王の責任 貴族の義務
~承前
腕を組み、黙って眼下を眺めているカリオン。
祖父シュサより受け継いだ漆黒の戦衣が太陽の光を受けて鈍く輝いている。
王都ガルディブルクより西方へ約5リーグ。
街道整備が行き届いていたはずの郊外路は、既に砲撃で荒れ果てていた。
――――これが負け戦という物か……
後退しつつある兵士を眺め、ふと胸に去来した短いワード。
負けると言う言葉の重さに改めてカリオンは衝撃を受けていた。
「散開して前進すると言うのは本当に厄介ですわ」
あくまで上品な物言いに徹するジャンヌだが、その表情は晴れない。
銃を装備した獅子の兵士はル・ガルと同じく散兵戦術で前進している。
その為、縦列を敷き火線を揃えても効率は落ちていた。
「とりあえず砲撃しよう。指を咥えて見ている場合では無い」
ジャンヌと常に寄り添うルイは明るい言葉でそう言った。
半ば破れかぶれになっていると言われても仕方が無いだろう。
ただ、現実にはそうせざるを得ない。他に対抗手段がない。
何故ならそれは、ル・ガルが散々研究した最新の戦術だからだ。
――――――散兵戦術に対抗するには線では無く面です
戦術指導という形でビッグストンにやって来たヒトの講師はそう言った。
単発式ではなく連発式の銃を装備し、とにかく火力で押しきるしかない。
ヒトの世界でも散々と経験した事なのだと講師は言った。
新しい戦術を新しい戦術で凌駕していくサイクルをル・ガルは体験していた。
「散兵戦術とは相手にやられると厄介ですな」
あくまで余裕風を吹かせつつ、アブドゥラはそんな事を言った。
どうやっても勝てそうにない相手を前にどうするのか?
その真価が問われてるのだ。
連発銃の研究は進んでいたが、実用化にはほど遠い状況だ。
そもそも国力の問題として、それほど大量の銃弾を生産しきれる訳では無い。
ヒトの講師も散々と言っていた事なのだが、技術と産業は荷車の両輪だ。
新しい技術を世に広める為には、新しい生産管理が必要なのだった。
「伝令。砲兵陣地へ通達。効射力ではなく砲弾の雨を降らせよ」
カリオンの指示が飛び、伝令が指揮台を飛び出していった。
きっと何処かの貴族家から修行に来ている倅なのだろう。
従来であればひとつひとつ経験を積み学べたポジション。
だが今は、危険を承知で走り回る立場になっている。
――――災難だな……
カリオンの胸に去来するのは、自分の悪手が招いたル・ガルの惨状だ。
出来る物なら50年くらい時間を巻き戻してやり直したいくらいに。
だが、そんな事が出来るはずも無いことは解っている。
多くの魔導師や魔術師達が時干渉を夢みて研究した果ての結論だからだ。
故に今は、目の前の現実と戦わなければならない……
「陛下。手前が思うに――」
胸甲姿で臨戦態勢のボロージャが切り出した。
諜報に強いジダーノフ家の一門だが、肉弾戦が弱い訳では無い。
そんな姿が垣間見える姿のボロージャは、眼下を指差して言った。
「――あの、弾薬集積地。あそこが危険かと思われまする」
ボロージャが指摘したのは、防塁の影に隠れた銃兵達の更に後方だ。
獅子の側の攻撃魔法により被害を受けぬよう、強靱な構造に作られた陣地。
高い土塁に囲まれた狭い空間には銃や砲の弾薬が積み上げられている。
そこを攻撃されれば大爆発を起こすのは間違い無い。
なによりそこは、獅子側に鹵獲されている銃の弾薬があるのだ。
敵側にしてみれば、手に入れられるならありがたい代物な筈。
「そうだな。ボロージャの指摘は正しい」
ドリーもそう賛意を示した。
あたかもそこへ行かせろと言わんばかりの様子にカリオンも苦笑する。
「……解った解った。そなたらの意はもちろん汲むが、騎兵や歩兵の使う場面はもう少し先だと余は考えておる」
気の逸る両名を宥めたカリオンは再び眼下へ意識を向けた。
砲兵の活動が若干変化し、今度は榴弾や散弾を使い始めたようだ。
一般的な知見として、既に砲兵は散開戦術への対抗手段を会得している。
飽和的な攻撃を点では無く面で行い、殺すのでは無く重傷を与えるのだ。
従って、現状では最適に攻撃していると言えるのだが……
「あっ! ダメッ! アレを止めて!」
唐突にリリスが叫んだ。
いつものようにメイド姿でカリオンの近くにいたのだ。
彼女が指差しているのは、眼下の戦地を掛けてくるひとりの獅子だ。
金色に輝く体毛を揺らすその男は、何かを手にして走ってきた。
その進路上にあるのは、寄りにも寄って弾薬集積陣地だ。
――――――自爆する!
