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フィエンゲンツェルブッハ

 ル・ガル西部の大草原地帯トゥリングラード。

 渺々と広がる草の海は東西百リーグに及び、地形的な登り降りを繰り返しつつ貫く街道には、幾つかの宿場町が存在していた。

 夏場ともなれば日除けの乏しい炎天下となるので、日中に旅する者の姿も乏しく、宿場町は閑散期を迎える。


 この日。そんな街道に場違いとも言えるイヌの騎兵が姿があった。

 近衛師団の騎兵連帯二個大隊は西に向かって進軍を続けており、吹く風の熱さに辟易としつつも、次の宿場町をめざし馬を歩ませていた。


「若! 十分暑いんですから、これ以上暑くしないでください」


 周りの近衛騎兵に笑われ、カリオンは少し照れていた。

 レラの産んだ子、モレラにまたがるカリオンの隣には乗馬姿のリリスが歩いていた。

 風を通す為に散開陣形で進んでいたが、カリオンとリリスはぴったり並んでいた。

 これと言って話をするでも無いが、時々ぼそりと話をしては顔を見合わせ笑い合う。

 そんな姿を冷やかされ、リリスはどこか嬉しそうだ。


「二人は楽しそうだな」

「そうね」

「若いって良いなぁ」

「あんな頃があった筈なんだけどね」


 カリオンとリリスを沢山の見守る眼差し。

 その中に漆黒の巨馬にまたがるイヌの姿があった。

 ただ、その馬に乗る人は二人。

 

 西方派遣軍団総監ゼル・アージンと、リリスの付き人として付いてきた母レイラ。

 その他にも幾人か女官が同行しているのだが、馬車の中は風が抜けず暑いのだ。

 エアコンの無い炎天下では、馬車の中が蒸し風呂なので、みな逃げ出していた。


 ガルディブルクを出発し三日目の午後。

 一足先にトゥリングラードで待っていたゼル(五輪男)は腰を抜かす程驚いた。

 リリスと一緒にやって来たレイラ(琴莉)の存在に……だ。


「あなたは知ってると思ってた」

「いや、リリスが来るのは聞いていたんだが…… カウリの奴め」

「……気を使ってくれたんだね」


 どこか醒めた笑いをしたゼルはレイラの背中を抱いた。


「フィエンの街に行くんだが」

「うん。知ってる。だから私も行きたいって言ったのよ」

「なんで?」

「生きてるよって言ってあげたい人が居るの。向こうがまだ生きていれば」


 ゼルはどこか含みのある嘲りのような笑みを浮かべた。


「不甲斐ない夫に代わって生かしてくれたからな。俺も礼を言いたい」

「じゃぁ一緒に行ってね。紹介したいから」

「ただ、俺が行った時には――


 ゼルの言いかけた言葉をレイラの指が遮った。

 僅かに首を振り、それ以上聞きたくないと言う姿を見せる。


「行ってみないと判らないわ」

「まぁ、そりゃそうだな」

「道中よろしくね……


 そんな言葉を聞いたゼル。

 レイラは安心しきった表情で手を振っていた。

 トゥリングラードを出て数日は馬車の中だったリリスとレイラ。

 だが、ネコの国が近づくにつれ、暑さは如何ともし難くなっていた。


 ――――あの二人を馬に出す。馬車の中では日干しになるだろう


 若いリリスは迷わず馬を選択し、カリオンと並んで進む事を選択した。

 騎兵連隊元帥の娘であるからして、馬は『乗れて当たり前』だった。

 問題はレイラの方で、一人馬に乗るのは全く不可能な上に肌が弱い。


 ゼルはアレコレ考えた挙げ句、アラブ人の様にすっぽりとヴェールを被せ、その上で自分が乗る馬に一緒に乗せる事にした。そして、その時点でカウリの狙いのもう一つを理解した。


「カウリはこうなるのを判ってたんだな」

「え? なにが?」

「俺の馬に一緒に乗るってのをさ」

「……そうだね」

「帰ったらカウリに言ってくれ。ありがとうって」


 ゼルの胸に寄りかかったレイラは小さな声で呟く。


「それだけ?」

「……あぁ。まだそれだけだ。ただ、早く返せって話はするまでも無い」

「あの人も気を揉んでるよ」

「そりゃ間違いないな」


 ずっと話を続けるゼルとレイラ。

 そんな二人をカリオンとリリスは時々振り返ってみている。

 ゼルは優しい笑みを浮かべ、レイラは幸せそうに微笑んでいる。


「母さま、凄く嬉しそう」

「オヤジもなんか嬉しそうだ」

「私も嬉しいよ? だってエディとお出掛け出来るから」

「カウリ叔父さんが気を使ってくれたんだよな。これって」

「え? なんで?」


 カリオンのてがゼルたちを指さしてからリリスと自分を指さす。


「俺たちだけじゃ無くてオヤジとレイラさんの。つまり二組分の新婚旅行」

「そっか」

「だろ?」


 嬉しそうにカリオンを見るリリス。

 ふと振り返れば、嬉しそうに身体を預けるレイラと、その身体を抱くゼル。

 間違いなく幸せな空間がそこにあった。

 

