エゼキエーレの達引
クワトロの女たちに首輪が付いて一週間。
この一週間はフィエンの街にとって激動だった。
まず最初に、街の役人が変死体となり、街外れの河原で見つかったと。
その翌日、街一番な大手商店の大旦那が、店の裏で何者かに惨殺された。
三日目にはフィエン随一の馬具商が馬に蹴られ即死した。
その後、幾人かが不慮の事故で急死するニュースが続き、街はピリピリムードだ。
誰が言わなくとも、皆知っている。エゼキエーレの報復が始まった……と。
クワトロの店は相変わらずレストランのみの営業で、ある意味街の名物だった美人女給による部屋食サービスは営業を取りやめている。
それだけでなく、チャブ屋営業に出ない女たちによる『街の観光案内』や、街のカフェで取り次いでいたちょんの間にもクワトロの女たちが出て来てない。
それだけで、街に取っては火が消えたような状態となるのだった。
だが、水面下では同時進行でエゼの手下による暗殺が進行している。
街外れで見つかった役人の遺体には、凄惨な拷問の跡が残っていたと噂が流れた。
おそらく、何かしらの情報を得るために、相当な思いをしたのだろう。
明日は我が身……と、首もと涼しい旦那衆は遊び歩くのを控え、クワトロだけではなくバルボア商会を含めた街の風俗産業全体が閑古鳥になっていた。
「旦那様」
エゼの執務室にリベラがやってきた。
前日の営業報告をまとめていたエゼが視線だけで応じている。
「フリオニール様が直接お会いしたいとお越しですが」
エゼは部屋にいたフィオと琴莉を順番に見てから僅かに笑う。
「強引に首輪を巻かれた妻が寝込んでいて、気を病んだ娘も体調不良ゆえ、少々お待ち願たいと伝えろ」
リベラは胸は手を当て頭を下げ部屋を出て行った。
実は同じ事を前日にもやっていたエゼだ。
意地の張り合いとなり始めているが、ル・ガルとの通商で強靭なベース収入があるクワトロは、女たちの収入がなくとも黙って十年は戦えるだけの財力を持っていた。
お茶を引いた女たちは部屋代が全額減免となり、オーナーが下手をうって首輪を巻かれた慰謝料にと、毎日一トゥンを貰っている。
クワトロの正業サイドであるレストランやカフェなどは安定した収益を上げており、エゼキエーレはこのまま二年間逃げ切る腹でいた。
性風俗店の免許は二年間有効だ。更新手続きには面倒な申請が要る。
暗に袖の下を求めるくだらない査察を受けなければならない。
それが無い場合は免許が失効し、登録した女たちは鑑札を外すことになる。
毎日役者へ提出する書類は、前日の晩に誰が何人客を取ったのか。
それは何処の誰か。いくら支払って、店の上がりと女の取り分はいくらか。
それらを全部明記しなければならない。
だからエゼは一言
『店主の都合で女たちに仕事を取りやめて貰った』
と書いて提出していた。
これは全く違法ではなく、また、女にもオーナーにも困る事はなかった。
「エゼさん」
「なんだいアチェ」
「わたし、大食堂で女中やりましょうか」
レストランも客が減っている。
毎日の数字がそれをものがたっている。
琴莉に取っては自分のせいで全体が困っているのが耐えられなかった。
だが。
「いいかいアチェ」
涼やかに微笑んだエゼは書類を弄る手を止めた。
「始まりは確かに君の身体を巡る男たち欲望だった。でもね」
書類をぞんざいにぶん投げ、あり合わせの小汚いファイルへと挟み込んだエゼ。
隣に立っていたオッタービオはそのファイルを受け取ると部屋を出て行った。
「今はもうね、君一人の問題では無くなったんだ。クワトロをはめた奴をあぶり出し、全てに報復してやる。そして、バルボアだろうがフィエンの街自体だろうが……」
窓際に立ったエゼは両手を広げ琴莉を見た。
その笑顔は禍々しいほどに爽やかな殺意を漲らせていた。
「……ネコの国がどうなろうと知った事じゃない。生きていける所で生きていく。それがネコの本懐だ。税が欲しいから?戦をするから?だからなんだ。この街の役人が困るなら困れば良い。私は困らない。ネコの国が困る?だからなんだ。私は困らない。向こうから申し訳無いと頭を下げてくるまでこっちは絶対折れない。それだけの話だなんだよ。これはね、意地の張り合いなんだ。飢えようと乾こうと、負ける位なら死んだ方がマシだ。そういう所に来ているんだ」
