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短い夢

~承前




 ――――はたして……

 ――――人にあんな涙が流せるのだろうか……


 そのシーンを見た者ならば、皆が同じ印象を持つだろう。


 争乱の続くシーアン市街だが、その一角にあるホテルをル・ガル軍団が本部として接収し使っていた。辺境の地にあってなかなか豪勢な作りなのは獅子の国が豊かな証拠なのだろう。


 そんなホテルの一室。王の為にと用意されたスイートルームの中、驚くほど大きな寝台の上にララはいた。薄衣を纏い清潔なシーツの上に横たえられた彼女は、ボンヤリと天井を見上げていた。


「ララ……解るか?」


 その手を取って静かに語りかけるカリオン。だが、その目からは真っ赤な涙が流れていた。怒りと後悔を一度に味わって一時的に血圧が急上昇し、その結果、目の周りの毛細血管が切れて血が滲み出していた。


 文字通り、太陽王は血の滲む後悔を見せている。それを止められたかった者。阻止できなかった者。防げなかった者。一同に揃った公爵家当主達は、己への戒めとして奥歯を噛みしめ、その光景を眺めていた。


「……ガルム。解るか? 俺だぞ」


 周囲の者達に聞こえるのも遠慮せず、カリオンはララの真名を呼んだ。遠い日、自分自身が暴走した時に父ゼルがしてくれたように……だ。誰かがそれを諫めようとするべきなのだろうが、この場にそんな剛の者は居なかった。


 血は繋がらずとも、父と娘としてやってきたふたり。幼い頃から面倒を見てきたカリオンに取って、ララは可愛い我が子であり大切な娘だ。それこそ、全てのル・ガル貴族が夢に見る様な姫。ただ、そのララは完全に壊れきっていた……


「俺が…… 父さんが助けてやるぞ…… 必ず…… 必ずな……」


 変わり果てた姿で見つかったララは、すぐにエリクサーを投与された。地下のあの部屋の中で何かを大量に吐き出したらしいが、ララの精神は戻ってこなかった。ジョニーは迷わず彼女を地上へと連れ出し、ここへ運んできたのだ。


 そして、この部屋で身体を清められ、急遽呼び出された太陽王専属典医の診察を受ける事になった。カリオンの反対側に陣取っていた典医は脈を取りつつも身体の各所を診察していった。


 誰もが祈るような沈黙の時間が流れ、その間に典医はララの女性器内部までを確かめていった。硬い表情を浮かべ、ともすれば叫んで逃げ出したくなる様な太陽王の威に晒されながら。


 だが、その場で出された答えは、たった1行の簡素なものだった。



 …………どうか穏やかな最期となられますよう――



 奥歯を噛みしめつつそう報告した典医は、ララ誕生の頃から見守ってきた男だ。まるで我が子のように慈しんできたのだが、医療という断面で見れば手遅れ。ならばもはや、この報告しかない……と、太陽王カリオンにそう報告した。


 ただ、彼の典医は重要な事を1つ、見落としていた。

 この日のカリオン王は、いつもの聡明な存在では無かった。


「……なん……だと?」


 普段の声とは全く違う、低く太く轟く様な声音。本能的に恐怖を感じる様な、普通ではあり得ない声。燃えるような怒りと深い悲しみとが入り混じった感情を内包した声。そしてそれは本能的に恐怖を感じる声だった。


「申し上げにくいことではありますが、姫殿下は完全に……壊れました。精神や人格と言ったものは医療や治療魔術では治せませぬ。自立的な意思を持つまでに回復されるのは、限りなく難しいか『喧しい!』


 意を決し、典医は所見を述べた。だが、カリオンの声は、もはや地獄の魔王だった。カタカタと小刻みに震えているその姿は、娘の惨状を嘆く父親だ。だが、側近中の側近であるウォークが『陛下! お気を確かに!』と迷わずに詰め寄った。


 同じタイミングで同じように『落ち着いて! ダメッ!』と叫びながらリリスが駆け寄った。全身から青白い火花を放っているカリオン王は、頭髪を逆立たせていて、そこからふたりが何をイメージしたのかは言うまでも無い。


 ――――え?


