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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
大侵攻~忍耐と苦痛と後悔の日々
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亡命

~承前




 それは、9月の声を聞こうかとする盛夏の夕暮れだった。


「……真か?」


 聖導教会大聖堂の奥深く。

 管長が執務する為の部屋よりも更に奥の小部屋に低い声が響いた。


「はい。間違いありません」


 管長エルヴィスの声に気後れすること無く応えた声。

 それは、聖導教会とは異なる情報ネットワークからの報告だった。



     ―――――ネコの国となったシーアンにて両軍が激突せり

     ―――――鎧袖一触に蹴散らされネテス大司教は死去せられた



 聖導教会の騎士達がオオカミの国へと脱出したのは管長も掴んでいた。

 バルバトスによる脱出報告と今後についての行動指針が奏上されたからだ。


 だが、オオカミの国へ行った彼等の足取りは途中からようとして知れなかった。

 オオカミの国で叛乱を起こす戦力にされかねないと危惧した管長だが……


「あの男が……」


 管長エルヴィスにとっても気になる存在であったネテス。

 幼長の序を重視するイヌの社会だが、管長より年上の枢機卿だった男だ。


 そんな男から唐突に報告が届いたのは、実は1週間ほど前だった。

 陸路ではなく海路でネコの国を目指す……と、一方的な報告だった。


 聞けば、ネコの国を獅子の国との接線辺りへ押し出した太陽王の策謀により、彼の国は恒常的に獅子の国との小競り合いを経験していると言う。


「どだい無理があったのだろう……彼の国の戦力を吸収するなど」


 エルヴィスが言ったそれは、オオカミの国における聖導騎士とオオカミのある勢力との折衝による決定だった。


 両者に共通するのは、より強力な戦力を欲する部分だ。イヌの国へ対抗する為の強力な軍勢を必要としているのだが、もはや大陸の何処を見ても味方に付きそうな勢力は無いのだ。


