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フィオの後悔

 眩い光が降り注ぐフィェンの街。

 その一角に建つ石積の重厚なビルは、クワトロ商会とならびコングロリマットを形成するバルボア商会の本拠だった。

 現在のフィェンの街ではクワトロ商会を凌ぐ巨大企業に成長していて、アングラ産業だけではなく正業も手広く手掛ける複合企業になりつつあった。


「よぉ! エゼ なんでもエラい災難らしいじゃないか」


 バルボア商会の会頭はニヤツく下卑た笑みを浮かべていた。


「まさかとはおもうが。ニール、おまえさんのたれ込みじゃないだろうね」


 エゼキエーレからニールと呼ばれた男。

 バルボア商会の会頭はフリオニールと名乗っていた。

 ネコの商会の慣例として恐らく本名ではなかろうが、本人かそう名乗っているならそれが名前である。故に、皆はニールと呼んでいる。


「人聞きの悪い事は言いなさんな。君を売って何の得が有るんだい。同じ街の同じような商売じゃないか。地域の発展を阻害しては、事業拡大に差し障りがあるだろう?」


 歯の浮くような偽善でも、地域として見た場合は話しは別だ。

 街道沿いにある街は、それぞれが特色を出して旅人の囲い込みを進めている。

 飯の美味い街。歌劇や演劇でエンターテイメントを売り物にしている街。

 様々なモノや人が集まる、情報と物資の集積地となっている街もある。


 そしてここ、フィエンゲンツェルブッハは、酒と博打と風俗の街だった。

 当然のように無頼と遊び人とアングラ産業に従事する者が集まる街。

 血と暴力と弱い者の涙で潤う街。その存在は決して好もしいモノではない。

 

 だが、あまりに皮肉な事に、栄えれば栄えるほど税収は莫大になる。

 貧しいネコの国にしてみれば、喉から手が出るほど欲しい現金だ。

 本来は不正や不法を取り締まる官吏も、半ば黙認せざるを得ない。


「しかしだな。ここへ来て急に風向きが変わったのはどういう事なんだ?」


 同業他社と仲が悪いというのは、実際外野の勝手な思い込みと言うケースが多い。

 現実問題として考えると、他社とも上手く折り合いをつけて共存共栄が一番良い。

 地域独占と言うのはある意味で魅力ではあるが、必ず最後には腐って落ちる。

 適正な競争が行われない産業は、必ず滅んでいくのだ。


 故に、エゼキエーレはフリオニールとは敵対しない事を選んでいた。

 そしてその方針はフリオニールだけでなく、他の商会にも同じ方針だった。


「私も詳しくは知らないが、国軍はル・ガルに一泡吹かそうって頑張ってるそうだ」

「イヌにか?」

「あぁ。手の者の話では、全く新しい戦術となんちゃらで、イヌの騎兵を……」


 後は良く知らないというジェスチャーのニール。

 エゼは露骨に不機嫌になった。


「そんな事でウチは槍玉に挙げられているのか……」


 数日前の査察でクワトロ商会は、街の管理官から死刑宣告にも等しい通達を受けた。

 営業の形態がどうであれ、その実態は組織売春であると指摘されたのだ。

 そして、徴税の形態は一般事業社向けの比較的ゆるい段階課税が取り消された。


 官吏の通達は問答無用だ。コレに関しては一切の異議申し立てが出来ない。

 同業他社と同じように、クワトロ商会の申告分も当年度内徴税分より、風俗産業向けの一律課税となってしまった。

 しかも困った事に、過去へ遡って昨年分の追徴課税を言い渡されてしまった。本来であれば過去遡及による追徴の場合は一定の減免を認められるのだが、性風俗産業と言う事でそれが認められず、一括での支払いを求められてしまった。


 その額。実に三万トゥン……

 クワトロ商会全体の年商が表向きは約五万トゥンなのだから、驚天動地の数字だ。


 だが、同業他社にしてみれば、その措置はある意味で当然だった。

 少なくとも完全に法に則り基準どおりの納税をしていた所にしてみれば、クワトロ商会が公然と脱税していた事になる。それでは適正な競争とは呼べず、一方的に負ける事になる。

