修羅の庭へ
~承前
「ララ」
小さくそう呟いたカリオン。
スレンダーな身体に豊かな胸が見えるララ。
その表情には、驚愕と狼狽が張り付いていた。
だが、カリオンは同時に別の事にも気が付いていた。
長く同じ時を過ごしたが故に、嫌でも気が付くのだろう。
――――老いている…………
そう。ララの姿は生命力に溢れる若さを感じさせた少女の姿では無い。
相応に年を取り、働き盛りに差し掛かった世代のそれに見えるのだ。
「リリス様が…… 魂を…… くださいました」
両眼一杯に涙を溜めたララは、絞り出すような声でそう言った。
罪悪感と隠しきれない嬉しさをブレンドした収まりの付かない感情だろう。
なぜならそれは、『父』であるカリオンにとって最も大切な人物のものだから。
母サンドラを嫌っている部分は無く、むしろ同じ様に愛を注いではいる。
だが、女の勘は男には気がつかぬ真実を容易に見抜くもの。
カリオンにとってのサンドラは后であって妻では無いと言う部分だ。
だからこそヒトの姿に身を窶してなお、カリオンはリリスを愛した。
その身体へ愛を注いだことも一度や二度ではない事を知っている。
あの二人の間に子が出来なかったのが不思議なくらいだ。
だからこそララは戸惑いと困惑を抱えている。
いや、もっと言えば父であるカリオンの激怒を恐れていると言って良い。
最愛の存在から魂を奪ったに等しいのだから。
だが。
――――魂を渡した……だと?
思わず『え?』と少々ブザマな反応を返したカリオンはスッと立ち上がった。
沢山の疑問がいっぺんに沸き起こり、だいぶ混乱している状況だ。
それでも尚そこに居る娘を抱き締めようと一歩踏み出したカリオン。
その時、それが起きた。
「うっ! うわっ! あっ! あぁぁぁぁぁぁ!!!」
カリオンは両手で頭を抱え蹲った。
何かを言おうとして言葉にならず、喚いただけだった。
瞬間的に大量の何かが脳内へ入って来た。
視界が一瞬奪われ暗転し、その暗闇に膨大な量のシーンが浮かんだ。
――――なんだこれは!
見覚えの無い若いイヌの男が笑顔でこっちを見ている。
老成した姿のリリスがその向こうで笑っている。
古めかしいデザインの軍服を着た騎兵達が槍を構えている。
カリオンは瞬間的にそれが存在しない筈の記憶だと見抜いた。
そして、その記憶の持ち主が存在したことも思い出した。
――――エイダン……
――――そうか……
――――そう言うことか……
天井からしたたり落ちた水滴が浴槽の湯に一瞬で溶けこむ様なもの。
膨大な量の記憶がカリオンの脳内を駆け巡って溶けこんだ。
エイダンと同化した
そう直感したカリオンは、同時に世界の核心にも触れた。
記憶とは魂に、命に、心に宿るものなのだ……と。
この世界へ干渉し、歴史をねじ曲げ、世界の歪みを正そうとしたエイダン。
あの男の命や魂や心は、間違い無くカリオンの未来だったと言う事。
そして、あのヒルダと対峙し戦い勝った瞬間、それが起きた。
――――神の差配か……
リリスが見るなと言った存在。
イヌはおろかキツネですら直視してはならぬ存在。
九尾の存在ですらも祈りを捧げる者がこの世に顕現したのだ。
つまり……
――――この世界の創造者
――――リリスの願いが通ったのだな
ズキズキと痛みを発する頭に手を添えつつ、それでもカリオンはニヤリとした。
最後の最後で全体が丸く収まって良い方向に流れたと言って良い。
なぜなら、心の内側に自分でも説明出来ない満足感があるからだ。
自分自身が経験しなかった記憶や苦い体験がもたらす満足だ。
ただ、呻き声が聞こえたのか、シウニノンチュの砦が急に慌ただしくなった。
石造りの床を蹴る音が聞こえたと思ったら、幾人かが部屋に飛び込んできた。
「若っ!」
最初に入って来たのは、シウニノンチュを預かるヨハンだった。
老成したヨハンは最後に見た時よりも更に年齢を重ねたようだ。
混乱する頭の中を必死に整理したカリオンは、頭を振って立ち上がった。
まだ多少はフラフラするが、そんな事は些細な事だった。
「ヨハン…… そうか…… そうか…… そう言うことか……」
何事かをブツブツと呟きつつ、カリオンは部屋を歩き始めた。
左手を額に当て、右手は腰に陣取ったいつものスタイルだ。
――――何故歴史に干渉しようとしたのか
――――歴史に干渉する前の世界がどんなものだったのか
――――自分がどんな存在で何をしようとしていたのか
カリオンの脳内に膨大な量の存在しない歴史が流れた。
間違い無くそれがエイダンの記憶だとカリオンは確信した。
『あ』から始まる50音の最後は『ん』だ。
エイダに最後の『ん』を付ければエイダンになるのだ。
全てがあるべき形に収まり、問題は収束した。
それを実感し、カリオンは満足げに笑った。
その姿にヨハンはすっかり遠くなってしまった日々を思い出していた。
そして、そんな古き佳き時代の中に出て来るヒトの男も……だ。
「スマンな。色々あってだいぶ混乱していた。まず聞くが、今はいつだ?」
今はいつだ?