 こんな一時が永遠に続けば良いのに……

 

 そう願ったリリスだったが、やがて遠くに低い丘が見え始めた。

 その丘を越えた向こう側にはフィエンツェルブッハの街がある。

 母レイラの過ごした酷い街。


 リリスが見たいと願った『この世界の現実』がすぐそこにある。


「俺の近くを離れるなよ、リリス」

「何なら紐で繋いで置いてくれれば良いよ」

「……そんな事したら一生恨まれそうだから止めておく」


 アハハハと明るく笑うリリス。

 その姿を見ながら、カリオンもまた幸せを感じた。

 全てが上手く回っていると、そう思えるのだった。







 ■ ■ ■ ■ ■







 約二十年ぶりに足を踏み入れたフィエンの街。

 立ち並ぶ街並みを見上げたレイラ(琴莉)は感嘆の溜息を漏らした。

 

 驚異的に綺麗になっていて、ゼルが指示したと言う街の再建は大成功だと思った。

 あの、雑多で小汚いけど、でもエネルギッシュで賑わい溢れた街並みではない。

 どこか小洒落た品の良い街がそこにあった。

 

 それこそ、ガルディブルクの繁華街をそのまま持ってきたような街。

 馬車の窓から見える街に、レイラは複雑な思いを抱いていた。


「私の知ってるフィエンと違う……」


 そんなレイラ(琴莉)の肩をゼル(五輪男)が抱いた。

 馬車の中で外を見ているレイラは街並みを眺めては溜息を零していた。


 だが、しばらく進んで馬車が止まった時、琴莉(レイラ)は僅かに涙を浮かべた。

 見覚えのある建物の前だったのだ。それも、あの頃と同じ、ちょっと小汚い建物。

 イヌの騎兵軍人が幾人が店内に吸い込まれていった。

 早速店内が険悪な空気になり始めているのが見えた。


「とりあえず俺が行く。カリオンはリリスと留守番だ。手癖の悪い奴は手首ごと切り落とせ。良いな?」

「はい」


 馬車を降りたゼル(五輪男)の表情は、まるでこれから戦に向かう男の様だった。


「おぃおぃイヌの兵隊さんよぉ ここはお堅い方はお断りだぜ」


 そんな冷やかしの声が聞こえる店内だ。ふと見れば明らかに黒服と思しき者が幾人も店内に立っていた。意を決した五輪男(ゼル)は衣服を整え店内に一歩入った。ムワッとするような人の欲望の臭いがあった。そして、酒とメシと遊女の放つ蜜の臭い。


 これは確かに酷い場所だと思いつつ、店内をグルリと見合わす。

 その表情は喧嘩支度で来た何処かの無頼のようであった。


「今度はマダラかよ。今夜は出し物が多いぜ」

「何処の馬の骨だか知らねぇが、ここは二十年前から兵隊さんお断りでな」

「ガルディブルクの方が良いんじゃねーのか!」


 どこかの客が冷やかしの声をあげ、酒を飲んでいたネコや雑多な種族から嘲り染みた笑い声が上がる。そんな中、隻眼なネコが店の奥からやって来て、ゼルをひと睨みしてから低く轟く様な声で言った。


「申し訳ありませんが、当店はいかなる国であろうと軍人さんお断りなんですよ。皆さんにお出しするモノは水一杯ありません。店の床でも舐めたいというならお止めしませんが、話が穏便に済んでいるウチにお引き取り願えませんかね」


 今すぐ帰れと言わんばかりの様子に五輪男(ゼル)がニヤリと笑う。この男が琴莉の言っていたリベラだとすぐにわかった。明らかに纏っている空気が違った。


 だが、潜った修羅場の数なら負ける気がしない。

 ありったけの渋い声音で五輪男(ゼル)は言った。


「おぅ…… 言うじゃないか。良いね。聞いていたとおりだ。まぁ……なんだ……」


 そんな言葉を漏らしたゼル。

 怪訝な表情でリベラがそれを見ていた。


「お前ら三下に用はねぇ 一番えれぇのを今すぐここへ連れて来な」


 リベラの表情に明らかな殺意がこもった。

 だが、実際のところゼルとて命のやり取りなら回数をこなしている。


「へぇ 言うじゃねーか マダラ野郎」

「だから何度も言わすな。一番えれぇのを呼んでこい」


 傲岸に笑ったゼルは切り札の一つを付け加えた。


「ワタラセイワオ宛に言付けたアチェィロ最期の言葉を受け取りにきたってな」


 店に入って来たイヌのマダラがアチェィロの名を口にした。一瞬だけ対応の遅れたリベラだが、弾かれるように店の奥へ消えて行った。店内にいた客たちの間に、漣のような言葉が漏れる。

