ヒトの剣士/ヒトの兵士
~承前
ふわりと舞い上がった巨石の隙間にそれが見えた。
空中に漂う何かと何か。常人には介入できぬ超常の戦い。
城を構成する構造体すらも持ち上げる、ヒルダとイナリと凄まじい闘争だ。
常識を超える魔力の激突は重力すら捻じ曲げている。
重力という概念をこの世界の人間が理解出来るかどうかは解らない。
だが、少なくとも『ここは危ない』と言う事は解るだろう。
ただ、そんな事は実際どうでも良い事だ。
まずは城内の敵をどうにかせねばならない。
「現状、残敵はどれくらいの勢力だろうな」
ぼそりと呟いたカリオンの言葉に、ウォークは冷静な声で返答する。
共に身体が浮き上がり、上手く立つことすら難しいのだが。
「多くて100でしょう。実際はもっと少ないはずです」
昔からこの男はこんな場面では読みを外す事が無い。
客観的な事実として納得のいく数字を出してくるのだ。
「よろしい」
一言そう言ったカリオンは再び上を見上げた。
徐々に巨石の隙間がふさがり、やがて元の状態へと戻った。
城は相変わらず浮いているのだが……
「堕ちたら死にますね」
軽い調子でヴァルターがそんな事を言うと、カリオンは苦笑いだ。
死ぬことに抵抗は無いが、墜落死と言うのは何とも格好悪い。
どうせ死ぬなら戦って死にたい。
最後まで一人の兵士としてありたい。
それが国軍士官として教育を受けて来たカリオンの本音だった。
「墜落死は歓迎しないな」
カリオンの零した本音に全員が苦笑いしている。
そう。この場に残り王に付き従う者ならば、皆願いは同じだ。
王と共に戦い、王の前で藩屏となって死ぬ。
その重すぎる願いを前に、カリオンは涼しい顔をせねば成らない。
「まぁいい。とりあえず執務室へ向かうぞ。あそこが余の戦場よ」
ペンは剣よりも強しと言うが、それは物理的な意味では無い。
剣を携える騎士や兵士ですらペン一本で自在に操れる存在への皮肉だ。
しかし、そのペンを預かる者は夥しい剣を常に向けられている。
目に見えぬ刃を向けられ、それでも必用な結果に邁進せねばならない。
その心の強さ。意志の強健さ。理想とするものへの忠誠心。
為政者は常にそれを心に持つ必用があるのだった。
「では、参りますぞ!」
ヴァルターは隊列の先頭に立って前進を再開した。
その凄まじまでの剣技は相変わらず容赦の類いが一切無かった。
通路を前進し立ち塞がる者全てを斬り伏せていくのだ。
――――ル・ガル一番のつわものよ……
目を細めそれを見ているカリオンは、時々は立ち止まって辺りを確かめる。
その都度に隊列の前進も停止し、兵士は水を飲んだり弾薬を補給した。
指揮官という立場の者が求められる能力は率いる数によって変化するもの。
分隊小隊レベルと軍団を指揮するのでは全く意味が違う。
そしてここでは、強攻集団の息づかいを確かめつつ前進が求められる。
疲れすぎず、弾薬を消耗させすぎず、常に余力と余裕を持つこと。
同じ装備で同じ数の兵士でも、気力体力の充実度によって大きく違うのだから。
だが……
「何奴!」
先頭のヴァルターが大声を張り上げた。
次の瞬間、銃兵が一斉に集中投射を行った。
カリオンの立ち位置からはよく見えないところで偶発遭遇が起きた。
「親衛隊! 斬り込め! 吶喊!」
何が起きた?と訝しがりつつ、カリオンは兵の列を押し分けて前進した。
そこに魔法攻撃や銃弾が飛び交う危険性は頭から抜け落ちていた。
指揮官として、責任者として、何より、この国を預かる王としての責務。
最前線で何が起きているかの把握は何より重要だから。
しかし、そんなカリオンの意思をよそに、最前線は文字通りの鉄火場だ。
「小癪な!」
ヴァルターの声が聞こえ、カリオンは剣の柄を握りなおした。
あと数歩のところで見たのは、獅子の剣士と乱闘になっている現場だ。
敵勢は凡そ30名だろうか。
対する親衛隊は10名足らずに減っている。
――――随分減ったな……
率直に言えばもはや親衛隊という組織ではない。
単に腕に覚えのある剣士の集団でしかない。
ここまで生き残ったメンツ故に、剣技の方は問題無いだろう。
それに、運の良さも折紙付と言っていいはずだ。
たいする獅子の側もそれなりに腕の立つ者が生き残っているはず。
一切の綺麗事を抜きに言えば、弱い者から死ぬし運の悪い者も死ぬ。
畢竟、人の生き死には運に振り回される。
一度でも戦場に立ったなら、それが真実であると認めざるをえないのだ。
「ヴァルター! 余の足を止めるな! 押し返せ!」
何とも芝居掛かった物言いだと思った。
人を人とも思わない、ふざけた物言いだとも思った。
ただ、そんなモノを押し流すほどの強力な圧となって獅子の軍勢が押し寄せた。
通路の奥、大食堂へと通じる通路から次々と獅子の大男が出てくるのだ。
――――何が起きた?
