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王の帰還・後編

 ――承前






「お母さま。ゼル様はどんな歌を謳っていられるのですか?」

「そうね……」


 構う事無く謳っているゼルは相変わらず、カリオンにカードの背だけを見せている。その中身を見通せというように。


「もう一度最初から歌って」


 レイラがそう言うとゼルは謳うのをやめ、一つ咳払いしてからもう一度謳い始めた。その一小節を謳うごとにレイラは訳した歌詞を付け沿えた。


「彼の勝負はまるで瞑想。誰にも違和感を感じさせない。なぜなら彼は勝ちたいわけじゃなく、お金がほしいわけでもなく、ましてや、尊敬されるつもりでもない」


 静かにゼルへと歩み寄って隣に腰を下ろしたレイラ。

 そんなふたりをリリスは美しいと思った。


「彼が求めるのは答え。神のみぞ知る運命と言うもの。起こりうる物事の隠された法則は、めくるカードの数が教えてくれると、そう信じているから」


 ゼルはカードを中身を見せた。スペードの4だった。


「スペードは兵士の持つ剣。クローバーはもっと野蛮な鈍器。だけどダイヤは刃物じゃ無くて、戦いに必要なお金」


 ゼルの見せたカードに首を振ったカリオン。ゼルはもう一度カードをめくり、そしてそのままカリオンに見せた。ハードのマークをした赤札だ。ル・ガルの中でも既にハートのマークは命や心を示すシンボルとして認識されている。だからこそレイラの口から出た言葉にカリオンやリリスは驚いた。


「これは自分の心じゃない。望まない形で失われる命……」


 レイラが訳している歌詞を聴きながらゼルはニヤリと笑った。異なる言語の翻訳は、本来の意味をどう捉えるかによって大きく異なる。だからレイラはゼルが言いたい事を上手く汲み取ってカリオンに言い聞かせた。心のうちで『流石だ』とゼルが唸るほどに……だ。


「敵にどの札を切ってやろうかと思案する。ダイヤかもしれないし、或いはスペードかもしれない。キングを隠し持って勝負に挑んでもいい。ただ、前はコレで上手く行ったと、そんな記憶にもたれ掛からなければ」


 再びサビの部分が巡ってきて、レイラは同じ言葉を繰り返した。その歌詞を聴きながら、カリオンはテーブルに捨てられたカードを見た。スペードが段々と剣に見えてくる。クローバーはウォーハンマーか。その向こうで必要なコストとしてのダイヤとハートがこぼれていく。

 王である自分の切ったカードが。戦を左右するその全てがテーブルの上で腐り堕ちる兵士の亡骸の様に。物言わぬ骸となった者たちの様に見えた。


「戦に行く者たちに『愛している』などと言ったところで、どうせ信じてはもらえないだろう。兵士達が欲しいのはそんなものじゃ無い。ただ、王は王と言う仮面しか持っていない。他の顔を部下には見せられない」


 レイラの訳にゼルはゆっくりと頷いた。

 その訳に満足していると、態度で示していた。


「家臣たちは王の歓心を買う為に安い言葉でしかモノを言わなくなる。そして、いつもいつも手遅れになって、全てを失ってからそれに気が付く。国民は王を呪い、王にウソをついたモノの事など一切気にしない。そんな恐れを王はいつも持っていなければならない。だけど……」


 レイラはチラリとゼルを見た。再び巡ってきたサビの部分を謳いながら、ゼルはレイラを安心させるように大きく頷いた。その姿を見たカリオンは、王ではなく夫としてあるべき姿をゼルに見た。

 レイラの肩を抱いたゼルは幸せそうでもあり、そして辛そうでもあり。その僅かな違いを感じ取っているのか、レイラもまたどこか受け取りがたい微妙な表情を浮かべつつ、安心して身を預けていた。


「兵士が持つ剣も武器であるモノも。必要な代償である全てのモノも。王の心とは違うかもしれない。だけど、その全てがどれほど違っても、王の心と違っても。王は受け入れるしかない。めくる札の全てを受け入れるしかない。それで勝負するしかないのだから」


