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 ガルディブルク城の一室でカリオンとゼルが刺客と死闘を繰り広げている頃、カウリの私邸にフレミナの長フェリブルがやって来ていた。カウリの正妻ユーラはフェリブルの従兄弟に当たる。

 少々と言うには些か語弊がある100歳も歳の離れた従兄弟ではあるが、それでもすっかり遠くなってしまったフレミナの里を思い出し、ユーラの心はつかの間の里帰りをしていたのだった。


「ユーラも大変だな」

「なにが?」

「帝王二代の宰相を勤める男が夫だからな」

「それは仕方が無いわよ。それに、これはこれで楽しいわよ?」


 ウフフと笑うユーラには、まだ余裕があった。


「トウリはまだ城か」

「えぇ、ノダ帝と共にいるはずよ」

「ならばそろそろ出会う頃だな」

「出会う?」

「そうだ。トウリの妻にと育ててきた娘を連れてきた。ワシのひ孫に当たるんだがな。血統は申し分ない。黒耀種の妻としても雑種にならん筋だ。それに……」


 フェリブルの目がユーラをジッと見た。


「ユーラと同じく、この50年、トウリの妻になると言って育ててきた。本人もその辺りをよく飲み込んでいる。あれはきっと良き妻になる。ユーラの様にな」


 外連味無くユーラを湛えたフェリブルは、グラスに残っていたワインをグッと飲み干して、小さく溜息をついた。


「何処の馬の骨か解らぬ輩の産んだ娘が次期帝の后とはなぁ……」


 ボソリと漏らしたフェリブルの本音にユーラの表情が曇った。重い沈黙が続き息苦しいほどに不自然な緊張が続く。だが、その言葉の後を継いだのは意外なことにカウリだった。


「カリオンが居なければ次期帝は我が息子トウリだった」


 静かに部屋へと入ってきたカウリは、それっきり言葉を発さず椅子へと腰を下ろした。どこか不自然な緊張を漲らせているカウリに何かを察したのか『ボトルを持ってきますわ』と言ってユーラは部屋を出た。


「よく出来た女だ」

「トウリにも同じレベルを宛がっておくさ」

「あのバカ息子には過ぎた女房になるかもしれんぞ」

「それでも良いさ。それに」

「ワシと同じで、女房の方が余程力量がある夫婦は上手くいく」

「……そうは言ってない」


 顔を見合わせクククと笑ったカウリとフェリブル。


「お主が王であれば、どれ程良かったことか」

「それは言うな。ワシは太陽王の器では無い。シュサ帝の苦労をつぶさに見てきた故に、嫌という程よくわかる」

「だが、肩書きが人を育てる事もあろう」

「ならば次の世代に夢を託すのも良いとは思わぬか」

「……本気か?」

「わし一人では出来ぬ故に……な」


 カウリの目に一瞬だけ野望の炎がわき上がる。だが、その炎はすぐにパッと消えてしまった。


「てて様」

「おぉ! イワオか どうした」


 好々爺の表情になったカウリとフェリブルはイワオを手招きした。


「おやすみなさい」

「おぉ、もうそんな時間か」


 イワオの頭を撫でたカウリは心底慈しむようにしている。その姿に不思議な物を感じたフェルブルだが、あえて黙っていた。


「まだレイラは帰らぬが、一人で眠れるか?」

「はい!」


 ニコリと笑ったイワオはフェリブルにもぺこりとお辞儀をして部屋を出て行く。その後ろ姿を見送ったフェリブルは、怪訝な顔でカウリを見ていた。


「まるで息子の如しだな」

「……ワシは実の息子だと思っている。そう接してきたし、それが正しいと思っているからな」

「……ヒトだぞ?」

「だから良いんじゃ無いか」


 クククとこもった笑いを浮かべたカウリは迫力ある笑みを浮かべ、睨めるようにフェルブルを見つめた。


「ヒトはどういう訳かイヌよりも名誉を重んじるし義理を大切にする。大事に育てておけば、いつかワシの身代わりに死ぬかも知れぬ。そう言う意味ではな……」


 カウリの浮かべた『悪い顔』の中身を垣間見たフェリブルは、また違った意味でニヤリと笑った。


「なるほど。それは一理あるな」

「だろ」


 顔を見合わせ笑みを浮かべる二人。

 そこには悪巧みをかわす悪人が居るのだった。


「まぁ、お主はこれから責任も重くなろう」

「今でも充分重いが?」

「それは今夜までだ。明日には更に重くなる」

「……今夜?」


 フェリブルはニヤリと笑ってワインを口へと運んだ。


「そう。今夜さ」


 ワインでしめらせた口をパクパクと動かして何事かを言ったフェリブル。声は出ていないが、その口の動きを見ていれば何を言ったのかは分かる。カウリの表情が一気に険しくなり、眉間に皺が寄った。


