聖導教会との戦い 15
~承前
夜明けの光が眩く差し込むガルディブルク城の最上部。
カリオンは優雅に茶など嗜みつつ、ぶ厚い報告書を読んでいた。
「……主力は例の街へ逃げ込んだようだな」
発報者はボルボン家のルイとスペンサー家のドリー。
そしてジダーノフ家情報部だった。
「予定通りですね」
空になったティーカップへお茶を注ぎつつ、ウォークはそんな風に応えた。
報告書はそれぞれが数ページにおよぶ物で、戦闘の詳細な報告はスペンサー家から。全体の流れと聖導教会側の勢力変化はボルボン家から。教会内部の動きについてはジダーノフ家の情報部がまとめていた。
「これで一歩前進だな」
公式にはまだ王は眠っている時間。
だが、夜のウチにまとめられた物を見たウォークは、朝一でそれを提出した。
遠い街で起きている事だが、リアルタイムに届いているかのような状態だった。
「上手く事が運んでくれるなら……重畳ですね」
唐突にそんな声が聞こえ、ウォークは少しばかり居住まいを正した。
王の寝室のすぐ隣。小さな書斎に入って来たのはサンドラだった。
「おはようございます。お茶を?」
「えぇ」
寝起きの温かな飲み物は、それだけでご馳走だ。どれ程に整った環境の寝床であっても、眠っている間に乾燥するもの。起き抜けの身体に染み込むお茶の美味さを味わえるようになったなら、それはきっと大人になったと言う判断ポイントのひとつなのだろう。
「しかし、思った以上にちゃんと動いているな」
カリオンが僅かに懸念を示したのは、ボルボン家が意図的に流出させた銃だ。
いわゆる不良品として廃棄するはずだったものだが、どうやら全てが不良と言う事でもないらしい。新式銃が金属薬莢を持つ高性能な物なのはカリオンだって知っているのだ。
「そうですね。恐らくはルイが頭を抱えていることでしょう」
報告書に書かれた内容を要約すればこうだ。円環陣系で射撃体勢になった聖導教会側へ砲撃を加えた結果、聖導騎士の指揮命令系統は致命的レベルでの被害を発生させたようだ。
だが、その結果として銃兵は混乱状態となり、四散するような形で逃げ出した。彼等は各々が己の信条を拠り所に北府から練兵場のあるゴラムスクへと逃亡を図ったらしい。
スペンサー家の騎兵が追撃したのだが、今度は逃亡を諦めた者から足を止めて全滅覚悟の抵抗拠点となったらしい。結果、スペンサー家騎兵は追撃しきることが出来ず、銃兵の半分以上がゴラムスクへと逃げ込んだ形になった。
しかもその抵抗拠点となったポイントでは銃がちゃんと動作し、薬室破裂や銃身亀裂せずに手持ち銃弾を撃ちつくしたらしい。結果、少なからぬ被害を生んでいるようだ。
「無理して回収に動くなと伝えておこう」
「そうですね。無駄な犠牲を生む必用はありません」
どうせ碌には使えまい。そんな意図で流出させた筈だが、その新式銃は予想以上に丈夫だった。ボルボン家のルイは家名にかけて取り返すと報告してきたが、その為にはハリネズミのような状態のゴラムスクへ行かねばならない。
「数に頼んですり潰すのが賢明だな」
己の目が届く範囲での戦闘であればともかく、彼方の地で起きている戦いでは死者の数も単なるデータに過ぎない。為政者の宿痾として、その数が僅かでも減るなら安易な道を選んでしまうケースが多い。
必用な結果を得る為に犠牲を顧みぬ苛烈な命を下す。それもまた支配者には必要な能力であると君主論は説いているし、士官学校などでも繰り返し教え込まれる重要な事だ。
だが、カリオンという人間はそれらを飛び越し『全ての国民』を想ってしまう癖があった。ここでは冷徹な判断を見せ、犠牲を顧みずに結果を求めるのが良君の条件とも言えるのだが……
「……逃亡を抑えねば為りませんね」
サンドラへ2杯目のお茶をサーブしたウォークは、空になったポットをテーブルの下へとおろし、暗にお茶は終わりだと王夫妻へと告げた。だが、同時にその口から出た言葉は、怜悧な官僚の長としての視点だった。
「それは何故?」
柔らかな言葉でそう言ったサンドラ。
ウォークはお茶のワゴンに乗っていたお茶道具をサッと片付け、持ち帰る体勢になってから言った。
「新式銃がちゃんと機能するのであれば、他国への流出を警戒せねば為りません」
