていなかったロイエンタール伯がカウリの肩をポンと叩いた。

 その手をチラリと見たカウリは、萎んで消えそうなほどに沈痛な溜息を吐いた。


「それは致し方有るまい。ワシは一人の男の人生を棒に振ったのだ。背負うのは責任ではなく贖罪と言う事だな」


 それが何を意味するのか、老人倶楽部の面々はよくわかっている。事ある事にそれを言ってきたカウリの本音を理解出来ないほど愚かな面々では無いし、理解出来ない者に公爵家の当主など務まらない。

 様々な者達の利害関係を調整し、遺恨が残らないように裁定する必要のある者達なのだ。カウリが背負っている問題の本質を、皆は半ば我が事のように受け取っていた。


「若王の治世でヒトの立場がもっと改善されると良いんだがな」


 レオン家を預かるセオドア卿は、何を思ったかふとそんな言葉を漏らした。直情径行の気風が強い耀種一族の中にあって、レオンの一族である緋耀種はヒトの保護に熱心だ。

 かつてイヌを統一し最初の国家を作ったノーリが夢見た『王の前では万民が平等』という理念を一番強く受け継いでいるとも言える。例えそれが何であれ、この世界の住人である以上は他の種族と同じように平等であるべきだとセオドア卿は信じていた。


「まぁ、それについては心配要るまい。あの子は半ばヒトに育てられたようなものだ」


 カリオンがヒトとイヌのハイブリットである事を知っているのは、この場ではカウリだけだ。そしてそれは恐らく死ぬまで語られる事の無い、墓の中まで持って行く話でもある。

 ただ、それぞれの家に行って深い話をしたカリオンに間近に接してた各当主だ。臭いの違いを嗅ぎ分けるくらいの鼻を皆が持っているのは言うまでも無い。余り深く追求されても困るカウリはとりあえず話を変える必要に迫られ、何気なくダグラス卿へと話を振った。


「ところでジョンの所の倅はどうした」

「おぉ、学校では若王と上手くやっていたようだが、今は辺境で修行中だ」


 レオン家をやがて継ぐ事になるジョニーは父ジョンの手引きで、国境の小さな駐屯地へ送り込まれていた。最前線のゴタゴタや兵士たちの日常を見ておく事は決して無駄では無い。ただ、誰よりもそれを喜んだのは不思議な事にスペンサー家の当主だった。


「そうか、それは重畳だ。ジョンの倅も度量が深い。レオンの男はさすがだの」

「ちょっと待てマーク。おだててもなにも出んぞ?」


 お互いにファーストネームで呼び合う仲のダグラス卿とセオドア卿。

 かつてル・ガルの中原を争ったこの二家も、今では刎頸の友として太陽王を支える柱になっていた。そして、そんなふたりの姿にアハハハと軽やかな笑いをもらした者達。

 そんな姿にロイエンタール卿は心中で安堵していた。かつて、最初にこの政策を相談された子爵は誰よりも危惧したのだ。場合によっては公爵家によってカリオンが謀殺される。または秘密裏に暗殺される可能性ですらも危惧した。歴代の太陽王で公爵家に直接指示を下した者など居ない。つまり、カリオンの勅命はそれほどのインパクトがあるものだったのだ。


「ただ、これからやろうとしている事は……」


 子爵の懸案は一つでは無かった。公爵家を世代交代させると同時に、もう一つ、カリオンは全く前例の無い、とんでもない事を行おうとしていた。


「あぁ、一筋縄では行くまいて」

「若者たちのお手並み拝見だ」


 ジダーノフの主とアッバースの主は共に顔を見合わせた。

 そして、その向こうに居たフェリペはセオドア卿と目を合わせた。


「困った時にのみ相談に乗れば良い。向こうから声を掛けてくるまでしゃしゃり出ン方が良いな」

「そうだな。困難が人を鍛える。安易な道に逃げそうになったら……」

「その時は出て行ってケツを叩くさ」


 ボルボン家の実質責任者であるフェリペがそう漏らすと、再びセラセラと軽い笑いが漏れた。ボルボンの男がケツを叩くとなったら、それは尋常では済まない事になる。

 軽いジョークのつもりで言葉を発したフェリペだが、話を聞いた者にすれば、太陽王の権威剥奪ですらも視野に入れた事になってしまう。実際は薄氷に乗った権威でしか無い太陽王の王権は、多くの者達の理解と信頼で成り立っているのだった。


「……当たらし時代は新しい人間を鍛える」

「かつてのノーリがそうだったようにな」


 ヒトの世界の詩の一節を子爵が諳んじ、カウリはその身に流れる遠き血の連なりに思いを馳せた。もちろん、話を聞いた老人たちの目に迷いは無い。


「今度は……成功するかのぉ」


 アサド卿は水たばこの煙を吐き出しながら溜息をついた。

 この三百年少々の間、継続的に太陽王が行ってきた暗闘をカリオンは終わらせるつもりだ。


「泥は儂等が被れば良い。老いた我々に出来る事は太陽王の御楯となる事じゃ」

「そうだな。これでフレミナの根を切ってくれるわ」


 ダグラス卿はグラスをかざして皆に誓いを促した。


「若き王の御代でイヌの統一は完成する」

「シュサに良い土産話を持って行こう」

「そうじゃな」


 グラスの当たる音が響き皆が思い思いに中身を飲み干した。

 ル・ガルの貴族社会に激震が起ころうとしていた。


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