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タリカの変転 01

~承前




 ――――ん?


 暗闇の中で少しだけうめき声を上げたタリカは、妙な騒がしさで目を覚ました。

 全く光の入らない所に押し込められてどれ位だろうか。今は時間の感覚も消失していた。


 ――――何の騒ぎだよ……


 胸中で何かを呪いつつ悪態を吐いたタリカは、いつもの嘔吐き感を強引に飲み込んで漆黒の闇を見上げた。なにか寝台状のものに寝かされていて、身体中から鈍い痛みと怠さを感じ続けていた。


「クソっ!」


 奥歯をグッと噛んで身体を動かそうとするが、地面に縫い付けられたように動かないまま時を過ごしている。まるで目に見えない何かが伸し掛かってきているようで、ただただ不快感だけが募った。


 ――――なぜこうなった?


 今にも発狂しそうなタリカの精神がギリギリ踏み留まっているのは、その問いをグルグルと反芻し続けているから。暗い部屋で痛みと屈辱に呻きながら、その理由を呪いながら過ごしていた。


 堅い木でできた寝台の上でどれ位時間が経過したのだろうか。外光が一切入ってこない闇の中で、タリカはただただ、傷みと屈辱感に悶えていた。押し寄せて来る不安感は精神を不安定にさせ、油断すれば感傷的になって泣き出しそうだ。


 ――――キャリは逃げ果せたのかな……


 己の精神を必死で安定させる為、タリカはただただキャリの無事を祈った。自分の犠牲が無駄では無いことを祈る事で、結果的に自分を繋ぎとめていた。大混戦となった地上戦から半年近くが経過しようとしている事など解らぬままに。


「クソっ!」


 もう一度小さく呻いて、真っ暗な天井を見上げる。何処までも続くような闇の中で、タリカはララを思った。元々は男に生まれたというが、そっと引き寄せて抱きしめたその身体は立派な女だった。


 柔らかな乳房に手を伸ばせば、何事かを言いつつも身を任せてくれた。口では嫌がるように嘯きながら。唇を重ね、肌を合わせ、その胎内へ精を放った事も一度や二度ではない。だが、そんな日はもう二度と来ないのだ……


「クソっ!」


 もう一度奥歯をかみしめたタリカは、思うようにならない自分の身体にグッと力を入れようとした。しかし、そんな行為は痛みを再確認させるだけだった。電撃の様な痛みが背筋を突き抜けて行き、思わず全身を弛緩させていた。


 ――――なぜこうなった?


 毎回繰り返される自問自答。

 それは、あの大混戦の直後から始まった屈辱の日々故だった……






                ①



「だからお前が脱出すんだよ!」


 その時、タリカの目が捉えていたのは獅子の騎兵達だった。

 馬ではなく毛の長い牛に跨ったライオンの騎兵は、凄まじい勢いで吶喊中だ。


 (こりゃやべぇ! 極めつけにやべぇ!)


 理屈ではなく直感として思った。あれを止められるのは戦車だけだ。

 分厚い装甲に護られた戦車の中から銃を乱射するしかない。


「主を殴ったバカな重臣はここで討ち死にして果てる!」


 何をどうこうと手順を考えている暇はない。ここで生きるのは速度だ。

 矢も太刀も効かぬ装甲があるならいいが、それらが無い場合に頼るのは速度。

 だとするなら、1分1秒でも早く後方へ逃がすしかない。


「だから先ずお前が逃げろ!」


 タリカは何の躊躇いもなくそう叫んでいた。そこにイヌの王子が居るなら。次期王が居るなら敵は追うはず。けして褒められた事ではないが、瞬間的にそんな思惑も浮かんでいた。


 それ故にキャリの横っ面をフルパワーで殴りつけ、指揮台から突き落とすような真似までしたのだ。すぐ下には近衛騎兵が待機しているのだから、問題ないと確信していた。


「四方を統べる太陽王! カリオン二世の進む先に輝く光あれ! 勝利あれ!」


 思わず拳を空に突き上げたタリカ。それは演技でもアリバイ作りでもない。心の底から沸き起こった純粋な感情だった。かつてジョニーの兄貴が言った『王の隣に居ると誇らしい気分になる』というモノを初めて実感した。


 そして、そんな感情が精一杯の大声という形で表れていた。そうだ。次期王を。キャリを逃がせば何とかなる。仮に自分が死んだとて、ル・ガルとオオカミの国は何とかなる。そんな確信だ。だが、同時に気が付くこともある。


 (やべっ! これじゃ足らねぇ!)