 そう。カリオンの事情を知らぬ誰もがそう思った。カリオンが内包していた凄まじい量の魔力が一斉にバックロードされている。高位世界の莫大な力を取り込んでいた太陽王は、その力の制御を失いつつあると思った。


 怒り

 哀しみ

 憎しみ


 その全てがカリオンの心に残っていた最後のストッパーを外そうとしていた。その結果、圧縮限界を越えた膨大な魔力が爆発するようにこの世界へと流出する事になる。高名な魔導師が過去に起こした魔力爆発は、各兵器なみの威力だ。


「カリオン! カリオン! 聞いて! カリオン!」


 リリスが必死で呼び掛けるが、既にカリオンの姿が朧気になり始めていた。公爵家の当主達は、もはや手遅れだと思った。そして、最期は王に殉じるつもりで室内に残っていた。


 だが、リリスやジョニーやウォークは、全く違う物だと知っていた。そして、同じようによく知っていた者が部屋の隅にもう一人いた。検非違使を預かるトウリは小さな声で最強のふたりを呼び出し、待機させた。


「イワオ! コトリ! 待機しろ! 目撃者が居なくなってから王を止めろ!」


 圧倒的な力を持つ覚醒体なカリオンを止められるのは、同じ存在だけ。ただ、当のカリオン自身がここで暴走してはいけないと解っている。イヌだけで無くオオカミやキツネやそれ以外の種族が見ている環境だ。精神の暴走による事故とは言いきれない事態になるだろう。


 そして結果的に、その怒りは1つの命と引き替えで解消された。誰も動く事が能わぬ速度で引き抜かれた太刀は、典医の身体を一刀両断にした。生温い返り血を浴びたカリオンは、全身からそれを滴らせつつ小さな声で言った。


「……ハクト。居るか」


 トウリと並んで立っていたウサギの魔法使いは、落ち着いた声で『ここにおります』と応え『可能な限り手を施しましょう』と続けた。だが、その声は戸惑いを内包したものだった。


「……正気に返るか?」


 それは、ララの現状を鑑みた言葉だ。おそらく、あの地下の部屋でララは相当な慰み者にされていたのだろう。あの部屋にあった魔剤を思えば、完全に精神を破壊されたと考えて良いはず。


 羞恥心。貞操観念。王族としての義務感やプライドと言ったもの。ララと言う人格を形作っていた全てを破壊し、房事に耽って無様に喜ぶ存在に堕とした。そして時に正気を取り戻させ、今度は言葉で責めるのだ。


 ――――ふしだらな売女!


 身体を傷つけた所で、そんな物は時間が経てば癒えるもの。だが、心を傷つけられ、踏みにじられ、壊されたなら、それはもうどうにもならない。どれほど『違う!』と言ったところで逃げられない。


 ――――あんなに悦んでいたのにか?

 ――――もっと!もっと!と求めていたのにか?

 ――――薄っぺらい女だな


 最初の一度二度は、それでもやり過ごせるのだろう。しかし、その後にも薬を使われ、自分の意志で止められない状態にされ、精神と体力の限界を越えて快楽の深淵に沈んだ時、人の心は完全に壊れる。いや、壊されるのだ。


 薬が抜けて正気に返った時。その時に沈む深淵は快楽では無く絶望だ。身体中から立ち上ってくる臭いは、自分の汗だけではない。男達が迸らせた欲望の雫は、鼻を突く異臭となって胸を悪くする。


 そうなればもはや、言葉で責める必要も無いのだ。坂道を転がる果実のようなもので、あとは勝手に転がり『堕ちて』いく。僅かなプライドも自制心なども全て失われて、後はされるがままになる。


 自分自身を防衛する意志すら失ったセルフネグレスト状態に陥り、やがて考える事ですらも放棄してしまう。それは、人の死と同義だった。


「……まず、忘却の魔法は選別消去など出来ません。心を破壊した苦痛より前まで時間を巻き戻すのも良い事とは言えません。時間は遡らせれば良いと言う訳では無いのです。記憶が再合成された時、再び同じ苦しみを味わう事になるでしょう」


