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居場所

 琴莉の『仕事場』は夕方六時位から忙しい時間を迎える。

 クワトロ商会の複合ビルにはニオという名前が付いていた。

 聞くまでも無く、オーナー夫妻の娘の名前だと琴莉は理解していた。


 地上七階建てに作られたその立派なビルは、通りに面した一階こそ『普通』の飲食店が入る繁華街のビルで、ちょっと名の知れたトラの料理人が腕を振るう旅行ガイドでも星マークを幾つも付けた有名レストランが入っている。

 そこを抜けて専用の階段を上がると屋根付きのテラスが付いた二階部分に躍り出るのだが、そこには格子のはまった窓があって、夜の帳が降りる頃ともなればその内側には着飾った女たちが勢揃いする顔見世の雛壇があった。


 ネコの国でも基本的に職業売春は許認可制になっていて、潜りや脱法の売春営業は重罪に当たる事だと琴莉は最近知った。

 この国の税制システムでは、認可を受けた風俗産業の商業施設などは、一夜の上がりの半分を国に税として収める信じられない仕組みだったのだ。

 言うまでも無く『商品』である女達が得た対価も半分は国家に税として持って行かれ、そこから施設に金を払う形になる。

 それでは女達もたまったモノでは無いのだが、国家機関が遠回しに『無くっても構わない』と言っているにも等しいので、余り大きな声で文句も言えない。


 だが、男と女が居れば、どんな所だってこの商売は必要になる。街中で強姦輪姦目的の誘拐が多発するのが良いか、それとも、皆承知の上でそう言う施設を作って管理するのが良いか。世の中にはきれい事では切り分け出来ない必要悪というモノもあるのだと皆が理解しているからこそ、クワトロ商会は存続していた。


 テラスの格子窓越しに女を品定めする男達は、贔屓の女を見つけるといったん一階へ下りてレストランでディナーを予約する。コース料理では安くても一トゥンはする。そしてレストランのボーイに小遣いを切ってから『空いてる部屋は何処だ?』と聞く。


 贔屓の女は自分の部屋を持っているから、空いてないと言う事は無い。だがボーイも心得たモノで『あぁ、いまなら●号室が空いてますね』と応える。

 男はもう一度小遣いを切って『部屋食にするから運んでおいてくれ』と頼む。そしてビル三階の風呂で汗を流してさっぱりしてから女の部屋へ向かうという寸法だ。


 個室で贔屓の女に給仕をして貰いながら『ゆっくりと美味しく頂く』のがレストランの売り文句で、女はあくまで給仕でしか無い。ただ、たまたまそこで客の男と女が懇ろな良い空気になっちゃって、で、たまたまそこにベッドがあれば止まらなかったと言うだけ。『ゴメンゴメン! つい色っぽかったから』と客の男は女にも小遣いを切る。それは決して売春ではない。詭弁でしかないが、そう言い切っているのだから仕方が無い。


 暗黙の了解で一夜の『ディナー』と同じか二倍程度まで。それが相場。

 恋敵が居るのだから贔屓の女を渡したくないと思えば、ボーイを呼んで酒を取る。

 それで女を捕まえて閉店まで飲むのだが、そんな時は五トゥンを置いてくるのが礼儀。


 時々、イキもイナセも分かっていない田舎者や馬鹿野郎が間違ってやって来る事がある。遊び方を知らない世間知らずは、二回目からボーイに止められ格子窓ものぞき込めない仕組みだった。


