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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
大侵攻~忍耐と苦痛と後悔の日々
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出会い

~承前




 帝國歴400年まであと僅かのガルディブルク。


 各公爵家主催の戦勝祝賀会を兼ねたパーティーは一巡りし、いよいよ国家としての年末体制が始まった。その最初のイベントは聖導教会主催の報恩赦特ミサで、国王であるカリオンを始めとするロイヤルファミリーが国教会にやって来た。


 ――――ララ様だ……

 ――――おいたわしや……


 アチコチからそんな声が漏れるのは、市民の前にカリオン一家が勢揃いしたからだ。先の戦でララは心に傷を負い療養中であると公式発表がされていて、この日までは一歩も城から出ていなかったのだ。


 だが、この日ばかりはそうも言ってられない都合があった。基本的に国教会とカリオンの関係は悪い。先の王都争乱でも陰で糸引いてるのは国教会法主だと市民の噂になっているくらいだ。


 そして、アージン評議会が立てようとしたトウリ王を率先して認証すると言い出した法主は1年程前に胸を患って急逝している。王府から暗殺されたらしいとも噂になっているが、それもこれも城には凄腕の殺し屋が居ると言う噂からだった。


 王府と国教会の微妙な対立。


 それは様々な形でル・ガルに影を落としている。両陣営共に攻撃材料となる物を相手に渡す訳には行かない。それ故にカリオンは無理を承知でララを連れ、大聖堂へと足を運んだ。


 だが逆に教会側から言えば、ララに無理をさせて悪化させては王からの有形無形な報復が怖いのも事実。その関係で、国教会は修道女を派遣するとし、ララへのサポートに付けていた。


『大いなる神よ。我らの進む道を照らし給え。護り給え』


 ル・ガル国教会の法主と枢機卿が勢揃いし、特別なミサを開く日。

 伝承にある神の存在は、イヌを教え導き護る守護者そのもの。


 太陽の地上代行者である太陽王が神に祈るのはおかしいのかも知れないが、それを疑うイヌは居ない。そもそもが群れ社会の中で厳格な階級と階層を護るイヌの文化では、ル・ガル王の座は神が与えた物だと理解していた。


「もう終わりますよ」


 そう小声でララに声を掛けている存在をキャリは見ていた。キャリの後ろに立つタリカの傍らで椅子に座っているララは、ボンヤリと国教会大聖堂のステンドグラスを見ていた。


 そんな彼女の世話役として国教会が用意した修道女は、積み重ねた苦労が垣間見える平民出の若い娘だった。ひび割れた指先や艶の無い髪。そして荒れた肌。贅沢を敵とし、苦行の生涯を送ることで社会の為に生きる事を旨とする者達。


 およそ修道士や修道女なる存在は、祝福されない出生の者達が厄介払いに送り込まれたケースが多い。貴族家や平民家庭を問わず、不義の子であったり望まぬ妊娠であったりすると、生まれてすぐに神の子なのだと教会に送られるのだ。


「申し訳ありません。私がやるべきなのに」


 タリカは小声で彼女を労った。油断すればヨダレを零し始めるララだが、そんな女を献身的に世話していた。


「いえ。これが私の罪障消滅ですから」


 罪障消滅


 人は生まれながらに罪を持っている。或いは、前世の罪を背負っている。そんな罪悪感を植え付ける馬鹿馬鹿しい思想は、イヌの社会に根付いた罪悪感の根源だ。そして、そんな罪を滅し消し去る為、ひとえに神へ祈れという酷い仕組み。


 まともに考えれば全く不合理な話ではあるが、生まれながらに不幸であったり苦労の連続であったりする者は、そこに合理的な理由を求めたくなるもの。そんな人々の弱みにつけ込み教会へと足を運ばせる仕組み。


 前世の罪を償うべく不幸を積み重ねて苦行とする。その赦しを教会が与えるから帰依しろ。本来の神の教えを上手く利用し、そんな仕組みを考えた稀代のペテン師が法主の系譜に紛れ込んでいるのだ。


