素朴な疑問
~承前
その光景をひと頃で現すなら、文字通りに鎧袖一触なのだろう。
ネコの騎士団と獅子の国の補助軍が連合を組んだ一団は、推定で6万~7万を数えているようだ。だが……
「本当に……騎兵の時代は終わりですな」
感慨深げにそう漏らしたオクルカは、その惨状を見たまま凍り付いていた。
空堀と土塀と馬防柵とに守られた射撃陣地にはアッバース銃兵5万が居た。
統制が取れた彼等の一斉収束射撃は一瞬で数万の軍団を物言わぬ骸に変えた。
「まぁ……これで戦が少なくなるのであれば重畳でしょうな」
カリオンの漏らした言葉にオクルカが首肯する。
ル・ガルに手を出せば……滅びる。滅びないまでも大怪我では済まぬ傷を負う。
それを学んだ者達ならば、戦ならぬ手法で渡り合う事を選ぶだろう。
直接的に剣戟を交わす方が楽な場面も甚だ多いのは事実だ。
しかし、人死にが多い手段と少ない手段のどちらを選ぶか?と言われれば、国を預かる為政者ならば誰だって少ない方を取るだろう。
「銃兵だけで10万。さらに騎兵が10万。我々の軍を含めれば30万に手が届く大軍団ですからな」
結局のところ戦いは数であり、勝敗は数が左右する。安定して栄えるル・ガルは少々の内乱を経験したとは言えど、それでもこれだけの戦力を揃えられる事を証明して見せた。
「ほほぉ……――」
ニヤッと笑ったオクルカが彼方を指差した。
その指先の向こうに見えるのは、銃兵が陣取る殺し間の前で反転する騎兵達だ。
「――死屍累々……とは、あの様な事を言うのでしょうな」
即席の観戦台に並ぶふたりは、ニンマリと笑ってそれを見ていた。
ネコの騎兵と補助軍の雑多な種族軍団が反転を開始した。
通常、騎兵というのは前へ走りながら旋回して向きを変えるものだ。
後続の押し出し力に負ければ馬脚を乱して崩れてしまい、踏み潰されるから。
だが、現状では騎兵達全員が共通の意志として立ち止まる事を選択した。
進めば死ぬ
その現実を前に、気炎万丈を持って吶喊を本分とする騎兵達が怖じ気づいた。
身体では無く心を折る威力の光景を前に、ネコの一団は戦意を失っていた。
「大変結構。だが、少々歯ごたえがなさ過ぎる」
満足そうにそんな事を言ったカリオンは、近くに居たヴァルターを手招きした。
「余の槍は何処だ?」
思わず『はっ?』と聞き返したヴァルターだが、すぐにその真意を理解した。
背に掛けていたマントを短く畳み、馬上運動で邪魔にならぬ丈にしたのだ。
「フィエンより持ち出してございます。陛下」
一言『よろしい』と応え、オクルカを見たカリオン。
そのオクルカもニヤリと笑っていた。
「乗馬の時間ですな」
「どうも運動が不足しておるようで、少々肥ってしまいましてな」
そう言われれば、カリオンは心なしか貫禄が増したようにも見える。
身体が大きくなれば迫力を増す物だが、加齢によって迫力は貫禄に変わる。
「ジョニー! 追撃戦に移る! 騎兵連隊は吶喊準備だ!」
観戦台の上で叫んだカリオン。直下にあってレンジファインダー式望遠鏡を見ていたジョニーは『応!』と返答し自らの馬を引かせた。
「父上。自分も!」
若武者らしく槍を持って観戦台を降りようとしたキャリだが、カリオンはその背に『待て!』と声を掛けた。足を止め振り返った時期王が見たものは、ふたりの王が笑いながら動き出す姿だった。
「俺と一緒に来い。突撃だ」
ハハハと笑いながら観戦台を降りようとしたカリオンは、キャリの近くに居たドリーに言った。
「ドリー! 余の槍を持て! 征くぞ!」
唐突な言葉が降ってきた時、ドリーは全身を硬直させ固まっていた。だが、その直後にハッと我に返り、『ただいま!』と返答して観戦台を駆け下りていった。
「……彼の本望が叶いましたな」
オクルカも満足そうな言葉を吐く。
それを聞いたカリオンは静かに言った。
「場合によってはこれが最後の合戦かも知れませんからな」
それが単なる希望的観測である事など論を待たない。
あの獅子の国が再起して大侵攻を企てる可能性だってあるのだ。
だが、ネコとの闘争に関して言えば最終段階かも知れない。この一戦でネコの主力を壊滅させ、その上で諸問題の最終的解決に至れる可能性だってある。
