聖導教会との戦い 11
「本当にこっちで良いのか?」
ブンブンと羽音を立てて飛び交う夏虫達を手で払いつつ、長い角を頭に乗せたカモシカの男が草原を移動していた。その周辺には様々な種族からなる商人の一団が居た。
「間違いありやせんぜ頭目。なんせあのヘビの女は遠見の術を外したことがねぇんですから」
カモシカの男をおかしらと呼んだのは、どうやらウシらしい男だった。
トラやライオン並にでかい身体をしていて、その頭には立派な角があった。
「そうか…… なら、商機だな」
ニヤリと笑ったカモシカの男は、身の丈に近い草の海を掻き分けながら進んでいた。その背中に背負っている巨大なザックからは細長いものが突き出ている。
「しっかり高く売りつけやしょう」
そんな風に応えたウシの男は背筋を伸ばして辺りを見た。カモシカの男よりも頭2つは大きいせいか、周辺観察には有利らしい。その背中には驚く程に大きなザックがあり、その中からは細長い棒状のものが幾つも突き出している。
そして、そのウシの周辺にいた雑多な種族、ヒツジやヤギと思しき面々もまた10か20程度の数で同じものを背負いつつ、下卑た笑いを浮かべていた。草むらにほぼ埋まった状態のまま前進し続けているのだから、周辺警戒はウシの役目だ。
「……頭目。足音が聞こえやすぜ」
一団の中で一際背の低い男が声を発した。ウシの男の半分も無い様な背丈だが、それ故に地面の震動をより一層強く感じるのかも知れない。種族としては小柄で華奢だが、いっぱしの商人を気取っているようだ。
「来たか?」
カモシカの頭目がニヤリと笑って耳を澄ませれば、彼方から微かに馬の嘶きが聞こえた。同時にガチャガチャと賑やかな音が聞こえる。どうやらそれは甲冑が馬上でぶつかり合う音らしい。それを聞けば、その集団がどんなものだか想像もつく。
「野郎共急げ! 商機だ!」
けして堅気には見えない商人の一団は急いで草の海を突っ切っていった。そしてそのまま草の海を飛び出したとき、彼等は街道路へと到達した。そんな彼等の前には騎兵の一団が居て、慌てて全体停止の号令が掛かった所だった。
「貴様らは何者だ! 騎兵段列の前に飛び出すとは死にたいのか!」
飛び出すな。騎兵は急に止まれない。
この世界に暮らす者ならば誰だって知っている常識だ。
重量物が突進してくるのだから、その前に立ちはだかるのは自殺願望でもあるのか?と思われても仕方が無い。だが、これから挑む交渉事の掴みとしてはインパクトも充分だろう。
「あぁ、申し訳ねぇ なんせこっちも商売なもんでな」
カモシカの男が振り返って指示を出すと、一緒に街道へ飛び出た者達が一斉に商品の荷解きをした。そこに現れたのは幾丁もある銃だった。それも、ソティスの工廠が拵えた最新鋭のボルトアクション小銃だ。
ただ、その銃にはソティス製を示す刻印や通しナンバーがどこにも入っていない代物で、しかも通常のモノより銃身が握り拳1つ分だけ長いモノだ。
「……そうか。そなたが例の商人か――」
全体に停止の号令を発した騎士はその場で馬を降りた。
「――聖導騎士、バッハシュタインだ。バルバトス枢機卿より話は聞いてるが……こんな遭遇は心臓に良くない」
聖導教会の暴力装置である聖導騎士達を束ねる存在。バッハシュタインは破顔一笑にカモシカの商人を手招きした。だが、そんな姿とは裏腹に、カモシカの商人は一歩たりとも足を進めてはいなかった。
「名乗って頂ける分だけありがてぇ話ですが……手前はカモシカの国の商人。ラムゼンって言うもんです。どうか末永いお取引をお願いしたいもんですが――」
ラムゼンは胸に手を当てて頭を下げた。それがカモシカの国における敬意の示し方だからだ。ただ、その立ち姿のどこにも油断の色は無く、露骨に警戒しているのが手に取るように解った。
「――まずはこちらの品物。本当に買って戴けるんで?」
ル・ガル正規軍の放出品とは言いがたい代物。最大限好意的に表現するなら、闇に流れた横流し軍用品だろう。しかもこれは国軍が最大の注意を払っている最新鋭の銃だ。普通のルートで入手するのは不可能で、闇ルートですらも難しいのは言うまでもない。
「勿論だとも。その為の金も用意してある。だが、本当に200丁あるのかね?」
