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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
大侵攻~忍耐と苦痛と後悔の日々
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ララとタリカの戦い

~承前




「姉上 行ってまいります」


 暖かな日差しが降り注ぐ夕暮れ時のガルディアラ城最上部。緊張した面持ちでやって来たキャリは次期帝として恥ずかしくない衣装に身を包み、まるで戦場にでも向かうような気迫を漲らせつつそう言った。


 城のロイヤルファミリー向けプライベートエリアにララの為に特別な部屋が設えられ、完全に壊れてしまったその心を癒やすべく、様々な形で精神を起動するべく奮闘していた。


 ――――魂が完全に壊れています

 ――――自分自身で死を望んだ結果でしょう

 ――――自死は現実逃避の最終形態に過ぎません

 ――――恐らくそれだけの経験をしたのでしょう

 ――――ですが命そのものが身体に残ってしまっています

 ――――死なないのではなく死ねないのです


 過日、キツネの船の上でララを診察した阿紫なる九尾は、そう結論を出した。そしてこれはリリスのケースとは違って、新しい身体を用意したところでどうにもならない事態だと告げた。


 人を人たらしめる物の正体が記憶とするなら、その記憶の生成と記録を行うのは命という物。その命を身体に繋ぎ止めておく為の器こそが魂。余りの衝撃に心ここに有らずな驚きを見せる事を魂消ると言う通りの事態なのだった。ただ、そんな診察をした阿紫は最後にこう付け加えた。


 ――――何故かは判りませんが命はまだ消え去ってはいません

 ――――言うなれば自分自身の意識や感情を完全に分離してしまったのです

 ――――確証ありませんが今は最低限の機能を持った別の意識が起きています

 ――――その意識をきちんと育て上げて元の意識を呼び起こしましょう


 言うなれば精神が分裂した状態だ。ならばその分裂した精神を育て、後に統合すれば良い。手法として確立された訳では無いが、理屈の上では話が通るのだ。


『よろしい。ならばル・ガル最高の頭脳を召集しよう』


 カリオンはそう宣言し、城詰めの魔導師やガルディア全土から集う最高の頭脳が彼女の精神を再構築する手法を模索していた。その為に作られた部屋の中、王宮騎士の衣装に身を包んだララは、相変わらず無表情で椅子に座っていた。


 言われた事には反応するし、『立って』『座って』『食べて』と言ったお願いには素直に応じる。まるでロボットのような存在となったララは、完全に心を失った状態のまま、ボンヤリとキャリを見ていた。


「良い娘探してらっしゃい」


 サンドラは笑顔で息子キャリを送り出す。

 凱旋から3週間が経過し、ル・ガルは年の瀬12月を迎えつつある。


 例年で言えば12月は本格的なパーティーシーズンだ。

 クリスマスという習慣の無いル・ガル故に年末忘年会と言った要素が強い。


 そんなパーティーに各公爵家主催による戦勝記念のイベントが重なっていて、その全てにキャリが出席する事になっていた。言うまでも無く、キャリの嫁取りが始まったのだ。


「いきなり押し倒したって誰も文句言わないわよ」


 アハハと笑いながらリリスがそんな事を言うと、キャリは困った様な顔になって笑った。実際、様々な場で秋波を含んだ眼差しを女性陣から送られていて、正直に言えばキャリも辟易としていた。


  帝后


 それはある意味で女の願望であり、もっと言うなら野望だ。このル・ガルに暮らす女性の頂点と言っても良い。何より、時期王の母ともなれば、その名声権勢は言葉では言い表せない。


 だからこそ、キャリと同じ時期に娘を持った多くの貴族達が娘に最高の教育を施そうと奔走していた。残念な話だが、それもまたル・ガル国内貴族疲弊の一因でもあるのだが……


「では」


 逃げるようにその場を離れたキャリ。そんな息子を微笑ましい目で見ていたサンドラだが、リリスは少々怪訝な顔でサンドラを見ていた。


「どうしたの?」

「いや…… あの子は案外奥手だなってね……」


 身持ちが堅いとかそう言う意味では無く、カリオンとは異なる性格に育ったキャリがサンドラは不思議だった。父親であるカリオンとは似ても似つかぬ部分があるのだ。それが何かと言われれば上手くは表現出来ないのだが。


