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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
幼年期 ~ うたかたの日々
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影武者


「5」




 ふと、五輪男は目を覚ました。窓から差し込む光を見れば、だいぶ昼近いのがすぐに分かった。今まで過ごした掘っ立て小屋とは程遠い、上等な部屋だった。テレビなどが無いだけで、ちょっとしたビジネスホテル並の部屋だ。

 あの前線基地もどきから真っ暗闇の森を抜け歩き続けた五輪男は、明け方近くに小さな街の中へと入った。とりあえず騒がないでくれと小声で言われたあと、頭からすっぽりと袋を被せられてだが。


「目が覚めたかね」


 シンプルな部屋の中に多少老いたと思しきイヌがいた。今まで見てきた若いイヌとは違う姿だった。顔の周りが真っ白になった、老成のイヌと言って良い雰囲気だ。


「あぁ。おかげさまで久しぶりにぐっすり寝かせてもらった」

「それは重畳。そなたの顔には生気が無かったからな」


 老成したイヌは、無造作に五輪男へパンを渡した。驚くほどに柔らかい白パンだ。

 その隣にはバターと甘い香りのするジャム。そして、良い香のするお茶らしきもの。


「腹が減っているだろう?」

「……実は腹ペコだ」


 イヌの老人は満足そうに笑った。


「若いもんが腹いっぱい喰うのは仕事のうちだ。しっかり食べると良い。食べ終わったら呼んでくれ。そなたに湯を使わせる。その後に、ちょっと重要な仕事がある。まぁ、悪いようにはしないさ。少なくともヒトの商人に売り渡すような事は無い」


 五輪男は静かに頷いた。


「私はわ―『ワタラセイワオ』―そうです」


 イヌの老人がもう一度満足そうに笑った。


「君を回収したヨハンの報告で聞いている。私はオスカー。そう覚えていてくれれば良い。おそらく、君とは長い付き合いになるだろう。よろしくな」


 五輪男の肩をポンと叩いてオスカーと名乗ったイヌの老人は部屋を出ていった。一人残された五輪男はテーブルに向かって食事を始める。

 白パンにバターを塗り、茹でられた卵と野菜をあわせて食べた。鶏肉のような食感の肉はなんの肉だろうか?と考えたのだが、それまで食べていた屍肉蜂の幼虫やらククリゥの燻製に比べれば遥かにまともな味だった。


 僅かな時間の間にテーブルのメニューを食べつくし、ゆっくりとお茶を飲んだ。酸味と甘みが程よく調和した不思議な味だった。そして、日本茶のようなタンニンの渋みを感じる。


「ふぅ……」


 一息ついていたら部屋のドアがノックされた。良く響く音だ。驚いて反応してしまうのだが。


「どうぞ」

「失礼する」


 部屋へと入って来たのは女だった。

 マイラとは違う女。だが、見た感じではマイラよりも美人だ。


「確かに臭いな」

「……申し訳ない」


 肩を窄めて五輪男が恐縮していると、その女は涼やかに笑った。


「もう何日もまともに風呂に入っていないらしいな」

「あぁ。実はそうなんだ。いまやっとまともな食事を食べた所だ」

「なら次はこっちだ。今日は忙しいぞ」

「忙しい?」

「まぁいい。付いて来ると良い」


 くるりと背を向け歩き始めた女に後れまいと五輪男は歩いた。長い長い廊下を歩いて行った先に大きな風呂が有った。ちょっとした銭湯並の寸法だった。その入り口に幾人かのイヌが立っていて、そこで五輪男の付き添いが引き継がれた。いや、付き添いと言うより監視といった方が良いのだろう――


「イワオと言ったな」

「そうだ」

「俺を覚えているか?」

「ヨハンだな。昨日の夜あっている」

「上出来だ」


 脱衣所で服を脱がされ風呂へ押し込まれる。

 気が付けばヨハンも風呂へと入ってきた。


「広いな」

「あぁ。だが今日は貸切だ」

「助かるよ」


 さっそくカラン槽の前に陣取るヨハンと五輪男。ヨハンは小さな手桶をカラン槽へ突っ込み湯を被る。


「あぁ。なるほど」


 大きな湯船から零れた湯は小さく浅く細長い湯船へと注がれ、その湯を手桶ですくって被る仕組みだ。シャワーなど無い環境ではこれが便利なのだろう。


「石鹸だ。使うだろう?」

「凄いな。石鹸があるのか」

「これの作り方はヒトの知識を得たからだ」


 頭から湯を被り、身体中を石鹸で洗った。ちょっとヒリヒリするのは石鹸が強すぎるからだろうかと思う。だが、二週間ぶりのまともな風呂に、五輪男の皮膚へこびり付いた垢が綺麗に洗い落とされた。

