王都ガルディブルク炎上
~承前
古都 ソティス
ル・ガル中央部のミッドランドと呼ばれる広大な平地にこの街はある。
イヌの国を支える穀倉地帯のど真ん中に位置し、栄える王国を支える街だ。
そして、長い歴史を持つイヌにとって、この街は揺りかごのような意味を持つ。
世界の奴隷だったイヌが自主独立を目指してスタートアップした街。
他種族との軋轢を恐れず、血を流してでも誇りを護ろうと決心した地。
イヌという種族の誇りと尊厳の全てがここに有ると言って良い。
そんなソティスの中心部にある古城の一室。
憔悴し切った表情のキャリは、わずかに震える指で報告書を読んでいた……
「ウソだろ……」
分厚い報告書は王都近くの通信駅逓が発信地だった。
王都から伝令が放たれ各方面へ走りつつ緊急伝文を各地へと飛ばしたらしい。
本来なら城から直接伝わる光通信が、今回はそれが途中の通信駅逓から来た。
震える指先をひとなめして、キャリは書類を読み続けた。
読んだ書類をテーブルの上に投げ落としながら。
普段そんな事をすれば、間違いなく父カリオンより叱責されるはず……
「とりあえず、殿下はこちらにお留まりを」
固い声でそう言ったジャンヌは書類の束を丁寧に整えてため息をこぼした。
その向かいにいる戦衣装のルイは、馬上マントを左手に抱えたままだ。
湯気の立つコーヒーの薫りに目を細める余裕も無く、硬い表情で立っている。
「何が起きているんだ? 全く想像が付かない」
気弱な言葉を漏らしたキャリは、用意されたコーヒーに手を付ける余裕も無い。
国土を見て歩く旅も残す所2カ所だった彼は、ここで思わぬ足止めを受けた。
それは、この5日間でル・ガルに起きたとんでもない事態だった。
「古来より人口に膾炙する通りですよ。戦は闇の中にあり、戦場には霧が立ち込めている。指揮官は手探りで進むしかない」
薄笑いで自嘲気味に言うルイは、やっとコーヒーを一口飲んだ。
その薫りに目を細める余裕も無く、再びジッとキャリを見ていた。
―――――無理難題に直面させる事が目的だ
太陽王カリオンは各公爵家の当主にそう伝えた。
息子キャリが時期王として立つには、困難を経験させねばならないとのことだ。
だが、よりにもよってボルボン家へと立ち寄った時、それは起きた。
全体像は見えても詳細は見えない。
だが、それでも指揮官は歩かねばならない。
手勢を率いて合戦に臨み、そこで勝利を手にしなければならない。
そしてもちろん、その後の事も考えて……だ。
だが、現状のル・ガルに起きている事は余りに異常な事態だった。
国土全域に張り巡らされた光による通信網が機能していない。
いや、正確に言うならばガルディブルク城から返答が無い。
キャリの到着を王都へ連絡したのだが、全く返答が無かった。
その為、翌日に中継局を辿ってみたのだが、城だけが反応しないのだ。
『城で何かしら問題が発生している可能性があります』
ボルボン家の長距離通信担当はそう分析した。
だが、それに異を唱えたのはリースだった。
―――――大至急偵察を派遣して
―――――大変な事態が起きてる
リースの正体を知っている者達は、その言葉ですぐさま動き出した。
迫真の表情で彼女がそれを言う以上は、もはや国家規模での異常事態だ。
そしてその直後、光通信がやって来たのだった。
「まさか……こんな時に彼の国は侵攻したというのか」
キャリが漏らした通り、光通信から起こされた報告は深刻だった。
獅子の国はなんの前触れも無く、唐突に紅珊瑚海へと大船団を送り込んだ。
彼等は王都ガルディブルク東側の広大な地へ続々と上陸らしい。
広大な王都の海に面するところは港町になっている。
だが、紅珊瑚海へと注ぐガガルボルバの東側は広大な草原の砂浜だ。
「戦をするならば使者を立て口上を述べる。そんな常識が通用しないのでしょう」
歯痒さを隠そうともせず、ジャンヌはそう言って眉根を寄せた。
その焦眉に浮かぶ物は、王都に居る先代のジャンヌ達がどうなったか?だ。
ただ、それ以上に問題なのは……
