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タリカの変転 05

~承前




 (……え?)


 タリカが内心で呟いた直後、そこに一陣の風が吹いた。瞬間的にタリカの持っていた剣を取り上げたジョニーは、タリカを頭上に放り上げてから横薙ぎ一閃に振り抜いたのだ。


 刃先が風を切る音を立て、その直後に鈍く重い音が響いた。厚手の生地を切り裂く音。肉を断ち斬る音。硬い骨を砕く音。それらに混じり、重い呻き声が響いた。間違いなく一撃で絶命しうる太刀筋は、確実に一人の人間を殺したと思われた。


 そして、その全てが一瞬のうちに終わり、タリカは再びジョニーの腕の中に落ちた。再びお姫様抱っこのアングルでだ。


「何者かはわからんが、どうせネコがロクでもないことをしていたんだろう」


 何をそんなに不機嫌なのか?と思うものの、聞いたところで説明を全て受ける時間が惜しい。タリカはジッと女の腐乱死体を見ながら、ララだったらどうしようと僅かに震えていた。ただ、よく見ればイヌですらないのが見て取れた。


「……ジョニーさん」

「分かってる。心配すんな。野郎ども! 行くぞ!」


 再び建物の奥へと足を踏み入れたのだが、どう考えてもおかしな構造だとタリカは思った。洞窟じゃあるまいし、こんなに奥行きのある構造の建物はおかしい。それに、窓一つないのだ。


 漆黒の闇が続く回廊を進みながら、タリカは一つの仮説を立てた。この通路は城を取り囲む城壁の地下かもしれない。そして、本来はこの城壁内部に食料などの備蓄物資を収める構造なのかもしれない。


 ガルディア連合との闘争で全てを消費し尽くし、結果的に出来た空き部屋の可能性がある。それを利用し、この凄惨な遊びを行う為の地下室として使っているのだとしたら……


 (どこまでも度し難い連中だ)


 何処かうんざり気味となりつつも、ジョニーに身を任せてタリカは進んだ。まるで回廊の様な地下を進んで行くのだが、やがてジョニーもタリカも胸を悪くするような酷い臭いに直面した。


 吐瀉物の腐った臭い。排泄物の発酵した臭い。それらに混じり胸を悪くさせるのは、明らかな死臭と腐り果てた便臭。つまり、死体が幾つも折り重なっている可能性が高い。


「……臭いますね」

「あぁ……」


 そう。通路を進んでいくと、ますます死臭が濃くなり始めたのだ。それと同時、濃密な血の臭いが蟠っている。少なくとも全身の血を流して死なない限り、こんな臭いはしないはず。腹を斬られて死んだ兵士の死体の臭いだ。


「ネコの連中が街の住人を殺して犯して歩いてる。あいつらは娯楽で殺してるらしいんだが、それについて街の市民会議で議長から保護依頼を受けた。どうにも目に余る事をやり続けてるもんで、カリオンがブチ切れたって事さ」


 掻い摘んで説明したジョニーは、そのまま道々にここまでのあらましをタリカに説明した。そして、あの議長を名乗る男の差し金で、こうなった事もだ。


「それ、もしかしてやたら臭い男ですか? なんていうか……」

「何とも言えねぇ鼻に付く臭いだろ? 当人はジャコウネコって言ってたな」


 あぁ……

 そいつだ……


 そう確信したタリカは、少し迷った調子で『でも、なんかこう頭にガツンと来ると言うか、痺れる臭いなんですよね。もっと嗅ぎたい時とかあって』と漏らした。


「……とりあえず後でしっかり診てもらえ。何か碌でもねぇ事態だろうが、今更何が起きても驚かねぇしよ」


 ニタリと笑ったジョニーは遠慮なく進んでいくのだが、唐突に足を止めて振り返った瞬間、すぐ後ろに居た兵士にタリカを投げ渡し『抱えてろ』と指示を出した。そして返す刀状態で腰の太刀を抜くと、目の前に居た何かを斬った。


