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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
大侵攻~忍耐と苦痛と後悔の日々
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侵入者

~承前




 その騒動は、あと2週間で新年を迎えるガルディブルク城の中で起こった。


『侵入者! 親衛隊集合!』


 寝入りばなのキャリが聞いたのは、城内の警護を受け持つ親衛隊隊士の声。

 そして、ガチャガチャと鳴り響く親衛隊の甲冑がぶつかり合う音。


 ――――何が起きた?


 のっそりと起きあがったキャリは辺りを確かめると、枕元の水を一杯飲んだ。

 寝る前にタリカが用意した水差しの蓋を外し、もう一杯水を注いで飲む。


「……忙しいな」


 ボソリと呟いたキャリはガウンに袖を通して立ち上がった。

 念の為に愛用するレイピアを引き寄せ、軽く抜き放って刀身を見た。

 その時だった。


「…………ッ!」


 刀身に何かが映った。目深にフードを被った細身の存在だ。

 それが何であるかは把握しないが、少なくとも油断して良い相手ではない。


 最大速力で剣を抜き、振り返りザマに斬りつけた。

 これで死ぬ程度の者など城内には居ないからだ。

 だが……


「速度は良いが体捌きはもう一歩ってところですぜ、若」


 最大速力で抜いた筈のレイピアだが、難なくそれが受け止められた。

 そんな事が出来るのはこの城でも数人しか居ないが、その中で一番が出て来た。


「……リベラさん。こんな夜更けになにを?」


 半分ほど闇に沈んだところからスッと出て来たリベラは、ニンマリと笑ってキャリを見つつ言った。


「出来るようになりやしたね……若。あっしぁうれしゅうござんすよ」


 嫌味でも何でも無く、純粋に喜ぶ言葉が漏れた。

 ただ、それと同時にキャリが見たものは……


「……で、その(ひと)は?」


 そう。右腕一本でキャリの剣を止めたリベラは、左腕でフードを被った女を後ろから締めていた。左手には鋭い短刀が握られていて、その刃先は女の首筋に当てられている。


 首を切れば血が噴き出すのは道理だが、それをせずに人を殺せなくては細作など務まらない。事実、リベラが狙っているのは頸動脈では無く脳幹へと続く頸椎の神経網。ここを断ち切られれば人間は一瞬で動けなくなる……


「こんな時間にお客さんがいらっしゃいやしてね。あっしが応対に出たって訳なんでやすが、ちっとばかし困った事になりやして……」


 リベラの言葉を聞いたキャリが剣を収めると、リベラも右手に持っていた極小のブレードストッパーを懐にしまった。そして、その右手が再び懐から出ると同時、女の被っていたフードをハラリと払った。そこに居たのは……


「……マリーシア?」


 驚いた声を漏らしつつ、キャリはその名を呼んだ。

 ボルボン当主であるジャンヌの姪に当たる娘。マリーシアがそこに居た。


「キャリ様。申し訳ございま『まだ黙っていなせぇ』


 マリーシアが何かを言いかけた時、リベラは更に力を込めてマリーシアの身体を締め上げた。思わず『ハ、ハイッ!』と返事をしたのだが、その身体は僅かに震えていた。


 ――――キャリ様!

 ――――城内に侵入者です!


 恐らく衛士が走り回っているのだろう。

 キャリを起こしに来たのだろうが……


「承知した! もう起きて武装しているので心配ない。戸は開けるな。侵入者は問答無用で斬る。姉を頼む」


 マリーシアをジッと見つめ……いや、睨み付けながらもキャリはそう言った。

 戸の向こうから『畏まりました』と返答があり、足音が去って行った。


「さて。こんな時間に禁を犯してまで城に来た理由を聞こうか」


 多少穏やかな声音になっているキャリだが、警戒を解いてない事がリベラには解った。そしてそれは、まだ幼いと思っていたキャリ=エルム少年が一人前に育ちつつある証拠だった。


 ――――大きく……なりやしたね……


 作りものでしか無い細作の身体だが、リベラは僅かに笑みを浮かべ喜んだ。利発で活発だった兄……姉ガルムと比べ、エルムはどちらかと言えば手の掛からない大人しい子だった。


 気が付けば親元を離れ、城内アチコチを探検に行くガルム。その姿を探し回って城内を歩けば、いつもエルムは城の大書庫に居た。そしてそこで大人達から本を読んで貰うのが好きな子だった。


