ヒトと言う種族
獅子の陣営よりやって来た使者を追い返した翌朝。
「凄いな……」
小さくぼやいたカリオンは、城の最上部にある小さなデッキにいた。
王都で一番高いところとなっているここは、紅珊瑚海を見下ろす事が出来る。
それ故にここはル・ガル国軍の海上監視所でもあった。
そんなデッキの上、カリオンは腕を組んで唸っている。
彼方に見える紅珊瑚海には、大量の船団が犇めいているからだ。
「陛下。こちらをどうぞ」
グリーンの制服を着たヒトの男はカリオンに座を譲った。
そこには三本足で立つ何かの蟹の目のようなカラクリがあった。
カラクリには接眼部が備えられていて、ヒトの男はそれを操作していた。
「これは?」
カリオンの問いにヒトの男は胸を張って答えた。
「距離計と言う道具です。彼方にあるものを拡大して見る事が出来、また距離を正確に計ることが出来ます」
朗らかにそう答えたヒトの男はカリオンに手を差し出してのぞき込ませた。
するとどうだ。遥か彼方にあるはずの船団が大きく拡大されて見えるのだ。
「……これは凄いな」
素直に感心して見せたカリオン。
それもそのはず。実視界を10倍に拡大した鮮明な像が見えているのだ。
カリオンの視界に飛び込んでくるのは、獅子の国の軍旗はためく巨大船。
「増援か」
「然様です。凡そ3リーグの彼方です」
距離計に備えつけられたカウンターによれば、船団までは12キロ。
この世界の単位系に換算すればおよそ3リーグとなる距離だった。
「推定ですが、全部で100隻少々と思われます」
ヒトの言葉にカリオンはもう一度唸った。
獅子の国より派遣された千人隊長は増援の話をしてはいない。
つまり、最初からこちらを平定する腹積もりだったかも知れない。
或いは、ル・ガルを降伏させた後で入場する占領軍の可能性もある。
イヌを武装解除し、使える形に再編成してから連れ帰るのだろう。
この地に残る獅子は、再開発と住民の宣撫に勤しむのかも知れないが……
「全く…… 彼等は最初からこちらを併呑するつもりだったのですね」
不機嫌そうにそう言ったキャリ。
ドリーはそんな若王を頼もしげに見ていた。
「まぁ、彼の国も切羽詰まっているのだろう。彼等が求めているのは金でも食糧でも無く人的資源かも知れぬからな」
軽い調子でそう言ったカリオンは、腰に手を当てて唸っていた。
彼方に見える獅子の陣地では何事かの動きがある様だった。
「陛下。彼等は船団と陸の戦力で意思疎通が出来てるのでありましょうや」
何かに気が付いたドリーがそんな事を言った。
俗にカニ眼鏡と呼ばれる潜望鏡型の据え置き式距離計は高倍率で鮮明だ。
それを見ていたドリーは、船団側が何かしら準備中なのを見て取った。
「上陸するにせぇ、それなりに準備は要るはずだぜ。砂浜に乗り上げるような馬鹿な事はするめぇさ」
相変わらずべらんめいな物言いのジョニーは、細長い単眼鏡を覗いていた。
レオン家が所蔵していたヒトの世界からの落ちモノで、3倍程度はある。
それを覗いていたジョニーは小さく息を吐いて続けた。
「小舟に分乗して上陸するにゃぁ骨が折れる。って事は、コッチが降伏した頃合いを見計らうか、さもなくば降伏したと教えてやらにゃぁなるめぇ」
そう。いつの時代もどんな世界も海からの上陸作戦は大事だ。
水陸共同作戦を行うなら、緊密な情報のやり取りが重要になる。
となれば、防御側が最初に狙うのはその情報伝達手段だ。
耳目を奪ってしまえば連係は絶たれ、大軍も烏合の衆となる。
「魔法を使ってなければ良いね」
デッキの片隅に立っていたメイド服姿のリリスは、小さな声でそう言った。
魔法を使っていたなら、それを掴もうと必死に探さねばならない。
だが、そんな事をしたことも試みたことも無い。
「……ル・ガルが経験した事の無い形の戦だな」
溜息混じりにそう呟いたカリオン。
だが、それを聞いたヒトの男は胸を張って言った。
「その為に我々を召喚されたのでは?」
ニンマリと笑ったその男は、まるで詐欺師のような胡散臭い笑みで言った。
茅街からやって来たそのヒトの男は、己の胸に手を当てて続けた。
「陛下がお命じならば、我々は世界を焼き払ってご覧に入れましょうぞ」
―――――王都ガルディブルク
帝國歴400年 10月13日 午前9時
でっぷりと肥え太ったその人の男は、片方の頬を醜く歪ませる様に笑った。
「これより、我々ヒトと言う種族の持つ最も恥ずべき特性をご覧に入れましょう。なに、大した事は行いません。ただちょっと猜疑心が強く、他者を信用せず、隙と油断さえ有れば他人を陥れて破滅させるのが大好きという最悪の特性ですよ」
クククと笑ったヒトの男がカリオンを見た時、後方から報告が聞こえてきた。
――――少佐!
