少しずつ崩れ始める平穏
~承前
かつてはシュバルツカッツェと呼ばれた街の跡地。
彼方に見える太陽は随分と傾いて夕陽となっている。
「暑いな」
ボソリとこぼしたアレックスは傍らに居たジロウに語りかけた。
僅かなうめき声と共に顔を上げた彼は、熱い石畳に横たわったままだ。
ガルディブルクを発って2ヶ月と少し。2人は順調に旅を重ねていた筈だった。
だが、その途中で遭遇したネコの一団は、重武装の覚醒者を連れていたのだ。
「大丈夫か?」
覚醒体となったジロウは奮戦したが、多勢に無勢では分が悪かったらしい。
尾頭の魔法薬で生まれた本物の戦闘力は王の秘薬で生まれた者を凌ぐ。
だが、15対1の戦闘ではさすがに荷が勝ちすぎたようだ。
「だいぶ回復しました」
「そうか、良かった」
8体目までを完全に破壊したのだが、その辺りで体力的に限界だったようだ。
そこから先は回復力とダメージが釣り合った泥仕合となって日没コールドだ。
「もっと精進します」
「そうだな。その前にしっかり回復しろ。帰るに帰れん」
ジロウの反省に明るい言葉を返したアレックス。
だが、そうは言っても状況としては芳しくない。
暗闇の中、血塗れのジロウを抱えたアレックスは逃げるしかなかった。
状況的にはかなりの窮地だったが故に、崩れ掛けの建物へ逃げ込んだ。
ぱっと見ではまだまだ丈夫そうな風に見えたのだが……
「この岩はお前じゃ無いと動かせないからな」
「……はい」
その建物が元々なんであったのかは解らない。
だが、建物の奥へと逃げ込んだ時、ネコの軍団は建物ごと破壊した。
石積みの巨大な建物が崩れ、ふたりは即席の牢獄へ閉じ込められていた。
幸いにして何処かから水は流れ込んでくるので、飲み水には困らない。
しかし、問題は食糧だ。携帯食料は3日ほどでそこを突いてしまった。
「腹減りましたね」
「あぁ。ネズミも食い尽くしたかも知れんな」
最初の頃はちょろちょろと走り回るネズミを見付け、電撃の魔法で捕っていた。
ただ、そんなネズミの姿もなくなり、丸二日ほど水以外に口にしていない。
「いよいよ窮地だな。色々経験したがこんなのは初めてだ」
あえて明るい声で言うアレックスだが、実際にはかなりのピンチだ。
それなりに巨大だったと思われる建物は、もしかしたら宮殿跡かも知れない。
崩れ落ちた天井が偶然にも左右から支え合う形にとどまり、その下に居るのだ。
「ここ……たぶん魔法効果が薄くなる結界ですよ」
ジロウはふとそんな言葉を口にした。
少々の傷ならたちどころに回復してしまう覚醒体が1週間も寝たきりだ。
可能性として考えられるのは、何らかの魔法阻害効果が働いているという事。
つまり、その身に宿す魔力自体が薄くなっていて、回復が遅れているのだ。
仮にその仮説が真実であれば、アレックスは夢の会議室にも参加できない。
―――――可能性が高いな……
ジロウの呟きでアレックスは最悪の事態を再認識した。
夢の中で呼びかけても連絡が取れない理由も、それなら理解できるのだ。
―――――リリスの力でも突破できないのか
ガルディブルクが大陸中から魔力を集める効果の特異点なのは知っている。
故にその逆があったとしても不思議ではない。
「まぁ、仮にそうだったとしてもお前は回復しつつある。もう少し養生しよう。喰うもんは……何か手を考える。とりあえず寝とけ。若いんだから寝るのが一番だ」
アレックスがそう言うとジロウは『はい』と応え、ふぅと一つ息を吐いた。
腹圧が抜けたのか、腹の虫がグゥと音を立てて鳴いた。
それを聞いたアレックスがニヤリと笑うと、ジロウも人懐こい笑みを浮かべた。
―――――痩せたな……
そんな印象を持ったアレックスだが、それは間違いなかった。
傷付いた身体を癒す為、ジロウは自分自身の身体を分解していた。
―――――いざとなれば……いや、今かもな……
もはや何を喰らってでも喰ってでも生き延びるしかない。
音信不通ならばカリオンが何かしら動いているはずだ……と祈るしかない。
