稲成降臨
~承前
フワフワと宙に浮いている葛葉御前は薄笑いで佇んでいる。
キツネの都から直接やって来たのだろうか、草履すら履かぬ姿だ。
ただ、その周囲の空間は完全に歪み、凄まじい魔力の顕現化が起きている。
もはや魔力だとかそう言ったものではなく、存在自体が神々しさを放っていた。
――――――神通力
魔導に携わる者ならば、恐らくは全てがそう表現するだろう。
魔力とか魔素とかと言った物では無く、もっと根源的な畏怖の空気があった。
そしてそれは、彼女も一緒だった……
「……これは ……面白そうだな」
「全くだ。歯ごたえがあれば良いが」
精一杯の余裕を見せるヒルダは左手一本で魔力を練り、葛葉へと放つ。
まるで鉄砲水の様に飛び掛かる質量を持った煙の様な物だ。
だが、そんな魔力の奔流は葛葉の前でスッと消えさった。
文字通り煙の様に消し去った葛葉は、少し溜息交じりに言った。
「威力ばかりで……芸が無いのじゃな」
少し鼻で笑った葛葉は左の袖から鈴の釈を取り出した。
何時だったかにカリオンも見た、あの凄まじい威力の魔具だ。
甲高い音を辺りにふりまく鈴が幾つもぶら下がっている。
その音を慎重に聞けば、僅かに周波数の事なる鈴の音が集合していた。
「どれ……試すか……」
シャンッ!と鈴が鳴った瞬間、ヒルダの顔から表情が消えた。
一瞬で何をしたのか全く把握出来ないが、技量の差は隔絶的なのだろう。
余裕染みた空気は一瞬にして消え去り、ヒルダの顔に闘志が湧いた。
ただ、それでどうにかなる相手では無いことをリリスが示していた。
「……次元が違いすぎる」
ハッキリと声が聞こえたカリオンは驚いていた。
つい先ほどまで朧げになっていたリリスの姿がハッキリとしているのだ。
「リリス!」
「お願い! 静かにして! 御前の邪魔をしちゃダメ」
リリスのあやふやだった魂を今の身体に移し替えた葛葉御前だ。
その魔力の使い方はリリスをして異次元の領域だろう。
事実、葛葉が鳴らす鈴の音に合わせ、ヒルダは高度を維持できなくなっている。
まるでズルズルと坂道を滑り落ちるように、城へと降りつつある。
「これがキツネか……」
「……手強い相手だな」
ヒルダのふたつの顔が戦闘体制になった。
両手を広げ魔力を練り始めたヒルダは、葛葉を強敵と認識したようだ。
だが、それを察した葛葉は再び鈴を鋭く鳴らした。
すると次の瞬間、ガルディブルク城すら引き上げた魔力球はフワッと消えた。
「そこなネコの化物。もう少し面白い事は出来ぬのかえ?」
僅かに鈴を鳴らしただけで全て消し去った葛葉。
誰が見たってわかる圧倒的な実力差。隔絶した技量とセンス。
敵対するヒルダもまた常人には辿り付けぬ高みにある。
それ故に理解できることもあるのだ。
相手の強さや手強さと言ったもの。戦闘力の上限を推し量る能力。
魔法だろうと肉弾戦だろうと変わらぬ、相手を読む力の重要性。
その全てで『勝てそうに無い』を導き出したとき、どうするか……
「そろそろ正体を現したらどうじゃ? 化けるにも術が必要なのじゃろ?」
優しげな言葉とは裏腹に、葛葉はシャンッ!と鈴を鋭く鳴らした。
その音自体が武器なのだろうか、ヒルダの表情が歪んだ。
僅かにリズムを変え、音を変調させ、空間を支配していく葛葉。
次元の違う魔力の激突は、鍔迫り合いですらハイレベルだった。
「煽るか……この私を」
「身の程思い知らせてくれる」
普段より1オクターブは低い声がヒルダから漏れた。
そして、その直後にヒルダの身体から青い光が漏れ始めた。
何をするつもりなのかは解らないが、少なくとも碌な事じゃない。
理解の範疇を越えた魔力の暴走にリリスが顔色を悪くした。
「この姿を見て生き永らえた者はおらぬ」
「覚悟いたせ」
その時、カリオンにはヒルダの姿が膨張を始めた様に見えた。
何が起きているのかは分からないが、少なくともろくなことじゃ無い。
ややあってヒルダの豪華なドレスが内側から弾ける様に引き裂かれた。
