あっけなく・・・・
~承前
「少しばかり下手をうちやした。面目ねぇ」
コトリが自分のエプロンを切り分けて布玉を作る中、リベラは項垂れていた。
裏通路の多少広いところで足を止め、応急措置の真っ最中だった。
「仕方ないわよ。それに、生身だったら即死よ?」
コトリの詰めた布玉に手を触れ、何事かを詠唱したリリス。
少しの間を置いてリベラの腹に詰められた布玉が身体に同化した。
一度は死に果てたリベラだが、その魂はまたこの世に遺っている。
リリスの拵えた人形の中に護符の魔方陣を作り、そこに縫い付けられていた。
「これで問題無く動きやす」
木製の人形だったはずだが、リベラの魂を宿した途端に肉の身体となっていた。
ただ、斬られたり撃たれたりすれば魔法が解けてしまい、傷も入る。
事実、ヒトの兵士が放った銃弾が貫通し大穴が開いたのだ。
魔法による肉体錬成は、物理的な攻撃に弱いのだった。
「もうあんな無茶しないでね」
少し呆れるようにそう言ったリリス。
ここで小休止する前、リベラは突然後方へと引き返したのだ。
――――少し離しすぎやした
――――あっしが囮になりやす
……と。
そして、細い通路を音も無く駆け抜けたリベラは途中で気が付いた。
自分の後ろにピッタリとコトリが付いてきてる事に。
『すぐに戻れ。お嬢を1人にするな』
至極当たり前の事を言ったリベラ。
だが、コトリはすぐに反論した。
『一緒に行けと言ったのはねぇさまです』
僅かに足を止め苦笑いを浮かべたリベラ。
リリスが何を思ってコトリを付けたのかはすぐに察しが付いた。
ただ、その停止があまりにも不用心だった。
稀代の細作として世界にその名が知られていた男にあるまじき油断だった。
『……ッ!』
言葉にならない悲鳴を上げてコトリが最大限に身体を捻った時だった。
音を発しない何かが飛んできて、リベラの身体を貫通した。
その、ごく僅か後に彼方から発砲音が聞こえた。
音よりも早い銃弾!
音速を超える攻撃なんてモノが存在するのかと驚くが、問題はそこでは無い。
小さく『キャッ!』と悲鳴を上げてリリスの元へと走り出したコトリ。
囮として戻った以上、応急措置はその後だ。
『待って! 行かないで! 助けるから!』
後方からそんな声が聞こえたが、コトリは必死になって走った。
すぐ後ろにピッタリとリベラが付いていた。
影にコトリが入っていれば撃たない……
瞬間的にそう考えたリベラの作戦だった。
だが、そんなリベラの頭辺りに幾つも銃弾が通り抜けた。
コトリより頭1つ以上背の高いリベラ故に頭を狙われていた……
「いくら私でも頭を打ち抜かれたら無理だから」
「……へぇ。肝に銘じやす」
リベラの魂を繋ぎ止める護符は頭部にある。
どこに繋ぎ止めるか?と相談し、リベラは頭と応えていたのだ。
「とりあえずヒトの集団を待ちやしょう」
「いや、すぐそこに居る。もう指呼の間ね」
秘密通路の曲がり角を過ぎたところなので直接は見えないはず。
薄暗いと言う事もあって肉眼では見えないが、リリスは魔力で姿を見ていた。
「じゃぁ、歩きやしょう」
リベラはわざと足音を立てて歩き始めた。
通路には幾つも分岐があり、構造を熟知していなければ迷路そのもの。
――――彼等は確実に追ってくる
何の根拠も無いが、それでもリベラはそう確信していた。
間違い無く彼等は優秀だから。それも飛びきりに優秀だから。
「お師匠さま。少し急がないと」
「いいのよ」
少しばかり焦っているコトリだが、リリスは余裕ある姿を崩さなかった。
迫ってくるプレッシャーを感じつつ、優雅に慎重さを加えて移動する。
つまりそれは、確実に追いつけない距離を保つ。
そこに拘っている。或いは腐心しているのだ。
あの集団を引き寄せて、屋上へ導かねばならないのだから。
「……お嬢。きやしたぜ」
リベラの耳が何かを捉えた。リリスやコトリには聞こえない何かだ。
そして、だんだんと屋上に近ずいた結果か、リリスの感覚がアヤフヤだ。
――――なんだろう……この感触
リリスも不思議がる妙な感触。
身体の表面に静電気が流れているような感覚だ。
何かで見られていると直感しているのだが、ヒトの軍勢に魔力は感じない。
つまり、屋上の戦闘に影響を受けている可能性が高い。
とんでもない魔力量の術者同士が戦っている影響を受けている可能性だ。
