行かないで!
~承前
……さて
カリオンは腹の底でそう独りごちた。
リリスはコトリと共にもう出て行った。
こうなればもはや、無事を祈るしかない。
だが、城の階下より時より聞こえる鋭い銃声が不安の虫を大きくした。
それは、国軍兵士の持つ新式銃とは異なる威力を持った銃声だ。
耳に当たる音は衝撃波に近く、その空振が大口径であると教えてくれた。
正直、直撃を受ければいかなる手立ても通用しないと感じるレベルだ。
「陛下。こちらも動きましょう」
顔色を悪くするカリオンに対し、ウォークは冷徹にそう意見した。
厳しい表情を見れば、リリスとコトリを案じ動き出せない事が見て取れる。
何より、その身の上を知るウォークだからこそ、その気持ちはよく分かるのだ。
だが、そうは言っても肩書きがそれを許さぬ時だってある。
身内を案じる前に己を案じなければならない立場にいるのだ。
そしてその側近中の側近ともなれば、厳しいことも言わねばならない。
「……そうだな」
カリオンは一瞬だけ非常に険しい表情を浮かべ、短くそう応えた。
その含みのある姿に、ウォークは何かを察した。
時としてカリオンの勘は異常なレベルの鋭さを見せることがある。
つい先ほど見たリベラとの別れでは、何度も死ぬなと釘を刺していた。
――――あぁ……
ウォークはそこでカリオンの真意に気がついた。
ここではリリスやコトリではなく、リベラが死ぬのだろう。
それを感じ取ったからこそ、カリオンは動けないのだ。
情け深き孤高の支配者。
部下を案ずるそのスタンスにウォークは目頭を熱くした。
「リベラ殿の働きに…… 報いねばなりませぬ」
ウォークは瞬間的に言葉を変えた。
僅かな部分だが、それでも何かアクションを挟んだ。
カリオンはそれで、長年の腹心が意を汲んだ事を知った。
相変わらず察しの良いやつだ……と思いつつ。
「殺すには惜しい男故にな……」
まだ何処か迷っている風だが、その双眸には強い意志がある。
そして右手を腰に添え、左手を額に当てる仕草が出ればウォークは安心だ。
呆然としているのではなく、もの凄い速度で何かを組み立てている。
脱出の手順か、それとも勝ちに至る戦略か。その実は知れない。
だが、少なくとも茫然自失に滅びを待っているのではない。
――――――行ける!
ウォークは当然のように、木の実が枝から落ちるのを疑わぬように。
一切の疑念なく『勝ち』を予感した。城内の敵を掃討し城を出るのだ。
このル・ガルという国家を導く支配者として、まだ太陽王は死んでなかった。
「ここでは偶発的に遭遇しかねません。いきなり突入されれば全滅です。せめて抵抗拠点となる処へ」
勝ちを前提にした時、その頭脳は普段より数倍の速度で論理を組み立てる。
太陽王の懐刀として長年やってきたウォークだ。やる事は一つしかない。
勝つ為の進言と懸念点の指摘。
一切ぶれないスタンスの男がそう言うと、カリオンは幾度か首肯し応えた。
瞬間的に思いついたには上出来だと思いつつ……
「執務室界隈が良いだろうな。あそこは周囲の壁が厚いし小部屋が多い」
カリオンの示した方針が何であるかをウォークはパッと理解した。
官僚や議員らが待機する為、太陽王執務室の周辺は小部屋が多い。
様々な資料や陳情・奏上にやって来る者達の為にそう造られていた。
――――ここは我が方に有利
オープンな戦場では魔法との連係でさだめし苦労するのが目に見えている。
だが、この城内など狭いところでは前衛の剣士が邪魔で魔法を使いづらい。
時には前衛ごと魔法を使うが、それは回復の手立てがある場合に限る。
この事実に気が付いた時、戦い方はガラッと変わる。
つまり、小部屋の続く辺りに誘い込み小隊単位で潰せば良い。
