聖導教会との戦い 17
~承前
それは、文字通り唐突な呼び出しだった……
「ドレイク卿! ドレイク卿! 大至急戦線本部へ!」
まだ微睡んでいたドリーは、そんな声に叩き起こされた。太陽が出たばかりの外輪山陣地は俄に騒然となっていて、天幕の周辺はガチャガチャと甲冑の当たる音が聞こえていた。
朝一番で盆地へ使者を派遣することになっていたはずだが、何かあったのだろうかとやや不安を覚え、その直後に『吾はスペンサーなり!』と胸に叩き込んで天幕を出た。
「いったいどうしたというのだ」
少々怪訝な表情で野営陣地を出たドリーは、外輪山から盆地の内部が見える所まで進み出て、そこで足を止めてしまった。眼下に見えるゴラムスク盆地の各所から火の手が上がり、凄まじい勢いで煙が立ち上っているのだ。
「誰が焼き働きを始めた!」
怒声と共に大股で進み出たドリーは、眼下に見える街を眺めつつ言った。ゴラムスク各所に赤々と燃えさかる炎は凄まじい勢いで、盆地の住人が右往左往しているのが見える。だが、そんな様子も灰色の煙により遮られつつあった。
「いえ! それが、見張りの観測によりますと教会関係者が自ら火をつけたと!」
思わず『何だと!』と怒鳴っていたドリー。つまりそれは打って出るという意思表示その物だ。街を火災で焼き払ってでも煙を立てて視界を遮る。それにより安全な進路を作っておいて、一斉に飛び出てくるのが常道だ。
「ボルボン隊より伝令! 出撃準備良し! 盆地の東かたへ降りるとの事です!」
スペンサー隊の各隊長が一斉に集まって来て指示を待っている。そんな面々を一瞥したドリーは、用意された馬上鎧を寝間着の上から着込み始めた。普段通りの装備を整えている時間が惜しいのだ。
その合間に差し出された白湯を飲み干し、胃の腑がほんのりと暖かくなるのを感じた。まだ朝飯前と言う事で、急激な運動はハンガーノックにより動けなくなる可能性を孕んでいた。だが……
「我が隊の準備はどうだ!」
ドリーの叫びに凡そ200騎程度の即応隊が反応した。戦力としては心許ないが丸腰よりはマシだろう。ここで逃がしてしまっては話にならない。断然攻撃しか無いし、地の利として斜面を上から攻め降りる方が遙かに有利だ。
「我に続け! 仕度が調わぬ者は準備出来次第に盆地へ降りよ!」
まだ身体の温まっていない馬を上手く乗りこなし、ドリーは僅かな手勢で走り出した。だが、その目に飛び込んでくるのは、信じられない光景ばかりだった。
―――――助けて!
―――――誰か!
何処かから悲鳴が聞こえる。子供の泣く声もだ。教会関係者が盆地で虐殺でも始めたのか?と訝しがったが、どうやらそうでは無いらしい。むしろその方が余程やりやすい状況になっていた。
「後続隊は救援活動に入れ!」
ドリーはこの時点で全てを把握した。
全ては計算尽くの行動だ。
―――――あいつら!
―――――逃げたな!
……そう。
これは全て教会関係者が逃走の為に仕組んだことだ。
国軍ならば国民の保護と支援をするはず。
そんな読みで焼き働きに入ったのだろうし、そう考えるのが自然な流れだ。
街の住人達が必死の消火活動に入っているが、街の中心を流れる川の水量は驚く程にやせ細っている。そんな水をバケツに汲み上げ、僅かばかりの手勢で火を消そうと頑張っているのだ。
「奴らは何処へ行った! 探せ! 探し出して首を刎ねよ!」
怒りに駆られる行動は冷静さを失うもの。だが、スペンサーの一門にそれを要求するのは無理という話だ。すぐさま各隊の隊長クラスが僅かな手勢で各方面へと分散展開し教会関係者の後を追った。
―――――何処へ消えた?
―――――まさか……
ドリーの脳裏に浮かんだのは、あのジダーノフの測量技師が言った言葉だ。ヴォス渓谷には気をつけろと言った老技師は確かに警告を発していた。だが……
「木を隠すなら森の中……か」
ボソリと呟いたドリーの目は盆地の西を捉えた。
グルリと取り囲む山並みの一部が西側の辺りだけ折り重なって見える。
盆地から流れ出る川はヴォス川一本しか無いのだから、脱出路とするならそこしか無いと思われた。しかし、地元の人間が『やめろ』と警告を発するような道へ逃げ出すだろうか?