 ――上手くやれ…… カリオン…… 死ぬなよ……


 心の中でそう祈るしか出来なかった。間違いなくフェリブルは刺客を送り込んだはずだ。それもカリオンとリリスを殺す為に。カウリの脳裏にふと、レイラとリリスの笑顔が浮かぶ。それを頭から追い出すように振ると、もう一口、ワインを飲み込んだ。


「どうした? 今さら娘が恋しいか?」

「馬鹿を言え。失敗するんじゃないかと思ったのだよ」

「失敗などする筈が無かろう。今宵送り込んだのはフレミナの切り札だ」

「切り札だと?」

「あぁ」

「問題ないのだろうな?」

「カウリが我々を裏切らぬ限りな」


 フゥと小さく息を吐いて窓の外を見たフェリブルは、城の一室の明かりが瞬いている事に気が付いた。明かりの前を人が横切れば明滅するのだろう。つまり、部屋の中では乱闘が起きているのかもしれない。


「順調のようだな」

「そうでなければ困る」


 フェリブルに釣られ城を見たカウリ。明かりが明滅するそこは、カリオンとゼルが休む私室の場所だった。そこにはレイラとリリスも一緒にいるはずだ。ノダは玉座近くの王私室で公爵家の当主らと酒宴に興じているはず。つまり、誰にも気が付かれずに……


「完了するまで気は抜けん」

「おぬし、案外小心者だな」

「心配性と言え。そうでなければ帝王の宰相は務まらん」

「たしかに、宰相の責務は重いな」

「しかも、ワシはこれから帝王を裏切ろうとしているのだぞ」

 ちょっと不機嫌そうに吐き捨てたカウリは城の方向をじっと見ていた。


「心配するな。全て上手く行くさ」

「そうでなければ困ると言うておろう」

「そんなもんかも知れ……


 フェリブルが何かを言おうとした時だった。城の部屋の一室から一瞬明かりが消えたのが見えた。そして、何かとても大きなものが部屋の中に現れたのがシルエットで見えた。


「なんだあれは?」


 そう呟いたカウリに釣られ城を見たフェリブルだが、その大きな影が動く事程度しかカウリの私邸では見る事が出来ない。距離のありすぎる城の事だから想像で補うより他ないのだが、常識的に考えてあんな姿をした生き物など居ない筈。

 僅かな間、呆然と見ていたふたりは城の方から何か妙な物音を聞いた。まるで猛獣が吠えたかのような轟きだった。


「今のはなんだ?」


 驚きに満ちた顔でフェリブルを見たカウリは、もう一度、城の方を見て目をこらした。かつてはもっと見えたはずなのだが、今はすっかり目も老いてきたようだ。


「あそこには例のゼルのフリをしたヒトとカリオン以外に何か居るのか?」

「他にはなにも居ないはずだ。ゼルの代わりをしているヒトが何も連れ込んでなければな。それこそ、フレミナがゼルを殺そうと散々送り込んだ刺客対策で腕の立つ者を雇っている可能性は否定出来ないが……な」

「その場合は面倒な事になるな」

「ワシに裏切らせた以上、出来ませんでしたで終ってもらっては困るぞ」


 どうしてくれるんだとでも良いそうな目で見ているカウリ。フェリブルは暗闇に目をこらし城を見ている。その直後、城の方から何かが飛んできた。それが何であるかを認識する前にその塊はカウリ卿の邸宅中庭に落下した。

 幸いにして目撃者は誰も居ない。中庭に歩み出たカウリとフェリブルは思わず息を呑んだ。そこには全身から血を流し、原形を留めぬほどの殴打を受けたと思われるイヌの死体があった。