魔術師が持つ魔法への肌感覚的な部分にノイズが混じっている。
肝心な部分で判断を誤ったり、あるいはミスしたりする可能性もある。
どれ程に注意を払っても気をつけても、防げない事だった。
……と、なれば。
「屋上へ急ぎましょ」
イナリかヒルダのどちらか。または両方だろう。
この城内にまで感覚の網を広げて探しているのだ。
どういう訳かカリオンとリリスのふたりに執心している。
その理由はきっと碌でもない事だと直感しているのだが……
――――理由を聞きたいわね……
どこか達観したように内心で呟いたリリス。
そんな彼女の耳にも硬い足音が聞こえた。
金属が何かにぶつかる音や、軽い衣擦れと共に。
「ねぇさま!」
「焦っちゃ駄目よ」
あくまで優雅に歩くリリス。
薄暗い通路を進み、再び角を曲がって階段を上がる。
一段一段が大きな段差の階段は膝が辛い。
この肉の身体が僅かに老い始めているのかも知れない。
或いは作り物故に劣化しつつあるのかも知れない。
もしかしたら、屋上の戦闘に影響されてるのかも。
様々な事を考えつつ上の階へと移動して更に通路を進む。
ふと、人の気配を感じたリリスが足を止めた時、目の前に隠し扉があった。
「何かいやすぜ」
スッとリリスの前に出たリベラが扉の向こうを探る。
コトリも壁に耳を当て、音を探った。
複数の気配と足音。重量のある存在が大量にいる。
石積みの城だが、床材は木製なので足音は響くのだ。
「獅子の兵士でしょう」
コトリは静かな声でそう言った。
これだけ大きな気配を撒き散らしつつ歩くのは獅子以外ありえない。
だが、そんなリベラの肩を押し、リリスは扉の向こうへと出た。
何ら警戒する事無く、無造作にガチャリとドアを開いて。
「駄目!」「お嬢!」
瞬間的にふたりが声を上げた。コトリとリベラだ。
扉の向こうが何処であるかを知っているのはリベラだけ。
リリスは単純にここが何処だか座標を知りたかっただけだった。
だが……
「……あ」
隠し通路を出た瞬間、リリスはそう一言だけ発した。
扉の向こうは城の大食堂で、普段なら食器棚に隠れている死角だった。
ただ、問題はそこじゃない。完全に無防備かつ無警戒でそれを行ったのだ。
リリスの頭脳が異常を出しつつある。危険性を感じ取れていないのだ。
――――マズイかも……
自分で解っていながら対処のできない事もある。
リリスはだいぶおかしくなっていた。そのまま部屋の中央に進み出る程に。
慌てて飛び出してくるコトリとリベラをおかしいと笑う程に……
「何者!」
獅子の男が剣を振りかざした。リリスは咄嗟に魔力を集めて押し放った。
猛烈な衝撃波が発生し、近距離に居た獅子やネコの剣士が一斉に吹き飛んだ。
瞬間的な魔術の行使に関して言えば、獅子の魔術師よりもリリスが上。
事実、一切対処出来ないままに獅子の面々は壁に向かって吹っ飛んでいる。
しかし……
「お前! シーアンに居たヒトの女か!」
獅子のひとりが起きあがって剣を振り上げた。
恐らくはリリスがとんでもない敵であることを理解しているのだろう。
まずこの女を斬る。そう決めたらしい獅子はグッと力を入れて突進した。
その直前にリベラが割って入り、リリスへの刃を止めた。
ただ、獅子の側も相当な手練れなのだろう。
瞬間的にリベラの胴体を蹴り飛ばし、リリスへ向かってリベラが飛んだ。
流石ネコだとコトリが思ったのは、空中で姿勢を変えリリスを避けたシーンだ。
リベラはスイッとリリスの後ろに入り込み、後ろに引き倒そうとした。
獅子の剣が迫っていたからだ。
そしてそこに、とんでもない存在が現れた。
「ッソイ!」
聞き覚えの無い声が聞こえた。
声の主を探したリリスは、そこにヒトの兵士を見付けた。
前進を黒染めの甲冑に包み、驚く程の刃渡りな長刀を持っている。
――――嘘でしょ……
そのヒトの剣士は掛け声と共に獅子の剣士に割って入った。
一瞬で8人を斬ったヒトの剣士は、返す刀で6人ほどいたネコを斬った。
その常識外れな剣の速さにリリスは悲鳴を上げて逃げ出した。
「お嬢!」
その時、リベラは致命的なミスを犯した。
とんでもない手練れが目の前に居る状況下で、敵から視線を切った。
リベラの目はリリスを追いかけていたのだ。
そして……
――――え?
