ボルボン家とスペンサー家 そして獅子の国の第2陣
~承前
古都ソティスから王都まで伸びる街道は、ル・ガルで最も整備された国道だ。
可能な限り細かい砂利を敷き詰めた鋪装が施され、馬も徒歩も快適だった。
ただ、だからといって疲れないかと言えば、それはウソになる。
生物としての能力限界は、やはり必ずやって来るのだった。
「ディセンド。そろそろ馬が」
ダヴーがそっと進言すると、ディセンドは1つ首肯して右手を挙げた。
ここまでずっと速歩でやって来て、さすがの軍馬も疲労の色が隠せなかった。
凡そ馬という生物は速度はあっても持久力がイマイチ。
長距離を走るなら馬より人の方が有利とすら言われるのだ。
「やはり王都は遠いな」
「陛下の慧眼による整備無くば、もっと疲労したことでしょう」
ルイの率直なつぶやきにダヴーがそう応える。
その言葉に少々険しい表情を浮かべ、ルイは辺りを見回した。
ミッドランドと呼ばれるル・ガルの中央平原は、そもそも広大な草原だった。
今はそこに巨大な荘園が幾つも作られ、巨大農場として機能している。
近隣の農村地帯からやって来る農夫達は、給金を貰って働く労働者でもあった。
そんな農夫達が身体を起こしてボルボン家の一行を見ている。
住んでる世界が違うとすら言われる、公爵家の当主がそこに居るのだから。
「今年は豊作っぽいのだが……」
天候の安定した今期の収穫は大幅な豊作が予想されている。
田畑を吹き抜ける風は爽やかで、流した汗を乾かしてくれていた。
だが、そんなタイミングでルイの眼は彼方の土煙を捉えた。
隣に居たダヴーは、チラリと主君を見てから言った。
「……斥候を出しましょう」
百戦錬磨の側近だ。何らかの危機を読み取ってそう進言したのだろう。
どう見たって碌な事にはならない数の軍勢なのはルイにも解るのだ。
「そうだな。録な予感がしないな」
ルイも表情を曇らせそう言った。
王都が大変なことになっているのだから、敵勢の可能性もある。
或いは、ル・ガル内陸へ進軍する軍集団かも知れない。
「威力偵察とする。誰ぞ志願する者は居るか」
ルイは固い声音でそう言う。すると、我先にと手を上げた者が幾人か居た。
どれもがボルボン家に連なる衛星貴族で、半ば冷飯食いな三男四男坊達だ。
――――彼等にも手柄が必用か……
王による貴族総数の漸減計画は、結果的に彼等の出世機会を奪ってしまった。
つまり、彼等にとって手柄を上げる事は危険を孕んだ一発逆転のチャンスだ。
「よろしい。一番年上は?」
あっという間に12騎ほど名乗りを上げた若者達は、笑みを浮かべて集った。
率直に言えばルイと大して歳の変わらぬ者達ばかりだ。
「恐らく自分です」
最初に手を上げたのは、純白の体毛に包まれた若者だ。
「名は?」
「レダ・ドゥ・プラディロールにございます」
プラディロール家と言えば、先代ジャンヌのお付きとして働いた女官長の実家。
その一家に連なる者が手柄を求めて従軍しているのだろうとルイは思った。
「そうか。では、レダ。あの砂塵の正体を確かめよ。戦闘は禁ずる。情報を持ち帰るのだ。良いね?」
ルイの命に典雅な発音で『ウィ』と応えたレダは、馬を返して言った。
「最後のひとりになっても走り続けろ! 良いな!」
即席でパッパと編成が行えるのもボルボン家の強みだろう。
最も古く、最も高貴な血統の一門は、それだけ鍛えられているのだ。
格式や伝統と言ったものを維持し続ける為の努力と情熱。
それらを支え導く事もまた、名家と呼ばれる公爵家に必要な事だった。
「征け!」
ルイの言葉でレダを筆頭とした威力偵察が走り始めた。
彼等の任務は生きて帰ることだ。死体は情報を吐かないのだから。
だが、彼等が走り出して程なく数騎がこちらへ駆けてくるのが見えた。
「ディセンド。あの旗は」
「あぁ。スペンサー家だな」
威力偵察に走り出したレダ達も馬を止めているのが見える。
ややあって2騎がボルボン家陣営本隊へとやって来た。
