魔法の可能性 後編
~承前
それを見た瞬間、全員が息を呑んだ。
魔法の新しい使い方と言うことで研究班が公開した映像だ。
次期帝キャリの肝入りで開設された魔法科学の研究班。
それは王都大学の魔法工学科に開設された若手ばかりの自由な組織だ。
若者ならではの柔軟な発想とのめり込める若さがエネルギー源。
だが、最も重要な部分は『小僧がまたバカをやっている』と許される部分だ。
凡そ世界の子供若者と言った者は、世相の垢に染まっていないもの。
車輪の再発明なんて陰口を叩かれようと、彼等は関係無い。
『 こ れ 面 白 そ う だ な ! 』
たったそれだけの事で、寝食を忘れて研究に没頭できる。
そんな彼等に与えられたのは、茅街から来たヒトの教師だった。
――――――ヒトの世界ではね……
そこから始まる夢物語に若者達は熱狂した。
リアルタイムで双方向通信できる便利な道具。
見たものをそのまま超精細な絵画のように描画できる道具。
それらがどのような経緯を経て開発されていったのか。
時を置いてヒトの社会に溶けこみ、生活その物を変えたのか。
『 こ れ な ら 魔 法 で 出 来 ん じ ゃ ね ? 』
無茶で無謀で無手勝流。ただただ、面白そうだけで突き進める身軽さ。
若者のみに許された『若さ』と言う特権を武器に、学生達は突き進んだ。
そして彼等はキツネの符術を応用し、依代を飛行型生物に擬態させた。
その生物は遠見の魔法起点となる小さな水晶玉を仕込んである。
簡単に言えば魔法による長距離ドローン。
電源の心配など全くない、無限に飛び続けられる無人偵察機その物だ。
「しかし……これ程とは……」
キャリがそう漏らし、そのまま絶句した。
全員が驚いているのは魔法では無く、その魔法に映し出された軍団だ。
ネコの将軍と思しき存在が率いる兵は、総勢で軽く10万を越えていた。
「これは紙と布で作った大型の鳥にしか見えない代物ですが、何処までも飛んで行くだけで無く、その中に仕込まれた水晶球の写すものをここでも見る事が出来る遠隔監視型の技術で――
キャリ陣営が驚く中、開発した若者は自分の研究が評価されて有頂天だ。
ただ、音吐朗々に説明が続く中、キャリは容赦無く口を挟んだ。
「すまないが、あの地上集団をもう少し良く見せてくれないか」
表情を変えて大きな水晶球を見つめるキャリ。
学生は自らの研究が大きな効果を発揮していると思い舞い上がっていた。
「お易い御用です。このように――
何らかの魔法操作をしたのは間違い無い。
禄に魔力が無いイヌの一般人でも自由に視野を調整し拡大できる仕組み。
従来であれば長年研究を極めた魔導師が行う秘術レベルの代物だ。
魔石など魔力媒介を極秘裏に持ち物などへ仕込んでやっと実現するもの。
そんな面倒な事を一切すっ飛ばし、見たいものの所へ勝手に飛んで行く。
――――――本当に恐ろしい魔法というのは
――――――諜報活動で使われる情報収集手段だ
ビッグストンなどの軍事学で教えられる諜報の基礎教育。
その中で出てくる魔法対抗術の根幹がこれだった。
情報収集力を侮り疎かにする組織は勝利を掴み得ない。
こちらが攻勢を起こす時だけでは無く、仮想敵を監視する手段でもある。
実力の拮抗するふたつの組織がぶつかり合うなら、常時監視は基本中の基本。
それを怠ったとき。或いは、まさかそんな事はするまいと侮ったとき。
手痛い敗北は音も無くやってきて、血と涙と怨嗟が蔓延る元となる。
最も無防備なタイミングを狙った奇襲攻撃を防ぐ基本は、諜報活動なのだから。
「君の素晴らしい研究は解った。ありがとう。研究費用の支援は惜しまないよ」
仮にも時期帝と言う事で各方面に顔が利くキャリだ。
当然の様に国費を管理するアッバース家の才人達とも五寸でやり合える。
「あ、あ、あ、あ……――」
感極まったらしい若者は言葉が出てこない。
ありがとうと言いたいのだろうが、キャリは遠慮無く言葉を切った。
「次の研究成果を見なければならないからね。引き続き研究に励んでくれ」
笑みを浮かべてそう言うキャリ。
若者は机に鼻先を叩き付ける勢いで頭を下げた。
「ありがとうございまブッ!!」
実際に激突し、マズルの先端から血を流している姿に皆が笑みを浮かべた。
ただ、そんな若者が部屋を去った後、部屋の中には重い空気が漂った。
「殿下。あれは王に報告するべきです」
ビオラは開口一番にそう口を開いた。そして、同じ様にタリカも口を挟んだ。
