少しずつ前進
~承前
シーアン城外の宿営地。
ガルディア連合軍が陣取るエリアでは夕食が始まりつつあり、各種族の幕屋からは炊煙が立ち上っていた。その煙を見る城内の市民達は、なんとも微妙な表情を浮かべている。
一方的な勝利を納めた側と、一瞬にして負け戦を突き付けられた側のコントラストはいつの時代も対照的だ。そして、勝った側は陽気に歌える余裕を持つのだが、城内ではまだ小競り合いが続いていて、ジョニーらは戻ってきてはいなかった……
「……で、何だと言うんだ」
少々不機嫌そうなカリオンは、本営の幕屋で各種の報告を聞いていた。ここで報告が上がってきているのは、主にネコ陣営との軋轢に関する問題だ。ジョニーは憲兵中隊を率いて事態の鎮圧にあたったのだが、どうにも上手くないらしい。
彼ら獅子の国側との折衝に同席出来なかった事でメンツを潰された事が不服らしく、連合軍でありながらも声が掛からなかった事に怒り心頭なのだという。だが、そもそもそうなった最大の理由は別のところにあった。
「現在は近衛将軍と王子で交渉に当たってますが、そもそも城外へ出る気配すらありません。占領は勝ち側の正当な権利だと主張しています」
呆れたように説明した憲兵少佐は細身の南方系だった。アッバース一門に属するようだが、そもそも憲兵が忠誠を捧げるのは太陽王であり、王の定めた掟である憲法そのもののみ。
一点の曇りもない眼差しでカリオンを見ている憲兵は、ジョニーから預かったメモ書きを持ち、太陽王の次の言葉を待っていた。
「……なんて事だ。一難去ってまた一難か。楽をさせてくれないな」
ボヤくようにそう言ったカリオン。憲兵少佐は『申し訳ありません』と不手際を謝罪した。だが、カリオンはニコリと笑って『君らの事じゃない。ネコの連中の事だよ』とこぼし『余の執政はネコに振り回されてばかりだ』と嘆いた。
思えば祖父シュサはネコに殺され、前王ノダはネコとの対応で大きく疲弊した。そしてカリオンの御代では、事あるごとにネコの横やりで振り回されている……
「やっと獅子の国との案件が片付きそうなんだがなぁ……」
日中、シーアンの執政府にてカリオンはシンバと会談した。その席にはオオカミ王オクルカとトラの王シサバ。そしてキツネの将軍ヨリアキが同席し、割と建設的な会談となった。
全てとは言い難いモノの、ガルディア側の要求はおおむねシンバの目指す所と同じであり、双方に当面の不戦と継続的な接触を行う事で見解の一致を見た。そもそもの話として、獅子の国も限界だったらしい。
――――なにも戦いたい訳ではない
シンバの言い放った言葉にシサバが顔色を変えたが、ややあってシンバの話を聞くうちに、怒るに怒れない事であったと飲み込んだ。ただ、それに伴って死者を発生させた以上はそれなりの手打ちが要る。
――――怒りも憎しみも消す事は出来ない
――――だが、許さなけば前進出来ぬ事だ
シサバはクレバーな判断を示し、今後について不戦と朝貢要求の停止を求めた。シンバの側は元よりそのつもりであったと述べ、獅子の国の国内体制が一段落した時点で詫びを兼ねて支援を惜しまないと約束した。
大国である獅子の国だ。勘合貿易という形態なのだが、その国を統べるシンバの気前の良さや漢気的な部分の証明もあり、こんな時には本当に大盤振る舞いを行うのが通例なのだと宰相フシャンは述べていた。
そして、差し当たって交わされた約束事は三点。まず、シーアン城下民に危害を加えない事。濫りに乱暴狼藉を働かぬ事。そして、一旦城外へ退去し、市民らによる決定を尊重する事だった。ネコの側はそこに噛み付いているのだ。
「要するに、城下で略奪強姦やりたい放題やらせろという事か?」
右手を腰に当て、左手で額を触るカリオン。その姿を幕屋の片隅で見ていたリリスが笑いながら見ていた。いくつになっても変わらぬ仕草は、父親であるゼル譲りのものだ。