ピカピカに磨かれた胸甲を付ける騎兵だった。
「ボルボン家の方とお見受けいたしますが如何に」
まだ若い騎士と見えたが、兜の下に浮かぶ笑顔は少年と言って良い歳だ。
騎士見習いから始まる騎士叙勲の路を歩み始めたばかりかも知れない。
「いかにも。こちらは当家主人であるボルボン公である」
ダヴーは優しい表情になってそう言った。
若いと言うよりも、まだ幼いと呼ぶべき男子が精一杯に頑張っている。
その姿を見れば、誰だって可愛いと思うだろう。
「失礼いたしました! 手前はスペンサー騎士団の見習い騎士! デレック・デイヴィッズと申します!」
元気いっぱいにそう声を上げたデレックは緊張した面持ちでルイを見た。
その眼差しの先に居る若き公爵家の当主は、笑顔で言った。
「よろしいデイヴィッズ卿」
ちょっとしたサービス精神か、まだ叙勲前の若者を卿付けで呼んだルイ。
だが、当のデレックはグッと奥歯を噛んで緊張した面持ちになった。
「はい。なんでありましょうか」
「そう緊張しなくてもいい。君の所属するあの集団は?」
その質問が出た瞬間、デレックはパッと明るい表情になって言った。
ルイだってもうそれは見当がついていたが、当人に言わせることが重要だった。
「はいっ! あれは我が領の領主、モーガン・ドレイク・スペンサー卿率います、王都への急行団に御座います!」
王都への急行団。
その言葉を聞いた瞬間、ルイは少々表情を強張らせた。
ボルボン領だけではなくスペンサー領にも話が来たのだろうか?
様々な事を考えたルイだが、その時にダヴ―が口を挟んだ。
「ディセンド。先ずはドレイク卿と」
「そうだな」
ルイとて情報をすべて把握している訳ではない。
少しばかり硬い表情だったルイはパッと表情を変えて言った。
「ではデイヴィッズ卿。君の主君の元へ私を案内したまえ」
まだ未成年かも知れない若者は、その言葉に尻尾を振りつつ応えた。
「承りました!」
若者は馬を返すと一気に走り出した。
後先考えず、直情径行に突っ走る姿はスペンサー家の特徴だろう。
――――……良い若者じゃ無いか
ふとそんな事を思ったルイ。だが、その30分も経過しない後、事のあらましを伝えられたドリーは驚愕の表情で叫んでいた。
「なんだと!」
王都が獅子の国に急襲され、サンドラが孤軍奮闘している。
カリオン王は西部トゥリングラードなので、碌な戦力が残っていない。
ボルボン家は王都からの光通信が無い事を訝しがって斥候を出したのだ……と。
だが、それを聞いたドリーは大慌てで馬に跨ると、後方を振り返りスペンサー騎兵団に向かって大声で叫んだ。
「王都は獅子の国の侵攻により炎上せり! これより急行軍を行う! 落伍した者は馬を労わり街道を追って参れ! 帝后サンドラ様が奮闘されている故に我らは何としても駆けつけねばならんのだ! 行くぞ!」
スペンサー領から夜を徹してやって来たドリーは唐突に走り出した。
彼等は王都からの通信が途絶えた事で何らかの事件が発生したと考えたとか。
そして、ドリーはボルボン家から回ってくるはずのキャリを待たず出撃した。
場合によっては王都で再び蜂起が起きた可能性すらも考慮したらしいのだが。
「待たれよ! 待たれよドレイク卿!」
「待っていられるか! そなたも急がれよ! 事は一刻を争うのだ!」
風の様に出立したスペンサー家騎兵団は、あっという間に彼方へと走り去った。
それを見れば、普段からどれだけ鍛えているのかが垣間見える。
「やはり順を追って言うべきでしたな。スペンサー家に一番槍を取られます」
ダヴーは呆れた様にそう言った。
ボルボン家に入っていた王都炎上の報告をドリーは知らずにいたのだ。
その為、必要以上に慌てたというのが実際だった。
「まぁ仕方ない。その辺りは幼長の序も有るし、年上の顔を立てねば為らん」
とは言え、最初に王都へ走り出した以上、やはり一番槍を取られるのは……
まだ若いルイの内心に、ふと手柄を取られる悔しさが浮かんだ。
