悪い方へ悪い方へ・・・・
~承前
「船?」
やや固い声音でそう言ったカリオンは、執務室の中で唸っていた。
月が明けて8月となったガルディブルクは茹だるような暑さの中にある。
そんな状況にも拘わらず、国軍の首脳と近衛将軍ジョニーを交えた会議は続いていて、今は全員が表情を硬くしているのだった。
「あぁ。船だ。ジダーノフの追跡班は山の上でそれを確認した」
会議に大量の資料を提出したアレックスは、『率直に言えば驚天動地って奴だ』と言葉を添えていた。聖導教会の訓練拠点であるゴラムスクを脱出した一行の足取りが判明したのだ。
オオカミの国内部で川沿いに船を使った一行は、フーラ川の河口から大海原へ漕ぎ出したらしい。波の荒れる北海エリアだが、夏場は海氷も消えて穏やかな海になる事が知られている。
「で、その船で何処へ向かってるんだ?」
「さぁな。今はそれを調査してる最中だよ」
同じく怪訝な声音で言ったジョニーに対し、アレックスはそう応えた。
結論から言えば、彼等はオオカミの国内部に留まらなかったのだ。
事前の予想ではオオカミの内部で一悶着起こすと思われていたのに……
「オクルカ殿による調査でも、一行はザリーツァに留まってないと言うな」
カリオンが言うそれは、オクルカからの連絡だった。カリオンが危惧したのは、聖導教会関係者が持つ銃を使ってザリーツァが蜂起しないか?と言う部分だった。
それについてはオクルカも問題を共有していて、オオカミ王の権限においてザリーツァの主を呼び出して詰問したらしい。ザリーツァ一門の差配であるジグムントは、一切悪びれず言ったそうだ。
―――――天地神明に誓って預かり知らぬ
……と。
そう言うからにはそれ以上追及しないのもマナーなのだから仕方が無い。
だが、そこでオクルカはジグムントから思わぬ事を聞いたそうだ。
―――――先の獅子の国遠征では散々な目にあった
―――――この恨みは晴らさずにはいられない
それは、獅子の国からの帰路で起きたネコと獅子の補助軍による追撃戦だ。
這々の体で逃げ帰ってきたトラとオオカミの連合軍は、壊滅的打撃を受けた。
膂力に勝るトラはともかく、ザリーツァの一団は崩壊一歩前だったらしい。
なぜ助けてくれなかった!と勝手に帰っておきながら抗議されたらしい。
―――――我らに対抗せしむる実力あらば遅れを取らなかった
悔しそうにそう言ったジグムントは、オクルカをジッと見て言ったそうだ。
―――――若き者達の暴走があるやも知れぬ
―――――どうか寛大な処置を……
……と。
「あまり感心できる話じゃねぇな」
遠慮無くそう言い放ったジョニーは、めんどくさそうに茶を啜っての溜息だ。およそザリーツァと言えば子供じみた理論を振りかざす面倒な連中だが、今回に限って言えば一切看過出来ぬ問題だった。
場合によってはオオカミの一団がネコと事を構えるかも知れない。先の一方的な追撃戦で酷い被害を被ったらしいのだ。その恨みを晴らす為に喧嘩を吹っ掛けるくらいの事は想定しておかねばならぬ。だが……
「あぁ、全くだ。こっちの意向に関係なく、向こうがどう取るかこそ重要だ」
情報将校らしい言い回しでアレックスがそんな事言う。
問題は重要で深刻だ。上手く御せねば大事になりかねない。
……もし