状況を飲み込めぬまま、ヴァルターは場当たり的な対処の奔走している。
余りに敵勢が多い関係で圧し負けているのだ。
「もう良い! もう良い! 抵抗しない! 助けてくれ! 頼む!」
誰がそれを発したのかは解らない。
だが少なくともル・ガル側の兵士では無いだろう。
その声の主をカリオンが探した時、何処かから鋭い声が聞こえた。
「ッセイ!」
シュッと空気を切る音が聞こえた。剣先が空気を切り裂く時に出る音だ。
その直後、最前線となる所から情けない悲鳴が聞こえた。
「った! 助けてく――
誰かが何かを叫んだ。その直後、プシュッと何かが吹きだす音が聞こえた。
兵の波を追い越したカリオンが最前線に着いた時、獅子がそこで死んでいた。
「――――ッ!」
何かを叫ぼうとしたカリオンは声が出なかった。
そこに居た存在は余りに異形の者だからだ。
全身を隙間なく覆う甲冑は光沢のある黒染めだ。
まるで鏡のように磨き上げられた表面には辺りの景色が写っている。
そして、甲冑の上に乗る兜には視界をつくるスリットの類が一切ない。
視界をどうやって取っているんだ?
率直な疑問が沸き起こったのだが、同時にカリオンは思った。
かつて遭遇したヒトの兵士とは全く異質な存在だという事に。
刃渡り1メートルを軽く超える剣は反りのある片刃。
その剣自体もまた黒染めの仕上がりだ。そして、光の反射が少し異様だ。
鋼ではなく何か未知の金属で拵えられた凄まじい業物。
――――真銀か?
伝統的にイヌの社会で加工されてきた魔晄金属であるミスリルにも見えるもの。
実際にはこの世界では実現不可能な比重の異なる金属同士を混ぜ合わせた代物。
その切れ味は凄まじいの一言ですら片付けられないものだった。
「陛下! 御下がりを! この太刀は――
ヴァルターが何かを言おうとした時だ。
黒いヒトの剣士はふわりとジャンプしてから体重を乗せた斬撃を繰り出した。
その一撃を盾で受けようとした獅子は、盾ごと真っ二つに斬って捨てられた。
盾に使う金属は槍や剣先よりも堅くて丈夫な物を使うはず。
しかし、そんな事は一切感じられない凄まじい切れ味だ。
それこそ、まるでバターの塊を熱したナイフで切るように斬り捨てている。
ただ、本当の衝撃は別の所にあった。
――――そんな馬鹿な……
カリオンは言葉が無かった。
かつて見た父ゼルと同じ剣技がそこにあった。
結局最後までモノに出来なかった、片刃の剣を使った戦い方。
父ゼルはこの世界にはない技術体系と体捌きで戦っていた。
北方総監だったゼルと斬り結んだ者は皆同じ事を言った。
『あの剣とは戦いたくありません』
……と。
防御を疎かにしている訳ではない。
だが、全く付け入る隙を見せない圧倒的な攻撃的剣術。
そして、一刀一刀に心からの殺意を込めた一撃必殺の討ち込み。
シュサ帝が肝煎りで作らせたゼルの為の剣は、相手の剣ごと叩き斬る威力だ。
その剣が、剣術が、相手を圧倒する暴威がそこにあった。
「距離を取れヴァルター! この世の剣士では匹敵能わぬ! そ奴は無敵ぞ!」
カリオンがそんな事を言った時、ヒトの剣士は最後の獅子を斬って捨てた。
そもそもイヌですらも見上げる偉丈夫な獅子だが、それも問題じゃなかった。