 ズバッと返り血が飛ぶが、立ち位置と斬る角度によりジョニーはそれを浴びずに済んだ。狭い空間だが驚く程の剣技を見せてジョニーが二の太刀を入れた時、声も漏らすことなく何者かが死んだ。


 (凄い……)


 タリカは何処かジョニーを侮っていた部分がある。太陽王の同級生で同世代、そんな関係から重用されている、公爵家の放蕩息子。そんな印象だった。ただ、そんな存在があのビッグストンで6本線になれるはずがない。


 (やはり……超一流なんだな……)


 なんとなくそんな事を確認したのだが、程なく別の兵士が灯りを持ってきた。魔法効果により光を放つ松明状の魔道具が死体を照らした時、全員が思わず息をのんだ。ウシかヤギかは解らないが、かなり肥満な男が腹の脂をこぼし絶命していた。


「……武器だな。これは」


 その男が持っていたのは、モーニングスターと呼ばれる代物だ。棍棒の先に鎖で止めたスパイクを取り付けてある打撃系の武器だ。だが、そのモーニングスターは少々違う様で、鞭状のベルト先端に小さな重りが付いているだけだ。


 殺すのではなく、痛めつけるための道具。最大効率で痛みと恐怖心をあおる為の姿と仕組み。人が人をいたぶる為に考え抜かれた純粋な悪意の具現化状態だ。


「極めつけに悪趣味だ」


 そう吐き捨てたジョニー。だが、奥からやって来たと言う事は、まだ何かがある可能性が高い。そしてたった今絶命した男を見れば、その奥に何があるのかは考えるまでもない。


 暗闇の奥へチラリと目をやった後でジョニーを見たタリカ。その僅かな所作でジョニーはタリカの意を汲み取り『行くぞ』と声を掛けて進み始めた。暗闇の奥に何があるのかは考えるまでもないが、確かめねばならない。


「ジョニー……さん」


 控え目な声で声を掛けたタリカ。返答の声を出す代わりに視線を返したジョニーだが、その視線が余りに強くて思わずタリカは言葉を飲み込んだ。あの、気が強くて向こう見ずだった小僧がどうしたんだ?と思うような気弱さだった。


「なんだ。遠慮無く言え」

「……すいません。実は――」


 タリカはここであらましを全部伝えた。暗闇の中で聞いた欲望に塗れた男達の足音とか、この奥に女を見たとかの部分。そしてもう一つ、自分の身に何が起きたのか?と簡潔に整理して。


 話を要約して伝えるのは軍務にある者必須の能力だが、それでもどうしたって話は冗長になりやすい。そんな場面で上手く説明出来るかどうか。それこそが王佐の才の本質かも知れない。


「――だから奥に居るのが『ララかも知れねぇって事か』はい」


 要約したタリカの言葉を展開し、事態を正確に読み取る能力。それもまた王佐の才と呼ぶに必須の能力だ。何気ない出来事だが、軽々とそれを行った事で、改めてタリカはジョニーと言う男の能力に舌を巻く。


 ただ、実際の話としては余裕をかましている場合では無い事を全員が理解していた。明らかに鼻を衝く刺激臭が増していて、それは死臭や腐敗臭ではなく燃焼によって引き起こされた火災による煙の臭いだった。


「……時間がねぇな! 全員距離を取れ!」


 そんな指示を出した跡、ジョニーは唐突に走り出した火災の現場では先頭を走る者が最初に昏倒するケースが多い。そんな危険なポジションへ躊躇なく就くジョニーの漢気が垣間見え、タリカは何処か胸の高鳴りを覚えた。


 だが、暗闇の通路を走り始めた直後、今度は唐突な刺客の飛び出しに何度も遭遇した。通路左右の部屋に潜んでいたのかもしれないが、そんな事を考える前にジョニーは全てを斬り捨てている。躊躇も逡巡もなく、出会い頭の袈裟懸けだ。


 そして……


「行き止まりだな」


 通路のドン突き部分は唐突な石壁になっている。回廊とは違う材質の壁は、そこが自然岩盤であると思われた。つまり、このシーアンの城壁は各所で巨大岩石を基礎にしているのだろう。


