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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
大侵攻~忍耐と苦痛と後悔の日々
622/665

予想外と想定外


 季節外れの乾いた風が吹き抜ける草原は、獣の気配が一切無かった。


「どうやら来たらしいな」


 ボソリと呟いたジョニーは彼方を見据えた。

 ル・ガル西部の自治領フィエンゲンツェルブッハへと続く街道だ。


「……みてぇっすね。王も胃の痛い日々でしょうや」


 ジョニーの隣。馬上にあるロニーがそう返答する。

 もはやレオン家一党ではないジョニーだが、いつの間にか近衛将軍としての立場が確立していた。そんなジョニーの為にレオン家が送り込んだのだ。


「おめぇもこれで手土産が出来るな」

「へ? そんなもん要らねぇですよ?」


 その直後、ロニーの脇腹当たりからドスンと鈍い音がした。

 抜けた返答のロニーに重い一撃を入れ『バカか』とジョニーが言う。


「おめぇじゃねーよ。嫁さんだ」

「いや、アイツは『嫁さんにじゃねぇんだよ! メンツだ! メンツ!』


 脇腹を摩りながらも、ロニーは『へい』と応えた。

 ロニーの妻はサンドラとトウリの間に産まれた長女。

 そして、世が世なら、彼女は太陽王の姫として名家に嫁いだはず。


 そんな女性が公爵家の傍流ですら無いただの騎兵の中隊長なんかに降嫁した。

 世間と言う魔物からの嘲りを浴びることになるのは避けられない。


「嫁さんに感謝してるか?」


 それは、ジョニーの赤心そのものだ。

 自分の妻であるリディアへの感謝と申し訳なさ。

 公爵家当主の夫人として肩で風を切る存在になるはずだったのに……


「……もちろんっす。最近じゃウォーク卿の奥さんと仲良いみたいで……」


 平民の嫁となった貴族令嬢など、どうしたって世間から嗤われる。貴族家に適当な嫁ぎ先が無いから……と、勝手な評価を下される宿命だ。そしてそれは、平民と呼ばれる人々の中でも最底辺階層の者達が見せる劣等感の裏返し。


 階層化と言う名の社会的分断は差別の根源的温床であり、もっと言えば劣等感の根源。なにより、群れで生きて来た『イヌ』と言う種族の持つ宿痾かも知れない。



     ―――――自分達はギリギリで生きているのに……

     ―――――あいつらは恵まれていて幸せそうだ……



 上級国民と言う実態の無い嘲り。生まれながらにして貴族にある者達へのやっかみだが、そんな羨ましさや妬ましさを塗りつぶし、悟られることすら嫌がる薄っぺらい虚栄心。


 そもそも貴族は平民よりも遥かに厳しい生活をしているのに、そこには思い至らないし考えも付かない。なにより、そう言った愚かさを気が付けない程に知能的な問題が横たわっている。


 突き詰めればそれは、個人の能力の問題だ。努力や情熱では埋めきれない、持って生まれた知能の差。そして残念な事に、そう言った低階層側の人間ほどそれに気が付かない……


「女房には迷惑かけるなよ」

「……へい」


 ロニーが不意に見たジョニーは、まるで苦虫を噛み潰したような顔だった。

 己の不明を恥ている。いや、恥と言うより腹を立てていると言って良いだろう。


 公爵家の跡取りではなく、ただの将軍でしかない。

 レオン家の中では一目置かれているが、同じ様に世間の評価は芳しくない。



     ―――――所詮は遊び人なんてこの程度だよな

     ―――――他人の金で遊び歩いていたバカなんだろうさ



 国家存亡の窮地と言う事で大幅に増やされた税に耐えつつ日々を暮らす人々にすれば、国家より自分の生活だと考えてしまうのは避けられない。だが、そんな人々の中に居る『平均以下』な者達は、肝心なことに気付かないのだ。



     ―――――貴族が貴族で居る為には国が必要ですものね



 碌な知見も知識も無く、世間を見渡す視野も視座も無く。なにより、他者を慮る心の余裕が無い者達。彼等は国家と国民の為に……と動く貴族の働きなど、既得権益の確保にしか見えないのだろう。だからこそ……


