魔法の可能性 前編
~承前
それは、海上の獅子船団がほぼ全滅した翌朝に始まった。
取り残された獅子の軍勢は破れかぶれの吶喊を始めたのだ。
「第3師団は半リーグ後退せよ! ゆっくりだ!」
馬上で声を嗄らすキャリは、指揮棒で西をさした。
獅子の戦線から指呼の間に過ぎない戦線本部で……だ。
勝利の望みを失った兵士は、抜け殻のようになるか捨て鉢になるもの。
獅子の兵は後者を選択したらしく、もはや勝利など望まぬと言わんばかりだ。
「第1師団は北上! 全員が徐々に後退するんだ! 誘い込め!」
黒尽くめの甲冑で全身を覆ったキャリ。
その背には、カリオンの馬上マントを着けている。
威風堂々とした太陽王の戦衣。
シュサ帝より受け継がれたそれは、カリオンからキャリに継承された。
そして、憧憬と共にそれを見た戦線の誰もが同時に同じ事を思った。
――――あそこに太陽王が居る!
……と。
獅子の軍勢が行う突撃行動を見て取ったカリオンは、キャリに全権を与えた。
沖合の船団が事実上壊滅し、獅子の軍団は明確に狼狽していたからだ。
明々と炎を上げて燃え上がる船団の中、生き残った船は沖合遠くへ下がった。
それを見ていた獅子の軍勢は、誰もが見捨てられたと覚悟しただろう。
こうなった場合、古今あらゆる軍勢が考える事はふたつしかない。
恥を忍んで降伏しつつ、砂を噛み泥を啜ってでも生き残るか。
若しくは、如何なる凄惨な死に方であっても受け入れ、華々しく死ぬか。
究極の選択を迫られた獅子の軍勢を見たカリオンは好機だと判断したのだ。
『 お 前 が 指 揮 を し ろ 』
その命の要点はひとつしかない。
獅子の軍勢を西側へ追い出して追撃せよ。
士官学校の課題として出されるなら、それは割と容易い課題だろう。
故にカリオンは全ての可能性を考慮しつつ、キャリにマントと指揮棒を与えた。
修羅場を潜り、心身を磨き、持って人間その物を厚くしておく経験の場だ。
――――大丈夫かしら……
サンドラは少しばかり不安を零し、母親の顔を見せた。
だが、やがてはキャリも独り立ちせねばならないのだから、必用な事。
獅子の軍勢が全滅覚悟の突撃をしてくるのは目に見えている。
逆に言えば、取って置きレベルな極上の窮地がそこにある。
――――命を危険に晒す経験は将来役に立つ
カリオンはサンドラにそう言った。
自分自身がそうであったように……だ。
ただ、意地とプライドと負けず嫌いが相乗効果を発揮して内在する獅子なのだ。
間違いなく無謀な突撃をしてくる。勝利では無く名誉ある死に方を求めて。
理屈では無く感情で激突してくる者へは、こちらも心を燃やして対処する。
その経験が重要なのだった。
「よし! 良いぞ! 良いぞ! 連動始め!」
キャリは自分の一手が順調なのを確信して後方を振り返った。
彼方に見える城の尖塔にはカリオンが陣取っていて見ている筈。
己の成長を見せつけ、安心と信頼を得たい。
恐らくそれは、どんな世界の親子関係でも共通する子の願望なのだろう。
「若! 獅子の軍勢が紡錘陣形となった!」
ドリーは馬上にあってキャリへ報告を入れている。
遠い日のカリオンとカウリ卿が姿を変えてそこにいた。
「良いぞ! 良い感じだ! これで行こう!」
楔のように尖った部分を作る紡錘形は突撃の基本。
先頭に立つ者が斃れても次々と先端部分が生まれる仕組みだ。
その自己鍛錬型の鋭点生成を行う仕組みは、膂力に勝った獅子の特技だろう。
だが、彼等が吶喊する先には10万丁を越える銃が待っているのだ。
「射撃3段! 統制型斉射を行う! 先走るな!」
馬上で声を上げたキャリは瓦礫で作った土塁越しに敵陣を見た。
その姿を遠慮無く獅子の側に晒しつつ……だ。
他ならぬ最高指揮官がそこに居ると言うことは、獅子には良い的だ。
ついつい強力な魔法を使おうとするだろうが、カウンター攻撃の餌食になる。
故に彼等は肉弾攻撃を仕掛けるしか無い。
「第2師団! 全員西へ向かって走れ!」