「……そうね。それは思う――」


 リリスもリリスでそう思う部分がある。一人っ子で育ったカリオンは、誰でも良いから大人では無い話相手が欲しかったし、同じ年齢で悪さをしたり冒険したりという相棒を求めていたのかも知れない。


 そしてもっと言うなら、ゼルの、いや、五輪男の方針として年齢なりの危険に身を晒して学ばせたいという方針による活発さを許されていた。異なる見方をするなら、リリスを護る為にどうするか?を学ばせていた。だが……


「――まぁ、城の中で育って過保護で来すぎたのかもよ。だからまぁ…… 黙って見守るのが良いのかも知れない」


 リリスは何処か達観した視点からそう言った。様々な経験を積み重ね、酸いも甘いも味わい尽くしたが故の達観。若しくは諦観かも知れない。だが、今のサンドラにしてみれば、それすらも羨ましいと思う部分があった。


「男は女とは違う生き物だからって…… お義母様が良く言ってた」

「その義母様って誰のこと?」


 鋭く突っ込みを入れたリリスにサンドラが少し驚いた顔になった。

 ただ、その実を察し、サンドラは少し笑って言った。


「レイラ様とユーラ様の両方。オオカミの社会しか知らなかった私に色んな事を教えてくれた。ほんと感謝してる」


 サンドラの正直な言葉にリリスが微笑む。そしてふとリリスも気が付いた。

 母レイラはヒトであった。それ自体を不思議に思ったことは無かった。


 だが、今の自分は母と同じヒトの姿をしている。

 それが何とも不思議だった。そして……


「……あっ」


 何かに気が付き、脳内でそのイメージを整理して急速に言語化していく。

 その課程でリリスは少しばかり怖い表情になりサンドラを見た。

 

「ねぇサンディ。昔の私やカリオンが重なりなのは知ってるでしょ?」


 何を思ったが際どい質問をいきなりぶつけてきたリリス。

 サンドラは少しばかり面食らって『もちろん』と応えた。

 その応えに何度か首肯したリリスは一度視線を下に落としてから言った。


「あなたはどうなの?」


 それは余りにも予想外な問いだった。

 サンドラ自身が考えたことも無い事だった。

 だが、真剣に考えてから出た答えは、ある意味至極当然だった。


「……わからない」


 そして『考えたことも無かった』と付け加えた。だが、それはある意味でリリスにも予想できた答えだ。何故なら、自分自身の経験として完全な閉じ込め症候群に陥るまで自分でも解らなかったのだから。


「それがどうしたの?」


 サンドラは不思議そうな顔になってそう問うた。

 ただ、自分自身でその言葉を放った後、リリスの真意を察した。


「なんでこの子がまだ生きてるんだろう?って思ったのよ。もしかして、この子も複数の魂を持っていて、今は……」


 リリスは傍らにあった水差しをとり、ララが飲むグラスへ水を注いだ。そしてその後で、そのグラスを取りあげると、テーブルに載っていた予備のグラスへ水を移した。つまり、複数の魂と1つの命の関係だ。


「……別の魂にこの子の命がうつってしまっている……と」

「そう。しかもそれは、この子の男だった部分の魂じゃ無いのかしら」


 ララの説明にサンドラは得心したような顔になった。それと同時にキツネの国で失ってしまった男の側の部分をどう取り戻すかを思案した。だが、どう考えたってサンドラでは答えが出ない。


 生命の神秘と呼ばれる領域の話であり、もっと言うなら神の摂理の範疇だ。仮にこれを聖導教会にでも持ち込もう物ならば、間違い無く『神の御許へ送ってさしあげるのが良い』などと言い出しかねない事態……