 ふと隣を見れば、硬い表情のララが居た。その表情は、自分もここに居て当然と言わんばかりだ。宮廷騎士を示す赤い腰帯を巻いた彼女は、細身の鋭剣を腰に佩いていて、丁度その抜け止めを抜きつつあった。


「………………ッ!」


 言葉にならない声を上げ、タリカはララを抱きかかえた。『ダメッ!』とララが叫び、タリカの肩に手を伸ばした。だが、タリカはその手を払い、呆然と見上げていたキャリの所に投げ落とた。


 小さく『キャッ!』と悲鳴を上げたララは、キャリの分厚い胸の上に着地した。姉を抱きかかえたままのキャリが何かを叫び返そうとしたが、それより早くタリカは叫んだ。辺り一面に響くような、あらん限りの大声で。


「バカ野郎! もたもたするな!」


 スッと伸びたタリカの手がはるか後方を指示した。

 一瞬だけそれを見た近衛騎兵が再びタリカを見た時、同じ音量で叫んでいた。


「兵隊は全員駆け足! 王を後方へ護衛しろ!」


 タリカの思惑が全員の共通認識となり、『ヤヴォール!』と返答を返した近衛騎兵はキャリを馬に乗せて走り始めた。ララは別の馬に乗せられ走り出した。馬を与えるのではなく、同乗させたのだ。


 (へぇ……さすがだぜ!)


 馬を与えれば、キャリはその場にとどまって一軍を率い吶喊に及ぶだろう。そうならぬように後方へと直送するしかない。瞬時にそれを読み取った近衛騎兵は、本当によく教育されていると感心した。


 ただ、そんな騎兵達が後方へと駆け出した時、タリカはその全てが一歩遅かったのだと気が付く。まさに指呼の間までライオンの騎兵は迫っていて、馬防柵へと突っ込んできた長毛の牛は柵を圧し倒していた。


 (すげぇ勢いだな……)


 それは、感心ではなく疑念だった。いくら牛の吶喊力が強くとも、ここまでの威力は出せないはず。つまり、何らかの事情があって前に走るしかできない状態なのかもしれない。


「騎兵反転!」


 その時に聞こえた声は、タリカの意識を一瞬で戦場へと引き戻した。

 思わず『バカっ!』と叫んでいたが、そんな声など通る筈もない状態だ。


「王の脱出を助ける!」


 こいつなんて言ったっけな……と一瞬だけ思案したが、名前が思い浮かばなかった。叫びをあげるその近衛第2連隊長は、確か北方系のデカいやつだった。


「誇り高きル・ガル騎兵よ! これぞ戦場に咲く華なり!」


 指揮台を囲んでいた近衛騎兵の外周部に居た騎兵が反転して走り始めた。対抗措置としてぶつかるしかないと思ったのだろうが、平面上で見える景色から判断するなら、それを責める事は出来ないだろう。


「第1連隊は若王を連れて走れ! 第2連隊は姫を護れ! 征くぞ!」


 第1連隊を率いる騎兵長が叫んでいた。カリオン王が即位した頃に武力の全てを管理していたという男の孫にあたるらしい。なんとかスペンサーと言うのだが、やはり最後まで名前を覚えられなかった。


「バカ! 待て! 違うんだ!」


 声を嗄らして叫んだタリカだが、その声は届かなかった。あの獅子の正規軍騎兵は突撃してきたんじゃなかった。高い所から見ていたタリカには、獅子の騎兵を追い立てる後方のル・ガル騎兵が見えていた。


 風になびく軍旗を見れば、それはスペンサー家とジダーノフ家らしい。彼等は城内を蹂躙した後で城外へと飛び出したのだろう。獅子の騎兵が城内の補助軍や市民を囮にして敵軍を引き込み、その空きに本部を急襲したのだった。


「なんてこった!」


 タリカの嘆き節が響く。だが、そんな声とは裏腹に、獅子の正規軍騎兵を挟み撃ちにする形となった平面部は、激しい大混戦に陥っていた。そして、そんな中で聞き覚えのある声が届いた。


「若殿下! 殿下は何処! 我はスペンサー家のドレイクなり!」


 彼方から聞こえてきた野太い声。それはスペンサー家を預かるドレイク卿ことドリーの声だった。そして、獅子の騎兵達が行っている運動を理解した。騎兵にとって後方は純粋な弱点だ。


 それ故に、獅子の騎兵は反転ではなく走りながら方向転換を試みているのだ。大きく円を描き、そのままル・ガル騎兵の後方へ喰らいつく算段なのだろう。つまり、その前に獅子の騎兵を狩り尽くさねばならない。


「どけどけどけ! 我が王は! 我が王は何処にあられる!」


 もう一つ聞こえてきた声。それはジダーノフ家を預かるウラジミール卿だ。スペンサー家の主とジダーノフ家の大統率。そのふたりは返り血を浴びたドロドロの姿で走り続けていた。


「ドレイク卿! ここぞ! ここに居る!」


 混乱した騎兵の向こうからキャリの声が聞こえた。まだそんなところに居るのか!と声を上げたタリカだが、その前に獅子の騎兵が突っ込んできた。指揮台を支える柱に激突し、太い柱がメキリと折れた。