「どうやったら……」


 それ以上の言葉が無いカウリ。その死体は余りにおかしな死体だった。棒や鈍器やそう言った凶器で殴られたなら、その打撃点を中心に傷が残るはずだった。しかし、この死体にはその打撃痕が一切無いのだ。

 それこそ、巨大な力で身体ごと壁に叩き付けられるとか、或いは高いところから連続して床に叩き付けられるかのような……


「身体を鞭にして壁に叩き付けたかのようだな」


 片膝を付いて死体を検めたフェリブルは、息を呑んでそれ以上の言葉を吐けなかった。一体何が起きたのかを理解するには余りにも情報が少ない。そして、遠く城から飛んできた死体は完全に絶命しきっている。


「暗殺は失敗したと見て間違いないな」

「あぁ。残念ながらな」

「あれだけゼルを狙ってしくじったんだ。今更失敗したところで驚かんさ」


 スパッと言い切ったカウリは心底呆れるような眼差しだ。フェリブルは目を会わせる勇気が無かった。だが、片膝を付いたまま刺客の覆面を剥がしたフェリブルは肩を震わせる。


「……フェリペ」


 ボソッと呟いてガックリとうなだれたフェリブル。その背中をこれ以上無く冷たい眼差しで見たカウリは、内心でニヤリと笑う。それは間違いなくカリオンとゼルは上手く対応した証拠だろう。こんな所まで死体を弾き飛ばしたのはウィルの使った魔法の影響だと考えた。


 ――やはり、あの親子は強いな……


 自分の目が間違いなかったと安堵するカウリ。そんな事を露知らず、フェリブルは言葉を失って刺客の死体を検めていた。


「恐ろしく強い力で叩きつけられたのだな。碌に抵抗できないまま壁に突き飛ばされたかのようだ。おそらく最初の数回で絶命している。その後も執拗に攻撃を加えられたのやも知れぬ」


 フェリブル子飼いの部下なのだろうが、カウリにしてみればそんな事は関係ないし、知った事でもない。そして、ここは手を緩めるわけには行くまいと奮い立つ。


「フェリー。このザマは一体どういうことだ?」


 ゆっくり振り返ったフェリブルだが、その目の前に立つカウリのただならぬ気配に軽く戦慄していた。カウリは不機嫌を通り越し怒りを噛み殺したような殺気を放っていた。


「フレミナの切り札とはこの程度なのか?」

「……いや、これは相手が予想よりも――


 何とか言い繕う素振りを見せたフェリブルだが、カウリはピシャッと言った。


「結果として負けた以上、言い訳は聞きたくない」


 これ以上なく冷たい口調になったカウリは、転がる刺客の死体を一瞥すると、懐からハンカチを取り出して顔へと掛けた。


「フェリー。とりあえずこの死体を大至急何とかしてくれ。ノダ帝への背任を疑われるとワシは立場がなくなる。それと、安易な方法で亡き者にしようとするのは金輪際止めてくれ。次に失敗した時、ワシは警備の不備を追及される事になる」


 詰問するように冷たく通達するカウリは、今にも死体へ唾を吐きかけるような勢いだ。フェリブルは手の者を呼び寄せ何処かへ死体を運び去った。そして思案に暮れたのだが……


「カウリ。ちょっと手を変えたいのだが」

「変えるだと? 何をだ?」

「ここでは話しにくい。場所を変えよう」


 フェリブルはフレミナの馬車へとカウリを誘った。ふたりして屋敷を離れ馬車は何処かへと走ってゆく。その車内、我慢ならずといった風にカウリは話を切り出した。


「いったい、どういう手を使うというのだ」

「こっちが有利な場所へカリオンを引き出したい」

「どうやって?」

「それについては腹案があるが、それよりカリオンを殺した後だ」

「と、いうと?」


 フェリブルはやや怪訝そうにカウリを見た。


「トウリに宛がった女だが、物心付いた頃からトウリの妻になるのを良い含めて育ててきた女だ。ノダに宛がおうと思った女はノダが妻を娶らぬと言い出したあと、可愛そうにおかしくなってしまってな。最後は滝から身を投げて自ら命を絶った」