その問いを聞いたララは驚くより他なかった。
カリオンの身に起きた事をカリオン自身が理解していたからだ。
「今は帝國歴412年です」
カリオンは驚愕の表情を浮かべつつ『412年だと?』と返した。
あの日、ガルディブルク城で激しい攻防を経験してから12年が経過していた。
「……タイムリープか、それとも次元ドライブでもしたか……いや、超相対性理論にある時間圧縮の影響だな。ブラックホール並の超重力が発生したのだ。事象の地平効果による時間減速をもろに受けたのだな」
カリオンの口から次々と理解不能な言葉が飛び出てくる。
いや、それはもう溢れ出てくると言って良いのかも知れない。
カリオンはずっとブツブツ呟きながら部屋を歩き回っている。
そして、その足が止まった時、カリオンは笑いながら言った。
「世界の状況を教えてくれ。我が国の現状もだ。それと、腹が減ったので何か食べるモノを頼む」
まるで水が流れるようにスッと話たカリオン。
それを聞いたヨハンはだいぶ怪訝な顔になって言った。
「若…… なにかこう…… 雰囲気が変わりましたね」
そう。そこにいるカリオンはカリオンでは無かった。
幼いころから成長を見守って来たエイダ少年や太陽王カリオンではないのだ。
「あぁ、そうだろうな。私の中身が……いや、余の中身が大きく変わったのだ」
ララを含めた全員が『はっ?』という顔になった。
そんな者達の顔を眺めつつ、カリオンは遠慮なく言った。
「本来、余は後悔に焼かれながら死ぬはずだった。これから幾度も生まれ変わり死に変わり、この世界を生きていくことになるのだ。あの聖導教会の導師達が言うようにな。そして余は此度の戦乱で――
カリオンの目がララを捉えた。相変わらず美しい娘だと思った。
そして同時に、重い運命を背負うことになるとも。
――遠く未来からやって来た余の生まれ変わりと融合したのだ。分子レベルではなく生命の根幹と言うべきところまで踏み込み、複数の生命がひとつに融合した。余は今までの余を形作っていた物の姿を取る別の存在だろう。だが、この国を、ル・ガルを導き護る存在であった部分を内包してここにあるのだよ。ふたつの器に入った水をひとつにまとめたのだ」
この世界の常識や知見を大きく越える思想や考え方。
カリオンの口から飛び出して来る言葉は、ララやヨハンの理解を超えていた。
「では、この世界の窮地を救う為に父上は未来から帰って来たと?」
カリオンが一気呵成に説明するその言葉に、ララは自分なりの解釈で応えた。
その言葉にカリオンは大きく頷き、笑みを添えて言った。
「そうだ。もう少し記憶を整理せねばならんが、少なくともその解釈で間違いは無い。この世界に発生した歪みを正すべく、別の世界にいた未来の余がやって来たのだよ。そして……」
ニヤッと笑ったカリオンは一歩進み出てララを抱き締めた。
まだ幼い頃からいつも安らげる場所だった胸の中にララはやっと帰った。
「いや、まだもう少し記憶を整理せねばならん。ゆっくり話そう。時間はたっぷりあるのだからな」
穏やかな口調でそう言ったカリオン。
だが、カリオンの部屋にやって来た者達は一斉に微妙な顔になった。
「実は、そうでも無いのです。若。ル・ガルは存亡の危機にあります。王都紛争のゴタゴタは、まだ全く収まってないのです。ここシウニンはともかく、ソティスは陥落寸前です」
ヨハンは厳しい表情でそう切り出した。
カリオンの内側に沸き起こる感情は言うまでも無いだろう。
過去の記憶はあるが未来は解らない。
多くの歴史書が最後の1ページに空白の空ページを挟むように。
――――なるほどな
リリスの言った人が見るべきでは無い大いなる存在の差配。
それはつまり、歴史をねじ曲げ世界を分割した自分に対する制裁だろう。
――――責任を取れと言うことか
脳裏に浮かんだのは見た事も無い様な世界の光景だ。
漆黒の闇に夥しい光が浮いている世界で鉄の箱に入って飛ぶシーン。
