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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
幼年期 ~ うたかたの日々
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適応と進化

 シオニノンチュから東へ馬で小一時間ほど走った辺りには広大な草原がある。

 誰が呼んだが『太陽王の昼寝場所』と呼ばれる所だった。


 太陽王シュサと宰相ノダがシウニノンチュへとやって来て一週間。北伐を終えたつかの間の休息と言う事もあって太陽王に動きは無い。これといってやることも無く平和な日々だった。ただ、余りに暇すぎてやる事も無かった。そんな日はエイダを連れて遊びに行くのがゼルとエイラ夫婦の日課だ。そしてそれは五輪男にとっても重要な意味がある。


「今日は複数とやりあう手段の確認だ」

「あぁ」


 ゼルと五輪男は長めの木刀を持って対峙していた。ゼルの周りには太陽王の近衛騎士団やゼルのエリートガードが選りすぐられた腕利きが揃っていて、同じ様に木刀を持っていた。

 この世界での接近戦は剣での戦いとなる。そんな現場に五輪男を出せば腰が引けて大怪我をする。ソレを防ぐ為に始めた事だったはずなのだが……


「じゃぁ、遠慮なく掛かって来てくれ」

「よし!」


 基本的に日本の警察官と言う存在は、つい最近まで武道を必修としていた。軍隊とは違う意味で腕っ節の強さが要求される上に、上下や対人と言う意味で礼節を教育されると言うのは大きなアドバンテージだったからだ。

 五輪男にとっての武道とは剣道だった。実家の隣家が剣道家で道場持ちと言う事もあってか、物心付いた頃から剣道の修練を重ねていたのだった。警察官採用試験の段階で既に剣道四段の腕前となり、県警剣術大会で四年連続優勝を飾る実績だった。

 

 つまり。


「そりゃ!」


 掛け声と共に襲い掛かるゼルの剣を軽くいなし、その上で周囲から続々と襲い掛かってくる剣を弾くか、またはいなしつつ相手につけ居る隙を与えない立ち回り。鋭い踏み込みと共にゼルへ一閃を打ち込み、返す刀ですぐ脇にいた近衛騎士団の騎士を打ち据えつつ、自分は一所に留まらぬ足運びを見せる。

 突き抜けた実戦剣術のようで形と足運びは一定のリズムを見せる。そんな五輪男の剣術にゼルたちイヌが良いように翻弄された。木刀とは言え一太刀たりとも五輪男は浴びていない。


「いやいや。参ったな」


 肩で息をしながら五輪男を見据えるゼルたち。

 五輪男は皮袋の水を飲みながら一息入れた。


「技術体系が全く違うからやりにくいだろ?」

「あぁ。動きが予想できない」

「実は俺もなんだ。俺が今までやって来た剣術とは全く違う」


 手ぬぐいで汗を拭うゼルが溜息を漏らす。

 ゼルから見たワタラは汗一つかいていない。


「ワタラも汗くらい流せ」

「流してるさ。こう見えても背中は冷や汗でびっしょりだ」

「ウソつけ!」


 笑い声の響く広場のなかへ近衛騎士が入って来た。

 紫檀色に染まった長い袋の紐を解くと、中から見事な装飾の太刀が姿を現す。


「ワタラ殿。如何か?」

「検めさせていただく」


 騎士や騎兵の持つブロードソードは振り回す使い方が基本となる関係で基本的に重量過多の傾向が強く、五輪男には重すぎて使い切れなかった。基礎的な膂力が全く違う関係で、剣の遠心力や反作用に弾かれてしまうのだった。

 故に、五輪男はレイピアを愛用した。ゼルの影武者として暗殺対処や小規模侵入者対策をするなら、実はこっちの方が使いやすい部分もある。だが、両刃と言う構造は和式剣道を学んだ人間にとって危険極まりない代物だ。

 なにせ、刃の峰に手を当てて太刀を扱う事がある関係で、過去何回かは掌を激しく切ってしまうことが有った。その為、シウニノンチュの刀工に依頼して日本刀造ともいえるレイピアの製作を依頼していたのだった。


「うん。思ったより余程良い。五年目にしてやっと納得の行くモノが出来たね」


 そう。実はここまで五年の歳月を浪費していた。この世界に元々無かったものを作り出すと言うのは、口で言うほど簡単なことでは無い。イヌの国から遥か遠く東の方へ進んだエリア。五輪男は話でしか知らないエリアには、和風の文化を持った種族がいるらしい。