隙間から見える夕暮れの空に向かい、アレックスは祈るしかなかった。
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同じ頃、旧シュバルツカッツェから遠く離れたレオン領メチータの郊外。
最初の激突から5日目となったこの日、ジョニー達は随分と後退していた。彼の率いた先鋒は分散と集合を繰り返しつつ、既に40リーグを移動している。体の良い時間稼ぎでしかないが、そこには重要な意味があった。
先ず、メチータの郊外にル・ガルの西方地域軍団が結集を完了した。レオン家にジダーノフ家とアッバース家、さらにはオオカミの騎兵団が加わる。総勢で15万騎ほどの大集団だ。
乾坤一擲と言うより、地域戦力を洗いざらい集めた総力戦だ。幸いにして収穫期は過ぎているので糧秣に心配はない。だが、その指揮官はと言うと……
「おぃてめぇ! 誰に向かって口きいてやがる!」
頭から湯気を出す勢いのジョニーは合同作戦室で大爆発中だ。
その相手はレオン家の当主であるポール・グロリア・レオンだった。
「ジョニーの兄貴っすよ。他に誰が居るんすか」
いつの間にか立派な体躯に育っているポールは、涼しい顔でそう言って退けた。
その周囲にはどう見たって堅気には見えない任侠者の風体な男たち。レオン家の直参と呼ばれる最強の家臣衆が囲んでいる。
かつてセオドア・レオンと直接に盃を交わして義理の親子となった者達。彼等は義理と言う精神のみを持って己の命を当主に差し出す覚悟を決めた。そして、彼等自身がそうして良いと判断し、今はポールと盃を交わしたのだ。
「そうじゃねぇ!」
ジョニーが大爆発している理由は他にある。
西方方面軍団が結集して打ち合わせに向かう直前、ポールはジョニーに向かって堂々と言い放ったのだ。
―――――ここから先は自分が指揮を執るから
―――――ジョニーの兄貴は留守番しててもらいます
……と。先の先行突撃でもジョニーは見ているだけだった。危険な状況だからこそ最前線へと意気込んでいたというのに、結果的にはロニーの策で縛り上げられ留守番にさせられた。
そんなこんなで今度こそ……と意気込んでいたジョニーだが、そんな男にポールはサラっと言って退けたのだ。
―――――今は自分はレオン家の主ですから
―――――兄貴もそこんとこは飲み込んでください
……と。巨大な組織の跡目争いはいつだって混乱と激突を生むもの。事実、レオン家の跡取りに指名された2代目のポールを差し置き、実質的にはジョニーがレオン家を差配していたと言って良い。
だが、そのレオン家は西方に根を下ろす巨大な任侠一家であり、頂点である当主を類代の家臣団が全力で支える構図だ。様々な事業や事の善悪を飛び越えた所で事態を預かってはみかじめ料を取る極道一家なのだ。
「ジョニーの旦那。ここはひとつ、若親父の顔を立ててやっちゃくれやせんか」
全身に斬傷の痕跡を残す大男が頭を下げてそう言った。レオン家に下足を預けて幾世代だろうか。百と少々を数える衛星貴族にあって、『直参』を名乗れる家臣貴族の家は全部で11しかないのだ。
「そうですよ。それにこれは……あっしらにとっても重要なんですぁ」
同じく金色のバッジを付けた任侠者がジョニーに頭を下げた。何よりもメンツを優先する渡世人の者が頭を下げる意味は大きく重い。遠い遠い昔、アージン家と戦うために主家へ命を捧げると盃を交わした最初の家臣団だ。
「ジョニーの旦那が無念なのをわからねぇ訳じゃございやせん。ですがね、若親父だって御先代の無念は痛いほど持ってられる。あっしら直参はそれを見て見ぬ振りなんざ……出来やしません――」
腰を割って頭を下げた直参の男は、奥歯をグッと噛んで続けた。ジョニーの歯痒さや悔しさを理解しない朴念仁ではないのだ。ただただ、己に課した義理の為だけに死ぬことすら厭わぬ男たち。そんな男たちが頭を下げていた。
「――それに旦那は……太陽王にゲソを預けてらっしゃる王様の直参じゃございやせんか。この国の誰もが憧れる王様の……太陽王の直参にござんすよ。ですから今回は、このレオン一家の出入りにゃぁ口を挾間ねぇでいただきてぇと」
