表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
570/665

キツネに誑かされる・・・・

~承前




 それを目にしたとき、カリオンは思わず『なぜ?』と問うていた。

 夕刻になってやって来たエデュが、頭から血を流しているのだ。


「いやはや、参った参った。私は裏切り者だそうだ」


 ハハハと笑いながら言ったエデュだが、その瞳に光るものは純粋な敵意だ。

 炯々とした眼差しを一度は彼方に向けたものの、すぐにカリオンを見た。


「こうなってはもうね、ネコは折れないよ。誰かに言われて折れるなんてのはね、文字通りにネコの名折れだ。自分で決めて折れるならともかく、誰かに説得されて折れるなんてのは、ネコにとっては恥ずべき事なんだ」


 シーアンの片隅に立て籠もるネコの兵士は凡そ200名程だろうか。彼等への説得を試みたエデュだが、逆にイヌと組んだ裏切り者呼ばわりで、立て籠もっている者達から石を投げられたらしい。


 こうなればもう話し合いによる解決は無理という事だ、エデュは苦虫を噛み潰したような顔になっていて、吐き捨てる様に言った。


「まもなく、かの議長が来るだろう。彼に事態の解決を懇願させ、彼に責任をおっ被せよう。議長が希望したことにすれば良い。それで、あそこのネコを排除する。もう知らん。全て殺して良い。聞かん坊になったなら、それしか無い」


 ネコと言う種族の特性と言われればそれまでだが、こうなった場合にネコはもうテコでも動かない。それを知っているだけに、エデュも諦めムードだ。だが、カリオンは僅かに疑念を持った。全部イヌのせいにされかねないからだ。


「果たして……ネコはそう割りきれるのか?」


 カリオンの問いにエデュは『勿論だ』と快活に答えて笑った。それだけで無く、酷く悪い笑みを浮かべて『理由だの大義だのの中身など誰も気にしない』と言い切った。そう。要するに理由は存在すれば良いのだ。


「議長に圧力を掛け、事態の解決を依頼し、責任は全部自分が被ると言わせれば良い。そして、それを証明しろと命じ、議長にネコへの最後通告をやらせよう。その後に総攻撃で焼き払えば良い。仮にいま彼等が折れたとて、永遠に彼等は被害者だと言い続ける。自分達がやった事を棚に上げてな」


 ――――なるほど……


 カリオンは不思議と腑に落ちる思いだった。

 そして、ネコへの対策はこうすれば良いのか……と学んだ。


 そうなのだ。彼等にとって責任だのなんだのなど何の価値も無い事だ。騒げれば良い。或いは自分達が被害者であるとする空気があれば良い。彼等ネコの根本的な欲求はひとつしかない。


 要するに、自分が得をすれば良いのだ。


「ほら、来たぞ。凄い勢いだ」


 エデュは額に当てていたタオルを取って指差した。大きな馬車が凄い勢いでやって来て、そのワゴンに乗っているバジャ議長は憔悴しきっていた。隣には例のケダマの少女が居て、この日も何処か恍惚の様子だ。


 ただ、慌てふためいてやって来た議長は馬車から飛び降りるようにして、カリオンの前までやって来るなり、すぐさま目前で跪き言った。その震える声は間違い無く演技では無かった。


「太陽王猊下! どうか! どうか今すぐにでも最終的解決をお願い致す!」


 まるで罪人のように跪いてそう願い出たバジャ。シーアン市街北西区画にある歓楽街の一角は、市街図の中でも赤い線に囲われているこの辺りだ。ここはハッキリ言えば性風俗産業の集積地。


 そしてどういう訳か、このバジャの利権がこの辺りに集中しているらしい。自分の店を持ってるのか、それとも地権者で経営者に貸しているのか。さもなくば金主になっていて、上がりの上前をはねているのか……