「アチェ ミーナが二匹目を釣ったよ」

「ミーナの部屋はもう出来てます」


 女たちの顔役になる袖引きはフィオの仕事。

 琴莉の仕事は、その女たちが一夜の夢を売る小部屋を準備する事だった。


「アチェ エルマーが一仕事やっつけたから片しに行きな。今夜は忙しくなりそうな気配だから手早くね」

「はーい ネェさん」


 格子窓の中で男を誘う女たちの一番奥。

 並みの遊び人じゃ目が届かない場所にエリーはいつも陣取っている。

 幾人も黒服の男たちを従えて、夢のひとときを買いに来た客をフィオと裁いていた。


 女たちの雛壇脇にある番台席で全体を統括するフィオは、すぐ隣にいるエリーと話ながらアチェ(琴莉)を呼び仕事を指示する。


 フィオの背中側にあるカーテン越しに指示を聞き、琴莉は各部屋を繋ぐ裏廊下を使って女たちのスタンバイを手伝う日々だった。

 客の通る大廊下を挟んで左右に十五ずつ部屋があるのだが、その部屋を通り抜けた奥には裏廊下があった。

 『仕事中』にはカーテンで隠れる窓の部分は、大廊下に並行した作業用の裏廊下になっていて、夢の一時を売っている女達をサポートする琴莉の仕事場だった。


「アチェ エンゲの部屋は?」


 食い散らかした食器を一階へ下ろしてから元の場所に戻った琴莉。

 そこへフィオが次の仕事の進行状況を確かめる。


「いま終わりました。綺麗にしてあります」

「ごくろうさま」


 従来、一仕事終えた女たちは疲れた身体で客を送り出した後、部屋に戻って次の客の支度を整えてからシャワーを浴びてメイクを直し、それから次の客を釣るべく雛壇へ戻るのが一般的なワークフローだった。

 ところが今は部屋の掃除と片付けを琴莉が全部やってくれていて、おまけに自分でやるより早くて丁寧で抜かりが無い。食事に使うテーブルクロスまで綺麗に交換してあるのだから、女達は客が帰った後は自分もシャワーを浴びて一服付ける時間が出来た。


「アチェ!」

「なに?」


 部屋を片付けて綺麗にした後、最後のチェックをしていた琴莉。

 そこへ部屋のヌシであるエルマーが戻ってきた。


「いま居た客が貴女にもってチップ置いてったよ」

「うそ!」

「アチェの取り分だから。とっときなよ」


 五十ダトゥン銀貨が一枚。思わぬ臨時収入で琴莉の手に残った。


「私が貰って良いの?」

「貴女の仕事の対価だよ。しっかり貯めときなよ」


 シャワーを浴びて見知らぬ男の汗や涎をきれいに落として、そして、メイクし直したエルマーは再び雛壇へと並ぶ。

 男に贔屓の女がいるように、女たちにもお気に入りの好きな客がいる。

 男と女の達引の間で、金払いの良さと気風の良さに株を上げる者は多い。


「あたしはこれでまた『今夜最初の客』を釣れるってもんさ。アチェの仕事はあたし達だけじゃなくて男も嬉しいんだよ。だから胸をはんなよ。そんなにちっちゃかないんだから、鼻息荒い男が喜んでくれるよ」


 エルマーは琴莉の胸を一揉みしてから部屋を出て行った。

 一瞬呆気に取られた琴莉はすぐに仕事を思い出し、フィオとエリーの所へ戻る。


「遅いよアチェ! アリサがいま客を送ったから、そっちをやって」


 間髪入れずにエリーの指示が飛び、琴莉は再び階段を駆け上がった。

 裏廊下を歩いていくと、ミーナの部屋から悩ましげな声が漏れていた。

 いままさに一戦及んでいる最中の脇を抜け、琴莉はアリサの部屋を片づける。


 レストランのボーイがセッティングした料理の食い散らかしを片付け、汗やら何やらで湿ったベッドシーツを回収し、テーブルクロスを敷き直してから、あちこち部屋を掃除する。


 僅か十五分の間に全部終わらせた琴莉は床に這いつくばってゴミが無いかを確かめてから、最後に遊び女の七つ道具をベッドサイドの見えないところへスタンバイ。誰が見たって『これから今夜最初の客が来ますよ』と言う状態になった。


 ――――よし!


 満足気に部屋を見回し確かめた琴莉。そんなところへ客を送り出したアリサが戻ってきた。シャワーを浴びた風呂上がりでやたら色っぽいアリサは、琴莉が片付けたテーブルの上の砂糖壷から五十ダトゥン銀貨を出した。


「はい、チップ。さっきの客から」

「え? ホントに?」

「いーのよ 受け取りな」


 時計の針は既に夜十時になっていた。

 あちこちから貰っているチップは、合計で五トゥンを越えていた。


「今夜は凄いのよ。チップで家が買えそう」

「アチェはそれだけ働いてるんだ、当たり前だよ」

「でも、なんか悪いな。私がお客を取ってる訳じゃないのに」


 アリサは勢い良く琴莉の背を叩いた。


「いきなりじゃ勤まんないわよ! それよか気が効くのを生かしたほうが良いって! そのうち家持ちのヒトになって、あたし達みたいなヒトの女の面倒見てよ」


 アハハと笑いながらアリサはもう一度メイクを整えて部屋を出て行く。琴莉が雑用を全部やってくれるおかげで、女たちは以前に比べれば、だいたい一人多く客を取れるようになっていた。