 全てを謳い終わったゼルは鼻歌のようにコーラスを続け、その後にカードの山をテーブルに戻し、そして自分の手札を持ち上げた。


「さて、勝負だ」


 再び自らの手札を眺めたゼルは、凄みのある笑いでカリオンを睨み付けた。

 ヒトであるはずなのに、まるでその笑みは肉食獣のようだとカリオンは思った。

 獲物を追い詰めて歓喜の表情を浮かべる姿だ。そして、どう喰らってやろうかと思案する傲岸な勝利者の姿だ。ある意味で最も士官らしからぬ姿だ。だが、支配者の姿でもある。


「……この勝負からは降ります」

「戦わずして負けるのか?」

「いえ、失われるであろう将兵の命を金で買います」


 無表情になったゼルは抑えた声で一言『なぜ?』と問うた。


「次の戦に勝つために人的資源を浪費させないためです」

「そうか。ならばそのチップは俺の総取りだな」

「はい。やむを得ません」


 ごっそりとチップを回収したゼルはニンマリと笑った。


「さて、手札を広げろ」


 ゼルの言葉にカリオンは手札を広げた。エースのスリーカードだが、残りは豚札でしかなかった。しかし、充分に強い手だ。少なくとも上から数えた方が早い。これだけ有利な手札でも勝負から降りたカリオン。ゼルはあざ笑うようだ。


「俺の手札は」


 はらりと広げたその手札には、役らしい役が何も無かった。言うなれば全て豚札だった。つい先ほど捨てたキング二枚を含めても、キングのスリーカードでしか無い寂しい手だ。そして今はソレよりも遙かに寂しい。


「……うそっ」


 素直な言葉が漏れたカリオン。隣で見ていたリリスも驚いた。

 だが、そんな若いふたりを見ていたゼルとレイラはしてやったりと笑っていた。


「卑怯だ!」

「だが、勝ちは勝ちだ」


 腕を組んで勝ち誇るゼル。そんな姿ですらもカリオンは面白くない。

 そんな若さ溢れる姿の若き王を宥めたのは、以外にもリリスとレイラだった。


「次に勝てば良いんじゃ無い?」

「そうよ。今日の負けは明日の勝利への道標って言うしね」

「ほんと?」


 母レイラへ聞き返したリリス。カリオンも驚いていた。


「ヒトの世界の話だが、かつて一国を率いた宰相はこう言いのこしている。凡人は結果に学び、賢者は歴史に学ぶ。共通して言える事は、まず学ぶと言う事だ。そしてそれはつまり、次は負けないと言う一大鉄則を示している」


 良い諭す様なゼルの姿を見るカリオンだが、まだどこか納得いかないようだ。


「ですが、相手を騙して良いとは……」


 憤懣やるかたないカリオンは顔の相を変えて怒りを露わにしている。そんな息子を横目にテーブルの上のワインをもう一度口へと運び、そして辛そうな溜息を一つ吐いてカリオンを見たゼル。その目には先ほどの裂帛さも何も消え失せていた。


「戦いの本質は勝つ事だ。勝ちに綺麗も汚いも無い。何故だか解るか?」


 納得のいかないカリオンは一瞬だけ思案し、そしてその直後に顔の相から怒りがスッと抜け落ちた。大切なモノに気が付いたのだ。


「……負ければ死ぬから」

「そうだ。そして勝てなければ、お前が言う名誉すらも与えられない」


 残っていたワインを全部口へ運んだゼルは、だらしなくゲップを一つ吐いてグラスをテーブルへと戻した。その間、カリオンはジッとゼルを見ていた。


「勝ちには不思議な勝ちがあるが、負けには明確な理由がある。だから準備する。勝つために、誠心誠意準備する。負けた時の言い訳になる理由を一つずつ潰して行って、ひとつひとつ無くしていって、そして勝ちに備える。それが準備の本質だ」


 無表情のまま叱責するようにゼルは言葉を続けた。

 カリオンは凍りついたような表情でその言葉を聞いていた。


「負けてから気がつく理由。敗れ逃げる途中で見つけた明確な失敗。それを積層化したものが兵法であり、戦略学と言う学問になる。ただ、それを過信せず、ときには大胆に手を打たねばならない。そして、王や君主にとって大切な事は、手痛い敗北の中から次に繋がる理由を見つけ出す能力だ。これがなければ負け続ける」