単に的がデカいだけ。或いは、斬りやすいだけ。
疾風の如き踏み込みと怒涛が如くに叩きつけられる剣の暴力。
獅子の男は為す統べなく真っ二つに斬られて果てている。
「……なんて事だ」
ウォークの声が震えている。
圧倒的な威力と暴力が目の前で展開された。
勝っていたとはいえ、それでも獅子相手では苦戦していたイヌだ。
そんなイヌを一方的に屠り続けたヒトの剣士は息の乱れすらない。
手にしていた剣をブンッ!と空振りし、刃先の脂を振り払った。
たったそれだけの行為だが、カリオンは十分に悟った。
剣先の速度も威力も全く次元が異なる……と。
その速度で斬られたならば、もうどうにもなるまい。
突き詰めれば、騎兵も剣先も速度こそが武器なのだから。
「そなたは何者なのだ」
スルスルと歩み出たカリオンは、歩きつつそんな事を言った。
どう見たってこの世の者では無い事など明白だった。
ブンッと音を立てて再び脂を払ったその剣士は、背中にあった鞘へ剣を収めた。
その瞬間、ギュンともギンともつかぬ音が聞こえて来た。
――――剣を手入れしている……
何の根拠も無いが、カリオンはそう直感した。
この世界より数段優れた文明を持つヒトの世界から来たのは間違い無い。
茅街のヒトが居れば、或いは細かい話をも聞ける可能性がある。
だが、現状ではどうしようも無いのだ。
「そなたらは何処からやって来た。いや、どうやってここへ来た。ヒトの世界から来たのであろう。余を育てた父もヒトであった。如何なる手立てなのか――
カリオンはこの接触の機会を無駄にはしたくなかった。
意思の疎通が図れるなら、これ以上の好機は無い。
こちら側の戦力に取り込めるなら、それはそれで重畳だ。
様々な思惑が一瞬で頭を過ぎる。それもまた為政者の業なのだろう。
しかし、そんな悠長な事を言ってられる状況では無かった。
「敵襲!」
国軍兵士の誰かが叫んだ。
大食堂へと通じる通路側の奥から新手の一団が現れた。
「まだいるのか!」
ヴァルターは再び剣を振り上げた。
太陽王恩賜の戦太刀は鈍く輝きつつも血を滴らせている。
どれほど斬ったか覚えてないが、この乱戦で21人目までは数えていた。
だが……
「遅い」
獅子と斬り結び始めたヴァルターの耳にそんな声が届いた。
今までに聞いたことの無い声音だった。まるで壁越しに聴こえるような声だ。
瞬間的にヴァルターは声の主を覚った。
ヒトの剣士だ!と。
そして、二人目を斬り伏せた時、漆黒なヒトの剣士は音もなく剣を抜いた。
細身の身体を強い前傾姿勢に保ちつつ、両足を折り畳み加速体制になっていた。
……ふと、ヴァルターは思った。
ヒトの剣士のお手並み拝見……と。
しかし、そんな不純な興味はすぐに脅威へと変わった。
それはまるで、何かが弾けるが如しだった。
「ッセイ!」
一瞬、ヴァルターは耳の奥に痛みを感じた。
立ち耳の奥にある鼓膜を針で貫かれたような痛みだ。
その痛みの正体は、ヒトの剣士が振り抜いた太刀の風切りだった。
常識では計れない速度での一撃が目の前で起きた。
その一撃で獅子は体を真っ二つに斬られていた。
上半身と下半身が完全に両断され、ヒトの剣士はその亡骸を突き飛ばした。
――――バカな!