全員が一瞬で同じ意識を共有した。
そしてそれは、全く同時のタイミングで砲兵陣地にいるキャリにも伝わった。
砲兵陣地で指揮していたキャリは、その手に握っていた指揮棒で指し示す。
「アレを止めろ! 手段は問わない!」
半ば金切り声でそう叫んでいたキャリ。
すぐさま銃兵陣地がとんでもない十字砲火を浴びせる始める。
だが、その時にキャリが見たのは、獅子の兵士が持つ優れた魔法技術だった。
「あんな使い方があるのか……」
キャリはそれ以上言葉が出なかった。
走っている獅子の男に向け、後方からとんでもない突風の魔法が使われた。
その風を受けた獅子の男は、風に乗って一気に防塁を飛び越えた。
幾多の銃弾を浴びているはずなのに、構わず走り続ける姿には美しさすらある。
だが、その実態はと言うと極小規模に展開している空間湾曲魔法だ。
迫ってくる銃弾の全てを回避しつつ、獅子は走っていた。
そして……
「……間に合わないか」
ポツリとキャリが漏らした瞬間だった。
最前線に最も近い位置の弾薬集積所は地響きを伴って大爆発した。
凄まじい爆煙があがり、大量の弾薬がパンパンと弾けている。
こうなると戦闘の局面は一気にひっくり返るもの。
事実、鉄の統制と呼ぶべきル・ガル陣地は俄に浮き足だち始めた。
後退するべきか、それとも攻撃続行するべきか。
最前線の戦闘指揮官は振り返って指揮所を見上げた。
カリオンが陣取る戦闘指揮所に後退を示す青旗が出るまでは続行の筈。
だが、それでも指揮官は後方を凝視するのだ。
――――――逃げたい!
理屈じゃなく単純な心情として、誰もがそう思う瞬間だ。
今までのように圧倒的火力で圧倒してしまえる敵では無いのだから。
「殿下。どうか指揮所へお戻りくだされ」
リティクはにこやかな笑みでそう言った。
砲兵指揮所はカリオンが陣取る指揮台と銃兵陣地の中間だ。
先ほどの自爆前提な獅子の兵士を見れば、次はここへ飛び込んでくるだろう。
戦線を指揮する司令部を狙うのは、どんな時代の戦闘であっても常道だ。
なにより、次期帝であるキャリの身の安全を図るのが重要なのだ。
「しかし、まだ兵士が戦線に『だからですよ』
リティクは陣地を指差し言った。
「兵はまだまだ意気軒昂です。今のうちに安全な場所へお下がりください。今を逃せばより危険になります」
意気軒昂な兵士などもはや大して残っていないのが現実。
勝ち戦から負け戦に変わった瞬間、どんな兵士だって怖じ気づく。
勝ちへの渇望が生存へのそれに切り替わるとき、統制の取れた戦闘は不可能だ。
こうなった場合、もはや期待できるのは個々に備えた資質と経験による生存。
ひとりでも多くの兵士が生き残りさえすれば、次へ備えられる。
その時に必用なのは、負け戦を見て取った指揮官なのだ。
「……解った。ここをお願いします。どうか貴官も」
生き残ってくれとは言えなかったキャリ。
リティクは言外に『ここで死ぬ』と言っている。
ここで命懸けで抵抗して、侵攻を遅らせる……と。
「身に余るお言葉。この胸にしかと飾らせていただきます。どうか、このル・ガルを健やかにお導き下され。手前は何処か遠くの空から見守らせていただきます」
砂漠の民であるリティクたちアッバースの一門は帰る地が無い。
故に彼等は死後その魂が空に登ると信じているのだ。
「……御武運を」
キャリは己の頭を殴りつけるように拳を添えて敬礼した。
それしか出来ないと解っていて尚、そうするしかない自分が歯痒かった。
己が背負うべき重責に身震いしつつ、それでも耐えるしかないのだ。
「えぇ。若王も」
リティクの顔に笑みが浮かんでいる。