 ――――ばかばかしい……


 タリカの会話を聞くとは無しに聞いていたカリオンは、何とも複雑な表情だ。何故なら、マダラに産まれるのも罪の為だと国教会は言う。そして一身に神へ祈り、許しを請い、苦行の生涯を送れと説く。


 ――――まとめて焼き払ってしまうか……


 ふとそんな事を思ったカリオン。その横にはサンドラが並ぶ。そして更に横には次期帝となるキャリ。その後ろにはタリカが付いていて、この日はシックな黒のドレス姿だ。


 マダラにせよケダマにせよ、それが疎まれる存在である以上は自力で中傷をはね除けるしか無い。その為に必用なのは、並の存在以上に『出来る』のを見せ付け、誹謗中傷するそこらの有象無象に格が違うのだとねじ伏せる事。


 姿こそケダマだが、立ち振る舞いも優雅な仕草も淑女としての品と迫力を纏いつつあるタリカは、いつの間にか中途半端な存在から脱却しつつあった。なにより、マダラもケダマも神の摂理に反するとしてきた聖導教会の大聖堂に入っていた。


 そもそも、大聖堂にはマダラやケダマは立ち入ってはならぬされてきたが、この日の大聖堂には両方が揃っている。それを見て取った名も知らぬ老人がボソリと呟いた


 (帝國歴400年を迎えて新しい時代だな)


 静かに言ったその言葉に、周囲の者達は古稀の慧眼に首肯した。

 そう。新しい時代がすぐそこまで来ている。従来の価値観が通用しない時代だ。


『神の愛は万民に分け隔てなく注がれます。富める者も貧しい者も、老いも若きも男も女も、全ての命はその器の形に左右されず、神の前では等しくあるのです。命の価値をその器で判断してはなりません。栄えるイヌの国家に光あれ。祝福あれ』


 法主の説教が終わった時、大聖堂のなかに一際大きな拍手の波が沸き起こった。

 そしてその拍手の渦の中心にはカリオンがいた。聖なる導きと言って憚らなかった国教会がマダラを認めたのに等しい言葉が出たのだ。


「太陽王陛下万歳!」


 誰かがそれを叫び、呼び水となった興奮の荒波が大聖堂を埋め尽くした。幾度も万歳が叫ばれ、その声を受けてカリオンは手を挙げた。それはつまり、マダラで王となったカリオンが、遂に国教会すらねじ伏せたことを意味する。


 マダラを蔑んできた者達全てに煮え湯を飲ませ、新しい時代の到来を自分の力で切り開いたのだから。


 ル・ガルは盤石だ


 皆がそんな事を思ってる時、タリカは全く異なる感情を御せずにいた。結果的にケダマとなったタリカにしてみれば、カリオンがやって見せた事こそ生きる支えでもある筈。


 だが、目の前にいるキャリがララの付き人である女に声をかけた。たったそれだけの行為がタリカの心に強い衝撃を与えた。それが何であるかをタリカは気が付いていなかったのだが……


「他意は無い。そなたの名を教えて欲しい」


 いきなり次期王に誰何されれば誰だって訝しがるだろう。そうならぬよう最大限に気を使ったキャリ。だが、タリカはそんなキャリが許せなかった。もっと高圧的に。誰をも寄せ付けぬ迫力で迫って欲しいとすら思った。


 自分以外の女に声を掛けるキャリ。そこに含まれる複数の矛盾を飛び越して芽生えた嫉妬という感情。タリカの内面までもが女に変わり始めた事を、当の本人が全く理解していなかった。


「あ、あの……その……」


 ララが溢れさせたヨダレを拭きつつ、まだ若い修道女はあからさまに怯えた表情を浮かべたからだ。それは、住んでいる世界が違うからくるものであり、王子と平民の間にある見えない壁の影響だ。


 しかしそれは、今のキャリには逆効果だとタリカは思った。この数週間、各公爵系で開催された晩餐会などでは、夥しい数の女と引き合わされ迫られていた。だいたい何処の家に行っても女達の父親から『好きにして良い』と言われてきた。


 それが何を意味するのかは、もう言うまでも無い事だ。だが、鼻息荒く迫ってくる女達や、露骨に媚を売ってくる親達に辟易としていたキャリにしてみれば、自分に怯える平民出の女など庇護するべき小動物と同じだった。


