王の役目
お待たせしました。再開します。
「なに? まことか!」
椅子を蹴り上げる勢いで立ち上がったカリオンは驚きを隠せなかった。
獅子の国の使者へ返答する前夜遅く。城の会議室では深い検討が続いていた。
「ハッ!まもなく両名がここへ到着いたします!」
そう報告を上げたまだ若い国軍士官は何処かの貴族の倅だろう。
緊張した面持ちでカリオンの前に立った彼は、初めて間近で太陽王を見たのだ。
「そうか。ご苦労。両名にはそのまま登城しろと伝えろ。君も遅くまでご苦労だがもう少し頑張ってくれ」
望外な労いの言葉を浴びた若い士官は、まるで雷にでも打たれた様に敬礼した。
厳しくも愛のある人物。そんな話を聞いていた彼は王の本質に触れたのだ。
――――――全てのル・ガル国民を見守り導く存在
慈悲深く思慮深く、なにより仁の精神を持つ存在。
それを思えば艱難辛苦の労を問わず、捨身奉公の意義を思い起こさせてくれる。
「承りました!」
その元気な返答に、議場へ揃っていたル・ガル指導部全員が笑みを浮かべた。
覇気ある若者が育っている事実は、年齢を重ねた者にとっては娯楽の一部だ。
「……そうか。生きてたか。まぁ、死ぬ事はあるめぇと思ってたけどよ」
憎まれ口のような事を叩いてジョニーがそう零す。
彼なりの優しさだと知る者達は、議場の中に細波のような笑いを広げた。
行方不明情報から1ヶ月近くも経過し、そろそろ本音では諦め始めた頃だ。
たが、探索を命じた貴族士官は無事にアレックスとジロウの両名を発見した。
そして、彼等を連れて王都へ帰還したと言うのだ。
「かの国の事情がもう少し掴めれば良いのですが」
ボソリとこぼしたドリーは、訝しげな表情で顎を擦っている。
ネコの国は何を考えているのか。その根幹部分が全く見えてこないのだ。
「案外これと言った方針などなく、その場凌ぎの対応かも知れません――」
そう口を挟んだルイは、手元のお茶を一口啜ってから言葉を続けた。
常に優雅に、常に泰然と。そんなボルボン家らしい振る舞いも板に付いてきた。
「――確固たる方針も目的もなく、その場その場で一番楽しいと思う事をする。それがネコの性質、或いは特質かも知れません」
ボルボン家当主が漏らした言葉に、ル・ガル指導部の面々が少々渋い顔だ。
ことに国家財政を預かる財務長官などは、手と髭を僅かに震わせる程に。
「どうしたモーフィー。牙が見えて居るぞ?」
揶揄うようにそう言ったカリオン。だが、太陽王からモーフィーと呼ばれたアッバース家の老臣、モハメド・アッバースは苛立ちを隠そうとすらせず、今にも喚きだしそうな不服顔でぶ厚い帳面に手を置いて言った。
「遊びでやられては……我が国の財政が持ちませぬ――」
そう。現状のル・ガルは絶望的レベルでとんでもない財政赤字状態だ。
現カリオン政権で財務長官を務める男は怒りをかみ殺す事すら出来ない。
獅子の国への遠征以前にキツネやトラとの闘争。その前のネコと国との闘争。
そしてそれ以前の北伐。ル・ガルと言う国家は現状既に破産状態だ。
通貨発行権を持っているからと言って、通貨は無限に発行できない。
金兌換がある以上、金の総量に対し通貨総量が増えればインフレを招く。
通貨の価値が下がるという事は、狂乱インフレによる崩壊の最短手だ。
それ故、戦時国債や愛国債を発行して予算を確保するのが上策となる。
だが、国債とは呼び名が異なるだけで要するに借金でしかない。
借金である以上、最終的には償還せねばならない代物だ。
つまり、最終的に頼るのは税であり、突き詰めれば国民負担となる。
だが、それとて既に理想値の四公六民どころか五公五民を通り越していた。
「――六公四民では国民が持ちますまい」
実は既にル・ガルは限界点を踏み越えていた。
もはや自力での償還は事実上不可能で何らかの手立てが要る。
早い話が、何処かの国なり地域なりを滅ぼして接収するしかない。
現時点でル・ガルが崩壊を免れているのは、イヌという種族が持つ団結心だ。
滅私の精神と利他を美徳とする社会がギリギリの我慢を実現していた。
「暴発は時間の問題ですわね」
何処にも悲壮さを感じさせる事なく、ジャンヌは優雅な言葉でそう言った。
だが、公爵家の財政自体が既に限界状態で、もはやどうにもならないのだ。