 両手を握りしめ奥歯を噛み締めるカリオン。

 そんな息子へゼルはたたみ掛けた。


「戦となれば人の死は避けられない。それでも綺麗に勝つ為に兵を無為に殺してしまうのと、卑怯者の誹りを受けても兵をいたずらに殺さず、むしろ無血勝利へと導くのと。戦争指導者としてだけで無く、国家を率いる王として国民が支持するのはどっちだ?」


 ゼルが見せた迫真の姿にカリオンは思わず生唾を飲み込んだ。

 そんな息子を叱責するゼルは、さらに激しく畳み掛けた。


「あらゆる道徳的な模範や規範となる振る舞いをして勝てるならそれに越した事は無い。ただ、遊びでしか無い札遊びであればともかく、国家を率いるとなれば話は別だろう。勝利の対義語は敗北じゃ無いんだ」


 グッと身を乗り出したゼルは三白眼でカリオンを睨み付けた。

 答えを言ってみろと言われたような気がして必死に答えを考えるが、カリオンは結局答えられなかった。そんなカリオンにゼルは小さな声で囁いた。


「滅亡だ」


 ゾクリとした悪寒がカリオンの背筋を駆け抜け、顔色を青くした。

 この栄えるル・ガルがそう簡単に滅びるとは思えない。だが、蟻の一穴とは、きっとこういう事をさすのだと思い至った。


「……だから、どんな手段を使ってでも勝ちに行く事が一番大切だ。敵の裏を掻き、心理的死角につけ込み、油断誤断を誘い、敵を陥れる。お前がいま負けた最大の理由は経験の無さ。そして……」


 ゼルは指を一本立ててカリオンの胸を指した。その指がまるで自分の胸に突き刺さったかのように感じ、カリオンは思わず胸を押さえた。


「勝利の美酒を味わい、苦い敗北の苦渋を舐め、人知れず悔しさの涙を流し。幾多の臣下の死を見取り。その全てを乗り越えてこそ王は鍛えられるし、男の子は男になっていくんだ。身体ばかりがでかくなっても意味が無いことなんだ」


 三白眼で睨み付けたゼルはカリオンの目を射抜くようにしていた。その顔を見つめ返したカリオンは、いつの間にかゼルのフリをしているヒトの男が老いていると気が付いた。そして、何を思ってこんなカードゲームをしているのかも。


「……ヒトの世界にも何百年と争った戦乱の時代があった。小国を率いた王は巧みな国家操縦で窮地を何度も切り抜けた。その時、その王はこう言ったのだ。人生、謀多きは勝り、少なきは滅びる……とな。過去の出来事に失着せず、失う者にも失着せず、ただ愚直に勝利を求めろ」


 カリオンは珍しくゼルが札遊びをしようとカードを配った理由の全てを知った。

 父と慕うこのヒトの男は。ゼルの姿をした父、五輪男は自分を負かそうとしたのだ。手厳しい失敗をして、そこから学ぶべき事を実感させる為にしたのだ……と。


「ヒトの世界にいたマキャベリと言う人物は君主論と言う本の中ではっきりと書いている。君主は例えどれ程悪徳であっても、勝つ為の方策を行使しなければならない時があるのだと。そして」


 カリオンを指差していたゼルの指がピンと立てられた。


「もう一つ大事な事がある。すわ国難となったとき、君主は運命を打ちのめすほどの勢いで事にあたらなければならない。この世界を支配するのは運命と神の意思でしかない。ちっぽけな人がどうあがこうが、この世の進路や流れは変えられない。例えるなら、流れる大河に石を投げ波紋を立てたところで、水の流れが止まらないようにな」


 解るか?とそう言いたげな表情のゼル。

 カリオンはゼルの迫力に飲み込まれ頷いた。


「……とはいえ、運命と言う存在が人間の活動に影響を及すのと同じくらい、人間の活動も運命に影響を及ぼしている。因果律を踏み越えて行こうとするなら、きっと運命は変化するだろう。この変化に応じて臨機応変に、果断に進むのがいい。それを知る為には自分の運を知らねばならない。太陽王は運のいい人間しか即位出来ない仕組みになっている。だが、運には波がある。運のいい時もあるし悪い時もある。それはわかるだろう?」