「どっちに入るか……」


 ジョニーの目に映っているのは、巨石で出来た行き止まりの正面から左右にある鉄の扉だ。一瞬だけ振り返って後方を見たジョニー。視線が絡んだタリカは無意識に右側の扉を鼻先で示した。


 そっちが城の内側だと直感しただけ。なんとなくそんな気がしただけ。文字通りそれだけなのだが、ジョニーは僅かに首肯してその扉を開けた。パっと光が漏れ、一瞬だけ視界が真っ白に染まった。魔法を使った灯りだった。だが……


「てめぇら何やってやがる!」


 唐突にそう叫んだジョニーは一気に部屋に飛び込んだ。その直後、鈍く籠った声がいくつか聞こえ、タリカは抱えられていた兵士の腕から飛び降りて部屋に飛び込んだ。裸にされた女が布で素巻きにされていて、その布からは油の臭いがした。


 (殺す気だった!)


 完全に正体が抜けている女は、ぼんやりとした表情でタリカを見ていた。だが、その顔や僅かに見える身体には生傷や癒えた傷跡。そして酷い火傷の痕が残っているのが解った。文字通り、殺すのを前提に痛めつけていたのだ。


「これはなんだ?」


 床で震えている男はネコらしい。初めて見る姿だが、ネコ系種族特有の短いマズルと三角に尖った耳。そして縦に割れた瞳孔が瞳の中にあった。その目が捉えていたのは、大きな瓶に入った甘い匂いのする白い液体だ。


 床に落ちている漏斗の様な形状のそれは、口に突っ込んで強制的に飲ませるための道具だろう。それを見れば、今ここで何をやっていたのかを嫌でも理解できるのだった。


「答えろ! これはなんだ!」


 ジョニーはまるでボールでも蹴り抜くかのようにネコの男の頭を蹴り飛ばした。吹き飛んで壁に叩きつけられたネコの男が口から血をダバダバと流しているが、ジョニーは遠慮なくそんな男の横っ面を再び蹴り飛ばした。


 口中の牙でも折れたのだろうか。鈍い声を漏らして呻いている。そんな男を引き釣り上げたジョニーは、短刀の方を抜いて両肩の健を切った。そして、そんな状態で部下へと投げ渡すと『お前が飲んでみろ』と女に飲ませたらしい物をすくった。


 ネコの男が首を振って拒否の姿を見せているが、ジョニーは構わずその腹部を殴りつけている。傷みに呻くように口を開いた瞬間には漏斗が押し込まれ、部下たちが瓶を持ち上げてネコの男に飲ませ始めた。そして……


「正体が抜ける薬だな」


 程なくしてボンヤリとした顔になった男は、目を開けたまま眠っているようになっていた。ぼそりと呟いたジョニーは、試しにその腕を短刀で切り裂いてみた。だが、血が流れるだけで何の反応もなかった。


「なんて代物だ……」


 同じような瓶が部屋の隅にいくつも並んでいる。ジョニーは鼻先をクイッと振って『運び出せ』と指示を出した。すぐさま後方に居た兵士たちが急いで瓶を運び出すが、それと同時に気が付いたのは反対の壁に並んでいた色の違う瓶だった。


 こっちも同じ代物かとジョニーが歩み寄って蓋を開けた直後、小さく『ウッ!』と呻いて後ずさりした。『どうしたんですか!』とタリカが声を掛けたが、ジョニーは数歩下がって膝をつき、頭を振っている。


「……魔剤だ」


 魔剤。それは完全に正体を壊してしまい、興奮と覚醒をもたらす薬。魔王と取引して手に入れた悪魔の薬と呼ばれるそれは、ヒトの世界ならば麻薬と呼ばれる成分その物が入っている興奮剤だ。


 男でも女でも、この薬を使えば羞恥心だとか自制心だとか、そう言った心のブレーキを司る部分が完全に外れてしまう代物。遊び女相手専門の男などが置屋の女に飲ませてしまって黒服に半殺しにされる事もあるものだった。