その内側から出て来たのは、巨大な挽肉の塊にも見えるものだ。
その塊にヒルダのふたつの顔が乗っているのだが……
「ふぅ……」
「やれやれ……」
「え? 外よ?」
「どうしたの?」
そんな言葉と共に幾つもの頭が挽肉の塊から浮かび上がってきた。
まるで丸パンに乗ったケシの種の様に、気色悪い様子で頭が生えている。
それを見ていたウォークは小声で『11ありますね』と呟く。
魔法儀式により一体化していたヒルダを構成するネコが姿を現した。
「ほほぉ…… 醜い姿よのぉ……」
呆れる様に言う葛葉は、嫌そうに顔を顰めている。
泥団子から生えたキノコの様にも見えるからだ。
だが、そんな言葉を聞いたヒルダは幾つもの頭を一斉に葛葉へ向けた。
その顔には明確な怒気が見えていて、キッと鋭い視線を飛ばしていた。
「なんですって?」
それが合図になったのか、幾つもの頭がウネウネと伸び始めた。
巨大な挽肉の塊から若い女の上半身が幾つも伸びている卒倒級の姿だ。
若々しく膨らむ乳房も露わにした上裸の女達。
11の頭と身体は憎しみのこもった眼差しで葛葉を睨んだ。
「覚悟おし……」
最初からヒルダの身体に乗っていた女の顔がそう言った。
幾つもの魂を重ねて作られた化物はこんな事も出来るのか……
カリオンは素直にそう思うしか出来なかった。
だが、事態は緊迫している。そして危険が差し迫っている。
葛葉こそ余裕がある姿だが、リリスはもう一杯一杯だ。
「太陽王とその后よ。そなた等は城の中へ」
葛葉が再びシャンッ!と鈴を鳴らした時、リリスの両足が元に戻った。
大地と一体化して龍脈を吸い取っていた筈なのだが、造作もなくそれをした。
――――――化け物はどっちだ……
そんな事を目で訴えてきたリリス。
だが、彼女の顔は蒼白で、生気が感じられなくなっていた。
――――――全くだな
カリオンは僅かに首肯しつつ、リリスの手を取った。
遠い日、霧の草原で繋いだ手を思い出しながら。
「……無念だが後退しよう」
「うん……」
少し恥ずかしそうに同意したリリス。
カリオンはその頭にピンと立ったイヌミミの幻を見た。
身を焼くほどの魔力を扱っていたリリスだ。
その魂に刻まれたイヌの姿が顕現化したのかも知れない。
「ウォーク! 脱出路を探せ!」
最後まで側近でありたいと願ったウォークだが、一瞬だけ躊躇したようだ。
だが、『すぐに!』と叫んで城の中へ消えていった。
見張り台から駆け降りて行けば、王の庭を通って玉座の間。
あの男なら筋道を見つけるはずだ。
信じ用いるからこそ信用であり、信じ頼るからこそ信頼。
長年に渡り自分を支え続けた男をカリオンは信じた。
そして……
「九尾の長よ。そなたに一任する」
カリオンは胸を張って精一杯の威厳を見せた。
あくまでこの戦いはイヌとネコであると示す為に。
ただ、そんな姿の太陽王に、葛葉は笑みを返しつつ言った。
「身を押し潰す重圧と戦いつつ、その重き責と踊る男の子は……愛いもの」
葛葉の笑みは余裕から来るものではなく、慈母のそれだった。
凡そ女という生き物は、この世界で唯一新たに命を産み落とせるもの。
その身に宿す母性と慈性は、精一杯の意地を張る男を愛さずにはいられない。
「ふん……舐めるな」
どうやっても勝てぬ相手だが、それでもカリオンは意地を張った。
いかなる世界でも種族でも、最終的に男は女に勝てない事を知っているから。
「さぁ、早う行かれよ。この……化物を――」
何かを言おうとした葛葉だが、その時それは起きた。
リリスから剥がされた龍脈を取り込んだのか、ヒルダが叫んだのだ。
「おぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!」
11体の身体が一斉に空へと両手を突き出した。
収束型のアンテナにも見えるその先には、暗黒球が生成され始めた。
先ほどの物とは別の辺りへと黒い霧が集まり始め、二つ目の暗黒球が生まれた。