「アッバース砲兵は後退するネコの最奥手へ砲撃を開始しろ。逃げ道を塞ぎ逃走を防げ。この地で全てすり潰す。容赦は無用ぞ」
そのまま観戦台を降りて行ったカリオンとオクルカは、用意された馬に跨り遠くを見た。それに続き観戦台を降りようとしたキャリは、タリカを見て言った。
「来るなよ?」
一緒に突撃しようと上着の袖を通していたタリカは『は?……ダメか?』と抜けた声で返答した。女らしいふるまい的な部分がすっぽりと抜け落ちたその様子にキャリは苦笑いだ。
「ダメに決まってんだろ。姉貴の二の舞は避けてぇしな」
自分を心配する言葉なのは重々承知しているが、同時にそれは冷たい拒絶でもある事をタリカは解っていた。次期帝の側近と言うポジションに居られない自分の歯がゆさに悶えつつも、妻と言うポジションにも入れない中途半端さ。
……だよな
何処かで諦めが付いた気もするタリカは、小さな声で『解った』とだけ応えた。
もう無理なのだ……と、割り切るしかないのだ。
「そこで砲兵を指揮してくれ。逃げ道が出来たら早めに潰して退路を断つんだ」
右手を挙げてそれに応えたタリカ。
細くしなやかな指先が真っ直ぐに伸びている。
手が届くところにあった物が指先からスルリと消え去って行った。
その悔しさや歯痒さは、確実にその精神を削るのだろう。
「気を付けて」
女性的な物言いになったタリカ。
キャリは一言『応』と返答して出掛けて行った。
もう手が届かないからこそ、その背中を眩しそうにタリカは見ていた……
――――――その日の晩
「しかし……思っていた以上に弱かったですね」
一日の合戦を終えてフィエンの街へと戻って来たカリオンとオクルカは、エゼの店で夕食を摂っていた。全館貸し切りとなった関係で、個室ではなく大ホールにての晩餐だ。
合戦拠点という事で夜の営業を出来なくなったクワトロ商会の女たちが給仕に付いているが、カリオンとオクルカの居るテーブルにだけは誰も近づけなかった。
「まぁ、戦力差が有り過ぎたというところでしょうな」
フィエン郊外で生産されたワインなど嗜みつつ、カリオンは少々怪訝な様子でそう応えた。正直言えばカリオンとておかしいと思っているし、わざと負けた可能性が有るのではないかと勘繰っている部分がある。
だが、騎兵戦力だけで10万に達するル・ガル騎兵とオオカミの騎兵団5万が混成軍団として縦横無尽に走り回ったのだから、ネコの側にしてみれば悪夢以外の何物でもない。
「砲兵の威力も凄まじいですが……」
オクルカは末子タリカを見つつそう言った。
タリカが見せた砲術指揮は的確で確実だった。
だが、本当に威力を発揮したのは砲兵ではないのだ。
「そうですな。銃兵の威力はますます向上している」
今回の戦闘で見せたアッバース銃兵の射撃オペレーションと統制は目を見張るものがあった。簡単な構造ながらもボルトアクション式に進化した30匁銃を射撃段列に分断せず、高低差を作った雛壇状にして収束射撃したのだ。
そして、連射速度の早い者を最上段に据え、遅い者を最前列とした。冷静に考えれば逆だろう?と言う話なのだが、アッバース銃兵はそこで接近距離別に射撃対象のゾーン化を図り、最上段の物が再接近した者を射殺する様に仕向けた。
その結果、冗談から撃ち降ろされる銃弾によって確実に射殺される様になり、最前列は距離のある敵へ冷静に射撃し続けられる安心感を得た。有効射撃距離が300メートル近くになるその威力は、最も接近出来た騎兵ですら50メートルだ。
「もはや敵無しと言いたいところですが……砲兵と連動させたいですな」
「ですな。遠距離は砲兵で対処し、近距離は銃兵の対処距離とするべきだ」
オクルカとカリオンが忌憚なく今後について意見をすり合わせている。
それを見ていたタリカは、己の手からこぼれ落ちた物の正体を知った。
そう遠くない未来、父オクルカと太陽王の関係が自分とキャリだったかも。
だとするなら、どんな手段を使っても男に戻るべきだと確信した。
――――あっ……
それを確信した時、同時にひとつ思い出した事がある。
キャリについて考え始め自分がおかしくなっていた故だ。
――――ララ……
そう。今は正体が抜けているララ。
彼女が己を取り戻した時、自分はどうあるべきか?