「王都は今、もぬけの空の筈だな――」
ルイが漏らしたそれは、太陽王が王都西域へ出陣していると言う事実だ。
王都駐屯の兵力を率いている筈で、自動的に王都は無防備を意味する。
その為、ルイはボルボン家の戦力を持って王都へ急行しようとしていた。
「――やはり直接行った方が早い。騎士団を持ち出すぞ」
キャリより先に痺れを切らしたルイが動き出した。
『自分も!』と立ち上がり掛けたキャリだが、その肩をダヴーが押した。
「殿下はこちらでお待ちを。太陽王陛下と同じく、殿下は我が国の象徴ですぞ」
体の良い詭弁……
そんな解釈もしたくなると言うものだ。
だが、少なくともボルボン家の人間は赤心でそれを言っている。
「……解りました」
キャリは素直に折れるしか無い。
各方面へ気を使い続けなければならない立場故の悲しさだ。
国家を差配し国民を導く責務の果たし方は、ひとつひとつ学んでいくしか無い。
歴代の太陽王がそうであったように、キャリもまたそれをしていた。
ただ、今回だけは失敗したときのスペアが無い状態だった。
今はただ、それのみが歯痒く、砂を噛む思いだ。
そんな時だった。
「ディセンド!」
ボルボン首脳陣の揃う居室に通信担当が飛び込んできた。
彼が持っていたのは、先の報告書に続き送られてきた王都発信源の報告だ。
「……バカな」
まん丸に目を見開いたルイは、その書類をジャンヌへと差し出した。
それをサッと一読したジャンヌは、何も言わずにキャリへと渡した。
ただならぬ雰囲気に異常を察したキャリが書類へ目をやったとき……
「ウソだ……――」
そう一言漏らすのが精一杯だった。
最初に飛び込んできた文字は、王都炎上だった。
そして、その原因は簡単かつ明瞭なものだった。
「――獅子の国による大侵攻だというのか……」
通信駅逓による報告に寄れば、王都東側へと上陸した獅子の国は凡そ30万。
彼等はその場で編成を整え、開戦の使者を立てること無く前進を開始してきた。
最初に抵抗したのは紅珊瑚海の漁師達と王都東部の農民達らしい。
だが、そんな者達を文字通り撫で斬りにしつつ、彼等は力任せに侵攻している。
そして、王都に対して大規模な魔法攻撃を仕掛けたとの事だった。
「彼等は本気ですな」
ダヴーがポツリと漏らした言葉は、室内にキンとした緊張をもたらした。
そして同時に、キャリの歯軋りが僅かに漏れた。
「ボルボン卿。自分も同行します。行かないわけにはいかない」
報告書をグシャリと握ったキャリの目が炯々としている。
それを見ていたビアンカは『少し落ち着いて』と声を掛けた。
だが……
「いや、落ち着いてなど居られるか! 母上が!」
キャリが燃え上がった最大の理由。
それは報告書にあった一文だった。
『王都は帝后サンドラ様が陣頭指揮を執られ、懸命な抵抗活動が続いている』
王都に残っている兵力は多く見積もっても10万か12万程度。
市民まで足してその数字なのだから、母サンドラが動員するとは考えづらい。
となれば、最早行えるのはひとつしかない。
死を前提とした侵攻の遅滞活動のみだ。
「耐え難きは解りますが、それでもお待ちを。殿下の後は居ないのです」
ジャンヌは焦眉を開くこと無くジャンにそう言った。
太陽王の血統が途絶える事への焦りと困惑。
その全てがキャリの出立を阻んでいるのだ。
「後継ぎとは重要なのですよ。故に自分が征くのです。殿下はまず、殿下の義務を果たされよ」
ルイは馬上マントを背中に着込み、兜を手にしてそう言った。
衛星家から養子を取れる公爵家と違い、王家はそうは行かないのだ。
「…………………………」
悔しそうに天井を見上げたキャリ。
堪え忍ぶこともまた重要な事なのだと学んでいる最中だった。
―――――同じ頃
「状況は?」
王都ガルディブルクの中心部。
ミタラス中央広場に作られた前線本部にはサンドラの姿があった。
本来なら城の中に作られる前線本部だが、今は広場の中心だ。
―――――城の中を移動する時間が勿体ない
サンドラの慧眼によりそれが実現しているが、予備兵力の存在も大きい。