「……何をそんなに慌てているのか。余には理解出来ぬが……」


 呆れたような態度でバジャを見たカリオンは、もう一度エデュの方を見た。

 彼は建物へと立て籠もったネコの一団に対し最後の降伏勧告をする直前だった。


 一般民家への押し込み強盗や強姦に及んでいたネコの兵士たちは、イヌやオオカミの憲兵隊により次々と射殺されていた。その結果、ネコの一団は押し込み強盗の危険性を認識したのだろう。


 だが、その結果として彼らが行い始めたのは、性風俗産業の施設へと出向く事だった。強盗でも犯罪者でもなく、堂々と客として出向くことを選択したのだ。しかしながら、ネコの兵士たちはキャストの女たちを次々に殺してしまった。


 ――――まさか死ぬとは思わなかったよ!


 ヘラヘラと笑いながら次々に犠牲者を増やしていたネコの兵士に、各方面から議長は突き上げを受けていたのかも知れない。イヌの王を含めた支配者側と折衝し、今すぐにでも暴虐をやめさせろを求められたようだ。だが……


「これでは! これでは女達が『ところで余の求めるものはどうなった?』


 バジャの話を切る様にして声をかけたカリオン。

 その問いに対し、バジャは顔色を変えて狼狽していた。


「必ず見つけます! 必ず見つけますから! どうか今は!」


 バジャの懇願にカリオンは大きく首肯し、ニコリを微笑んで見せた。


「そなたの誠意。余は確かに受け取った。よって、余の求めるものがここに来た時点ですぐさまにでも最終的解決に当たる事を約束しよう。イヌは嘘をつかぬ事を至上の誠意としている。余は嘘をつかぬし約束も破る事はない」


 カリオンはゆっくりと歩み寄り、バジャの肩に手を乗せて言った。

 威風堂々とした支配者の貌をして、見上げる者を打ち据えるようにしつつ。


「安心して良いぞ。さぁ、大至急差し出すのだ。余の娘はどこに居る?」


 容赦のないやり方は反発をも招きかねないだろう。だが、現時点でバジャは反発する素振りすら見せず、ただただ懇願を続けているのだ。


「街中をくまなく探しましたが見つけられませぬ! 街中には居ないでしょう!」


 まるで泣きそうな顔になりながら、バジャはそう説明した。

 だが、カリオンは小さく『ふむ……』と応え、押し黙って思考の深みへ入った。


「……そうか。残念だな。ならば……ウォーク」


 バジャから離れたカリオンは、唐突に副官を呼んだ。

 その呼び出しに『ここです』とウォークが応え手を挙げた。


「議長は市街にララが居ないと言っている」


 酷く残念そうな声音でそう漏らしたカリオン。

 それを聞いたウォークもまた、目に見える落胆を見せた。


「それでは……ここに残る理由がございませぬ」


 重い沈黙と痛いほどの空気。そんな中、彼方の置屋と思しき店からは、悲鳴にも似た声が聞こえている。殺すのを前提とした酷い遊び方をしているのだろうか。掠れた声で助けて助けてと懇願するような声すらも聞こえた。


「そうだな……」


 溜息交じりにそう言葉を返したカリオンは、左手を上げ息子キャリを呼んだ。

 次期帝として立派な身なりをしている若者が数歩前へと歩み出ると、カリオンは辺りを見てから方針を告げた。


「全軍に撤収命令を出す。帰国しよう。バカげた戦は……もうこりごりだ」


 まるで独り言のようにそう言ったカリオンは、オクルカやシザバを見た後でヨリアキに視線を送り、溜息をこぼしつつ切り出した。


「ご覧の通りだ。残念ながら余は大事な娘を喪ったようだ。憤懣やる方無いが、それでも飲み込まねばならぬのであろう。無念極まりないが、これにて捜索活動を停止し引き上げることにする。諸公らは各々に信ずる正義において活動されたい」