再び椅子に腰掛けて一息入れたエゼ。
冷め切ったコーヒーを飲み尽くして、そして天井を見上げた。
「街の役人や同業他社や様々な所を使ってウチに圧力を掛け、君を店に引っ張り出そうとした者達が居る。様々な形で金に困るように仕向けたんだろうさ。だがな」
天井を見ていたエゼはビシッと琴莉を指さした。
まるで刃物を突き刺されたかのような怖さを感じた琴莉は背筋を伸ばした。
「ウチを舐めてかかった奴らに、厚く煮えたぎる湯を飲まし、死ぬほど後悔させてやるんだよ。他の事なんかどーでも良い。困る奴が困れば良いんだ。だから君は。アチェ。君は絶対に表に出てはいけない。ここの女たちも私の考えに賛同してくれているんだ。だからね、ウチが困って君が表に出てくるのを楽しみに待っている連中がガッカリして後悔して、そして泣きついてくるまで、絶対に。絶対に君は折れちゃいけないんだ」
エゼキオーレは意地を張っている。
琴莉の目の前でエゼキオーレというネコは、壮絶な意地の張り合いをしている。
「アチェ。君も辛いだろうから、一つ良い事を教えよう」
エゼはニヤリと笑った。
「男同士の達引がどんなもんだか、よく見ておくと良い」
「たつびき?」
「そう。達引だ。元々はガルティブルクにあった大籬の太夫の言葉さ」
首を傾げた琴莉の姿に、エゼのつまフィオが毀れるような笑い方をした。
「いいかいアチェ?」
話を切りだしたフィオを琴莉は見た。
「ちょっと昔の娼館じゃね、一番の芸妓が売るのは身体だけじゃ無かったのさ。唄を歌い、舞いを踊り、それだけじゃ無く、知識と教養があったモンだ。そんな芸妓たちはね、娼館の中の自分の部屋で待っていて、客が来てから呼び出されて行くのさ。客の居る間へね。だけど、最初の晩は客と目も合わせないし口も効きやしない。客を下へ座らせて、芸妓は上の座にあってお澄まし顔さ。そして、楽器を鳴らし、自分の手下の若い娘を舞わせて『自分』を見せる。身体じゃ無いよ。自分なんだよ。客は黙ってそれを見る。客間にそんな芸妓を呼んで、勉強中の子まで呼びつけるんだから、一晩で百トゥンは軽く使う。その晩はそれで終い。客はね、手を叩きながら『結構結構』で帰って行く。それで怒り出すような馬鹿は、大籬の敷居戸を潜るにゃまだちょっと男が足らないのさ」
フィオは一口お茶を飲んで話を続ける。
「何日か経って、また男は目当ての芸妓を呼んで部屋へ行く。ここまで来て、初めて男は芸妓の隣に座れる。だけど、ここで手を出すような下衆は黒服に叩き出される。昔から言うんだ。『据え膳喰わぬは男の恥』ってね。ヒトの世界はどうだか知らないけど、『どうぞ召し上がれ』となるまで待てない奴は、そこらの安いちょんの間で遊んでろって事だ」
琴莉は昔聞いた言葉を思い出し首を縦に振った。
それがヒトの世界にもあると肯定するように。
「そうやって芸妓の隣に座った男は、初めて名乗る。何処のどんな人間だか。全部言うのさ。で、その晩もそれで終い。手も握らないし、指一本触れさせない。ここで触るような身体目当ての客なら、そこらの私娼でも抱きに行きなってね。追い返すのさ。男の方はここでメンツに賭けて芸妓を口説きにかかる。この男なら安心して身体を預けられるってね。そう安心したら『いついつ、またお越しください』と案内状を出してやる。だけど、気に入らない客には案内状を出さないのさ。だから男はそれを貰う為に気前良く金を使い、しかも、鼻息荒く女を買いあさる無様さを見せないよう意地を張る。女の方だって、少しでも嫌なら遠慮無く男を袖にした。だけどね。女はそこに居るだけで金が掛かる。今も昔も女は店に店賃を入れているし、客から小遣いを貰えない若い子に、客の代わりに小遣いを切らなきゃならない。だから、女だって金が無い。金が無いけど、意地だけはある。だから、例え万金積まれたって札びら切られたって『わっちは嫌でありんす』と男を振るのさ」