 この二十年ほどで急成長してきたエゼの仕事振りは大したモノである。

 だが、キャッシュフローと言う面で見た場合は、明らかに『ズル』だった。


「まぁ、エゼの所もコレを機に、しっかりとした企業として脱皮をだな」


 相変わらずニヤニヤと笑うニール。

 誰のどんな差し金であったかを、エゼは理解した。

 少なくともニールたちが言う事は、もっともな部分も多い。

 いつまでも脱税状態でやっていくのは無理があったのだ。


「それに、その程度の金額で傾くような安い仕事は、エゼもしていないだろ?」


 プライドに砂を掛けるように嗾けられたエゼ。

 精一杯の余裕風を吹かせて、ウンと頷いたのだが……


 ハッと気が付いてエゼはニールを睨み付けた。

 琴莉の件でここ数日、エゼに接触してきている男が居た。

 店に立たない女であれば、水揚げ代を払うから。

 そんな言葉だった。


「フリオニール。私はあなたとはよき友人で居たいと思う」

「それは同感だね。私もだよエゼキオーレ。才覚のある人間は好きだ」

「友人と言う間柄では、やはり隠し事は良くないと思うんだが、どうだろう」

「それも同感だ。同じ業界なのだ。包み隠さず話をするのが望ましい」

「では、一つ伺いたい」

「私に答えられることならば、なんでも承ろう」


 エゼの目がまるで顔に線を引いたように細くなった。

 しかし、その僅かしかない隙間から見える目には、明確な殺意があった。


「私が大事にしている娘を買いたいと言う男が居るんだが……」

「ほぉ」


 すっ(とぼ)けたような口調でニールは笑った。

 その瞬間。部屋の中に僅かな衝撃波が生まれた。

 部屋の隅に向かってぺっと何かを吐き出した。

 固い床に何かが転がり、カラカラと乾いた音を立てていた。


 エゼの口の中から、歯が一つ消えていた。


「何事もうまく立ち回らなければならない。複数の事象を組み合わせ必要な結果を得るために最短の手を打つ。誰かが泣く事になり、誰かの寝覚めが若干気悪いモノになるかもしれないが、全体としては上手く回る。だから、その者に最大限の感謝と補償をしようじゃないかね」


 ニールの鋭い目がエゼの視線と闘っていた。

 火花の飛び散るような鋭い視線だ。


「つまり、全てはあなたの手の上と言うことか?」

「全てと言い切るにはいささか心許無い気がするがね。少なくともこの街は安泰だ」

「この街?」


 テーブルに乗っていたお茶を一口飲んでから、ニールは再びエゼを見た。

 打ち据えるような鋭い眼差しだった。


「あぁ。徴税官吏が命じられたこの街からの臨時徴収は五万トゥン。そのうち三万を君のところが持つ。それによって君の商会はネコの国でも指折りの実力を認められるだけでなく、この街の中での公平な競争が促進される。また、夜の闇に舞う女たちも、公平な扱いに溜飲を下げるだろう。酷い話だが、全体として見ればそれほど悪い話ではないだろうし、君の所だっておおっぴらに出来ない金もあるだろう。そこをうまく使えば困った問題はいっぺんに解決できる上に……」


 ニールの笑みに明らかな勝利者の色が混じった。

 エゼの口の中に鉄の味が広がった。


()()()にご執心な誰かの願いが叶うにしても振られるにしても、いずれにせよ大手を振った理由付けになるだろうサ。手は二本。荷物は三つ。どれを持つのか、しっかりと考えたほうが良いんじゃないかと私は思う。よき友人とでありたいと願う私からの、まぁ、助け舟だな」