「あの…… あの……」


 震える声を漏らしたマリーシア。リベラはその耳元で『声は小さくしなせぇ。さもなくば痛い目みやすぜ』と囁き、僅かに腕の力を抜いた。


「どうした?」


 自分の態度がマリーシアを怯えさせたのか?と思ったキャリは、僅かに声音を改めてそう発した。ただ、その身にまとわせた警戒感というオーラは嫌でもマリーシアを圧しているのだが……


「夜更けに申し訳ございません。でも、どうしても……どうしても……」


 震える声で切り出したマリーシアだが、その姿はどう見てもおかしかった。それこそ、裸の上からベルベットになった套を羽織っただけのような姿。そしてその脚拵えは、サンダルすら履いていない裸足だ。


「どうしても……なんだい?」


 何となく全体像が見えたキャリは、少し呆れた様な声になった。

 だが、その向かいに居るマリーシアは真剣な顔だった。


「キャリ様からお情けを頂きたく……参りました」


 小さく息を吐いて目を伏せたキャリ。やや重い溜息と言っても良いだろう。

 マリーシアは裸でやって来てた。それも、キャリに抱かれにやって来た。

 最初に子を為してしまえば后を選ぶ際に有利となるからだ。


 だが……


「そこまでして次期帝后の座が欲しいのかい?」


 キャリは呆れ果てたようにそう言った。

 思えばこのマリーシアは夜会の席でも熱心にキャリを誘っていた。

 精一杯に着飾って美しくメイクをして、自分を売り込んでいた。


 そうやって言い寄られるのは男の本懐とも言えるだろう。

 だが、言い寄る女が片手の指の数を超えた頃からおかしくなってきた。

 そして……


「お慕いしておりますの……」


 マリーシアは真剣な顔でそう言った。

 その裏にある女の野望を必死で塗り隠すように……だ。


「……それは解っている。だけどね、こんな事までして君がここに来ると、処罰を受ける者が現れるだろうし、そんな事態は私も望まない。だいたい、リベラさんが君を見付けなかったら、今頃は親衛隊に斬られているかも知れないんだよ?」


 溜息混じりにそう漏らしたキャリは、マリーシアでは無くリベラを見ながらそう言った。気配を殺し空気のように振る舞える細作だからこそ、リベラは誰にも感ずかれずにマリーシアを捕らえたのだろう。


 だが、同時にキャリは内心で『あっ!』と漏らしてからもう一度マリーシアを睨み付けた。その眼差しが怖かったのか、まだ若いマリーシアはビクッと身体を震わせて目を伏せた。


 ――――リベラさん……

 ――――全部承知でここに連れてきたな……


 そう。リベラはキャリの対処を試したのだ。

 そして同時に城内の警備体制が弛んでないかも試した。


 ――――喰えない人だな……


 つくづくとそう思った時、きっと僅かに表情が変わったのだろう。

 リベラは愉悦を感じる笑みを浮かべ、『で、どういたしやしょう?』と言った。


「……死んでもらうのは簡単だが、その後になって色々面倒も多い。誰にも見られないように城の外へ連れ出すことは出来ますか?」


 キャリが言ったそれは、マリーシアだけでは無くボルボン家に対する配慮でもあるし、もっと言えば城内を警備している者達への配慮でもある。少なくとも侵入ルートは必ず見つけ出されるだろうし、手引きした者は死罪だろう。


 そうならないよう、キャリは見事な配慮を見せた。そして同時にリベラに対する嫌がらせだ。自分と城内を試したリベラに『上々に片付けてみせろ』とキャリは要求しているのだ。


「そらぁ……お易い御用でさぁ」


 城内にはリベラしか知らない抜け道が幾つかあるらしい。建城当時であれば設計者などが知っている秘密の通路も、世代交代を重ねるウチに忘れ去られてしまったパターンが多い。


 そんな秘密の通路を把握しているリベラは、侵入者の通りそうな路に罠を張っているのだった。


「マリーシア。二度とこんな事はするんじゃ無い。良いね?」


 キャリは言い含めるようにそう言い、同時にパッと振り返って扉を見た。

 扉の向こうに気配を感じ、神経を研ぎ澄ましたのだ。


「若。心配いりやせん。あっしの主人にござんす」


 リベラが小声でそう言うと同時、目には見えない何かが扉を通り抜けてきた。

 キャリの目が背景の歪みを認識した直後、その歪みがふわりと色を帯びた。


 ――あ……


 それがリリスであるとキャリにも認識出来そうになった直前、リベラはマリーシアの首を叩いた。強い衝撃で一時的に意識を飛ばし、リリスが魔女であると認識されるのを防いだのだった。