「大丈夫ですか?」

「あぁ……」


 ガルディブルクいちの遊び人と二の名を誇ったジョニーをして、これほど強烈な効果をもたらす魔剤は経験したことが無い。遠い日、任侠一家なレオン家の家長が『人間を壊すものは取り扱ってはならぬ』と御触れを出して以来、ご法度だった。


 裏社会に流通すれば相当なシノギになる筈で、レオン家一党の中でも主家の目を盗んで地下社会に流通させた者は数多くいた。だが、そんな男たちはジョン・レオンの逆鱗に触れ、全て闇に葬られた。


 レオン家一家の直系となる子爵男爵級な貴族ですらが、『当人行方不明』で処理をされて取り潰された事もあるくらいに。そんな苛烈な処置が行われてきた代物がここにある。その時点でジョニーの方針はもう決まっていた。


「こっちも運び出せ!」


 怒りに駆られたような姿のジョニーは、振り返ると同時に正体が抜けきったネコの男へ剣を突き立てた。ただそれは一撃で絶命するモノではなく、胸部の一番太い血管を貫く一撃だった。


「そこで死に絶えろ。魔剤を取り扱う者に一切の救済は無い」


 深い闇を垣間見せるジョニー。そこに見えるのは怒りの炎だ。布に巻かれて殺されかけていた女を肩に担いだジョニーは、そのまま部屋を出て振り返った。手際よい事に部下たちが残った油を床にまいていた。


「こっちの女を大至急地上へ」


 そっと女を手渡したジョニーは、最後にもう一度部屋の中を確認した。その後、男に向かって火神招来の魔術を使った。銃を発火させる簡易魔法だがこんなシーンでは覿面だ。魔剤の対となる鎮静剤を飲まされた男は、ボンヤリと炎を見ていた。


 猛烈な熱に普通なら暴れるはずだが、ボンヤリと自分が焼かれる様を見ている。それは、なんとも不思議な光景だとタリカは思った。だが、ジョニーは何の反応を見せずに鉄の扉を閉めた。魔法で着火した炎は魔法の水でしか消せない筈……


「次はこっちだな」


 怒りに総毛だった様な状態のジョニーが扉に手を伸ばした。その扉を開け放った瞬間、ムワッとするような女の臭いが部屋から出てきた。ただ、その臭いが部屋から出てきた瞬間、タリカはジョニーを押しのけて部屋に入っていた。


 部屋の真ん中にある低い寝台にはララがいた。幾人もの男に抑えつけられ、その口にはさっき見たのと同じ漏斗が押し込まれていた。隣には大きな瓶があって、そこには先ほど見たあの白い液体が入っていた。


「てめぇら!」


 瞬間的にタリカが完全沸騰した。すぐ近くにあったレイピア状の剣を取ると、手前に居たネコの男の脳髄を完全に打ち抜いて一撃で絶命させた。突いて使う為の剣であるレイピアは、鋭い踏み込みと迷わぬ一撃が重要な代物だ。


 ララを抑えていた男が崩れ、ララの身体がよろけた。とっさにそれを支えに行きつつ、ララの口に入った漏斗へ白い液体を注いでいたネコの眉間をレイピアで貫いた。脳神経を一撃で破壊され、ガクガクと震えながらそのネコが倒れた。


 一瞬の奇襲で対応姿勢を取れなかったネコ達だが、その時には対応できるようになっていた。ララを抱えたタリカは三度目の突きを出せる姿勢になっていない。ただ、一切の迷いなく『ここで死ぬか』と覚悟を決めた。


「よくやった! でかした!」


 とっさに聞こえたのはジョニーの声だった。タリカに斬り付けようとしていたネコが見たものは、レオン家の戦太刀を振りかざしたジョニーだった。ブンッ!と鈍い音がした瞬間、ネコの身体が一刀両断されていた。


 そんなシーンを見つつ、ララを抱きかかえたタリカは彼女をジッと見た。身体中に凄惨な拷問の痕を残した彼女は、陰部から膿を流しながら天井を見上げていた。


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