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ノダ戴冠 改革の始まり

 10月最初の日曜日。ガルディブルク城そびえる巨岩インカルウシの下に広がる中洲『ミタラス』の広場には莫大な数の人々が集まっていた。ル・ガル最初の統一王ノーリの名を冠した広場には各国の代表者が出席し、戴冠を行うイヌの帝王の儀式を見守っていたのだ。

 太陽の化身として地上に降りてきた最初の神が帝位に就く者を祝福する。そんな言葉を残しているノーリの前例に基づき、新しい太陽王は即位に当って『ある特別な日』を待たねばならない。


「そろそろだな、ノダ」

「あぁ、スマンな。世話になる」

「気にするな。俺はダーの即位も見届けたからな」


 ノダの隣。特別な衣装に身を包んだカウリだが、最近すっかり白くなった口の周りをしきりに弄っていた。それはカウリが気を揉んでいる時に見せる特別な仕草。いまだ広場には姿を見せていないノダとカウリのふたりは天を見上げ『その時』を待った。


 同じ頃。広場の中央からやや離れた場所にカリオンは立っていた。士官学校であるビッグストン兵学校の儀礼衣装に身を包み、在校生の全てを率いるかのような振舞いでだ。

 カリオンの隣には旅団長の座に就いたジョンが立っていて、まるで側近であるかのようなその姿に、広場へと並んでいた者は将来の帝王とその宰相がそこにいると思っていた。

 ただ、その二人の会話と言えば……


「チッ…… 飽きた。早く終わんねーかなぁ」

「もうちょっと我慢しろって」

「いーじゃねーかよ。紙に一枚サインしてはい終わりってな」


 相変わらずなジョニーを宥めるカリオンは居並ぶ出席者の手前、大袈裟に笑うわけにも行かず僅かにはにかんだ程度だった。


「なぁエディ」

「ん?」

「俺が言うのもなんだけどよぉ」


 ジョニーは目だけでカリオンを見て、小声で話かけている。


「次期帝って肩書きは伊達じゃねぇよな」

「なんだよいきなり」

「なんかよぉ」


 ジョニーは目だけで周囲を確かめてからカリオンの耳元で囁いた。


「おめぇと一緒に並んでると、なんかすげぇ誇らしい気分になる」

「……は?」

「おめぇは…… やっぱしノーリの血を引いてんだよ」

「なに言い出すんだいきなり」

「おめぇは帝王になる男だ。その隣にいる。いや、いられる事が誇らしい」


 ジョニーはグッと胸を張った。


「ネコの国へ行ったんだろ?」

「あぁ。そんで、ネコの女王の夫に会った」

「ウリュール公だろ?」

「あぁそうだ。凄い男だった」

「凄い?」

「あぁ。父上が『凄い男だ』って言った数少ない一人だ」

「……へぇ」


 カリオンより頭一つ大きいジョニーは横目でチラリとカリオンを見た。その視線にカリオンも目を返した。交差するふたりの視線が万の言葉を交わす。


「だけど…… やっぱおめぇは王の系譜なんだよな」

「今日のジョニーはどっか変だな。なんか悪いもんでも喰ったか?」

「エディ……」

「なんだ?」

「これはノダ公じゃなくておめぇに言う言葉だ」


 カリオンは首を横へ向けジョニーを見た。そこにはひどく真面目な顔をしたジョニーがいた。真顔になってカリオンを見ているのだった。


「慈しみ深き全能なる神よ 我が王を護り給え 勝利をもたらし給え」


 驚きの表情を浮かべたカリオンはジョニーをジッと見た。


「俺の王はお前だけだ」

「……あぁ。わかった」


 ニヤリと笑ったカリオンとジョニー。そんなふたりを照らしていた太陽がスッと翳り始めた。この日、王都ガルディブルクは皆既日食の日だったのだ。ゆっくりと明るさが失われていき、街の中では虫たちの歌声が流れ始めた。

 昼の筈の時間帯がまるで夜の様になり、空にはフレアだけを光らせる太陽が浮かんでいる。その姿はまさにウォータークラウンのようで、そしてそれは太陽王を示すアージン一族の紋章でもあった。


