新体制への移行準備
静まりかえった会議室の中心部。
大振りのスイカ程な水晶玉をジッと見つめる面々の表情は硬い。
栄えるイヌの国。ル・ガルの都ガルディブルクから北へ歩いて10日。
かつてはイヌの国の都であった街。ソティスのど真ん中にある城の中だ。
「……父上」
奥歯を噛みしめ水晶玉を凝視するキャリ。
既に溜め池一杯ほどは溜息を零していた。
「流石すぎて言葉がねぇな」
キャリの近くで水晶玉を睨み付けていたジョニーがそう零した。
戦線を駆け回った後、ジョニーはカリオンからソティスへ行けと指示された。
夢の中でキャリを逃がすから護衛してくれ……と依頼されたのだ。
「父は……」
何かをたずねようとしてジョニーの方を向いたキャリ。
その顔には耐え難きを耐える男の懊悩が詰まっていた。
「何も言うなキャリ。アイツはこれを思ってお前をここへ逃がしたんだ」
ジョニーがそう言うと、キャリは『これって?』と質問した。
そんな若王の姿をボルボン家の夫婦が黙って見ている。
いや、ルイとジャンヌのふたりだけでなく、レオンを預かるポールもだ。
「耐える事だ。耐えて忍んで、好機を待つ。激情に逸ること無く、状況を正確に捉えて分析し、次の一手に生かす。王の責務を学ばなきゃならん」
キャリの視線を感じつつ、ジョニーは水晶玉を凝視していた。
ガルディブルク城の中心部。玉座の間の裏辺りにある執務室だ。
キャリの手下に入った魔術師カカによる遠見の魔術。
研鑽を重ねたカカによる操作により、カリオンの動きは手に取るように解った。
「……我慢って事ですね」
短くそう返したキャリ。
ジョニーも『そうだ』とだけ返答した。
キャリを導いてきたドリーはもう居ない。
あの激しい爆発により蒸発しただろう。
カカの水晶玉が炸裂したんじゃ無いかと驚く程の威力。
だが、本当に凄惨なのは翌日辺りの情景だった。
――――人が!人が溶けています!
最初にそれを見付けたビアンカは、少しばかり情けない声を出した。
ただ、それもやむを得ない事だ。業病で腐り死ぬ者よりも酷い姿なのだ。
瞬間的な高熱を浴び、その後で急性放射線障害に陥る。
この世界の科学的知見では全く説明の付かない事象が発生している。
あのヒトの少佐が行った何かの爆発は、この世界では実現不能な威力だ。
――――これは何が起きているんだ?
キャリも頭を抱えた想像を絶する惨状。
しかし、ガルディブルク城の頭脳と呼ぶべき知識階級はここにはいない。
理解不能な出来事と想像の付かない結果。それらを前に冷静さを保つ訓練。
ジョニーはカリオンの思惑をそう理解していた。
「何日か前にも見たように、この世界の森羅万象全てを説明することなど誰にも不可能だ。だからお前はそれらを前に何故?を考えちゃいかんのだ。何故ではなく、対処を指示する役なんだ」
カリオンがそうであった様に、キャリもまたそれを学ばねばならない。
多くの先達が教え導き、そしてそれを我が身の一部とした様に……だ。
「……父はよく言ってました。最後の責任を取る役だと」
「アイツらしい物言いだ。けどな、それってアイツの親父さんの言葉だぞ」
「え?」
水晶玉から目を切りジョニーを見たキャリ。
いや、キャリだけで無く側近達の全てがジョニーを見ていた。
「いや、俺も聞いただけだから間違いがあるかも知れねぇけどな」
強い西方訛りがつい出てしまうジョニーだ。
逆に言えば素の言葉とも言えるのだろうが……
「それでも自分には導きですよ」
暗に続きを言えと催促したキャリ。
その辺りの腹芸を身に付けるのもまた太陽王には必用な事だ。
「要するにさ、士官は部下に死ねと命じる。いや、死ねとは言わねぇが十中八九は死ぬ事になる命令を下すだろ?」
キャリはコクリと首肯し、ジョニーはそれを見てから続きを言った。
「おめーはその士官に死ねと命令しろって命令する立場なんだよ」
―――――古都ソティス中心部 ソティス城大広間
帝國歴400年 11月8日 夕暮れ時
王都ガルディブルクを脱出して5日目の午後。
ソティス城の大広間には新生ル・ガル指導部が出来上がりつつあった。