 ややあってリベラと共にネコの男が出てきた。白のスーツの内側には真っ赤なシャツを着ていた。どう見ても堅気には見えない男だった。理屈ではなく直感で五輪男(ゼル)は悟る。こいつがエゼキエーレだと。


「お待たせした。まず、あなたの名前を承りたい」

「言わなきゃ駄目か?」


 顎を引いた五輪男は三白眼でエゼを見た。


「ワタラセイワオの名を知るイヌが何故ここへ来たのか知りたいのだよ」

「まぁそうだろうな」


 店の中が静まり返り、キッチンの中にいた者達まで様子を窺っている。


「国使西方派遣団、特別臨時総監のゼル・アージンだ」


 ゼルが名乗った瞬間、店の中が騒然となった。この街を作り直せと命じたイヌの将校が。いや、イヌの公家がここに居る。まずはその事実に客の間から驚きの声が挙がる。


「……ほぉ」


 短く感嘆したエゼキエーレ。

 そこへ豪華なドレスを身にまとったネコの女が二人やって来た。

 二人とも首の周りへ豪華な首飾りを巻いているが、良く見ればそれなりに年増だ。


 ――――妻のフィオと姉御のエリーゼか?


 やや怪訝な表情になったゼルの姿にエゼキエーレが警戒を崩さない。

 緊迫した空気が流れ、店内は水を打ったように静かになった。


「あなたがワタラセイワオか?」

「俺がヒトに見えるか? まぁ、見えるだろうな。こんなナりだしな」


 クククと篭った笑いでエゼキエーレを睨み付けたゼル。

 その傲岸不遜な態度に一瞬険悪な空気が流れる。

 だが……


「まぁいい。それより、ちょっとこっちへ来てくれないか」


 五輪男はくるりと背を向け店の外へ出て行った。

 エゼキオーレは怪訝な表情を浮かべつつ、ゼルの後に続いた。その後ろをネコの女二人が続き、店の外へと出る。そこには大型の馬車が停まっていて、ドアが開いていた。


「カリオン、リリスと降りろ」


 車内にいたカリオンは魂胆を理解し、リリスの手をとって車外へと降りた。

 馬車から姿を現したリリスを見てエゼキオーレは驚愕の表情を浮かべた。


「驚くのはまだ早い。ほら、良いから中に入るんだ。話しはそれからだ」


 少々手荒に馬車の中へエゼキオーレを押し込んだ五輪男。

 馬車の中からエゼキオーレが叫ぶ。


「フィオ! エリーも来い!」


 ニヤリと笑った五輪男を他所に、フィオとエリーは車内へと入った。ネコの国では中々見ない豪華な作りの馬車の中。驚くほど綺麗にドレスアップした琴莉が待っていたのだった。


「アッ…… アチェーロ……」

「嘘でしょ……」


 フィオもエリーも涙を浮かべていた。

 エゼキオーレまでもが涙を止められなかった。


「ご無沙汰しております。その節はお世話になりました」


 琴莉はエゼキオーレとフィオの手をとった。そしてエリーの手も。二十年の歳月が過ぎていた。ただ年齢相応に老けてはいるが、苦労はしていない。エゼもフィオもそれは間違いないと感じている。

 

 年増な女の顔を見れば、その人生が平坦であったかどうか良く分かる。

 苦労を重ね、甲斐性無しの男と歩んだ女は、年齢以上に老けて見えるものだ。


「感動の再会は済んだかい」


 馬車へと入ってきた五輪男(ゼル)を見たエゼキオーレ。

 フィオは五輪男と琴莉を見てから、馬車の外のカリオンとリリスを見ている。


「紹介します。私の夫のワタラセイワオです」

「まぁ、そう言うことだ。遅ればせながら自己紹介しておこうか」


 被っていた帽子を取った五輪男(ゼル)は髪をかき上げ耳の跡を見せた。

 そこにイヌの社会で苦労したヒトの現実を垣間見たエゼ。


「そなたは……」


 言葉を失ったネコの夫婦。

 そんな姿を五輪男は笑ってみていた。


「こんな形で手が繋がるとは思ってもみなかったよ。街を直せと命じてよかった。役に立っているようで何よりだな……」


 再び帽子を被りイヌの姿に戻った五輪男は、エゼとフィオの手をとった。


「生きて妻に再会できるとは思わなかった。町長から妻の最期の言葉を聞いていたからね。死んでいると思っていたんだ。だが、生きていた。生きていて、尚且つ、俺と同じようにイヌの社会で居場所を作っていたんだ。こっちに落っこちてからあなたに拾われて、そして何があったのかをつぶさに聞いたんだよ。だからな」