自分以外の男に嫁ぐなど考えたくもないことだった。
「どうしたタリカ」
ふと、オクルカが息子タリカの様子に気が付いた。
思い詰めた様子……とは違う、決然とした姿がそこにあった。
「……いえ。なんでもありません」
あくまで女性然とした振る舞いをしては居るが、その芯は男だ。
自分自身でそれを確信し、その確信が覚悟に変わった気がした。
「明日は追撃戦だ。君も同行しろと言いたいところだが、残念ながらそれは出来ぬ相談だ。必ず出番が来るだろうから、ジッと待っていてくれ」
カリオンが放った言葉は、その場の慰みにも近い物かも知れない。
少なくとも多くの家臣や側近達はそう聞いていた。
だが、タリカだけはそれをそのままの意味で飲み込んだ。
この際、キャリのことはどうでも良い。だがララだけは手放したくない。
「はい。そう期待しております」
ニコリと笑ってそう返答したタリカ。
その姿をキャリは不思議そうに見ていた……
――――――翌朝
「一騎当千の益荒男諸君! 気炎万丈たる銃騎兵諸君! 征くぞ!」
カリオンがそう声を張り上げると、ジョニーではなくドリーが槍を頭上に翳しつつ大声で叫んだ。彼がスペンサー家を継いで以来。太陽王からドレイクの名を下賜されて以来。一日千秋の思いで待ち焦がれていた時がやって来たのだ
「我らが太陽王に歓呼三唱!」
カリオンに負けぬ大声でそう叫ぶと、騎兵達が頭上に銃を掲げ一斉に叫んだ。
突撃時の蛮声は一時的に恐怖を麻痺させ、アドレナリンの大量分泌を促すもの。
だが、出撃前にこれをやる時は、一気に熱量を上げて燃え上がる為の行為だ。
「ラァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!!」
「ラァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!!」
「ラァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!!」
フィエンの住人達が見つめる先。
凡そ10万騎のル・ガル騎兵達が運動を開始した。
「我に続け!」
戟を翳したカリオンが走り始めると、その直後にドリーが走り始めた。
騎兵突撃時における太陽王の馬廻りは最も危険なポジションとなる。
敵だってまず王を狙うのが常道だからだ。
「御楯衆! 御廻りを固めよ!」
ドリーでは無くヴァルターがそう指示を出すと、親衛隊が馬を前に出してきてカリオンの周囲に付いた。ル・ガル最強の親衛隊は、この場面ではカリオンを狙う矢玉の盾となることが任務だ。
突き込まれる槍を切り落とし、剣を振りかざす剣士の首を跳ね、王を狙って放たれた矢の前に身体を晒してそれを防ぐ。いつ死んでもおかしくは無いポジションだが、それ故にル・ガル国軍にとって最も花形と呼ぶべき立場だ。
「総員装填!」
カリオンの左右に居るドリーとヴァルターに続き、直下に陣取っていたジョニーが頭上に翳した銃のボルトを引いて見せた。ドラグーンとは本来銃を装備した騎兵を意味する言葉だ。そしてここでは……
「統制射撃! 各中隊射線右回り! 5列縦隊! 9段!」
ここにル・ガル最強戦術が出来上がった。カリオンに続き吶喊する騎兵達は敵と遭遇したならば、火を吹く巨大なチェーンソウに化けるのだ。グルグルと回転しながら次々と射撃し続けるそれは、あたかも機関銃の様な状態となる。
その状態で速歩を続けるル・ガル軍団は前日の交戦地点を踏み越え、一気にブリテンシュリンゲンを目指した。道中各所に負傷した補助軍残党やネコの騎兵が蹲っているが、その全てを文字通り踏み潰しながらの前進だ。
そして、平原の中に伸びる街道をおよそ8リーグ前進した時、彼方からやって来る騎兵達を見付けた。前日も会戦したネコの騎兵団なのは間違い無い。カリオンは頭上で戟を右回りにグルグルと回し始めた。
「射撃運動! 効射点100リュー! 円陣!」
ジョニーの淀みない指示により、ル・ガル騎兵が円形に回転運動を始めた。そこへそのまま突撃してきたネコの騎士達は、円運動から次々と放たれる銃撃の餌食となり始め、その場に落馬して絶命していた。
「横槍突けぇ! 吶喊! ゴーラ! レッ!フーラ!」
カリオンの耳に聞き覚えのある声が響き、ル・ガル騎馬より足の遅いオオカミの騎馬が合戦場の左右を追い越すように進んでいった。ル・ガル銃騎兵と同じく新型のカービン銃を装備した彼等オオカミの軍団は、順次射撃を行いつつ前進した。
「陛下! 彼等が後退します! 追撃しましょう!」
