王都へ
~承前
ル・ガル西部
トゥリングラード演習場
戦線本部の幕屋に陣取るカリオンは、その報告書を読んで凍り付いた。
誰も声を掛けられないような表情のまま、1分程度全く何も手に付かなかった。
油断すれば今にも叫びそうなほどの気迫と怒気が全身に漲っている。
言い換えるなら、文字通りの覇気が相手を圧している状態だ。
都より夜を徹して駆けて来た伝令は、空腹と疲労の極地にある。
だが、そんな事を全て忘れ、太陽王の放つ圧に怖気付く有様だった。
「……で、都はどうなっている?」
低く轟く様な声。
滅多に聞けるものでは無いが、本当に息を呑んだ時にはこの声が出る。
長い付き合いでウォークはそれを知っていたし、その理由も分かっている。
「……陛下。まずは深呼吸を」
絶妙のタイミングで声を掛けたウォークは、振り返って『何か飲むものを』と指示を出した。そして、近習の者達が一斉に動き出したのを見て次の指示を出す。
「戦況図と広域図を至急。それと近隣地域への威力偵察をすぐに出して下さい」
太陽王の副官として長く努めている男の指示は、事実上太陽王の命である。
そんな理解が浸透しているせいか、今度は参謀達が一斉に各方面へ指示を出す。
その間にカリオンは一つ息を吐き、幕屋の中で天を仰いだ。
「すまんな……」
零すように嘆いたカリオンの姿が痛々しくすらある。
それを見ていたウォークは、小さな声でそっと言った。
「陛下。まずは撤収です。王都へ向かいましょう」
スイッと首だけをウォークに向けたカリオン。
その立ち姿にも表情にも怒気が溢れていた。
「全て仕組まれていたのだな」
「はい。そうとしか思えません。我々よりも数段上手です」
ふたりに会話に見え隠れするのは、今回の件の黒幕が明るみに出たと言う事だ。
いくつかの偶然が重なった結果、思わぬ好機が降って湧いた可能性だってある。
それに乗じて大それた事が出来る国力の違いかも知れない。
そう。つまりは
――――ネコ自体が獅子の国に組み込まれた……
そう考えた方が自然な状況だ。
カリオンは幕屋の天井を見上げて世界を思い描いた。
まず、多種族による混成軍がル・ガル西部に侵入した。
それを撃退するべくル・ガル内部の諸軍団が西方地域へ展開した。
結果として王都の守備戦力は大幅にダウンしてしまった。
その隙を突くように。獅子の国は大船団を仕立てて海から直接王都を狙った。
ル・ガル内部の情報ネットワークは城が拠点故に、王都こそが最大の弱点。
既に2日か3日が経過していて、ル・ガル内部では異常な事態を認識している。
「ネコを中心とした混成軍は……これが目的だったんだな」
カリオンは西部にとどめ置かれ、精兵中の精兵もここに居る。
つまり、王都は最早薄皮一枚でしかないのだ。
「戦術と戦略が見事に連動していますね。ビッグストンで研究させましょう」
何処か余裕を感じさせる口ぶりでウォークが言うと、カリオンは力無く笑った。
ただ、この数日、幾度か繰り返した戦闘結果による考察故の言葉は正鵠だろう。
彼等にはこちら側を撃破するつもりなど全く無くいのだ。
要するに、王都から主力を誘い出し、足止めするのが目的に過ぎない侵攻。
しかもご丁寧な事に、先発の軍団がレオン領の辺りいる。
連係できるギリギリの距離であるトゥリングラードにも敵がいる。
まともな軍の運用を可能とする国なら、嫌でも分断を図りたくなるやり方。
つまり、トゥリングラード周辺に展開している敵の目的はひとつしかない。
ル・ガル側の最強戦力をここに足止めする事が主目的だった。
「そうだな。それが良い。だがその前に、王都を何とかせねば」
カリオンはそう言って再び伝令が伝えた秘密書類を広げて見た。
伝令が伝えた内容は至ってシンプルだ。
『王都が炎上しているので、大至急お戻り下さい。王の帰還までは帝后サンドラ様と共にタリカが頑張ります』
それがどれ程に絶望的な内容であるかは言うまでもない。
王都を守るべき軍団を全部持ち出している以上、残った戦力は僅かだ。