チラチラと見え隠れするビオラへの妬心が対抗意識になっていた。
「そうです。事は一刻を争います。大至急登城し報告せねばなりません」
軍事面でも造詣の深いふたりがそう進言する中、キャリはカカを見た。
何か意見を言えと求められたのだが、カカは慌てること無く振る舞った。
「これはまだ研究中の代物ですが――」
カカが取り出したのは、驚く程ぶ厚い羊皮紙で出来た巻物だ。
ただ、その風合いはヒツジの皮と言うより岩石のようだった。
「――これをご覧ください。殿下」
広げられた巻物にはル・ガル周辺の広域が描かれていた。
地図と言うには余りに大雑把な描写だが、広域での地形図は国家秘密だった。
それ故か、こう言った概略的な図のみが広域の地図として機能している。
「……これは?」
一瞬で理解出来なかったキャリが説明を求めた。
それに対しカカが説明する前にタリカが言った。
「なるほど。この赤い点がさっき見た敵影ですね?」
いつの間にか女性的な振る舞いが板についている様だが、それは後回しだ。
よく見ればその赤い点は、ネコの旧領地あたりからずっと伸びた線でもあった。
カカの研究ではまだ形になっていないものが幾つかあるが、その1つがこれだ。
魔法の可能性は無限大だが、その使い方もまた無限の可能性を秘めていた。
「ご名答です。これは我々こちら側の住人が感じる距離の影響を受けない隣人達が見ている世界の情勢を平面表示化したものです。良き隣人と呼ばれる他世界の存在は距離に関係無く存在を感じ取れるようです」
超広域魔法探査。或いは、魔法による早期警戒衛星からの情報。
高度なAI並の敵味方識別で敵勢を見いだし、何処に居るのかを示す魔道具。
カカが長年研究してきたそれは、迷子の家畜を探す為のものだった。
「おそらく…… すでにブリテンシュリンゲンを通過していますな」
正確な地図ではない為か、ドリーは推測を交えてそう言った。
ヒトの手による広域交通網整備が進み、今ではフィエンまで二日で行ける。
しかし、フィエンから先の街道は意図的に整備を遅らせていた。
それどころか、意図的に街道を荒れさせている始末。
何より、先の闘争で荒れるだけ荒れたフィエン以遠は全く復旧していない。
街道筋の宿場町として機能するべき部分の一切を放置しているのだ。
まだブリテンシュリンゲンの街に残っているのは移住勧告を拒否した者だけ。
そんな環境では、行軍ですらも難儀するのが目に見えていた。
「カカ。この魔道具と正確な地図を合わせられるかい?」
キャリは何かを思いついたようにそう尋ねた。
自信も戦車の研究で狂った事があるのだから、研究者の扱い方は熟知している。
「もちろんです。地形図さえあればすぐにでも」
うんうんと首肯したキャリは立ち上がった。
ガルディブルク大学のキャンパスにあるキャリの施設にただならぬ緊張が走る。
「彼等にきちんと告知しないと……やる気を殺ぐかもしれませんよ」
少々緊張した面持ちながらも、次期帝后であるビアンカが口を挟んだ。
聖導教会内部で育った彼女の場合、そう言う面できちんと行う癖が付いていた。
「そうだな」
少々ぶっきらぼうなもの言いながらも、その手でビアンカの頬に触れたキャリ。
そのまま研究班の建物を出たキャリは外で順番を待つ者達に直接言った。
「諸君!やむを得ぬ事情により、本日の報告会は中断する。後日改めて話を聞くので各位研究に励んでもらいたい――」
少なからぬ動揺が走った研究班の若者たち。
その動揺は落胆と同義でもあった。
「――火急にわが父へ報告するべき研究成果が出た。王都がこのような状況下では使えるモノは何でも使わねばならん故の事だ。諸君らを軽んじている訳ではない。そこは勘違いしないでくれたまえ。早ければ明日にでも話を聞くので支度せよ」
太陽王へ研究成果が直接報告される。
それを見て取った若者たちが一斉に拍手した。
研究が無駄にならないと直感したからだ。
「すまんが先を急ぐ。善は急げだ。兵は拙速を尊ぶ。これにて解散!」
一方的に言いたい事を言い、キャリはその場を立ち去って城に向かった。
ミタラス広場はまだ瓦礫が残っているものの、既に復旧は進んでいる。
――――――まだ1週間と経ってないんだが……
獅子の集団が西へと敗走していったのは、ほんの3日前の事だ。
死体の収容と負傷者の処理が進み、同時進行で街の再建が進んでいた。
ル・ガルと言う国家の厚みをキャリは実感していた。
太陽王の執務室にはカリオン以下現政権の主要な面々が揃っていた。