何かが身体の中を通り過ぎた。熱いとか痛いと言う感覚はなかった。
瞬間的に身体が言う事を聞かなくなり、その場で前に倒れた。
斬られた!
そう理解した時、リベラの目の前には硬い床があった。
まだ何とか首だけは動くと瞬間的に気が付き、リベラは横を向いた。
そこにはヒトの兵士が立っていて、自分に銃を向けていた。
リベラはその銃口が光ったのを見た。
その直後、今度は何も見えない何も感じない無明の底へと落ちた。
死んだ……と思いつつ、これは次に生かせると思った。
この世界にその名を轟かせた最強の細作。
リベラトーレの生涯はここで終わりを告げた。
――――同じ頃
この回廊はこんなに長かったか?
カリオンはふと、そんな印象を持った。
玉座の間では無く執務室へと続く道は、大広間からそれ程離れていない筈。
国家運営に必用な機関は一所に固めて作るからだ。
だが……
「うわぁぁぁぁ!!!!!!」
情けない悲鳴を上げて何かが飛び出してきた。
飛び出してきた元は大食堂への分岐路辺りだ。
「何奴!」
飛び出して来た存在がネコだと認識した瞬間、若い騎士が誰何した。
辺りをキョロキョロと伺いながら、慌てている風に飛び出したからだ。
それを見たヴァルターは問答無用に斬り捨てた。
本当に一瞬の出来事だったが、その太刀筋はまるで線を引いたようだった。
「陛下! そちらに!」
唐突にウォークが叫び、同時にカリオンは伯父カウリの剣を振り抜いた。
カリオンのすぐ背後にあった扉からも獅子の男が出てきたのだ。
「な……」
何かを言おうとしたらしいが、その前にカリオンは振り抜いてた。
剣先が獅子の男を捉え、その首を一刀で切り落とした。
ゴトリと硬い音が響き、獅子の男のからだが事切れて斃れた。
石造りの床は硬かろうな……と、そんな事をカリオンは思った。
「随分と深くまで入り込まれたな」
血糊を払うべく太刀を空振りしたカリオン。
その刃先が生む音に混ざり、太陽王の溜息がこぼれた。
「大食堂に拠点を築いた可能性がありますね」
ウォークは小さな声でそう言った。
ガルディア大陸の全てに睨みを効かしていた太陽王の王城。
その中に敵勢力が拠点を作ってしまっている。
それだけじゃ無い。
栄える花の都だったガルディブルクも今は面影無く荒廃していた。
――――こんなはずでは……
率直に言えば、カリオンはそんな心境だ。
己の不手際と不明により、この1ヶ月程であまりにも多くのモノを失った。
過去の大祖国戦争では王都の半分が完全に焼き払われたこともある。
だが、今はそれを上回る損害だろうし、王都の放棄もあり得るくらいだ。
古都ソティスへの後退を含め、イヌの国ル・ガルは存亡の危機だ。
「ですが、逆に言えば袋のネズミでしょう」
ヴァルターがそう言うと、カリオンを取り囲んでいた兵士達が勝ち鬨を上げた。
ここは勝手知ったる我が家で、何処で死んでも我が祖国。
城を枕に討ち死になどとヒトの世界では言うそうだが……
「掃除ですよ。掃除。良い機会です。大掃除しましょう」
ウォークは手にしていたサーベルの血糊を払って笑った。
この男はいつもいつも良いタイミングで辺りの緊張や緊迫を緩めてくれる。
その気遣いと察しの良さ。何より頭の回転の良さこそがカリオンの宝だ。
「そうだな。ふたりとも良い事を言う。余には気が付かぬ事だったわ」
ニヤリと笑い再び足を進めようとしたカリオン。
それに合わせ城内の一団が再び動き始める準備態勢となった。
目指す執務室は指呼の間だが、やはり遠いと感じる。
ならばまずは大食堂だ。そこを掃除せねばならない。
――――思えば……
そう。思えばここへ過去幾人も呼びつけてきた。
断罪する為。無理難題を依頼する為。
或いは、国家発展の為に他国の使者を招聘したりもした。
改めて思えば随分と横柄な事もした。太陽王という肩書きに胡座をかいていた。
少なからぬ後悔にカリオンは身悶えたが、現実はそんな余裕などなかった。
「あっ!」
誰かが何かを叫んだ。
それと同時、鋭い銃声が聞こえた。
「ウォーク!」
厳しい声音がカリオンから発せられ、ウォークは首肯して近くの扉を開けた。