 その実入りは全部女たちの取り分になり、女たちは機嫌が良いし琴莉に感謝する。

 部屋が綺麗で女は石鹸の匂いがして抱き心地が良く、おまけに客が増えてレストランは回転が良くなり味も良くなった。レストランの売り上げはエゼの取り分なのだから、クワトロ商会全体でも悪いはずが無い。


「アチェ! もう一踏ん張りだよ! ミーナが爆釣だから大変だ」

「いってきまーす」


 エリーの指示で今夜四回目になるミーナの部屋掃除。

 今回は随分と頑張った客がいたらしく、ベッドシーツが絞れるくらいだった。

 ベッドマットをスペアに変えて、汗ばんだ足で歩いた気張りの床を丁寧に雑巾で拭きあげる。

 テーブルの上の料理は半分程度しか手を付けてないのだから、やる気満々で来た客だと言うのは分かるにしても……


 ――――盛んねぇ……


 天井にまでシミが残っているのはどうかと思う。

 脚立を用意して丁寧に掃除し終える頃、ちょっと疲れた表情のミーナが戻ってきた。


「ごめんねアチェ」

「え? なんで??」

「さっきの客さぁ もうね」


 苦笑いするミーナは丁寧に掃除したばかりのソファーへ座った。


「大丈夫?」

「さすがに四人目であいつが来ると……」


 ミーナの笑顔に『おんなの色』が混じる。


「腰が立たないわね」

「凄かった?」

「アチェじゃ壊れるよ、きっと。私もやっと慣れて来たけど、ヒトとはぜんぜん違うんだもの。文字通りケダモノよ」


 力の入らない腰をパン!と叩いたミーナは、黒のノースリーブに白いショート丈なボレロのカーディガンを肩から掛けた、ゆったりとしたラインの服へと着替えた。

 最近ではクワトロ常連の間で『ゆったりした服の女は大事に扱う』のが暗黙の了解ともいえる常識になりつつあり、贔屓にしているヒトの女に会いに来る男はなるべく遅い時間にやってきて『その日最後の客』になるのが『イキな男の嗜み』になりつつあった。