そう、あくまで仮にの話だが、もし、オオカミの一団と聖導騎士がネコと戦端を開いた場合、その瞬間からル・ガルは国策として戦を始めたと理解されかねないのだ。
太陽王の意向関係なく勝手に戦を始めたのだとしても、イヌの国が攻めて来たと言う実績が発生してしまうのだ。そしてそれは王府や太陽王の意向に関係なく暴走していきかねない。
「……なんだか極め付けに悪い予感がしますね」
話を聞いていたウォークが普段よりも低い声でそう言った。
こんな時に率直な懸念を示してくれるだけで有能だと誰もが思う能力の一つだ。
「報復戦でもなんでもやって、勝手に滅んでくれねぇかな……」
ボソリとそんな事を漏らしたジョニー。
アレックスも頭を掻きながら言った。
「むしろネコの側に前もって教えとくか。オオカミの一団が報復に行くがこっちは関係無い。お前らの蒔いた種だって」
そんな案にジョニーも『それが良いな』などと賛意を示した。
だが、そこへ危惧を提示するのは、やはりウォークだった。
「銃を持った連中が勝手に行くからなんて言い出したら、散々ぶちのめした後でお前達は国からも見捨てられたぞ!とか言って、ネコに上手く丸め込まれるかも知れませんよ?」
―――――あ……
全員が一斉にウォークを見て指を指した。
ネコへの報復に行ったオオカミが万が一にもネコに取り込まれたら。
力負けして消沈している中、ル・ガルは助けに来ないと言われたら……
「アレックス。少々乱暴でも構わん。早急に見付け出し、先手を打て。場合によってはネコの国に手を出しかねん。そうなった場合、俺の名前で向こうに通告しろ。我々の与り知らぬ事ゆえに関係無いと。だが……最も重要なのは銃の回収だ」
降りかかる火の粉を払う為の先手。だが、そんな攻性のやり方は、手をまずると大変な事になりかねない。国軍や近衛師団と言ったコントロール出来る軍では無い所が暴走しようとしている。それは間違い無く、亡国への最短手だ。
「けどよぉ、先に連絡したら、最初から取り込まれ兼ねねぇぞ?」
ジョニーの示した懸念は、理屈じゃなく直感だ。
過去幾多の戦をこなして来た男の直感は信じるべきだ。
言葉にしないだけで、それはこの執務室にいる全ての総意だ。
「……逆手に取られる方が余程心配です。自分も同意見に」
ウォークも同じ様に懸念を示した。
消えた聖導騎士がオオカミと共に船で移動しているのは間違いないとして、その先の振る舞いは予想が付かない。およそまともとは言い難い集団だけに、何が起きるのか予測がつかないのだ。
「……獅子の国の補助軍を取り込んだ連中だ。返り討ちにはするだろうけどな」
「あぁ、それは間違い無い。だが、獅子の国に銃が流出するのは避けたい」
ジョニーの言葉にそう返したカリオン。
思わず全員が『……あ』と声を漏らした。
「そうだ。そっちの方が問題だ」
うわぁ……と頭を抱えたウォーク。
今日一番の深い溜息をこぼしてジョニーも眉間の皺を深くした。
「勝手に報復に行ったくらいの事なんかどうでも良いな」
焦眉のままに肩を窄め、ジョニーはそんな事を言った。ネコの国へ行きたくば勝手にすれば良い。死のうがどうなろうが、あとは知らぬ存ぜぬだ。だが……
「……そうなんだよ」
何よりの懸念を示しているカリオン。
その耳には、あのノーリの鐘が響いていた。
―――――連中がそれで収まるか?
―――――銃をどうする?