「王よ!」


 いつの間にか広場へ出てきていたカウリが叫んだ。その声に続き、騎兵の角笛が響いた。騎兵が一斉に槍をかざし、重々しい音が広場へと響いた。その音が静まった時、広場の中心へ進み出たカウリは太刀を抜き天へとかざし歌い始めた。



 ――あぁ慈しみ深き全能なる神よ

 ――我らが王を護り給へ

 ――勝利をもたらし給へ

 ――神よ我らが王を護り給へ

 ――我らが気高き王よ 永久(とこしえ)であれ

 ――おぉ 麗しき我らの神よ

 ――我らが君主の勝利の為に

 ――我らに力を与え給へ

 ――王の御世の安寧なる為に

 ――神よ王を護り給へ


 途中から騎兵達が歌に加わり、力を与え給へのフレーズに差し掛かった時には、広場にいた全てのイヌ達が両手を天へとかざし絶叫するように歌っていた。その姿は他の種族にしてみればイヌの団結の強さそのものであり、そして、イヌの国家の強さの本質だ。

 やがて日食の暗闇が少しずつ明るさを取り戻し、広場に太陽の光が降り注ぎ始める頃、広場の中心に立っていたカウリの前に帝王の戦衣をまとったノダが歩み出ていた。その前にカウリが片膝をつき剣の柄をノダへと捧げている。


「カウリ・アージンよ。そなたを余の宰相に任ず」


 捧げられた剣のを抜き、太刀の切っ先でカウリの両肩を叩くノダ。


「法と徳と騎士の一命を持って。大命を拝しまする……」


 この日、カウリ・アージンは帝王ノダ一番の側近となった。

 広場にいた者達が拍手を送る中、カウリの太刀を持ったノダは広場に待ち構えていた文官達の中に居るトウリへと剣を向けた。


「そなた。ここへ、余の元へ参れ」

「ハッ!」


 トウリが歩み出ていき、ノダの前に跪いた。


「汝、トウリ・アージン。そなたを余の相国に任ず」

「御命のままに」


 相国は司法や行政と言った国政の為のスタッフを取り仕切る文官の長。

 時期王としての試練を受けなかったトウリはこの日、全ての貴族や平民を含めたル・ガル国民が上り詰められる最高のポストに就いた。全ての国民を管理し、能力ある者を取り立て、そして、国家と国民と為に働かせるポジションだ。その責任は果てしなく重い。


 カウリの隣で跪くトウリの方を剣先で叩いたノダは、次にカリオンへと剣を向けた。目が合ったカリオンとノダ。ふたりとも柔らかに笑みをかわしていた。


「そなた。余の元へ参れ」

「今、おそばに」


 カリオンは振り返ってジョンとアレックスを呼び、そのふたりを従えてノダの前に跪いた。


「汝、カリオン・エ・アージン」

「はい」

「そなたを余の丞相に任ず。そして摂政の職を命ずる」

「謹んで拝命いたします」


 丞相。それは全ての軍事部門を統括する元帥の長。ル・ガルの『力』を維持管理し、そして、その発動についての全権を持つ。つまり、一番『クーデターをやりやすいポジション』と言えるのだ。

 その職務に就くカリオンは次期帝を意味する摂政職をも兼任する。つまり、ノダ帝は今次点で『お前が次の王だ』と指名したことになり、広場に居た全ての者達もそれを理解した。


 ル・ガルの舵を任されたガルディブルクの住人達は、次期帝にマダラを選択した。その重い事実だけが大陸中を駆け巡るのにさほどの時間を要さないだろう。権威主義で格式張っていて、とにかくお堅いイヌの国が実力本位制へと舵を切った。このことの意味を誰よりも深く理解していたのは、その場に出席していたネコの国の全権代表エデュ・ウリュールだけかも知れない……


「全てのル・ガル国民よ! そして、この世界に生きる全ての同胞よ! そなた達に太陽神の恩寵が有らんことを! 世界が安穏で有らんことを!」


 よく通るノダの声が広場に響き、拍手と喝采がとどろき渡った。多くの民衆が声を揃え『ノダ! ノダ! ノダ!』と叫ぶ中、カウリはトウリとカリオンを立ち上がらせ、そして国民の前に並び右手を天へと突き上げた。