「兄ぃんとこの奥さんも……」


 小声でボソリと言ったロニー。ジョニーはチラリと横目で見て、何事も言わず奥歯をグッと噛んだ。レオン家の館を飛び出してから数年。それなりに実績を積んでやっと家へ戻った時、妻リディアはレオン家の女中頭だった。


 自分が望んだことだから……と強がったが、きっと居場所が無かったはずだ。


「理屈じゃねぇ…… 結果出すぞ」

「へい」


 2人の目は草原の彼方を見つめていた……









     ―――――メチータ南部 草原地帯

          帝國歴400年 9月28日











 彼方に見える軍勢は予想よりも遙かに少なかった。

 それこそ、数年前にライオンの軍団と激突した時を思えば威力偵察レベルだ。


 ただ、そうは言っても万を越える軍勢なのは間違い無い。

 総勢10万を予想していたが、パッと見では4万か多くて5万程度。

 様々な種族が見えるが、そのどれもが整った軍装をしている。


「……随分少ねぇな」


 ボソッと零したジョニー。

 それを聞いたロニーがブルッと震えた。


「兄ぃ…… 強がってる場合じゃねぇですよ」


 落ち目のレオン家が揃えた兵は精一杯も精一杯の2万少々。

 オオカミの援軍やジダーノフとアッバースの軍団はメチータに近い後方だ。



     ―――――ガチでやり合うには荷が重い

     ―――――奴らを油断させよう



 そう提案したジョニーは、各軍団の長を前に作戦説明した。

 ただ、その説明を聞いていた者達は、レオン家が見せた任侠の精神を知った。


 まず、レオン家が正面衝突する。当然の様に荷が勝ちすぎるが故に戦線が崩壊するだろうから、レオン家の騎士は後方へ敗走し、何処かで反転攻勢する。勝っているときの軍勢は、後先考えずに責め立てるものと決まっているからだ。


 レオン家が再び正面衝突をした時、ジダーノフとオオカミの騎兵達が平面機動戦闘に入る。そして、三方より包囲するように攻撃し、1つだけ隙間を作る。その先にはアッバースが準備した殺し間があり、そこに誘い込み殲滅する。


 虫の良い話かも知れないが、実際にはそれしか無い。そもそも向こう側の戦力も銃を保持してる公算が高いのだ。故にまずは彼等の手持ち銃弾を使い尽くさせるのが重要なのだ。そして、銃身の命数も……



     ―――――撃たれますよ?



 確認するように言ったアッバースの指揮官は真顔だった

 ル・ガルの兵団が銃で撃ち合う経験はまだ無いが、撃たれる怖さは知っている。


 身体の何処に当たっても、一撃で行動不能になる。

 当たり所が悪ければ出血多量となり、数分で人事不省となる。

 重傷で済めば良いが、場合によっては頭や上部胸腔への直撃で即死する。


 治癒魔法もエリクサーも効かないダメージを負う怖さ。剣や槍でも同じ事は起きうるし、矢だって即死する事もある。だが、銃の収束射撃で最も恐ろしいのは、その密度が別次元という事だ。


「一騎駆けして銃口を集める。そこを狙ってガンガン撃て」


 意を決したジョニーがそう言うと、ロニーは『合点でさぁ!』と返答した。

 そしてその直後、振り返ってレオン家の騎士達に指示を出した。


「よっしゃ! ジョニーの兄貴はふん縛ってそこらに座っててもらえ!」


 すかさず『はぁ?』と声が漏れたジョニー。

 だが、そんな事など意に介さず、あっという間に数人がかりで抑え込まれた。


「バカッ! てめーら何しやがるおぃ! やめろ!」


 必死の抵抗もむなしく、縄でグルグル巻きにされたジョニーは歯を剥いていた。

 しかし、そんなものなど日常でしかないロニーは涼しい顔だ。


「兄貴! すまねぇですがそこで大人しくしててくだせぇ!」


 長槍を抱えたロニーは背中の母衣を調整してから兜を頭に乗せた。

 馬上マントの丈を調整した時、その下に見えたのは胸甲ではなく甲冑だ。


「館のポールとうちの女房に釘を刺されてんでさぁ 兄貴に無茶させんなって」


 ニッコリと笑ったロニーは両膝の防弾覆いを調整して腰を浮かした。

 お調子者で口も態度も軽い男だが、それでも今は立派な騎兵士官に育っていた。


「度胸と幸運に自信がある者は俺に続け! 行くぞ! ル・ガル万歳!」


 唖然とした顔でロニーを見送ったジョニー。ややあって彼方から散発的な銃声が聞こえた。断片的な蛮声と勝ち鬨の声。その後に聞こえたのはロニーでは無い声音で轟いた後退せよの叫び声だった……