「何もしないよ。罰しようとかいう意味じゃ無い。姉の世話をしてくれたのだから名前を聞きたいだけだ」


 爽やかな笑みを浮かべたキャリは、最大限に気を使ってそう言った。それこそ、キャリに熱を上げている貴族家の娘達にしてみれば、その笑顔を見ただけで気絶卒倒しかねない威力だ。


 だが、相手は修道女で、それこそ生涯を奉仕と自己犠牲ですり潰して死ぬのが運命付けられたような存在だ。そんな女の名を聞く王子。違う見方をすれば、そんな王子に誰何される奴隷階級の女に緊張するなという方が無理な話だった。


「び、ビアンカです……キャリ様」


 女はついに名を明かした。本来ならば修道女は名を明かしてはならないのだ。

 神の子。或いは神の僕として使い潰される事を悦ぶ存在のはずなのに……


「そうか。ビアンカか。良い名前だね」


 キャリが素直にそう言った時、ビアンカは思わず『え?』と返答していた。ビアンカと言えば始祖帝ノーリの後を継いだ2代目太陽王であるトゥリの実母の名だ。そして、そのビアンカもノーリが行きずりで見たサーカスの踊り子だったと言う。


 思わず顔を真っ赤にしながら『あ、ありがとうございます』と返答したビアンカは、ソワソワした様子で『ちょっとすすいで参ります』と言ってララの近くを離れてしまった。


 それを見ていたキャリは『あ……』と漏らしたが、間髪入れずタリカがキャリの背中をトンと叩き、『今のはよろしく無くてよ?』と叱責した。その意味がわからず不思議そうな顔をしたキャリだが、タリカは遠慮無く言った。


「あの娘。貴方に心奪われてよ?」


 そんな思考が全く無かったキャリは思わず『あ……』と漏らすものの、実際にはもう手遅れだった。ふと気が付けば大聖堂に居並んでいだ各公爵家に連なる女達が憤慨した表情でキャリを見てた。


 それは或いは悲しみかもしれない。次期帝として生まれてきたエルムに近い歳の娘を持つ貴族ならば、僅かでも可能性がある以上は淑女足らんと育てるのはやむを得ない。そしてそれは、強烈なプレッシャーとなって娘自身をも押し潰したはず。


 酷い話なのかも知れないが、それでもここまで気を病むようなプレッシャーの中で育ってきた娘たちにすれば、キャリの見せたワンシーンが即ち自らの存在を否定するものかもしれないのだ……


「しばらく……面倒が続くかも知れないわね。覚悟あそばせ?」


 タリカは僅かに口元を歪ませ笑った。だが、それは単なる面白がりだけではない感情が潜んでいることを、本人すら気付いていない。この数週間、キャリが夜会から帰ってくる都度に疲れた顔をしているのすら面白く無かった。


 ――――鼻息が荒すぎる……


 そう零すキャリの上着を取ってやり、身辺の世話をしてやった。それは端から見れば夫婦の様にも見えるのかも知れない行為。だが、出来る女を目指すタリカにしてみれば、エイラの与えたカリキュラムを実行しているに過ぎない。


 ただ、繰り返しそれを行っているうちに、執事や側近という関係では無い、異なる感情が芽生えたとしても、責められない事ではあるのだが……


「本気で勘弁してくれ……」


 ウンザリとしながら大聖堂を後にしたキャリ。ララのサポートに付いたビアンカはララの頭に大きなケープを被せ顔を隠し、その手を引きながら大聖堂を出た。割れるような拍手と喝采が溢れるなかのワンシーンだ。


 あり得ない事に、法主と枢機卿の12名全てが大聖堂の外まで太陽王を見送りに出た。王都市民に見せ付けるかのような振る舞いは、一部の者が鼻白んだ顔をする事態だ。


『良いミサであった。主の御心と慈悲に感謝を捧げよう』


 カリオンの口からそんな言葉が漏れ、法主は僅かに安堵した。間違い無く目を付けられて居るであろう聖導教会の存在に一定の評価を与えられたからだ。ただ、その際、カリオンは法主直下にある枢機卿にも声を掛けていた。