小さくクスクスと笑ったリリスを見てリサが不思議そうな顔になった。ただ、何かを言える空気ではないと判断できる程度には分別を身に付けているようで、ここでは沈黙を守る事で存在を消していた。
「……どうやら……そうらしいぞ」
カリオンの言葉が聞こえたのか、呆れた声で幕屋に入ってきたジョニーは、開口第一声にそう言った。厳しい顔になったカリオンだがジョニーは遠慮なく続けた。
「そもそも突入した後で宝探しすら出来なかった事を根に持っている。ハッキリは言わないが、正当な権利を妨害されたのだから謝れという事らしい……」
ネコの側の癇癪が余りに下らないモノであった為か、カリオンは不覚にも笑いだしてしまった。己の感情を制御できず、つい笑ってしまう事態。いわゆる失笑というものだが、これを笑わずして何を笑えと言うのだ……
全身でそんな感情を示したカリオンは、近くにあった椅子へ荒々しく身体を投げ出して天を仰いだ。脱力するような程度の低さに眩暈を覚えるが、彼の国では重要な事なのだろう。
「……で?」
天井を見上げたまま最短の言葉で続きを求めたカリオン。その姿が余りに刺々しい故に、幕屋の中は極度の緊張状態になっている。だが、そんな空気に影響されることなく、ジョニーも手近な椅子を引いて腰を下ろした。
太陽王の目の前でそんな事が出来る人間はそうそう居るものじゃないが、少なくともこのジョニーだけは完全にフリーダムな振る舞いだった。
「まぁ、かいつまんで言えば、ここまで来たんだから手土産ぐらい用意しろと。あと、一方的に撃たれたんで謝罪と賠償しろ……だそうだ」
天を仰いでいたカリオンが顔を起こし『……はぁ?』と気の抜けた声を出した。だが、ジョニーは頭をボリボリと掻きながら繰り返して言った。
「俺たちは一方的に撃たれた被害者だから謝罪と賠償をしろとさ」
話を聞いていたリリスは、幕屋の中が一時的に真空になった様な錯覚に陥った。一時的に全ての思考が凍り付き、掛かる案件について思慮を巡らせることの一切を放棄したような状態だ。
何を言っているのか解らない。解りたくない。余りに次元の低い思考を叩きつけられ、もう何も言いたくはないし関わりたくもないとすら思った。自分たちのやった事で発生した件について、自分の責任を棚に上げて文句を言うなど……
「バカには底が無いと言うが……」
絞り出すように言ったカリオン。
ジョニーは呆れたように言った。
「連中はそれが当然だと思ってるぞ」
再び痛いほどの沈黙が流れた。何かを思案する為の沈黙ではなく、呆れて言葉が無いので結果的に静寂が間を支配している状態だ。ただ、そんな静寂も3分が経過する頃には、カリオンの表情が大きく変わっていた。
傍らで黙って話を聞いていたウォークに顔を向け『今すぐアブドゥラを呼べ』と命じた。その一言にウォークが表情を硬くしなながら『完全武装でですか?』と問い返す。長く側近を務めた男には、カリオンの決断がすぐに分かった。
「そうだ。3個連隊を動員する。不当に占領を続けるネコを包囲し、今すぐ立ち退かねば全員射殺すると言え。抵抗する場合には本当に撃っていい。一人残らず射殺しろ。この件でネコの側が抗議するなら、今度こそネコを滅ぼす」
ウォークは無言で首肯し幕屋を出ていった。その背を見送りつつも素の言葉で『おぃマジか?』とジョニーが言う。だが、そんな言葉を背中で聞いたカリオンはスッと立ち上がり居住まいを整えてから言った。
「いや、俺が直接行く。直率して解決に当たる。シンバに当てつけてやろう。こちらの本気を示した方が良いだろ」
そんな事を言い出したカリオン。だが、そこにオクルカが姿を現した。隣にはシサバも来ていて、どうやらそれをしたのはキツネの将軍ヨリアキのようだ。