ヒトの軍勢には太刀打ち出来なくとも獅子やネコなら何とかなる。
そんな読みで対抗するしかない。
「では早速」
ウォークがテキパキと統制を始めた。
こんな場面では本当に頼りになる男だとカリオンは思う。
ただそれでも、不安や心配の虫が心の何処かで蠢めく。
カリオンの耳の中では、あのノーリの鐘が鳴り響いていた。
――――手が足らぬな……
どうしたって戦力的には心細い状況だ。
獅子の剣士だけなら何とかなるが、あのヒトの軍勢が相手では荷が勝つ。
手札を増やす算段が必要なのだが、剣士の絶対数的に不利なのだ。
「ヴァルターはまだ戻らぬか?」
こんな状況ともなれば、あの男の不在が響く。
やはり頼りになる男だと思いつつ、不在であればそう対応するだけだ。
――……いか! カリオン陛下!」
このタイミングでか!と、カリオンは思わず表情を崩した。
人混みの向こうから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「遅くなりました! 不敗のヴァルター見参!」
返り血をたっぷりと浴びて不敵に笑うヴァルターがやって来た。
婦人衆には決して見せられぬ凄まじい姿と臭いだ。
戦場の混乱を経験すれば、それは嫌でも理解出来るもの。
激しく戦闘をして来たのがすぐに解る状況だった。
「ヴァルター 先ずは水でも被れ。まだそこらの桶に水が残っているだろう」
もぬけの殻とはいえ、痩せても枯れてもここは王都の王城だ。
城内の各所に消火用水の桶が水入りで置かれているし、水道もある。
不測の事態に備える蓄えは、ル・ガルの実力そのものだ。
「それより陛下! 近隣の小部屋に敵が潜んでおります!」
ヴァルターが何と戦ってきたのか。その一言でカリオンは理解した。
恐らくは獅子の側も撤退したいのだろう。彼等もヒトの軍勢には勝てない。
そして、孤立した戦闘団である彼等は、増援など期待出来ない集団だ。
この城の中で勝ち切るか、何らかの手段で撤退せねば成らない。
と、なれば、こちらがやる事は一つだ。
「なるほど。解った。ウォークに掃討を命じたのでお前も参戦せよ」
カリオンの指示は至極簡単だ。周辺の小部屋を全て掃討すれば良い。
先ずはあの獅子の軍勢と手引きしたであろうネコを仕置きする。
その上でヒトの軍勢の対処だ。
「御意!」
ヴァルターは部屋の隅に積んであった防火用水の桶を手に取った。
鼻の効くイヌの城故に、水が腐らぬよう中身は毎日必ず入れ替えられていた。
その水をザバリと被り血を洗い流したヴァルターは鬼気迫る笑顔だ。
「では、近くから! 手隙の者四名! 我に続け!」
ヴァルターはすぐさま部屋を出て向かいの小部屋へと飛び込んだ。
室内には手負いの獅子が三名ほど潜んでいた。
――――こんな近くに居たのか!
これにはさすがのカリオンも面喰らった。城内の混乱は限界に近い。
一歩間違えば、彼等はこの広間に突入して来た可能性もあった。
逃げるしか手立ての無い敵を相手に、未知の城内で接近戦を繰り広げる。
いくら獅子の男が精強を誇るとも、さすがに無理だろう。
「少しくらいは同情してやっても良いな」
太陽王としてあるまじき発言だが、それでもカリオンは思った。
彼等は勇気ある挑戦者だと。そして、一騎当千の益荒男だと。
その心の強さに敬意を払うべきであり、讃えられるべきだ。
もっと言うなら、出来れば友邦であって欲しいとすら思った。
ガルディア大陸の統一国家として、対等に付き合えれば……と。
そんな政治家としての思考に一瞬だけ沈んだカリオン。
極上の窮地はそんなタイミングでやってくるのだった。
「あっ!」
誰かがそう叫んだ。凄まじい音と共にドアが蹴り破られた。
ワンドを手にした獅子の男が幾人か室内へ飛び込んできたのだ。
――――魔導士!