「……戦功を挙げた者に報いるべき所領も既に開発限界を越えておるしな」
ドリーもそう口を挟んだ。国軍にて戦功をあげても報奨出来ないのだ。
これでは軍紀を保つ事すら難しくなりかねない。
つまり、ル・ガルは実に地味な形で崩壊しようとしていた。
イヌの築いた巨大国家は、巨大さ故に全体を支えられなくなっていた。
―――――王都ガルディブルク 城内会議室
帝國歴400年 10月12日
「よく生きて帰った!」
アレックスとジロウが姿を現すなり、カリオンはそう言って両名を手招きした。
城の議場に姿を現した二人は窶れているが、健康上の問題は無さそうに見えた。
「いやぁ酷い目にあったよ――」
笑いながらそう言ったアレックスは懐からカリオンの国書を取り出した。
本来の任務はネコの女王へ親書を送り届ける事だ。
だが、それは叶わず逆に死ぬ目にあったのだ。
「――これを返却する。面目無い」
少しはにかんだ様な顔でそう言ったアレックス。
その屈託の無い表情がカリオンの胸を叩いた。
まだビッグストンに在籍していた頃と同じ笑み。
何かをしでかしても、そうやって笑えば不思議と許される人徳持ちだった。
「本当に…… 本当に生きていて良かった」
国書を受け取ったカリオンは、アレックスの肩に手を置いてそう言った。
だが、そんな王の姿を見たアレックスは、少し怪訝な顔で言った。
「なに言ってんだ。王が臣下を心配してどうする。駒は遠慮なく使い潰せよ」
そう。一般的に言えばそれが正しい。
君主論に言う様に、王が王たる為には犠牲など顧みてはならないのである。
その時点時点、場面場面において最良の選択をする事。
可能性と危険性を秤にかけ、リスクと利益を冷徹に判断せねばならない。
それこそが王の王たる役目であり、また、責任でもあるのだ。
横暴だ非道だ冷血漢と謗られ罵られても、指導者はそれをする義務を持つ。
何故なら、国家と人民を守る為の一手は王にしか指し得ないのだから。
「……それもそうだが、級友の帰還くらいは喜んでも良いだろ?」
それは、王と言う肩書きを持つ男の懊悩その物。
最高指導者は常にその双肩へ重責を背負い、絶望的な孤独と戦う立場にある。
逃れられぬ責任を背負った事の無い者には理解出来ないものだろう。
それ故か、古くからの友人と気の置けない時間が欲しいのだ。
たまには肩から重責を降ろし、ひとりの男に帰りたいのだ。
「そりゃしょうがねぇよ。なんせ太陽王様だぜ――」
ツカツカと歩み寄ってきたジョニーはアレックスの頬にグータッチして見せた。
傍目に見れば殴ったようにも見えるが、実際には愛情の発露だ。
「――天下差配の太陽王に心配かけさすんじゃねぇ」
口は悪いが中身は違う。
ジョニーなりの赤心はアレックスにも解っていた。
「……まぁな。死ぬ目にあったが、帰らないと王様の胃袋に穴が空くからさ」
ビッグストン三羽ガラスと揶揄された仲間同士による安堵の会話。
そこには見えない涙が流れている事を皆は理解していた。
「で、フィオリーナ卿」
つかの間の再会に気を緩めたカリオンだが、すぐに支配者の顔を取り戻した。
アレックスとジロウの捜索を命じたイバン・デ・フィオリーナが立っていた。
「お役に立てて光栄であります」
満面の笑みを浮かべたイバン。その胸に去来するのは名誉か財貨か。
戦が少なくなり華々しい武功の果てとして立身出世が難しい時代だ。
こんな場面でポイント稼ぎが出来たのは非常に大きい。
「うむ。貴官の働きは100万の騎兵に等しい」
100万の騎兵と言えば、ル・ガル騎兵全盛期の2倍強な規模となる。
その働きに等しいと評価を得れば、それは過去に記憶の無い高評価だ。
だが、その裏にあるものはイバンも良く解っていた。
現状既にル・ガルが与えられる所領余裕は無い。勿論金も無い。
それ故に『無料』である言葉を掛けるしか、太陽王に選択肢は無い。
「身に余るお言葉。確かに頂戴いたしました」
太陽王の評価が下だったならば、人事局はそれなりの処遇をせねば成らない。
この時、イバンは確実に立身を遂げたと確信した。
そう。今すぐでなくとも良いのだ。
今後につながる布石であり、将来への利権確保を果たした。