「新しい時代が来た!」


 カウリの声に喝采が熱を帯びた。新たな始まりに皆が期待していたのだ。前王の死を乗り越え、新しい王と共に前進するのだという熱意。その全てを見せる為に。見せ付ける為に各国の代表がここへ呼ばれていると言って良い。


「この世界全ての人民とともに! 共存共栄であらんことを!」


 ノダの言葉が響いた。前王シュサの言葉は『イヌの国に安寧と繁栄を』だった。イヌの団結を見た世界各国の代表はノダの言葉を持ち帰ることだろう。

 広場の喧騒をどこか覚めた目で眺めていたカリオンは、気が付けば背負っている重責の正体を今初めて感じていた。そしてその全てがここにある。人々の持つ願いや希望。言い換えるならそれは『欲望』や『願望』である。それを実現する為に王は存在するのだと。カリオンはその真実に気が付いたのだった。






 ――それから一ヶ月後





 冬を前にした週末のガルディブルク。釣瓶落としの陽が沈み、夜の帳が辺りを包む頃ともなれば、繁華街がにぎわう季節になり始める。暑い夏が終わり人々の食欲に火が付き始める時期だ。ル・ガル各地の農場から運び込まれた豊かな恵みが市場を飾り、レストランの主たちは腕を振るって人々を楽しませる。

 そんな繁華街の一角。巨石インカルウシに程近い通りのどん詰まりにあるレストラン『岩の雫亭』は終末を実家と言うべきガルディブルク城で過ごすカリオン行きつけの店になっていた。

 城で食べる食事を不味いと思ったことなど一度もないが、ここに来て食事をするのは週末の大切なイベントといえるのだ。なぜならば……


「遅いよエディ!」


 酒場の奥。入り口からは見えない一角のテーブルにはリリスが陣取っていて、その隣にはいつの間にかリリスの付き人状態になっているグラーヴ家のご令嬢なリディアが陣取っていた。


「ゴメンゴメン。父上の講義が長くなっちゃって」


 ジョニーとアレックスを従えたカリオンは椅子へ腰掛けるなり『エールを3つ』と注文した。程なくして大きなジョッキが三人分運ばれてきて、ジョニーやアレックスと乾杯したカリオンは最初の一杯を一気に飲み干した。


「あー しんどい」

「しんどい? どうしたの?」

「土曜日の講義は午前中で終わりなんだけど、午後から父上かカウリ叔父さんが学校に来て特別講義をしていくんだ。先週はノダ帝がお見えになって、シュサ帝と走った日々と言う題で平面戦術の進化を教えてもらった」

「それがしんどいの?」

「いや、講義がしんどいんじゃなくて……」


 リリスの追求に笑いながら答えるカリオンは、もう一杯頼んだエールを飲みながらテーブルの上に講堂の様子を書いた。


「最初は10人くらいだったんだ。先週はカウリ叔父さんの騎兵哲学入門って講義だった。だけど、父上が『面白そうだ』って言い出して、今日はヒトの世界の戦略学ってお題で急遽講義をする事になって……」


 二杯目のエールを飲み干し掛けたカリオンは塩豆をポリポリと摘みつつ、ディナーの一皿が並ぶのを待っていた。ややあってキッチンから巨大な鶏の焼き物が姿を現し、ジョニーとアレックスに解体を任せて眺めている。


「その父上の講義にさ、俺たちだけじゃなくて騎兵連隊の現役将校とか軍の高級将校とかが来たんだよ。それだけじゃ無くて、ノダ帝にカウリ叔父さんにロイエンタール卿まで生徒役で加わっててさ。トウリ兄貴なんか軍属じゃ無いのに『考え方を学びたい』とか言い出して来たもんだから俺たちは座るところが無くて、結局5時間くらい立ちっ放しで講義を聴いて帳面に書き取りをしたんだけどさ」


 ゼルのフリをした五輪男はもはやヒトである事を余り隠さなくなり始めていた。それを回りは全く気にしていないし、殊更に問題視したり、或いは、奴隷階級であるヒトだと糾弾するものもいなかった。

