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タリカの変転 02

~承前




「……ん?」


 いま、明らかに何か激しい音がした。恐らくは銃の収束射撃だ。


 (まだ派手にやりあってんのか?)


 恐らくは相当な時間が経過しているはず。それは間違い無い。この暗闇で目を覚ましてから、既に数ヶ月単位で経過している筈だと認識している。間違い無くル・ガルサイドは負け戦で、もはや近隣にガルディブルク軍は居ないだろう。


 (まぁ……しかたねぇよな……)


 ふ寒気とは違う悪寒を覚えたタリカは、ブルリと身体を震わせた。その瞬間、ズキッとする鋭い痛みが身体を突き抜けていった。答えなど永遠に出ない堂々巡りの思考だけが、意識を身体に?ぎ止めている。


 もっとやり様があったはず……

 もっと良い選択が出来たはず……

 もっと違う結末に至れたはず……


 身体の傷は癒えるが心の傷は決して癒えないという後悔という名の傷を、多くの人は成長の糧だと言って誤魔化す。だが、そんなものは体の良い詭弁じゃないか!と、タリカはいつも思っていた。


 しかしながら、逃れようのない疼痛が否応なしに現実を突きつけて来る。傷みの発生源がどこなのかは解っている。ただ、認めたくないだけだ。


 (あれさえ無ければ……)


 暗闇の中に浮かび上がったのは、あのとんでもない巨漢だった。ライオンの大男は文字通り見上げる様なサイズだった。今にして思えば、目印にはちょうど良かったんだろうなと思われた。


 もう数万回繰り返されている自問自答。あの時、野砲陣地にいた者たちは、突っ込んできた獅子の騎兵に榴弾を使った。吶喊を止める事が何より重要だったのだろうし、正常な判断だ。


 砲を撃った時点では観測台の近くに友軍はいない筈。あの稀代の魔法使いとその弟子が転移したのを確認して撃ったのだろう。


「………………ッチ」


 言葉に出来ない怒りと屈辱。あの時、あのライオンの巨漢は上半身を吹っ飛ばして死んだ。だが、その牛と下半身はそのまま突っ込んできた。それに激突されたタリカは、吹き飛ばされて地面へと転がった。


 そして、あの荒れ地に転がった時、そのすぐ上を大量の騎兵達が駆け抜けて行った。正直、意識を繋ぎ止めた状態でいるのが奇跡なほどで、身体はまるでボロ雑巾の様に折り曲がっていた。


 あの時、獅子の騎兵は後続の者達が馬脚を乱さぬように、邪魔なゴミを拾い上げただけ。だが、たったそれだけの事が現状の後悔へとつながる始まりだった……






                ②



 激しい全身の痛みに呻いていたタリカは、シーアン市街の片隅にある死体置き場に並べられ転がっていた。酷くのどが渇き、死を待つ者が水を求めるというのを思い出していた。何をしている!速く殺してくれ!と、それだけを思っていた


「おやおや…… この子…… まだ生きてますよ?」


 掠れた視界の中に見えたのは、妖しい風体なヘビの男だった。感情を感じさせない眼差しが自分を見ているのが解った。ただ、だからと言って何かこうアクションを起こせる状態ではないのだが。


「ほんとだ…… こりゃビックリした…… この子は……男の子だねぇ先生」

「えぇ……。けど、これじゃぁもう男とは呼べなそうだね」


 ヘビの男を先生と呼んだ者は、でっぷりと肥った不思議な男だった。ネコともイヌとも付かない外見で、なんとも表現しづらい臭いを漂わせた男。はっきり言えば臭いと言って良い、悪臭を纏っている。


「先生。この男、治療できるかね?」

「お安い御用ですよ」


 ヘビの男が右腕を上げ魔術詠唱を始めた時、でっぷりと肥った男が口を挟んだ


「くれぐれも……私のお店にふさわしい様に仕上げてくださいね。看板商品になるような。先生なら出来るでしょう?」


 それがどんな内容かは解らない。だが、少なくとも碌でもない事なのは解った。ふたりの男が浮かべる笑みは、欲望だの野望だのと言った生臭い欲にまみれた者たちが浮かべるそれだった。


 だが、逃げようにも動けないし、正直言えばもうどうしようもない。ほっとけば死ぬのは間違いない。それならばどんな状態になってでも生き抜いて好機を待つのが最良の選択肢だろう。


 ただ、本当の事を言うなら、痛みでそれどころでは無かったのだが……


「……ならば」


 ヘビの男が放ったのは電撃だった。砕けた身体中の骨が一辺に激痛を叫び、タリカの脳はその信号を処理しきれず、全ての思考を放棄して意識をシャットダウンする事で精神を護った。