 その時点でカリオンはハッとしたような表情になった。


「だから父上は自分の手札だけを見るのですか?」

「その通りだ」

「自分の運を確かめるために?」

「そう言うことだな」


 再び三白眼で睨み付けたゼルは愉悦を隠し切れないように笑った。


「運命の女神などと言う事もあるが、女神だって所詮ひとりの女だ。彼女を征服せんとするなら、本気で打ちのめしたり、或いは突き飛ばしたりする必要がある。女をド突くのは男の風上にも置けない奴だ。そうだろ? だけどな、そういう人倫に悖る事でも時には平然と行なえる者にこそ、運命や世界の因果や、況やつまり、目に見えない運というものですら従順になる」


 ゼルの語る『君主論』の本質をカリオンはなんとなく理解した。

 つまり……


「僕は……」


 その先を言い掛けてカリオンは飲み込んだ。

 全てを察したゼルはゆっくりと頷いた。


「時には部下に命じる事になる。手を汚せと。泥を被れと。時には死ねと。その全ての責任を取るのがお前の仕事なんだ。士官学校で学び軍役に就いた者には出来ない事を、お前は命じる事になるんだ。もう解るだろう? 何のためにそれをするのかを」


 背筋を伸ばしたカリオンは胸に手を当てて答えた。


「負けないために」

「そうだ。どれ程奇麗事を並べても価値のある負けなんかは存在しない。だが、その無価値な負けを価値あるモノにするのも帝王だ。だからこそ、負けを知り、辛さを知り、成長しなければならない。何にも負けない強い心を帝王は持たねばならないのだ」

「はい」

「困難な状況や、時には自分の命を戦火の危険にさらすような状況を乗り越える事でしか『心』は成長しないし充実を見る事も無い。ひとつひとつ、そうやって困難を乗り越えていくんだ。楽な道なんて、結局何処にも辿りつけやしない」


 一番良いたかった事をはっきり言えたからか、ゼルは満足そうに微笑んだ。


「ヒトの世界で最大の版図を築いた帝国の国家御璽にはこう書かれていたのだという。『命を天より授かり、すでに壽くして長く昌ならん』とな」


 カリオンは小声で呟いた『命を天より授かり……』


「カリオン。誰かの意見を聞く事は良い。ただ、誰の指図も受けるな。解るな?」


 ゼルは立ち上がって胸の前に両手を合わせた。

 右の拳を左の掌で包み、礼を尽くす姿だ。

 父は帝王となった息子に臣下の礼を取ったのだった……


「命は天より受けろ。迷ったら太陽を見上げろ。お前は太陽の地上代行者だ」


 力強く言い切ったゼル。

 カリオンは立ち上がって同じように両手を胸の前に合わせた。


「はい!」


 満足そうに頷いたゼルは更に言葉を続けた。

 溢れて溢れて止まらない思いを言葉にし続けた。


「この世界の森羅万象を言葉で言い表す事など出来やしない。だから沢山の事を経験し、そこから学べ。その為に俺はここに居る」


 一瞬だけカリオンの心は揺れた。

 ゼルの言いたい事を悟ったのだ。


「自分と違う種族や価値観や人生経験や、そう言う未知の存在と触れ合ってこそ学べるものがある。 得られるものがある。そして、真理や本質といった物事の根本は。いつもどこであっても一見あたり前のようなものだ。それを見逃さず自分のモノにしろ」


 やけに雄弁だ……

 ふとカリオンはそんな印象を持った。

 だが、ゼルの本音はゼル自身の口から出てきた。


「俺はもうすぐ死ぬぞ」

「えっ……」

「ヒトの寿命は長くてあと30年だ」

「父上……」


 涼やかに笑ったゼルは優しい眼差しで『息子』を見た。


「その間に俺が知る全てをお前に遺していく。その全てを学んで、そして自分のものとするんだ。いつか役に立つだろうからな」

「……はい!」


 カリオンは力強く答えた。

 帝國歴336年5月のある日。

 この世界の運命は大きな音を立ててまわり始めた。

 今までになかった方向へ進み始めたのだった。


 ただ……

 その果てで待ち構える結末を、ゼルもカリオンも知る由も無かった……





 ―― ガル・ディ・アラ騒乱の章 ここより開演


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