それを見たキャリは目に涙を溜めていた。
「さぁ、行ってください。私はここで……最期の義務を果たします」
貴族に産まれた者が持つ義務。
平民より優遇されているからこそ果たさねばならぬもの。
時には命を危険にさらし、或いは率先して死ぬことが求められる。
どれ程怖くとも辛くとも果たさねばならない使命と責務。
この日、キャリはそれを学んだ。
「では」
身を翻し砲兵陣地を離れたキャリ。
その背に向かい、砲兵陣地から声が届いた。
『 若 王 万 歳 』
『 ル ・ ガ ル 万 歳 』
『 い と 慈 し み 深 き 神 よ 祝 福 を 授 け 給 え 』
幾多の拍手と歓声。そして鬨の声。
奥歯を噛み締めつつ、キャリはその言葉を聞いていた。
歴代の太陽王が何度も聞いてきた呪いの言葉だと思いながら……
――――ル・ガル軍本部指揮台
「さて、難しくなりますな」
顎に手を当てて思案しているボロージャは不機嫌さを微塵も漏らしてなかった。
むしろ獅子側の自爆兵を湛える様な素振りさえ見せているのだから始末に悪い。
だが、事態は深刻だ。既に弾薬集積所は2箇所が潰されている。
残る集積所は3箇所だが、そこは砲を構えて防御の体制だった。
「案外……撃ってこないですね」
大人たちの反応を見ていたポールは、ぼそりとそんな事を言った。
獅子の兵士が装備する銃は虚仮脅しの可能性を考慮せざるを得ないのだ。
実際、発火さえ出来れば弾は飛び出るだろう。
しかし、火薬の調合や実包と呼ばれる弾その物の構造は基礎研究が要る。
消耗に上限があるのなら、迂闊には使えない兵器の可能性があるのだ。
「砲の効果だろうな」
ポールの疑問にアブドゥラが応えた。
猛烈な砲撃により獅子の側が統制の取れた射撃が出来てない可能性だ。
「それにしたって、散発的にでも撃つもんじゃないでしょうかね?」
どこかよそ行き的な言葉遣いでそんな事を言ったポール。
だが、その理由は直後に判明した。ある意味、予想通りではあったのだが。
「魔法が来るよ!」
リリスは出番だとばかりに意識を集中して防御の魔法を展開した。
その直後、猛烈な突風がやってきて、防塁に隠れていた兵士が吹き飛んだ。
積み上げた土嚢すらも吹き飛ばす威力の突風が収まった時、それが始まった。
「撃ちやがった!」
そう叫んだドリーの言葉が風に掻き消され、彼方から銃声が聞こえた。
微妙に音が違うのは火薬の配合割合かもしれないとカリオンは思う。
ただ、問題はそこではなく、現状に於いてはまず防御せねばならない事だ。
――――――撃つ方は慣れてても
――――――撃たれるのは慣れていない
どうにもならない状況の中、ドリーは『降りまする』と指揮台を飛び出した。
こうなれば最早考えられることはひとつしかない。
「手前も支援に入りまする」
ボロージャまでもが指揮台を飛び出した直後、後方よりラッパが聞こえた。
前進を告げるラッパ。そしてもうひとつは突撃ラッパだった。
「やはりこうなりますか」
経済ヤクザ然としていたポールもまた『自分も行ってきます』と言った。
各公爵家が自家の兵を率いて進軍する以上、太陽王にそれは止められない。
「羨ましい限りですわ」
少しばかり憤懣やる方ないジャンヌがそう言うと、ルイもまた言った。
「やはり騎兵は有用だな」
銃兵を供給していたボルボン家からの騎兵出撃は無かった。
こうなった場合、出来ることは敵兵の退路を断ち、殲滅する手伝いのみだ。
「歯痒いな」
ボルボン家の両名をチラリと見たあと、カリオンはそんな言葉を吐いた。
それとほぼ同時、キャリが砲兵陣地よりやって来た。