「……ネコの件について相談に来たのだが……やはり同じ見解のようだな」
ヨリアキは堅い表情と声音でそう切り出した。オクルカもシサバも同じように呆れかえった顔になっていて、もはや付き合いきれないと言わんばかりだった。
「城内で不当占領しているネコの連中はざっくり200名ほどだ。例のサヴォイエ騎士も不干渉を通告してきた。遠慮する事はないからやっちまおう」
シサバがそう言うと、オクルカが首肯しながら言った。
「約束を果たす姿勢が大事だ。そうすれば獅子の側に強く出られる」
日中の会談ではオクルカが行方不明の息子とララの行方を求めていた。シンバとフシャンは困り果てた表情で『我々も把握できていない』とこぼした。だが、怒りを秘めた声音で『……把握出来ていない?』とオクルカは問い返した。
獅子の側は奴隷の取引等を全力で調査すると約束したが、何分にも城下が戦乱で混乱している関係で、調査は思うように進んでいないのが実情だった。それに対しオクルカが言ったのは『結果を出してくれ』だった。
こちらも約束は果たす。必ず果たす。だからそちらも約束を果たしてくれと要求したのだ。同胞を護る為ならオオカミは手段を択ばないし、一族の結束を護る為に死にもの狂いで事に当たる。それを忘れるなと釘を刺したオクルカの都合だった。
「陛下。アッバース卿がお見えになりました」
アブドゥラを連れてウォークが戻ってきたが、その後ろに居たアブドゥラは完全武装の状態でやって来た。新式銃を持ったアブドゥラは切れ目の眼差しで室内をグルリと見回し、他種族の王や責任者に一礼したあとで言った。
「ウォーク卿よりご用件は承っております。最終的解決ですね?」
最終的解決が何を意味するのかは言うまでも無い。だが、『よろしい。ならば今すぐに』と幕屋を飛び出す段になったカリオンの前に、ピエロ・サヴォイエが姿を現した。
「太陽王陛下におかれましてはご機嫌麗しゅう存じます。掛かる件、今しばしお待ち願いたい。手前の責により、たちどころに解決してご覧に入れましょう」
相変わらず甲高い声で言うピエロ。その声が何とも耳障りで怪訝な顔になったカリオンだが、そこに口を挟んだのはヨリアキだった。
「……如何なる手段で解決されるのか?」
そろそろ付き合いきれない……と言い出しかねない空気のヨリアキは、少々剣呑な声音でそう迫った。ネコのいい加減さや自己中さについて、キツネらはほとほと呆れているのだ。
そも、キツネ一族からすればイヌという種族は手の掛かる弟的な風に見ている部分があるし、トラの一族から見たイヌは、トラと同じく義理と人情を大事にする折り目正しい連中という解釈だった。
つまり、なんだかんだでトラやキツネはイヌと折り合いが良い。それは多分にイヌという種族の性質や性格が相性的に良いのだろう。その対極にいるのがネコなのだから、もはや何を況んやなのだった。
「実は先にご迷惑をお掛けした件について女王よりお叱りを頂戴しており、その中でもし連合軍に迷惑を掛けるようなことがあれば容赦無く追放せよと命を承っておりますれば、その命令書を持って最後通牒に行ってまいりまする」
へラッとした空気を纏うピエロだが、それを言う時だけは厳しい空気になっていた。ネコの国家内部にある支配システムがどうなっているのかは想像すら付かないのだが、ひとつだけ確実に解っている事がある。
それは、ネコの女王が持つ支配体制は驚く程に盤石で揺るぎないと言うものだ。何より凄いのは、多くのネコが女王を心底恐れ敬っていると言う事。凄まじい魔法力を持つと言われる女王は、本気で恐ろしいのかも知れない……
「……なるほど。ならばまずはお手並み拝見と行こう」
何処か小馬鹿にして掛かる様な空気になってカリオンはそう言った。それを聞いたピエロは『寛大なる太陽王の御差配に心より感謝致す』と歯の浮くような綺麗事を並べてからその場を辞した。