 そんな事よりもゼルが見せる『ヒトの世界の戦術進化』や『戦闘哲学』の講義のほうが遥かに有用だと皆が知っているのだった。そして、この特別講義だけはイヌ以外には一切開放されていない講義で、いかなる階層であろうと自由に公聴出来るようにノダ帝自ら取り計らった。

 結果、今日行われたゼルの講義は兵学校や医学校やど様々な知識階級の伝道者たちが争って公聴する様になっており、事実、この日の講義では兵学校の学生がついに講堂へ入れない事態となってしまったのだ。


「だけどさ、お義父様の講義って面白いんでしょ?」

「あぁ、正直に言うとどんな授業よりも遥かに面白い。戦術教官の先生なんか終った後の父上を捉まえて延長戦したりしてるしね」

「ふーん」


 頬杖姿で笑みを浮かべるリリスは楽しそうに喋り続けるカリオンを見ていた。ゼルの話をするカリオンは誰よりも楽しそうにしている。その姿にリリスはカリオンの心を見た。


「そういえばリリスのところも動いたんだろ?」

「うん。実はお母さまが」


 帝王の宰相となったカウリ卿の私邸だが、レイラは私費を投じてヒトの子供たちの為の初等教育機関を立ち上げた。ガルディブルクに暮らす『オチモノ』なヒトの中で夫婦になったものなどの子息を預かり教育を施す為の施設だった。

 様々な理由によりこの世界で生きる事になったヒトの数はジワジワと増えているのだが、そんなヒト達も長く暮らしていれば出会いがあり、周囲の理解など幸運が重なれば公的に夫婦となって子をなす事もあるのだ。

 ヒトの保護施設が事実上の繁殖施設になっているケースなどもあり、そういう部分での権利保護や待遇改善をジワジワと進めてきたシュサ帝の功績が大きい。ただ、ノダ帝はその政策を一気に加速させ、ヒトをこの世界の住人とするべく力を入れているのだった。


「やがて…… ヒトが奴隷じゃなくなる時代が来るな」

「エディの治世になったらそうすれば良いんじゃない?」

「そうだな。だけど、その前にノダ帝にはしっかり手を打ってもらわなきゃ」


 アレックスとジョニーがリディアの手助けで鶏を切り分け、みなの皿に今宵のディナーが並び始めた。店のスタッフが続々と皿を追加していき、気が付けば五人の囲むテーブルには納まりきらないほどの豪華なメニューが並ぶのだった。


「さぁ、食べよう」

「腹ペコだぜ」

「ホントだよ。あの講堂じゃ飴玉一つ舐められなかった」


 カリオンの言葉にジョニーとアレックスが答え、五人は改めて乾杯し食事を始める。やがてカリオンとリリスはこんな楽しい食卓を囲むことすら出来なくなる。だから今のうちに楽しんでおけとゼルやエイラや、カウリやレイラが気を使っているのだった。


「今頃カウリ叔父さんは……」


 チラリとリリスを見たカリオン。リリスは目だけで笑っていた。






 ――同じ頃






「シャイラ。飲み過ぎだぞ」


 カウリ卿の私邸にほど近い一角。高級レストランの並ぶアッパータウンの繁華街には高級な拵えの馬車が並び、イヌの国の高階層な人々が『特別な夜』を過ごすべくやって来ていた。

 そんなエリアにあるレストラン『ボルバ』の個室。宰相カウリ卿は娘リリスの学ぶ王立女学校の校長、シャイラ・フレミナ・アージンと面談を持っていた。


「良いじゃ無い。今夜は無礼講よ」

「それにしたってだな」

「本当なら毎晩こう出来た筈なんだから」

「……それについては本当に済まなかったと思ってるよ」


 シャイラの肩をそっと抱き寄せたカウリは、嘆くように呟いた。

 個室の中。シャイラはカウリと肩を寄せ合って座り、ワインを嗜みながら沈痛な溜息を零していた。


「だけど、ユーラ姉さんも幸せそうだし、レイラさんも幸せそうだわ」

「まぁ、それについては多少の自信があるが……な」

「だから余計悔しいわ」

「文句なら親父さんに言え。ユーラを送り込んだのは親父さんだ」

「……そうだけどさぁ」


 かつてのシャイラはカウリと一緒になるはずの姫であった。姉ユーラがカウリを余り好いていないと言う事で、シャイラはまるでカウリの妹のように育った。

 いつかは夫婦になる様に。そんな思惑の中で育ったシャイラにとって、他の男へ嫁ぐなど考えられないことであった。故に、フレミナの家の都合でシャイラでは無くユーラが嫁ぐと決まった時、シャイラは死ぬまで結婚しないと選言した位だ。