 五輪男の目が琴莉を見た。琴莉は幸せそうに笑った。エゼもフィオもエリーですらも見たことの無い琴莉(アチェーロ)の笑顔に、いまの環境は間違いなく幸福なんだと知った。


「一言、礼を言いたかった。ありがとうと、そう、礼を言いたかったんだ」


 五輪男の言葉にエゼキオーレは返す言葉が無かった。

 しばらく幸せそうな琴莉を見て、そして再び五輪男を見た。


「ヒトってのは義理堅いな。だが、イヌの国じゃそれ位でちょうど良い。それに」


 エゼキオーレは街の中へ目を移した。

 人通り多くにぎわう街中には幾多の看板が見える。


「この街を直したのはイヌの功績だ。それを命じたんだろ? なら、恩は十分返してもらったし、むしろこっちが追い金するようだ。そして……」


 琴莉をジッと見ていたエゼは不意に窓の外を見た。

 そこにはリリスに話し掛けるビアンコと、怪訝な顔で立ちはだかるカリオンがいた。


「ビアンコさん! ちょっとこちらへ!」


 馬車のドアを開けてビアンコを引き入れたエゼキエーレ。

 五輪男は黙ってするに任せた。


「君は…… まさか!」

「ビアンコさんもお変わり無いようで」


 琴莉の声にビアンコは遠い眼をしていた。


「いやいや、驚いたな。ますます綺麗に成ったな。で、こちらは?」

「夫です。落ちた時に離ればなれになってしまった」


 五輪男は握手の手を差し出した。この世界の握手ではなくヒトの世界の握手で。


「妻がお世話になったようだ。感謝申し上げる」

「そう言えばあなたは……」


 ビアンコは五輪男の姿に驚きを隠さなかった。


「そうか、街を綺麗にしろと言ったのも納得だ。イヌなら出来ぬ指示だろうからな。それだけのことをネコはしているし、その歴史を知るイヌはまだまだ多いはずだ」


 五輪男と握手を交わしたビアンコは、驚きを隠せない様に琴莉を見てから馬車の外のリリスとカリオンを見た。


「ところで、外の二人はあなた方夫婦の息子さんと娘さんかね?」


 ビアンコの言葉に五輪男と琴莉は一度顔を見合わせてから、二人同時に首を振った。


「イヌとヒトに子は出来ないでしょう? 出来たら出来たで困りますがね」

「それにしてもよく似ている」

「他人のそら似と言う奴ですよ。だから私にも妻にも利用価値があって、そのおかげでまだ生かされているわけです。そうで無きゃ今頃は……」


 言葉を飲み込んだ五輪男は琴莉の手を取った。

 大事そうに握ったその手の表情を見て、エゼとフィオは五輪男と琴莉の二人が決してここまで平坦では無かったのだと知った。


「まぁなんだ、ここで長話もなんですからね。ちょっと部屋を用意しましょう。積もる話は多々ありますから」


 エゼは馬車を降りてリベラに指示を出しつつ店に吸い込まれていった。リベラがすぐに動き始め、店の中に少しだけ安堵の空気が流れた。

 どうやら、一触即発の事態だと勘違いされたようだと五輪男は苦笑いするのだが、様子をうかがっていたカリオンもリリスも同じ事を思っていたようだ。


「いえ、今夜は顔見せです。明日はネコの国の使者を迎えねばならない。夜更かしは後で困りますしね」


 一度馬車を降りた五輪男は周りを確認した。騎兵たちは黙って事態を見守っていたようだ。琴莉は名残惜しそうにフィオやエリーとおしゃべりを始める。そんな姿をチラリと眺め、後ろ髪惹かれるが帰ろうかと指示を出しかけた五輪男。その僅かな動きの機先を制し、ビアンコが止めた。


「そうか、外交使節団でしたな。ならばいっそう手間を省きましょう。実は客人を待たせているのですよ」


 馬車から降りたビアンコは自前の馬車に向かった。車内には隙を持て余しているネコの姿があった。そのシルエットを怪訝に見ていた五輪男だが、カリオンとリリスを呼び寄せ小さな声で囁いた。