 目の前で典医が斬り殺されたというのに、ハクトは眉ひとつ動かさず言った。

 その胆力たるや太刀打ちできぬと誰もが思うほどなのだが……


「では、どうすれば良い?」


 カリオンの問いは単純でシンプルだ。

 娘を救いたい父親の願いなど、大差無い。

 だが……


「自力で立ち直っていただかねばなりません。癒すのではなく、全てを飲み込み、苦難を乗り越え、自分から笑えるようにならねば――」


 それがどれ程大変な事なのかは説明するまでもない。だが、心の傷は薬では癒えないのだから真実だ。外的にどうこうするのなら、それは悲劇への最短手にも変わり得るものなのだった。


「――苦痛と困難の試練は心を蝕み壊してしまいます。ですが、それらを乗り越えた時、人の心はより強靭に成長します。これは王にも経験ある事でしょう。それらが叶わず現状のままであったなら、相応にご覚悟されますよう」


 つまり、死人に陥った状態のままを受け入れろと言う事か……

 カリオンの表情が僅かに変わったのを皆が見ていた。そして、抜き身であった太刀を鞘に収め、一つ息を吐いて心を落ち着けようと努力した。


 怒りに駆られて暴走すれば大変な事になる。それを解っているだけに、自分自身で整わなくてはならない。それが出来ないようでは、王として玉座に座ることなど不可能だ。


「……これは余の試練だ。余は幾度も試練だと思って困難を乗り越えてきたつもりだったが、全てはこの試練を乗り越える為の練習に過ぎなかったようだ」


 僅かに首を動かし、ジロリとハクトを見たカリオン。遠い日、リリスの窮状を救わんと呼び出された日から幾星霜を経て、ハクトもまた己の運命を呪わざるを得ないと思っていた。


「可能な限り、導きと助言を惜しみませぬ。ですが、姫殿下に必用なのは、もしかしたら王では無いのかも知れませぬ――」


 全員が『はっ?』と言わんばかりの顔でハクトを見た。地雷原でタップダンスを踊るが如き暴挙だが、涼しい顔でウサギの魔法使いは言葉を続けた。


「――姫殿下の……ララと言う人格が心を許す存在こそが、姫の回復の先達となるでしょう。あたかも遠い日、お后様に心痛められた王の存在と同じように、己よりも相手を大切に思う存在こそが重要なのです」


 目を細め天井を見上げたカリオン。思わずリリスを見そうになって、慌てて誤魔化したのだ。そしてその脳裏に浮かんできたのは1人の男。黒い体毛に身を包んだ小柄ながらも逞しいオオカミだ……


「タリカは何処に居る」


 そうウォークに尋ねたカリオン。ララがここに運び込まれる時点で、ウォークはタリカがオオカミの使っている別のホテルにいると報告をあげていた筈。だが、さしもの太陽王も、耳には入っていなかったらしい。


「通り向かいの宿営所です。今頃はあの子も診察を『うむ。すぐに行くぞ』


 カリオンは居ずまいを整え部屋を出ようとした。だが、その前にリリスが立ちはだかり、僅かに笑みを浮かべながら言った。


「陛下。その前にお召し替えを。臣民にその姿では困ります」


 先ほど典医をその手に掛けたばかりのカリオンだ。アチコチから血を滴らせている状態では、すわご乱心!と誰もが勘違いをしかねない。


「……そうだな。手間を掛ける」


 慌てていたカリオンでも、リリスの言葉は素直に聞くらしい……

 そんな事を見て取ったジョニーは、トウリの方を見てからニヤリと笑った。

 ハクトの言う心許す存在の重要性は、こんな所でも姿を現すのだった。




 ――――同じ頃


 オオカミの一党が陣取るホテルは、ル・ガル軍団本部となるホテルから通りを挟んで向かいに立っているものだった。共に獅子の国内部の豪商や官僚高官などが使う施設のようで、内部は調度品も整う贅沢な建物だった。


 その一角。オオカミ王オクルカを筆頭としたオオカミ首脳陣の揃っている部屋で、タリカは身体のアチコチを診察されていた。その診察を行っているのはリリスによって派遣されたウィルで、サポートにはキツネの陰陽師が就いていた。