「世が世なら、ワシとお前は夫婦であったな」

「そして、あなたが太陽王だったかも知れないのよ」

「……それは言うな。運命だ」

「だから……」


 思い詰めたような表情のシャイラはカウリにもたれ掛かり、岩の様な体躯に腕を回して抱きついた。そんなシャイラの肩をグッと抱き寄せたカウリは後悔の色濃い溜息を吐き、その自らの懊悩を肴に酒杯を煽った。世が世なら……と自らの口を突いて出た言葉に驚いたカウリだが、それはシャイラも同じだ。



「シャイラ」

「私はこのままじゃ負け犬なのよ」

「負け犬」


 今でこそ女学校の校長に収まっているが、事と次第によっては太陽王の后として世界デビューしていたかも知れない。不意に顔を上げたシャイラの目には光る涙があった。ドキッと驚くカウリだが、ギリギリ表情には出さなかったと安堵した。


「あなたを姉さんに取られ、その息子は太陽王にすらなれず、しかも、その妻はどこの誰かもわからない女の生んだ娘よ。その娘が誰よりも優秀と来てるから余計悔しいの」

「ワシの事はともかく、トウリは……」


 カウリは一つため息をはいた。


「あいつはすべての面でカリオンに劣る。カリオンはマダラだが、それを補って余りあるだけの才能と実力がある。ゼルの代わりにアレを育てたヒトの男は本当に恐ろしい才能の持ち主だ」


「このままじゃイヌの国がヒトに乗っ取られるわ……」


 シャイラのこぼした一言にカウリの頭脳が急回転した。一気にすべての歯車が噛み合い、カウリ自身がハッと驚くようだ。ただ、その驚きの表情を見たシャイラはまだカウリたちアージンの男が何を企んでいるのかしらない。カウリの表情に凶相が混じる。一気に畳み掛けるチャンスだとカウリは気が付いたのだった。


「ノダはそれについてなんら危機感を持っておらんな……言われてみれば」

「そうなの?」

「あぁ。宰相であるワシが言うのもなんだが、ノダは焦りすぎだ」

「ここしばらく見てると、国内制度が一気に変わりそうだものね」

「シュサ帝の悲願だったモノもあるが、それにしたって先帝はまだ思慮深かったよ」


 沈痛そうにため息を漏らして俯いたカウリ。心中はともかく、その姿だけは悲哀を帯びたものだった。


「正直、ノダはやりすぎだ」

「あなたもそう思う?」

「あぁ。特にここ最近はな」


 この一ヶ月、帝王となったノダは国内制度の更なる整備へと乗り出していた。従来はビッグストンだけであったル・ガルの近代教育システムをイヌ以外の種族にも開放すると宣言。医学校や経理学校と言った各種学校へ他国からの留学生を受け入れる事にしたのだ。そして、レイラが希望していたヒトの教育制度を整備すると発表し、数少ないヒトにも教育の機会を与えた。

 これは他国の他種族から見れば、イヌはイヌ以外の種族はヒトと同じ奴隷レベルと思っている。あるいは見下していると受け取られかねない危険な話でもある。その為、レイラやゼルの入れ知恵で最初は私設という形になったのだが、それにしたって面白くない事であった。


「正直に言えば、ノダは酒の飲み過ぎで気でもふれたんじゃ無いかと思う」

「ホントに?」

「即位から一ヶ月だが、最近は全てをひっくり返し、全てを壊してしまおうとしてるようにしか見えぬ」

「じゃぁ」

「敵が他国だけなら良いんだがな」


 そう。実はそうなのだ。イヌが他種族を見下していると言う不満の種だけで無く、新王が破壊衝動に駆られていると言う疑心暗鬼は、国外だけでなく国内にもばら撒かれていた。なんと、ルガル最大の特権階級というべき国内の貴族特権を大幅に制限する改革案を発表し3年ほど試験施行すると宣言。大公家と公爵家による貴族任命制度を停止し、帝国議会による認証制度へ変更したのだった。