 その後もなにやら手前味噌な言葉を延々と並べていたニール。

 エゼとて経営と言う側面を知っているのだ。表立ってあれこれ反対する訳ではない。

 しかし、誰かの手の上で転がされていると言う事実だけがとにかく不快だった。


 いつの間にかお開きとなった定例懇親会を離れ、馬車の中で苛立たしげに爪を磨く。

 心が落ち着かないときはこれをやって心を整えるのがエゼのやり方だった。

 明らかに不機嫌にゆれる髭をいじり、エゼは遠くを見る。


「旦那様。こんな事で口を挟むのは不調法ですが」

「あぁ。なんだ。言ってみろ」

「アチェはヒトです」

「そうだ」

「ヒトにはヒトの分ってもんがあるんじゃないでしょうか」


 御者台で手綱を握っていたリベラは、きわどい事を言い出した。


「旦那がアチェを気に入ってらっしゃるのは良く分かりやすが」

「あの娘はきっとニオの生まれ変わりだよ。だからね」

「ですが、旦那。アチェ絡みで上手く回ってないのは……」


 迷惑だとリベラトーレは言いたいのだと。

 エゼはそう気が付いた。


「お前にも……面倒かけるな」


 ボソリと呟いたエゼ。

 だが、リベラは馬車を止めた。


「旦那…… 旦那が弱気でどうするんですか」

「リベラ。もし、もしの話だ。アチェ絡みで私に何かあったとしても、お前は私をうっちゃっておくんだよ。決して深入りするな。無理に片付けようともするな」

「ですが…… ですが……」


 リベラは御者台に乗ったまま空を見上げた。

 僅かに震える背中をエゼが見ていた。


「したっけ旦那。あっしは箸の上げ下ろしから旦那に教えていただきました。うちのもんはみんな旦那のお陰で生きていられます。だけど……」

「リベラ。夜の営業が始まってしまう。店に急げ」

「……へい」


 再び馬車は動き出し、エゼとリベラは黙りこくってしまった。

 あれこれと思考をめぐらせるエゼ。その心配の種は、全部アチェ(琴莉)だ。


 ――――あの()も首輪付きにしてしまうのか?

 ――――何とか護る方法は無いか……


 出口の見えない堂々巡りに苦しむエゼ。

 だが、そんな思考は遠くから聞こえる喧騒でかき消された。

 クワトロ商会の前に、不思議な人だかりが黒山に出来ていた。

 そこからは女たちの怒声と男たちの歓声が沸きあがっていた。


 首をかしげたエゼはしばらく手前に馬車を止めさせ、自分の足で歩き出した。

 人を掻き分け進んでみれば、黒いマントの街の役人が店の前に居たのだった。

 丸められた羊皮紙を見せ、何かを通達していた。


「いきなりそんな事言われたって困るんだよ!」

「ですが、決まった事は決まったことだ。従わないんならそれも自由だ」

「大体おかしいじゃないか!」


 ヒートアップしているのはエリーとフィオ。そのほかにも居るクワトロの女たち。

 その向かいでは街の役人が通達を丸めた羊皮紙を持って立っていた。


「何かあったのかね?」


 出来る限り紳士を装ったエゼが事情を尋ねた。


「どうもこうも無いですよ!」


 エリーの手がびしっと効果音でも出るかのような勢いで役人をさした。

 同時に、怒り心頭な声で喚くのだった。


「このお役人さんはあたしらを石ころかなんかと勘違いしてるんですよ!」


 エリーの声に促され、エゼの目がこれ以上無いくらい冷たい眼差しで役人を見た。

 その視線があまりに冷え冷えとして、しかも恐ろしいまでの眼力なのだ。

 役人もさすがに気圧されていた。


「さて、お話を承りましょうか」

「おぉ、やっと落ち着いて話が出来ますね。ありがたい」


 役人はエゼの目を気にする事無く羊皮紙を広げて読み上げ始めた。


「フィエン町管理官はクワトロ商会の店舗営業実態が娼館であると断定し、以下の件についてクワトロ商会に対し改善を命ずる――


 その一言に薄目だったエゼの眼がクワッと開かれた。


 ―――― 一つ。在籍する全ての女は娼婦を示す首飾りを常時着用すること。

 ―――― 一つ。いかなる理由があろうと例外は認めない。公平、公正であること。

 ―――― 一つ。街の条例と国の法を遵守し、いかなる女もそれに従うこと。

 ―――― 一つ。首飾りをするものは街の条例に従うこと。


 ――以上になります。何か質問はございますかな?」


 音吐朗々と読み上げた役人は、勝ち誇ったような笑みを浮かべエゼを見た。

 引きつった笑みを浮かべるエゼは、僅かに笑いかけていた。


「いえ、特にはございません」

「では、引き続き首飾りの登録を行いたいと思いますが?」

「そうですか。ではその様にいたしましょう」

「話が早くて助かりますな」


 ホッホッホとけったいな笑いを漏らした役人たち。


「では、事前調査にあった三十六名全員をお願いできますかな」

「おや? それはおかしいですぞ? うちに居る女は全部で三十五人な筈だ」

「いえいえ。先日の査察では全部で三十六人となっておりましたが?」


 エゼの眼がエリーとフィオを見た。

 その眼は怒り心頭といった様子だが、一緒に並んで立つフィオは溜息を漏らした。

 足りない者が誰をさすのか。火を見るより明らかだった。


「あたしのやり方が間違っていたのね」


 もう一度溜息をこぼしたフィオ。

 その隣に立っていたエリーは、突然喚き始めた。


「全く男って奴は!自分のメンツやら都合でいつもいつも女を振り回して、あんたには人の心ってもんが無いのかよ!戦をすんのに金が欲しいってんなら、街を歩いてる人間からも巻き上げろ!いつもいつも弱いところにばっかり押し付けてお前らはいつも知らん振りだ!少しは申し訳ないとか言ってみたらどうなん……