まるで呼び水の様に走り出した兵士たちは、正直に言えば訳も解らぬ状態だ。
だがそれは、獅子の側とて全く同じ状況だった。
正体不明の魔法によりこちら側の陣地が次々と爆破され死傷者が続出した。
その治療の為に回復系の魔道官が魔力集中をすると同じく爆発した。
彼等は最初、それが単なる爆発物だとは気が付かなかったらしい。
しかし、偶然にも瀕死の重傷で生き残った者によりその秘密がバレた。
ただしそれは、だからと言って何の対処も出来ない仕組みだったが。
恐らくは様々な才能を持つ若者達だったはず。
だが、その全てを塗りつぶし、獅子としての生き方だけを教えられた者達。
勇敢に戦い、雄々しく咆吼して相手を圧し、それのみに狂う。
獅子であると言う部分のみを狂信してしまった悲哀だ。
「キャリさま! 獅子の軍勢が動き始めました!」
キャリの近くでラベンダー色のマントを身に付けているビオラがそう言った。
次期帝の側近ポジションにネコの女が居る事への風当たりは、もう無かった。
そしてこの日、キャリのそばには別の才能が集っていた。
「順調か?」
キャリがそうたずねた相手は、ニコリと笑って手にしていた水晶球を見せた。
「ま、全く問題ありません。ま、ま、ま、まもなく開始されます」
カリオンが肝入りで開設したガルディブルク大学には魔法工学科がある。
茅街で作り上げられた魔法により実現した重工業を体型的に学ぶ場だ。
そんな学校へ入ってくる学生の中には、とんでもない才能持ちが居た。
恐らく、今までなら全く評価されなかった、生まれ持って高知能な者達だ。
「君の判断で始めて良い。後方を撹乱してくれ」
キャリの馬に寄り添い、ビオラと共に戦線を移動する若者。
短く『御意』と応えたのは、灰色の毛並みをした雑種の青年だった。
イヌの社会ではマダラより多少マシという扱いでしかない雑種。
だが、そんな者達の中からとんでもない才能が稀に生まれる。
そんなギフテッド達の中でも頭1つ抜け出た存在が彼だった。
「良かったですねカカ。才能を発揮する場ですよ」
ビオラは女性らしい柔らかな笑みを浮かべてそう言った。
それを聞いた若者は、シャイで初心な反応を見せつつ返答した。
「で、殿下に拾って頂いた身です。お役に立って見せます」
カカと呼ばれた青年は、水晶の中を見ながらそう言った。
転送魔法の爆弾拠点を視察したキャリと出会い、彼の人生は大きく変わった。
人と目を合わせられず、会話も上手く受け答えが出来ないタイプだ。
しかし、自分が興味ある事については、相手の反応を気にせず蕩々と語り出す。
言いたい事を一気呵成に、論点を整理せず一方的に、しかも早口で捲し立てる。
――――――画に描いたような魔術師です
それを見ていたウィルはキャリにそう説明した。
同時にその耳元でこう囁いた。
――――――手駒に加えておくには最適の人材かも知れません
それはキャリ自身もガルディブルク大学で経験した事だった。
ヲタク気質の才人は基本的に人間性に問題があるケースが多い。
人の話を聞かず、意見を取り入れず、ただただ真っ直ぐに研究し続けるタイプ。
しかしながら、自らが没頭する研究については誰よりも真摯に真剣に行う。
上古より人口に膾炙するように、知りたいと願う事はより深く理解したいのだ。
その為には、周囲のことなど正直どうだって良いとすら思っている。
多くの魔導師や魔術師が人里離れた辺鄙な地で一人暮らす理由はそれだった。
「では、始めます」
カカは水晶玉の中に小さな点を浮かび上がらせた。
キャリが視察したときに実演した、魔法による新しい攻撃手段だ。
それが何なのか、ウィルやハクトにも最初は理解が出来なかった。
唯一それを見抜いたのはリリスの脇に控えていたルフのみ。
――――――坊主
――――――おめぇなんてもん拵えやがった……
酷く珍しいトラの魔術師が驚きを隠さぬ中、カカはぎこちなく笑って言った。
――――ま、前から……
――――思っていたんです……