      ―――――同じ頃






「状況はどうだ? 連絡はあったか?」


 ガルディブルク城の太陽王執務室には大型の戦況卓が設えられた。

 ル・ガル西域に留まらず、大陸の西方全てを含む戦況図となっていた。


「近衛将軍は拘束され、ロナルド大佐が指揮を執っているそうです」


 卓の上に再現された状況図を見れば、少々難しいのが見て取れた。

 最初の激突に動員された2万の兵はどう見栄を張っても寄せ集めの雑兵だ。

 そして、そこに襲い掛かるネコの側の連合軍は5万近い筈。


 だが、そこに認識の齟齬があるのをカリオンとウォークは見落としていた。

 そもそもエゼの報告とは数に開きがあるのだ。


「エゼキーレ氏の報告が正確なら……少々困った事態になりかねませんか」


 カリオンとウォークの会話に割って入ったのは、あのロイ・フィールズだ。

 参謀の末席と言う事でまだまだ学ぶ日々だが、その視点は優秀だ。


 凡そ学生時代から抜け目なく抜かりなく、何より事態の裏を読んで事に当たる。

 先の先を読み、その上で必用な結果の為の一手を打てるタイプだ。


「……と言うと?」


 短い言葉で所見を求めたカリオン。

 ロイは周囲のベテラン参謀に一礼してから所見を述べた。


「まず、エゼキエーレ氏の報告では、確認できるだけで10万少々とありました。これは10万より多いと考えた方が良いかと思われます。結果的にそれより少なくとも、現時点で西方での戦闘に及んでいる総数とは開きがあります」


 『あ……』と、全員が同じ表情になり、肝心な部分を見落としていたことに気が付いた。そろそろエゼは総勢10万の報告をあげてきたのだ。


「つまり、全戦力では無いという事ですね」


 ウィークかそう言うと、ロイは『えぇ、まさしく』と手短に答えた。

 つまり、何処かに残りの戦力がいるはずで、しかもそれは獅子の国の補助軍を飲み込んだ強力なものだ。


「アレックスは何処だろうな?」


 ネコの国へと向かわせた筈だが、ずっと音信不通状態だ。消息を絶って既に一ヶ月ほど経過している。

 その間、夢のサロンにも参加せず、カリオンも気を揉んでいた。


「救出活動をするべきではないでしょうか」


 ロイは手短に言った。

 太陽王の心配事なら解決を図るべき。そんなスタンスだ。


「……何らかの問題があったなら何かしら連絡があるはず。この場合はむしろ意識して潜っていると考えた方が良いかもしれません」


 そんな風に反対意見を出したウォークだが、カリオンは黙って思案していた。

 リリスの探索では、まだ生きてるし心配ないと返答していたのだ。



     ―――――なんらかの隠密行動ね



 その中身を伺い知れることは無くとも、王の密命で動いてるのは間違いない。

 この場合は黙って見るのが正解で、下手に口を挟むとかえって悪化するものだ。


「あいつもそれなりに場数と経験が有る。まずは事態の推移を見守る。それより、足らぬ側の戦力が何処に消えたかを思案するべきじゃないだろうかと余は思うが」


 カリオンがそう言えば、それは王の方針として誰も口を挟めぬもの。

 執務室の中に居た面々は黙って頷くしか無かった。だが……


「戦務幕僚としては探索隊を出すべきかと存じます」


 国軍参謀のひとりがそう提案し、室内に居た面々の視線が一斉に集まった。

 もはや老境と呼ぶべき戦務幕僚は、星が3つの将軍だった。


「うむ。続けてくれ」


 カリオンが続きを求めると、幕僚は『御意に』と応えて続けた。


「国軍を動かせば何かと波風も立ちましょう。ですが、王の特使の探索隊としてネコの国方面へ派遣すれば、偶発的遭遇においても大義は立ちます。その上で、道中にて見つかれば詳細を聞き取り、見つからなければネコの国を詰問出来ます」