「どうしたら良いんだろう」


 少しばかり唇を噛んでサンドラは思案する。それを見たリリスは『専門家を呼びましょう』と言いだした。そして、空中へ印字を切って魔法回路を生成し、自分自身をこんな形にしてこの世に縛りつけた張本人を呼び出した。


「センリ。ヴェタラも。手が空いてたら城へ来て。相談したいことがある」


 時と空間を飛び越える時空術は、死者の宮殿で随分と技術を磨いた部分だ。ややあってリリスの目の前にモヤモヤとした黒い雲が生成され、その中にネコの女特有な金色に光る目が現れた。


『ヒヒヒ…… ヒト風情があたしを呼び出すとは良い度胸じゃないか。今から言ってやるから酒でも用意しときな』


 それは間違い無くセンリの声で、サンドラは少しばかり表情を硬くしていた。


「大丈夫なの?」


 幾通りにも解釈できる言葉故にリリスも少々返答に困る。ただ……


「それは解らないけど……まずやってみなきゃ」


 リリスの前向きなスタンスには一種の自信と覚悟が見て取れた。

 あのセンリとヴェタラが良からぬ動きをしたならば容赦無くねじり殺す。

 それが出来るだけの力を付けたリリス故に出来る事なのだろう。


「……そうね。いずれにしろ、少しでも良い方向に」


 母であるサンドラの目がララに注がれた。

 そんな彼女はボンヤリとした眼差しで空っぽになったグラスを見つめていた。






 ――――同じ頃



 城下に降りたキャリは、大歓声に迎えられ馬に跨がった。

 立太子を終え戦役を経験した王子には風格が漂い始めている。

 城下に暮らす老若男女全てがその勇姿を讃えている。


 ことに、城下にある大学の女学生などは黄色い歓声を上げていた。貴族貴顕の娘ならぬ存在とは言え、城詰め女官などに就職できればお近づき出来るかも知れないし、上手くすればお手付きになってそばに置いてくれるかも。


 いわゆる玉の輿狙いで目の色を変えたとしても、それは責められる物では無いのだろう。歴代太陽王が囲ってきた王の庭の女達という話しは、ガルディブルクでは公然の秘密として語られているのだから。


 ただ……


「ほんと。誰かと思ったぜ」


 馬上にあって愛刀を差し替えたキャリは、目の前の『女』に声を掛けた。白ベースのワンピースに大きな飾り袖の付いた馬上服で身を包んでいるのはタリカだ。驚く程に細いウェストには赤い腰帯を巻き、そこには細身のレイピアを下げている。


「少しは見栄えがするようになったかな?」


 ビックリするほど柔らかな喋り方をするタリカは、ケダマの顔立ちのまま頭上に大きなボンネットの付いた帽子を被っていた。さすがにルージュを引くような唇こそ無い物の、だいぶ伸びてきた体毛を丁寧に撫で付け上品な様子だ。


「おババ様。厳しいだろ?」


 そう。タリカの振る舞いや歩き方。もっと言えば立ち姿の全てに至るまでエイラが徹底教育を行っていた。油断すればビッグストン式な規則正しい動きになってしまうのだが、それで女性物の高踵靴を履くと転んでしまう。


 腰回りから股関節の構造が完全に女になってしまった以上、歩き方から変えないと怪我をする危険性があるし、なにより『美しくない』と駄目出しをされるのだ。


「美的感覚って物が全く異なるからね――」


 細身のスパッツを履いた状態の両脚にはニーハイの乗馬ブーツ。

 その足首には小さなリボンが付いていて、キッチュな様相だ。


「――やっと慣れてきた気がするよ」


 フフフと笑ったタリカ。


 以前であればもっとぶっきらぼうな喋り方だし、遠慮無く大口を開けてゲラゲラと笑ったことだろう。


 だが、エイラに連れて行かれてあれこれ叩き込まれ始めた時、さすがのタリカもそれを拒否しようと逃げ出しかけた事があった。だが、たまたまやって来たカリオンに見つかり、捕まったのだ。そして……


