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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
大侵攻~忍耐と苦痛と後悔の日々
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利益の激突 理念の衝突

~承前




 その日、シーアンの街はただならぬ雰囲気に包まれていた。

 立て籠もるネコの一団が皆殺しになってから2週間が経過した頃だ。


 ――――街外れの天幕が消えた!


 誰かがそれに気が付いた時、街の住人達は半壊している城壁へよじ登って彼方を眺めた。街の大手門から半リーグ辺りに並んでいた野営天幕が全て畳まれ、水路として使っていた溝が埋められていたのだ。


 ――――侵攻軍が撤退するぞ!


 遠くジェンガンやナンジンからも逃げ込んできていた住人で溢れかえっているシーアンだ。その住環境は最低最悪の物になっている。そんな街中の片付けや崩落した城壁資材の運び出しなどを行っていたイヌの工兵が姿を現さなくなった。


 いつも朝早くから活動していた彼等が来ないなら、何かが起こったと理解するのが普通だろう。最初は次の戦の準備か?と訝しがった住人達も、今度は自分達が見捨てられる恐怖を感じ始めた。況んや要するに、勝手に野垂れ死ね!である。


「陛下。市街各所の町内会長らが説明を求めておりますが」


 撤退準備の進むル・ガル本営にあって、ウォークは官吏のまとめた要望書を片手にカリオンの所へ姿を現した。完全に自我を失った状態のララへ話しかけていたカリオンは、さも面倒臭いと言わんばかりに振り返った。


「面倒はエデュの所へもって行かせよう。ネコの国が移動するのを支援してやろうじゃないか。街の片付けは自分でやれと突っぱねてしまえばいい」


 何とも不機嫌そうな言葉を吐いたカリオンだが、それでも律儀に報告書の体裁になっている要望書へ目を通した。要約すれば、シーアンはル・ガル勢力圏に組み込んで欲しいと言う事だ。


 そもそもこのシーアン自体、獅子の国のとんでも無い僻地に存在する辺境だ。もっと言えば、全く何も無い荒れ地の中に設置された駅逓が始まりと言って良い様なものだ。


 そもそも何かしらの土着民族が存在していて、その豪族の長が辺境伯として叙勲され支配者となる形ですら無い。それ故に、何かしら頼るべき柱が必要になるのだが、それを行う獅子の国は実際の話としてそれどころでは無いらしい。


「合衆国……でしたっけね。おおかた、ネコの国の内部に居るヒトの学士に吹き込まれたのでしょうね」


 ウォークはそんな事を言いつつ、カリオンの指示をメモしながらもララを見た。

 大きな窓のある部屋の中にあって、風を受けながら日の光を浴びて佇んでいた。


 その目に意志を感じる事は無く、完全に正体の抜けきった抜け殻のような生き物になっているララ。彼女が自らの意志を示すことは無く、全てされるがままの生き人形だった。


「何事も功罪両面が存在するものだが……この世界へヒトの世界の知見や知恵を持ち込まれるのは、悪い面の被害が大きいようだな。父は何事も功三禍七が最も悪いと言っていたが……」


 自らの手でブドウの実を解し、ララの口へと運んでいるカリオン。

 その後ろ姿を見ていたウォークは『悪も極まれば世の薬ですから』と応えた。


「全く持ってその通りだ」


 甘みを感じるブドウを食べ、僅かに微笑んで見せたララ。その髪を優しく撫で、優しい声で『美味しいだろ?』と語りかけている。それはもう純粋な父親の姿だ。


「……街の住人にその旨通達を出し、合わせてネコの側に連絡を入れておきます」


 父と娘の大切な時間を邪魔する訳にはいかない。

 そう判断したウォークはカリオンにそう告げた。


「あぁ。そうしてくれ」


 カリオンの応答にウォークは一礼を返して部屋を出て行った。

 入れ替わりに部屋へ入ってきたのはジョニーとリリスだった。


「おぃエディ。言ってた物が届いたぞ」


 近衛将軍としてル・ガル全軍への影響力を持っているジョニーは、国元からある物を取り寄せさせた。それはララがガルディブルク王宮内で身に纏っていた、赤い腰帯の近衛騎士衣装だ。