バッハシュタインは訝しがる様にそう言った。どう見たって50丁もあればせいぜいの筈で、それ以上持っているようには見えないのだ。いくら商人とは言え徒歩で運べるとは思えない。
「そりゃこっちは商人ですからね。銭をいただくからには嘘はつきやせんぜ。ただね、先に品物って訳にゃいきません。物と一緒に命まで取られちゃかなわねえ」
暗にまずは金を見せろと要求したラムゼンだが、バッハシュタインは『要心深くてたいへん結構だ』と笑いつつ、馬の鞍に括り付けてあった革袋を取った。
―――――――帝國歴400年 7月 9日 夕暮れ時
ル・ガル北部 ジダーノフ領のどこか
「この中に500トゥン入っている。そして――」
バッハシュタインが目配せすると辺りにいた聖導騎士達が馬を降り、それぞれの鞍に括り付けてあった革袋を取った。金貨とは言え袋に入っている状態なら鉄と同じでただの重量物に過ぎない。
「――全部で40ある。合計で2万トゥンだ。確かめると良い」
バッハシュタインが数歩進み出て街道に革袋を置くとラムゼンは手下に『確かめろ』と指示を出した。すぐさま一番小柄な男がそそくさと走っていって革袋の中身を確かめる。
トゥン金貨を何枚か取り出し、その後で袋後と持ち上げた。ずっしりと身体の芯にのし掛かる重量だが、この男は持ち上げた重量から金貨の枚数を正確に当てられる特技を持っていた。
「頭目! 間違いありやせん! ちゃんと500枚入ってやす!」
恐らくはリスだとかの類いな種族だろう。成人男性であっても身長1メートルに満たない小柄で華奢な種族だ。だが、そんな彼等にも驚く様な特技がある。素早く木に登ったり、或いは枝から枝へ飛び移るような軽業師達だ。
「全部見ろぃ!」
ラムゼンがそう声を掛けると、『へいっ!』と返事をして小柄な男が袋を確かめ続けた。その間、ラムゼンは自分が持っていた銃を取りだし、バッハシュタインが見える様にボルトを引いて薬室を開いて見せた。
「ご覧の通り、最新鋭の代物でさぁ。ウチのモンが試射してみたんですが、従来の銃より1割は射程が伸びておりやすぜ。ついでに言やぁ、精度が良いのかよく当たりやす。こりゃ1丁100トゥン出したって安いもんですぜ」
100トゥン
決して安い金額では無いが、では法外に高いか?と問われれば、答えは否だ。
人の命を確実に奪い取る武器が手に入るのならば、むしろ安いと言うべき。
そもそも武器は戦闘の道具であり、戦争は政治の一形態に過ぎない。
ならばその道具は安くて便利なのが一番の要件と言える。
つまり、武器の値段は命の値段だ。
近代戦における諸国家の苦悩もここに尽きる。
人の命より銃が安いとなれば、人的犠牲が割に合わなくなるのだから。
「100トゥンで殺される側は……たまったものでは無いな」
心底嫌そうに発したバッハシュタインは、ラムゼンが持っていたその銃を手にとってあれこれオペレーションしてみた。身体の芯まで染み込む程に訓練した剣や槍の重さは無く、彼方の敵を屠らんと膂力を磨いた弓の強さもない。
だが、一度この鉄の筒が火を吹けば、彼方500リューの敵を屠る事が出来る。それも、ごく僅かな――具体的には発火魔法を使えればと言う――魔法的条件をクリアしているなら……だ。
「その100トゥンと相手が兵士を拵える費用の差が大きければ大きいほど、戦は早く終わるって話ですよ」
ラムゼンがそんな事を言うとバッハシュタインが『それはなんだ?』と問うた。
知りたいと思う事は、より深く理解したい。
そして、常にそれをし続ける事以外に成長を続ける事は出来ない。
より貪欲に知恵と知識を吸収し続ける。
それが出来るか否かで人間の一生は決まる。
「いや、これはあっしも聞いた言葉の受け売りなんでね、元がどんな話かはよく解らねぇんですがね――」
クククと笑いを噛み殺したラムゼンは、にやけた顔でバッハシュタインを見ながら言った。それは、聖導騎士の最も嫌う言葉だと知らず……
「――ゼル公がビッグストンで講義をした際に学生達へ教えた言葉なんだそうですよ。戦争だってただじゃ出来ない。兵士を育てるのも武器を作るのも金が掛かる。そんな戦争を終わらせる手段は古今ふたつしか無いって奴です」
そこで言葉を切ったラムゼン。バッハシュタインは『続きを』と言うのだが、そこでラムゼンはニヤリと笑い首を振った。
――――これが商人という存在か
世界で一番高い商品は何か?