「そろそろ、あのネコの彼が来る頃じゃない?」

「……そうだね」

「下で待っていてあげれば?」


 惚れた腫れたで情を交わすと遊び女は務まらない。

 だけど、気風の良いイキな男を勝手に想う位の自由はある。

 嬉しそうな笑みを残してミーナは部屋を出て行った。


 それを見送った琴利はレストランに食器を返しつつ『私の払いでミーナの部屋にワインを一本』とボーイに頼んでおいた。

 ミーナ一人だけでも今夜一晩で二トゥンもチップを稼いだ琴莉だ。

 その彼女の想い人がやってくるなら、酒の一杯も奢らないと申し訳ない。


「アチェは気が効くな」

「すいません。面倒をお願いして」

「良いって事よ」


 一階にあるレストラン『ヴェルリネッテ』で一番の売れっ子ボーイであるオッタービオはブルーグレイの毛並みに青い瞳が印象的な痩身のネコだった。

 最初に見たとき、琴莉はオッターの事をロシアンブルーだと思った。本人の談では生まれも育ちも分からない根無し草で、たまたまエゼに拾われ育ったらしい。


「それよりアチェ」

「なに?」

「こんどデートしようよ」

「……エゼキエーレさんが良いって言ったらね」


 レストランの片隅で軽く口説かれドキッとする琴莉。


「アチェ! エレナの部屋を片付けとくれ!」

「はーい!」


 だが、遠くからフィオの声が聞こえて、琴利は手を振って逃げ出す。

 チッ!と短く舌打ちしたオッターは、ワインを持ってミーオの部屋へと向かった。

 オーダーストップとなる二十三時まで、あと十分ほどだった。


 階段を登って行き、悩ましげな声が漏れる裏廊下を歩いてミーナの部屋へ届け物。

 オッターは任務を終えて帰ろうとしたところで、再び琴莉に遭遇した。

 両手一杯に洗濯物を抱えた姿は、普通なら百年の恋も冷める主婦っぷりだ。


 だが、オッターは家族の暮らす家庭を知らない男。

 生活の臭いを感じさせる琴莉の姿が、オッターには何より扇情的だった。

 おまけに、あちこちの部屋からは男と女の情事の声。

 ムラムラと欲望を溜め込んで膨らみ始めたオッターの劣情に、琴莉は息を呑んだ。

 やおら琴莉へ抱きついたオッターは、洗濯物の上から琴莉を抱きしめた。


「オッターさん…… ダメですよ エゼさんに」

「……あぁ、そうだな。アチェに手を出したら旦那様に殺される」


 オッター自身もエゼから息子のように可愛がられているのだけれど、それでも店の商品に手を出したとあっては許してはくれないだろうと容易に想像が付いた。 

 あの、蚊も殺せないような優しい笑顔で、凄惨な制裁を加えるエゼだ。

 オッターは背筋に寒気を覚えて、足早に立ち去った。


 ホッとして二階へ戻った時、フィオは琴莉の振る舞いの僅かな違いを見抜く。


「アチェ なんかあったのかい?」

「え? いえ? 何も無いですよ?」

「そうかい。なら良いんだ」


 琴莉は基本的に客の目に触れないところにいる。

 エゼの意向もあるが、それ以上にフィオ自身が琴莉を客から隠している。

 鼻息荒くやってくる小金持ちの客なら、金の力で何とかしてしまおう。

 そんな事で荒事に及ぶのはまっぴらだからだ。


「面倒があったら先に言うんだよ。良いね」

「はい」


 オーダーストップの時間となり、この日最後の客を釣り上げた女たちが自分の部屋へと消えていく。暇な日にはお茶をひく事もあるのだろうけど、今夜雛壇へ並んだ女たちは悪くても二人くらいは袖を引かれたらしい。

 最後の客が帰っていくのは日付が変わる頃だ。ほれた男が帰っていくのを名残惜しそうに見送る女たちの影で、琴莉は部屋の片付けに最後の汗を流す。大体この時間に来る客はお気に入りの女に気を使いに来る奴が多い。

 簡単な食事をして、安い値段の食事だがボーイやコックには小遣いを切ってやり、それから、気に入った女の部屋へ行って、しばらく世間話をして、女の膝枕でも使いながら愚痴をゆっくりと聞いてやる。


 男盛りな中年のネコやトラや、それだけでなくネコの国で客を取るイヌの女の所へやってくるイヌの男もいる。みな一様に一廉(ひとかど)の紳士が揃っていた。そして琴莉は、ふと思う。どこの世界へ行っても、格好良い男って言うのは基本的に変わらないもんだと。


 七つほど部屋を片付け綺麗に掃除をして、そして琴莉は女たちが仕事の後のお茶をしているサロンへ顔を出した。


「綺麗になったよ。今日も一日ご苦労さまでした」

「アチェもご苦労さんだったね」


 一番最初に声をかけたのはエリーだった。

 彼女は一晩に一人の客しか取らない事にしている。

 だが、そんな彼女にぞっこんな客はあまりに多い。

 

 いつでもクワトロを出て行けるだけの金を持っているはずなのだが、エリーはもう二十年以上ここに残っているそうだ。

 そして実はエリーだけでなく、ヒトであるミーナやアリサやエルマーもまた、同じようにクワトロへ残っていた。

 彼女たち今宵の雛壇に上がった二十人ほどが琴莉を労った。たった一人で片付けに走り回った琴莉のお陰で、彼女たちは今夜も十分に稼げたのだから。

 琴莉だけでなく、このクワトロを護る黒服たちの存在が、ここに彼女たちが居続ける理由でもある。誰も護ってくれやしない商売女たちにしてみれば、ここはとにかく居心地の良い場所なのだった。