――――砲列の設営を完了した!
王都ガルディブルクへとやって来たヒトの兵士達は、総勢で僅か55名だった。
最初にその話を聞いた国軍参謀陣は、落胆の色を隠さなかったくらいに。
だが、王と共に彼等を出迎えた時、落胆は驚愕に変わっていた。
茅街で様々な事業に参加していた魔導師達が同行していたからだ。
「私が生まれ育った時代の世界情勢は、小さな壷の中で列強が犇めく弱肉強食の時代でありました。弱き者は負けて喰われて養分にされて終わり。そんな時代故か、全ての国家は血反吐を吐きながらも軍備増強と勢力拡大に走り続けたのです」
少佐と呼ばれたその男は、星の付いた軍帽を被っている。
それにどれ程の価値があるのかは解らないが、少なくとも大切な物なのだろう。
少佐はその防止を一度頭からおろし、形を整えてから被りなおした。
「それ故に、我々の間ではこう言い習わしました。足らぬ足らぬは工夫が足らぬ。欲しがりません。勝つまでは……とね」
それが意味する所をカリオンだけで無くル・ガル国軍首脳陣の全てが理解した。
おそらくは、この世界の誰も思い付かなかったであろう軍と魔法の形だった。
この世界とて、魔法を使った戦など遙か昔から様々に経験してきた筈。
魔力の枯渇と不安定さをどう克服するかで、各国の手腕が垣間見えた。
だが、魔法を使えないはずのヒトは、予想外の形で魔法を活用し始めた。
それは正に『工夫が足らぬ』と言わんばかりに。
絶望的な状況であるル・ガルが一発逆転し得るだけの手筈と準備。
その意味するところはつまり、全部殺せば問題無い……だった。
「……なるほど。では、そなたらの働きに期待している」
手短にそう言ったカリオン。
少佐と呼ばれたヒトの男は背筋を伸ばして敬礼した。
「承りました。微力ながらも粉骨砕身、努力いたします」
全身どこにも全く隙の無い立ち姿。
恐らくは筆舌に尽くしがたい戦場を駆けずり回ったのだろう。
もはや醜いと言われる程の肥満だが、その姿には緊張感があるのだ。
俗に、殺す側と殺される側などと言うが、この男は殺し回った側だった。
「うむ」
ひとつ頷いたカリオンは振り返り、『じゃぁ、会おうか』と発した。
朝早い時間だが、獅子の陣営より使者がやって来て面会を求めていたのだ。
「使者はミタラス広場に待たせてあります」
手短にそう言ったウォークだが、少々硬い表情だ。
緊張とは違う意味で全身から威を発していた。
「どうした? なにか不安か?」
軽い調子でウォークをからかったカリオン。
だが、そんなカリオンの脇腹をジョニーが突いた。
「ふざけてねぇであの獅子の野郎にギャフンと言わせんぞ。負ける気がしねぇってやつさ。後の事は後で考えようぜ」
ジョニーの言葉に『そうだな』とだけ返したカリオン。
だが、そんなやり取りを見たウォークは、まだ不安そうだった……
――――半刻後
ミタラス広場の中央辺りに陣取ったカリオンは、その口上を黙って聞いていた。
唐突にやって来た獅子の国の兵士3名は、最後通牒に来たのだった。
「聡明なるイヌの王よ。どうかご静聴賜りたい」
そう切り出したまだ若い獅子の男は、音吐朗々に口上を述べた。
こうやって経験を積むのだろう……と、そう思わせる初々しさもあった。
だが、それら一切を抜きにして、その言葉は到底受け入れ難いものだ。
曰く――
・この世を統べるシンバの命により戦を開く
・我らは増援を受け派遣軍団は30万に達するだろう
・そなたらの抵抗は承知している
・願わくば無駄な死を重ねる抵抗を取りやめて貰いたい
要するに、降伏勧告を持って来たのだ。
容赦無くすり潰す事は可能でも、それをしたくは無いと言うものだ。
ただ、それを聞いていたカリオンとル・ガル首脳陣は別の印象を持った。
それほどまでに兵士の命が惜しいのだろうか?と言う物だ。