――――魔法を使えばコレが出来るとお……
言葉の末尾が消えて無くなる独特の話し方は自信の無さの現れ。
自己肯定感も薄く、逆に自分は無駄な存在だと思っているタイプ。
だが……
『 面 白 い じ ゃ な い か ! 』
キャリがそう発したとき、カカはパーッと満面の笑みを浮かべた。
良かった。少し自信を持ったようだ。そんな風に周囲も思った。
しかしそれは、単に地獄の蓋を開けただけだと直後に理解した。
まるで子供のように無邪気な表情となったカカは、いきなり甲高い声になった。
『こ、これはですね魔法による空間座標の指定を良き隣人達が使う空間
転移の術を真似ることで応用が可能となるのを見付けた時に思い付い
たものでこれを使うと特定の空間と空間を繋げられることを見付けた
んですがこの連結された空間というのはどんなものでもやり取りが出
来る凄い仕組みでまだ多少改善の余地はあるものの食べ物などはおろ
か武器や書物なども彼方の地に送ったり取り寄せたり出来るのですけ
どこれによって時間と空間を無視して様々なやり取りを可能にするだ
けで無く人間同士の意思の疎通や方針の確認と言った重要なやり取り
だけで無く様々な情報を交換することにより戦線と王都だとか街と街
を繋げることで事前情報の伝達を計る為に馬を走らせるなどの行為も
不要になるだけでなく時間的な損失がほぼ無い状態でそれを可能とし
ますけどそこで思ったのですがこの座標を指定する部分を持ち運びで
きるようにしたら転送魔法の可能性がもっともっと広がって将来的に
は人間を転送することにより様々な利点がもたらされると確信してお
りまして一例を挙げれば殿下あるいは陛下が城に居ながらに遠く彼方
の現況を知るだけで無く他国の例えばキツネやオオカミの国の指定さ
れた所へ一気に飛んで行って……『なるほど』
止めなければ明日の朝まで喋り続ける勢いのカカ。
一気に話し出したその姿は、キャリをしてもう苦笑い以外のなにものでもない。
やっちまった……と落ち込む姿のカカ。
その肩に手を置いてキャリは言った。
『明日から自分の隣に居てくれ。君を歓迎する』
その日、キャリはその手駒の中に類い希な魔導の才を持つ者を加えた。
世界の常識を一変させる、とんでもない魔法が世に放たれようとしていた。
「そう。そこだ。良いよ。うん」
小さな声で語りかけたカカ。
水晶玉の中に見えた小さな光の球は、白から赤に変わった。
その次の瞬間、水晶玉の向こうに見える景色が突然大爆発した。
「……凄いな」
「全くです」
キャリとビオラが感嘆の声を漏らした。
それを聞いたカカはムフッと息を吐いて笑った。
転送爆弾は水晶玉の照準器により任意の場所に転送された。
魔法を使った完全なスマート爆弾が誕生した瞬間だった。
「こんな事も出来るのか……」
もはや驚くことすら馬鹿馬鹿しくなっていたドリーも、そう言うしかない。
敵となる側の魔力集中にすら頼らなくても良いシステムが誕生したのだ。
魔法は万能と言うが、それは術者のイメージ次第でもある。
茅街に暮らすヒトの知識と知恵が様々な恩恵をもたらしているのだった。
「続けますか?」
カカは自信溢れる声でそう言った。
それに対しキャリは『勿論だ。ドンドンやってくれ』と返答した。
水晶玉に一度目を落としたカカは『御意』と応え攻撃を再開した。
どうやっても対処出来ない、防御不能の攻撃が始まった……
――――ガルディブルク城 バルコニー
腕を組んで戦況を眺めるカリオンは、ただただ呆れていた。
それは、己の発想の貧弱さを笑う面もあるのだ。
「こんな戦い方が実現するとは思わなかった」
ビッグストン時代に魔法を戦闘に使う夢を持ったカリオンだ。
最初はカリオンとて単純な自然現象魔法の兵器化をイメージしていた。
それ自体はこの世界の常識であり、あくまで標準的な思考と言える。
だが、ヒトの持つ技術や知恵や経験がそれらを一変させた。