 12の教管区に別れそれぞれを受け持つ枢機卿のうち、この王都を預かる枢機卿は次期法主とも言われている。そんな存在にカリオンが言ったのは『あの娘、しばらく借りるぞ』だった。


 ――――どうぞどうぞ

 ――――ご存分にお使いください


 若い修道女が法主や枢機卿の慰み者にされるのは公然の秘密であり、王都の警察機構である近衛師団衛士や太陽王の親衛隊ですらも足を踏み入れられない領域での秘すべき痴情だ。


 だが、そこへ容赦無く手を突っ込み、修道女を召し上げた形のカリオン。僅かながらララが楽しそうにして居るのを見て取ったが故の言葉なのだが、法主も枢機卿も全く嫌がる素振りすら無かった。


 太陽王の譲歩


 教会側に因縁を付けさせる事象を自ら引き起こした。

 つまり、後になって修道女を返せという難癖付けさせるタネを残して行った。

 言い換えるなら、いつでも因縁を吹っかけてこいと言う勝利宣言とも言える。


「そうか。済まぬな――」


 笑みを浮かべたカリオンは、それ自体を面白く無い者が見れば不遜にも見えるものだった。神の摂理こそ真理で絶対だとする者達からすれば、実に面白くない事だった。しかし……


「――心を病んだ娘が嫌がらずに済む存在というのは貴重なのだ」


 付け加えたその一言で枢機卿達は理解した。もちろん法主もだ。

 太陽王は本気で困っている。そして今、マダラの男は救いを求めている。


『……きっとこれも主のお導きでありましょう』


 咄嗟に口を突いて出た法主の言葉。

 それを聞いたカリオンは悪い顔でニヤリと笑った。


「導きに感謝を」


 最後に一言残しカリオンは城へと帰っていった。

 その後ろ姿を見送った法主は、大きく息を吐きながら言った。


『恐ろしい御方だ……』


 けして誰にも聞かれてはならぬ本音。だが、それは聖導を掲げる国教会にしてみれば組織全ての総意だった。そして同時に新たな争いのタネにもなりかねない事態ゆえに慎重な対処を求められる。


 ――――法主

 ――――如何なさいますか


 王都管轄の枢機卿は小さな声でそう漏らした。

 あのビアンカの身は、国教会にとって大事な商品だった。


 国教会へ多大な喜捨を行った大商人へ()()される筈だった娘。

 その先に待つ運命は、説明する必要すら無いものだろう……


『文句があるなら王に直接奏上して頂こう。商人風情を相手にする方がまだ楽だ』


 先の争乱時に王都の枢機卿であった現法主は、カリオンの手腕を何より恐れていた。困難に直面した時に全てひっくり返し、あわせて別の案件も処理してしまう。その手際の良さを思えば、むしろ娘の件で商人が喚いてくれた方が良い。


 ――――御意


 枢機卿達が手短に返答するそれは国教会の方針だ。太陽王と上手く付き合ってゆき、起死回生のチャンスを待つ。いずれマダラの男も死ぬのだろうから、その時に教義を修正すれば良い。


 主の摂理に反するマダラが大聖堂へ入っただけでも穢らわしいと言うのに、寄りにも寄ってケダマまで持ち込んだ許されざるべき行為。世界に蔓延る差別や階級階層と言った不条理な仕組みの根本は、突き詰めれば宗教に行き着くのだった。


『あの娘の正体を知れば、王妃も驚かれるじゃろうな。王子も若い男だ。手でも出してくれればこちらには好都合じゃて……フフフ……』


 太陽王一家の姿が見えなくなり、大聖堂へと入った法主は初めて悪い笑みを浮かべた。ビアンカの身の上を一切聞かずに召し上げた形のカリオンだが、彼女の身にまつわる驚愕の事態へ直面すれば、多生は困った事になるだろう。


 一矢報いる事が出来れば、それだけで重畳。事態が拗れたならば、それこそ付けいる隙が生まれる。それを思えば、海千山千な法主にとって愉悦を通り越した事態になるのだった。

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