すり潰すのは容易いが、犠牲は必ず生まれる。
獅子の側もイヌの兵士も、それなりの数で死傷者は出るだろう。
それが惜しいのだから、素直に降伏してくれと半ば泣きついているのだ。
ちゃっちゃと戦って決着を付けよう。その方がすっきりする。
武運拙く死ぬのであれば、何処で死んでも我が祖国故に問題無い。
そんな風に思っていたル・ガル側が首を捻るほどの慎重さだった。
「……なるほど」
カリオンは心の何処かで心理的に勝ったと確信した。
要するに、この若者達は死にたくは無いのだ。
幾度かの激突で見せたル・ガル側の強さを知っているか聞いているのだろう。
ここで派手にやり合えば、間違い無く死ぬと確信しているのだった。
「余はそなたらの要望を良く理解した。我々の命だけで無く、諸君らの命もまた大切な物である。およそこの世に無為な形で失って良い命など存在しないのだ。回避出来る戦であれば、虜となってでも回避したいと願う事に些かの疑問も無い――」
獅子の国はあくまでル・ガルの戦力を欲しているのだろう。
余力のある状態では無い筈だが、それでもここへ30万の大軍を派遣した。
戦闘の常として、戦いを左右するのは数であり規模なのだ。
その為、獅子の国は余力を総動員してこれを行っているはず……
「――だが、残念な事に我々には獅子の諸君全員を受け入れるに足る適切な収容施設が無いので降伏は受諾できない。少々数を減らさねば成らん。諸君らを歓待し和ませる程の余裕も無いのだ。故にここからはまことに遺憾ながら……」
カリオンは隣に立っていたウォークへ手を差し出した。
ウォークはその手へ銃を手渡した。既に装填されている代物だ。
「……血塗られた道だ」
空に向かってその銃を撃ったカリオン。
乾いた音が響き、獅子の男達は表情を硬くした。
「我々は全力を以て抵抗する。如何なる温情も不要だ。総力を挙げて襲い掛かってきて貰いたい。諸君らの健闘を祈る」
一方的に言いたい事を言ったカリオンは、クルリと背を向けて歩き出した。
戦線本部となっていたミタラスの中央広場には拍手と喝采が響いた。
「イヌの王よ!」
喰い下がった獅子の男はすがる様に叫んだ。
そこに見え隠れする感情は、ミタラス広場の全員が感じ取った。
「まだなにかあるのかね?」
まるで勝者のように振る舞うカリオンは、鷹揚とした態度で振り返った。
いや、それは鷹揚などでは無く、傲岸不遜な支配者の振る舞いだった。
「あくまで戦われるのか?」
泣き言のようなその言葉に、カリオンはただ首肯を返した。
絶対的支配者だけが見せる勝者の笑みを添えて。
「もう一度言う。所詮は血塗られた道だ」
その言葉が引き金になったのか、国軍兵士達は一斉に声をあげた。
如何なる闘争であろうとも、心理的に勝った側の方が優勢なのは普遍の定理だ。
――――これで良い
ふとそんなことを思ったカリオンだが、油断は禁物だとも考えている。
だが、少なくとも現時点では喜んで良いと、そう確信していた。
そして、その日の午後。
「全員頭を下げな! 勝手に死ぬなよ!」
女の金切り声が唐突に響いた。
人気の絶えたガルディブルクのダウンタウンエリアだ。
本来であれば様々な商人が商いを行い、職人たちが腕を振るうエリア。
だが、そんな街並みのほぼ全てが瓦礫の山に変わっている。
「全員生きてるかい?」
再び女の声が響き、その場に伏せていたル・ガル銃兵が頭を上げた。
魔法による猛烈な炎の奔流が瓦礫を舐めるように駆け抜けていったのだ。
「危ない所だったね」
勝ち誇ったように言うネコの女。
猫股のセンリは空中に呪印を切りながら魔力を込めた。
「さて。反撃と行こうじゃないか。ネコを舐めるなよ」
僅かばかりの電撃が凄まじい速度で四散した。
人を殺めるには全く威力が足りないと思わせる程度のものだった。