ヴァルターとて超一流の剣士だ。
だからこそ、このヒトの剣士があまりにおかしい事に気付く。
このヒトの剣士は息継ぎをしていない。
いや、息継ぎどころか息をしていない。
どんな剣術にだって型があり、その型と型の合間に呼吸するのが普通だ。
凡そ人間ならばどれ程息をうまく使っても、三度の斬撃で息がきれるもの。
しかし、このヒトの剣士は全く呼吸しないまま五人を斬って捨てた。
呼吸を必要とする剣士の常識を嘲笑うように……だ。
――――ありえない……
――――ありえない……
――――こんな剣はありえない!
余りに異常な剣術を見せるヒトの剣士はこの世の者では無い。
人並み以上の剣士であるヴァルターだからこそそれを理解した。
そして……
「新手!」
ヴァルターが気付いたのは、通路の奥からやって来た一団だ。
獅子だけで無く雑多な集団が塊になって押し出されてきた。
通路は玉座に続いている筈なのだから……
――――あいつら玉座に!
――――ひとりも生かしておくものか!
瞬間的に激しく沸騰したヴァルターは剣を構えなおした。
玉座は王のみが座るべき所。その場を汚した罪を贖えと燃え上がった。
そして、少し重く感じる剣を振り上げ斬り込んだ時、ヒトの剣士が追いついた。
「動くな。邪魔だ」
一瞬何を言っているのかヴァルターは理解出来なかった。
いや、それはヴァルターだけでは無い。少し離れた場所に居たカリオンもだ。
だが、そんな疑問はすぐに驚異へと変化した。いや、驚異では無く脅威だ。
ヒトの剣士とは異なる甲冑を身に纏ったヒトの兵士が現れた。
同じく光沢のある継ぎ目の無い甲冑は剣士とは異なる色だ。
――――目的別……
そんな事を直感したカリオンだが、すぐに別の違和感にも気付いた。
姿を現した3人ほどの兵士だが、その内1人は明らかに女だ。
胸の膨らみが見て取れる甲冑姿で、やたらと目立つ白塗りだ。
「そなたらは……」
何かを言いかけたカリオン。
だが、その直後にその女が背中辺りから銃を取り出した。
何処かで見たデザインだと考え、しばらくして思い出した。
遠い日、サンドラが身を寄せていた山中の隠れ里で見付けた銃と同じだ。
細部の仕組みは異なるが、この世界の銃とは本質的に異なるデザインの銃。
その銃が一斉に火を吹いた。
剣士以外の3人が雑多な種族へ銃撃を加えたのだった。
――――バカなっ!
それはあまりにもショッキングな光景だった。
たった3人の兵士が構えた銃は恐ろしい速度で連発射撃を加えている。
一発一発丁寧に発車するル・ガルの銃が玩具に見える代物だ。
ダダダダダダダダダダダダダダダダ・・・・・・・・・・・・・・
その銃弾を受けた獅子の国の補助軍兵士は次々と爆散していた。
弾丸の速度が速すぎて、当たった瞬間に肉体が弾け飛ぶのだ。
肉体を貫通した銃弾は石の壁に当たって跳ね回っている。
その圧倒的な攻撃力を前に、獅子の兵士はただの挽肉状態へと変わっていた。
カリオン以下、ル・ガルの面々全員が言葉も無くその暴力を見つめた。
「何という……攻撃力でしょうか」
呆れた様な声音でウォークがそう零した。
どんな手段を使っても、この世界では防ぎようが無い攻撃だ。
「敵に回したくないな」
カリオンもまた本音で返答した。こんな敵と相まみえるのは勘弁だ。
彼等と最初に接触した河原での光景をふと思い出す。
まるで爆散する様に砕けていた死体がどうやって作られたのか。
これを見れば一目瞭然なのだった。
「全くです」
それ以上の言葉が無かったウォークは、一言だけ返答した。
どうやらそれが聞こえたらしいヒトの兵士が手を伸ばして手招きした。
近くに来い。どう見てもそんな意味だった。
「一緒に来い」
剣士は再び剣を鞘に収めてそう言った。
何が起きるのかは分からないが、絶対碌な事じゃ無いと確信した。
「何処へ行くのだ?」
カリオンはそう問うた。この城の責任者として必用な行為だった。
だが、その返答はあまりにも手短で簡単なモノだった。
「玉座だ」