 イヌの口から出る話を総合して考えれば、それは日本文化が色濃いと言う判断になるのだろうけど、彼らイヌにしてみればそれは全く異質な文化そのものだ。剣を交え闘う騎士や戦士にしてみると、想像を絶する切れ味を持つ彼らの戦闘太刀は脅威の一言に尽きるらしい。

 事実、プレートアーマーごと腕を切り落とされたとか、足を完全に断たれたとか。恐ろしい事に兜を被っていた騎兵が兜ごと頭蓋を切り落とされたと言う話も有った。


 その話を聞くにつけ五輪男はニヤリと笑いつつ『その剣を入手できないか?』と言ってきたのだけど、イヌの職人にしてみれば自分達の技術よりも『東方の蛮族』が持つ武器のほうが高性能という評価は受け入れ難いモノが有ったのだと容易に想像が付く。

 ならば、それに比肩するものを拵えて欲しいと依頼するのは自然な流れ。それに応えるようにイヌの刀工たちはその東方の蛮族が持つ太刀を調べ上げ、同じ製法で同じ剣を作り上げた。


「重心がイメージした通りだし、なにより軽いのが良い。重いと振り回し難い」


 一(しき)り剣舞を踊ってからイメージに沿って剣を振る。繰り返し聞いてきた言葉が脳内に再生される。水はもっとも合理的な動きをする。流れに逆らわない。ただ、弱いところは必ず突く。形に合わせ器にあわせ、水はどんな事でも厭わない。


「上手くやろうとするな。自分の思うようにやるな。流れに沿うんだ」


 口を付いて出て来る言葉を聞きながら、ゼルたちは五輪男の舞いを眺めた。

 彼らは黙って見ているだけだった。力だけならヒトとイヌは勝負にならない。しかし、刃ものを持たせて闘うなら、五輪男は少々の剣士に負けないだけの実力が有った。

 

「そんな事が出来るのはお前だけだよ」


 笑いながら言うゼル。

 剣を納めた五輪男も笑った。


「土壇場の強さはワタラの方が一枚上だな」

「あんまり褒めても何も出ないぜ」


 快活な笑い声を飛ばしあう二人。

 その脳裏には数年前の出来事が思い浮かんでいた。






■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 


「1」





 五輪男がワタラとしてゼルの影武者を務める様になって最初の夏。

 イヌの統一国家ル・ガルを取り囲む諸国だけで無く、じつは国内の有力貴族や豪族などが次々と刺客を放ってくると言う理解しがたい事態にワタラ――五輪男は直面していた。


「どういう事なんだ?」


 シウニノンチュのチャシ内で返り血を浴び、五輪男は腰を抜かしていた。予想外の事態に直面し、立体的な事情を飲み込めずに居たのだ。

 信じられない事だが、チャシの中に居たイヌが問答無用で五輪男へ斬りかかってきたのだ。咄嗟にテイクバックしながら腰に下げていた儀礼用のレイピアで応戦したのだが、身体に染みこんだ日本刀の使い方を咄嗟にやってしまい、左の手を深く斬ってしまっていた。


「簡単さ。俺が死ねば代わりをエイラに宛がう。そして子供を生ませる。だが、その父親はアージンの子孫じゃ無い。つまり、アージン朝は倒れ新しい父系王統が誕生するのさ」


 ゼルは五輪男の手に簡単な治療魔法をあてた。その効果に五輪男はもっと驚く。

 だが、その魔法効果と同時に聞くル・ガルの真実に目眩を覚えるほどだった。


「つまり、合法でクーデターって事か」

「くーでたー?」

「王朝を乗っ取って国ごと盗むって事だ」


 傷が消えるほどでは無いが、痛みも流血も止まり、満足に動く様になった手を五輪男は眺めた。


『ご名答!』


 ハッ!と笑ったゼルはエイラを抱き寄せ五輪男を見た。


「俺の女は太陽王の直系なのさ。女系じゃなく男系王統できてはいるが、子がなければ仕方がない。やむを得ず女王を立て、それに自分の血統を送り込みたい奴は山ほど居るのさ」


