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シンバと太陽王 

~承前




 地平の彼方に夕陽が落ちつつある日暮れの頃だった。

 巨大都市シーアンの郊外で始まった決戦は3日目を終えていた。


 初日はおよそ20万の兵士が挽肉になり下がり、野鳥や獣の晩餐として片付けられてしまっている。だが、その翌日の戦闘では獅子の国側も意地を見せ、30万近い歩兵が複数の方陣を組み、力任せに前進する作戦だった。


 ただ、意地や根性でどうにかなる戦闘ではない事を、彼らはその身をもって知る事になった。獅子の国の軍事ドクトリンでは、魔法による戦闘支援を受けつつ、歩兵による蹂躙が基本となっているようだ。


 しかし、そんな兵士たちは殆どが魔法攻撃の餌食となったり、あるいはル・ガル軍団の一斉射撃で残らず挽肉になっていた。単なる人的資源の浪費でしかないが、他の手段が無かったのだろう。


 そして運命の三日目、ついに獅子の国の切り札でもある2頭立ての戦車が登場したのだ。荒れ地を全力疾走で駆け抜ける戦車の上から弓による投射攻撃が行われ、広域魔法攻撃を躱すような動きでガルディア連合軍を翻弄した。


 どれ程に大規模魔法を使おうと、その範囲を越えて散開してしまえば被害は軽微となるものだ。戦いを左右するものは、火力でも防御力でもなく機動力である。ヒットアンドウェイの攻撃にキツネやネコは苦戦を見せた。


 そんな機動力抜群の戦車ではあるが、パックフロントで防御射列を敷いたル・ガル側の陣地を抜くことはできなかった。およそ100輌もの戦車が登場したが、その全てが射殺されもの言わぬ躯に変わっていた。


 そもそも、機動力を持つ鋼鉄の虎を退治する為に編み出された戦術なのだ。機動力とはいっても馬による移動でしかなく、しかも装甲は紙のようなレベルでしかないのだから、当然の結末だった……


「今日も骨の折れる作業だったな」


 ヒンヤリとした風の吹き抜ける郊外では、膨大な量の土饅頭が出来上がりつつあった。三日目の戦闘が終わった時、戦場に残されていたのは揃いの甲冑で身を包んだライオンの正規兵が射殺された死体だった。


 戦場を疾風のように駆け抜ける戦車だが、それを攻撃する銃弾は音速を越えるのだ。そして、18ミリ弾は掠った程度でも肉を抉り、直撃を受ければ甲冑に大穴を開けて即死せしめる威力だった。


 結果、戦車と共に登場した魔道歩兵と共に夥しい数の死体が生み出され、血生臭い空気を蟠らせているのだった。


「これは手を抜けませんからね」


 陣頭指揮にあたっていたウォークはそんな事を言いながらカリオンの元へ戻ってきた。決戦が始まって3日が経過し、獅子の国側の戦死者は驚くべきことに70万を越えたらしい。


 膨大な量の死体はそれだけで衛生環境の悪化を招く上に、いつぞや見た死体兵士が大量に現れるケースは歓迎しない。その為、戦場に残っていた死体を集め、一カ所に埋葬しているのだ。


 出来るものなら死体を焼いてしまいたいのだが、それを行うだけの薪や燃料の類が無いのだから仕方がない。こんな時にもヒトの知恵を借りられれば良いのだが、まずはしっかり埋葬する事が大事だ。


「敵側から丸見えですが……まぁやむを得ないですね」


 カリオンの傍に居て最終防衛線を形作る親衛隊長のヴァルターは、背筋を寒くしながらそう言った。シーアンの城壁最上部から強弓で狙えば届きかねない距離へ土饅頭を拵えているル・ガル工兵達は、恐怖を殺して作業に当たっている。


 そんな工兵を激励する為に、カリオンもまた敵の攻撃射程範囲までやって来て、敵にその姿をさらしているのだ。ただそれは、ある意味では駆け引きの一環でもあった。


「……来ますかね?」


 ウォークは何かを期待しながらカリオンを見ていた。そんなウォークに対しヴァルターは小声で『見張りの視線を切るべきではない』と苦言を呈した。しかし、当のウォークは『演技だよ』と笑いながら言った。


 そう。これはカリオンが言い出した演技でありエサだった。獅子の国を統べる王を直接引っ張り出す為の危険な賭けだ。カリオンが姿を見せてやれば、シンバなる存在も姿を現すかもしれない。その為のものだった。


「来るさ。むしろ来て貰わねば……困る」


 困惑するように言うカリオンは、作業する工兵達から視線を切って後方を見た。そこには幾重にも防護縦列が敷かれた防衛線が有って、その後ろには野砲が居並んでいた。


 その砲口はシーアンに向けられていて、その気になれば城壁を飛び越えて無差別砲撃が行えるようになっていた。そう。ジェンガンやナンジンと同じように、完全な無差別砲撃による撃滅戦闘だ。