「父上」
若さ溢れる様子で階段を駆け上がってきたキャリ。
その姿をリリスがハラハラした様子で見ていた。
若さと覇気に溢れた自慢の息子。
その姿を見つつ、カリオンも自ら吶喊するかと考えた。
そして……
「お前は留守番だぞ」
「え?」
カリオンは戦衣の背にある馬上マントの丈を整えた。
すぐさまリリスがやって来て、そのマントの裾を折り返し始める。
母衣と呼ばれるマントを使った矢避けの簡易装甲は驚くほど効果があるもの。
限界射程で放たれた銃弾とてふんわり受け止めて威力を減衰する。
「さて、久しぶりに乗馬の時間だ。我こそはと自負する益荒男は付いてまいれ」
整備された30匁の長射程な小銃を持ち、腰に鋭剣を佩いたカリオン。
その足元にリリスが魔法で花を降らせ始めた。無事な帰還を願う黄色の花だ。
「エディの足元に花を投げるのは……3回目ね」
涙を堪えてそんな言葉を漏らしたリリス。
その身体を抱き寄せたカリオンは、頭を抱き寄せてギュッと抱きしめた。
「そうだな」
手短にそう答えてリリスへキスしたカリオン。
母サンドラならぬ女を可愛がるカリオンにキャリは少しだけ複雑だ。
だが、リリスの身の上は知っているし、その苛烈な運命も知っている。
――――――私の何倍も苦労した女なのよ?
事あるごとにサンドラはそう教えて来たし、そう接してきた。
今でこそ一歩引いたところに居るリリスだが、本来なら彼女こそが帝后。
なにより、父カリオンの幼馴染で共に育った存在。
それを思えば母サンドラすら勝てない相手ではあるのだが……
「また黄色の花よ」
「リリスが涙を浮かべてくれたから大丈夫だ」
「ばか」
今度はリリスから抱きつきに行った。
その身体を抱きしめ、カリオンは渋い声で言った。
「俺はル・ガルで一番運が良い男だ。心配ない」
その言葉が身体に沁み込んだのか、リリスはフッとカリオンから離れた。
僅かに震える様子を見れば、何を心配しているのかは解っていた。
「鈴の音が聞こえるのかい?」
相手が嘘をついた時、リリスには鈴の音が聞こえる。
遠い日にふたりで話した内容をカリオンはまだ覚えている。
それだけで胸がいっぱいになったリリスは、黙って首を振った。
「じゃぁ大丈夫だ。俺だって鐘の音が聞こえる訳じゃない。心配しないで」
リリスの頭をポンポンと叩いて笑みを浮かべたカリオン。
その直後、指揮台の下から大歓声が響いた。
「やれやれ。血の気の多い連中がやる気を漲らせてる。ちょっと付き合ってくる」
リリスの頬に手を寄せ、ニコリと笑ってカリオンは歩き始めた。
その背に向かいキャリは思わず声を掛けた。
「父上!」
足を止め振り返ったカリオン。
その姿は指揮台に居た者全てを威圧した。
「キャリ。遠き日に祖父シュサは俺にこう教えてくれた」
――――戦とは波の打ち寄せるが如し
――――打ち出でし時は常に退き際を考慮せよ
――――勝ち過ぎる無かれ
――――ただ負けずにあれ
――――これ、常勝の極意なり
――――敵を殺し過ぎる無かれ
――――味方を殺し過ぎる無かれ。
――――戦わずして勝つ事が至上なり
――――太刀をあわせ槍をあわせ騒乱に及ぶは
――――政まつりごとの無策と無能故である
――――戦う前に勝利を決めよ
――――戦の極意とはこれなり
「戦の極意……」
言葉を失ったキャリ。
そんな息子にカリオンは言った。
「余の無策と無能でこうなったのだ。王とて責任は免れん。だからな。俺が一言教えるとするならこうだ」
にやっと笑ったカリオンは真っ直ぐにキャリの眼を見て言った。
「責任から逃げるな」
……と。