「ドレイク卿に若の話をしましょう」
ダヴーは悪い顔になってそう言った。
猪突猛進なドリーの足を止める魔法の言葉だ。
「なら、まずは追いつかねば為らんな」
「然様です。我らも急ぎましょう」
うむ……と首肯したルイは、右手を高々と上げて前方へと倒した。
直後、ボルボン家のラッパ兵が行軍ラッパを吹き鳴らした。
「スペンサー家に追いつく! 総員襲歩で征くぞ!」
ルイもまた急行軍で走り始めた。
目指す王都はまだ遠いが、やはり寸刻を争うのだ。
――――負けられぬな
ふと、ルイの脳裏にそんな言葉が浮かんだ。
手柄争いなど公爵家にあるまじき事だが、それでも思ったのだ。
全ては、太陽王から賞賛の言葉を貰う為に……
―――――同じ頃
王都郊外の戦闘も佳境となった4日目の午後。
絶望的な戦闘を続けていたアッバース家の兵士達は深刻な弾薬不足に陥った。
「いよいよ宜しくないですな。どうしたもんでしょうか」
どこか投げやりな言葉を吐いたリディクは、天を仰いで溜息を零した。
王都郊外に展開していた兵士達は潤沢な弾薬など持って居るはずが無い。
近隣の工廠からは予備の弾薬が運び込まれつつあるが、焼け石に水だ
そもそもにして、兵士の頭数が足らない状況なのだ。
攻防の彼我戦力差は、3倍が望ましいと言われるもの。
だが、少なくとも現状では3万対20万近い数なのだ。
「物量での投射が行えぬ以上、最後は白兵戦であろう」
アブドゥラもそう応えるしか無い。
だが、実際に剣を合わせ槍を交わす戦いとなれば、イヌに勝ち目は無い。
根本的な問題として、膂力体力共に数段優位なのだから、無理も無い話だ。
「こうなると、検非違使達の助勢が欲しいですな」
リディクは再び溜息混じりにそう応えた。
だが、それに対しアブドゥラは意外なことを言った。
「検非違使もそうだが、ヒトの助勢もあれば良いな」
……あっ
そんな表情でアブドゥラを見たリディク。
ヒトの助勢などと言う物は、正直に言えば考えたことすら無かった。
だが、現状をひっくり返す為の戦力ならば、どんな物でも必用なのだ。
「彼等が持っている兵器や技術は役に立つでしょうな」
「あぁ。数は無くとも威力が違う。正直、羨ましいほどにな」
ふたりが零した率直な言葉は、現状の王都攻防では誰もが思うことだろう。
遠く茅街に陣取る彼等は、生中な事ではすぐにやって来れないはず。
太陽王カリオンは何を思ってあそこにヒトを住まわせたのか。
その真意を聞いてみたくもなるのだが。
「スルタン! スルタン! あれを!」
アブドゥラとリディクが立っていた戦況台に向かい見張りが声を上げた。
戦況台の後方に設えた戦線を監視する歩哨塔からの報告だ。
「……ほぉ」
「やっと1つ潰しましたか」
ふたりが遠めがねで見た物は、まん丸になって防御していた獅子の陣地だ。
7つほどの集団に分かれ大きな饅頭の如き様相だった陣地の1つが壊滅した。
「……全滅だろうか」
アブドゥラはそんな事を言うが、リディクはすかさず返答した。
「どう見ても全滅でしょう。生き残っていても、死を待つばかりかと」
丸い陣地を作ったは良いが、結果的には逃げ場が無くなった状態だ。
そんなところへ周囲から銃で撃ちかけつつ砲を浴びれば、ひとたまりも無い。
逃げ場を無くした密集陣地に打ち込まれる榴弾は凶悪な威力を発揮する物。
実際、ぶ厚い盾の向こうでは、四散した榴弾の礫により挽肉状態となっていた。
「あの陣地を検めさせましょう」
リディクがそう提案すると、アブドゥラは首肯した。
彼等アッバース家の兵士達がずっと不思議に思っている事があるのだ。
「何らかの秘密が解るかも知れぬな」
「えぇ」
それは、完全に円形陣地となった複数の陣同士が連係している理由だ。
伝令もラッパや太鼓といった音を使った物も無い状態で、連動戦闘している。
複数の陣が一斉に動き出したり、或いは全線を前後に移動したりしている。
