表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
大侵攻~ル・ガル滅亡の真実
664/665

正された歪み

~承前




「だめぇぇぇぇぇぇ!!!!!」


 リリスの絶叫が響き渡った。

 そもそもに次元の魔女と呼ばれる領域まで魔力を高めた彼女だ。

 声自体に魔力を乗せることなど朝飯前に出来るもの。


 そんな彼女が言霊に込めた思いは拒絶。そして反転。

 カリオンに纏わり付いた黒い霧を払う為の一撃。

 強い意志と硬い決意を載せた言葉を発した筈だった。


 だが……


「こっ! これはっ!」


 カリオンに張り付く黒い霧はリリスの声など関係無しに纏わり付く。

 両手を振って払おうとしても、まるで効果が無かった。


 それどころか、カリオンの手を守るグローブに纏わり付いている。

 厚い馬の皮で作られたグローブが見る見る穴あきになっていった。


「だめっ! やめて! お願いやめて!」


 リリスは酷く狼狽した状態でカリオンに抱きついた。

 そんな事をすれば共倒れになるのは目に見えているのに……だ。


 しかし、彼女は全く迷う事無くそれをした。

 全身に魔力の膜を作り、それで黒い霧を払おうとしたのだ。


 柔軟な発想と自在な魔力操作が為せる技だろう。

 ただし、とんでもない諸刃の剣である事は言うまでも無かった。


「だめだリリス! やめろ! 離れろ!」


 自分に抱きついたリリスを見て、カリオンは咄嗟にそう叫んだ。

 彼女の身体へ黒い霧が移動し吸い付き始めていたからだ。


 メカニズムは解らないが、リリスは黒い霧を引き剥がそうとしている。

 そして、己と引き替えに自分を助けるつもりらしい。


「あなたが死んだらキャリはどうするの!」


 リリスの口を突いて出た言葉にカリオンは少しばかり衝撃を受けた。

 自分を勘定に入れない強さや目的の為に手段を選ばない姿勢。

 その純粋な自己犠牲の精神はきっと母レイラ譲りなのだろう。



 ――――ヒトと言う種族の特性



 かつてカリオンはそんな話を聞いたことがあった。

 ビッグストンの授業だったか、それとも父ゼルの言葉だったかは解らない。


 ただ、ヒトと言う種族はその短い生涯に意味を持たせたがるという。

 最初にそれを聞いた時にはまったく理解出来ない概念だったものだ。


 他人の為に生きる。或いは、他人の為に死ぬ。


 それはある意味では無駄の極致であり不条理の塊だ。

 なにより、己が身に係る不幸の正当化に過ぎない。

 有り体に言えば、馬鹿の所行と言い切ってもよいことだ。


 だが、それでもヒトは他人の為に死ぬ事を美徳とする。

 自分を犠牲にしてでも目的を果たそうとするのだ。


「リリス! リリス! やめろ! 離れるんだ!」


 必死にそう叫んだカリオン。

 しかし、リリスは凄まじい形相で張り付いていた。



 ――――手遅れだ……



 目に見えぬほどの微粒子な黒い霧がリリスの身体を蝕み始めた。

 その表現が正確かどうかは解らないが、少なくともリリスは溶け始めている。


 上空に居た筈のヒルダがほぼ全て溶解しきった状態なのだ。

 リリスもそうなるのは目に見えていた。


 そして……


「エイダンッ!」


 ふと気が付いたカリオンが見たものは、溶けた雫を被るエイダンだった。

 溶けたヒルダのドス黒い雫を全身に浴び、エイダンは笑っていた。



 ――――そんな馬鹿な……



 ドス黒い雫を被っているエイダンは空に向かって快哉を叫んでいる。

 あれを被って平気なのか?と訝しがったカリオンだが、エイダンは笑っていた。


 眼を落とせばリリスの身体にはポツポツと穴が出来はじめている。

 黒い霧に見えるひとつひとつの小さな粒に周囲が吸い込まれている。



 ――――リリスが溶けてしまう!