その問いの答えがここに有る。
最も高価で貴重で、そして値段の変動が激しい商品。
それは、情報であり知識だ。それを知っているか否かで大きく変わってしまう。
「……これで良いか?」
バッハシュタインは懐から幾枚かのトゥン金貨を取り出し、枚数を数えてラムゼンへ放り投げた。その数は5枚。バッハシュタインが値踏みした情報の値段は5トゥンと言う事だろう。
「ちと安いが……まぁ、これくらいはおまけしておきやしょうか――」
もう一度クククと噛み殺した笑いを零したラムゼンは、半ばむしり取った様な銭を懐へしまってから続けた。
「――ゼル公の言葉はこう続きやす。戦をする国が経済的に破綻するか、戦う者がいなくなるかのどちらか。まともな者なら銭が無くなる前に戦はやめるでしょう。ですがね、そもそも戦をするような状態をまともだと考える方がおかしい」
言葉の途中にも幾度かクククと笑っていたラムゼンは、一度言葉を切ってからバッハシュタインを見て言った。ある意味でそれは、聖導騎士と聖導教会への皮肉と罵声だった。
「……ですがね。見栄と建前で戦をするバカ野郎だっているって話ですよ。何故だか解るか?って学生に問うたんだそうですが、学生は誰も答えられなかったって聞いてやす。その時にゼル公が言ったんだそうです。見栄と建前だけで生きてるバカ野郎は中身が無いから、折れる事はその否定なんでそれを出来ないからだって」
ラムゼンの言葉を無表情で聞いていたバッハシュタインだが、僅かに表情を変えて首肯した。怒るのか?と思ったラムゼンだが、その直後に聞いた言葉はにわかには理解出来ないものだった。
「……なるほどな。よく解る。我らのように神への信仰という精神の柱を持たぬ者は愚かだ。その事をあのゼル公はよく理解されていたのだな。まこともって立派な方であった。ヒトにしておくには惜しいほどにな」
―――――はぁ?
想定外の言葉が返って来たラムゼンは言葉が無かった。ただ、その一方でバッハシュタインの周辺に居た聖導騎士達は皆が首肯しつつ『やはり神は偉大なのだ』だとか『心を支える物は信仰しかない』と言葉を漏らしていた。
―――――バカか……
商人は軍人と同等かそれ以上にリアリストだ。実態の無い物をありがたがるなんて事は、先物取引か約束手形ぐらいだ。それ故に、ただの言葉でしかない聖句など何の意味も為さないのだった。
「まぁ、解釈なんてどうだっていい話でさぁ 私の様な商人が信奉するのは現金のみですんで――」
ラムゼンが目配せすると、革袋の目方を確かめていた小柄な男がニコリと笑って何度も首肯して見せた。どうやら銭の方は問題ないらしい。
「――代金の方は確かに頂戴いたしやした。では現物を御引渡しいたしやす。先ずはここに30丁ございやす。残りは……」
ラムゼンは草むらの中を指さして『この草むらの奥にありやす』と言った。それを聞いていたバッハシュタインが『ここに無いのか?』と固い声で言うも、ラムゼンは事もなげに言い放った。
「旦那方を信用しないって訳じゃ御座いやせん。ただ、現物を用意しちまいますとね、物だけ持って追い返された事も何度かございやして」
慎重かつ用意周到な商人のやり方。バッハシュタインはまずそれに感嘆した。
ただ同時に、そのまま逃げられる可能性をも思ったのは言うまでも無い。
「よろしい。取りに行こう」
そう。商人が軽い調子で『いま持って来ます』なんてのは全く信用ならない。信用に足るだけの実績を積み上げたところで、金の有無により商人はあっという間に鞍替えするだろう。商人なんぞはそんな卑しい人種で、どうしようも無い存在。
神の教えを信奉し、公平と平等を重んじる筈の聖導騎士ですらもそうやって無意識に差別をしているのが世界の真実だった。
「そうして戴けますと助かりやす。なんせ嵩張りますんで」
クククと笑いを噛み殺したラムゼンは振り返って手下のウシに声を掛けた。
「ルドラ! お客様に商品をお引き渡ししろ!」
まだ草むらにいたウシの男は『へい!』と返事をして担いでいた背嚢をおろし、中に入っていた銃を街道へ並べた。その数はザッと30ほどだ。そもそも銃自体が重量のあるもの故か、ひとりが担ぐには限界がある。