「アッバース一門の働き次第ですね」
「そうだな。彼の一門も主力は各方面へ出払っているはずだ――」
総勢20の支族を数える連合体のアッバース家は、国内に存在する小さな国家そのもの。そんなアッバースに今は頼らねばならない。後でどれ程の埋め合わせが必要か……
「――頭の痛い問題ばかりが増えていく……」
溜息と共にそう吐き出したカリオンは、手近な椅子へ腰を下ろした。
過去幾度も経験してきた国難だが、今回の件は太陽王の心を折りに来ていた。
獅子の国はル・ガルと比べ、遥かに巨大な国家規模の存在である。
そんな国が本腰を入れて侵攻してきたということだ。
「ガルディアの覇権争いなど児戯に過ぎませんね」
ウォークがそう漏らすと、カリオンは力無く笑った。
ただ、笑って済ませるべき問題では無いのだ。
「さて、どう対処するか……」
ウォークの指示で用意された戦況図と広域図が戦線本部に用意された。
数日前の会敵以来、敵の勢力は完全なヒット&ウェイを繰り返しているのが浮かび上がっている。
「背を見せれば襲い掛かってくるでしょうね」
ウォークが言う通り、ル・ガル側の懸念はそこだ。少なくとも敵勢は銃を装備している。しかも、トゥリングラードの旧式銃を鹵獲して戦力化している。最初にロイ・フィールズが街へ入った時には、四方八方から集中投射を喰らっていた。
そして、それ以上に問題があった。かの混成軍は機動力に長けているのだ。この数日で経験した戦闘では、その2点で翻弄され続けていた。こちらから襲い掛かれば後退し、何処かで反転して集中投射を浴びせてくるのだった。
「あの機動力は羨ましくすらあるな」
ボソリと漏らしたカリオンは、頭を掻きながら用意された茶を飲んだ。
胃の腑へ暖かいものが流れ込むのを感じ、少しだけ落ち着いたようだ。
敵兵力は雑多な種族からなる混成軍だが、その統制は驚くほど整っている。ネコが中心ということでは無く、見慣れぬ種族を混ぜ込んだと混成旅団だ。彼等は何処からとも無く現れ、こちらにちょっかいを出しては逃げるのだ。
深追いする間も無く何処かへ姿を晦まし、諦める頃にふらりと姿を表す。当然、馬も騎兵も消耗し、無駄に銃弾を使って弾薬をすり減らすことになる。そうなれば敵としては思う壺なのだろう。
唇を噛んで思案していたカリオンに、ふとロイが声を掛けた。
「陛下。ここは小官にお任せください。主力を率いて大至急王都へお戻りを。帝后陛下が危険です――」
一切逡巡せずにそう言い放ったロイ・フィールズは、地形図を指差して続けた。
「――現時点でトゥリングラード周辺に敵影はありません。大至急王都にて体制を立て直し、国家の総力を挙げて国難に対処せねばなりません。陛下の背を見て姿を現せば、こちらから集中投射を行えます。一石二鳥の戦果であります」
太陽王率いる主力を王都から引き剥がし、防御を手薄にした状態で襲い掛かる。
王都を占領したなら、その市民を人質に降伏を迫るのだろう。
当然のように市民は奴隷として連れ去られかねない。
だが、強力に抵抗しようにも戦力が足らない。
なんと無く獅子の国側の事情が見え隠れしている気もするが……
「余が囮の役か。確実に敵を釣れるな」
「その通りであります。そして、敵側も必死で追うでしょう」
ロイに限らず、ル・ガル側には射程の有利さという武器があるのを知っている。
旧式銃とは言え威力は十分だが、如何せん射程距離という面では不利だ。
そこをカバーするためか、敵側は機動力を最大の武器にしている。
火力を生かす機動性で戦果を稼いでいると言って良い状況だ。
だが……
「彼等は……知るまいな」
ボソリとこぼしたカリオンは、ニヤリと薄笑いでウォークを見た。思わず『何をですか?』と聞き返したウォークだが、カリオンは事も無げに言い切った。
「我が軍の運用はヒトが彼等の世界で血を流し犠牲を払い経験して来た教訓に基づいていると言うことを……だ」
――――あぁ……