 全身を綺麗に洗い清めた後、湯船に使って大きく息を吐く。この二週間の間に経験した様々な事が走馬灯のように思い出された。


「イワオは一人で落ちたのか?」


 突然ヨハンが核心を突くような事を言い始めた。


「いや、実は妻が一緒に落ちたはずなんだが、何処へ行ったかわからないんだ」

「そうか。この世界へ一緒に来たなら探し出せるかもしれないが」

「落ちどころが悪ければ死んでるかも知れないしな」

「見つかると良いな」

「そう祈ってるよ」


 そこからイワオとヨハンは驚くほど色々な事を話し合った。五輪男自身が驚くほどに自分の情報をさらけ出してしまっていた。職業柄、ついつい口が堅くなる傾向の強い五輪男だ。しかし、ヨハンを相手に風呂の中と言う事もあってか、油断していたらしい。


「俺はオスカーの手駒に当たる立場だ。これから色々と知る事になるだろうけど、きっとイワオとは長い付き合いになるだろう。下手を打って死なない限りは俺のほうが長生きだろうし」


 牙を見せてニヤッと笑うイヌの仕草を、五輪男自身がだいぶ慣れてきた。

 最初は随分と奇妙に思ったものだが、この二週間程で随分と慣れたようだ。


「さっきオスカーさんにも同じ事を言われたんだけど、なんか俺は特殊なの?」

「そうだな。特殊と言うより特別だな。後で驚くぞ」

「あとで?」

「そう。とりあえず行くか」


 風呂から出たヨハンを追いかけた五輪男は脱衣所に出て驚いた。ついさっき自分が脱ぎ散らかした服ではなく、この世界のイヌたちが来ているような服装が用意されていたからだ。そしてその衣装は不自然なまでに上等で上質だった。


「まぁ、驚くよな。でもイワオの着ていた服は臭いんだよ」

「イヌの鼻は良いからな」

「そう言う事だ」


 その服はまるで和服のような構造だった。袴のようなズボンは丈こそ短いモノの横幅は異常な程だ。ただ、着難いか?と言うと、実際はそうでもない。着て自由に動けるのだから理に適った作りではある。

 最後にボサボサだった髪を丁寧に整えられ髭をそられた。二週間も伸びるに任せていたので、すっかり髭面だったのだ。


「おぉ。ますますそっくりだ!」


 ヨハンも驚くのだが、段々と心細くなってきた五輪男だ。自分が何をさせられるのか。それについては徹底的に秘匿されている。まぁ、こうなってしまっては俎板の上の鯉だと割り切るしかない。不安感が襲い掛かってくるのは如何ともし難くあるが。


「最後にこれだ」

「帽子か?」

「そう」


 ぽいと渡された帽子は鳥打帽に烏帽子のような膨らみの付いた形だった。意味はすぐに解る。平べったい構造の帽子では耳が邪魔になるのだ。方向を整え頭に載せると、周りで手伝っていた皆が一斉に驚いた。


「驚くとは思っていたが、これは予想以上だ」


 脱衣所となりのパウダールームで身支度を整えていた五輪男。そこへオスカーがやってくるなり、驚いたようにそう言った。

 まるでコスプレでもしているかのように思い始めた五輪男だが、まんざらでも無い気もするのだから現金なものだ。


「そろそろ種明かしをしてくれても良い頃合じゃ無いか?」

「ではそうしよう。まずは外へ」

「そと?」


 ニヤリと笑ったオスカーを先頭にして五輪男とヨハンが続いた。その後ろにも続々とイヌが続き、まるで大名行列だと思った。或いは、二十四時間身辺警護(マルタイ)体制に入っている重要参考人や容疑者、或いは、被害者の護送体制だ。


 再び長い廊下を歩いてやがて玄関と思しき場所へ付いた。皆が緊張の面持ちで五輪男を見つめていた。ちょっと緊張した五輪男の目が刑事の目に戻る。鋭い眼光を湛えた眼差しで周辺を一瞥すると、アチコチから溜息のような声が漏れた。