だが、ラムゼンの手下達が担いでいた銃を次々に街道へ並べ始め、あっという間にその数は100となった。驚くべき事に草むらの向こうにあると思っていた銃の半分は、手下達が手分けして担いでいたのだった。
「これで100になりやす。残りはそちらさんの手を幾つかお借りしたい」
ラムゼンは再びクククと笑った。だが、そんな姿を見ていたバッハシュタインは少しばかり苛ついた様子で言い放った。
「解った。少し急いでくれ。時間が無い」
ラムゼンの態度に苛ついたのか?と思っていた手下のルドラだけで無く、ラムゼン側の面々が新鮮な驚きを見せた。もちろん当のラムゼンもだ。
「……時間が無いってぇのは……どんなご用件で?」
不思議そうにそう問うたラムゼン。
バッハシュタインは事も無げに言った。
「これより国軍と一戦交えることになる。その為に必用なのだ。だからこそここまで走ってきたのだが、予定の場所より随分と手前なのは用心深くて大変よろしい」
その空気が偽りで無い事はラムゼンにもすぐに解った。
モタモタしていれば本気で怒り出しかねないと言う空気にも……
「……なるほど。細けぇ事は詮索しやせん。委細承知しやした。ではこちらに」
事前のコンタクトと商談。それがあったからこそのビジネス。
その銃の出所がどこでどんな理由なのかは関係無い。
使えるか / 使えないか
それこそが重要なのだ。
もっと言えば、顧客の事情に踏み入らぬと言うのも商人に必用な才能。
その辺りを履き違える商人は身を滅ぼす。顧客は他人を貫いてこそ生き残れる。
「急がねば……」
ボソリとこぼしたバッハシュタイン。その僅かな声をギリギリで聞き取れたラムゼンは、聞こえない振りをして草むらを急いだ。大きなビジネスチャンスを見付けたと内心でニンマリ笑いながら。
―――――同じ頃
夕食時にもかかわらず、ガルディブルク城は緊張に包まれていた。
「現在の状況は?」
手短に尋ねるカリオンの声音が固い。
それだけで城下にある国軍の作戦室は緊張に包まれていた。
「現時点で続報はありません。同行している若王の親衛隊が奮闘しているかと」
何処かの貴族家にあって当主婦人であったであろう女性スタッフがそう答えた。
夫を亡くした貴族家の未亡人が城内に職を得たと言うのは珍しい話では無い。
前日の早朝、太子キャリ遭難の一報が飛び込んできた。ジダーノフ領に到着してから1週間が経過した日。北府ウラジーヴィルに反乱軍がなだれ込んだとのことだった。
「向こうも手一杯の公算が高い……と言う事か――」
カリオンは溜息混じりにそう漏らし、顎を擦りながら参謀室の中を歩いた。
続々と送られてくる光通信の報告は、想定していた事態を軽く上回っていた。
ジダーノフ領にある聖導教会の練兵場は、然程の収容人数を持たない筈だった。
だが、諜報に長けるジダーノフも掴みきれなかった事態らしい。
現段階で王府が把握している武装蜂起の総勢は凡そ3万。
その全てが聖導教会とは言いがたいようだが詳細は不明。
指揮しているのは次期法主であるバルバトスだ。
ジダーノフ領に行ったバルバトスが編成したのは、聖堂騎士による反乱軍。
ただし、その構成員にはイヌ以外の種族が多数入っているらしい。
もはやそれだけで国家への裏切り行為なのだが……
「――ここまで周到に準備していたのなら、褒めてやっても良いな」
余裕をうかがわせる物言いでカリオンが僅かに笑った。
笑ってる場合では無いが、笑わざるを得ないのだ。
「全くです」
その全てが解っているからこそ、ウォークは相槌を打つしか出来なかった。
他ならぬ太陽王が浮き足だっていては、収まるものも収まらない。
常に落ち着いて、常に冷静に。
そして、常に冷徹でなければならない。
「続報です」
光通信を文章に変換した報告書は、清書されておらず乱書された走り書きだ。
だが、ここでは何より情報が欲しい筈……と、通信参謀はそう判断したらしい。
「……ふむ」
文書を読んだカリオンはウォークにそれを渡した。言外に『読め』と渡されたのだから、受け取ったウォークはサッと目を通した。情報と状況を整理把握し、居並ぶ参謀級の高級将校に情報共有する為だ。
だが、百戦錬磨のウォークをして『……え?』と、素っ頓狂な反応を示すのが精一杯だった。
「……これは」
そこに躍る文字を目で追うが、思考はその理解を拒否するような有様だった。