カリオンはジョニーに『一緒に行け』と目で指示を出し、ジョニーも僅かに首肯してすぐさま飛び出して行った。その後ろ姿を見送った幕屋の中では、ヨリアキが辺りを見回してから切りだした。
「時に太陽王陛下。実はもうひとつ、折り入ってご相談が」
ヨリアキはあくまで将軍であり、キツネの最高責任者は帝となる。その関係で下からの物言いになったヨリアキは抑えた声音で切りだした。
「いかなご用件か?」
カリオンは何となく難しい事を要求されると察し、ひとつ息を吐いて気合を入れ直してから応えた。その僅かな所作に百戦錬磨の交渉上手を察したヨリアキは、薄く笑って言った。
「こちらのイサバ王とも相談したのだが、イヌの軍勢が今回装備した新しい銃なる兵器。素晴らしい威力に驚くばかりですが、旧式のものは処分されましたかな?もし処分前でしたら、我々に解放しては貰えまいか?」
いきなりキツイ事を切りだしたヨリアキ。さすがのカリオンも『銃か……』と漏らした。ヨリアキが言うことを要約すれば、新式銃に装備改変を行ったのだから旧式銃は不要ではないか?と言う事だ。
その銃をキツネやトラが装備すれば、獅子の国に対し大幅に圧力を加えられるとの事だ。そして、ここで重要なのはネコを例外にすること。足並みを乱したネコには恩恵が無いと解りやすく手懐ける道具にしようとの事だった。
ただ、旧式とは言っても殺傷力は殆ど変わらない。ボルトアクションにより耐熱性が向上しただけで、まだ冷えているウチの射撃ならば30匁弾を放つ旧式銃でも甲冑程度なら簡単に貫通してしまう。
「……なるほど」
つまり、ヨリアキは、キツネは銃が欲しいのだとカリオンは考えた。その取り扱い方法を知りたいのだ。それさえ身に付けてしまえば、あとはいくらでも改良出来るし発展させる事も出来るだろうと考えているのだろう。
もっと言えば銃自体は他国でもコピーすることは容易い筈。それよりも火薬の調合やメンテナンスと言った付帯的な部分のノウハウが重要なのは言うまでも無い。銃など所詮は鉄の筒に過ぎないのだから。
「まぁ、それを公開することは容易いが……」
言葉尻が煮え切らないカリオンは、苦虫を噛み潰したような顔になって居た。それを見て取ったイサバは僅かに首肯しながら言った。
「カリオン王の心配を解らないわけじゃない。だがな、これだけははっきり言わしてくれ。少なくともトラはイヌに感謝している。何度かはガチでやり合ったが、イヌが憎くてやったわけじゃ無い。だから……裏切ったりはしない」
トラという種族が持つ竹を割ったような性格は、ここでは良い方に芽を出したと考えて良いのかも知れない。少なくともトラは銃を手にしてイヌに向け喧嘩を売るようなことは有るまいと思って良さそうだ。
「それは我らキツネも同じ事。銃が欲しいんじゃ無い。イヌが信用に足る存在だという実績が欲しいのだ。ネコに対する当て付けの面もあるが、それ以上に我が帝を始めとする面々へ奏上するさいに説得力を持つ」
ヨリアキが帝に何を奏上するのか?とカリオンは不思議がった。だが、そんな内心を見透かすかのように、キツネの将軍は続けて言った。
「これからのガルディアは種族の壁を越え共存共栄を図らねばならない。その時、我々はイヌを信用して良いのか?と不安を持つ者を説得するならば、これ以上のものは無い。無論、太陽王の心配も解る。家族を取り戻したい一心なのでしょう?」
リリスとララの事が気に掛かっていたであろうカリオンの内心をヨリアキは当てて見せた。そして最後には『家族を思う心優しい王だと、私は胸を張って言える』と笑顔で口説いた。その人誑しの才に、カリオンは苦笑いするので精一杯だった。
「一晩考えさせて欲しい。難しい問題故にな……」