一家の喧嘩に口を挟むな……
それはジョニーの父が申し渡した勘当の結果だ。親子の縁を切って勘当したが、同時に一家の縁を切ったと言う意味も持つ。ル・ガル西方地域に根を下ろすレオン一家から絶縁されたに等しい意味だ。
「……おめーら」
奥歯をグッと噛んで怒りに震えるジョニー。
だが、その脇に控えていたロニーがその袖をクイクイと引いた。
「兄貴。ここで身を引くのも……身を引けるのも兄貴の仁徳ですぜ」
様々に苦労を積み重ねたジョニーだからこそ身に付けているものがある。
人と人の間を生きるからこそ人間なのだ。それ故に、時には……
「解ったよ。見てりゃ良いんだろ?」
恨めしそうにロニーを睨み付けつつそう言ったジョニー。
そのロニーは愛刀を杖代わりにしていた。
「あっしも留守番させていただきやす。あっしは兄貴一番の子分でやんすからね」
お調子者でいつも賑やかで明るく朗らか。
そんな男が狙うのはただひとつだ。
「……ったく、そんなザマじゃぶん殴る事も出来やしねぇ」
ジョニーの言葉にえへへと笑って返したロニー。
先の吶喊で全身に銃弾を受け、エリクサーが無ければ死は免れなかった。
「あっしはジョニー一家の若頭ですぜ? いつでも好きなようにぶん殴って」
もう一度エヘヘと笑ったが、その姿を見れば強がりでしかないことは解る。銃弾を受け左腕は肘から先を失い、右膝は大きく変形したまま固まっている。救急救命の為に身体を整える前の段階でエリクサーを投与された結果だ。
「んで、こっからどうすんだ?」
ポールに向かってそう言ったジョニーだが、ポールは事も無げに言った。
「ジョニーの兄貴と同じ事をしやすよ。まずは囮になって吶喊し、敵を引きつけて戻ってきやす。そこを十字砲火で削ってやって、最後には皆殺しってね」
それがどれ程危険なことなのかは言うまでも無い。だが、サラッとそう言いきったポールを見ていれば、本気なのだと誰もが思う。そして同時に、直参としてここに集まった男達は、ポールの為に死ぬ事になる。
「おぃポール」
渋い声音で切り出したジョニー。
ポールは『なんですか?』と上品な都言葉で応えた。
普段なら『へい』だとか『承知しやした』なんだろうが。
「俺の仕事はしめぇだ。一家を……頼むぜ」
この時、その場に居た者たちの誰もが。いや、後の世に生き残った男たち全員が口を揃えて言った。レオン家の継承は完了した……と。歴代の当主の名乗る名が、ジョンからポールに切り替わったのだ……と。
「へい」
短く応えたポールは、右足を一歩引き、腰を落として右手を差し出して言った。
「この身に余る重責にござんすが、謹んで承りやす。レオンの名を汚さぬよう、この身を張って、精進いたしやす」
この後、幾世代にも渡り、ル・ガル最強の武闘派一族として、レオン家は名を残す事になる。いつからか人口に膾炙する様になる言葉。『皆殺しのレオン一家』なる二の名は、ガルディア大陸の隅々にまで、その雷名を響かせるのだった。
―――――同じころ
―――――ル・ガル西方平原地帯
取る物もとりあえずガルディブルクを出たロイ・フィールズは、トゥリングラード演習場の補給廠付近に陣取っていた。演習場の大部分はネコの混成軍に占領されていて、各部で略奪や放火が繰り返されている。
「手に入らぬものならば一層の事……と言うやつだな」
即応師団を率いるロイは、王都第1師団の師団長に話を振った。
この十年近くを第一師団に奉職している栗毛の男は、ガッシリとした体格だ。
「全くだな。本当に面倒だ。飯を焼くなんて」
溜息交じりに返答した師団長は、うんざりした眼でロイを見ていた。
「うんざりしたって事態は解決しない。王も期待されてるんだ」
「その通りだな。ついでに言えば君の出世も掛かってるんじゃないか?」
遠慮なくそんな言葉を返した男はニヤリと笑って立ち上がった。
補給廠付近で土嚢を積み上げ即席陣地とした彼等は、銃列を敷いていた。