―――――いや……それ以上に……
考えれば考えるほど悪い予感が頭の中をグルグルと回っている。カリオンが最も懸念するのは、オオカミの一団がネコに取り込まれことではない。銃が流出しかねないのだ。それも、ル・ガルより余ほど巨大な国家に。
「何か他に更なる懸念がありますか?」
カリオンの様子に気付いたウォークは確認する様に言った。
だが、当のカリオンはそれで吹っ切れたらしい。
「よろしい……使者を立てる。と言うか、あれだ。アレックス。ちょっとネコの国へ行ってきてくれ」
カリオンが言い出した事に全員が『はぁ?』と抜けた声で返答した。話を聞いていた国軍関係者までもが『正気ですか?』と言い出す始末だ。アレックスは諜報機関に属する人間で、間諜として送り込んだと捉えられかねない。
「もちろんだ。むしろ機密書類を携えていけ。こちらの本気を見せる」
カリオンが切り出したのは、事態をひっくり返す為の妙手だ。ネコの側に間違った情報を流す。それにより大きく事態を動かそうと言う算段。何よりそれは、ネコを出し抜く為の妙手でもある。
「為るほど。ただまぁ、行けと言われれば二つ返事でもちろん行くが……」
全身から勘弁してくれと言わんばかりのオーラを出しているアレックス。
だが、カリオンは涼しい顔で言った。
「護衛は付けん。幾人か工作員を連れて行くと良い。あくまで非公式に……あ、いや――」
顎をさすりながら思案したカリオンは何事かの策謀を巡らせたらしい。
「――ジロウを連れて行け。あれはネコの国生まれなはずだ。彼等の研究成果を見せてやれば喜ぶだろう」
ネコの国の授産施設で産まれたジロウも、今では立派な覚醒者として検非違使で活動している。そんな存在を見せれば、イヌの側にはまだまだ切り札があると思わせられるだろう。
「なるほどな。解った。支度出来次第に出る」
アレックスはそそくさと執務室を出て行った。
その後姿を全員で見送ったあと、誰かがボソリと言った。
―――――間に合うと良いのですが……
得てしてそんな懸念は現実のものになると相場が決まっている。支度を整えたアレックスがジロウを呼び出して合流し、カリオンの命令書を携えて出掛けたのは10日ほど後の事。それから数日経過した日の午後、国軍の通信参謀へ急報が飛び込んで来るのだった。
―――――8月の初頭
「王は! 王は何処に!」
通信班の首席である少佐は書類を抱えて城の中を走っていた。
その手にあるのは走り書きの乱書でしかない長距離通信記録だ。
「陛下でしたら食堂にいらっしゃるはずですよ?」
城詰めの女官がそんな事を言い、通信首席は『忝い』と言いのこして走った。
血相を変えて走るその姿を見れば、誰だって何かが起きたと理解するだろう。
だが、その発生した事態とやらは想像を遙かに超える物だった。
「陛下! 緊急通信に!」
お昼時と言う事もあって、優雅に昼食をして居たカリオン。
ちょうどパンを囓ろうとしていたサンドラも手を止めて視線を送った。
「なんだなんだ。昼時だぞ?」
冗談を飛ばしたカリオンは笑みを添えて書類を受け取った。
そして、その冒頭数行を読んだ段階で溜息をこぼした。
「間に合わなかったか……」
通信の送り主は遠くフィエンの街に居るエゼキエーレで、その中身は事前に予想した通りの事が書かれていた。
――――執務室
「やっぱ間に合わなかったか」
開口第一声に言ったジョニーは、カリオンが広げた報告書を眺めつつ言った。
どこをどう通ったかは知らぬが、ザリーツァと聖導教会の騎士達がフィエンの街にやって来たと言う連絡だ。オオカミの兵士はざっくり五千程だが、新旧様々な銃を持っていると言う。そして……
「問題は……これですな」
ウォークが指差して言ったのは、オオカミ側の戦力だった。
オオカミだけで5千を軽く越える戦力があるのだ。
どう考えてもゴラムスク脱出時点の兵力を上回っている。
つまり、そもそも最初から狙っていたとしか思えないのだ。
そしてそれ以上に問題なのは、オオカミ以外の戦力だった。
「最初から狙っていたとしか思えねぇ……」
吐き捨てる様に言うジョニーは、窓の外を見て溜息をこぼした。
ただそれで事態が解決することはない。