各方面からソティスへと集まった官僚達が新体制を整えつつあるのだ。
その夕刻、ボルボンの夫婦は城の大広間をキャリとビアンカの為に開放した。
新生ル・ガル王。いや、6代目太陽王の為の暫定玉座としたのだ。
その広間の中、カカはキャリに命じられガルディブルクを見せていた。
城に残っているはずのカリオン王とリリスを見たかったからだ。
だが……
「死ねと命じろと……命じる」
不思議な冷たさを持った言葉だ……
キャリは率直にそう思った。
ジョニーが聞いたという父カリオンの言葉には、氷の牙が潜んでいた。
それを全能なる者の特権と捉えるようでは、まだ修行が足りないのだろう。
喪われる者の事後を考慮する事無く、実直に結果だけを求める立場なのだ。
痛みも悲しみも全部承知しつつ、それでも部下を斬り捨てる。
少数の犠牲で大多数が生き残るのであれば、王はそれをする義務を持つ。
「そうだ。おめーもビッグストンで学んだだろ。どれ程に辛くとも部下に許しを請うなと。苦しんで藻掻いて死んでいく部下に言うべきは済まないでは無く良くやったと言う賞賛だ。国家という巨大なモノを預かるんだから、それを忘れんな」
小さな声で『はい……』と漏らしたキャリ。
水晶玉の向こうではカリオン自らが幾人かの獅子を斬り捨てている。
王の責務として、一分一秒でも長く生き、抵抗し、脱出を試みねばならない。
それは単に王権の維持存続と言う意味では無く、敵を引きつける囮としてだ。
「あの剣……オヤジのだな」
キャリの後見人として黒尽くめの衣装でいるトウリがそう呟いた。
それを見ていたサンドラは、複雑な表情でキャリを見た。
ここに自慢の息子が居て、胤の主がいて、そして彼方には夫がいる。
その複雑な人間関係に内心が散々に乱れていた。
「……王では無くリースさんを見れませんか」
唐突にそう言ったサンドラはカカへ視線を向けた。
帝后として君臨する存在が異常なまでに配慮する存在。
しかもその相手はヒト。
キャリの首席魔導官として扱われつつあるカカだ。
リースの存在とその正体を薄々感付きつつあった。
「お易い御用です。こちらに」
カカは僅かに魔力を操作し、城内の裏ルートで一休みしているリリスを映した。
リリスの近くにはコトリとリベラがいて、何事かを行っていた。
「……マジかよ」
ジョニーは何をしているのかを理解した。
リベラが腹部を押さえているのだ。
現状のリベラが単なる人形であることは知っている。
ただ、その内側がどうなっているのか迄は知らない。
――――そこまでして……
奥歯を噛んでそれを見つめるジョニー。
リベラはぽっかりと空いた脇腹辺りに布を詰めていた。
肉の詰まった生身の身体では無く、柔軟性を持った木のような素材感だ。
「リベラ様は……人間じゃ無かったんですね」
キャリの手をぎゅっと握りつつ、ビアンカはそう呟いた。
義父カリオンが殊更大事にする存在・リリス付きのエリートガード。
ガルディブルク城内で最強の存在だったネコの男だ。
過去幾度も顔を合わせ、時には話をしたこともある。
常に警戒を怠らず、何処にでも居て何処にも居ない様な気配の無さだ。
凍てついた冬の朝の風。
ビアンカはそんな印象を持った。
言葉に出来ないところで直感していたのだろう。
このネコの男は敵に回してはいけない……と。
「なんだ。ビアンカは知らなかったのか」
「かつてはちゃんとした人間だった。かの人物は望んでああなったんだよ」
ビアンカの言葉にジョニーとアレックスがそう応える。
まだまだ知らない事だらけだ。そう表情を曇らせたビアンカ。
それを見て取ったサンドラは静かに言った。
「知らないというのは恥ずかしい事じゃなくてよ。知らぬ事を恥じるのでは無く、知らない事を知らぬままにすることを恥じなさい。他人に教えを請う事は、すなわち他人との縁を結ぶ事に他なりません」
豪華のソファーの上。上品な仕草で佇むサンドラには帝后の迫力がある。
そんな彼女の役回りはすなわち、次期帝后ビアンカの教育に他ならない。