何か指示を発する前にルフが動いていた。
瞬間的に対抗魔法を組み上げて防壁を張った。
その表面でバチバチと火花が飛んだ。
雷撃の魔法か!とカリオンが認識した時、既に親衛隊剣士が襲い掛かった。
強い体躯をほこる獅子だが、魔導士はやはり軽装のようだ。
一刀の元に斬り捨てられ、獅子は瞬時に絶命した。
「ここも危なそうだな」
ぼそりと呟き叔父カウリの剣を取ったカリオン。
室内の耳目が集まったのを見て取り、短く指示を出した。
「執務室へ向かう。立ちはだかる者全てを斬り捨てよ」
決戦が近付いている……
そんな予感がカリオンを突き動かしていた。
――――同じ頃
カリオンが動き始めた頃、リリスとコトリは隠し通路を走っていた。
リリスの後ろにはリベラが付いていて、コトリと共に前方を警戒していた。
幾つもの階段を駆け下り、玉座回廊と壁一枚を隔てた通路をゆく三人。
壁の向こうに人の気配を感じた時、リリスの目に人影が映った。
「あっ!」
短く発したリリスの言葉。
その眼差しの先には獅子とネコの剣士が居た。
抜き身の長刀が赤く見えるのは誰かの返り血だろうか。
根拠は無いが『イヌだろうな……』と察した。
「失礼しやす」
グッと加速したリベラはフワリとリリスを飛び越えて行った。
両手の指の股には小さな刃物が挟まれていた。
「姉さま! 後ろへ!」
慌てた声を発しつつ、リベラと共にコトリもリリスの前に出た。
師たるリベラと同じ様に、刃物を指に挟んでいた。
――――あぁ……
リリスは大事な事を思いだした。そうだ。そうだった。
コトリはリベラの弟子だ。それも、飛びきり優秀で物覚えの良い弟子だ。
必殺の技術を教えられ、いつもいつもあっという間に自分のモノにしてきた。
今は検非違使だが、城内で”仕事 ”をした事だって幾度もある。
リベラと共に侵入者を処分し、幾度も危険の芽を摘んできた。
そして……
「…………ッ!」
息を切る小さな声が聞こえ、その次の瞬間には幾人かの剣士が倒れていた。
一体どれほどの威力で放ったのだろうか?とリリスは少し驚く。
コトリの放った小さな刃物は剣士の頭を貫通していた。
リベラよりも数段威力のある一撃は、あっという間に数名の剣士を処分した。
覚醒体にならずとも、基礎的な膂力はリベラを圧倒しているのだった。
「……まるで銃弾ね」
驚きの声と共にリリスが呟く。ネコの剣士は頭蓋の後部を弾けさせていた。
本来ならその威力を褒めねばならぬ所だが、リベラは苦々しげに応えた。
「貫通しちまっちゃダメでさぁね。刺さって抜けねぇ位で止めねぇと」
師たるリベラの厳しい声音に、コトリは小さく『はい』と応えた。
頸椎や頭蓋を弾けさせた死体を検めつつ、リベラは続けた。
「殺しちまうと、相手のツレはパッと切り替えちまう。怪我をさせればそっちに手を取られる。1対複数の時は相手が死なない程度に怪我をさせろ。その後で順番に片付ければ良い」
冷徹な『指導』の言葉にリリスは反応を控えた。
上手く言えないが、師弟関係に口を挟むべきでは無いと思ったのだ。
「細作に情はいらねぇ。何度も言ったと思うが、ただただ割り切れ。情け深い細作がただの一人もいねぇ理由をよく考えろい。情け深けぇ奴はとっとと死ぬんだ。死んだら名前が残らねぇからな。生き残った奴ぁ、大概が血も涙もねぇってこった」
典型的な生存バイアスでしか無いが、それでも十二分に説得力の言葉。
努力したって成功するとは限らないが、成功した者は努力している。
努力は裏切らない……などとカマトトぶった所で実は結ばないだろう。
方向性を誤った努力は無駄になるし、結果の出ない努力は意味を持たない。
――――――生き残る事
――――――任務を果たす事
このふたつを完璧にやり遂げてこそ、細作は細作足り得る。
その心構えについて、リベラは少し危惧していた。
コトリは殺しすぎるのだ。
「威力があるのは良いけどな、したっけいつも全力じゃぁ……芸とは言えねぇってこった。時には威力を抑えろい。これだって、まだ生きてりゃ囮にだって使えたかも知れねぇ。その辺りをな、もうちっと……上手くやれ」
いつの間にかコトリの技はリベラを圧倒する威力になってた。