 どっちに転んでも損の無い立ち回り。

 実はそんな老獪で周到な打ち手こそが政治的暗闘の核心でもあった。


「なるほどな。して、そなたはあのおとこが何処に居ると踏んでいる?」


 カリオンの問いに対し、戦務幕僚は一瞬だけ思案して応えた。

 返答を考えたのでは無く、言うか言うまいか迷ったのだ。


「ネコの国に囚われた可能性が高いと小官は予測します」


 ……囚われた


 それは、少々聞き捨てならぬ話だ。

 だが、可能性として捨てきれぬ以上は考慮に値する。


「なるほど。その可能性も否定出来ぬな」


 アレックスに限ってヘマはしまい。

 そんな事を何となく思っていたが、可能性的にゼロじゃ無い。

 リリスはまだ生きているとしか言わなかったが、自由だとは言ってない。



     ―――――死んで魂ですらも囚われている……



 何となくそんな事が頭を過ぎり、カリオンは一瞬だけ奥歯を噛んだ。

 可能性的にゼロで無いのなら、如何なる事態にも備えるべきだ。


「……よろしい。ならば探索隊を派遣しよう。どれ程の規模だ?」


 必用な数を言え……とカリオンはたずねた。

 それに対し戦務幕僚が口を開き掛けた時だった。


『急報! 急報!』


 執務室へと飛び込んできたのは通信担当の若い士官だった。


「陛下! トゥリングラードより急報であります!」


 パッと差し出された報告書には、目を疑う事態が記載されていた。

 あのトゥリングラードが急襲され防戦に努めているが、多勢に無勢らしい。

 そもそも現時点におけるトゥリングラードなど単なる倉庫でしか無い。


 だが、そうは言ってもル・ガル国軍にとっては重要拠点の1つ。

 なによりあの拠点には大量の……


「しまった!」


 ウォークが驚く様な声を上げて驚いた。

 同時にカリオンは額を手で押さえて項垂れた。


「奴らの狙いは弾薬か……」


 そう。カリオンが漏らした通りだ。

 トゥリングラード演習場にある補給敞は、西方方面への備えだ。

 常に100万発単位での弾薬が保管されているのだ。


 また、現時点では使っていない旧式銃が膨大な量で溜め込まれている。

 国民全員に配れるんじゃ無いか?などと冗談が出る量で……だ。


「陛下。唸っている場合ではありません。大至急増援を」


 ロイは遠慮無くそう言った。

 ビッグストンの中でもっとも不利と言われる参謀科卒の男は芯まで参謀らしい。


「そうだな。しかし……」


 誰を送り込む?とカリオンがウォークを見た。

 そのウォークは一度視線を絡ませた後で、チラリとロイを見た。



     ―――――チャンスを与えましょう



 そう言わんばかりの顔になっているウォーク。

 カリオンは僅かに首肯してからロイを見た。


「……いや、その通りだ。王都駐屯の2個師団に緊急出動命令を出す。フィールズ大佐。すまないがその師団の指揮を執って大至急トゥリングラードへ向かってくれないか。編成は一任する。目的は簡単だ――」


 カリオンは戦況図に目を落とした。

 参謀陣がスッと駒を置いたトゥリングラードにはネコの駒があった。


「――トゥリングラードを防衛する事。万が一にも陥落しそうな場合には、内部にある銃火器等を焼き払うこと。銃弾もだ。敵の手に渡るのは歓迎しない」


 やや緊迫した表情でそう命じたカリオン。

 それを聞いていたロイは背筋を伸ばし、敬礼を返して応えた。


「謹んで拝命いたします。微力を尽くします」


 よろしい……と、首肯を返したカリオン。

 だが、その直後に付け加えた。


「ウォーク。近衛師団にも緊急召集を掛けろ。余が後詰めに向かう。お前も来い」


 本来であれば最初に動き出すドレイク卿などは所領でキャリの到着を待っているのだから人手が無いのだ。故にそうせざるを得ないのだが……


「喜んでお伴します!」


 元気よく答えたウォークの尻尾がパタパタと揺れていた。

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