 それが何を意味するのか、バジャ議長はすぐに理解したらしい。まるで泣き出すような顔になって『お待ちを! どうかお待ちを!』と懇願している。しかし、そんな姿に心底冷たい視線を浴びせかけ、ただただ押し黙った。


「ならば我々はこれより街を焼き払い、息子を探すこととしましょう。何処かに囚われているなら救出し、既に売り払われているなら報復に全て死んでもらう」


 漆黒の体毛を持つオオカミがそう言うと、シザバは静かに首肯しながらバジャを睨み付け、渋い声音で言った。イヌやオオカミとは違う大柄な体格のトラは、静かな怒りを湛えていた。


「そりゃぁ……やむを得ないだろうな。オオカミとは色々合ったが、義理もある。手伝うぜ」


 そんな言葉に『え?』と言い返すのがやっとなバジャ議長。

 しかし、そんな議長を余所にキツネのヨリアキが言った。


「いやいやいやいや、どうか待たれよ。まずは宝探しが重要にござる。今すぐにでも街中を浚い金品財宝を回収したい。焼き払うのはその後で結構でしょう。なに、目撃者など残さねば良いのです。女だけじゃ無く子供だって売れますよ。殺すのは男だけで良い。我らに少々時間を戴きたい」


 何とも芝居掛かった物言いだが、キツネという種族の特性故か迫真の言葉にも聞こえるのだ。そして、絶妙の間合いでバジャを見たヨリアキは、ニコリと笑って両手を広げた。


「さぁ議長。いくら差し出す? 我らの社会にも諺があってね、曰く、地獄の沙汰も金次第だ。念の為に言っておくが、金の切れ目は縁の切れ目とも言う。死んで花実が咲くものかともね。よく考えたまえ」


 絶妙のリレーで畳み掛けたガルディア連合の面々だが、グルリと回って再びカリオンが口を開いた。絶望しかけたバジャにとどめを刺すように。


「……ならば、我らも街を焼き払おう。何処にも居ないのであれば、街の全てに報復する。もちろん議長。君もだ。世の娘はどんな絶望の淵に立ったのであろうな。それを思えば、余はこの胸が張り裂けんばかりに苦しい――」


 まるで地獄の獄卒が語りかけるように、カリオンはワザとゆっくり目に言葉を掛けた。ただ、その言葉が進むにつれ、バジャは引き攣るような顔になっていた。


「――だが、こう見えて余は割と穏健派だ。手荒な対応も正直言えば心苦しい。従って、甚だ不本意ではあるが、明朝まで待つことにしよう。さぁ、もう一度探してみるといい。そなたの努力で街が救われる」


 マダラの顔がニコリと笑った。獣人のそれと違い、カリオンの笑みには解りやすい表情が浮いていた。しかし、それを聞く側のバジャには、文字通りな絶望の表情が浮かんでいる。


 そのコントラストが面白いのか、オクルカやシザバは笑いを噛み殺すので精一杯だ。なにより、ウォークまでもが僅かに肩を震わせて笑いを堪えていた。


「ただ、イヌ以外の面々がどう動くかについて余は責任を持たぬ。故に、早く動く事を勧める。それとも、あのネコの一団が立て籠もっている建物にそなたが隠している。保護しているのであれば、最初から素直に言ってくれれば良いのだがな」


 エデュが言ったとおり、カリオンはバジャにそう言わせる作戦を仕向けた。それが建前である事など、誰が聞いてもすぐにわかるだろう。つまりは、イヌの姫を人質に立て籠もっているから助けてくれ……と議長が言えば良いのだ。


「所で議長。あそこの建物に書いてある文字。あれは獅子の国のものであろう?」


 カリオンに続きオクルカが口を開いた。

 笑いを噛み殺しきったのか、硬い声音で刺すような口ぶりだ。


「えぇ…… 然様にございます」

「ならばひとつ問うが……あれは何と読むのだ?」


 ガルディアで広く使われている羽ペンとは違い、まるで絵筆を使って書かれたような文字が看板に躍っている。獅子の国で広く使われる筆記用具のようだが、その文字はガルディアとは全く異なる物だった。


「紅の館……にございます」


 バジャは脚をガクガクとさせながら震える声で言った。


「……くれない? それだけか??」


 ヨリアキが首を傾げながら言った。

 キツネには僅かながらだが読めるのかも知れないとカリオンは思った。


「いえ、その前には水煌めく館。水晶亭別館と書いてございます」


 ――――え?