王都に駐屯する第1師団の予備兵団は退役兵らによる予備戦力だ。
彼等は自主的に参陣して来ては、新式の銃を受け取って現役に復帰していた。
「現在は敵勢力も休息局面でしょう。かなり強力に抵抗していますので損害もバカにならないはず。各地への伝令も昨夜のうちに王都を出てますので、増援は時間の問題かと。ただ――」
淀みなくそう答えたクリスティーネは銀の胸当をまとった姿だ。
獅子の国が唐突な侵攻を開始してから凡そ48時間が経過していた。
「――如何せん……兵力的に足りませんね。組織的抵抗を支えてくれているのはアッバース家の方々ですが、正面戦力で圧し負けています」
西方地域の争乱対策でカリオンが出陣する際、もう一人の太陽王と呼ぶべき腹心の部下であるウォークを連れていってしまった。その結果、王都の統制を取るべき司令塔役が不在となり、最終的に帝后サンドラに白羽の矢が立った。
しかし、彼女には軍事的な知識など全くなく、また、組織運営や全体統制などの経験も全くと言って良いレベルで無いのだ。そんな状況にいきなり放り込まれたサンドラはパニックをおこしかけていた。そんな彼女を救ったのは、たまたま城へとやって来たクリスティーネだった。
『ここに臨時の司令部を作りましょう。私に支援させてください』
混乱と不安に苛まれていた彼女を励ますクリスティーネ。
そんな姿をみたサンドラはふと、義父カウリの妻であったユーラを思い出した。
時に厳しく、時には柔軟な言葉を掛けて太陽王の宰相を支えた存在だ。
―――――思えば強い方だった……
あの河原での最期を思い出し、次は自分の番だと覚悟を決めた。
そして、先の王都争乱で経験した市民の犠牲を想いだした。
『よろしくお願いします。まずは可能な限り市民を脱出させましょう』
戦が始まれば、都市に住む市民達は嫌でもすり減らされていくだろう。
それだけでなく、戦の後始末として住民への暴行略奪などが予想される。
話しに聞く獅子の国の兵士達がどれ程に規律高く紳士的であっても……だ。
獅子の国との戦いでクリスは誰よりも良くそれを知っている。
そして、同じ様にそれを知る存在が城にはもう一人いた。
娘ララの面倒を見ていたタリカだ。
女3人(?)による戦線指揮は案外上手く回っていて、王都東部の戦線は小康状態になっていた。そんな局面故だろうか、闘争心を忘れてはいないタリカは今にも戦場へ飛び出しそうだ。
「王都の戦力では如何せん荷が勝ちすぎです。上手く後退するしかありませんが市民脱出の時間を稼がねばなりません。そろそろ早馬がトゥリングラードへと到着する頃です。潮時で勝負時です」
もう良い頃合いなのだから今すぐに行かせろ。
言外の弁でそう主張するタリカは、ララの使っていた野戦服姿だ。
サンドラの言った市民脱出に対し、タリカは帝后の名で市民達に通達を出した。
全力でソティスへ向かえ。出来る限り遠くへ逃げろ。後方を振り返るな……と。
その結果、王都内部の乗合馬車はおろか輸送組合が使う平荷台の馬車まで使った一大後退戦が始まった。始まってしまったと言って良い。ただ、その中身はサンドラとタリカで思惑が異なっていた。
「それは重畳。ここはイヌの都です。先ずは防衛戦闘を抵抗します。それで市民が脱出する時間だけでも稼ぎます。夫ならば、まずは国民を優先する筈ですから」
きっぱりと言いきったサンドラは、馬上衣装に身を包み髪を束ねて立っていた。
そんな彼女の言に、クリスは一瞬ゾクリとした寒気を背筋に感じた。
己の身に起きた悲劇を忘れた訳では無いし、恐怖や絶望を鮮明に覚えている。
だが、それ以上のプレッシャーと戦っている女が目の前に居るのだ。
―――――なんと気丈な……
今すぐにでもメソメソと泣きながら逃げ出したい衝動に駈られている筈。
なんで私が……と、そう思うのもやむを得ない。
だが、帝后という肩書きがそれを許さなかった。
貴族の義務以上に強いものがサンドラにはある。
帝后の肩書きを持つ以上、こんな時には太陽王代理の筆頭なのだ。