「お嬢、そいつは城の中ではおやめくだせぇ」


 少しばかり声音を変えたリベラがそう言うと、リリスは小さな声で『ちょっとだけ緊急事態だったからね』と応えて、その後でキャリをジッと見て言った。


「その娘、殺しちゃダメよ?」


 唐突に何を言い出すかと思えば……と、キャリは僅かに表情を曇らせつつも明るい声音で『もちろんです』と返答した。ただ、たったそれだけの事を言いに来たとは思えず、グッと気を入れて身構えた。


「いい顔ね。お父様を思い出すわ。ゼル様の、サウリクルの血統も受け継がれているんだから似ていて当然だけど」


 ニコリと笑ったリリスはリベラを見て切りだした。


「城の中にもう一人いるみたいね。こっちは誰にも手引きされて無さそうよ。その娘と一緒に外へ送り出して。見つかると面倒だから」


 リベラも相当に気配探知が鋭いのだが、それを遙かに超える能力でリリスは侵入者を見付けた。その事実に舌を巻いたキャリだが、同時に『あっ』と気が付いた。


「あの……来るのが解っていたんですか? この部屋に」


 そう。リリスは全部承知でマリーシアがここへ来るのを黙認した可能性がある。手駒であるリベラを送り込み、殺さないよう城から運び出す事を選択したのかもしれない。


「この部屋に辿り着いたのは……偶然ね」


 リリスはあっけらかんと答えたが、その言葉を嘘だとキャリは直感した。そして同時にこの部屋へと導いた可能性を思った。何故なら……


『失礼』


 手短な声が部屋の入口となる戸の外から聞こえ、ほぼ同時にドアが開いてタリカが入って来た。今は驚く程細身になった彼……彼女は、抜き身の細剣を持ってやって来た。


「もう一人……居ますね。リリス様」


 部屋に入るなり状況を読み取ったのだろうか。タリカは一方的にそう切り出して返答を待った。リリスは一瞬だけニヤリと笑うと小さく首肯して返答した。キャリはそこにリリスの魂胆を感じとった。


「女の鼻は騙せない……ってね。やる気満々で城の中をうろつけば、嫌でも臭いを撒き散らすものよ」


 発情した女の発するフェロモンは、他の女には悪臭として分類される。タリカはそれを嗅ぎ分けて事情を察し、一目散にキャリの所へ来たのだろう。キャリに抱かれる。いや、胤を搾り取る事を目的に城へ侵入まで試みる女達。


 形の違う夜這いだが、それを行う者達は誰もが人生の掛かっているだけに真剣勝負なのだ。そして同時にそれは、タリカがどこまで女になっているかを計ったのだろう。男と女は違う生き物故に把握しておきたいこともある……


「……はしたない」


 ボソリとこぼしたタリカ。その内面は完全に女性化していた。だが同時に、烈火の如く怒っている部分には男性的感情が残っている。リリスの表情が僅かに変わり、目的を果たしたのだとキャリは思った。


「いずれにしろ殺しちゃダメよ。むしろ面倒が増えるだけだから。あなたは手を出さないで部屋に帰って。後は任せなさい」


 自信たっぷりにそう言ったリリス。それと同時、キャリの部屋の戸がそっと開かれた。そこに立っていたのはサミールで、城のメイド達が着る衣装を一通り持っていた。


「リリス様。一通り用意致しましたが、これで良いですか?」


 リリスは全てを見抜いて一式を用意し、キャリの部屋へとやって来た。

 その片棒をサミールが担ぎ、細心の注意を払っていた。


 ――――あ、そうか……


 秘密の通路を再び使うとマリーシアを含めた女達の間で噂になるだろう。言い換えるなら、これからいくらでもやって来る事になるのだ。それに気が付いたキャリは、リベラが『お易い御用』と言ったもう一つの意味を理解した。