笑みを浮かべるヒトの男女が自分に手を差し出してくれているシーン。
それら全てはエイダンが見ていた世界のものだろう。
彼等はどうするのだろうか?と、どうにもならない心配が沸き起こる。
しかし、それと同時にカリオンは確信していた。
――――みな良い顔をしているな……
そう。そのシーンに浮かぶ者達は皆一様に良い面構えの戦士達だ。
鉄の馬に乗り漆黒の闇を駆け抜け戦う騎士達なのだ。
エイダンが手塩に掛けて育てた一騎当千の強者。
ならば何も心配ない。エイダンの居た世界の問題は彼等が解決する筈。
少なくとも自分ならそうするだろうし……
「……そうか。キャリもさだめし苦労しているだろうな」
ポツリと口を突いて出た言葉。
だが、心の何処かにある『まぁそれでも……』という感情。
あれだけ鍛えてきたのだし、公爵五家の者達も世代交代しつつ学んだ筈。
なにより、一番の手駒と言うべきジョニーとアレックスが居る筈だ。
ならばそれ程に無様な事にはなっていまい。
「そうなんです」
絞り出すようにそう応えたララはヨハンに目配せした。
その僅かな振る舞い方や機微に、カリオンはララの立場を察した。
「若。まずはこちらへ。大広間に色々と用意してあります」
皆一様に酷い緊張状態だ。そして疲弊している。
それを見て取ったカリオンの内にひとつの言葉が沸き起こった。
「そうか。ご苦労だな。皆、よく頑張っていたのだな。素晴らしいことだぞ」
その一言はララを陥落させるに充分なものだった。
必死になって堪えていた感情が溢れたのか、硬い嗚咽が腕の中に漏れた。
「ララ。大丈夫だ」
娘を安心させようと笑みを添えてそう言うカリオン。
その顔を眩しそうに見上げたララは幾度か首肯してカリオンの胸に顔を埋めた。
「凪の海は船乗りを鍛えないと言う。幾度も命を削る困難に直面し、心は鍛えられるのだよ。神は乗り越えられる試練のみを与える。その試練を乗り越える為に努力せねば成らない。成長の本質とはそれなのだ」
己の肩ほどにしか無いララの頭に手を乗せ、カリオンはそう言った。
周囲の者達が息を呑んでそれを聞く中、カリオンはそっと一歩進み出た。
「さて。再び世界を睥睨せねばならんな」
圧倒的な支配者として立つ男の威風堂々たる物言い。
例えそれが空威張りの空元気だったとしても、時にはそれが必要なのだ。
これからどんな絶望を見せられるのか?
それについては潜在的恐怖を感じているのも事実。
しかし、それらを前にして余裕風を吹かすだけの心理的な強みがあるのだ。
――――テッド
――――ヴァルター
カリオンの心の内側に覇気溢れる若者ふたりが姿を現した。
そのふたりは自信溢れる若者らしい笑みで自分を見ていた。
――――お前達ふたりなら大丈夫だ
――――上手くやってくれよ
あのふたりなら、何も心配ない。
なんの根拠も無い事だが、カリオンはそう思った。
それがエイダンの記憶なのは解っている。
これから幾多の経験を積み重ねる自分が育てたと言う事も。
そして……
――――あぁ……
――――そうか……
――――君も居たな……
まだ若いヒトの女が心の中に姿を現した。
酷く心配そうな顔でこっちを見ているのだ。
その隣にはまるでイワオのような精悍さを持つヒトの男。
そのふたりは手を繋ぎ、心配そうに自分を見ている。
懐かしさと誇らしさを同時に感じたカリオンはポツリと呟いた。
「ロック。親を越えてみせろ。バーディー。幸せを掴め。自分の手でな」
その言葉が誰の耳にも入らなかったのは、ある意味では僥倖だった。
自分自身の内面が狂人だと判断されかねないからだ。
――――大丈夫だ
そう確信したカリオンは大広間へと進んでいった。
かつて父ゼルとヒトの男ワタラセイワオから教えを受けた所へ。
そこにある絶望と戦う為に……
<大侵攻~ル・ガル滅亡の真実>
―了―
<大侵攻~全ての解決へ> に続く