 全ての論理的思考を飛び越え、カリオンの頭脳はひとつの回答を導き出した。


「エイダンッ! エイダンッ! 助けてくれ!」


 そう。この黒い霧を浴びつつエイダンは勝利を喜んでいた。

 恐らくは幾度も幾度も転生を重ね、ここでやっと勝ったのだろう。


 だが、今の自分にはそんな者など関係無い。

 情けない声だと思ったが、実際そんな事だってどうでも良い。

 必用な結果の為には手段など選ぶなと言うのが父ゼルの教えだった。


 最後の最後で責任を取る役目こそが王の王たる部分。

 だからこそ、ここではどんな手段を使ってでも生き延びるのが本義。

 故にここではエイダンに助けを求めるのだ。

 この黒い霧に対抗している存在に。


 しかし……


「なんだ。脇が甘いな。ただ、それも仕方が無い。何度もそれで痛い目にあってきた。こうなることも折り込み済みで想定内ってやつだ。まぁ、今生はこれでお終いで後に託せば良い。これからいくらでも転生するから楽しみにしておくといいさ」


 思わず『は?』と声を出したカリオン。

 全身に黒い霧を纏ったエイダンはここで死ねと言いだした。


「それでは!」


 必死に喰い下がろうとしているのだが、エイダンは意に介してなかった。


「何も問題無い。本来ここではリリスがあれを取り込んで死ぬ筈だった。それが無くなった結果、歴史は大きく変わってしまうだろう。その釣り合いをとる為には必要な犠牲かも知れぬ。その証拠に見たまえ。ウォークもヴァルターも既に」


 エイダンが指差した先、空を見上げて立っていた者達が真っ白になっていた。

 直感的に『塩だ』とカリオンは感じたが、嘗めた訳じゃ無いから確証は無い。


 ただ、今の今まで生きてたはずの者が白い塊の像になっている。

 そんな事が出来るのは魔女だの魔導師だのと言った存在では無いだろう。


「あれは! イナリが呼び出したものは何なのだ!」


 カリオンの声が裏返っている。

 リリスは既にボロボロになっているし、自分自身の身体も削られている。

 痛みを感じなかったせいか今まで気が付かなかったようだ。


「聞きたいか? もう解ってるんだろ? 認めたくないだけで」


 エイダンは全身に黒い霧を纏わり付かせたままカリオンに歩み寄った。

 衣服が崩れ去り肉体が見えたが、その身体もまた崩れ去った。

 そこに現れたのは金属のような姿だった。


「エイダン…… そなた……」


 まだ表情筋が残っていたエイダンの顔がニヤリと笑った。

 それはまるで全身を覆う甲冑が歩いてくるようにも見える姿だ。


「これで良いのだ。世代交代は加速し、新しい時代は新しい世代が切り開く。後進に託し信じる事も大切な事だよ。そうは思わないかね」


 エイダンがふと振り返ると、あのヒトの軍勢がこちらを見ていた。

 彼等の身体には全く黒い霧が纏わり付いていないのが不思議だった。


「この粒子は命を削っているのだよ。世界の均衡をとる為には必要な……燃料の様なものだ。世界を焚き付ける薪として命が必要なのだ。あのヒルダが世界に溶けて消える分だけ必要な『じゃぁ!』


 リリスがその言葉に割って入った。

 空を見上げ、見てはならぬと言った者に手を上げて叫んだ。


「私の命を! この命と魔力の全てを対価に持って行って!」


 まるでミイラか骸骨のような姿になったリリスが空に向かって魔力を放った。

 それはまるで光の帯だった。凄まじい光が空を貫いたのだ。



     【 よ い の か ? 】



 誰かの声が聞こえた。

 心の奥底から沸き上がる衝動的な恐怖。

 根源的かつ本能的な恐怖を感じる声音だ。


「世界の均衡をとる為なら! 私の命を使って! ここまで貯めてきた魔力も!」


 一瞬の静寂。そして重い空気。

 カリオンもまた空を見上げようとしたのだが、リリスの手がさせなかった。

 頭をグイと引っ張り、強引に下を向かせた。それがリリスの左手の最後だった。


 まるで砂のように崩れて消えたリリスの左手が灰になって空へ消えていった。

 それを見ていた空に浮かぶ何かの雰囲気が変わった。



     【 よ ろ し い 】



 選択は為されたらしい。

 どんな仕組みかは解らないが、カリオンの視界が真っ白に染まった。

 何が起きたのかまったく理解出来ないが、恐怖も痛みも無い状態だった。



 ――――ん?