「ゼルさま。またのご来臨をお待ちしております」


 胸に手を当てて深々と頭を下げたイヌは、第一印象でバセットハウンドだと思った。だが、そのイヌの男にも鋭い視線を投げかけてから静かに頷くと、僅かに先に歩みだしたオスカーに続いて建物の外へ出た。

 眩い日差しが降り注ぐ中、建物の外には馬車が用意されていた。馬車の中には先ほど湯殿まで案内した女が先に乗っている。ヨハンの手を借りて馬車へ乗り込んだ五輪男だが、そのコーチの中で腰を抜かすほど驚いた。


「あっ…… あんたは?」

「おれか? 俺はゼル。今おまえゼルって呼ばれたろ?」

「あぁ」

「その本物のほうだよ」


 悪戯っぽい笑みを浮かべたヒトのような男。だが、耳も尻尾も付いている正真正銘のイヌだった。そして、腰を下ろした五輪男の隣にいたのは、先ほどのイヌの女性。静かに笑うその姿には不思議なオーラが有った。


「ほら。窓から手を振ってあげて」


 気が付けば馬車は走り出していた。あまりの衝撃にソレすら気が付かないでいた。

 促されるように五輪男は窓の外へ向けて手を上げる。馬車を見送りに来たイヌたちが歓声を上げて見送っている。


「つまり、俺は影武者って訳か」

「カゲムシャ?」

「ゼルってあんたの事だろ?」


 五輪男の驚く言葉にゼルはニヤリと笑う。見慣れたヒトの笑い方と同じ、頬を上げた笑い方だ。


「太陽王より続くアージン一族の鬼っ子。アージン一族の不良品。マダラのゼルとは俺の二つ名だ。そして、お前の隣に座っているのは俺の女房で太陽王の娘。エイラ。俺は入り婿としてエイラと暮らしているんだが、色々あって面倒が多い」

「そんな時に、ゼルそっくりのヒトが居るって報告があって、この人が直接見に行くって言いだしてね。それで仕方が無いから私も付き合ったんだけど……災難だったわね。死ななくて良かったわ。これだけそっくりだと私も間違えそう」


 アハハと朗らかに笑ったイヌの女性。

 今確かに太陽王と言ったぞ?と、五輪男は驚きの眼差しで見ている。

 太陽王と言えばロイ・ソレイユと称されたルイ王のはずだ。


 驚きと戸惑いでパニックを起こしている五輪男を他所に、ゼルとエイラは馬車の中で笑いあっていた。


「きっとここの暮らしが気に入るわ」

「あぁ。慣れればいい所だ。とりあえず君の話を聞かせて欲しい」

「名前はワタラセイワオだっけ?」


 いっぺんに畳み掛けられて少し混乱しているのだが、五輪男は一つ息をついてから口を開いた。段々と事情が飲み込めてきたと言うのも有った。


「そう。ワタラセが姓。家の名前。名はイワオ。姓の意味は川を渡ること。名の意味は五つの輪の男ってこと」

「そうか。でも、ワタラセって音だと忌地の名前と同音だ。イワオは君の名だろう。ならば真名を呼ぶのは良くない」

「俺は気にしないけど?」

「こっちが良くないんだ。そうだな……」


 ゼルが何かを考え込む。その隣でエイラが笑っている。


「ねぇゼル。ワタラセじゃなくてワタラにしようよ」

「そうだな。それが良い。ワタラ。今はすっかり使わなくなった言葉で岩って意味だ。こんな状況なのにどっしり構えて動じないイワオはまるで岩のようだからな」


 馬車の中で笑い続けるゼルとエイラ。

 えらい所へ来てしまったと五輪男は思い始めていた。


■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


「それがあなたのお父上と私の最初の出会いです」


 静かに語るワタラの言葉を不思議そうに聞いていたエイダ。

 ワタラとゼルを順番に見比べ、もう一度首をかしげた。


「僕にはワタラの方が父上に見える」


 そんな言葉に苦笑を浮かべる一同。

 ワタラはエイダを抱えあげゼルの膝の上に乗せた。


「この方が私には自然に見えます」


 何処か寂しそうに見ているエイラが、ジッとエイダを見ていた。


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