 楽しそうに笑うゼルはワタラの切り捨てた刺客の遺体を蹴った。


「王父として、国父として、絶大な権力を握りたい。そう夢見る奴が無駄に金を持っているとこうなる。まさかコイツもワタラがこれほど強い剣士だと思わなかったろうな」


 チャシ内部を管轄とする騎士団の長が直々に遺体の見聞を始めた。どこか緊張していて動きが堅い。その様子を見ながら、エイラもまた身体を固くしている。


「しかし、最初からワタラ狙いってどういう事?」


 エイラの問いに騎士団の長は目を合わせず答えた。


「ゼル様を狙いたくてもワタラ殿が余りに似ている為、刺客を送り込み難いのでしょう。紛らわしい身替わりを先に処分したかったと言う所ではないでしょうか」


 その言葉にゾクリと寒気を覚える五輪男は、自分の身体から滴り落ちる返り血に吐き気をこらえた。そして、警察官である自分が人を殺したという事実が眩暈を引き起こす。

 自分が殺人犯に堕ちた事を恥いるのだが、ゼルもエイラも平然としていた。例えて言うなら偶然見つけたゴキブリを追い詰めて力一杯ブッ叩いた後の爽快感に酔ってるような、そんな表情だ。

 そして、 


「ワタラ。次は出来れば生け捕りにしてくれ。チョッカイを出した者が誰なのか知りたい。難しいだろうけど、頼む」


 と、無理難題を平気で言い出している。

 そんなゼルを見ながら、五輪男は改めて自分たちがとんでもない所へ来てしまったのだと思い知らされた。

 例えそれが正当防衛であったとしても殺人は肯定出来ないし、してはならない事だという常識の中で育った五輪男なのだから、その忌諱感は計り知れない部分がある。

 だが、この世界では人など簡単に死ぬし、殺し合うし、殺されてしまう。ふと、生類哀れみの令を出した徳川将軍の気持ちを五輪男は理解した。


「ゼルやエイラは年中こんな目にあってるのか?」

「年中は大袈裟だけどまぁ月に一度はあるかな。すっかり慣れっこさ。返り討ちにする事も多いし」


 どこか緊張した声の五輪男がおかしかったのか。エイラは声を上げ笑った。

 

「そんなに驚かないでよ。これも日常の出来事なんだから、慣れた方が楽よ。きっとね」


 何の疑問も挟まずに言い切ったエイラ。その姿に改めて衝撃を受ける五輪男。隣であれこれ指示を飛ばすゼルの心は、既に一人の人間が死んだことなど忘れたかのようだった。


「なんだか……」


 五輪男はぼそりと呟く。


「どうしたワタラ」

「俺はここでやって行けそうにない」

「は?」


 青ざめた表情の五輪男はジッとゼルを見た。


「なにを冗談飛ばしてるんだ」

「いや。冗談じゃ無いんだ」


 廊下にへたり込んだまま呆然としていた五輪男は、騎士団長の手を借りてようやく立ち上がった。女官が幾人かやって来て、五輪男の羽織っていた上着を受け取り、汚れていない肩掛けを置いて行く。

 あたかもそれが日常の光景であるように、今ここで人が死んだと言う事実が急速に過去の事に。いや、無かった事になって行くオペレーションを受け入れがたかった。


「俺は社会正義を護る為の仕事をしていたんだ。人を殺すことが最も禁忌とされる社会で、人を殺したものを探し出し、それを捕らえ、そして法に基づいて罰していく作業の執行官だったんだ。その俺が人を殺してしまっただなんて……」


 ここに来てゼルやエイラはワタラ――五輪男――の衝撃の中身を察し得た。ただ、理解したかと言うと、それはどうも微妙と言わざるを得ない。なぜなら、ゼルやエイラにしてみれば、いま目の前で五輪男の行った行為こそ、この世界の社会正義を護る為の作業そのものだ。


「なぁワタラ」


 ゼルは少し考える風にしてから切り出した。


「もし、今ここで死んだ男が、俺を殺したとして、そしたらそれはお前の言う禁忌じゃ無いのか?」

「その通りだ」

「では、それを未然に防ぐ事も大事だと思わないか?」

「勿論だよ。だからヒトの世界では法があり、それを守らない者は罰される。法を犯した者も罰される」

「そうしたら、殺された者は生き返るか?」

「は?」


 ゼルは真っ直ぐにワタラを見ていた。その眼差しの強さに五輪男はやや気圧される。


「法ならこの国にもある。先王トゥリが心血を注いで作り上げていったからな。この国の人間だって法を守る事は当たり前のことだ。きっとお前の言うヒトの世界と変わらないと思う。そしてもう一つ同じ事がある。死んだ人間は生き返らないってことだ。どれ程魔法が凄くても傷を癒す事程度しか出来ないんだ。死んだらお終いなんだよ。わかるだろ?」