 ふと気が付くと、視界が急速に遠くなっていった。

 自分自身が猛烈な速度で後退するような感覚だ。


 ただ、その視界が変わる事は無い。

 左右の視野そのままに、見ているものが遠くなっていくのだ。

 そして、遠く小さくなった視野の周囲には漆黒の闇があった。



 ――――なんだこれは?



 直感的にカリオンは死だと理解した。

 自分は今、死につつあるのだと思ったのだ。

 そして、あのエイダンがそうであるように、これから転生するのだ……と。


 あのいけ好かない聖導教会のカッパ禿連中が言う神の摂理なのだろう。

 だとすれば、あの空に浮かぶ存在は神その物かもしれない。

 エイダンの言葉通りに受け取るなら、自分の魔力も世界に還元されるのだ。



 ――――あぁ……そうか!



 魔力というものの本質をカリオンは不意に理解した。

 それはこの世界全てに存在する普遍的な力場としての純粋な力だ。

 その力が一カ所に集まり、誰かの意図によって動かされるのだ。


 それこそが魔法の本質。

 それこそが神の摂理の根幹。


 つまり、魔力とは神の領域の力だ。



 ――――俺の魔力も世界に溶けて消えるのか……



 魂とは肉体に存在する命の器。

 命とは生命を走らせる純粋なエネルギー。

 全ての存在が大なり小なりの命を持っている。


 全てを見通せる高次元の座にカリオンの心がたどり着いた。

 何処までも何処までも、意識の縁が広がって行って薄まって行く。




                         これが死と言うものか




 痛みも苦しみも感じず、光も熱も感じない世界、

 恐怖や狼狽は無く、感動も感心もしない世界。

 世界へ溶けていくその瞬間だった。





          カ リ オ ン 






 不意に何処から声が聞こえた。

 どこまでも希薄になっていたカリオンの意識がスッと集まって来た。


 他にどう表現して良いのかカリオン自身が解らない感覚だ。

 この世界の全てへ溶けかけていた、限りなく薄くなっていた意識が集中した。






        リ リ ス 何 処 だ ?