 もっともそのデザインは優雅なタイトスカートをした女性らしい衣装で、細身のレイピアを腰から下げたララが王宮内を歩けば、誰だって姫殿下だとすぐにわかる姿だった。


「上手く行くかな?」


 率直な言葉をカリオンが零すと、他ならぬリリスが『とにかくやってみましょうよ』と明るい声で言った。あの地下の密室で汚され穢され人格を徹底的にへし折られたララをどうにか立ち直らせたい。


 その為の方策に知恵を絞ったジョニーやリリスが考えたのは、常に胸を張って気を入れて、肩で風を切って歩いていた王宮衣装を着せることだった。一番輝いていた時代に返らせることで、何かを思い出して欲しいと言う願いだ。


「そうだな。何事も挑戦だ」


 あまり期待していないと言った風な事を言うカリオン。そんなカリオンの背中をポンと叩き『ほら、男は出て行きなさい』とリリスは追い出しに掛かった。


 若い娘の着替えを男が居並ぶ所でやる訳には行かない。そうやって羞恥心や女の意地を思い起こさせると言うのも、リリスの狙いのひとつだった。


「じゃあ、頼む」

「うん」


 リリスの肩をポンと叩き、カリオンはララの頭にキスをしてから部屋を出た。一足早く部屋を出たジョニーは、その一連の姿を眩しそうに見つつ気が付いた。部屋を出ようとしていたカリオンの顔が、まるで戦の最中に見せるような裂帛の表情その物だと言う事に。






 ――――その日の夕刻。


 テーブルを挟んで差し向かいになったカリオンとエデュは、厳しい表情のまま向き合っていた。美味い物が手に入ったと言って尋ねてきたエデュは、大河イテルで上がった淡水性の鮫を締めた肴を手土産にやって来た。


 ただ、それがカリオンへの面会を求める大義名分なのは誰にでもすぐに解るもので、訪問した本題はシーアン撤退の手順について。ネコの側に通達された撤退の連絡は、少なからぬ波風を立てていたのだった。


「……どうしても帰るかね?」


 エデュが厳しい表情になっている一番の理由は、ル・ガル軍団の帰国に関するタイムスケジュールだ。口の中で蕩けるような食感を持つ鮫の身が芳しい薫りを放っているが、そんな味など楽しんでいる余裕など無いし手も付けてない。


 率直に言うなら、エデュとしてはここシーアンにネコの国体が移動するまで面倒を見てもらう算段だった。まだまだ不安定なウチにライオンの正規兵がやって来るのは歓迎しかねるのだから。だが……


「あぁ。率直に言えば国元へ1日でも早く帰りたい。娘の件で気を揉んでいてね」


 一国の王では無く父親としての顔を見せるカリオン。ララの件が思わしくないと言う部分では、エデュも面倒を言いにくいのかも知れない。ただ、本音を言えばネコには関係無い。


 こんな場面でも遠慮する事無く我が儘一杯に自分の都合をまくし立てられるのもネコの強みでもある。そしてもっと言えば、ル・ガルの都合でこうなったと言わんばかりの態度でもあった。


「もう今さら獅子の国とのあれやこれやについて文句は言わんよ。だが、移転作業が終わるまでとは言わぬから、もう少し支援して貰えないだろうか?」


 率直に切り出したエデュは、チラリと窓の外を見てからカリオンをジッと見た。ル・ガル本営の存在するホテルの外は、俄に賑わいを取り戻しつつあった。ル・ガル軍団の帰還準備による物資放出が始まったのだ。


 大量の天幕や輜重品関係が放出され、シーアン市街の商人が大量にそれを買い付けている。今回の騒乱で住む家を失った者達向けに、仮設の住居を提供するのが目的だろう。


「具体的には?」


 もっと正直に言えと言わんばかりにカリオンが言うと、エデュは苦笑いを浮かべつつも正直な言葉を吐いた。


「獅子の国軍対策だ。連中が戻ってこない保証は無い」


 それが虫の良い話であることは解っている。だが、長年に渡りライオンと国境を接してきた彼等ネコにしてみれば、その精強さと手強さが染みついているのだ。そしてもっと言うなら、幾度も蹂躙された恐怖が大きい。