「伝聞ですが、ヒトの世界ではこう言うそうです。溺れる者は藁をも掴む……と」


 管長に報告を上げた男は抑揚の無い声でそう言った。

 闇に溶け込んだ存在に共通する特徴とでも言うのだろうか。

 とにかくこの男は存在自体が希薄だった。


「まぁ……然もありなん……だな」


 ため息と共にエルヴィスがそう呟く。

 そこに1%の可能性でもあれば、挑戦して見たくもなるのだろう。

 バルバトスはこう連絡してきた。



     ―――――ネコの支配階級を滅殺して乗っとります……



 ……と。


 そんな事が出来るはずも無いのだろう。

 だが、ネコの国に一矢報いたいオオカミの要望を飲んだのかもしれない。

 出来るか否かと言われれば理論的には可能と応えるのが精一杯とも言える。


「なお、バルバトス枢機卿は存命とのことですが――」


 司教の聖衣を纏う灰色の体毛をした男はきつい吊り目で管長を見た。

 実務員らしい彼は教会の内部で教化や祭礼を行うことは無い。

 経理など教団の運営業務を担い奉職する事務の側だ。


「――ネコの国の何処かへ連れ去られたとのことです」


 抑揚の無い声でそう報告した男は、管長エルヴィスの言葉を待った。

 少なくとも聖導教会内部で軽くは扱えない人物が行方不明なのだ。


「……やはり、あの女王が一枚噛んでいるのか?」


 管長エルヴィスがそう漏らすのには理由がある。

 ネコの国は歴代女王のどれもが飛び抜けた魔力を持った存在だ。

 だが、現女王であるヒルダは過去の女王達とは魔力の次元が全く異なった。


「……恐らくは」


 確証は無いが、他に理由が考えられない。

 そんな回答を出した男は、黙って管長の方針を待った。


「バルバトスの件は残念だが……救出の苦労に見合わぬ存在と割り切るか――」


 苦渋の決断を下した管長は、一つ息を吐いて天を仰いだ。

 これが神の意志だというなら、それは受け入れるしか無い。

 だが……


「――強行派は恨むであろうな」


 聖導教会内部で反太陽王を掲げる強行派にとって、バルバトスはシンボルだ。

 何より、太陽王に対し抵抗路線を公言して憚らないが故に人気があった。



     ―――――あんなマダラに……



 太陽王カリオンの存在や人格その物を否定する者は教会内部にも多い。

 だが、時代の変化に応じて組織も変革をしなければならないのだ。

 それ故に、時には飲めぬ煮え湯を飲まねばならぬ時もある。


「むしろ一網打尽にする好機かと」


 悪い表情になってそう提案した男は、スッと数枚の書類を見せた。

 そこに書かれているのは、教会内部にある非主流派の名前だ。


「……ワシに川を渡れというのか? レオーノフ」


 管長エルヴィスからレオーノフと呼ばれた男は、吊り目を細めて沈黙した。

 そんなレオーノフをきつい眼差しで打ち据えつつ、管長は唸っていた。


「これは王府にもまだ報告していないことです」


 ニヤリと笑ったレオーノフ。

 その言葉は管長の歓心を買う最良の売り文句だった。


「……では、太陽王の耳にはまだ入っていないと?」

「えぇ。少なくとも我がジダーノフ一党の諜報網以外に捉えてません」


 樹を隠すなら森の中と言うが、重要な情報は類似情報の中に隠すもの。

 このレオーノフもまた同じ様に、ジダーノフ諜報網の一拠点だった。


「……明朝にでも太陽王に面会を求める」

「では、更なる手土産が必用ですね」


 レオーノフはあくまで管長エルヴィスの手足に徹していた。

 二重スパイとして活動する彼は、ジダーノフが聖導教会に送り込んだ草だ。


「まだ何か……あるのか?」


 エルヴィスはレオーノフの思わせぶりな言葉に怪訝な表情となった。

 だが、だからといってその実を口にするほど甘い存在では無い。


「幾つかありますが……例えば……」


 ぼそぼそと喋ったレオーノフの言葉に対し、エルヴィスはニンマリと笑った。

 それは間違い無く、太陽王と王府に対する切り札になり得るものだからだ。


「なるほどな……では『その前に幾つか情報を開示して下さい』


 レオーノフの言葉が僅かに鋭くなった。

 同じ文言とは言え、イントネーションにより言葉の受け取り方は印象を変える。


「私が更迭されないだけの手土産も必用なのですよ?」


 そんな事を言うレオーノフは、エルヴィスに負けない視線でジッと管長を見た。

 気迫と気迫がぶつかり合い、部屋の中にピリピリとした空気が漂う。


「……何を知りたい?」


 エルヴィスはむしろ王府の側への情報供給をコントロールしようとした。

 調査対象が解れば、王府が何処まで知っているのかを推し量れるから。

 だが、レオーノフが吐いた言葉は、エルヴィスをして驚嘆せしめた。


「具体的に何と言う事はありません。王府の目と手は我がジダーノフ一門のそれを遙かに超える規模と浸透力です。故に我らもまた王府への手柄争いに加わっているのですよ。だから……そうですね――」


 何事かを考え込む素振りのレオーノフは、不意に顔を上げて言った。


「――聖導教会が持つ魔法騎士団についてご教示ください」


 その一言でエルヴィスの表情がガラリと変わった。


「……なぜそれを知っている」

「そうですね……蛇の道はニョロリですよ」


 フフフと不敵に笑ったレオーノフはニヤリと笑って床へと目を落とした。

 そして、そのまま目を閉じると小声で言った。


「さんざん……やり合って来ましたからね……」


 魔法や魔術を禁忌とする聖導教会だが、魔法の知識は豊富にある。

 つまりそれは、長きにわたり魔導の知識を独占してきた事に他ならない。

 そんな聖導教会の内部に存在する魔導騎士団は、ある意味公然の秘密だった。


「……そうか」


 苦虫を噛み潰したような表情でエルヴィスは切り出した。

 それは、聖導教会が長年秘匿してきた強力な魔法戦力だった。


「なるほど……やっと合点がいきました。長年出世しない助祭が居るのが不思議だったのですが……研究拠点を教会が用意していたと考えれば納得も行きますね」


 聖導教会の内部にあった魔法や魔術の研究機関は、一般には表に出ることが無い影の側の組織だ。目立たない地方の小さな教会や教練場に居て司祭の補佐をする助祭達が中心となり、膨大な量のトライ&エラーを記録し続けている。