 だが、失神状態になったタリカの身体がそれでも激痛の信号を送り続け、強制的に覚醒されてその直後に再びシャットダウンするのを繰り返した。視界がチカチカと点滅し、肺の腑に溜まっていた空気の全てを吐き出して絶叫する。


 身体中の筋肉が勝手に暴れ、砕けた部分を地面に叩きつけて再び絶叫を上げる。そんな状態が1時間も2時間も続くような錯覚のなか、神経系統が限界に達したらしく、タリカの魂が身体を離れて空中から自分を見下ろしていた……






 それからどれ位たったのか。


 不意に意識を取り戻した時、タリカは漆黒の闇の中に居た。全身が岩のように重くなっていて、指ひとつ動かせなかった。息をするのすら億劫で、身体の全てに砂でも詰め込まれた様な違和感を覚えていた。


 (天国ってやつにしちゃ殺風景だな……)


 一度は自分の姿を見下ろした筈のタリカだが、今は魂が身体に戻っている。身体中の全てに錘を乗せられたような感触があり、どうにもならない倦怠感と気持ち悪さが渦巻いている。だが……


 (あれ?)


 タリカの鼻が何かを捉えた。身体半分が沈んでいるかのような感触の寝台には、間違い無く自分以外の誰かが残していった体臭があるのだ。そしてそれは、タリカにとって忘れられない存在でもある。


 (ララ!)


 そう。この臭いはララだ。いつも薄衣の衣装を纏っていたララ。身体のラインが出ることを恥ずかしがっていたが、何かの拍子に似合うと褒めたら後は、いつも同じ姿になっていた。


 そんなララの後ろに立ち、細く華奢な肩をギュッと抱き締めた時の臭い。宮廷騎士として恥ずかしくない剣術を見せる彼女が、修練した後に纏っていた甘さを感じる汗の臭い。そしてそれは、長い夜を共にしたララの身体が発した臭い。


 (ここに居たのか?)


 知りたい事は山ほど有るが、今はどうにもならない状態だ。声も出せないタリカのイライラはピークに達しつつあるが、微動だにしない自分の身体はまるで他人のそれだった。


 (……ん?)


 不意に風が吹いたような気がした。ただ、全ての感覚が鈍くなっていて、以前なら感じ取れたような僅かしか無い気配など一切を失っているようだ。


「……ほぉ」


 そんな声が聞こえ視界の中に何かが姿を現した。ぼんやりとしか見えないが、その姿はあのヘビの男だと直感した。ただ、その輪郭は見えても表情や仕草などは一切見えない。


「少し意識が戻ったようだな。大変結構。どれ……」


 ヘビの男が手を伸ばした。なんだ?と思った時には、身体中アチコチを触られていた。ただ、手が触れているという感覚は一切無かった。まるで服の上から身体中をいじられているような感触だ。


「ふむ。順調に再生しておるね。結構結構。少々しんどいだろうが……じきに良くなる。こっちの方はどうだろうね?」


 身体の奥深くで何かが動いたような気がした。それが膀胱の中の感触だと気が付いたのだが、どうすることも出来なかった。グリグリと身体の中を何かが動き、その都度に鈍い痛みを覚えた。


「小水もよく出ている。問題無い。しばらくは身動きひとつ出来ないだろうが、気にすることは無い。新しい自分を受け入れるんだ」


 その言葉が何を意味しているのかは分からないが、どうせ碌な事じゃ無い。ボンヤリとした思考の中で何事かを発しようとした時、少しだけ意識レベルが上がったらしい。


 そして、その時に何とも言えない不快感と気持ち悪さの正体が分かった。鼻の穴から何か細い管が入っているのだ。その管は喉を通り深いところまで繋がっているらしい。ヘビの男は何か液状のモノをごそごそと補給して闇に消えた。


 どんなカラクリかは解らないが、その液体は自分の身体に流し込まれているのだとタリカは思った。否応なく飲み込まされているそれが何であるかも全く不明で、なにかこう表現の出来ない不安感が沸き起こってきた。


 (どうなってしまうんだ……)


 グルグルと渦巻く不安が精神を押し潰そうとするが、それ以上に今は眠かった。胃の腑がボンヤリと熱くなったのは、流し込まれているモノの熱かも知れない。一切拒否出来ない現状ではどうしようも無く、タリカは意識を手放した。






                ③



 一体どれ位が経過したのだろうか。相変わらず暗闇の中に居るタリカには、時間の経過は把握出来ない。だが、定期的にやって来るヘビの男は何かを確かめに来ているらしく、暗闇の中にヌッと姿を現してはタリカを覗き込んで帰っていった。


 だが、タリカが覚えている限りで100回目くらいの時、あの独特の酷い臭いを纏う男がやって来た。暗闇の中に明かりが灯され、そこが地下室であるとタリカは初めて知った。


「ほぉ! これは良いね! さすがだよ先生!」


 上機嫌でタリカを見ているその男は、満面の笑みを浮かべている。果たしてあのヘビの男には鼻が無いのか?と思うほどの臭いをまき散らしながら歩く男。その悪臭の塊が近寄った時、脳天の奥に何かの電撃が走った様な気がした。


 (くせぇ!)