カリオンの放った言にウォークのみならず、ロイやその他の参謀までもがニヤリと悪い笑みを浮かべていた。そう。現状のル・ガル軍団が学んだ銃を使っての戦闘における戦術と戦略は、ヒトの世界での膨大な流血による学びその物だ。
銃列の前に身を晒す愚かさ。野砲を前に塹壕すら用意しない愚かさ。ヒトの世界にいた者達は、そんな苦く痛い教訓を10万100万の犠牲者から学んでいた。そしてそれを今度は惜しげも無く、ル・ガルに伝えていた。
「……ここを任せるが、良いか?」
カリオンは悪い表情を浮かべ、ロイ・フィールズにそう言った。
ル・ガルで最も幸運な男が囮の役を引き受けると言ったに等しい事だ。
「勿論であります。各方面へ伝令を出し、情報の共有を図ります。こちらがそうである様に、敵勢側も情報の共有には腐心していることでしょう。レオン領の勢力と共同で敵勢力を囲い込み、撃滅を図ります」
西部から進入した軍勢はレオン領メチータ郊外で戦闘に及んでいるはずだ。
そこと連係し、一気に押し返せば良い。そんな読みが共通認識となった。
「よろしい。では早速行動開始だ。必用な兵は?」
カリオンが立ち上がってそう言うと、ロイ・フィールズは笑顔で言った。
「はっ! 気炎万丈なる銃兵達、精鋭の3000にて撃滅いたします!」
……と。
―――――レオン領 メチータ郊外
釣瓶落としの夕陽が地平線の向こうに沈む頃、ジョニーはロニーと共に荒野を眺めていた。辺りには夥しい数の死体が転がっていて、猛禽類や地上の獣が死体を漁り始めていた。
「何ともヒデェ光景だな」
「マジそれっすね。ゾッとしねぇってこれですよ」
ジョニーのボヤキにロニーがそう応える。
乾いた風がサーッと吹き抜け、濃密な血と便の臭いが鼻を突いた。
「皆んな殺しちまったな」
「ホントっすよ。死体は事情を吐かねぇでやんす」
この地域に侵入したネコの国の一団は凄まじい勢いだったが、レオン家を中心とした連合軍団による迎撃はその全てを無力化しうる凄まじい攻勢を見せたのだ。
その結果、およそ5万程度と見積もられた敵勢力はすべて生き絶え、僅かに生き残った者も追走の果てに捕らえられたとのことだった。
「にしたって、ジダーノフの連中は何処まで行ったんですかね?」
ロニーが首を傾げて言うのは、ジダーノフを預かるボロージャの動きだ。
日中の猛烈な銃撃戦が終わった後、彼はジダーノフ一門を引き連れ走り出した。
曰く、トゥリングラードが危ないはずだ……と。
「まぁ、あの男も勘が働く類いだ。きっと何かを感じ取ってる」
今回の件がただの侵攻では無いと誰もが思っている。
獅子の国の戦力を吸収したからと言って、ネコが喧嘩を吹っかけるわけが無い。
何かしらの思惑が有り、また、勝算があったから始めたはず。
そうで無ければ利に聡いネコが負け戦前提の侵攻などするはずが無い。
「……案外、獅子の国がケツ持ってたりしやせんかね?」
冗談めかした口調でロニーがそんな事を言うと、ジョニーは低く唸った。
常識に捕らわれない自由な発想は、時に現実を飛び越えて理論を導く。
そしてここでは、ネコが見せたあり得ない侵攻の舞台裏を想像させていた。
「あり得ない話じゃねぇな。第一、シーアンにネコの国が移ってから……」
そこまで言って、ジョニーは急に口籠もった。
まだ形にはなっていないが、今回の真相や全体像が見えたような気がしたのだ。
「兄ぃ。これは勘なんですが……王都に戻った方が良い気がしやせんか?」
それがどんな勘なんだ?と問われても、ロニーだって説明のしようがなかった。
だが、どういう訳かロニーは惚れた女房の泣き顔ばかりを思い出すのだ。
「いや、そりゃ俺もだ。なんか王都が危ねぇ気がしてる。理由なんかねぇけどな」
実際、理由は大いにあると言って良い。
そもそも、破れかぶれの侵攻が戦力の分散を図る物だとしたら……
それならまず絶対的に王都が危ない。
海に面した街故に、海からの侵攻には対処出来ないだろう。
大陸の内部国家同士によるイザコザしか経験していないル・ガルだ。
海からやって来る別大陸の巨大国家に対抗する手段など一切無い。