 バジャの口から水晶亭という言葉が出た瞬間、カリオンやオクルカの表情がガラリと変わった。それと同じタイミングで彼方の建物から、若い男の声で断末魔の絶叫が響いた。


「もうひとつ聞くが…… そなた、何故あの建物に拘る? そなたの経営する施設かね? それとも所有者か?」


 ヨリアキはどこか優しげな声音でそう問うた。

 だが、それはキツネの話術その物であるとカリオンは気付いた。


「それは…… それは……」


 何かを言い出そうとして、酷く逡巡しているバジャ。

 そんな議長の袖をケダマの少女がツイツイと引っ張った。


「早くしないとお兄様が死んじゃうかも…… 旦那様」


 不安そうな顔でそう言う少女だが、バジャはうるさいとでも言いたげに袖を払った。その時、僅かに姿勢を崩したケダマの少女は、小さく『ヒッ!』と息を漏らして身体を捩った。


 痛みや苦しみとは違う嬌声にも似たそれは、子を為した男なら誰だって聞いた事のある、房事の最中に女が漏らす声と同じだった。


「もう一度聞くが、あれはそなたの持ち物か?」


 ヨリアキは真っ直ぐにバジャを見てそう言った。金色に光る瞳がバジャを見つめていて、その視線を受けたバジャはどうしても視線を切ることが出来なかった。


 (さぁ 言うんだ 平気だから 心配ないから 言ってしまえば楽になる)


 口を開かずに言葉を発したヨリアキ。その細く小さな声は、ぎりぎり聞こえるかどうかでバジャの耳に届く。極度の緊張と逡巡にある者には聞き取れない声音かもしれない。しかし、それこそがキツネの話術の核心であり、無二の技術だ。


 (金などいくらでも生み出せる 焼き払ってからでは遅いのだぞ)


「あっ あれは…… 私の経営する…… 男…… 置屋にございますれば…… どうかお助けくださいませ…… 私の可愛い子供達をお救いください」


 その場に伏してバジャは遂にそう言った。だが、それだけでは足りないのだ。バジャに。このシーアン市民議会の議長に責任を被せなければいけない。その為の行動を取らせなければ行けない……


 (私は 私だけはそなたの味方だ 信じろ)


 ヨリアキの囁き言葉にゾクリと寒気を感じたカリオン。目だけ動かしてオクルカを見れば、彼もまた硬い表情で息を呑んでいる。声音と口調とが渾然一体となった絶妙の催眠術だろう。


 キツネに化かされる。或いは騙されると言った事態は、全てこれが引き起こしてるのか!とイヌやオオカミは喝破した。


「ならば、そなたは先ずあの建物に語りかけたまえ。素直に出てこいと。さもなくば焼き払うと。そうすれば我らも大義名分が立つ。我らは多国一統軍故に、裏切る事が出来ぬのだよ。だから君の言葉が必用だ」


 ヨリアキは真面目な顔のままそう言った。金色の瞳がバジャの脳天を貫くように見つめていた。一時的な心神喪失状態へと追い込むその手法に、全員が寒気を覚えた。


「……そう……させて……いただき……ます……」


 ふらりと立ち上がったバジャは夢遊病のように歩き、彼方の建物へ向かって叫び始めた。建物から出て男も女も解放しろと。その絶妙なやり口の上手さに、カリオンはキツネだけは敵に回しては行けないと再確認するのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