自分自身が姑ユーラやレイラから受けた教育を次につなげる事。
凄まじい経験を積み重ね、幾多の困難を乗り越えて強くなったのだ。
「はい、お義母様」
二の句をつかせる事も無く、ただ丸呑みさせる教育方針。
元々がオオカミ出身で特別に教育されてきたサンドラだ。
キャリの后となったサンドラには特別な思いがある。
――――この娘は私と同じなんだ……
サンドラ自身がそうであった様に、ビアンカもまた道具として育てられた。
言わずもがな、内側から少しずつ蝕む役として送り込む為だ。
アージン王家に嫁ぎ、その内側から少しずつ少しずつ根腐れさせる女。
まかり間違って後継を産んだなら、その存在にオオカミの未来を託す。
決してそれを忘れないように、無意識下の所にそれを刻み込む。
極限まで練り上げられた精神支配術を施され育ってきたのだ。
――――あの娘は聖導教会の操り人形ね
最初にそう喝破したリリスは全部承知でサンドラに教育を丸投げした。
遠い日、荒地の河原で姑ユーラと己が母レイラの最期を共に看取った女にだ。
その心の内には『強い女』の何たるかが既に存在している。
あの時、すべて承知で皆を守ったユーラの背中を共に見た。
オオカミ一門の中で練り上げられた精神的な呪いはもう解けていたのだ。
だからこそ、相手を威する帝后の座に納まったし、カリオンの相方足り得た。
本来の夫であるトウリに複雑な感情を抱きつつ、カリオンにも抱かれた。
今はもう息子キャリの胤はカリオンじゃ無いかと錯覚すらしていた。
――――大丈夫よ
――――私が一人前にするから
サンドラは笑みを浮かべてリリスにそう言った。
愛憎半ばするリリスだが、同時に唯一無二の戦友でもあるのだ。
「しかし……凄まじいですね。かの軍団は」
少々呆れ気味に零したポール。
城の中を駆けていくヒトの軍団は凄まじい威力を見せている。
事にリリスを追い掛けている4人ほどの別働隊には凄まじい剣士が居た。
出会う敵全てを一刀の元に斬り捨て続けていて、その剣技は超絶だ。
「しかもこの集団。我々より遥かに強力な銃を装備していますね」
「全くですわ。あんな威力じゃ甲冑も紙のようですこと」
ボルボンの夫婦も息をのむ破壊力と貫通力。
ル・ガルが持つ40匁弾でもここまでの威力にはならないだろう。
事実、獅子の戦士が持つ大楯は、至近距離でなければ撃ち抜けない。
弾速が40匁よりも遥かに優速な30匁の高速弾でも無理なのだ。
しかし、ヒトの持つ銃は容易く貫通するだけでなく3人目まで撃ち抜く。
「あの銃とは戦えないな」
キャリは顎を擦りながら溜息のような言葉を漏らした。
どんな石やら岩レベルでなければ遮蔽物足り得ないのだ。
それを思えば、剣と魔法で挑んでくる獅子の方が余程組みやすい。
事実、カリオン一行はむしろ押し返しつつあった。
太陽王の持つ手駒の強さと戦上手ぶりが際立っていた。
「若王」
室内で黙って様子を伺っていたジダーノフの主が切り出した。
キャリと共に古都ソティスへとやって来たボロージャは決然とした顔だった。
「……行くなよ? アイツは怒るぜ? 何故来たってよ」
その内心を読み取ったのか、ジョニーはボロージャに釘を刺した。
王都で戦っている太陽王に助太刀したいと言う願望だ。
「あぁ、間違い無くそうだろう。だが、それでも行かねばならぬ時がある」
こうなっては王の命令では無く己の意志だ。
ボロージャは今すぐにでもソティスを発ちたいのだと意志を示した。
「王の本音は若王優先ですよ。今は耐える時かと」
アレックスもまた同門のボロージャに釘を刺す。
国家国体の護持こそが最重要課題なのだ。
カリオン王は死すとも、次の太陽王が盤石であれば良い。
実際、ル・ガルは過去何度もそうしてきたし、これからもそうあるべき。
カリオンは言外にそう言ってるし、そう振る舞っている。
――――耐えろ
過去幾度も極上の窮地を経験して来たカリオン王だ。
全く同じ経験を息子に経験させ、育てたいと言う部分があるのだった。
「ジダーノフ卿。ここはひとつ……父の意志を汲み取って貰えませんか」