 五輪男は僅かに首肯する。


「じゃぁ、殺されかけた物は抵抗してはいけないのか?殺す気で来ている相手を止めるには殺すしか無いだろ? ソレですらもヒトの世界では罪なのか? 自分や自分以外の誰か大切な人や、心から愛する人を守るために刺客を殺すのは。職業として人を殺す存在を殺すのも罪なのか?」


 正当防衛の話をしているのだと五輪男は思い至る。勿論それはどの世界へ行ったとしても、概念として大して変わらない事なのだと理解は出来る。ただ。


「勿論それは考慮の範疇だよ。人が人を殺すなら、そこに情状酌量の余地があると判断し、罪ではあるが罰しないと言う結論に至っている。殺す事は悪いことだが、殺そうとした方はもっと悪い。だから、因果の応報として殺される事になったと考えたんだ」


 ゼルはわが意を得たりと頷く。


「それと一緒じゃ無いか?」

「一緒だが中身が違う」

「ちがう?」

「そうだ」


 五輪男はゼルとエイラに自分の手を見せた。


「法と秩序を守るべき俺が自分の手を汚したんだ。最も清廉潔白であるべき法の執行者が汚れたんだ。それを俺は……恥じているんだ」


 五輪男の抱える精神的な重荷の理由をゼルとエイラがやっと理解した。しかしながら、それは彼らにとっては子供の理屈的な、とても幼稚な事に見えた。自分の身を自分ではなく社会正義で守ると言う『他人任せの愚かさ』の解釈で五輪男との間に大きな齟齬があるのだった。

 これがもし、日本人以外の国民などであったら、それほど衝撃を受ける事は無かったのだろう。だが、五輪男は紛れも無く日本人であった。法と秩序の番人を自負する者にとって、言い訳がましい屁理屈を捏ねて自らの罪の正当化を図るのは受け入れがたいことだった。


「ねぇワタラ」


 徐に切り出したエイラはワタラの手を取った。

 柔らかくて温かい手だ。五輪男の手に温もりが伝わる。


「あなたが探す人が目の前で殺されかけていても、あなたは同じ事を言う?」


 五輪男は首をかしげる。


「例えばの話よ。真に受けないで。例えばだから」


 エイラは念入りに前提条件を再確認した。


「あなたが探す奥さんが何処かに奴隷として捕らえられていて、男に売られる慰み者にされていたり、或いは、辱めを受ける立場にいるとして、あなたはそれを助けようと思わない?」


 五輪男の表情に隠しようの無い不快感が浮かぶ。

 だが、エイラは遠慮なく畳み掛けた。


「この国ではね、手を出されるような事をした方が悪いの。そして、それについて文句を言う者は馬鹿にされるの。良い?良く聞いて。自分の身は自分で守るの。相手がどうなろうと自分で守るの。そして、大切な人を守るために戦うのは尊い事よ。自分より弱い人、弱いもの、弱い存在のために戦う事は称賛される事なの。それがこの世界の常識なの。あなたはとても優しくて思慮深くて寛大で、そして自分に厳しい。だからお願いよ。あなたが守るべき存在に私やゼルを加えて。あなたが探し出したい一番大切な人の次で良いから」


 エイラはワタラの手を自分の胸に当てさせた。若い婦人の、それも人妻の胸に触ると言う行為に五輪男は一瞬あせる。だが、エイラは一切の逡巡無くそれ行った。


「もしそうしてくれるなら、私やゼルはあなたの変わりにあなたの一番大切な人を探す努力をするから」

「え?」

「この地域で一番上に近い私達よ。大体なんでも出来るから。この地域に落ちたヒトの女は全部ここへ差し出せとふれを出せば済む事。その全てを私達で買い取ると言えば、誰だってここへ連れてくる。そうよねゼル」


 エイラの言葉にゼルが頷く。


「あなたがあなたの最も嫌う罪を犯すのは私やゼルの為。そして、一番大切なヒトを探す為。そう割り切って。お願いだから。あなたが苦しむ姿を私は見たくない」


 エイラの眼差しは深く真っ直ぐに五輪男を見つめるのだった。


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