 力なく首を振ったカウリは『なんと哀れな』と呟いた。


「だから、トウリの妻にと育てた女はそうしたくないのだ。なにせ、この私の孫に当るからな。あの子には人並みの幸せを掴み取って欲しい」


 ウンウンと首肯するカウリは腕を組んでジッとフェリブルを見た。

 話の続きを催促されていると思ったフェリブルは、静かに話を切り出す。


「まずトウリに婚約をさせて欲しい。それから……


 フェリブルは淡々と手順を語っていく。簡単に言えば、トウリを結婚させたうえで、次期帝にマダラを就けるべきでないと誘導するべく論陣を張って欲しいとの事だった。そして、カリオンを自死へ追い込む手法だった。


「ル・ガルは帝王にアージンの当主が就き、その妻にはフレミナの女が入るのが伝統だった筈だ。アージンとフレミナの和合がル・ガルの根幹だった。それがノダの治世で終ってしまうのが怖いのだよ。我々フレミナは」


 この男は本気だ。そう悟ったカウリはやや不機嫌を装って身長にフェリブルの話を聞き続けた。きっとどこかで何かボロを出す。そんな確信があったからだ。だが、そんなカウリを余所に馬車はガルディブルク城の車寄せへと入っていく。


「登城の確認は入れてあるのか?」

「いや? そんなモノは無いが?」


 カウリの顔を見たフェリブルは『お前がなんとかしろ』と言わんばかりだ。


「やれやれ。参ったな」


 頭を掻きつつ馬車を降りたカウリは問答無用で玉座の間へと続く回廊を歩いた。宰相である以上城の中は何処へ行こうとフリーパスなのだ。その後ろをフェリブルが続き、一行は階段を上がってノダの居室へと近づいていく。


「謁見するかね?」

「あぁ」

「面倒は起こさないでくれよ」


 涼やかに笑ったカウリはフェリブルへ釘を刺した。そんなカウリへ曖昧な返事を返したフェリブルだが、その声を聞きながらカウリは『試されている』と直感していた。


 ――さて…… どうするか……


 思案しつつもまだまだ訪問者の余韻が残る城内を行くカウリ。玉座の間へと続く回廊を進みノダの私室へと入った時、室内では残っていた公爵5家の当主がノダ帝を囲み、笑いながら夜酒に興じていた。

 皆が思い出していたのは、馬上で勇ましい姿を見せていたシュサ帝。常に先陣に立ち、兵を鼓舞し、貴族も平民も分け隔て無く接してきた稀代の武帝であった。


「古き佳き日々になってしまったのだな……」


 ボソリと呟いたダグラス卿は溜息と共に酒を煽った。少々強かに酔ってきた皆は笑い上戸になりながら酒を酌み交わし、そしてこれからのル・ガルを思う。この国家がこの世界最強の国家であると、どこか思い上がっていたのだと自嘲しつつも、やはり最強である事には変わらない。そして、この繁栄が永久に続く為にはどうすれば良いのか。国家を導く重責というのは、今も昔も変わらないのかも知れない。


「おぉ! カウリ卿!」


 最初にカウリを見つけたのはアッバース家の当主であるサルーフだった。


「後ろは…… なんと!」


 そのまま言葉を飲み込んだアッバースの当主は怪訝な眼差しでフェリブルを見ていた。勿論、ダグラス卿やセオドア卿も怪訝な目で見た。いや、怪訝と言うより敵意溢れる目と言う方が正しいだろう。

 ノダ帝の思い人を抹殺したフレミナの男がここに来ている。それだけでただならぬ空気が漂うのだった。


「ノダ帝。突然の訪問。申し訳無い」

「……いや、わざわざ城まで来られたのは、いかな用件か?」


 のっけから剣呑な雰囲気で始まったノダとフェリブルの直接対決だが、緋耀種の頂点に立つレオン家の主、セオドア卿は今にも剣を抜いて斬り掛かりそうなほどに殺気立っていた。


「遅きに失したが、まずは帝位の践祚を御祝申し上げる」

「……それは誠にかたじけない」


 相手の腹を探りながら言葉を交わすふたりは当たり障り無いところから話を切り出した。帝国三百年の歴史はアージンとフレミナの壮絶な権力闘争史そのもの。隙あらば帝位簒奪を狙ってきたフレミナは油断ならぬ相手だ。この場にいる公爵家の当主たちはみな、同じ認識で一致していると言って良い。