問題はその技の精度や完成度と言った面に移っている。
師を凌ぐ力を持った弟子相手に、リベラはモノを教えなければならない。
その難しい局面で、リベラは何処か楽しんでいる風でもあった。
「欲は邪魔な存在なのね」
ポツリと漏らしたリリスの言葉。
王家王族として難しい問題に関わってきたからこその呟きだ。
私情を挟まず、愚直に結果だけを求めるやり方。
突き詰めて考えれば、結局はそれが一番上手くいく確率が高い。
「その通りにござんす。人の欲は身を滅ぼしやす。勝つんじゃねえぇ。ただただ、失敗しねぇようにってこってす」
リベラの言葉には強い自信が滲んでいた。
今までがそうであったように、これからもそうなのだろう。
生き残ったからこそ伝えられる、自分の成功体験。
それに拘泥せず、余裕と自由を持って振る舞えれば一人前なのだ。
「とりあえずもう少し進みましょう。行くよコトリ」
「はい義姉さま」
場の空気を変えるようにリリスがそう切り出した。
少し救われた気がしたコトリだが、一歩踏み出した時にそれは起きた。
裏通路を進んだ先辺り。目の前の壁がクルリと回ったのだ。
玉座回廊の何処かにあった隠し通路への入口が開いたらしい。
通常であれば回廊の無機質な壁を隠すように厚い緞帳が下りている筈。
質実剛健でありながら、全ての面で優雅に豪華に設えられた城内。
各所に設置された各地通路への入口も、今は丸見えかも知れない。
「…………え?」
あろう事か、リリスはその場に立ち尽くしてしまった。
あまりにも唐突な遭遇に対処が出来なかったのだ。
そこにはヒトの軍勢の兵士が尻餅をついていた。
まるで金属のような光沢を放つ純白の甲冑姿をした存在が……だ。
その胸の辺りには女性的な膨らみが見える。
顔の全てを覆っている兜には左右にウサギのような耳があった。
――――――ヒトだ!
あまりにも長い刹那の一瞬。
ごくごく短時間ながら、一気に思考が回転し事態は動いた。
遭遇した
誘い出すべき存在に。
手を出せない存在に。
送り出すべき存在に。
そして同時に悟った。
……死ぬ!
金属の光沢を持つ甲冑姿のヒトが立ち上がった。
リリスよりも細身で、僅かに背がある様だ。
ただ、問題はそこでは無い。
そのヒトの兵士が持つ銃の筒先がリリスを向いていた。
無機質の極みと言うべきそれは、無言の殺意を撒き散らしていた。
「姉さまッ!」
コトリはリリスの背中辺りに手を伸ばしてグッと引いた。
強靱な体躯が発揮する凄まじい力に、リリスは後方へ吹っ飛んだ。
「危ないッ!」
後方へ吹っ飛びつつ、リリスは身を翻させてコトリに抱きついた。
ふたりしてそのまま床へと倒れ込んだとき、頭上を何かが通過した。
それが銃弾だと気付いたとき、リリスは最初にリベラを見た。
理屈では無く直感として、ネコが撃たれると思ったのだ。だが……
「ほほぉ……」
リベラが唸った。とんでもない速度の銃弾がやって来て、リベラを掠めた。
そして、その銃弾はリベラの後方にいた獅子の剣士に当たった。
コトリでは無くリベラの放った一撃で死にきってなかったのだ。
ヒトの兵士はどういう訳か最初に獅子を撃った。
2~3人の獅子が一瞬で吹っ飛んだ直後、リリスは這いずる様に立ち上がった。
「逃げるよ!」
その直後、別のヒトの兵士が何かを言った。
尻もちをついていた別の兵士らしき存在が何かを喋ったのだ。
言葉として認識出来た訳では無いが、何かしら声がけされたのは間違い無い。
その言葉を無視し、リリスとコトリは立ち上がって走り出した。
リベラは的を絞らせない余に小刻みな姿勢変化を行いつつ走った。
何気なくリリスが振り返った時、ヒトの兵士は銃をおろしていた。
――――こっちも女だ!
二人目のヒトもまた胸に膨らみを持つ女の姿だ。
こちらは黒尽くめの甲冑に赤い線が入った、少し小柄な存在だった。
ただ、問題はそこでは無いし、銃撃でも無い。
慌てて走り出したリリスとコトリに耳に聞こえたモノだった。
「ちょっと待って! 行かないで!」
ル・ガルの言葉でヒトの兵士が呼び掛けてきた。
どうやった解らないが、素顔を晒したヒトの女だった……