血気に逸ったドリーがそう叫ぶものの、カリオンは前進停止を命じた。重傷者をその場に捨てて、なりふり構わぬ撤退を行うネコの騎兵団。それはもはや統制の取れた動きでは無かった。
「いや、ここらで潮時だ。むしろ敗北したという実績を持ち帰らせる方が良いだろう。全滅させてしまうと恐怖を持ち帰る者が居なくなる」
カリオンの視点は尤もで、キャリは戦ではなく政治の断面を垣間見た。
戦いの趨勢はすでに決着が付いていて、その後の画を王が描いている。
戦を始めるのは軍人だが、終わらせるのは政治家の仕事。
王とはその両方に係るポジションなのだ。
「ジョニー! ネコの側の死傷者を数えろ! 生き残りの数を見積れ!」
その指示を聞いていたキャリは生き残りの数と言う部分に疑念を持った。理由を聞く前に自分で考える。その核心を理解する為には結局場数と経験だ。そしてハッと気が付いた。
「父上」
カリオンの所まで馬を進めたキャリは、カリオンの目を見て切り出した。
「補助軍に疑念を持たせる為……と言ったら、要約し過ぎでしょうか」
その言葉にカリオンは満足そうな笑みを浮かべた。
同時にちらりとドリーを見て、今度はニヤリと笑って言った。
「要約し報告するのは軍人に最も必要な事だ。そしてそれをきちんと受け取り、圧縮された情報を展開して正解を見つける能力もな。その意味じゃ――」
もう一度だけドリーをちらりと見て、今度はフフフと笑い声をこぼしつつ言う。
そう言った些細な振る舞いや態度に真意を乗せるテクニックを実演して見せた。
「――教育が良かったのだろうな。軍人の視点だけではなく政治家としての視点をも王は必要とするのだ」
それは遠回しにドリーを褒める言葉だった。ネコの騎兵を更に追撃したかった血気盛んなスペンサーの男を満足させるだけの飴玉を舐めさせるには、そう言った部分で満足感を与えてやらねばならない。
――――深いな……
率直にそんな事を思ったキャリだが、ドリーは意外な反応を見せた。
「ですが王よ。これではオオカミの側がやり過ぎてしまいますぞ?」
すぐさま血気盛んな軍人から公爵家を預かる当主として政治家の顔に変わったドリーは、今度はやり過ぎを心配するようになった。その辺りの切り替えも素早くスムーズに出来なくば、公爵家を預かる当主など務まらないのだろう。
そんな当主たちをまとめ、国を導く立場となる王の重責をキャリは改めて感じている。何より、公爵家から舐められない様に。呆れられない様に。全ての国民からダメだしされない様に。注意深く思慮深く振る舞わねばならないのだ。
「その点についてはオクルカ王とも危機感を共有している。深追いし過ぎれば全滅させてしまうからな。適度な所で手を引き、尚且つ補助軍の残党側に犠牲を多く出すのが望ましいと打ち合わせ済みだ」
その言葉に周囲が『おぉ……』『さすがは我が王』と感嘆を漏らしている。勿論ドリーやキャリもだ。そしてそれを証明する様に、ネコの騎兵達は割と多くが逃げ果せたらしい。しかし、補助軍を構成していた雑多な種族たちは……
「だから……ああなっているんですね」
キャリが指を指示した先。ボロボロになった状態でも尚逃げようと走っているウシやその他の種族たちが見える。全身から血を流し、力尽きて天を見上げ何かを叫んでから血を吐き、そのまま地面に突っ伏して倒れる男たち。
その口から洩れる言葉は、想像に難くないものだ。自分達を捨ててとっとと逃げていくネコの騎兵達を見つつ、その背に恨みの言葉を掛けながら死んでゆくのだ。
「まぁ……敵ながら同情の一つもしてやってもいいな」
彼方に見える立派な角を持った男が地面に突っ伏したままズリズリと這いずって進んでいる。死にたくない。死にたくない。助けてくれと叫びながら。だが、そこに追いついたオオカミの騎兵がその背に槍を突き立てた。
苦しんでも報われぬなら一思いに楽にしやるべきだ。助かる見込みを失い、世の全てを恨み、神ですらも呪って死ぬよりはマシ。十分に戦ったと満足して死ねば、次に生まれてくるときは多少マシな人生だと信じられているのだから。
「よし、引き上げよう。ジョニー! しんがりを頼む」
その言葉に『応!』と応えてジョニーは槍をかざした。カリオンは首肯を一つ返して馬の向きを変え馬を進めた。威風堂々とした王の振る舞いに、ドリーは『さすが我が王!』と全身が震えるほどの感動を覚えた。
だが、それを見ていたキャリはボソリと呟いた。
「やっぱ凄いよなぁ…… いつの間に打ち合わせしたんだろう? 知らなかった。昨日の晩はずっと一緒に居たのに」