エゼの連絡によれば、オオカミ以外にトラとカモシカがいると言う。
即席であっても連合軍状態となっていた場合、ガルディア全てが巻き込まれる。
「さしあたりエゼに時間を稼げと連絡しろ。オオカミの一行を街から出すなと」
現時点ではこれが最善手だろうし、これしか対処法はない。
アレックスの現在地は不明だが、どんなに急いだところでフィエンの街までまだ少し掛かるだろう。だが……
「陛下。続報です」
申し訳なさそうな顔をしてやって来た通信将校は、清書前の乱書を持ってやって来た。本来なら決して褒められたものではないが、今はそれより情報だ。
「……さて、困ったぞ」
サクッと読んだカリオンは、困った顔でジョニーにそれを見せた。
その報告によれば、引き止めを図ったエゼの思惑も虚しくオオカミの一行は街で水だけ補給し先を急いだとのこと。
―――――敵対的な応対で交渉能わず
―――――彼等の対応非常に悪し
街外れまで見送りに出たエゼキエーレは否応なく追い返されたらしい。
その不手際を詫びているのだが、問題はそこでは無いのだ。
「オオカミの集団はブリテンシュリンゲに向かったらしいな」
深い溜息をこぼしつつそう言ったカリオン。
ジョニーは『ネコの勢力圏だな』とつぶやき、ヒゲを弄りながら思案している。
「あのデブ! 何処に居やがる!」
イライラするジョニーの口からそんな言葉が漏れた。
それを聞いたカリオンは落ち着いて二枚目の報告書をジョニーへと見せた。
「どうやら全ては悪い方へ転がっているな」
怪訝な顔でそれを読んだジョニーは、表情を硬くして言った。
それはアレックスからの報告で、フィエンの街まであと二日と言うものだった。
ジロウは若く体力も旺盛だが、当のアレックスが体力の低下を嘆いていた。
「おぃエディ! 落ち着いてる場合かよ!」
険しい表情ではあるが、それでもカリオンは何処か落ち着いていた。
そんな様子が不思議でたまらないジョニーはだいぶカッカしている状態だ。
「疲れがたまっているのだろう。やむを得ない事だ」
ボリボリと頭を掻いたカリオンは、不意に立ち上がって窓の外を見た。
栄える王都ガルディブルクは午後の昼下がりだ。
「なぁ……」
スッとカリオンの隣に立ったジョニー。
相変わらずカリオンよりも背が高い男は怪訝な表情のまま小声で言った。
「何考えてんだ?」
「いや、かくなる上はジタバタせず成り行きに任せるべきじゃないかと……な」
思わず『はぁ?』とジョニーは応えた。
だが、そのカリオンは腕を組み、彼方を見ながら言った。
「現実問題として、もはや彼等を停める手段は無い。ならば――」
カリオンはジョニーを見上げて続けた。
「――事後の対応に注力するべきだと思わないか?」
起きてしまったことは仕方が無い。
それについて嘆いたり反省するべき時はもう少し先だ。
「注力って……どうすんだ?」
「それだよ。そっちの方が問題が大きい」
カリオンが頭を抱える最大の理由はそこだった。
現状のル・ガルに大規模な戦闘をする余裕は無い。
国内の経済は青息吐息で破綻寸前だ。
「遠征は……出来ねぇよな」
「あぁ。それ故に迎え撃つしか無い。だが、先の国家総動員でそれすら怪しい」
そう。国民全てを動員したかのような侵攻により、もはや国内の様々な箇所が抜本的な改善を図らねばならない所に来ている。しかももうすぐ収穫期だ。ここで農産物の収穫が滞れば、国家財政は一気に破綻しかねない。
「……打つ手無しか」
「そうだ。それ故にまぁ――」
再び外を見たカリオンはもう一度盛大に溜息をこぼして言った。
消え入りそうな小声で、紛れもない本音を。
「――なんとか上手い方向に転がってくれることを祈るしか無い」
それは、ビッグストンで学んだ者には絶対にあり得ないことだった。
希望的観測から都合の良い方へ流れるなど絶対に予測しないよう癖付けられる。
一軍を率いる将校として必須の能力は認識にバイアスを掛けない事だから。
「まぁ大丈夫だろ。なんせ太陽王の運は世界最強だからよ」
カリオンの背中をポンと叩いたジョニーは、そんな軽口を叩いてみせた。
それが痛々しい程の配慮である事など、執務室の全員が認識していた。