―――――あ……
サンドラもその表情をスッと硬くさせた。
そう。ここが大事なところだ。
犠牲は生みたくないが最新鋭の兵器を流出させて良い訳でも無い。
従来の銃を大きく越える性能と安定性を狙った新兵器なのだ。
「……アッバース家の歩兵を動員し、あの街を完全包囲しよう。その上で逃亡逃散を防ぎ、同時に圧力を掛けて投降を促そう」
カリオンの方針は決まった。少々手緩いのかも知れないが、現時点での一手としては悪くないはずだった。小さな盆地でしかないゴラムスクを包囲するのは容易い筈だが、果たすべき目標は少々難しい。
「投降せぬ場合はどうされますか? ひと思いに鏖殺されますか?」
何かを確かめる様にウォークがそう言い放った。
皆殺しにしてしまうのもやむを得ない……と、そんな冷徹な決断だ。
「基本的にはあの戦力が惜しい。だが、抵抗するならやむを得ない」
ウーン……と唸りつつも僅かに残ったお茶を手鍋で温め、カリオンはそれを一息で飲みきってからひとつ溜息を吐いて続けた。誰かが決断せねばならない事なのだから、それを行うのがカリオンの仕事だ。
「聖導教会の抵抗勢力全てをすり潰す。その旨、ドリー達に指示を出してくれ」
カリオンの言葉に首肯を返し、『承りました。では、朝食の仕度に』とウォークが部屋を出て行く。その背を見送ったカリオンは、消え入りそうな声でポツリと呟いた。
「……ままならぬものだな」
と……
―――――同じ頃
小さな盆地でしか無いゴラムスクの街。
その中心部にそびえる教会は、高い尖塔を持つ立派なものだった。そんな教会が見える高台の上にル・ガル陣営の首脳が揃っていた。彼等は皆一様に硬い表情で、善後策について検討していた。
「あの銃はまともに機能しない筈だったが……慮外も慮外だな」
ため息混じりにそう零したルイ。
思い咳が僅かに溢れ、想定外の事態に直面している難しさを全員が感じていた。
だが、その核心は敵の銃の威力では無い。ル・ガルという国家が持っていた切り札中の切り札である最新兵器が他国に流出する危険性を考慮していたのだ。
「機能する以上はなんとかせねばならんな。事に獅子の国にでも流出しようものなら、我が国は存亡の危機に直面する」
ドリーの放った厳しい言葉にルイは総毛立った。例の銃がどれ程の威力なのかは身に沁みてわかっている。至近距離から撃ち抜かれればエリクサーを使う前に絶命するだろう。
「その為には……いや、いっそ街の全てを焼き払ってしまいましょうか」
ルイが何を省略したのかは言うまでも無い事だ。冷静に考えれば誰だってわかるもの。数々の諸問題を根本的に解決するならば、最も手取り早い手段は一つしか無いのだから。
「王もそれを検討されたはずだ。だが、ここに至るまでにそれをされていないのだから……」
切歯扼腕するようにドリーがそう言うと、ルイはスペンサー家を預かる男の狂信ぶりを再確認した。この男は、ドレイクという男は仮に王がそれを指示した場合、全員鏖殺せよと命じた場合には眉ひとつ動かさず実行するのだと思った。
「その件ですが、王府よりこれが」
情報将校としてやって来たアレックスが書類を差し出すと、ドリーはルイを呼び寄せてから並んで読んだ。この凍峰種の男がカリオン王と同期同窓のビッグストンOBで、尚且つ王の信頼も篤いのをドリーも知っていた。
「……これは」
王からの指示として送られた内容にルイが険しい表情となった。
同じようにドリーもまた表情を硬くしている。
「御両方と同じく、王も懸念されていると言う事ですね」
怜悧な事務官僚としての物言いに徹したアレックス。
だが、実は書面の内容はカリオンの思考を忖度した彼のスタンドプレーだった。
「街の包囲を厳重にし、銃の流出に警戒せよ。増援を検討するのでしばし待て」
抑揚の無い声で言い放ったドリー。
それは、ドリーが感じた違和感その物だった。
「アレックス卿。これは……王府の誰が発信したのだろう?」
理屈では無く直感としてドリーは確信していた。これは王の命では無い……と、なんの根拠も無いが、それでも確信したのだ。
カリオン王であればもう少し……いや、全く同じ文言であっても心の何処かに響く様な感触があるはず。だが、この通達にはそれが全くないのだ。