「それは言わないでくれ。欲を掻くと碌なことにならない」
ロイは頭を掻きながらそんな事を言う。
ここに来るまで様々に経験を積み重ねたはずだが……
「何か身に覚えが?」
「そりゃ色々あったさ。何より、この場で君と戦う羽目になるとはな」
意地悪そうな顔で師団長が言うと、ロイは少しだけ不服そうな顔になった。やや剣呑な視線がバチバチとぶつかり合う。だが、ふたりはやがてニヤリと笑って遠方を見た。
何処か遠くの方から散発的に銃声がする。演習場のどこかにル・ガル軍団の生き残りが居るのかもしれない。又は、備蓄してあった旧式銃と弾薬を試しているのかも知れない。
「まぁ、精々頑張ろう。その方が後々良い結果になるだろう」
「その通りだ。そしてそうすれば君を国軍本部へ推挙できる」
師団長がそう言うと、ロイは幾度か首肯しつつ応えて言った。大規模な戦闘が続いていた頃ならいざ知らず、今は国内外ともに平穏だった。ただ、そうなると将官級の新陳代謝も進まなくなってしまう。そして、同時にそれはより上級のポストを求める中堅層の頭を抑える事になる。
「君の働きに期待しているぞ。グローブ」
嗾ける様な言葉を吐きつつ、ロイは右の拳を差し出した。
その拳に己の右拳を当てつつ、グローブと呼びかけられた師団長は言った。
「承った。敵兵をかき混ぜて連れてくる。殺し間に入ったなら殲滅してくれ」
そんなふたりを取り囲むように200騎程の騎兵が準備を整えて待っていた。一騎当千な強者ばかりを揃えた胸甲騎兵の一団は、銃を持って馬上にある。銃の扱い方は学べても戦術までは学べまい。そんな読みをしたロイたちは、囮戦術で敵の主力を躍らせる作戦だ。
「死ぬなよ」
「あぁ。君もな」
再び拳をぶつけ合ったふたりは、笑顔でわかれた。
本格的な銃撃戦闘が開始されようとしていた。
「気焔万丈たるル・ガル騎兵よ! 我に続け!」
グローブは一気に演習場の中を走り出した。
それ程行かぬ場所でネコの軍勢が糧秣を貪っている筈だ。
そこまで行ってちょっかいを出し、敵を浮つかせて引っ張ってくる。
仕事としてはごく簡単なものに過ぎない。
ただし、とんでもなく危険なのもまた言うまでもない。
「さて、こちらも支度しよう」
ロイが各部に指示を出しているそれは、5段重ねの銃列だった。
簡易的なボルトアクションとなった銃故に、銃自体の交換を要しない。
その結果、構えた1万丁近い銃が一斉射撃できるのだ。
―――――死ぬなよ
彼方に向かってそう祈ったロイ。師団長グローブはビッグストン時代に同室だった学友だ。最初の赴任地であるル・ガル北部の雪深い駐屯地時代から切磋琢磨してきた。
参謀科出身のロイに対し、騎兵科出身だったグローブ。本来ならライバルにすらならないパターンと言える。だが、そんな状況下にも拘らず、ふたりは助け合ってやって来た。底なしの度胸と群を抜く根性の持ち主であるグローブに策を授けて来た。そして今回も……
「参謀殿!」
陣地構築していた工兵長がロイを呼んだ。
現実世界へ意識を戻してみれば、そこには塹壕と土塁があった。
「これで良いな! さぁ! 迎え撃つぞ!」
周囲が『おぉ!』と元気よく答え、ロイは愛刀を手にして指揮台へ上がった。
射撃の統制こそが殺し間を作って待ち構える肝なのだ。
「各班状況知らせ!」
大声でそう叫ぶと、漏斗状に構えている各射撃団列から返答が帰って来た。
『第1団! 準備良し!』
『第2団! 射撃可能です!』
『第3団! こちらも射撃準備良し!』
『第4団! 同じく準備良し!』
『第5団! いつでも射撃可能です!』
それを聞いたロイは愛刀を頭上へ掲げた。
内心で『行ける!』と確信し、眦を彼方へ向けた。
「総員! 射撃開始は最奥部のそれに続け! 徹底的に撃ち続けろ!」
各団から一斉に『おぉ!』と声が返って来た。
うむと首肯し、太陽を見上げた瞬間だった。
「え?」
それは、ロイにも聞き覚えのあるもの。膨大な数の集中射撃音だった。
間違いなくル・ガル国軍と同じ、統制の取れた射撃の音だった。