「さて、今宵の宴席に御邪魔した用件は他でもない。先にスペンサー家のご令嬢が事故で亡くなった件は残念であった。が、フレミナ家にも女はいる。どうだろう。いまから妻を娶られぬか?」


 事も無げにサラッと言い放ったフェリブルの言葉に一番強く反応したのは、他でもないスペンサー一族の長、ダグラス卿ことジョージ・スペンサーだった。


「随分と簡単に言ってくれるが、あの事故は色々と疑惑も多い。まぁ、死んでくれて都合の良い向きもあるだろうが……」


 強く叱責するでもなく淡々と言うダグラス卿だが、その手は硬く握られている。僅かに見えるその仕草に、皆がスペンサーの持つ静かな怒りを感じ取っていた。


「妻を何人娶ろうと決まりがある訳ではあるまい。現にサウリクル卿などは妻が四人もおる。ワシとて妻はふたりなのだから、まぁ、一人や二人多くとも問題はあるまい。が、問題は誰が正妻か?と言う事だ。その順序を思慮深く捉えるならば、悲劇も或いは起こらなかったかも知れぬ」


 フェリブルの言葉が切れた時、部屋の中には一切の音が無かった。その部屋にいた誰もが数々の修羅場を潜った歴戦の騎士でもあるのだ。誰かが最初にアクションを起こした時、目に捉えずとも音を聞けばすぐに解る。

 故に、誰も全く動かなかった。身じろぎ一つせず部屋の中を観察していた。フェリブルは遠まわしに犯行を認めた事になる。この場合は最初に動くのは間違いなくスペンサーか、若しくは不正や卑怯を嫌うレオンのどちらかだろう。


「……そうか、ワシの選択が愚かだったと言う事か」


 その静寂を破って言葉を発したノダ帝は、上目遣いにフェリブルを見た。やや目を細め、射抜くような眼差しで捉えていた。


「愚かな選択と言うモノは誰にだってある。ワシも後悔の種なら数え切れぬほどだよ。だが、ここから先に賢明な選択をするなら、或いはその後悔もいくつかは改善されるやもしれぬ。どうだろうね?」


 部屋の中に何かが壊れる音が響く。何が壊れたのかは誰にもわからない。少なくとも、いま現状でフレミナの主と帝王が戦わす眼差しの争いから目を離す余裕は無かった。


「ワシは寡婦(やもめ)で帝王となった。だが、いまは妻を娶る気は無い。次にまた不幸な事故がおきるのも困るでの。どうやらワシは係わった者全てを不幸にする星の持ち主のようじゃ」


 ひょいと音を立てて盤面をひっくり返したかのようなノダ帝。その振舞いにフェリブルの表情がガラリと変わる。どこかに余裕風をまとっていたフェリブルは、その表情から柔和な成分が一切消えていた。


「では、妻を娶るつもりは無いと?」

「そのとおりじゃな。次期帝にはもう妻がおるでな。無理に跡継ぎを作る必要も無いし、必要とあらば代わりを務めてくれる女もおるからな」


 ぶつかり合う視線からバチバチと火花でも散るかのような、そんな熱を帯びた二人だ。ノダははっきり『もはやフレミナに気は使わない』と通告したに等しい。それはつまり、ル・ガルの中枢からフレミナを排除すると言う意味だ。

 フレミナとアージンの三百年にわたる戦いは、様々な紆余曲折をへて、今ここで最終局面を迎えている。


「妻は無くとも国の政を司る事は出来る。そうじゃないかね?」


 室内の空気が変わった……

 酒宴に興じていた者達は、その空気の変かを敏感に感じ取った。

 ノダ帝は反撃に出た。その裂帛の意思がビリビリと部屋の空気を揺らした。


「……間違いは無いな」

「故に」


 ノダ帝ははじめて笑顔を見せた。その笑みには勝者の色が混じっていた。

 思い人を取られた男と、思い描いた絵を破られた男の戦い。理屈じゃはかれないメンツを掛けた戦いのその第2ラウンドはノダ帝に軍配が上がりかけている。


「余はこのル・ガル五千万余の国民を預かる者として、個人の意思とは関係なく振る舞わねばならぬ時がある。それがどれ程に屈辱的であっても、国民とそれを包む国家という物を守らねばならぬ故にな」