 そしてその中で様々な魔法や魔術の効果と発動に至る仕組みが解明されてきた。教会に運び込まれる病人やけが人と言った市井の人々を『癒やす』という大義名分で実験台にしながら……だが。


「ワシの与えられるものは……もういくらも無いぞ?」

「では、その様に報告いたしましょう。ただ、次のネタは用意していて下さいね」


 捨て台詞のようなものを残しレオーノフは部屋を去った。

 その後ろ姿を見送ったエルヴィスは『油断為らんな……』と独りごちていた。






     ―――――翌朝






「おはようございます」


 王夫妻の朝食時へ姿を現したウォークは、朝っぱらから少々不機嫌な表情だ。


「早いなウォーク。その顔を見れば良い話じゃ無さそうだが?」


 紅珊瑚海で上がった上物の白身魚を使ったスープは癖が無く上品な味だ。

 だが、そんなスープですら荒野の砂の味にも感じられる渋い表情……


「えぇ。全く持ってその通りです。まずはこちらを」


 ウォークの差し出した数枚の資料を受け取ったカリオンは、『やれやれ。朝食も砂の味だな』などと嘯きつつもサッと目を通した。


「……朝っぱらからとんでも無いものを寄こしおって」


 カリオンはフォークとナイフを置いてスープカップを手にとった。

 根菜を使ったスープは朝食時の定番だが、今は泥の味だ。


「残念と言う表現すら、些か手緩いです」


 パリッとプレスの効いた上着を見れば、ウォークに嫁いだクリスティーネの心遣いが見て取れる。王の御前で夫を一際良く見せようとする女の意地らしさは、可愛げがあるとかではない。