 およそネコの性分として、自らの身を犠牲にしてでも国の為になんて発想には先ず至らない。自分が死ぬ番が来るまではその意義を雄弁に語り、必要な犠牲で美しい精神の発露だ何だと褒め称えるだろう。


 そう。他人の損を全く考慮せず、自分自身の損得を最優先にする。その性根は永久に変わる事が無い。だが、そんな精神性を最も嫌うのは他でも無いイヌだった。


「ネコの国軍で対処するべきだ。己の国は己の手で作る。それが鉄則だろう」


 汗を流し、血を流し、涙を流し、その果てに国家が存在するべきと言うカリオンのスタンス。それはまさにビッグストンで教えられてきた国家観そのもの。何よりイヌという種族はこの数百年をその為に費やしてきたのだった。


 幾度も辛い遠征を行い、夥しい犠牲を払った上に今の繁栄がある。それを思えばネコの側には甘ったれるなと言ってやりたいレベルでの不快感を持っていた。


「ここで我らの国家事業が失敗すれば、イヌはライオンと国境を接する事になる。それは君らも望まないんじゃ無いのか?」


 脅すような一言がエデュの口から出た。

 だが、それに対するカリオンの回答は手短な物だった。


「もちろんだ。だが、その為の犠牲をイヌは容認する。己の国を護る為に己が努力することには疑念を挟まぬだろう」


 つまり、カリオンは遠巻きながらもネコの側に最後通牒を突き付けた。怠惰なネコの為にイヌが死ぬ義理は無いと突っぱねた形だ。その言いたい事の核心部分を良く承知しているからこそ、エデュは露骨に顔色を変えていた。


 どうやっても折れそうに無い。こちらの要求について交渉の余地が無い。それを見て取ったからには、少しでも実のある結論を得る為の戦いにシフトせざるを得ないのだ。


「ならば……そうだな。例えば先頃……いや、もう年を越えた話だが、ネコの領域にイヌが駐屯する話はまだ有効ではないのかね?」


 過去に交わされた国家間の交渉事についての成果を持ち出してきたエデュは、ここが正念場だとばかりに畳み掛けることを選択したらしい。カリオンは一瞬だけ厳しい表情になったが、その意図を読み取ったのか顔色を変えずに言った。


「獅子の国軍を撃退した以上は完了だと余は判断する。まぁ、この先――」


 臨戦態勢のエデュに対し、カリオンもまたグッと気を入れた顔になって応えた。


「――仮に獅子の国が再度の越境侵攻を見せた際、ネコがガルディア連合の側に立っていたなら共同戦線を張らないことも無い。だが、それはあくまで自助努力あってこそだ。我々はネコの国の番犬では無いのだ」


 番犬では無い。その言葉に込められた意味をエデュは痛みと共に理解した。要するに、まずは自分で努力しろ。人を頼るな。それだけの事。逆に言えばそれに見合う利益があるなら参戦も検討する。


 つまり、獅子の国を撃退して安全が確保されるなら参戦する。イヌの王はイヌの利益を代表してそう言ったに等しい。だがそれは、イヌネコの種族を越えた思想的激突に結びつくものだった。


「……イヌは世界の衛士警察では無い。つまりそう言う事だな?」


 やや口調が変わった。

 それを見て取ったカリオンは静かに首肯した。


「そうだ。強き者が生き残り、弱き者は喰われる。神の定めた摂理は逆らえぬ」


 どれほど美辞麗句を並べたところで、弱肉強食こそが世界の一大原則。そして、崇高な理念だの美しい博愛主義だのと言ったものは、利益損得を鑑みた上で利が見込める時にのみ口を突いて出る言葉。


 己が不利や損失を被る状況でそれを言い出す者はいないし、いたとしても讃えこそすれ内心は余計なことをするなと言う思いの方が大きいだろう。だからこそ自分の身は自分で守らねばならないのだが……