「アチェはヒトの世界から来たんでしょ?」


 エンゲは酔いを醒ますように、ゆっくりとお茶を飲んでいた。

 最後に来た客が見事なうわばみだったそうで、一緒になって飲んでいたらしい。

 だが、いくらなんでも相手が強すぎて、途中で飲むのをやめたのだとか。


「まだこっち落っこちて三ヶ月だけどね」

「でも、アチェも随分慣れたね。最近はホント助かるよ」


 嘘偽りの無い言葉で感謝しているエレナは、琴莉にお茶を差し出した。

 独特の匂いがするミルク茶は、過酷な肉体労働である彼女たちを支えていた。


「ところで今夜はいくら稼いだ?」


 ちょっと下世話な笑みを浮かべたエルマーが琴莉を指差した。

 皆が琴莉へ差し出したチップは結構な金額の筈だ。

 琴莉はこっそり隠してあった小銭入れを服の中から取り出し数を数えた。

 ダトゥン銀貨とバクトゥン銅貨を足して、合計で三トゥン七十五ダトゥンだった。


「こんなに貰って良いのかな?」

「良いのよ。いーの。だってあんたもそんだけ働いてんだから」


 エリーははっきりとそう言い切った。

 この夜、二人しか客の無かったメリッサの身入りは三トゥン五十ダトゥンだった。

 チップだけで琴莉の方が稼いだ事になるのだが。


「メリッサより多いのは変じゃない?」

「それは言いっこ無しだよ。それに、あたしは実際二時間も働いてないけど、アチェは五時から今までずっと働いてその金額だ。むしろアチェはもっと貰うべきだよ」


 そんなメリッサの言葉で皆が大笑いした。


「だけどさ、アチェはこのまま行ったら今年の終わりにゃ大金持ちだよ?」

「そうだよねぇ なんに使うの?」


 ミーナとアリサが興味深々って顔で琴莉を見ていた。

 他の女たちも耳を済ませた。

 だが、それに答えたのは以外にもエリーだった。


「アチェの手を見てごらんよ」


 エリーに促され皆が琴莉の手を見た。

 左手にはシルバーのリングがあった。


「え? アチェは人妻なの??」


 素っ頓狂な声でアリサが驚く。

 ミーナもエルマーもそのリングをジッと見ていた。

 事情を知らないこっちの世界の女たちは不思議そうに首をかしげた。

 それを見かねたエリーが助け舟を出す。


「その指輪はヒトの世界じゃ特別なもんなんだろ?」

「え? まっ まぁ…… そうですね」


 困ったように答えた琴莉。

 皆がじっと見る中、左手の薬指からリングを抜き取った琴莉は、リングへチュッとキスしてから皆に見せた。


「アチェ それは何の御呪(おまじな)いなの?」


 メリッサがそう訊ね、琴莉はちょっとだけ寂しそうな顔になった。


「これは結婚指輪と言って、もう売約済みですよって意味なんです。誰かの人妻ですから手を出したり粉かけたりしないで下さいねって意思表示です」

「え? アチェは旦那いるの?」


 今度はこっちの世界の女たちが一斉に驚いた。

 驚かなかったのはヒトの女たちだけだ。

 琴莉は困った顔で頷いた。


「一緒に落ちた筈なんだけど、行方不明なの」

「そりゃ悪い事訊いたね」


 メリッサはごめんと謝るように両手を合わせた。


「いーのいーの。どこかできっと生きてるわよ。自慢じゃないけどウチの旦那、少々じゃくたばらない位は身体を鍛えてるから」


 不意に五輪男の笑顔を思い出し琴莉は寂しそうに笑った。

 少しだけ沈痛な姿に、エリーは琴莉の肩を抱いた。


「ヒトの女がここに居て、旦那が来るのを待っている。そんな風に噂を流していこう。男なんてどこに行ったって大して変わんないだろ? 色町がありゃ、男は集まってくるもんさ。アチェが居てくれてあたし達はウンと助かってる」


 苦労を重ねた女の言葉は違う。

 琴莉はそんな風に思った。


「アチェの旦那が見つかるまでにアチェが大金持ちになってるさ」

「そしたら二人で暮らす家を買って、この街に住めば良いよ」

「ヒトの男は頭の回転が良い奴が多いからね。社長の右腕になれるな」


 皆が遠慮なく言いたい事を言っている。

 だけど、その言葉には嫌味も棘も無く、むしろ優しさがあった。


 なんとなくだけど居場所が出来た。

 考えうる限り最悪の状況になったとしても、何とかなる。

 雑多な種族からなるこの店だが、女たちはみな暖かかった。


 ふと、コレはコレで良いかと。

 そんな事を琴莉は思うのだった。

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