 そう。間違いなく臭い。

 鼻が曲がりそうな酷い臭いだ。しかし……


 (……おかしいな)


 そう。おかしな事に、もっとその臭いを嗅ぎたくなった。

 酷い臭いだと思いつつ、もっともっと、その臭いを深く味わいたいと思った。

 脳天に。脳髄に。身体の奥深くにある何かが、純粋にそれを求めた。


「随分と細く華奢になったね。これならどんな衣装でも似合うだろう」


 まるで踊りだしそうなその男は、思うように動かないタリカの手や足を動かしては何かを確かめている。そして、最終的には両足をヒョイと持ち上げ、左右に大きく開いて動かした。


 腰回りに鈍い痛みが走ったが、抵抗する事は出来なかった。思うように身体が動かないまま、されるがままに任せていた。ただ、その視界に入る自分の手足が余りにも細く痩せ衰えている事がショックだった。


「もう少しで生まれ変わりますよ。大旦那好みのメス男です」


 視界の中に入っていたヘビの男は、再び何かの液体を不思議な構造の壷に追加していった。その壷からは細い管が伸びていて、タリカの鼻の穴にのびている。その管から流れ込む液体は、タリカの腹に直接流れ込んでいた。


 ややあって腹の底がボンヤリと熱くなったような気がした。身体中のアチコチに熱が伝わり、言葉に出来ない妙な感覚が身体の中を埋め尽くした。そして、しばらくすると今度は生温い何かが尿道を通る感覚があった。


 自分の意志では止める事が出来ず、ただ単に垂れ流すようにこぼれ落ちるだけだった。しかし、その正体は分かっている。小水。そう。要するに小便だ。鼻から何かを流し込まれる度、小便となって何かが出て行く。


 (溶けてるんだ! 俺の身体が溶けてる)


 それがどんな理屈かなんて事は解らない。だが、間違い無くそれが事実で、不幸な事に真実で、そして否定しようのない現実だと視界が物語っている。ビッグストンで鍛えられたオオカミの少年は、青年へと育ちながらその体躯を強く大きく立派に成長させたはずだった。


「楽しみだね。実に楽しみだ」


 驚く程に上機嫌な太っちょ男がタリカを抱き締めるように抱きついた。その脇の辺りだろうか。鼻を突っ込むような角度になった時、脳天を棍棒で殴られるような衝撃が走った。


 表現出来ないほどに酷い臭いがタリカの鼻に流れ込んできた。臭くて臭くて今にも叫びそうな衝撃。しかし、同時にその臭いを胸一杯に吸い込んで、深く味わい尽くした。その臭いの中に、間違い無く甘美な悦楽を見いだした。


「君に相応しい衣装を作らせているからね。安心しなさい。骨の髄まで可愛がって上げよう。可愛い可愛い私のお人形さん♪」


 ハハハと笑いながらその腕を解いた男は、満足そうに笑いつつ『じゃぁ先生。引き続き頼むよ。時間が掛かっても良いから丁寧に仕上げてくれたまえ』と言葉を残して地下室を出て行った。


 その後ろ姿に一瞥をくれたヘビの男は、タリカに向かって両腕を突き出し何事かの詠唱を始めた。まったく理解出来ない言語だったが、それが何だか、何をしているのかは直感で理解した。


 (作り替えられているんだ……)


 身体中のアチコチから様々な痛みが襲い掛かってきた。突き刺すような痛み。ねじり切られるような痛み。押し潰されるような痛み。引きちぎられるような痛み。そして、燃え焼ける様な激しい痛み。それらが一斉に襲い掛かってきた。


「……君も災難だね。あの真性の変態に気に入られるとはツいてない。だがね、時にはそう言う運命も役に立つ時がある。捨て鉢にはならない方が良いだろう――」


 身体中に劇痛を覚えつつも声ひとつ出せないタリカは黙って聞いていた。だが、その痛みの向こうに何かが存在しているのは解った。切り裂かれた刃物傷が癒える時に感じる疼きは、痛みにも拘わらず傷口を弄ってしまう甘い痛みだ。


 そんな甘い快楽の罠が口を開いて待っている。それは際限なく落ちて行ってしまうもの。そしてどうやら、自分はそこへ落ちつつあるらしいとタリカは理解した。


「――生きてさえ居れば、どんな好機が転がり込んでくるか解らない。既に君の友軍は大きく離れていったのだ。残された君はここで頑張るしか無いのだよ」



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