琴莉は驚いてエゼを見た。
エゼキオーレはまさに意地を張っていた。
自前の金を気前良くバラ撒いて、絶対思い通りになるものかと。
そう、意地を張っていた。
「それをね、達引って言うんだよ。今も昔も変わらない。女の意地だ。金さえ払えば客だからヤらせろなんて下衆にゃ、娼館で女と遊ぶなんて百年早い。そんな馬鹿男は自分の右手と仲良くなってろってね。そうあざ笑ってやるのさ。きょうび、女に振られたって言う男の愚痴の元はそれなのさ。昨日の夜も袖を振ってお終いだった。女に袖を振られたからってね」
もう一度高邁に笑い出したフィオ。そんなフィオとエゼを何度も見ている琴莉。
エリーたちはとっくに首飾りを取ってしまったのに、フィオだけは未だに首へ飾りを巻いて、おまけにそのまま外へ出歩いていた。鑑札で封されたカプラーでは無く、首飾りのトップに隠されたサブカプラーで外そうと思えばいつでも外せる首飾りをだ。
つまり、フィオも同じように意地を張っているのだった。その姿に琴莉は何か大切なモノを思い出したようで、弱まっていた自分の心を恥じた。
「アチェ。君には夫が居るんだろ?」
「はい」
「なら、君が意地を張る理由は女の誇りとかじゃ無いね?」
「……みさおです」
エゼは僅かに頷いた。
「ネコはね、他人に強要するのもされるのも嫌なんだ。だから」
最後に残っていたコーヒーを飲みきって、そしてエゼは薄ら笑いで琴莉を見た。
「ヒトの人妻を抱きたいって鼻息荒い駄目男には、精一杯見栄を張らせれば良い。それで、相手の誠意を受けるも拒むも君の自由だ。ただね、どっちにしたって安請け合いは絶対しちゃいけないよ。散々巻き上げてから拒むなら、受け取ったモノは全部返すんだ」
琴莉は静かに頷いた。
「よし。じゃぁ私は……」
部屋の隅に掛かっていた上着を羽織ったエゼ。
鏡に向かって毛並みを整え、髭の流れを揃えた。
「バルボアのフリオなんとかってボンクラと顔を合わせてくるか」
部屋を出て行くエゼキオーレを見送った琴莉。なんとなく、エゼとフィオの意地にとことん付き合う覚悟を決めた。少なくともこっちから折れてやる義理は無い。それは間違いない。
曲がった事が大嫌いな五輪男をふと思い出し、琴莉は窓の外遠くを見た。不意に五輪男の声を聞いたような気がした。意地を張る事の大切さを、琴莉は再確認していた。
三ヶ月後
街の徴税役人であるフランシス卿は頭を抱えていた。
都からの通達で集金に奔走したまでは良かったが、現状では毎日の上がりが激減して居るのだ。理由は言うまでもなく、クワトロ商会の営業が停止しているから。
観光客も足を止めずに通過して行ってしまう。街道をゆく通商の人間たちはクワトロのレストランで食事だけして行く。
レストランの売り上げに掛かる税金は飲食の一割だけ。娼館のあげてくるはずの莫大な利益は煙のように消えてなくなっている。
完全に形成は逆転していた。
本来であれば『必要悪』として鼻つまみ者だった娼館の女たちだ。
だが彼女らが営業を取りやめて居る限り、街の収入の柱は完全に折れて居る状態だ。
だからと言って『店を開けて客を取れ』とは言えない。
街の方針として娼婦は不浄の物で、人ではなくヒトと同じ扱いだと条例を決めている以上は、おいそれと変える訳にもいかない。
おまけに、何らかの形で政治的圧力を加えれば、その次に待っているのは力による報復だ。クワトロ商会と懇談し、何らかの政治的譲歩を行わない限り、向こうが折れることはないだろう。
そう分かっているからこそ、フランシス卿は思い悩んでいるのだった。
「伯爵殿」
「おぉ、これはこれはバルボア商会の」
「ニールと呼んでくだされば結構だ」
ある日、フリオニールは突然役場に顔を出した。
その後ろにはフィエンの街の商工会に属する商店主や商会の会頭が勢揃いしていた。
「困った事態になりましたな」
「えぇ、全くです」
「街としてはどういう方針ですかな?」
「都からは何とも言ってきてませんので」
「つまり、卿は自ら動かれる事は無いと、そう言う判断で宜しいか?」