魔法で発火させる銃火器の登場が戦を一変させ、中身を変えた。
それだけでなく、輸送や補充と言った部分も大きく改善した。
そして今……
「この世界が大きく変わりそうね」
何処か不安げにそう呟いたリリス。
その周囲には城詰めの魔導師や魔法使い達が揃っていた。
「世界の成り立ちや仕組みを研究してきましたが、全く新しいものを造り出すという部分においてはヒトには全く太刀打ちできませんな」
ハクトは呆れるようにそう言った。
そもそも、彼等に魔導を教えたオズの限界でもあった。
「魔導が、いや、魔導だけで無く良き隣人や精霊と言ったものの存在を感じ取れないからこそ、ヒトは己の技術でそれを実現しようとしたのだろうな」
ウィルはハクトにそう応え、ハクトは少し不機嫌そうにヒゲを揺らした。
「魔導が使えないからこそ自由だったと言うのは……魔導に携わるものには甚だ不愉快だな。我々の方が遙かに、下らぬ常識に捕らわれておる」
それ自体はやむを得ない事だと解っていながら、それでも不愉快なのだ。
世界の森羅万象に造形を深めたところで、意味は無いのだと突き付けられた。
そう。単純に言えば、ここまでの生涯に意味がないと言われたに等しい。
魔導を極めたはずなのに、己の限界を突き付けられたのだから。
「先輩方。良いじゃないですか。大いに結構じゃ無いですか。もっともっと研究できますよ。もっと自由に考えていきやしょう。不可能を可能にする事こそ魔術の醍醐味ですよ。こう言うことを積み上げていけば、きっと賢者の石に辿り着けます」
賢者の石。
それは鉛などの卑金属を金に変える際の触媒となると考えた代物だ。
また、失われた命を再生させたり、不老不死を実現するものでもある。
世界中の魔導師魔術師らが追い求める、神の領域のもの。
そうすれば、いくらでも金を生成できるのだから誰だって欲しがる。
金など要らぬが名誉名声は人一倍欲しい魔術師にとっての目標だ。
「そうだな。魔法の可能性は無限だ」
「もっと研究の時間が必用だ。また転生するしか無いか」
ウィルとハクトはそんな事を会話するが、そこにリリスが割っては入った。
「その前にアレを何とかしないと」
彼女が指差した先。
城のバルコニーから見えるガルディブルク西街区はまだ混乱している。
獅子の兵士達は紡績陣形となって突撃を始めたのだ。
ル・ガル側の兵士は上手く運動し、獅子を誘い込んでは西へ差し向けている。
獅子の兵士は誘い込まれるがままに走り続け、そろそろ城の直下だった。
「そろそろ射撃しそうだな」
「ですね。良い頃合いです」
カリオンの言葉にウォークがそう応えた。
その直後、壮絶な射撃音が聞こえ、全員が耳を塞いだ。
およそ5万丁の銃による一斉射撃が加えられたのだ。
「……同情くらいはしてやっても良いぜ」
ジョニーもそう漏らす、凄まじい射撃。
眼下では獅子の兵が各所で断末魔を上げている。
20匁ではなく40匁の巨大な弾丸を喰らい、挽肉になっているのだ。
「そして……こうなるのか……」
カリオンが言ったそれは、獅子の側の動きだった。
重傷者の傷を癒やす為に魔力集中すれば、そこに爆弾が転送される。
怖じ気づいて動けなくなったグループにはスマート爆弾のプレゼント。
足を止めれば爆死するが、走れば銃で撃たれて戦死。
どっちに行っても死が待っている戦場には絶望が漂っていた。
「けど、キャリも良くやってるな」
「そうだな。帰ってきたら褒めてやらねばなるまい」
ジョニーとカリオンは目を細めてそう言った。
ミタラス広場を掠めるように走る獅子の兵士は、西に向かって敗走していた。
そんな獅子の兵に追撃戦を仕掛けようとしているキャリは、銃撃続行中だ。
あれだけ居た獅子の兵士は半分以下にまで減っているように見える。
夥しい死体が転がっていて、収容し埋葬するだけでも骨が折れそうだ。
「さて、次の一手を考えねばならんな」
腕を組んでそれを眺めていたカリオン。
王都ガルディブルクの攻防戦も大詰めを迎えようとしていた。