陽動ならば渓谷へ追撃した時点で奴らは何処かから逃げおおせる。だが、渓谷へ逃げた場合には追跡しないと取り逃す。その難しい判断は、公爵家の看板を背負った決断その物だ。
「ドレイク様。やはり……」
若い騎士が渓谷を指差してそう言うと、ドリーは僅かに首肯して応えた。
疑い出せばきりが無いが、他に考えられるルートも無い。
「それしか考えられん」
盆地を隅々まで探しているが、教会の騎士や聖職者は何処にも居ない。やはり夜陰に乗じ脱出を図ったと考えるのが自然だろう。だが、音も立てずに逃げおおせるとは考えられない。
となると可能性はふたつ。音を殺す魔法などで完全に隠密行動をとったか、盆地の何処かに秘密の拠点があってそこに隠れているか。この場合、聖導教会関係者の総勢を考えると隠れている可能性は低い。
「斥候を出せ! ヴォス渓谷を調査せよ! 瀬踏みを慎重に行い逃走の可能性を探るのだ!」
何らかの手段で連中は逃げ出した。そうとしか考えられないのだから、ヴォス渓谷を調査するのは自然流れだ。だが、直情径行のスペンサー一門は、ボルボン家に任せている東側の可能性を忘れていた。
そしてそれは、致命的なミスの発端でしか無いことをドリーはまだ気が付かないでいた。無意識に手柄争いを始めた己の不明は、外部からの指摘でも無い限り絶対に気が付かないのだった。
――――――同じ頃
盆地の東側。
グルリと取り囲む外輪山の僅かな鞍部に向け、人ひとりがやっと通れるような細い踏み跡が続いていた。盆地から流れ出るヴォス川の渓谷とは異なり、直接オオカミの国へと続く獣道レベルの山道が存在した。
「さぁ、もう一踏ん張りだ! 頑張れ!」
漆黒の体毛をしたオオカミは、笑顔で斜面を登っていく。そもそも高地で生まれ育ち、斜面の登り降りに慣れているオオカミの一門は山に強い。そんな中でもオオカミ5族の筆頭を自称するザリーツァ族は、特にそれを得意としていた。
「オオカミの国はすぐそこだ! 賓客には上席を用意させよう!」
聖導教会の蜂起に参加したザリーツァは、現族長であるベルムントの息子バルバスがやって来ていた。彼等一門の要求は簡単で、要するにオオカミの国における王の座はザリーツァ以外認められないと言うものだ。
それ故に彼等は新しく作る国の中でキャリをイヌの王とし、そんなキャリをも従える統一王としてザリーツァが即位するべきだと真面目な顔で言ってきた。それを聞いたバルバトスは、それなら聖導教会がそれを承認しようと言い出したのだ。
―――――聖導教会を国教会とするのだ
―――――そして国教会が神に変わり即位を承認すれば良い
そこには説得力や論理性など一切介在しない。〇〇だから〇〇なのだと単純に言い切って押し切る事で認めさせるのだ。なにより、民主集中制的な形態として反対意見を述べる場を無くし、単純な上位下達のみを正しいとしてしまえば良い。
数多くの独裁者を生み出してきた共産党的社会制度を宗教という仕組みに組み込んでしまう事で、聖導教会とザリーツァの利害関係が一致を見たのだ。ただし、それが実現される可能性はすこぶる低いのだが……
「まだまだ死ねぬな。新しい時代を見なくては」
「先生には死んでもらっては困ります」
荒い息を吐きながら斜面を登っていく司祭達に混じり、バルバトスとネテスの姿があった。その周囲にはバッハシュタインの跡を取った聖導騎士の首席であるオブデロードの姿があった。
「御両方は神聖ル・ガル帝國の新しい首領なんですからね。死んで貰っては困りますよ。さぁ、手前の背に乗られよ」
老いたネテスを背負い、オブデロードは斜面を登っていく。
それを見ていたバルバスは、やや鼻白んだ様な顔で言った。
「足腰の萎えた者は山の掟に従い郷を出ることになっている。ご老体は是非、足腰を鍛え直されよ」