―――――謀られている
現時点におけるル・ガル首脳陣の殆どは、例のキツネの存在を認識している。
そして同時に、最大限の注意と警戒を払っている。言うまでも無く謀られないようにする為の努力だ。
およそキツネという種族は、相手をペテンに掛けるならば何人たりとも敵わないだろう。ましてや直情径行の傾向が強いイヌなど、簡単に騙されてしまう。イヌが手を焼くネコですらも赤子の手を捻るような有様だ。
――――…………キツネには敵わない
多くのイヌの認識として、キツネに対しては不断の警戒を要するのだ。
そしてそれ故に、ガルディブルクから来たらしい連絡に、それを感じていた。
「それは解りません。なんせ光通信を文字に起こしたものなので。城に戻った時に確認されるのがよろしいでしょう」
アレックスはいつもの人懐こい笑みを浮かべてそう言うと、『では』と一言断って首脳陣が揃う席を離れた。その背を見送ったドリーは心の何処かで妬心が疼くのを感じたのだが、それを押し殺して書類を全員に見せた。
「王では無く城からだな。王の体裁を取っているが王では無いと思う」
ドリーははっきりとそう言いきり、全員が回し読みする書類の真相を考えた。少なくとも王では無い。王ならばもっと具体的な対策や指示を出すだろう。では誰の指示なのか。ドリーに取ってそれが重要なのだ。
―――――王以外の命でなど動くものか!
太陽王に狂信する男の本音。
それが仇になる可能性も多々あるが、それで死んだなら本望。
モーガン・ドレイク・スペンサーと言う男は、心の底からそう思っていた。
「いずれにせよ街の包囲が重要になりますね。数日は様子を見ましょう」
ルイがそう提案し、方針会議はお開きとなった。各軍団の長が三々五々と各々の隊へ帰っていく中、ドリーは空を見上げて太陽の温もりを味わった。その胸に去来する思いは、漢に惚れた漢の誤魔化しきれない嫉妬だった……
―――――ゴラムスク中心部
「ネテス先生。どうするべきでしょうか……」
すっかり弱り切ったバルバトスは憔悴し切った表情でそう呟いた。練兵場を臨む大講堂のなか、彼はゴラムスク地形図を前に意気消沈している。座学施設として機能している大講堂だが、有事の際には作戦室になるのだ。
「儂にそれを聞いてどうする。お主は次の管長ぞ」
突き放すようにそう言うネテスだが、表情は柔和だった。人の成長には成功体験が欠かせないと言うが、その裏には失敗経験がある。成長では無く学びに必要なのは、成功では無く失敗の方だ。
迷い、悩み、戸惑い、追い込まれる。
決して逃げられない責任と言う名の軛を背負い、頂点は決断せねばならない。
それ故に頂点は孤独で他人に意見を求めてしまう。責任から逃げる様に。
「……そうですね――」
目の前で爆散したバッハシュタインが最後に何を言おうとしたのか。
バルバトスはそれが気になっていた。だが、今はそれを考えるべきではない。
「――始めた以上は終わらせろ。先生の指導は一貫されてました」
ネテスが皆に教えた最も重要なこと。
それはつまり、最後まで責任もって事に当たれと言う事だ。
重大な局面となった時、責任を取って辞任などと言うのは敵前逃亡そのもの。ちゃんと後始末をし、後腐れなく職を辞すると言うのが最も正しいと説いた。それ故か、バルバトスは奥歯を噛んで現実を受け入れるしかなかった。
「投降するなら寛大な処置もあろう。改めて忠誠を誓えばよい。意地を張り通すなら協応する者も居よう。徹底抗戦した上で、己の大義に殉じればよい。いずれにせよ大事なのは、中途半端な事はするな。賽は投げられたのだからな」
後になってからやらなきゃ良かった等と腑抜けた事を言いだすようでは困る。
多くの部下を使う立場になるのであれば、求められる能力は単純化される。
つまり、『明確な責任の所在』『明瞭な目的と必要な結果』のふたつだ。
「……この場合ですと、必要なのは主導権ですね」
バルバトスは改めて地形図を精査精読した。
ゴラムスクを囲む丘の上には各所にル・ガル各軍団の軍旗が翻っている。
物見の報告では、総勢で3万騎を超えるスペンサー家が最大勢力らしい。
「ル・ガルと言う国家を少し甘く見ていました」