いずれ形になるだろう事は良く解っている故に、後は前進のみだ。
「うむ。で、状況はどうだったのだ?」
そう。それこそがカリオンを含めたル・ガル首脳部最大の関心事。
武装偵察などと言った物ではなく、ネコの国の内情について知りたいのだ。
「それに付いてでありますが――
イバンはそこから蕩々と行程と事象の説明に努めた。
まず彼が最初に行ったのは、ネコの旧領に於いて顔役を探す事だった。
顔役
それはつまり、街を差配する裏社会の長である。
町長や助役と行った行政機関としての組織ももちろん存在する。
だが、凡そ西方地域文化では、街の暴力沙汰を解決する存在が重要だった。
つまりは街のダークサイドを取り仕切る存在。
言い換えるなら、人には言えない、明るみに出せない部分を受け持つ存在だ。
「――幸運にもシュバルツカッツェ出身の魔導官だったという男を見付けました。その男から様々な情報を得られ、当たりを付けたところで――」
そもそもフィオリーナ一門は、遠い遠い昔には西方地域に暮らしていた。
この地域における力の差配や揉め事の解決方法と秩序の保ち方を知っている。
ならば話は早い。要するに、経路となる街街で顔役を当たれば良いのだ。
相応の賄賂となる実益を添えて、逢いに行って話を聞けば良い。
その結果、イバンはネコの国で何が起きたのかを具に見てきたのだった。
「魔導官……とな」
カリオンが唸ったのはそこだった。
そもそもにネコと言う種族は魔法や魔術との親和性が高い。
イヌとは異なる高度な魔法体系を持っていて、研究も進んでいる。
そんな彼等ネコにとって、魔導官という肩書きは重要かつ憧憬だ。
才能無き者には辿り着けないポジション故に、多くが切磋琢磨する。
猛烈な競争
技術や知見の大きな進歩は、いつでもこれが付いて回る。
如何なる時代や宗教や民族で有ろうと共通するひとつの法則だ。
「然様に。彼等が言うには――
イバンの報告が続くと、ル・ガルの首脳陣に小さなどよめきが幾つも起きた。
まず、ネコの国の女王は巫女であること。神託を受ける存在だ。
そして彼女は、その為に生み出される半魔法生物であると言う事実。
ネコの国における政治体制に女王は組み込まれていない。
単純に進路を定め、目標を設定し、それにそって動くのみだという。
ただ、それは既に大凡掴んでいた事実でもある。
ル・ガル首脳陣が響めいた一番の理由はそこでは無かった。
「……魔法生物だと?」
カリオンの顔が一気に変わった。
同じく、ジョニーの顔にも明確な険しさが表れた。
「えぇ。手前も俄には信じられなかったのですが――
イバン曰く、ネコの国の女王ヒルダは禁呪を用いて生み出された存在だとか。
ネコは九つの魂を持つ……などと言われるが、そんなものはあり得ない。
だが、上古より人口に膾炙する通り、ネコは複数の命を持つというのだ。
そしてそれは、キツネの国の九尾を思い起こさせた。
人ならざる超常の存在へ変化する事。それはある意味、全ての生物の宿願。
何とも生臭い願望を叶える為、ネコの国は魔法を使ったらしい。
「そうか……」
カリオンはその報告を聞き、どこか親近感を得ていた。
言葉に出来ない劣等感とも言える部分を抱える重なり故だ。
「まぁ手前も直接見たわけではありませんが――
イバンの報告に現れた女王ヒルダ。その姿は凡そ人とは言いがたい異形だ。
1つの身体に2つの頭が乗っていて、尻尾は三つ叉に別れているらしい。
ただ、問題はそこではない。イバンが聞き取ったというヒルダの真実。
そこに横たわる問題は、今後のル・ガルが進むべき方針を示唆するものだ。
「九つ……九人だというのか?」
「はい。手前はその様に聞き取りました」
カリオンの問いにそう返答したイバン。
ヒルダはその身に9人分の魂を搭載しているのだという。
カリオンはイヌとヒトの重なりだが、ヒルダはネコ9人の重なり。
そしてそれは、最も単純な表現をするなら9人分の魔力を内包している。
女王になるために生み出されたとんでもない化け物9人分の魔力という事だ。
だが、問題の核心はそこではない。
本当に問題なのはイバンが声を震わせながら語った部分だった。