のっけからけんか腰で迫ったフリオニール。
フランシス卿はその態度にたいそう驚いた。
「……どういう意味ですかな?」
「クワトロ商会のエゼキエーレは女を大事にしている。ですが、街のやり方が……」
「だが、条例は条例だ。法を曲げるには手続きが居る」
「それをするつもりは無い、と。そうおっしゃる訳ですね」
「いや、条例を変える事は容易い。だが、町人の誓願で条例がコロコロ変わっては」
困り果てた様子の役人を前に、街の商工会の主たちが口を開いた。
「じゃぁつまりお役人さんは街が滅んでも良い訳ですな」
「そうは言っていません」
「だけど、現実にはそうですよね?」
言葉に詰まったフランシス卿。
だが、ちょっと小汚いなりのネコの男たちは権高に追及する。
「だって、我々は別にこの街にしがみつく理由は無いんだから」
「そうですよ。ここがダメなら別の街へ行けば良い」
「ウチは今月の末を持って店を閉め解散します」
「まぁ、そのまま報告を上げれば良いじゃ無いですか」
「いつの間にか税を集めるべき店が無くなりましたってね」
次々と辛辣な言葉を受けたフランシス卿は、長い髭を揺らしていた。
役人として実績を積み上げ出世コースに乗りたかったのだ。
こんな小さな街で終わってしまっては……
フランシス卿の顔付きがガラリと変わった。
「つまり、条例を変え、営業しやすくしろと皆さんはおっしゃる訳だ」
「いえいえ、それは卿のお考えになる事ですからね。私どもは関知いたしません」
涼しい顔で言い放ったフリオニールは、伯爵の顔をジッと見ていた。
困り果てているも、自分からは動く事も変わる事も出来ない典型的なダメ人間だ。
誰かに言われ、お膳立てされ、教えられ諭され、最後には命令されやっと動く。
自分が責任を取らなければいけない時には絶対動かないタイプのクズ。
この手の男に付き合っていると、自分の商会が危ういかもしれない。
フリオニールはそう確信した。そして、付き合いを切る算段を考える。
クワトロの客がこぼした愚痴を聞き、エゼキオーレの仕事を合法で妨害し。
それだけじゃなく、あの男が手に入れたヒトの女を街の新しい名物に。
あれこれと考えていた算段は全部ご破算になってしまった。
「どうしたら良いと思いますか?」
ついにフランシス卿は泣きついた。
どこかに責任の尻を持っていく腹だ。
だが、フリオニールは遠慮なくその尻をけり返した。
「ですから、私たちはお役人様方の決定に従うまでです」
沈痛な溜息を吐いたフランシスは、仰ぐように天井を見た。
土壇場で決断できない哀れな男だと皆が思った。
リスクを取って進む勇気の無い男に未来は無い。
「来月には国家騎士団の皆様がお見えになると言うのに……」
ボソリと呟き目を閉じた。
国軍を迎え入れるにしても予算が無い。
地域から上がってこないんだから仕方が無い。
自分は処罰されるのだと恐れおののいている。
「何とかしてくださいよ。処分されてしまうんです」
「ですから、何とかするには貴方が条例を変えるしかないんですよ」
「条例なんて変えられるわけ無いじゃないですか!」
「それはそちらの都合です。雨ばかりの春に麦の穂は膨らみません」
フリオニールはスクッと立ち上がって帰り支度を始めた。
「時間の無駄でしたな。帰らせていただく。あとは……好きに処罰されてください」
「お願いしますよ! ちょっと待って! 知恵を分けてください」
「ですから、何度も言ってるじゃないですか。条例を変えられるのは貴方だけだって」
上着を羽織りドアのところで振り返ったフリオニールは履き捨てた。
「責任を取るのが貴方の仕事だ。そこを履き違えてるから貴方は出世しないんです」
ドアを開け出て行ったフリオニール。
商工会の面々も次々と捨て台詞を残して部屋を出て行く。
曰く『無能』であるとか『臆病』であるとか。
一人部屋に残されたフランシス卿はしばらく茫然自失だった。
だが、不意に眼を上げ何かを思い立ち、書類入れから書類を取り出した。
フランシス卿。一世一代の博打が始まろうとしていた。