「これは……何とも面妖な術ですね。こんな魔術は初めて見ました」


 さすがのウィルもこれにはお手上げだった。言葉でどう説明すれば良いのか皆目見当も付かない高度な魔術。そしてそれは、彼等の魔術水準がどれ程高いのかを示すものだった。


「手前も想像が付きませぬ。これはもはや九尾様達の助力を仰がねばなりません」


 キツネの忍者である霜月が連れてきたのは、卯月と名乗る陰陽師だ。キツネの軍団にあって占術や符術のエキスパートらしいのだが、何より優れているのは反魂の秘術を頂点とする快復系の魔術らしい。


「全身の作りその物を女に変えてしまうなど、どうやったら出来るのか……皆目見当も付きません。仮定の話としてですのでお気を悪くされませんよう――」


 ウィルは一言そう断りを入れてから切り出した。


「――ここで死に直面するような大怪我を負わせてからエリクサーを施したところで、同じ様な姿に戻るでしょう。体内にある身体の設計図面その物を女に切り替えたのだと思われます。そしてもっと言えば、これを行った者ですら不可能かと」


 それは事実上の死刑宣告にも匹敵する言葉だった。もう手遅れだ。手の施しようがない。故に受け入れるしかないと宣告するもの。だが、当のタリカは涼しい顔だった。


「まぁ仕方ねぇ。死んだ訳じゃねぇし慣れるさ」


 へへへと笑いながら言うのだが、それを見ているオクルカとキャリは微妙な表情だった。何かを言うべきなのだろうが、言葉が見つからない……と途方に暮れているような姿。


「おいおい! 止めてくれ! まだ死んだ訳じゃねーんだぜ!」


 明るく振舞ってはいるが、気丈な振る舞いだとしか周囲は受け取っていない。今まで着ていた衣服は全く寸法が合わず、小柄な血統の者向けな軍服を用意され、それに袖を通している。


 だが、今度は男女の体型差で収まらないところがある。あの地下でエリクサー効果により大量に吐き出したのは、間違いなく身体の一部だったのだろう。驚く程に細く小さくなったタリカの身体は、完全にスレンダーな女性になっている。


 獣人系女性であるケダマなのだが、もし体毛が無ければ男好みでグラマーな女だった事だろう。小柄な血統向けのシャツでは胸周りがキツくなっていて、目のやり場に困るレベルでパンパンだった。


「とりあえず、補給廠に命じて専用の衣装をつくらせよう」


 キャリは静かにそう言うのだが、タリカはスパッと『メンドクセェだろ』と言葉を返した。そして、何を思ったか部屋の外で待機している下士官たちを指差し『あの連絡業務してる下士官の女兵士が着てる奴。あれで良い』と言い放った。


「……けど」


 困惑の表情を浮かべるキャリだが、タリカはなんの躊躇いも見せず『いーんだって。出先で専用衣装がなくなったら困んだろ? 汎用品使うのが一番だって』と言い退けた。つまりそれは、今までと一切変わらないという意思表示だ。


「なんならララから服を借りるさ。彼女と体型的に変わらねぇからよ。むしろ俺の方がオッパイでかいぞ?」


 パンパンな胸周りを見せ付けたタリカに、キャリが困ったような笑みを浮かべた。そんな姿を見て何か思うところがあったのかな、タリカは少しだけ厳しい顔になっていった。


「さっきも言ったが、まだ死んだ訳じゃねぇ。それに、お前を逃すのが目的だったんだから、こりゃ必要な事だ。俺がグダグダ言う事じゃねぇ。だからお前は今まで通り俺を使えば良い。それが出来ねぇなら――」


 一つ間を置いたタリカは、父オクルカがこっちを見ているのを確かめてから言った。身の振り方として重要な事を。


「――獅子の国の変態向けな置屋にでも身売りするしかねぇ。なんせオオカミの郷は保守的だ。言葉にしねぇだけで、マダラやケダマが生まれたらその場で間引くなんて何処にでもある話だ。俺には生きて行ける所が無くなったって訳だからよ」


 それが誰であっても聞き捨てならない言葉なのは言うまでも無い。だが、だからと言って否定できる言葉でも無いのだ。どう生きるか?はどう死ぬか?と同じ意味を持つ言葉。そしてここではキャリとタリカのこれからを意味していた。