厳しい環境に生きるザリーツァの社会では、足手まといになる老人を社会からパージするのが当たり前なのかも知れない。儒教的な傾向の強い彼等一門の中で、そんな風習が色濃く残ってるのはある意味で異常だった。
「老いたる者は若き者に知恵と経験を伝えれば良いのだ。次の世代の礎こそ老境の醍醐味よ」
怒る事も無く、ホホホと笑ってネテスはやり過ごしている。その姿に管長エルヴィスを重ね合わせたバルバトスは、何となくだが加齢による心の余裕というものを感じ取っていた。
「さぁ、もうひと頑張りしましょう。先生の荷物は私が持ちます」
肩掛けカバンひとつだったネテスだが、そのカバンをバルバトスが引き取り自らに掛けた。小さな盆地の教練場で身体を作ってきた若者の体躯は引き締まっていて贅肉など殆ど無い。
―――――良く育った……
何となくそんな事を感じたネテスは、言葉にすれば途端に陳腐になる充足感を覚えて涙ぐんだ。人が育つを言う事の醍醐味を味わい、終わりの見えてきた人生の終点に思いを馳せるのだった。だが……
「老いたる者は若き者の手を煩わせるなかれ。それがオオカミの掟です」
バルバスは真顔でそう言いきった。そして、邪魔者は消えろと言わんばかりの態度になりつつあった。だが、それを見ていたバルバトスはふと気が付いた様に表情を変え、やや侮るような態度を取って言った。
「弱きを助けぬ者を王と認めるわけにはいかんな。そなたはそれで良いと思うのだろうが、そなたの国を形作る者全てがそれで良いと思う訳では無い。皆から真なる敬愛を受けるならば、相応の振る舞いと言うものがあろうかと思うが」
遠回しに王の認証を行わぬと告げた形のバルバトス。それを察したバルバスは己の意見が否定されたことに酷く気分を害した。凡そザリーツァの社会において、上位下達は絶対条件なのだ。
だが、そんなバルバスはふと気が付いた。いま目の前に居る男が自分の正当性を担保する存在であると言う事に。そして、尻尾を振っておいて損は無い存在だという部分にも。
「……その通りですね。全てを救済しうる情け深き者で無ければ王は務まらぬと言う事でしょう。さすがは未来の教会管長様はご見識も素晴らしい。ひとつ学ばせて戴きました!」
作り笑顔でそう発したバルバス。佞言は忠に似たりな言葉の通り、歯の浮くような賛辞を付け加えた彼は、次期管長であるバルバトスの歓心を引こうと美辞麗句を並べて褒め称えた。その言葉にバルバトスやネテスは鼻白むのだが……
「偉大なる首領様! 追っ手です!」
ザリーツァの者が盆地を指差して何事かを叫んだ。『何が起きた!』と声音を変えて怒鳴り返したバルバスだが、その双眸が捉えたのは、盆地の中を走っている白毛なイヌの騎士だった。
「どんな手段でも良い! 押し返せ!」
そう指示を飛ばしたバルバス。その直後、盆地から発砲音が響いた。
ただ、下から銃を撃ったところで弾が届くはずも無い。
「なるほど。これは好機ぞ――」
同じく銃声を聞いたバルバトスは、ネテスを背負っていたオブデロードに向かって言った。盆地の彼方を指差しつつ勝者の如き振る舞いで。
「――新式銃を使え! あの公爵を撃ち取るのだ!」
すぐさま聖導騎士達が動き始めた。彼方に見えるのはボルボン家の当主だろう。
あの若い当主を射殺すれば、太陽王は当然の様に慎重に為るはず。
―――――損は無い行動だな……
内心でそんな事を独りごちたバルバトスは、腕を組んで盆地を見下ろした。
勝つのはこっちだ!と、双眸に炎を宿したまま……
―――――盆地内東部
『ディセンド! 奴らは斜面を登ってる!』
ダヴーの急報を聞いたルイは一気に馬を走らせ始めた。あらかた燃え切った西部と違い、東部はまだ激しく延焼している家々が並んでいる状態だ。大方、逃げつつも火付け働きにおよんだのだろうが……
―――――追跡の撹乱か?