実際問題、派遣軍はスペンサー家だけではない。ボルボン家からも2万騎が来ていて、アリの這い出る隙間もないとの事だ。更には北府ウラジーヴィルからジダーノフ家の戦力も到着済み。総戦力実に7万を越え8万と言う数字が見えている。
「自らの認識の甘さを恥じ入るより他ありません。先ずは戦力の維持ですが……」
ブツブツと言いながら、バルバトスは善後策を真剣に検討し始めた。まずは聖導教会の戦力をこれ以上すり潰すのは得策ではない。今後何らかの事態で自衛を求められた場合に困るからだ。
だが、この手から戦力がすり抜けていくのも歓迎しない事態だ。抵抗する為の手段を手にしたままでなければ舐められる。こちらの言い分をある程度押し通す為には戦力も必要だ。
「投降も有りえますが、無条件での降伏などありえません。こちらの言い分を向こうに伝え、我らが名誉を持ったままで無くば」
子供の我儘と言えばその通りなのだろう。
だが、最終的に必要なのはメンツとプライドだ。
「ならばどうするのだ?」
ネテスは柔らかな声で言った。決断を促すように。バルバトスの父として教え導いてきた男の言葉は、あくまで穏やかだった。だが……
「街を出ましょう」
思わず『はっ?』と聞き返したネテス。その余りに飛躍した論理に理解力が追い付かなかった。戦闘を回避し、素直に頭を下げようと思っていたネテスは言葉が無かった。
「切り札はこちらが持っています。必要なのは主導権です。太陽王の指導力が余りに大きすぎて私には対処が難しい事をよく理解しました。ですが、だからと言って易々とこの命まで差し出すつもりはありません――」
地図から顔を上げたバルバトスはまじめな顔になって言った。
「――ここ。ここです。この街の中にある唯一の脱出路。ここにはル・ガル各軍も展開していません。ヴォス渓谷。この盆地から流れ出る小さな川の削った渓谷は左右を断崖に囲まれ馬は入れません。川床は濁流に削られ平らなものです」
ゴラムスク盆地から流れ出るヴォス川の削った谷。
ヴォス渓谷は左右が切り立った崖になっていて、まともな道も無い所だった。
「……しかし、どうやって?」
ネテスがそれを問うと、バルバトスは少し笑みを浮かべて言った。
「まず、夜陰に乗じ兵を逃がします。逃げた兵は渓谷を抜け、ヴォス川が広がったところに防衛陣地を作ります。私が囮となってル・ガル軍を盆地に突入させ、それと同時に渓谷へ逃げます――」
バルバトスの作戦説明にネテスは僅かな相槌を打つだけで聞きに徹した。
圧倒的な戦力を相手にした合戦など全く経験が無い事だからだ。
「――馬で走って来るでしょうが、あの川床は苔で滑りますから馬は走れません。渓谷を抜けた所で十字砲火を浴びせて撃退します。兵の命を尊ぶ太陽王ならば、100人200人と死傷者が出た時点で追撃を止めるでしょう。そこで降伏します」
なんとも手前味噌で自分勝手な物言いだ。
だが、ある意味では一番成功の確率が高いかもしれない。
「おぬしが逃げ切った時点でため池の水門を破壊してしまっても良いな」
「それは良いですね! 渓谷に入ったル・ガル軍を水攻めに出来ます」
ネテスの思わぬ提案にバルバトスは尻尾を振って喜んだ。
ただ、それをするには盆地に誰かが残る必要があるのだ。
「よろしい。ならば儂がここに残ろう。そして、ル・ガル軍が渓谷に入った時点で水門を開ける。押し出された者たちに銃撃を浴びせ、弱ったところで講和せよ」
起死回生の一手は思わぬ形で導き出された鬼手となった。このままむざむざと殺されるくらいなら、抵抗を選ぶのもやむを得ない。だが、そんな仕事でネテスを失うのは、バルバトスには出来ない相談だ。
「……いえ、逆にしましょう。今思いつきました。先生は渓谷を抜けた先で迎撃側に回ってください。私はここで水門に火薬を仕掛けてル・ガル軍を脅します。ここで爆破させれば大半が死ぬぞ?と」
銃の火薬に発火魔法を掛けられるなら、爆薬に発火させるのも容易い。
追撃の為に渓谷へ入った騎兵の命を人質に投降を認めさせればいいのだ。
「なるほど。では、上手く行くよう主に祈りを捧げよう」
ネテスはバルバトスの背を押して聖堂へと向かった。小さな聖堂だが、バルバトスにとっては幼い頃より何度も祈りの時間を費やしてきた心の拠り所だった。