皆に話を通す手間が省けたので、キャリは丁度いいとすら思った。
ただ……
「これは……由々しき事態ですな」
王都攻防戦で大活躍したアッバース家を預かるアブドゥラはそう漏らした。
ネコの首魁となる軍団は獅子の国に残ったはずなのだが……
「新生したと考えるべきだろうな。それより――」
ジョニーもそんな事を言うのだが、率直に言えば面食らっていた。
見たことも無い魔道具によりネコの軍勢の居場所がわかるって事が……だ。
「――その魔道具。向こうが持っていたらかなり面倒だな」
ジョニーの漏らした言葉にキャリは『あッ!』と新鮮に驚いた。
こちらがこれを作れる以上、同じものを何処かが作りかねない。
「そうだな。全く別の角度から思い付き、それを実現してる可能性もある」
カリオンもそう漏らしつつ、カカの見せた魔道具に見入った。
一目見て様々な可能性を考慮するのも太陽王の役目だった。
「仮の仮な話ですが…… この場合はどう振る舞うべきでしょうか?」
キャリはそこに興味を持った。
こちらの動きが完全に筒抜けの場合、こちらはどうするべきか。
それについての考察を持った事は無かった。
だが……
「そりゃ簡単だよ。相手を上回る兵力を持って臨戦態勢だ」
何とも単純な物言いをしたのはレオン家のポールだった。
ただ、その結末に至る理屈は、既に誰でも知っている状態だった。
凡そ戦闘を左右するものは頭数でしか無い。
どれ程強力な武器を備え練度も高い軍隊だったとしても……だ。
「そうだな。ポールが正しい」
カリオンの言にポールはニンマリと笑った。
まだ若い……と言うより幼いレベルのポールは、様々な事から学びつつあった。
「しかしポール。それだと予算をバカ食いするぞ?」
「そうです。前線に戦力を貼り付けておくのは経費が掛かり過ぎますね」
ポールやキャリよりかは少し年嵩とは言え、まだまだ若いボルボンのふたり。
ジャンヌとルイは名家の家名に押し潰されること無く育ちつつあった。
「あくまで結果論だが…… 来るのが解っているのなら何処で迎撃するかを先に考えて出向くのが良かろう。こちらの都合を優先できるのは大きい。相手が行動を変えたなら、向こうもこちらを見ていると言うことだ」
数日の休息で気力体力を大きく回復したアレックスがそう言った。
要するに、こちら側のリズムとタイミングで行動すれば良いのだ。
「そうだな。アレックスの言う通りだ」
カリオンはカカの魔道具をジッと見ながら切り出した。
「フィエンとブリテンシュリンゲンの間に防衛線を敷く。ここで迎撃し、合わせてネコの軍団に手痛い一撃を入れよう。全滅させられなくとも撃退は出来るだろう」
太陽王の方針が示され、ル・ガルという巨大組織が動き出す。
ただ、それを聞く財務担当のモハメド・アッバースは強烈な不満顔だ。
「モーフィーの心臓が止まってしまう前に方を付けるぞ。乾坤一擲の一撃で会戦を一回のみとするよう全員全力を尽くしてくれ」
ル・ガルの財務状況は健全であるとかないとかそんな次元では無い。
国家資金はとっくに底を突いており、企業であれば破産状態だ。
公爵家を筆頭に、貴族や富裕層が資金を提供するのも常態化している。
――――――国家の為に
それは、もはやイヌの美徳だの道徳だのでは無かった。
数々の国難が降り掛かったイヌにとって、恐怖心を紛らわせるものだった。
国家と太陽王が健在であれば、イヌは何とかなる。
実態の無い、思い込みにも近いマインドだけがイヌの社会を繋ぎ止めている。
その結果として、既に国家予算50年分の愛国債が発行されていた。
――――――どこかで国債発行を止めねばなりません
――――――償還限界はとっくに通り越しています
財務を預かるモハメドは事ある毎にそれを繰り返している。
国債は国民に対する借金であり、国民の資産なのだ。
踏み倒すなどという事があってはならない。
「カカと言ったな」
キャリの手駒に収まった雑種のイヌを太陽王が呼んだ。
その事実にカカは心臓が止まりかけるほどの衝撃を受けた。
「は、は、は…… ハイッ!」
完全に舞い上がったカカは言葉が上手く出てこない。
そんな若者の姿を微笑ましく見ていたカリオンは、ニコリと笑って言った。
「余も君の研究を支援しよう。軍の地理院に通達を出しておくので、詳細地形図を入手すると良い。敵勢と友軍の配置状況を一目で確認できる魔道具の製作に期待している。君の研究で友軍の犠牲者を大きく減らせるだろうからな」