「既に出口も封鎖してあります。死にたくなければ出て来るでしょうね」


 ニヤリと笑ったヴァルターがそんな事を漏らす。既にシーアンの街は四方の大門全てに迎撃線が設営されていた。つまり、何処から出ても完全に撃退される事が目に見えている。


 ……死にたくなければ姿を現せ


 無言の圧力を掛けているル・ガル陣営は、シンバの出方をジッと待ち構える体勢になっていた。だが……


「……エディ」


 ボソリと漏らしてやって来た情報連絡将校はアレックスだった。折りたたみ式のファイルに挟まれた機密情報連絡によれば、シンバは城内でオオカミの一団と接触中とある。


 そしてそこには検非違使のマークが書き込まれていて、オオカミの中に検非違使が溶けこんでいると有った。つまり、オクルカ王がシンバと直接対峙し、行方不明になって居るタリカとイヌの王女ララを返せと交渉していると言う事だった。


「……出所は?」


 短い言葉でそう確認したカリオン。アレックスも手短に『潜り込ませた草だ』と応えた。実は以前より奴隷として売られていったイヌの捕虜に、諜報員を紛れ込ませておいたのだ。


 彼らは独自の暗号によって城内と城外で情報をやり取りしていた。その方法まではカリオンも把握していないが、相当なインテリジェンスの戦いが繰り広げられていた。そしてそれは、駆け引きの道具として機能しているのだった。


「如何されましたか?」


 不思議そうに見ていたウォークにファイルを渡したカリオン。そのファイルをウォークとヴァルターが覗き見た。このふたりは情報を共有していなければ危険だからだ。


 ただ、そこに並んでいる文字へ目を走らせれば、現状が望外にル・ガル側へ有利となっている状況を示していた。決戦の前にシーアン入りしていたオオカミらの一団は、すでに獅子の国行政側と接触していたらしい。


 獅子の国側は城内へオオカミの一団を引き入れた事について、無差別砲撃を防ぐ人質としての役目を期待していたようだ。その関係で1万近い数のオオカミ軍団は獅子の国に客人として在留している状況だった。


 だが、そんなオオカミに対抗する戦力はこの数日で大きく減耗した。その関係で今はオオカミ軍団が強く出る事に相当な警戒をせざるをえないようだった。


「なるほど……ならば陛下。ここは危険です。一旦御下がりを」


 ヴァルターは埋葬など止めて撤収を提案する。だが、『いや、続けるべきだ』とウォークが口を挟み、ヴァルターは怪訝な顔になりつつも、『無駄ではないか?』とやんわり抗議した。


「いや、埋葬自体は我々の正当性を担保するものになるし、ここで撤収してしまえば演技だとバレる。よしんばこれが演技だと思っているなら、埋葬を続ける事で信じ込ませられるかもしれない」


 官僚らしい抜け目のなさでウォークはそう言うが、同時に『私の影に入ってください』と漏らしながら一歩前に出た。城の高台から弓で狙うなら一番邪魔な場所でウォークは壁役を引き受けたのだ。


「まぁいい。向こうの出方を見定めよう」


 カリオンが立ち位置を微調整し、男気を見せたウォークの影に完全に入った時だった。シーアンの大門にあった小さな潜り戸の鎧戸が開け放たれ、何が始まるのか?とカリオンは訝しがった。


 その近くにいたヴァルターは既に抜刀していて、それ以外の親衛隊も銃のボルトを引いて射撃体勢に入っていた。


「イヌの帝國を統べる王よ!」


 よく通る声でいきなりそう呼ばれ、カリオンは声の主を見た。

 そこには立派なたてがみを持ち、半身を風に晒すライオンの男が立っていた。


「……フシャンとか言うシンバの宰相です」


 ウォークはつい先日その姿を見ていたので、すぐに理解し小声でそう報告した。

 シンバの相談役であり、指針を示す役でもあると言う男が唐突に姿を現した。


「余がル・ガル帝國の王である。ライオンの男よ。まずは名乗れ」


 彼方に向かってカリオンは大声を上げた。驚いた工兵達が一斉に手を止め、近くに用意してあった銃を手に取った。だが、カリオンはその動きを手で諫め、待ての指示を下した。


「申し遅れた。手前はシンバを支える宰相が一人。中常侍のフシャンと申す。中常侍とはシンバの側近なり」


 乾いた風が吹き抜けた。カリオンは耳にした言葉を正確に思い出し、フシャンと名乗った男がなぜに姿を現したのかを思案した。カラカラと音を立てて何かが転がり、カリオンは自分が極限の集中状態にあった事を知った。


 ――――試すか……


 ふとカリオンの表情が変わった。100年を共に過ごしたウォークがそれに気づいた。そして、ふたりの会話を集中して聞く体制になった。


「獅子の国を統べる王の宰相よ。斯様な戦場にて敵将たる余を呼び止めるとは如何なる所存か。話を聞こう」


 カリオンの言葉にフシャンが僅かながらも警戒を緩めた。

 少なくとも相当緊張して姿を現したのは言うまでもないあろう。


「先ずは斯様な敵兵の埋葬を行っていただいた事に心魂より謝意を申し上げる。イヌの王とは寛大かつ寛容であられるな」


 まずは賞賛から来たか……


 その言葉にむしろ警戒の色を濃くしたカリオン。

 勿論ウォークもヴァルターも同じだった。


「世辞はよい。本題を話したもう」


 グッと表情を厳しくしたカリオンは声音も鋭くそう発した。

 だが、その直後に予想外の事が起きた。


「フシャン。下がれ」


 ――――……えッ?