だが、王都の瓦礫各所にそれらが消えた後、空から唐突な雷鳴が響く。
暗雲の立ち込める空には低い雲が掛かっていた。
「あの小娘も腕を上げたね」
ニヤリと笑って振り返ったセンリ。
その眼差しの向こうに居たのは、城のバルコニーで魔力を練るリリスだった。
集中して魔力を練り上げつつ空高くを指さしたあと、その指が地上を指す。
次の瞬間、天然の落雷をはるかに超える威力で電光が空から地上へ落ちた。
耳を圧する轟音と衝撃波。
そして大地を揺らす地響き。
「落雷ってのは防ぎ様が無いからねぇ……」
自然の摂理を使って強力な魔法攻撃を行う姿は、文字通り魔女だった。
竜巻を起こし海から膨大な量の水を吸い上げて市街地へ降らせたりもしている。
その威力たるや、たった一人で10万の兵士に匹敵していた。
結果として獅子の陣営が大きく削られ、死傷者が続出する事態になっている。
彼等は沖合の増援を陸揚げせねばならない関係で人出を割けないのだ。
「まぁ…… 上出来と褒めてやるか……」
苦々し気に吐いたセンリの言葉。
魔法文化の進んでいる獅子の国は、その対抗策もしっかり練られている。
獅子の側には期待するほどの犠牲も無く、戦闘は小康状態だ。
要するに、術者であるリリスが魔力を使い切るのを待っているのだった。
どれ程に大規模魔法が強力でも、世界を席巻しなかったふたつの理由。
ひとつは、術者の技量や能力に大きく左右される不安定さ。
そしてもう一つは術者の体力と魔力の総量に左右される不確実性。
強力な魔法効果を発揮する魔術は、同時に術者の実力と体力による。
その結果として、術者の体力魔力が枯渇した瞬間にただの人になる。
しかも悪い事に体力を消耗しているので戦力としては見込めないのだ。
「さて! そろそろ後退だ! あの連中が動き始めるからね」
センリがそう叫ぶと、ル・ガル銃兵は散発的に射撃しながら城へと後退した。
瓦礫ばかりの街並みだが、それでも撤退は砂を噛む悔しさだ。
――――くそぉ……
誰かがそれを漏らし、センリも表情を曇らせる。
この辺りは腕の良い調理人が何人も居た筈の食堂街だ。
工房や作業場の職人達が空きっ腹を抱えてやって来ては鱈腹食っていた。
不意に足を止めたセンリは足元を見た。
いつか見た料理屋の看板が割れて吹き飛んで転がっていた。
その残骸を幾つか拾ったセンリは、振り返って残骸に何事かの言葉を掛けた。
「さて……せいぜい踊っておくれよ……」
それが何であるかを全員が確かめる前に、センリは『行くよ!』と走り出した。
少なくとも碌な事じゃ無いと銃兵が思う中、彼方から太鼓の音が聞こえた。
――――獅子の魔術兵は死にきってない!
戦線の前進を指揮する太鼓に合わせ、獅子の兵が戦線を整理した様だ。
何度も見てきた獅子の国の戦闘手順だが、全く以て理に適っている仕組み。
だが、そこを突くとヒトの男は言った。
周囲から少佐と呼ばれる醜く肥ったヒキガエルのような男だ。
「……何をしようって言うのさ」
小さな声でそう呟いたセンリ。
そんな彼女がふと顔を上げて空を見た時、頭の上を大量の鳥が飛んでいった。
――――とり?
そう。鳥だ。
バタバタと羽ばたいて飛ぶ鳥は、大きな木の実を抱えている様に見えた。
椰子の実程にも見える大きな実を持つ鳥は、大人の両手を広げたよりも大きい。
「アレは何ですかね?」
ル・ガル国軍兵士が不思議がって空を指差している。
だが、センリとて『あたしにも解らないよ』と答えるのが精一杯。
ヒトの持つ創意工夫と発想の自由さが生み出した魔法の新しい使い方。
なにより、悪意とずる賢さにより導き出された純粋な殺意。
――――やはりヒトは危険だ……
この世界がその認識を改めて持つに至る理由は、ここから始まるのだった……