『俺はビッグストンで最初のマダラだった。ポーシリ(1年生)時代なんか毎日のように徹底的な指導を受けて倒れそうだったよ。それこそ、毎日のように同級生から殴られてな。一度など100人近くから暴行を受けたことがある位で……』


 ――と、ビッグストン始まって以来の成績を残したカリオンの武勇伝を聞かされた。その中で最後にカリオンが言った事はタリカの胸をこれ以上無く強く叩いた。カリオンがポーシリだった時代、カリオンの居た部屋の長である男が言った言葉。


 ――悪意ある連中はお前が苦しみもがく姿を見て娯楽とする。

 ――それを乗り越えた先に真の尊敬と理解があるし、それを得られるだろう。

 ――相手だけに変わる事を求めるな。まず、自分が変わるんだ。

 ――そうすれば相手は必ず変わる


 マダラ以上に数の少ないケダマはとにかく疎まれる。謂われの無い差別や区別を無く受ける。そして、容赦の無い罵倒と蔑みと批判を浴びることになる。その全てを知っているからこそ。自分自身がそうだったからこそ……


「王陛下の言われた言葉で吹っ切れたよ。今は挑戦する気持で一杯」


 喋り方が女性っぽくなり、発音は典雅で穏やかだ。

 常に穏やかで微笑している姿は、一種独特の美しさがあった。


「オヤジが良く言ってるもんな」

「意地を張って乗り越えろ。どんなに辛くても笑っていろ……ってね」


 すっかり小さくなった上半身を包む衣類には、目を見張るような胸の膨らみが存在を主張している。そんな首元には、どこかで見覚えのあるネックレスがあった。


「それ……」


 それはエイラを含め国内でも数えるほどしか持ってない代物だ。

 カリオンでは無くサンドラが認可し下賜される物。それは……


「エイラ様に貰ったものよ。ル・ガル国内で男子禁制の所全てに自由に立ち入り出来る身分証明ね」


 白薔薇の証と呼ばれる身分証明書。

 これを持っている女は男から一目置かれる場合が多い。


 それこそ、並大抵の努力で得られる物では無く、女学校を首席で出てから女の立場で社会に多大な貢献をし、その上でロイヤルファミリーと面識がある事が条件。城詰め女官の中でもララやリリス、サミールしか持ってない物だった。


「……まずったら取り上げられるからな」


 キャリがそう漏らすと、タリカはニコリと笑って首肯した。

 改めて見れば、そんな仕草には愛嬌と優雅さがあった。


「立場的には今までと変わらないけど、振る舞い方は大きく変わると思う。ただ、キャリ。あなたは変わらないでね」


 タリカの口からそんな言葉が漏れた時、キャリは思わずドキリとした。

 胸が高鳴ったのでは無く、心臓を鷲掴みにされた様な気がしたのだ。


「あぁ…… 解った」


 次期帝であるキャリの、一番の相談相手で側近中の側近。

 そんなポジションにケダマが居る。並大抵の努力では務まらないポジションに居ると言う事で、各方面から一定の配慮を受ける事になるのだろう。


「じゃぁ…… 行きましょう?」


 フフフと笑って馬に跨がったタリカ。

 その身のこなしや動きはまるでララだ。

 そんな姿を見て何かを言おうとし、言葉を飲み込んだキャリ。


 タリカが本物の女だったら……と言う思いは否定出来ない。

 だが、それを言えばタリカも辛いだろうし、ララにも申し訳無い。


「……………………ッチ」


 誰にも聞こえないように舌打ちし、キャリは馬を出した。

 近衛第2師団から選抜された10名ほどが親衛隊を形成し、護衛に付いている。

 だが、そんな護衛よりもタリカのことが気になっているのだった……

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