王の御前に立つにしては少々見窄らしい姿のカカ。
それを見ていたウィルやハクトは優しげに笑っていた。
各々の若い頃もまさにそうだったからだ。
研究に没頭し、食事も身支度も疎かに成り、ガリガリに痩せてなお研究する。
他の何よりも研究が楽しく、結果が出れば舞い上がり、また研究する。
カモメのジョナサン
大好きなことに没頭しすぎて場合によっては死ぬかも知れない。
だが、それを全く後悔せず餓死したとしても当人は納得する。
研究者と言うよりも求道者と言った状態は、当人こそが最も楽しいのだ。
自ら信じた道を行くだけ。誰に何を言われても……
「み、身にあまる光栄にございます! 粉骨砕身努力いたします!」
完全に舞い上がったカカは涙を浮かべつつそう応えた。
そんな姿を見つつ、最後にドリーが口を開いた。
「陛下。最終決戦の場では、是非とも手前に先鋒をお命じ下され」
気が付けば公爵五家の当主で最年長となったドリーだ。
既に息子は成人し、近衛師団で経験を積み重ねているという。
「どうしたドリー。随分やる気だな」
どこか嗤う様でいて、その眼差しには愛がある。
漢に惚れた漢の純粋さは、時に常識を凌駕するのだ。
「王の剣のその一本目。我がスペンサー家にとって、これ以上の誉は考えられませぬゆえ、この一命を国家と太陽王の為に捧げさせて戴きたい」
若者達が育ちつつあるのを見ていたドリーだ。
もはや言葉で教える事など何もないのだろう。
ならば年長者の行うべき事はひとつしかない。
率先垂範という様に、自ら率先して手本となる振る舞いをするだけ。
このイヌの国を支える公爵家は、そうやって伝統を繋いできた。
貴族の……だけでなく、イヌの誇りや良心と言ったものを伝えていく。
老境にはまだ早いが、いつの間にかドリーもそんな年齢になっていた。
「わかった。心に留めおこう」
カリオンは笑みを添えてそう応えた。
ただ、それと同時に肝心なものも思い出した。
「ところでキャリ。お前が見たというその遠見の魔法。ここで実演出来るか?」
カリオンがそう言った時、ハッと気がついた様にジョニーも続けた。
その辺りで頭の中にパッパと問題点を列挙して考えられるかどうか。
これこそが王佐の才と呼ばれる部分だった。
「その、ネコの軍団がどんな構成かが重要だな。多種族だったんだろ?」
キャリが水晶玉の中に見た敵勢の構成。
単純にそれを『多種族』としか表現しなかった事が問題だった。
報告は簡潔に要約して要点を漏らさず行う。
これもまた積み重ねが威力を発揮する部分だ。
「えっと……ネコが指揮をしているのは間違いないんだけど……」
そのどこが問題なのか、キャリは最初それを掴めなかった。
普段ならば更に思考を促す場面だが、ここではどんどん答えを開示するべき。
これもまた教育の手段であり、また、学びを重ねる要綱だ。
答えを言い淀んだキャリに対し、アレックスは遠慮なく核心部を突いた。
ル・ガルにとって最悪のケースを想定せねばならない部分だ。
「ネコばかりならネコの首魁が何処かに潜んでいた事になる。ネコ以外の種族が多ければシーアンからの遠征だ。もっと言えばネコの国体その物が移動を完了した可能性が高い。そして最悪のケースは――」
アレックスはチラリとカリオンを見てから続けた。
「――獅子の国がネコを先に征服し、その残党軍を彼の国の補助軍に組み込んだ場合だ。この場合は先に撃退した獅子の首魁を支援するべく陸路で移動してきている可能性がある。つまり、獅子の国が本腰を入れてきたという事だな」
この場にいる大人たちが何を思案したのか。
キャリはそれを垣間見た。そして、一瞬で深く深く思考を重ねる事も。
「……大至急その研究者を呼び出します。火急ですね」
キャリは顔色を変えてその場を飛び出そうとした。
だが、そんな息子をカリオンは呼び止めた。
「待て!」
もはや怒鳴り付けたと言うレベルで呼ばれたキャリ。
恐る恐る振り返ったのだが、カリオンは険しい表情で言った。
「お前が浮足立ってどうする。ここから慌てて飛び出せば、それを見た者はただならぬ事態だと察してしまうだろ?」
――――……あっ!
公爵家の面々が常に落ち着いて振る舞う理由。
声を荒げず、余裕を感じさせる理由。その全てがこれだった。
「常に悠然と、泰然と振る舞うんだ。忘れるなよ?」
カリオンの言葉に『はい』と応えたキャリ。
次期帝への道は険しいものだが、それでも一つ一つ乗り越えていくのだった。