「こうなってくると……キャリの行方も心配ですぜ」
この男は案外様々な面で気が回る……
改めてジョニーはロニーの実力を垣間見た。
「まぁ、キャリにはリリスが一緒にいるんだ。問題ねぇだろ」
「……そう言えばそうですね」
何処かホッとしたように言うロニー。
だが、ふとジョニーの心に不安の虫が顔を出した。
ここしばらくは夢の会議室を開催していない。
次期帝キャリに同行している筈のリリスが開いていないのだ。
その関係で、アレックスの行方は知れてなく情報も無い状態だ。
――――あいつに限って……
そんな実態の無い思い込みで不安を押し留めている状態が続いている。
だが、はっきり言えばあまりに異常な状態だ。
「とりあえず、館に一言断り入れて、大至急戻っときやしょう」
ロニーはジョニーをジッと見ながらそう言った。
今はポールが立ってレオンを率いる以上、一言入れるのは一家の仁義だ。
角と角はキッチリ合わせておく事こそ、任侠一家に必要な礼儀の基本。
正業に就けない残念な者達や地域の荒くれを束ねる以上、どうしたって必要だ。
要するに、おつむの出来が少々残念な者達に、そうやって礼儀を教えるのだ。
だが……
「いや、俺はもうレオンとは関係ねぇ」
吐き捨てる様な口ぶりでそう言ったジョニー。
父ジョンから勘当され、現当主のポールからは事実上追放された身。
妻であるリディアが王都で暮らす以上、ここでレオンに義理を通す必要は無い。
「けど……」
そこから先を言い澱んだロニーは、言いたい事を飲み込んだ。
いつかレオン家に帰る為には、疎かにしてはいけないはずだ。
ポールの身に何かが起きたら、レオンの家はジョニーに帰ってくる。
その時の為には、決して疎かにしてはいけない事だってある筈だ。
「良いんだよ。良いんだ。それがポールの為だ」
ジョニーはどこか遠くを見てそう言った。
その胸に去来するのは、ポールの取り巻きだった荒くれ男の一言だ。
『 太 陽 王 の 直 参 』
それは、ル・ガルに生きる者なら、誰だって憧れる物かも知れない。
或いはポールだって、それに憧れるのかも知れない。
だが、ジョニーの父ジョン・レオンよりレオン家を預かった以上は無理な話。
そして、他ならぬジョニーが太陽王の直参である以上は自由にさせねばならぬ。
つまり、ポールはジョニーを破門にしなければならない。
だが、義理を通した相手に絶縁状は書きづらいもの。
どうでも良い屁理屈をこねて、もっともらしい理由を作るより他無い。
ただ、ここでジョニーが不義理を働けば、話は一気に変わるのだ。
ポールは胸を張って絶縁状を書けるだろう。
レオン一家の宗家で直系が不義理をすれば、立派な大義名分になる。
「へぇ……兄ぃがそれで良いならアッシにゃぁ異論はございやせん」
ニコリと愛嬌のある笑みを浮かべたロニー
ジョニーの腰巾着と呼ばれようと、ずっとコンビだった男だ。
「じゃぁ先を急ぎやしょう! アッバースの連中も王都へ向かってますぜ!」
戦場の後片付けは、古来より歩兵の仕事だった。
だが、ル・ガルの歩兵戦力を担うアッバース一門は、そそくさと王都へ向かった。
なにか焦っているようにも見えるが、その実はジョニーには解らない。
きっとアッバース家にはアッバース家の秘密手段があるのだろう。
「……そうだな」
近くに待っていた愛馬へと跨ったジョニー。
彼方には何処かで捕らえられた捕虜のネコが見える。
レオン家の騎兵達が何処かで生け捕りにしたのだろう。
―――――ポール
―――――上手くやれよ
内心でそう呟いたジョニーはロニーを連れて走り出した。
ロニーと共に来ていた10騎ほどの騎兵が共に走っている。
どこか楽しい所へでも出掛けるような顔で、皆ジョニーに付き従っていた。
―――――すまねぇ……
帰れと言ったところで帰る意思など見せないだろう。
原隊に復帰する機会を奪われ、事実上の脱倉状態だ。
当然だが処罰の対象となる筈だが、それでも彼等はジョニーに付いた。
僅か10騎程の手勢が、ジョニー率いる一家の全てだった。