 一瞬だけ虚を突かれたカリオンだが、すぐに表情を噛み殺した。ただ、そうは言っても予想外の事態には変わりない。そこに現れたのは、青年と言って良い存在だった。いや、それは青年ですら無く少年かも知れない。


 リリスは予想外に若いと言ったが、ここまで若いとは思っていなかった。ライオンな筈なのにたてがみすらなく、身の丈ならカリオンと変わらなそうな、ややもすればひ弱で頼り無い存在にすら見える者が現れた。


「アレがシンバか……」


 ボソリと呟いたヴァルターは、チラリとカリオンを見てから剣を鞘に収めた。理由など無かったが、そうするのがもっとも良いと思ったのだ。ここではなによりも穏便に話をすることが肝要の筈。


 ならば武具を納め、寸鉄も帯びること無く話し合いの場に着くことがもっとも重要であろう。親衛隊長である自分が無私の忠誠を捧げる主に対し、その邪魔をしない事こそ最重要課題の筈だ。


「イヌを統べる太陽王。私はその様に聞いたが、相違ないか」


 あくまで上からの物言いか……

 カリオンは苦笑いしながらも『然様』と一言だけで応えた。


「手前は獅子の国を統べる者。名は既に無く、己の存在も許されず、ただシンバと呼ばれる者にて、斯様に呼んで貰えれば結構――」


 名は既に無い……

 己の存在も許されない……


 その言葉にカリオンは不思議そうな表情を浮かべた。そして、思慮を巡らせるうちに何となく全体像が見えた。そう、シンバとは肩書きでは無く象徴のような存在なのだろう。


 キツネの国の帝がそうであるように、シンバというポストに就いた者は、己も名も全て捨てて、ただただ国の為に生きる存在となるのかも知れない。


「――太陽王に尋ねたい。そなたの愛娘が我が獅子の国に奴隷として売られ行方不明であると私は聞いたが相違無いだろうか」


 シンバは1人の人間では無く肩書きが話をする存在なのだ。それを確信したカリオンはひとつ息を吐いてから言った。


「然様。余の娘がそなたの国の何処かに囚われ閉じ込められている。余は娘の身を案じておる。明朝、城内へ入り探し出す所存。抵抗する者は全て死んでもらう」


 迷わずそう言い放ったカリオンは、腰に佩いていた愛刀の束に手を掛け、僅かに引き抜いて見せた。迷わずやるぞと言う意思表示で、もっと言えば手段は選ばないと言うジェスチャーだ。


「余は王である前に父である。娘の為に無茶もする。まぁ、多分に大義名分でしかないがな」


 何を言いたいのかはシンバにも解るだろう。リリスから聞いた通り、感情が無いと言うのは間違いないらしい。その顔に表情らしきものは本当に一切無く。また、声音にも態度にも感情を推察出来るものが一切無かった。


 例えるなら、森の中の木立や草木そのもので、少なくとも、ここまでの人生でこんな生き物と対峙したことなど一度も無かった。本当に異質かつ異様な存在なのだとカリオンは悟った。


 だが、それとこれとは話は別だ。ここで勝負を決めるべく畳み掛けることが肝要なのだが……


「委細承知した。明朝までに探しだしてご覧にいれよう。」         


 シンバはそれを言うと踵を返してシーアンの中へと帰っていった。さすがのカリオンもそれには焦り、思わず『待てッ!』と叫び掛けてしまった。ただ、そこでグッと飲み込んでしまったのだ。


 何故言わなかったのか?と自分でも不思議だったが、ややあって宰相フシャンの声が聞こえてきた。先ほどとは違って、どうも地声の様な響きであった。


「どうか一晩の猶予を願いたい。シンバはその名にかけて約定を果たす故」


 あくまで上から目線での物言いに、さすがにカリオンもイラッとしたのだが、ここで声を荒げるのも無様だなと思い至り、スッと言葉を飲み込んだ。


「……宜しい。明朝まで猶予を与えよう。明日正午。正門へ全力砲撃を加える。その後は余が自ら騎兵を率い城内へと突入する。仕度をしろウォーク」


 カリオンはウォークの背中をポンと叩いて歩き出した。勝者の余裕を漂わせるその姿に、全員が夢うつつの陶酔感を味わった。そして、工兵達に『もう少し頑張ってくれ』と激励を残し、カリオンは引き上げていった。


 運命の日が近づいていた……


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