「そうですね。それが肝要です。なにより、貴族の義務です。太陽王陛下のご帰還を待ちましょう。夫も一緒に戻ってくるはずです」
クリスは胸を張ってそう言った。しょせん女は役立たず。
そんな風にみられるのだけは避けたい思惑がふたりにはある。
だが、そうは言っても王都に直接やって来た敵は、余りに強大だ。
彼方に聞こえる砲声はアッバース家が持つ大口径のカノン砲。
その音が聞こえている限り、獅子の国相手に互角程度の戦いは出来る筈……
「おぉ、こちらでしたか。帝后陛下」
前線本部へとやって来たのは、戦衣装に身を包んだアッバースの主であるアブドゥラだ。所領を持たないアッバース家の一門は王都郊外に邸宅を持っている。そこに集っていたアッバース兵凡そ3個師団が激烈な抵抗を行った結果、王都の陥落が防がれた。
だが、その結果としてアッバース兵の損害は甚大で、既に一万近い兵がヴァルハラへと旅だった。
「公もご苦労です。状況はどうですか」
「えぇ。それなんですがね」
アブドゥラの説明によれば、紅珊瑚海から上陸してきた兵は10万を軽く越えているが、重装備ではないので銃がよく効くとのことらしい。ただし、こちら側の戦力もそれなりに減耗し続け、ことに銃火器の残り弾薬が心許ないとのことだ。
「こちらとしては一旦打って出て、敵勢力をかき混ぜてやりたいと考えておりますす。向こうの魔導兵はかなり練度が高いのですが、射程はこちらが勝っています」
今回やって来た獅子の国の軍団は正規軍らしい。
強力な魔法効果を持つ魔道兵を中心にした精兵集団のようだ。
戦端が開かれた経緯は今もって全く不明だが、戦は始まっている。
王都沖に現れた獅子の国の船団は、使者を立てず唐突な侵攻を行った。
初動の遅れは致し方ないが奮戦してると言って良い状況だ。
ここらで一つ、ターンチェンジを図りたい頃合いだった。
「危険ですが、市民のため……ですね」
一言だけサンドラはそう言う物の、あまり良い反応ではない。
しかし、彼女には止める権限は無い。統帥権の継承範疇に帝后は含まれてない。
だが、他ならぬ帝后だ。その意向は尊重されるべき。
王都に残っていた武官や文官たちは、それを前提に動いていた。
「えぇ……それは重々承知しております」
赤心から出た言葉だけに、アブドゥラも心が痛い。
しかし、ここで打って出る事で局面をひっくり返すきっかけにもなる。
バタフライエフェクトを起こすなら、必要な犠牲と言えるのだ。
「サンドラ様。私に行かせてください――」
タリカは強い眼差しでサンドラを見ていた。
ケダマの姿をしているが、中身は男その物の存在だ。
そのうちに秘める闘争心や責任感は聊かも衰えてはいない。
「――機動戦闘ならば後れを取りません。敵勢を翻弄し指揮命令系統を混乱させてきましょう。いま必要なのは敵勢力へ衝撃を与える事です。ル・ガルは組し易しと思わせてはなりません」
戦場における兵士の心理として、気持ち勝る敵兵は手強い物。
その心を折る為に意外な角度から手痛い一撃を入れるのは重要だ。
「……危険ですね」
それをサンドラに決断しろと言う方が無理筋だ。
士官や指揮官としての心構えを教育された事など一切無い。
むしろ、各方面に気を使えと教え込まれてしまっている。
「どうか、お願いします。決断を」
嘆願するタリカ。
だが、その肩をアブドゥラが叩いた。
「お言葉。このアブドゥラが確かに頂きました。全ての兵に伝えまする」
南方系血統の伝統に則り、右手を胸に当て頭を下げたアブドゥラ。
その姿を見たクリスティーネが言った。
「アッバース卿。どうかご無事なご生還を」
生きては帰らぬつもりかも知れない。
理屈では無く直感として見抜くのは女の勘だ。
「勿論だとも。手前が子息はまだまだ幼い。吾子の成長を見届けねば」
満面の笑みでそう言ったアブドゥラは再び右手を胸に当てた。
そして、そのままタリカに目線をやり、穏やかな声音で言った。
「サンドラ様と姫殿下を君に任せたい。どうか何も言わず、頼まれてくれ」
笑みを浮かべたままそう言ったアブドゥラ。
タリカは直感した。この男は死ぬ気だ……と。