 射貫くような眼差しでフェリブルを睨み付けているノダ帝は、いよいよここで最終局面の一言を言う準備を終えた。公爵家の当主達が見たそれは、目に映らぬ刃をかざしたノダ帝の雄々しき姿だった。


「余の政に協力してくれぬか。優秀な『部下』を一人でも多く欲しいのだ」


 アージンと対等であったはずのフレミナを部下に……

 その一言にダグラス卿やセオドア卿がニヤリと笑う。アッバース家の当主など優雅に組んでいた足を組み替え、今にも『この靴にキスをしろ』と言わんばかりだ。


「……部下」

「然様。国家と国民の為に汗を流してくれる者を、余は一人でも多く必要としている。国家と国民に奉仕する事こそ貴族の本義。それ故に貴族は特権を認められているし、特別な扱いを得られる。国家も国民もどうでも良くて、ただただ自らの家の都合だけで振る舞うような輩はル・ガルの貴族たり得ぬ」


 ノダ帝の言葉の中、言外に『跪け』といわれたフェリブルの右手はギュッと握り締められた。最後の一線は越えるまで解らないものだ。だが、そこを過ぎ去った時には嫌というほどそれを理解する事が出来る。

 暗闇の中から帝室を操ってきたと自負していたフレミナの長は、操り人形がその糸を自らに断ち切る屈辱を覚えた……


「……協力は惜しまない。が、それへの対価は必要となろう」

「貴族に対価などあるわけがない。貴族ではなく商人だと言うなら話しは別だが」

「我がフレミナが商人風情と申されるか?」

「まだ支払いをしておらぬゆえ、商人ではなかろうと言うもの」


 ノダ帝の笑みが一つ深くなった。

 フェリブルには、そう、見えた。


「貴族ならば無償の奉仕や犠牲の提供はあって然るべきだ。現に、ここの公爵緒家らはそれぞれに領地を経営しつつも身銭を切って、国家と国民への奉仕を怠ってはおらぬ。故にそれぞれの領地では名君と謳われる賢人だ。もちろんそれは公爵家を越える大公家なフレミナ家も同じであろうと余は考えるが、フレミナ家は違うとでも申されるかな?」


 静まり返った部屋の中、再び何かが壊れる音が響いた。

 まるで硬いものが割れたかのような、それこそ岩でも割れたかのような音だ。

 長い長い静寂の時が流れる。だが、実はそれも一瞬の出来事だった。


「検討…… させていただくよ……」


 踵を返し部屋を出て行くフェリブルは出口のところで足を止め、もう一度室内へと向き直った。その顔はいままさに戦へ赴く男のようだった。


「夜分遅くに失礼した…… 『ごきげんよう』とあえて申させていただく」


 フェリブルの目がノダを睨み付けた。


「帝王陛下」


 再び部屋を出て行ったフェリブルは、足を止める事無く廊下を歩いていく。その足音を聞きながら、カウリはノダをジッと見た。そして二人はひどく悪い顔になって笑みを浮かべていた。


 ――話が出来ているんだ


 公爵家の当主たちは舞台裏を理解し、そしてノダ帝の深謀遠慮に舌を巻く。思い人を取られた帝王の復讐はここから始まるのだと皆がそう思う中、カウリとノダの二人は黙って頷きあって、そしてカウリは部屋を出て行った。

 部屋の中に残る各公爵たちの目がノダへと集まるも、そんな事を気にせずノダは満足そうに笑みを浮かべるのだった。


「今度こそ滅ぼしてやる」


 部屋の出口を見つめていたアッバース家の当主はボソリと呟いた。フレミナと最後まで戦ったアッバース家にとって、フレミナ家へのリベンジは悲願そのものだ。


「そうだな」

「ノーリ帝の悲願、ル・ガル一統は近い」


 ダグラス卿はセオドア卿と顔を見合わせ薄笑いを浮かべている。

 そんな室内をグルリと見回したノダは静かに言った。


「今度こそ、後顧の憂いを絶ちたいものだな」


 どこか吐き捨てるように呟いたノダの言葉には、隠しようの無い怒りが込められているのだった。

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