「さっきウィルさん達が確かめたように、今の俺にゃオッパイはあっても穴がねぇからな。男に貸すならケツの穴ってこった。けどよぉ、そりゃぁ俺も歓迎しかねるってもんだ。だから俺は今まで通り、お前の相方でいるのが一番安全ってこった」


 あくまで気楽な調子でそう言い切ったタリカ。

 だが、その言葉への返答は意外な人物が発したのだった。


「なるほどな。だが、あまり無理をするな。強い覚悟は砕けた時の落差もデカい」


 その声に驚き、慌てて首を振ったタリカ。

 同じようにキャリやオクルカも声の方向を見た。

 そこに立っていたのは、太陽王カリオンその人だ。


「大変な思いをしたな」


 ゆったりとした仕草で入って来た太陽王だが、タリカの鼻は血の臭いを嗅ぎ分けていた。思わず怪訝な表情を浮かべてしまったのだが、もう後の祭りだった。


「あぁ、違う違う。ララは……眠っているだけだ。それは心配無い」


 じゃぁ誰の血だよ!と言いたげな表情を浮かべるタリカ。カリオンは腰に手を当てて呆れたような表情になり、吐き捨てるように『典医が早々にさじを投げたんでな』と付け加えた。つまり、使えない奴は殺した……と、そう言外に説明した。


 だが、その一言は帰ってタリカの警戒レベルを上げてしまったらしい。キッとキツい眼差し担ったタリカは、奥歯をぐっと噛み締めつつ息を吐いた。そして、どこか意を決し切り出した。


「自分の判断に誤りがあった結果の出来事です。自分の身の事は自分の責故に後悔はすれど誰を恨むものでもありませぬ。強いて言うなら、話に聞く議長とやらをこの手で三枚に下ろしたいところですが……」


 逡巡しているのが手に取るようにわかる姿に、カリオンは表情を緩めて穏やかな空気を作り出す事に腐心した。一人の若者がその人生を大きく変えようとしているのだから、決意と覚悟は讃えねばならない。


「……それより、ララが」


 最後の一言を漏らした後、タリカは唇を牙に乗せて上の犬歯で噛んだ。そのマズルから見える牙はオオカミの誇りだが、本来女には無いものだ。イヌのマダラですら散々と苦労してきたのだから、オオカミのケダマがどれほど苦労するかは……


「やってしまった事は仕方が無い。私も未だに後悔している事がある。そなたの父オクルカ公との決戦では父母を共に失った。ひとえに己の不手際と未熟故にな。もう取り戻せないのなら、これからの事を考えるべきだとは思わぬか?」


 優しげな口調で切り出したカリオンは、『余』では無く『私』と言ってタリカの緊張を解くように話を続けた。それがまさに太陽王の話術なのだが、まんまとそれにはまったのをタリカは気付いていなかった。


「実はな、ララが全く回復しないのだ。いや、身体の傷や病はもう治っている。だが、完全に壊れてしまった心は時間を掛けて癒すしか無い。治すのでは無い。癒すのだ。そしてその為には…… タリカ。君の力が必要だ」


 話術に飲み込まれているタリカは『何をすれば良いのでしょうか?』と身を乗り出してきた。黙って見ていたオクルカは、内心で若干の懸念を持ちつつも黙って話を聞いていた。


 息子タリカが新しい身体とうまく生きて行けるようになる為には時間が要る。そして時間以上に目的が要る。根深い差別や迷信と戦うのも立派な理由だが、どちらかと言えば後ろ向きなものだろう。


 胸を張り、強い信念を持ち、ブレる事なく生きていく為の目的。つまり、ララを託そうとしているのだとオクルカは理解した。だからこそ黙って事の成り行きを眺めていた。


「何も特別な事はしなくとも良い。ただ、ララの隣にいてくれれば良い。あの子が自然と目を覚ました時、すぐ近くにいてくれればそれで良いのだ。そしてな、共に泣いて笑って試練を乗り越えてくれ。それだけだ」


 他意は無いのだと真っ直ぐにタリカを見ながら、カリオンはそう言った。そしてさらに、太陽王は無く父親の立場として『娘を託す』と言い切った。ただ、その一言はタリカとララの関係以上に大きな意味を持っている。


 イヌの国の姫がオオカミの王子の所へ託された。それは事実上嫁いだのと一緒でそれ以外の解釈などありやしないもの。タリカは全く異なる理由で表情を強張らせつつ、穏やかな声音を心掛け言った。