重力へ影響するとんでもない代物が先ほどより巨大なサイズでそこにある。
それだけでヒルダの桁違いな魔力が見て取れた。
「これを受けてみよ!」
ヒルダの一部から声が響いた。
もはや肉体が発する声では無かった。
地の底。或いは、世界の果て。この世の理から外れるところ。
この世界にあるいかなるものでもなし得ない、魂そのものを削る声だ。
「術比べは分が悪いぞえ?」
葛葉は再び鈴を鳴らした。ただ、明らかに先程よりも鋭く硬い音だった。
どんな魔法効果を添えたのかは知らぬが、暗黒球はぶわっと拡散した。
ただ……
「どうした!」
「まだ消えてないぞ」
「さすがにこれは無理か?」
「世界中から集めた魔力ぞ」
「消せぬであろう」
様々な頭が一斉に喋っている。それを聞き分けるのも大変な事態だ。
巨大暗黒球は霧散したかにも見えたが、再び球になりつつある。
膨大な魔力を無尽蔵に使えるせいか、ヒルダはその暗黒球を再度成長させた。
再び城全体がグラグラと揺れ出していた。
「ここに居てはダメよ。御前の邪魔をするだけ」
事の成り行きを眺めていたカリオンの手を引き、リリスは城の中へと入った。
最上階から下に降りて玉座の間へと来た時、そこにヴァルターが居た。
キャリの供を命じてソティスへと送り出したはずの親衛隊長だ。
それがここに居ると言うことは……
「ヴァルター! お前ここで何をしている!」
「何をじゃないですよ! 早く脱出を!」
思わず叫んだカリオンに対し、ヴァルターは間髪入れずに反論した。
全身に返り血を浴びていて、左腕には刀傷があった。
「若王の命により親衛隊と共に引き返してきました! 若王はソティスへ向かってられます! ソティスよりボルボン家の騎兵団が来るはずです!」
立て板に水の勢いで状況を説明したヴァルター。
そんな親衛隊一番の剣士を前に、リリスは動き出していた。
「腕を見せて!」
リリスはすかさず治癒魔術を使ってヴァルターの傷を癒した。
それをする事で本人かどうか確認したのだが……
「何があったの?」
言葉ではなく態度で示したリリス。
カリオンはそれでヴァルターが本物だと知った。
「獅子です! 獅子の剣士が100名程度、城内に入っています!」
思わず『なんだと!』と叫んでいたカリオン。
ヴァルターは事もなげに言った。
「獅子の剣士は全滅しておりません。ネコの騎士も若干名居るようです。親衛隊50名と近衛第一連隊の銃兵100程度が全戦力です」
簡潔にそう返答したヴァルター。
リリスの治癒魔法は強力で、先ほどまで流れていた血は止まっている。
「狙うは余の首か?」
「然様かと」
流石のカリオンも少しばかり表情を硬くした。
だが、そこへ聞き覚えのある声が聞こえた。
「兄貴!」
その声の主を探したカリオンは、少しばかり驚いた。
見覚えのある太刀を持ったイワオがそこに来ていた。
「間に合ってよかった。トウリ兄貴からこれを預かってきた!」
イワオが差し出したのは、叔父カウリが使っていたサウリクル家の太刀だ。
かつて幾人もの敵を屠って来た強力なブロードソード。
そして、太陽王を護って来た戦太刀だ。
「兄上。お急ぎください」
イワオに続きコトリが玉座の間へとやって来た。
ヴァルターの様に返り血を浴びているという事は、戦闘したという事だ。
だが、そこに思わぬ指摘が入った。
少しばかり堅い声音になった稀代の細作、リベラの雷だった。
「コトリさん。細作であるなら返り血は絶対に浴びちゃならねぇ。そう教えた筈ですぜ。なんて様だ。それじゃぁ失格だな」
あえて厳しい言葉を吐いたリベラ。
だが、コトリも全部承知で反論した。
「今日は暗殺じゃないですから。防御戦闘です」
思わずフッと笑ったリベラ。
そこにタロウがやって来て、事の推移を見守った。
「うむ。先ずは脱出しよう。ヴァルター。獅子の剣士は何処に?」
カリオンの問いに対し、ヴァルターは『まだ階下の大広間かと』と応えた。
侵入者は総勢100で中々の数だが、対応しきれぬ数でもない。