     ―――――平民へ嫁に出された公爵家の貴顕



 彼女にはどうしたってそんな言葉がついて回るが、その嫁に出された先の男はそこらの半端貴族どころか公爵家当主ですらも一目置くル・ガル最強の平民だ。


「お前を見ているとル・ガルの実力がよく解るが……」

「冗談を言ってる場合ではありません」


 軽口を叩いたカリオンを諫めたウォークは、食卓の書類に目を落とした。

 そこに書かれているのは、王府諜報チームによる報告だ。



     ―――――シーアン南部3リーグ付近にて合戦

     ―――――新生ネコの国軍団は総勢8万を越える模様

     ―――――聖導騎士とオオカミの連合軍は鎧袖一触に蹴散らされる

     ―――――次期管長最有力候補の枢機卿は行方不明



 そこから合戦の状況と諸々の事後報告が続いた。

 現管長エルヴィスよりも年上のネテスは戦死し、聖導騎士も事実上瓦解。

 彼等の所持していた新式銃は20丁程度が完動状態で鹵獲された模様。


「なぁウォーク」


 深い溜息をこぼしたカリオンは額に手を当てて唸った。もはや銃を同行という次元は過ぎたのだ。なんとかして回収したい……と言外にカリオンは言っていた。


「えぇ。危惧は承知しています。あの銃が他国へ流出するのは歓迎しません」


 そう。他ならぬあの銃だ。

 ル・ガル国内でもまだまだ配備が進んでいない高性能銃。


「ネコの国で量産が可能だと思うか?」


 ボルボン家が管理する古都ソティスの工廠では良き隣人の支援により高度な加工が施されているが、それをネコの国で出来るかと言うと未知数だとしか応えられないのだ。


「我が国で可能なのですから、むしろ他国で不可能と考える方がおかしいです」


 ウォークは官僚らしく最悪の事態を想定して返答した。

 率直に言えば、その一言だけで胃が痛くなる様な状態だ。


「……で、例の大司教の小僧は?」


 その行方については誰も把握出来ていない。

 報告書にはネコの国へ連行された模様とあるのみだ。


「これより全力で調査に当たりますが、何分にもリリス様の魔法探査が出来ない関係で……」


 そう。リリスは今だにキャリ達と旅を続けている。

 今頃はレオン家を発ってボルボン家へ向かっているはずだ。


 キャリからの手紙には茅街へ立ち寄ったと書かれていた。

 そして、そこでヒトの技術者から稼働状態なヒトの世界の戦車を見たと。

 まだ若い彼は興奮気味にその可能性と実力とを報告していた。



     ―――――双方が塹壕に隠れ膠着した戦争がやって来ます

     ―――――野砲で撃ち合いつつ突撃と撤退を繰り返す戦争です

     ―――――夥しい死人が出る凄惨な合戦となるでしょう

     ―――――戦車はその膠着状態を打破し得る唯一の存在です



 ヒトの世界の戦がそうであったように、この世界でも一気に戦の形態が変わろうとしている。双方が銃を向けあい、馬などの機動力では無く塹壕を掘って対峙する動かない戦争の時代だ。


 そんな戦争に備え、分厚い装甲で鎧われた動くトーチカによる戦線突破が主流の時代となる。その時の為に……と配慮したヒトにより先に答えを見せて貰ったキャリは、完全に舞い上がっていた。



     ―――――あの子

     ―――――茅街から召し上げかねないわよ?



 そんな風に笑って報告してきたリリス。

 お目付役であり指導役でもある彼女の助力をカリオンは欲していた。


「こんな時には……私は役に立たないわね」


 少々不満げにサンドラがそんな事を漏らす。

 だが、それは嫉妬や不快感では無く心魂からの言葉だと皆が知っていた。


「まぁこればかりは能力と言うより適性の問題だからな」


 フォローになっているかどうか微妙だが、それでもカリオンはそんな返答だ。

 様々な才能を持つ者達を手下に納めた男故に、どこか達観している部分もある。

 ただ、余人を持って代えがたいのだから、リリスの存在は重要だった。


「彼女だけ呼び戻せないかしら」

「それは難しいでしょう。他国から嗅ぎ付けられかねません」


 サンドラの提案をウォークは即座に却下した。

 周辺国家から見れば、ヒトでしか無い女を太陽王が囲っているのだ。

 そんな女を城へ呼び戻したとなれば、何かしらが起きたと誰もが考える。


「困った事態だな」


 砂の味にしか感じないメニューを再び食べ始めたカリオン。

 そんな時、ウォークの耳元に王府のスタッフがそっと報告を上げた。

 途端に厳しい表情になったウォークは一つ溜息をこぼして言った。


「面倒がもう一つやってきました」


 それを聞いたカリオンが『なんだ?』と応えた時、何処かから聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「太陽王陛下。無礼をお許し頂きたい。火急の用件によりここへまいりました」


 その声の主は聖導教会管長のエルヴィスで、その手には羊皮紙があった。


「なんだなんだ。今朝の朝食は来客が多いな」


 苦笑いしたカリオンが手招きし、エルヴィスを食堂へと入れた。

 入口で口上を述べたエルヴィスは『主の導きに感謝を』と述べて部屋に入った。


「で、いかな要件か?」


 単刀直入にそう問うたカリオン。

 だが、エルヴィスの返答は驚天動地だった。


「大変申し上げにくいのですが――」


 エルヴィスは室内に居た者達をグルリと見合わしてから言った。

 その僅かな所作に覚悟を決めたかのような様子で。


「――私どもの教会における次期管長と目しておったバルバトス枢機卿が……」


 思わせぶりなところで口籠もったエルヴィス。

 カリオンは『死んだのか?』と問うたのだが、それ以上の答えが返ってきた。


「いえ、それならば悩むこともございませぬ。実はネコの国に転んだようです」


 エルヴィスがそう言葉を発した時、カリオンとウォークが同時に『は?』と聞き返していた。ネコの国に転んだと言う事は、つまりネコの国へ亡命したと言う事。


 これはつまり、イヌの国の最も重要な情報が、そっくりそのまま流出した可能性が高いと言う事だった。


「……なんて事だ」


 頭を抱えたウォークは今にも泣きそうな顔になって居た。

 一難去ってまた一難と言うが、一難去らずにパワーアップな現状だ。


「で、その転んだ枢機卿をそなたはどう処するのだ?」


 カリオンがそう問うた時、エルヴィスは表情を硬くして返答した。

 ある意味では、もっとも危険な毒饅頭だった。


「即日破門と致しました。もはや教会の者ではありませぬ。どうかご存分に……」


 ……と。

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