常道と言えばそうなのだろうが、それにしたって延焼の勢いが激しい。油でも撒いて火を着けなければこうは為らないはずだ。それに、激しい火災となれば、斜面を登る彼等にも被害が出かねない。
瞬時に様々な事を考えつつも、ルイは燃えさかる家々の隙間を突いて一気に東部の斜面が見える広場へと出た。まるで蟻の行列状態な聖導教会関係者の生き残り達が黙々と斜面を登っているのが見えた。
「ディセンド! 追撃しましょう!」
ボルボン家の若い騎士がそう逸るのだが、戦術の常道として上下に別れた攻守両勢の勝敗は、概ね上側が有利と決まっている。例えそれが逃げる敗軍だったとしても、追撃戦を登り坂で行うのは悪手。
ましてや高性能の銃を持っているのだから、上手を占める側にしてみれば撃ち降ろせば良いのであって射程は恐ろしい程に伸びる。そんな利点を考慮したからこそ彼等は斜面を登る選択をしたのだろう。そして……
「そうか……嵌められた!」
ルイはハッと気が付いた。彼等はこちら側の軍勢を東部へおびき出すためにわざわざ丸見えの斜面を登っているのだ。上側が有利になるのを彼等も承知している筈だから、エサを撒いているのだ。
そして、そんなル・ガル軍に上から銃で攻撃しつつ、後方へは撤退出来ないように街へ火を着けた。激しい延焼により退路となる細い通りは左右が炎の壁になっている。そんなところを馬は通らないし、人が通れば焼け死ぬだろう。
「戦い方は幾らでもあるのですな」
ダヴーの悔しそうな言葉に首肯を返したルイ。
だが、歯軋りしつつも眺めているだけでは済まない。
「あそこまで銃弾は届くか?」
ルイは斜面を指差してそう言った。すぐさま幾人かのボルボン銃兵が銃を取り出し、斜面の彼方へ向かって銃を撃ち始めた。しかし、薬室の密閉度が低い銃では燃焼ガスが逃げてしまい、斜面の半分も行かぬうちにポトリと落ちてしまうのだ。
そして、その反撃というわけでは無いだろうが、今度は聖導教会側から応射が降り注いだ。頭上の遠く彼方で鳴り響いた銃声がやや遅れ、ルイが立っている周囲にパタパタと土煙が上がった。
「……届いているな」
悔しそうにそう漏らしたルイ。だが、次の瞬間にはルイの前に肉の壁が出来た。ボルボン家の騎士達がルイの前に立ちはだかり、銃弾から身を隠す壁になったのだった。
「ディセンド! 身を低く! 危ない!」
中年の騎士がそんな事を叫びつつ、ルイに前から抱きついて増加装甲の役割をした。銃弾の威力は申し分なく、急所に当たれば即死は免れないだろう。そんな状態だと言うのに、ルイは何処か他人事のような空気だ。
「心配ない。王ほどでは無いが自分も運が良い方だ。当たって死ぬ事は――
ルイが笑みを浮かべてそんな事を言っていたその時、ルイに抱きついていた中年騎兵の首筋へ銃弾がヒットした。バチッと鈍い音がして首が半分ほどえぐれたようになり、騎士は瞬時に絶命してしまった。
「アッ! アラン! しっかりしろ! アラン!」
ルイは必死で呼び掛けるが、アランと呼ばれた中年の騎士は全く反応することが無かった。打ち降ろしの銃撃がどれ程威力を持つのか。その実力をル・ガル銃騎兵達が初めて体感した。
エリクサーも回復魔法も使うまもなく絶命する必殺の武器。その威力を味わう立場になった時、ルイは今までの戦い方が通用しなくなったのだと痛感した。
「全員身を伏せて遮蔽物に入れ! 後続隊は迂回路を探せ! 上を取らねばならぬのだ! 水平射撃出来る場所を探して応射せよ!」
ここで砲があれば一発で局面は変わる筈。だが、その肝心の野砲はジダーノフの本拠地であるウラジーヴィルに置いてある2門だけ。しかもその移動をするには手が足りないはず。
機動力無き野砲など追撃戦をこなせる筈が無い。となれば、出来る事はただひとつだ。気合と根性と自己犠牲の精神だ。そしてもう一つ……
「勇気ある者は俺に続け! 囮の役だ!」
スクッと立ち上がったルイは、アランが持っていた盾を手に取ると顔を隠すようにして歩き始めた。再び頭上遙かから銃声がして銃弾が雨のように降ってきた。その銃弾は盾に弾かれて四散するが、心臓に良く無い音を立てていた。
―――――これは……参ったな……
どうにかしたくとも、どうにもならない歯痒さ。
これで散々撃たれた側は、相当悔しかっただろうなと思われた。
ただ、差し当たって重要なのは、敵から十字砲火を受けた際にどう守りどう反撃するかの算段だ。恐らくこれは重要になる。そんな直感を覚えたルイは、防御魔法の研究開始を奏上する文言を考えつつ歩いていた。
「全員断り無く死ぬな! 退路は無い! 前進するぞ!」
ボルボン家の手勢が一斉に応と答える中、ルイは再び彼方を見上げた。
遠い斜面の彼方に、あの次期管長を自称する男がうっすらと見えていた。