 怒りに任せて喚いていたエリーの頬をエゼキオーレが叩いた。

 驚いてエゼを見たエリーとフィオ。


 だが、顔の毛に埋もれるほど細くなった眼にギラギラと殺意を漲らせたエゼは、全身の毛を逆立たせた状態で――笑っていた。

 その姿にエゼの裏の顔を知るもの達は、みな顔を引きつらせて息を飲み込んだ。


「エリーゼ。フィオもだ。役人様の手を煩わせるのも申し訳ない。大至急準備をしなさい。十五分ほどで終わらせるんだ。良いね」


 慌てて準備に走っていったクワトロの女たちを見送った後、エゼは馬車のところに居たリベラを呼び寄せる。


「リベラ。ちょっと面倒を掛けるがね、登録の書類を作ったお役人さんをね、役場まで送って差し上げてくれ。で、あぁ、そうだ。一人で行くのも手間だし、何人か見繕って連れて行くと良い。()()()()()()()()()()()()んだ。いいね」


 リベラは胸に手を当て、黙って頭を下げた。その姿にウンウンと頷いたエゼ。

 レストランから冷たいものが届いて、エゼは役人と喉を潤す。

 ややあって、クワトロの女たちが見事な首飾りをして建物を出てきた。

 

 役人たちは道具を取り出し、その女たちが首に巻く飾りへ一枚ずつ小さな鑑札を止めていった。宝飾の職人が丁寧に仕上げたモノだ。決して安いものじゃない。その首飾りのストラップを止めるカプラーの部分を左右から挟み込んで取れないようにしてしまう。

 つまり、街の役人に登録を受けた以上は、その鑑札を外すまで娼婦だと自らに宣言する身分証明書のようなものだった。


 役人はクワトロの女たち一人一人に鑑札をはめ込み、人相や種族、名前と故郷。体毛の色を鑑札番号と一緒な記録している。

 その人数も三十五人まできた。次が最後だ。集まった男たちはみんな期待していた。最後に出てくるのが琴莉だと言うことに。


 だが。


「え?」


 皆、とにかく息をのんだ。最後に出てきたのはフィオだった。社長の妻も娼婦であると、自らに宣言したのだった。

 応対に困ったのは役人だ。だが。誰よりも豪華な首飾りを巻き付けたフィオは、澄ました顔で役人の前に座った。


「あら、娼婦は年齢制限ありましたかしら?」

「いえいえ、そのような事は」

「私は主人の内証ですもの。それとも、なにか問題が?」


 二の句を付けず困った役人。

 だが、その一部始終を見ていたエゼは、牙をむくような渋い声音で脅しつけた。


「するのかしないのか、ハッキリしろい」


 役人はついに観念して、フィオの首飾りに鑑札を付けた。

 どこからか舌打ちが聞こえ、リベラがその音の主を探した。


「これで仕舞だな?」

「は?」

「これでおしまいだと言ってるんだ」


 明らかにエゼキエーレの空気が違った。

 役人は生きた心地なく、静かに頷き立ち上がった。

 その周りにリベラ達が立っている。

 役人はもはや生きて家に帰れないことを悟った。


「家族に一筆送りたいのだが」

「ここの女たちだって唐突に人間であることを否定されたのだ。一筆入れる間など有るわけ無かろう」


 エゼは手荒に役人達を馬車へ押し込んだ。

 そのまま、リベラ率いる数人のクワトロの男たちと共に何処かへ走り去る。

 女たちの恨みがましい目に送り出され、馬車は曲がり角の向こうへ消えた。


「さてさて、ご常連の皆様方。少々困った事態ではございますが、今後ともご贔屓の程。よろしくお願い申しあげます。なお、本日はレストランのみの営業でございます。申し訳ございませんが、どうぞご理解賜りますよう、よろしくお願い申しあげます」


 深々と頭を下げたエゼキエーレ。

 女たちはエゼの口上に併せ、同じように深々と頭を下げた。

 そして今宵は客を取れない事を知る。


 だが、全身の毛を怒りに逆立たせ、今にも暴れ出しそうなエゼに向かって文句を言える剛の者はいなかった。

 勿論、客の側にも琴莉の事を聞こうとする者など居なかった。

 様々な軋轢と戦ってきたエゼキエーレに取っても、一世一代の大勝負が始まろうとしていた。


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