執務室へお茶などを運ぶ通用路への扉向こうから聞こえたのは国軍の銃声だ。
「たっ! 助けてくれ!」
情けない悲鳴を発しながら何かが走って来る。
ウォークが剣を構えたとき、再び銃声が聞こえた。
「ウォーク!」
カリオンが再び声を上げたとき、通路の奥から三度目の銃声が聞こえた。
30匁程度の弾丸が扉を貫通して来ていた。濃密な射撃は明らかに殺し間だ。
「侍従殿!」
通路の奥から誰かがそう叫んだのが聞こえた。
瞬間的にカリオンは何かを覚悟した。
あの射撃密度を浴びれば、人など簡単にボロ布レベルに引き裂かれる。
エリクサーはどこにあったか?と脳裏を過ぎるのだが……
「ッエイ!」
裂帛の声が響き、同時に何かが床に当たる音が聞こえた。
カリオンは並み居る剣士を押し分け、強引に前へと突き進んだ。
通用路には返り血を全身に浴びているウォークがいた。
「怪我は無いか!」
「無事に!」
何処にも弾の当たってないウォークが立っている。
僅かならぬ奇跡だと驚くが、それ以上にビックリなのは転がっている死体だ。
獅子とネコだけで無く、獅子の国で補助軍と呼ばれた雑多な種族がいる。
城に侵入したのが獅子とネコだけでは無いと言う事実にカリオンは頭を抱えた。
「どれ程侵入したと言うのだ……」
少しばかり苛立たしげにそう言ったカリオン。
周囲は反応に困り沈黙を守っていた。
「いずれにせよ彼等を」
ウォークは消防用水を頭から被って血糊を流した。
それを見ていたのは国軍の銃兵だった。
「太陽王陛下!」
「ご無事でしたか!」
「ル・ガル万歳!」
口々にそう言いつつ集まってくる銃兵は20名ほどだ。
少しばかり戦力的に厚くなったのを喜ぶのだが……
「何があった?」
まずは状況を聞いたカリオン。
だが、返答は想定外のものだった。
「それが、我々は獅子の一団を追跡していたのですけど、連中は大食堂に陣取っておりまして、そこに射撃を加えようとしたらコトリ殿とリース殿が現れ、その直後にリベラ殿も姿を現したのですが――」
思わず『なに?』と聞き返してしまったカリオン。
銃兵は少し驚いた様子を見せつつも報告を続けた。
「――獅子がリベラ殿へと斬りかかった瞬間に数名のヒトの軍勢が現れまして、猛烈な射撃を加えて獅子の集団を撃退しました。僅かに生き残った者も居ましたが、ヒトの軍勢の中にとんでもない手練れの剣士が居まして、あっという間に獅子を惨殺し彼等は恐慌状態になって散り散りに逃げ出しました。我々はそれを追って来た次第です」
驚くより他ない報告だがカリオンはそれを丸呑みするしかない。
すぐそこにリリスが居る事実に胸が熱くなるが、それ以上にヒトの軍勢だ。
リリスたちがどうなったのか、それが知りたかった。
「で、ヒトの軍勢はどうした?」
「それが」
銃兵の報告によれば大食堂になだれ込んだヒトの軍勢は4名のみ。
ただし、パニックに陥ったのは獅子だけではなくこちらも同じとの事。
リリスとコトリは更に何処かへ逃げだすもリベラは抵抗を試みたという。
そして……
「斬られたのか」
「はい。凄まじい最期でした」
銃兵が見たというリベラの最後は、ヒトの剣士による袈裟斬りだという。
一瞬で完全に真っ二つになり、その直後に銃撃を受け四散したという。
それを聞いたカリオンは息をのんだ。
稀代の手練れであるリベラを一瞬で斬り伏せる腕前の持ち主。
そんな存在が城内に居るのだから。
「リベラ殿の仇を取らねばなりません」
ヴァルターは妙なやる気を見せている。
だが、カリオンはすぐに気を取り直して言った。
「バカを言うな。まずは執務室だ。ヒトの軍勢がやって来るかも知れんからな」
一瞬の空白。そして沈黙。
何を危惧しているのかは言うまでもない。
だが、太陽王の見せた温情の発露を皆が味わおうとした瞬間、それは起きた。
何処かから爆発音が聞こえたかと思ったら、周囲のものがフワッと浮いた。
そして、何が起きたのか理解する前に結果がやって来た。
周囲にあった壁や天井やありとあらゆるものが空に吸い上げられた。
何かを発しようとしたカリオンが見た物は、空中に浮かぶイナリとヒルダだ。
周辺にある物を破壊しながら、ふたりは凄まじい魔術の闘争を続けていた。