「その9人の中には完全に壊れ切った戦争狂が混じっているそうです。そんな存在が他の8名に影響を及ぼし、今の女王は闘争心の塊に堕ちたんだそうです。その結果として、女王の魂は相互に削り合い、殺し合い、傷付きながら存在しているのだとか。そんな魂を癒す為、女王はネコと言う種族の持つ負の感情を吸収し、再生し続けているのだそうです」
魔法や魔術の垣根を越えた、生命の根幹部分に踏み込む際どい問題。
ネコと言う種族の持つ奔放さや身勝手さ。それらの理由全てがこれだった。
「つまり、女王を筆頭に……種族全体が狂っている……とでもいうのか?」
カリオンの問いにイバンは静かに首肯し、『その通りです』と言った。
ネコが狂っているのではなく、結果的に狂ったように見えているだけ。
物の表現の順番が多少変わるだけで、実際には同じ事だった。
「……そうか。良く調べてくれた。やはり……最終的解決を図るしかないな」
カリオンがそう漏らした時、室内にサーッと冷たい風が吹いた。
王が方針として示した『最終的解決』が意味するもの。
それはつまり、ネコその物の滅亡を図るというモノだ。
「今後についてはもう少し検討を要するが、それ以前に獅子の国をどうするかについても結論を見る必要がある」
一カ月ぶりの再開を喜ぶ暇もなく、事態は常に進行しているのだ。
それならば対処するべき優先順位を見間違わぬよう、順序良く対処するまで。
「アレックスとジロウはまず休め。君もだイバン。まだ戦いは続く。諸君らの奮戦に期待せねばならん。身体を休め、傷を癒し、英気を養ってくれ」
カリオンの方針は最初から解っている。問題はその後の対応でしかない。
獅子の国の傘下には入らないし、従う気も無い。あくまで対等な関係を目指す。
だが、その為にどれ程の艱難辛苦を乗り越えねばならないのか。
意地を張って薄氷の道を歩むしか無い。
他人の指図を受けつつ、黙って従う忍従の道はもうこりごりだ。
種族的な特性として横たわるイヌの本質的な部分が顔を出している。
「あぁ。そうさせて貰うよ」
アレックスは右手を挙げて出て行った。
ル・ガル内部に於いてそんな振る舞いが出来る数少ない男のひとりだ。
「では、手前も。御用とあらばいつでもお呼び立てください」
騎士の礼を尽くし、イバンも部屋を出て行った。
最後に残ったジロウは少しモジモジしていたのだが。
「どうしたジロウ。早く行け。コトリが心配していたぞ」
母コトリの名が出て、ジロウは僅かに狼狽した。
自分の不始末で父母や兄に不利益が無ければ良いなと思っていたのだろう。
「あ、あの……」
何かを言おうとしたジロウ。
その内心が手に取るように解ったカリオンは、柔らかい表情で視線を注いだ。
だが、そんなジロウの言葉が始まる前に、よく通る声が議場へ響いた。
「我が王よ。火急の件に付きご無礼仕る」
興奮冷めやらぬと言った空気で議場へ入ってきたのはウラジミールだった。
全身にまとう埃臭さを思えば、夜を徹し走ってきた事など明白だった。
「ん? どうしたボロージャ。何があった?」
ただならぬ空気のウラジミールを見れば、火急の用件を持って来た事など明白。
ならばここはまず話を聞くべき。獅子の国の件は一旦サスペンドだ。
「先の西部地域における戦闘後、我が一党は例の聖導教会関係者を追跡し捕縛しました。当家の者が詰問しましたところ――
ウラジミールは一切表情を変えずに『詰問』と言い切った。
諜報や情報を扱うジダーノフ家の一門が言う詰問は、早い話が拷問だ。
必要な情報を得る為なら肉体的損壊など一切問わないのだろう。
皮肉な話、必要な情報を得るまでは殺せぬ為、回復魔法は得意だ
結果、彼等に捕縛された者達は、いっそ殺してくれと懇願する様になる。
そんな状況に追い込んで吐かせた後、約束通り殺すのだという。
無体な話ではあるが、約束を守るという意味では信用できる面でもあった。
「――ネコの国の内情について。及び現状況を招いた経緯と最終目標について情報を得ました。獅子の国との闘争に於いて参考となるやも知れませぬ故、お叱りは後ほど頂戴仕りまする」
ギンギンと力のこもった眼差しで言うウラジミール。
その言葉にカリオンは『解った。まずは聞こう』と返した。
ただ、そこから出た言葉はあまりにも苛酷なものだった。
ル・ガルの辿る未来は、茨の道ですらも生温いと感じさせる物だった。