「……あ、あの…… 俺…… こんなになっちゃいましたけど…… でも……」


 しどろもどろになりながらも言葉を吐いたタリカ。

 カリオンは静かに笑いながらタリカの言葉を聞いていた。


「あの子が心許す存在はな、親としては何とも残念だが、現状では君だけだ。故にこのような措置とならざるを得ない。だが、仮にララが今のようで無かったなら、君に託すと聞いてあの子がどんな顔になると思う?」


 タリカに向かって語りかけつつ、カリオンはオクルカを見た。オオカミ一門の未来を預かる男は、静かに幾度も首肯しつつ『娘は妻以上に可愛いものだ』と得心したように言った。


 それを聞いたカリオンは再びタリカを見つめ、穏やかな表情のままに語りかける事を選択した。まるで己の内心にあるドス黒い感情を浄化するかのように、毒気を全部吐き出すように……だ。


「私は……残念ながら導き手の全てを失って王となった。誰からも叱責されること無く、やりたい放題にやってこれた。妻となった后を失った後は、本当に城へ引きこもってしまった。そこが間違いの始まりだったのだよ――」


 それがタリカへと語りかける最も重要な部分だとキャリは直感した。少なくともあんな姿で人前には出たくないだろう。タリカに羞恥心があるなら、誰からも後ろ指を指され、陰口を叩かれるような姿は晒したくは無いはず……


「――ただな、今になって思えばあの時もっと外へ出るべきだった。誰にも会いたくない。誰とも話をしたくない……と、自分の殻に閉じこもってしまった。そして私は……世界との関係性を全て絶ってしまった。だが、出るべきだったのだ――」


 血を吐くような後悔の吐露。タリカは思わず背筋を伸ばしていた。

 本来であれば誰も聞けないような太陽王の懊悩。それが無造作に溢れていた。


「――だからな。君にララを託す。そして、今までと変わらず、キャリの補佐を託す。今まで通りに叱責し、相談相手となり、共にバカをやって笑いあってくれれば良い。私が望むのはそれだけだ」


 これも救済の形の一つ。タリカが世界から孤立しないよう、カリオンは心を砕いている。オクルカにはそれがありありと見えていた。そしてその、裏側と言うべきところにあるものをも気が付いていた。


 つまり、キャリを育てようとしている。困難な立場に立ったタリカを護り導き、時には叱咤激励される関係にしようとしている。タリカとララしか居ない小さな国を宛がい、その王として責任ある振る舞いを身に付けさせるのだ。


 これから幾度も失敗するように。タリカに恨まれ、遠慮の無い言葉で文句を言われ、その都度その都度、考え考え考え抜いて成長して行くように。カリオン王と側近ウォークがここまでやってきたようにするのだ……


「……父上」


 同じようにカリオンの意志を読み取ったキャリは、それ以上の言葉が無かった。そんな息子キャリを見つつ『お前の責任は重大だ』とだけカリオンは言った。それだけで充分だし、それ以上は蛇足だ。


「私は……夢を見ていたのかも知れない。小さく短い夢だ。全てが上手く回っていると思っていたが、実際、そんな物はただの思い過ごしだった。これからしっぺ返しが来る。現実と言う奴だ。本当に困難な道になるだろう」


 溜息と共にそうカリオンは言った。キャリもタリカも不思議そうに太陽王を見ていたが、その意味するところはまったく理解出来なかった。そして、ララの人格が快復する前だというのに、世界は遠慮無くダイナミックに変革しようとしていた。


 ――――本当に困難な道


 太陽王の言った言葉の意味を若いふたりが知るのは、僅か2週間足らずの未来なのだった……




ル・ガル帝國興亡記




 <大侵攻 短い夢の終わり>






 ―了―






 <大侵攻 忍耐と苦痛と後悔の日々>に続く

事前想定の4倍近い量になってしまった今章ですが、やっと終わりました。

9月くらいまでに最後の見直しを終えてル・ガル帝國が崩壊していく章を開始します。

現段階ではザックリ25回を予定していますが、若干書き足したいところもあるので30回程度になるかもし得ません。

もう少し、お付き合いください。

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