猛烈な投射力を浴びた陣地が一気に後方へ下がり、射程から逃げている。
そこへ後方から別の陣が上がって来て、今度は盛んに矢を射掛けたりしていた。
『彼等は何らかの手段で連絡を取り合っている』
そんな仮定を元に、アッバース家はその理由を探った。
だが、本来であれば司令部となる本営や前線本部らしき物は見当たらない。
全く有機的な連係を見せ、どうじにそれは破綻無く続いている。
あれだけ魔法が研究されているのだから、魔法かも知れないと考えていた。
「一部の中隊に陣地跡への突入を命じよ。それ以外は別の陣へ攻勢に出よ」
アブドゥラがそう命じると、アッバース家の参謀陣が一斉に動き始めた。
結局のところ、軍を動かすのは彼等参謀達だ。
軍の内情をよく把握しており、尚且つクレバーに状況を判断する。
およそ軍人と言う職人は徹底したリアリストで、願望などを挟まずに判断する。
その権化とも言うべき存在こそが参謀達だった。だが……
「……おかしいですね」
陣地への調査を命じてから少々が経過した頃だ。リディクは何かに気が付いた。
壊滅した陣地へアッバース兵が入ろうとしたその刹那、獅子の陣地が動いた。
それはまるで壊滅陣地をカバーせんとするような動きだ。
ぶ厚い盾を持ったまま草原を走り、その前に立ちはだかろうとしている。
指揮官たる物がそれを見れば、思う事は一つだ。
「何かを隠そうとしているな」
「えぇ。ばれては困るのでしょう――」
リディクは遠めがねを覗き込みながら思案した。
死体は情報を吐かないが、状況的に判断出来る代物は残っている可能性がある。
現代戦においても前線兵士の暗号表や変換器が重要なように……だ。
そして、それらの流出は、一つの軍隊においては致命的な事態になりかねない。
どんな暗号でもいつか必ず突破されるが、そこに暗号早見表でもあれば……
「――符牒表か、若しくは連絡兵か。そのあたりでしょうな」
思い付くのはその辺りだ。
そして、用兵家であるリディクもまた、その辺りを大事にしていた。
「いやはや。それで正解かも知れんな」
アブドゥラがそう言った時、陣地跡から火の手が上がった。
恐らくは重傷者が居たのだろうが、彼等は情報や機密を守る為に自決した。
火の手が上がったの為れば、それは間違い無く焼却を試みたのだろう。
となれば、何らかの書き物という線が濃厚だが……
「何かを見つけて欲しい物ですな」
祈るようにリディクがそう言うが、そんな願いを粉砕する事態が発生した。
「浜辺! 浜辺に大量の小舟が来ております!」
監視塔の上から物見が叫んだ。
驚いたふたりが遠めがねで再び獅子の陣地を見た時、それは視界に入った。
円環陣形を作る獅子の兵士達だが、その向こうの浜辺に小舟が見えたのだ。
「第二陣か!」
リディクが絶叫した。
紅珊瑚海に浮かぶ獅子の国の船団から、続々と小舟がやって来つつあった。
「全て揚陸したわけでは無かったのだな」
震える声でそう言ったアブドゥラは、参謀達が陣取る戦況卓に移った。
参謀陣は早見表を使って敵戦力の概算を出そうとしている。
だが、そんな行為など無駄でしか無い事を彼らは直後に知った。
「獅子の円環陣形! 解けました! こちらに吶喊してきまーすッ!」
監視塔の物見兵が叫んだ。
それは、誰が見たって破れかぶれの突撃でしか無かった。
どうじにそれは、イヌを含めたガルディア種族の誰も止められぬ吶喊だ。
巨大な津波のようになて走る獅子の兵士達は、剣や槍では無く斧を持っていた。
アッバース兵が作った馬防柵の陣地を破壊するべくやって来るのだろう。
「備えよ! 備えよ! 応射! 近づけるな! 急げ! 応し……
リディクが大声でそう叫んでいた。
野砲の列が猛烈な勢いで砲撃を開始した。
だが、その命の言葉が終わる前に、とんでもない衝撃波がやって来た。
「あッ!」
戦況卓に陣取っていたアブドゥラはそう声を上げるしか無かった。
彼が見た物は、衝撃波が直撃して弾けるリディックの姿だった。