なにより、対応せねば死ぬだけだ。
「よろしい。イワオ、コトリ、手段は問わん。血路を拓け。ヴァルターは検非違使を支援しろ。リベラはリリスを頼む」
カリオンはカウリ卿の太刀を引き抜いた。
ズシリと来る重さだが、振れないほどの目方でもない。
「行くぞ。城外へ出る。まだル・ガルが負けた訳ではない。勝ちの途中だ。状況を立て直し反撃に移る! 余の供をせよ。前進! 」
簡潔にそう述べたカリオン。だが、その言葉にヴァルターは顔色を変えた。
いや、ヴァルターだけでなく、その場に居た全員がやる気を漲らせた。
――――――これで良い……
理屈ではなく直感としてカリオンは思った。
まだやり直せる。まだ間に合うという妙な自信だ。
しかし、そんな思いとは裏腹に、城の外では常識外れな戦闘が続いていた。
事実上チート持ちな超上級者同士による、次元の異なる戦闘だった。
――――屋上
「どうじゃ? 消えたぞえ?」
勝ち誇るようにそう言う葛葉は相変わらずフワフワと漂っている。
その姿を忌々しげに見上げるヒルダは鬼の形相だ。
「これならどうだ!」
肉塊から生えている身体のひとつが空中に何かを作り出した。
黒い球体のそれは、全ての光を吸い込むかのような漆黒さだ。
その球体に向かい、他の身体が同じような漆黒球を次々と生成して飛ばした。
中心の漆黒球を取り囲むように、複数の漆黒球が高速回転を始めた。
「お前を封印してやる」
「事象の彼方へ消え失せろ」
「純粋な力にひれ伏すがいい!」
重力を操るヒルダの手札がもう一枚切られたのだろう。
フワフワと漂っていた葛葉の位置がぐらりと揺れた。
「……ほぉ」
僅かに感心して見せた葛葉だが、余裕があるようには見えない。
ガルディブルク城が再び浮かび上がり出し、葛葉は焦眉の表情だ。
「中々のものよのぉ……」
術の上手さや精度ではなく、単人にスピードとパワーでの攻撃。
ただそれは、少なくとも惑星上で使われるようなものではない。
もっとも単純な表現をするなら、それは疑似的なブラックホールだ。
周辺の全てへ影響を与え始め、その結果が現れている。
強い重力の影響で時間減速が始まり、葛葉の対処が遅れているのだ。
「さぁ!」
「消えてなくなるがよい!」
「この力を受けてみよ!」
「私に歯向かう愚か者め!」
ヒルダの顔に凶相が浮かぶ。
葛葉の身体が大きく引き伸ばされ始め、まるで飴のようになっている。
超絶的な重力により空間自体が湾曲し始め、辺りが暗くなりだした。
そして……
「勝ったか」
獣の頭をしているヒルダの一部がぼそりと呟いた。
ケダマの頭は最初から外に出ていた者だ。
葛葉がどんどん細長く伸びていき、そのまま漆黒球に吸い込まれた。
まるで下水に流れ込む水のように流れていき、ややあって全てのみ込まれた。
「勝ったのか? アレに?」
傍らで様子を見ていたウォルドがそう呟いた。
極限まで圧縮され、今は豆粒程度にしか見えないサイズだ。
圧縮された空間の中で苦しげに息も絶え絶えな状態だ。
しかし、そんな状態でありながらも様子を伺っている。
「いや……」
「……あぁ」
「あれは何者なのだ?」
ヒルダを構成する肉塊の11名は戦闘態勢のままだった。
そしてその直後、ヒルダの作った漆黒球の疑似ブラックホールがフッと消えた。
『 そ な た ら を 闇 に 帰 す 』
何処かからかそんな声が響いた。
それは、たった今ここで全員が見ている中、事象の地平に消えた筈の葛葉だ。
ヒルダは明確に狼狽を始め、豆粒サイズのウォルドは驚愕している。
通常ではあり得ない事。その魔力が完全に消え去ったと感じたはずなのに……
「バケモノはどっちだ!」
口汚く罵ったヒルダ。
だが、その直後に眩い光が辺りを包んだ。
「やむを得ぬか……」
再び葛葉の言葉が聞こえた時、ウォルドは見た。
眩い光の中に実体化してくる神々しい姿。
「……イナリ……ミョージン」
葛葉の顔をしたイナリが地上に顕現化した。