 後からどうなっても良いなら、それこそ簡単だと言い切った。そして同時に、面倒は引き受けるが責任はお前が取れと言う事を遠回しに言ったのだ。


「……正面から帰らせるんですね」


 リリスの目論見を理解したキャリがそう言うと、サミールとリベラがニコリと笑った。その笑みが何とも屈辱的に感じたキャリだが、不意にタリカを見た時、彼女は実に悔しそうな顔でマリーシアを見ていた。


「何にせよ時間がないわね。リベラ。もう一人もここへ連れてきて」


 リリスの指示に『へい。かしこまりやした』と答え、リベラはスッと闇に消えていった。抱えていたマリーシアをキャリのベッドにそっと横たえて。寝床に残るキャリの体臭を身に纏わせ彼女は帰ることになる……


「サミールはこっちの()の面倒を見て」


 小さな声で『畏まりました』と答えたサミールが衣装をベッドサイドに並べ始めた。それを見ていたキャリは、不意にポンと背中を叩かれた。叩いた主はリリスだった。


「女の着替えは覗いちゃダメよ。さぁ、城の中を一回りしてらっしゃい」


 もう一度キャリの背中をポンと叩いたリリス。

 その手に帰ってきた感触は間違い無く兄トウリのそれだった。


 ――――父と子だものね……


 複雑な感情がグルグルと心中で渦巻くが、それは顔に出さぬように笑った。その直後、部屋の隠し扉が開いてリベラが現れた。マリーシアと同じくほぼ裸の娘だ。


「……お願いします」


 一言だけ言い添えてキャリは私室を出た。城内は各フロアの通路にひとりずつ親衛隊剣士が配置され、侵入者を炙り出す手筈のようだ。内心で『なるほど』と感心しつつ階上へ向かうキャリは、ややあって親衛隊を率いるヴァルターと遭遇した。


「殿下。どちらへ」


 部屋に居ろよと言わんばかりのヴァルターだが、その部屋に居られないんだとは言えないので『姉の様子を見に行く』と返答し、そのまま歩き出した。


「……同行致します」


 警戒されているなと思ったが、不意に異なる角度の見方に気が付く。城内警備の最高責任者であるヴァルターは、何かが発生した場合に責任から逃れられない。そしてそれは、キャリが偽者である可能性を考慮したものだ。


 万が一キャリが偽者であった場合、その場で処分する為に同行する。ララの件で心を痛めているカリオンが本気で怒らないようにする為の配慮。


 ――――大変だな……


 不意にそんな事を思ったキャリは、ヴァルターに一瞥すらせず歩き出した。無駄に警戒させるのは本意ではないのだから、努めて平常通りに振る舞うのがマナーだろうと思った。


「ヴァルターさん」


 唐突にキャリから名を呼ばれ、『はっ!』と言葉を返したヴァルター。

 その返答を聞いたキャリは『ひとつお願いが』と小声で言った。


「何でありましょうか?」


 キャリのお願いという言葉にヴァルターは僅かながらも警戒した。

 しかし、その願い事は少々驚くものだった。


「今宵の侵入者は……私に会いに来た女です」


 キャリの言葉に思わず「はぁ?」とヴァルターは気の抜けた言葉を返した。普通はそうなるだろうなとキャリも思うが、それでも言わずには居られなかったのだ。


「万が一見つけても命までは取らないでください。出来れば穏便に」


 キャリはキャリなりに各方面へ配慮している。それを知ったヴァルターは『出来る限りに』とだけ返答した。罪人を見逃すのは職責に反するからだ。


 だが、キャリが何を心配しているのかもよく分かっている。次期王の后を巡る駆け引きが過熱しないよう警戒しているのだ。


 ――――メンドクセェ……


 内心奥深くでそんな事を思ったキャリ。

 次期王と言う肩書きから逃げ出したくもなるが、それも出来ない相談だろう。


 あれこれと内心でブツブツ思いつつ歩いてララの部屋まで来た時、部屋の中にはララと共に母サンドラとビアンカがいた。


「あなたは部屋にいないとダメでしょ」


 いきなり母サンドラに叱られたのだが、キャリの目は母ではなくララの手を握っているビアンカを見ていた。怯えた様子のララに『大丈夫ですよ。大丈夫、大丈夫』と声を掛けているビアンカ。


 その献身的な姿勢は、キャリの心に微妙な波風を立て始めているのだった。


「少し心配だったから……」


 口数少なにそう答えたキャリ。

 そんな息子をサンドラは微妙な表情で見ていた……


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