 カリオンの意識は光に包まれた状態で中を漂っていた。

 暑くも無く寒くも無く、不快さや疼痛の無い世界だ。




      『 こ こ だ よ エ イ ダ 』




 不意にエイダと呼ばれ、カリオンの意識が何かを捉えた。

 真っ白い世界の中に一際白いものが集まって来た。

 それがスッとフォルムを帯びた瞬間、そこにリリスが現れた。


 遠い日、カリオンが戴冠したあの初夏のガルディブルクで見た姿。

 銀のティアラを頭に乗せ、豪華な仕立てのワンドを手にした帝后の姿。


「やっぱり……よく似合ってるよ……サンドラには悪いけどさ」


 カリオンは心からの本音を言った。

 誰にも言わなかった心の奥底に隠していた本音だ。




        『 あ り が と う 』




 心を振るわせる波動がカリオンに伝わってきた。

 リリスの心が震えているのだとカリオンは思った。


 カリオンに取っては他の誰でも無い唯一の存在。

 呪われた生物そのものであるリリスこそが妻だった。




  『 あ な た に 出 会 え て 幸 せ だ っ た 』




 リリスの言葉が震えた。泣いているんだと直感した。

 ただ、ティアラを乗せ豪華な衣装を身に纏っているリリスは笑っていた。




 『私の魔力と命と、あと、この世界に存在した証を対価にしたから』




 思わず『え?』と聞き返したカリオン。

 リリスはワンドを頭上にかざし上げて続けた。




『あなたをあの街へ。シウニノンチュへ送ってあげる。キャリを助けてあげて。これから本当に大変な事になるはずよ。カリオン。今の私には時が見えるの』




 フッとリリスが小さくなった。

 いや、小さくなったのでは無く距離が離れただけだ。


 手を伸ばしても届かない所にリリスが行ってしまった。

 それだけでカリオンは酷く狼狽した。

 何かを言おうとしたのだが、全く言葉にならなかった。


 声が出ない。言葉を発せない。意志を示せない。

 そんな状態でなお、カリオンはリリスを求めた。


 だが……




『私を助ける為に世界中のマナを集めていた結果、この世界が酷く歪んでしまったのよ。それを正さなきゃ行けないの。これで良いのよ。私が望んだ結果だもの』




 リリスはもう遙か遠くに小さく見えるだけだ。


 カリオンは声を嗄らして何かを叫んだ。

 声にならない声で愛を叫んでいた。






      オ イ テ イ カ ナ イ デ ク レ





『大丈夫よ。カリオンとはまたいつか逢えるから。どこか違う世界、違う立場でまた必ず巡り会う。私はいつもあなたの近くに居るから。居られるから。因果律をあのエイダンが変えてくれたの。きっとエイダンはあなたよカリオン。ずっと逢いたくて世界や運命や因果を全て書き換えてしまったの。だから大丈夫。あなたが私を探してくれれば、私は何処にでも居るしいつもそばに居るから。あなたの愛を感じられる所であなたを待ってる。いつまでもいつまでも、ずっと、愛して――




 リリスの声は段々と聞こえなくなっていった。

 あぁ、そうか……とカリオンは得心した。


 あの日、あの時。既にリリスは死んでいたのだ。

 ガルディブルク城の中、ウサギのハクトが時間を巻き戻しただけなのだ。


 そのひずみ、歪み、デタラメが是正された。

 この世界を犠牲にして存在していたリリスの時間が一気に加速しただけだ。


 つまり、リリスは世界に溶けていただけなのだ……










               リ リ ス 





 心から愛した唯一の存在。

 もうひとりの自分だと信じていた妻の名をカリオンは呟いた。

 ついさっきまで真っ白だった世界がいつの間にか漆黒の闇になっていた。



 ――――ん?



 フワッと目を開いた時、そこはとても懐かしい場所だった。

 鼻に届いた臭いは、自らのホームを伝えるものだった。


「ここは……」


 のっそりと起きあがったカリオン。

 そこはシウニノンチュにある懐かしい部屋だ。

 父ゼルと母エイラが過ごした、北の砦の一室だった。


「おかえり」


 唐突に声を掛けられカリオンは寝台から飛び起きた。

 その声の主を探した時、そこにリリスが立っていた。

 まだ幼い日、初めて出会った日そのままの姿のリリスだ。


 祖父シュサから貰ったスパッツとツバ広の帽子を被った幼女のリリス。

 彼女は満面の笑みでカリオンを見ていた。


「リリス」


 小さくそう呟いたカリオン。

 リリスはニコッと笑って、そのままスーッと消えた。

 シュサが贈ったツバ広の帽子だけが床に残っていた。


「リリス!」


 思わず大声を出したカリオン。

 寝台を降りて帽子に手を伸ばせば、そこにはリリスの残り香があった。


「……………………」


 カリオンは無言で帽子持ち上げた。

 すると帽子の中から一枚の花びらがこぼれ落ちた。

 無事な帰還を祝う青い花がはらりはらりと宙を舞ったのだ。


「リリス……」


 声を震わせながら帽子を抱き締め震えたカリオン。

 この世界へ帰って来たのを確認する為、リリスはごく僅かに自分を残した。


 次元の魔女である彼女の、その最後の意地。

 カリオンの為だけに残した、その最後の魔術に震えた。


 そして……


「父上」


 不意に居室の扉が開いた。

 驚いてその扉を見たカリオンは、さらに驚いた。

 そこに立っていたのはララだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