「二人とも心して聞けよ。今夜、君たちは国際社会に始めて登場する事になる。あれは恐らく……」


 五輪男の眼差しはビアンコの馬車を捉えていた。


「ネコの外交使節団か大使そのものだ」


 カリオンとリリスの表情に緊張が走る。

 言葉一つ間違えられない舞台に初めて上がるのだ。


「つまらない一言で戦争になる。言葉の選択を誤れば関係が悪化し困った事態になる。カリオンもリリスもこれから何度もこの舞台を踏むことになる。今日はその初舞台だ」


 五輪男の表情に力が入る。


「ドジを踏むんじゃないぞ。良いな」


 カリオンとリリスが僅かに頷いた。

 店からエゼが出てきて皆を招待したとき、ネコの馬車から身なりのよいネコが一人降り立った。

 五輪男は最初、そのネコをかなりの高級貴族と踏んだ。だが、そんな五輪男の予想を遙かに越える存在だと気が付き驚くまで、さほど時間を要する事はなかった。

 ビアンコに案内されやって来たそのネコは、ビアンコと同じ血統のネコだとすぐに分かった。同じ毛並みで同じ顔立ち。ただ、良く見れば微妙に違う。親戚とか或いは同じ血筋程度の類似性しか認められないのだが……


「貴殿がゼル・アージン殿か?」

「左様。国使として参った次第です」

「申し遅れた。私の名はエデュ・ウリュール」


 その言葉にカリオンとリリスは髪を逆立てるほど驚いた。

 表情を変える事無く話を聞いたゼル(五輪男)も、腹の中で唸った。


 ――――ネコの国は本気だ


 女系社会として続くネコの国では、伝統的にその頂点は女王となる。

 そんな社会にあって軍事力や警察機構といった『力の管理官』を勤めるのは女王の王婿(おうせい)。つまり、女王の夫だ。その存在が目の前にいる。


 エデュ・ウリュール


 ネコの名家ウリュール家を預かる男で、風の噂にネコの国一番の愛妻家だと五輪男は聞いていた。

 そして、ル・ガルの四十個師団を数える陸上戦力と対抗するため、苦心惨憺に騎兵を鍛え戦術を研究するネコの国は、総兵力で僅か十個師団程度と見積もられているが、その旺盛な戦闘能力や、先の西方紛争で実証された戦術理解力はイヌを大きく超えていて、その全てにおいて陣頭指揮を執ったのがこの男のはずだと五輪男は思うのだった。


 そもそもにトラや獅子やヒョウと言った獰猛な肉食獣は、すべからくネコの祖先と始祖を一緒にするのだ。五輪男の知るヒトの世界の遺伝子の系譜とて、古い時代へ延々とたどって行けばネコ目の中にイヌ亜目とネコ亜目が分かれていくのだった。

 つまり、生物としてみた場合、ネコはイヌに全く引けをとらない能力を持っていると言って良い。民族的な性質として個人主義だったり、或いは自由主義だったりしてまとまりに乏しいのだが、キチンと訓練を施し系統だった組織を持ち『群れでの狩り』を行えるなら、ネコの騎兵や軍人はイヌから見て侮りがたしな生物だ。


「お会いできて光栄です」

「私もだよ。イヌの騎兵を指揮し、我が軍の鍛え上げられた騎兵たちを完膚なきまでに叩き潰したヒトの男に会ってみたかった。出来るものならわが国に連れて帰りたいくらいだが……」


 エデュはチラリとカリオンやリリスを見た。


「次の世代を育てる家庭教師として就く以上、それは出来ない相談だろうなぁ。しかし、わが国だけでなくイヌの国も実力区本位制へ切り替わると、これは手強いな」


 全てを見抜いて静かに笑うネコの男に五輪男は内心で薄ら寒い思いをした。

 今はまだ良いが、この先確実にイヌはネコに敗れると、そう確信した。

 次の世代を育てるだけでなく、国内を何とかしなければ……


「部屋の用意が出来ました。どうぞこちらへ」


 エゼキエーレの声で我に返った五輪男。

 見透かすような眼差しでエデュに見つめられ、五輪男は口の中で唇をかんだ。

 今夜の談合はル・ガルの未来を左右する事になると直感した。


 全てのイヌの為に、負けられない一戦だ。

 一つ深呼吸をしてから五輪男は琴莉の手を取り、店の裏手よりエゼの用意した部屋へと向かった。

 その気迫漲る背中にカリオンは父ゼルの覚悟を感じていた。

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