「……全く持って反論の余地も無い。美しさすら感じる世界の現実だな」


 全てを損得で考えるネコにとって、それに対する反論はし難いものがある。しかしながら、カリオンの言った言葉についてエデュはひとつだけ釘を刺す事を忘れなかった。


「つまり、ネコの国の方針として……あくまで可能性のひとつとしてだが――」


 それは、ネコとイヌが抜き差しならぬ関係である事を確認する一言だ。

 もっと言うなら、旧知の仲とは言え馴れ合う関係では無いと突き付ける一言。


「――それがネコの利益に合致するなら、ネコは獅子の国に付く。それについて異論は……無いね?」


 エデュの言い放った言葉にカリオンは一瞬だけ目を泳がせた。

 だが、その僅かな刹那にひとつの覚悟を決めたらしい。


「勿論だ。そしてその為に再びル・ガルと激突することを選んだなら、我が国は持てる力の全てを使い、全身全霊を持って受けて立つ。結果としてネコを亡ぼす事になろうと、それがイヌの利益ならば躊躇しない」


 エデュの顔を見ながらそう言い放ったカリオン。

 その表情からは如何なる感情をも読み取れなかった。


「……なるほど。降参だ」


 両手を万歳の姿勢で上にあげ、エデュはこれ以上無い苦笑いを浮かべた。そしてそのまま両手を下げ、手土産になっていた鮫にナイフを入れて丁寧に切り分けながら、カリオンをチラリと見て言った。


「君の父上とフィエンの街で対峙した時……あぁ、まるで昨日の事のようだが、あの時は完全に手玉に取られて悔しい思いをしたよ」


 クククと笑いを噛み殺し、すっかり醒めてしまった鮫の身をふたり分に切り分けたエデュ。それを見て取ったカリオンは『酒でも用意してくれ』と指示を出し、程なくワインが運ばれてきた。


 淡泊な筈の鮫に合わせたのか、ロゼの芳しい薫りが部屋に漂う。

 その薫りをスーッと吸い込んだエデュは、ニンマリと笑っていった。


「齢50にもなっていないヒトの男が300を越えたネコを手玉に取る。それはもうね、私にとっては驚天動地の事だった。ただ、思えばそれも良い経験だ。こうして君が見事に切り返してくる事に対し、耐性が着いたんだからね」


 悔し紛れに放った言葉なのだろうが、その僅かな部分に確かな成長を喜ぶ好々爺の笑みが混じっている。そんな事を感じ取ったカリオンもまた薄ら笑いを浮かべつつも返答を思案した。そして。


「まぁ、純粋に褒められたと思っておきましょう。父には終ぞ褒めて貰えませんでしたからね」


 運ばれてきたワインで口を湿らせながら、カリオンは僅かに上機嫌であった事を知った。会話の中ではあるが、まだまだ偉大な影を残す父ゼルを褒められ、その父が相手を打ち負かした事を知ったのだ。


 息子を自負する者ならば、心の何処かに暖かな感情が沸き起こったとて責められるものではないだろう。父に負けたと言う者が、目の前で自分の父を褒めているのだから。


「あの男に育てられたのだから、これも宜なるかなと言う所だ――」


 同じくワインで口を湿らせたエデュは、先に鮫の身を口に運んでから言った。

 獅子の国で流通するワインの旨さが、その口を滑らかなものにしていた。


「――そもそもね。しっかりと教育されてきた者には褒め言葉など不要なのだよ。褒められおだてられ勘違いする者を何人も見てきた。道を踏み外す者もだ。だが、しっかり学び育った者は、己で問題を改善し解決し成長出来る」


 もう一切れを食べてから、エデュはニヤリと笑って言った。


「そう言う者は、己の成長に自ら気付き、それその物を喜ぶのだからな」


 その後、ざっくばらんな雑談を少々こなし、エデュは引き上げていった。

 窓の上からその後ろ姿を見送ったカリオンは、少々厳しい表情だった。


「何かありましたか?」


 夕食の仕度が調ったと呼びに来たウォークは、カリオンが少々不機嫌な事に気が付いた。その原因を考えれば、間違い無くエデュなんだと思うのだが……


「去り際に皮肉を残して行きやがったよ。さすがネコは手強いな」


 小さく舌打ちしながら食堂へと向かったカリオン。

 その脳裏には、エデュのいけ好かない笑顔が張り付いていた。

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