「やべぇ!」


 崩れた指揮台の台上に居た者達は、バランスを崩して地上に放り出されかけた。その時僅かに意識を取り戻したハクトが何事かを詠唱した。すぐにルフが気が付いたらしく、その詠唱とハモる様に詠唱を被せた。


 自らの周囲がパっと光ったように見えたタリカは、僅かにそれに驚くが直後に己の悪手を知った。稀代の魔法使いが詠唱したのは、次元を飛び越える魔術だ。見えている世界がグニャリと歪み、どこかへ飛び越えようとしていた。


「待てッ! ララを!」


 そうだ。馬ではなく魔法で逃がすべきだった。

 これだけの魔術師が揃っているのだから、馬で逃がす方が危険だった。


「もう遅いぜオオカミの坊ちゃんよぉ! こっちゃ来い!」


 ルフが手を伸ばしてタリカを引き寄せようとした。

 だが、その手を振りほどく様にタリカは半壊した指揮台の端へと立った。


「世話の焼ける小僧だね」


 腹立たし気に言うハクトは、タリカに手を伸ばして引き寄せの魔術を行使しようとした。だが、その瞬間に再びの衝撃が襲い掛かって来て、指揮台が完全に崩れていった。


 (マジかッ!)


 空中へと放り出されたタリカが見たものは、パっと弾けた光の玉だった。ハクトやルフの行使した魔法により、指揮台の上に居たル・ガル首脳部がそっくり転移して逃げた。つまり、自分だけが逃げ遅れた。


 (こうなりゃ!)


 地面へと叩きつけられたタリカは、痛む身体を無視して飛び起きた。そのすぐ近くには絶命しているル・ガル騎兵が居て、馬が所在なさげにしていた。そんな馬に飛び乗ったタリカは、同じく絶命したらしい騎兵の槍を持って走り始めた。


 キャリを逃がすために吶喊した第2連隊の騎兵を追う為に。それは勿論、ララの為にだ。だが、その全てが悪手であった事を知るまでに、いくらも時間を要さなかった。


「……あ」


 こんな時、人は叫ぶ事すら出来ないらしい。タリカの目の前に見えたのは、巨大なウォーハンマーを振り上げた巨漢だった。ライオンの男は皆大柄だが、そんな中でも飛びぬけて大柄な存在だった。


 もう、どうにもできない。そのハンマーを受けるしかない。受けて飛ばされて踏み潰されるか、受けた瞬間に即死するかの二択。瞬間的に様々なものを思い出したタリカは、死の直前の走馬灯を見ていた。


 (ララ……)


 愛していたよ……と言葉にする時間は無かった。唸りを上げてやって来たハンマーの先端が鈍く光った。何かの光を反射したらしいが、それが何かは解らなかった。ただ、次の瞬間タリカは生ぬるい何かを浴びていた。


 ドロリとした感触のそれが血液である事を認識し、自分の身体がはじけ飛んだのかと思った。だが、現実には目の前に居た筈のライオンが消えていた。いや、消えたのではなく消し飛んでいた。


 まだ砲撃を続けていたル・ガル砲兵の榴弾がライオンの背面側で炸裂し、その威力で巨漢の上半身がグチャグチャに崩されて吹き飛んだ。血と肉と骨と甲冑の残骸が混ざったモノを頭から被ったのだった。


 (ついてるぜ!)


 素直にそう思ったタリカ。しかし、それは幸運でもなんでもなく、純粋な不運の始まりでしかない事を知ったのは、その直後だった。


「……ッ!」


 言葉になる前にタリカは吹き飛んでいた。吹き飛ばなかった下半身と半死の長毛な牛に激突し、ダイナミックに吹き飛ばされていた。はた目に見れば死体でしかないタリカは空中を僅かに散歩し、荒れ地に投げ出された。


 そのすぐ上を長毛の牛が駆け抜けていき、全身を容赦無く踏みつけられた。身体中の骨が痛みを発し、狂いそうになる中で踏み殺される瞬間を待った。ジタバタしても始まらないのだと割り切った。しかし……


 (え?)


 不意に何かに引っ張られた。何が起きたのかは全く分からないが、踏み潰される前に牛の上へ乗っけられた。どうして良いか解らず、ただ身体の力を抜いて流れに身を任せた。


 捕虜か?と一瞬だけ考えた。それが何を意味するかは言うまでもないが、少なくともまともな扱いでは無いだろう事は解っている。ならばここでもうひと暴れするか!と覚悟を決めた時、凄まじい痛みが全身を駆け抜けた。


 薄れゆく意識の中、それが全身複数箇所の酷い怪我による痛みだと気付いた。複数の箇所で開放骨折や粉砕骨折を起こし、内臓にもダメージを負っている。そんな中でタリカは死を受け入れ、意識を手放したのだった。


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