 それだけでなく、王立学校への貴族子弟枠を廃止し、全てが実力本意となるようにしてしまう。これによりフレミナ一門の未来の長はビッグストンへの入学に実力で挑まなければならなかった。

 シャイラの甥にあたるその少年はカリオンほど優秀とは言いがたい。もっとも、すべての面で優秀なカリオンと比べれば誰だって劣ると言っていい。だからおそらく彼は入試に失敗するだろう。カウリもシャイラもそう予測していた。


「しかし、まさか大公家にも課税を検討とか言い出すとは思わなかったわ」

「狙っているのは言わなくともわかるだろう」

「ふれみなを滅ぼすつもりよね。まぁ、それだけの事をしてるけど」

「恨みを買いすぎたな」

「人生って厳しいわね」

「全くだな」


 吐き捨てるように言ったカウリは途端に不機嫌な空気を纏った。

 シャイラが首を傾げる程の不機嫌さだが、カウリは酒瓶に残っていたワインを一気に飲み干し、下品なゲップを一つ吐いてから嫌そうに首を振った。


「どうにかならんもんか…… ワシとダーのふたりで作ってきたル・ガルが壊れてしまう…… このままでは」


 シャイラをもう一度抱き寄せたカウリはシャイラの耳元でそっと囁いた。


「シャイラ。お前の知恵を貸してくれ。誰も損しないでル・ガルを元に戻す方法だ。その為なら多少手荒な手を使っても良い。ヒトのひとりやふたり居なくなったとて誰も困らん。廃帝など出来るわけがないのだから、良い方向へ舵を切らねばならんのだよ」


 廃帝という言葉にゾクッとしたシャイラは、妖艶な笑みを浮かべてカウリを見ていた。


「やっぱり太陽王を乗っ取りたいんじゃ無いの?」

「……バカを言え。ワシにそんな重責が務まるか」

「じゃぁ誰が?」

「……それは解らん。ただ、このままでは拙い。皆が納得する政策を打ち出せるなら、王など誰だって良いでは無いか」


 全部承知で迫真の演技をしたカウリ。だがシャイラはまんまと釣られた。カウリはそう確信した。ニヤニヤと笑うこの女は、俺を太陽王の座に就け、その后に収まる腹だと見抜いた。


「私はフレミナの女よ?」

「だからなんだ?」

「そんな大事な話して良いの?」

「フレミナだのアージンだのは関係無い」


 カウリはその太く逞しい腕でシャイラを強引に抱き寄せ、力尽くで唇を奪った。


「俺が生涯心底惚れた女はお前だけだ」

「カウリ……」

「不甲斐ない男を許してくれ」


 全ての表情がストンと消え落ちたシャイラは涙を浮かべてカウリを見ていた。


「私に考えがあるの。あとは任せて」

「なに?」

「ごちそうさま。寂しい家に帰るわ」


 黒く光るカウリの頬毛にルージュの色を残して立ち去ったシャイラ。

 レストラン前で待っていた馬車に飛び乗り、慌てるように家に帰っていった。


「……誰ぞあるか?」


 静かな声を漏らしたカウリ。その声に反応し、レストランの天井裏からコンコンと屋根を叩く音がした。


「王に伝えよ。賽は投げられたと」


  ――承知しました


 屋根裏に居た気配がスッと消え、何処かへ立ち去ったらしい。小さな身体の血統たちは伝統的にこういった任務に就いている。成人しても身長が1メートルに達しない小人族のイヌたちは、間者や諜報と言った任務に重宝されてきたのだった。


 ――さて、フレミナはどう出るかな……


 ニヤリと笑ったカウリはグラスに飲み残していったシャイラのワインを煽り、ゲフッと下品なゲップを吐いて底意地の悪そうな笑みを浮かべた。ノダとカウリの不和情報を得たフレミナは喜び勇んで離間工作をするだろう。それをどう弄んでやるかと気を巡らしながら、残っていた料理に手を付けるのだった。


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