奥歯を噛みしめ、キャリはそんな言葉を吐いた。
それがどれ程辛い一言だか分からぬ訳じゃ無い。
だからこそボロージャも二の句が継げないのだった。
「……御意」
少しばかり歯痒そうな様子のボロージャ。
そんな様子を見ていたビオラは何かに気が付くように言った。
「ところで、王は五日間も戦い続けられてますが……体力は大丈夫でしょうか?」
誰も気が付かなかった事実。
キャリが王都を脱出し、夜を駆け続けたのには理由があった。
――――とにかく走り続けてください
――――王都より一歩でも遠くへ
沢山の取り巻きや城勤めの者達。それだけでなく、民間人もいた。
また、後方支援となるル・ガル軍の輜重部隊なども共に脱出したはず。
夜の闇に紛れ城へ引き返した親衛隊長ヴァルター以下200名程度以外だ。
「言われてみればそうだな。食事などはどうしてるんだろう?」
キャリは少し首を傾げてそう言った。
そこに口を挟んだのはロナことロナルドだった。
「そもそもですが、なぜ城の中は明るいのでしょうか?」
カカと共にキャリの随伴魔導師として頭脳の役を買って出ているロナ。
魔術師を目指すだけあって細々とした所まで本当に良く気が付くのだ。
そんなロナが気付いたのは、ガルディブルクのソティスの時間差だ。
ソティス城に差し込む夕日はそろそろ店じまいの様相でもある。
だが、ガルディブルク城では魔だ日も高く、昼下がりの空気だった。
「それなんですがね……なんかどうも……変なんですよ」
カカは水晶玉へと注いでいる魔力を操作しつつ首を傾げていた。
不意に映像が乱れ、まるで視界が広がるように視点が城を飛び出した。
そして鳥のような視点の高さでガルディブルク城を見下ろしていた。
城下の街並みは見るも無惨にボロボロで瓦礫の山だ。
そんな街を見下ろすように、ガルディブルク城は宙に浮いていた。
「何がどう変なんだ?」
答えを言えとばかりにキャリがそうたずねた。
するとカカは水晶玉に手を添えつつ、中を覗き込んでから言った。
「まるで過去の映像を見ているようです。上手く言えませんが時間差があります」
時間という概念がまだ上手く説明出来ない世界だ。
現状のガルディブルク城に起きている事を説明することなど到底無理だった。
ガルディブルク城の最上階付近には巨大な黒い玉が浮いていて、中が見えない。
「あの黒球の中はどうなっているんだろうな」
頭をボリボリと掻きつつそう言ったジョニー。
アレックスも首を傾げながら続けた。
「あれが諸悪の根源かもな」
水晶玉の中に浮かぶ黒球は城の上部をすっぽりと覆っている。
まさかその中でネコの女王とイナリミョージンが戦ってるとは思わないだろう。
「……やはり現地へ行くしか無いのでは?」
最近は滅多に人前で口を開かなくなったタリカがそっと囁いた。
女性的な遠慮でもあるのだが、同時にそれはビアンカへの配慮でもあった。
少なくとも帝后として君臨する存在なのだから、その頭越しはまずい。
女の姿をしてはいるが女では無い。中途半端な存在である以上はやむを得ない。
目立たず騒がず、控え目に控え目に立ち振る舞う重要性だ。
「いや、それは無いな……しかし……」
何かを思案したキャリ。皆がキャリの次の言葉を待った。
耳が痛いほどの静けさが大広間を埋めている。
それに気が付いたキャリは内心で『あ……』と呟いた。
――――これが王の視座か……
父カリオンが見ていた世界。太陽王が見ていた世界。
全ての視線が自分に集まってきて、指示を仰ぐ立ち位置。
言葉にならない寒気が背筋を駆け抜けた。
王と言う立場と肩書きの重圧を初めてキャリは感じた。
その時だった。
「なにあれ」
ビアンカが唐突に水晶玉を指差した。
城全体が見える視座にあって映している最中、何かが城の付け根辺りにいた。
大きな傘でも広げたかのように空から降ってきた何か。
ふたつの大きな傘は城の付け根辺りの大手門に降り立った。
何ら根拠の無い直感だが、これが終わりの始まりだとキャリは思った。
小さな姿でしか無いが、そこに映っているのは間違い無くヒトだった。